永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(66) クンダリニー②
このブログを最初に始めた時のブログ・タイトルは、「永遠の人」でしたが、数年前に、一度、ブログへの記事の投稿を止めていました。
その後、一年程してから、再開し、その時から、ブログ・タイトルは変更せず、「永遠の至福と自己実現(Self-Realization)」というサブ・タイトルで、更新速度はかなりスローではありますが、新しい記事を追加することにし、今に至ります。
「永遠の至福」を用いたのは、自己に起きた覚醒体験からで、その体験を通して、「(真の)自己実現」(この場合の「自己」とは、「真我」(アートマン)のことであり、つまり「自己実現」(Self-Realization)とは、ラマナ・マハルシが語っている「真我実現」のことで、英語圏では、真我を”Self”と表し、個我を”self"とすることが多いようですが、サンスクリット語では、真我は”アートマン”、個我は”ジーヴァ”と呼んでいます)という言葉が、実際には何を意味しているのか、よく分かったからです。
真の自己(真我、アートマン)とは、所謂、「魂」のことであり、私たちの本質であり、永遠の実在です。
私たちの最奥の内側に潜在する真の自己である真我(アートマン)は、通常は、私たちの肉体に具わっている五つの感覚知覚器官では捉えることはできませんが、だからと言って、潜在的な存在を捉えることが、全くの不可能ということではありません。
真の自己である真我(アートマン)を識るための突破口の一つと言えるのが、今ご紹介している「クンダリニー」であり、この誰の身体にも眠ったように潜在している「クンダリニー」が目覚めると、「真我実現」への突破口となり、微細次元の扉が開きます。
「クンダリニー」とは、「トグロを巻いた蛇」という意味のサンスクリット語ですが、ある種のエネルギーとして、誰の身体にも潜在しているのですが、私たちの大半は、そのことに気づいていません。
「クンダリニー」のない人、更に言うと、「チャクラ」と呼ばれるエネルギー中枢や、全身に張り巡らされた「ナディ」というエネルギー経路を持っていない人は、この世にはいません。(それは、「魂」のない人はいない、ということと同じことで、身体に満ち溢れている身体エネルギーの「源」は、真の自己(真我、アートマン)である「魂」なのです)
ただ、通常の感覚では、捉えることができないため、私たちは、日常生活の中で、それらを意識することがなく、そのため、それらの存在について、ほとんど知識を持つことなく、また、知っていても、知らなくても、生きる上で殆ど支障がないため、身を以って知りたいという欲求が起こることは稀と言えます。
しかし、スピリチュアル(霊的)な探求においては、どこかの時点で、これらの微細次元における様々な存在について、体験を通して識り、理解していく必要が生じることでしょう。
「自分」という存在に秘められた微細次元への理解が起こらない限り、「自分」に関するすべての疑念が消滅し、「わたしは誰か?」という問いへの答えに行き着くことは不可能と言えるからです。
通常、私たちに具わっている感覚知覚器官で捉えることができるモノは、物質界のほんの一部にしか過ぎません。
空中を飛び交う電波や可視光以外の電磁波など、私たちが日常生活に活用しているモノでさえ、微細次元の領域にあるモノは、人間の五感では、捉えることができませんが、しかし、それらが、実際に存在していることを、私たちは知っています。
同じように、今回ご紹介する「クンダリニー」、「チャクラ」、「ナディ」などは、ヨーガにおいて古くからそう呼称されているだけで、それぞれは、異なるエネルギーではなく、私たち一人一人に働いている身体エネルギーなのですが、微細次元のエネルギーであるために、あまり知られていないため、今の段階では、認知度は低いですが、けっして、ヨーガの世界に関わっている人たち特有のモノであったり、または、架空の空想上のモノであったり、ということではなく、生きている人間であるならば、万人共通のモノであると言えます。(よって、オカルト的な存在ではありません)
前置きが長くなりましたが、今回は、最初にスワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からのご紹介と、続いて、Oshoの講話集より、ご紹介したいと思います。
How Kundalini Can Be awakened(どのようにしてクンダリニーは目覚めさせることができるか?)
