永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?-真我探究の道(4)

シュリ・ラマナ・マハルシの遺された叡智の言葉を辿ることで、わたしたちの本性である真我(アートマン)について、少しでも理解を深めることができるように、特に重要だと思われる部分を抜粋して、ご紹介しています。

 

前回ご紹介した中では、ラマナは、真のシッディ(神通力、超能力)とは、

「それはあなたが真我を実現したときに自然と現れる力と智慧だ。

それは真我に到達した人の自然なタパス(霊的修練)から生じたシッディなのだ。

それはひとりでに現れ、神から与えられたものだ。」と語っています。

 

真我に到達し、自然に生じたシッディにより、他者を真我に導くことができる存在を、ヨーガの世界では、「グル」(師)と呼んでいます。

 

シュリ・ラマナ・マハルシが、「グル」について質問した質問者にお答えになったお言葉を読んだ時、これは正に<ナーナ先生のことを仰っているのだ!>と言うことが、ハッキリとわかったのでした。

 

神の恩寵の経路そのものであるナーナ先生のシッディは、己の本性を悟るのを防げている障害を消滅させ、神秘への扉を開く力を持つ強力なシャクティ・プラーナのパワーです。

それは、クンダリニー覚醒体験が何度も起き、真我そのものになっていらっしゃるからこその臨在の力なのですが、その真価に気づいている人はまだまだ極僅かしかいません。

 

その臨在の恩寵により、真我が目覚めていくというダイレクトな体験が起きた者には、シュリ・ラマナ・マハルシが語る「グル」の重要性がよく理解できるのです。

 

真のグルとは誰なのか?何なのか?

また、何故、すべての存在の真の本性である真我が、個(ジーヴァ)の中で目覚めていくには、グル(師)が必要なのか?

 

早速、シュリ・ラマナ・マハルシのお言葉を見て行きましょう。

 

 

『質問者

「グルの恩寵とは何でしょうか?

どのようにして、それは真我の実現に導くのでしょうか?」

 

マハルシ

「グルとは真我である。

ときおり、人は人生に満たされなくなり、自分の持っているものに満足できなくなる。

彼は欲望を満たすために神に祈り、それを通して心は徐々に純粋になっていく。

彼は神を知りたいと願うようになり、世俗的な欲望を満たすよりは神の恩寵を求めるようになる。

そのとき、神の恩寵が現われはじめる。

神はグルの姿をとって帰依者の前に現れ、真理を教え、さらに彼と親密に混じわることによって彼の心を浄める。

帰依者の心は強くなり、内側に向かうようになる。

瞑想によって心はさらに浄化され、わずかなさざ波さえない静寂のなかにとどまる。

その静かな広がりが真我である。

グルは外面と内面の両方だ。

外面からは、心が内面に向かうように後押しをし、内面からは、心を真我に引きこみ静かになるように助ける。

それがグルの恩寵である。

神、グル、真我の間には何の違いもない。」

 

質問者

「神智学協会では、人びとは自分を導いてくれる師を求めて瞑想します。」

 

マハルシ

「師は内側にいる。

師が外側にしかいないという無知をぬぐい去るために瞑想がある。

もし、彼があなたの待っている見知らぬ人であるなら、彼はかならずまたいなくなるだろう。

そんなつかの間の存在が何の役に立つというのだろう?

だが、あなたが自分を分離した身体であると考えているかぎり、外側の師は必要であり、彼は身体をもって現れるだろう。

身体との誤った同一視がやんだとき、師が真我以外の何ものでもなかったことを知るだろう。」

 

質問者

「グルはイニシエーションを通して私たちが真我を知るのを助けてくれるのでしょうか?」

 

マハルシ

「グルはあなたを手で抱きかかえ、耳にささやくのかね?

あなたは師があなた自身のようだと想像している。

あなたは自分が身体のなかに存在すると思っているので、彼もまた身体をもち、あなたに蝕知できるような何かをしてくれるだろうと考えるのである。」

 

質問者

「どうすればグルを見つけられるでしょうか?」

 

マハルシ

「すべてに内在する神は、その恩寵によって愛する帰依者に憐れみを与え、帰依者の進歩に応じて彼自身の姿を現す。

帰依者は師を人間だと思い、二つの物理的身体の間に関係をもとうと期待する。

けれども、神あるいは真我の化身であるグルは内側から働きかけ、弟子が道を誤ったことを気づかせ、内なる真我を実現するまで正しい道を行くように導くのである。」

 

質問者

「真の師(サットグル)の特徴とは何でしょうか?」

 

マハルシ

「真我の内にしっかりと確立していること、すべてを平等の目で見ること、いつでも、どこでも、どんな状況でも揺るぎない勇気をもっていることである。」

 

質問者

「多くの霊的な師たちがさまざまな方法を教えています。

自分の師として誰を選ぶべきでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたがシャンティ(平和)を見いだしたなら、その人を師として選ぶがいい。」

 

質問者

「彼の教えも考慮に入れるべきではないでしょうか?」

 

マハルシ

「熱心な探究者に対して、あれやこれをしなさいと指導する人は本当の師ではない。

探究者はすでに彼の活動に苦しみさいなまれて、平和と休息を求めている。

言わば、彼は活動を止めたいと願っているのである。

もし、師がこの上何かをするように指導するなら、それが探究者の助けになるだろうか?