クンダリニーを目覚めさせる前に、あなたはDeha Suddhi、Nadi Suddhi、Mana Suddhi、Buddhi Suddhi、Bhuta Suddhi、Adhra Suddhiを持たなくてはならない。
Deha Suddhiとは、身体の浄化である。
Nadi Suddhiとは、アストラル体の浄化である。
Mana Suddhiとは、心(マインド)の浄化である。
Buddhi Suddhiとは、知性の浄化である。
Bhuta Suddhiとは、五大元素の浄化である。
Adhara Suddhiとは、Adhara(基底部、つまりムーラーダーラ・チャクラ)の浄化である。
もし浄化がなければ、シッディ(超能力)、或いは、完全性はやって来ないだろう。
シッディは、浄化なしには、不可能である。
人は、クンダリニーを目覚めさせようと試みる前に、完全に願望のない状態になり、冷静さ(ヴァイラーギャ)に満たされなくてはならない。
もし、心に多くの不純がある人が、アーサナ(行法)やプラーナヤーマ(調気法)、ムドラー(クンダリニーを目覚めさせるための特別な行法)を通した力によって、シャクティ(霊力)を目覚めさせるならば、彼は足を折り、躓くであろう。
彼は、ヨーガの階梯を上って行くことはできないであろう。
これは、道から外れて行くか、身体的な弱点を得ていく人に対する主な理由である。
ヨーガには、悪いものはない。
人々は、先ず、純粋性を持たなくてはならない。
それから、サーダナ(修行)の完全なる知識、適切な指導、絶え間ない段階的な練習。
クンダリニーが目覚めると、道には多くの誘惑があり、純粋でない修行者は、抵抗する力を持たないだろう。
グル(指導者)は、重要である。
バクティ(神への信愛)・ヨーガとヴェーダンタ(不二一元論)の実践のために、あなたは、あなたの側においては、グル(指導者)は必要ではない。
グル(指導者)から時折、経典を学んだ後に、あなたは、引き籠って独りで復習し、瞑想しなくてはならないだろう。
であるが故に、クンダリニー・ヨーガにおいては、あなたは、ナディ、チャクラの位置、及びヨーガの幾つかのクリヤ(行為)の詳細な技法を完全に理解しなくてはならないだろう。
これらは、すべて難しい行程(プロセス)である。
あなたは、かなり長い間、グル(指導者)の生徒でなくてはならないであろう。
クンダリニーは、ハタ・ヨーガのプラーナヤーマ、アーサナ、ムドラーで目覚める。
ラージャ・ヨーガによる心(マインド)の集中と訓練により。
バクタ(神への信愛の実践者)による完全なる帰依や献身により。
ジニャーナ(哲学的思考により真理を覚ろうとする実践者)の分析的な意志により。
タントラ実践者によるマントラにより。
接触や一瞥、単なる想念を通したグルの恩寵により。
選ばれた少数の人々には、上記の方法のどれかが、クンダリニーを目覚めさせるには、全く十分である。
多くの人々は、異なる方法を組み合わせなくてはならないだろう。
The Awakening of Kundalini(クンダリニーの目覚め)
クンダリニーが目覚めるや否や、それは、ムーラーダーラ・チャクラを突破する。
探究者は、クンダリニーが目覚めると、特別な音をたてる。
彼は、いろいろな種類のヴィジョンや神聖な香りを経験する。
彼は、超能力を開発する。
彼は、あたかも一万の太陽がムーラーダーラ・チャクラで同時に輝くような眩しい光を見る。
クンダリニーが目覚めた後、心(マインド)、プラーナ、個人、クンダリニーは、上部へと上昇する。
プラーナは、心(マインド)とアグニ(火)と共に、ブラフマ・ナディ(※1)を通って上へと通過する。
ヨーギーは、肉体感覚から自由になる。
あなたは、外界の物質界から締め出される。
(※1)(脊髄中に通っている、微細次元の導管。クンダリニーが目覚めると、スシュムナー管を通り、その内側のヴァジュラ―管(Vajra Nadi)、さらに内側のチトリニー管(Chitrini Nadi)、さらに一番中心にあるブラフマ管(Brahma Nadi)という三つの導管を照らし出しながら上へ上へと昇って行きます。これら三種の導管からなる三角構造は、絶対者ブラフマンの音の象徴となっています。というのも、クンダリニーは、これら三つの管の中を、シューシューという音をたて、その内部を照らし出しながら上昇してゆくからですー「魂の科学by スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ」より)
Experiences on the Awakening of the Kundalini Sakti(クンダリニー・シャクティの目覚め体験)
瞑想中、あなたは神聖なヴィジョンを見、神聖な香り、神聖な味、神聖な接触を体験し、神聖なアナハタの音を聞く。
あなたは、神からの指示を受ける。
これらは、クンダリニー・シャクティが目覚めたことを意味する。
ムーラーダーラで鼓動がある時、髪の毛が根元から逆立つ時、ウッディヤーナ(※2)、ジャランダーラ(※3)やムーラー・バンダ(※4)が、不随意に起こる時、クンダリニーが目覚めたと知りなさい。
呼吸が努力なしに止まる時、ケヴァラ・クンバカ(※5)が努力を要することなく自然と起こる時、クンダリニー・シャクティが活性化したと知りなさい。