活動は創造である。

活動とは、人が生まれながらにもっている幸福を破壊することである。

もし活動が勧められるなら、助言者は師ではなく殺し屋である。

そのような状況は、師の姿をした死の神(ヤマ)、あるいは創造の神(ブラフマー)が現われたのだと言えるだろう。

そのような人に真理の探究者を解放することはできない。

彼は束縛を強めるだけである。」

 

質問者

「どうすれば自分の師を見いだせるのでしょうか?」

 

マハルシ

「強烈な瞑想によってである。」

 

質問者

「もし「グルは弟子自身の真我である」ということが真実ならば、どれほど弟子に学問があろうとも、どれほど神秘的な力をもっていようとも、グルの恩寵なしに真我を実現することはできないと言われるのは、どのような根拠に基づくのでしょうか?」

 

マハルシ

「絶対的真理においては、グルと自己(真我)の状態が同じであることは真実だが、無知ゆえに個人(ジーヴァ)となった自己にとって、グルの恩寵なしに真の本性を実現することは、きわめてむずかしい。」

 

質問者

「グルの恩寵のしるしとは何でしょうか?」

 

マハルシ

「それは言葉や想念を超えたものである。」

 

質問者

「そうだとすれば、グルの恩寵によって弟子が真の本性を実現すると言われているのはどうしてでしょうか?」

 

マハルシ

「真の知識あるいは神に達しようと願い、人は絶え間なく帰依に励む。

その帰依が熟すと、彼と同じ本性をもち、彼を内側から見守っている主がその姿を現す。

主は彼自身の三つの自然な特質であるサット―チット―アーナンダ(存在-意識-至福)の助けによって人間の名前と姿を借りて現れ、弟子に祝福を与えんとして近づき、彼を主の内に溶けこませるのである。

この教義によれば、実にグルは主と呼ばれうるものである。」

 

質問者

「それでは、何人かの偉大な人たちはどうやってグルなしで知識を達成したのでしょうか?」

 

マハルシ

「ごくわずかな機の熟した人たちには、神は形なき知識の光として輝き、真理の目覚めを与えたのである。」

 

質問者

「どのようにして正しいグルだと決めるのでしょうか?

グルのスワルーパ(真の姿あるいは本性)とは何でしょうか?」

 

マハルシ

「あなたの心が順応する人、その人が正しいグルである。

あなたは「どうやって誰が正しいグルかを決めるのか、彼のスワルーパは何か?」と尋ねている。

グルは平静、忍耐、寛容、その他の徳を兼ね備えているべきである。

彼には磁石が鉄を引きつけるように、彼の目だけでも他の者たちを引きつける能力がなければならない。

彼はすべてに対して平等の感覚をもっていなければならない。

このような徳を備えた人が真のグルである。

だが、もしグルのスワルーパを知りたいと望むなら、まず自分のスワルーパを知らなければならない。

自己の本性を知らずに、どうしてグルのスワルーパを知ることができよう?

もしグルの真の本性あるいは真の姿を見たいと望むなら、まず宇宙全体をグルの姿としてみることを学ばなければならない。

生きとし生けるものすべてのなかにグルを見なければならない。

自分の真我を知らない人に、どうして神やグルの真の姿を見ることができるだろう?

どうやって決定するというのだろう?

それゆえ、まずあなた自身の真の本性、真の姿を知りなさい。」

 

質問者

「たとえそれを知ることにさえ、グルが必要なのではないでしょうか?」

 

マハルシ

「そのとおりだ。

世界には数多くの偉大な人びとがいる。

あなたの心が順応する人をグルとして敬いなさい。

あなたが信頼できる人があなたのグルである。」

 

質問者

「解脱の達成におけるグルの恩寵の意義とは何でしょうか?」

 

マハルシ

「解脱とは、どこかあなたの外側にあるのではない。

それは内側だけにある。

もし解放を熱望するなら、内なるグルはあなたを内面へと引き入れ、外面のグルは外側から真我のなかへと後押しをする。

これがグルの恩寵である。」(続く)

(「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 デーヴィッド・ゴッドマン

 

 

 

 

 

 肉体的修行 苦行について言えば

神々を礼拝し 長上の人や

師 賢者を敬って仕え

清潔 正直 節制 非暴力であること

 

言葉の修行はーー真実を語ること

やさしく快い言葉 有益な言葉を語ること

他人の心を乱したり扇動したりせぬこと

そしてヴェーダ聖典を規則的に読誦すること

 

 

(バガヴァッド・ギーター第17章14-15)

 

 

 

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☆真理を体得したい人

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クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

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