プラーナの流れがサハスラーラに上昇して行くのを感じる時、あなたが至福を感じる時、自動的にオーム(Om)を繰り返す時、心(マインド)の中に世界についての思考が無いのを体験する時、クンダリニー・シャクティが目覚めたと知りなさい。
瞑想中に、眼が眉間で固定され、サーンバヴィー・ムドラー(Sambhavi Mudra)(※6)が始まる時、クンダリニーが活性化したと知りなさい。
あなたがあなたの身体内の各所で、プラーナの震動を感じる時、あなたが電気ショックのような痙攣を経験する時、クンダリニーが活性化したと知りなさい。
瞑想中、身体が無くなったように感じる時、あなたの瞼が閉じられ、あなたの努力にも拘わらず開かない時、電気的な流れが神経を上下に流れる時、クンダリニーが目覚めたことを知りなさい。
あなたが瞑想している時に、あなたが閃きや直感を得る時、自然があなたにその秘密を開示する時、すべての疑いが消え、あなたが明らかにヴェーダ聖典の意味を理解する時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
あなたの身体が空気のように軽くなる時、あなたが混乱した状況で、安定した心(マインド)を持つ時、あなたが仕事に疲れを知らないエネルギーを持つ時、クンダリニーが活性化したと知りなさい。
あなたが神聖な興奮を得る時、あなたが演説の力を開発する時、クンダリニーが目覚めたことを知りなさい。
あなたが、少しの痛みや疲れなしに、無意識に異なるアーサナやヨーガのポーズをする時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
あなたが、無意識に美しい崇高な聖歌や詩歌を作る時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。』
(「Bliss Divine」 by Swami Sivananda)
(※2:呼息の後に止息しておいて、腹部を引っ込める行法)
(※3:二つの鎖骨が合わさる所に顎を押しつけて気管を閉じてしまう行法)
(※4:肛門を閉じる行法)
(※5:自然に呼吸が止まること)
(※6:空中の一点に目の焦点を合わせて見続けること)
『質問者
「激しい呼吸と「私とは誰か?」という問いかけは、クンダリニーが目覚め、各中枢またはチャクラへと流れこんで行く過程と、どのような繋がりがあるのでしょうか?」
Osho
「そこには、そのふたつの過程の間には繋がりがある。
それも深い繋がりが。
実のところ、魂と体をつなぎ合わせているのは呼吸だ。
呼吸が両者に橋を架けている。
だから、呼吸の停止とともに生命が失われてしまうのだ。
たとえ脳障害を受けても生命活動は続く。
目や手足が絶たれても、死ぬことはない。
だが、もし呼吸が止まったら即座に生命活動も終わる。
まさに、呼吸によって体は魂へと結びつけられている。
そしてクンダリニーとして知られているエネルギーは、魂と体の接合点に、両者が出会う地点にある。
クンダリニー、あるいはいかなる名前をつけようとかまわないが、それらはみな同じエネルギーにほかならず、それは体と魂が接合する場所にある。
そのため、このエネルギーはふたつの形態をとる。
このエネルギーが体の方へと流れればセックスとなり、魂の方へ流れる時はクンダリニー――それをどう呼ぼうとかまわないが――となる。
そしてこのエネルギーは体へ向かう時には下降し、魂へ向かう時には上昇する。
すなわちクンダリニーが上昇するエネルギーなのに対して、セックスは下降するエネルギーとなる。
が、クンダリニーのある地点、それが位置する場所は呼吸によって、深くて速い呼吸により打ちつけられ、振り動かされる。
意外かもしれないが、愛を交わしている最中に穏やかな呼吸を保つことは不可能だ。
愛を交わすと、即座に呼吸の動きが変わる。
性的に興奮するや否や呼吸が速くなる。
呼吸によってこの中枢を打ちつけないかぎり、性エネルギーは動けないからだ。
だから、呼吸によって打ちつけられ活性化されなければ、性交はできない。
それと同じようにサマーディ(法悦)も、クンダリニーが呼吸によって打ち付けられ、活性化されないかぎりありえない。
サマーディは上昇するエネルギーの頂点、最高地点にあたり、性行為は下降するエネルギーの底、最低地点にあたる。
だが、呼吸はどちらに対しても同じように等しく影響を及ぼす。
試してごらん。
頭がセックスのことで一杯になっている時、呼吸を落ち着かせ速度を落としてみなさい。
あるいは怒りや貪りの想いが頭から離れない時に、呼吸の速度を落とし、落ち着かせてみなさい。
やがてセックスや怒りやいろいろなことが、すっかり消え去っていることに気づくだろう。
それらが持続することは絶対にありえない。
なぜなら、活力源となるエネルギーは呼吸から起こるからだ。
呼吸による刺激をうけなければ、エネルギーは動けない。
それゆえに、呼吸を落とし、一定に落ち着かせたまま怒るなど、誰にもできない。
もし、非常にゆっくりと落ち着いた呼吸をしながら怒れるものがいたら、奇跡だ。
正真正銘の奇跡だ。
が、そんなことはありえない。
呼吸がゆっくりと落ち着いたとたん怒りは消える。
また、ゆっくりと落ち着いた呼吸のまま欲情することも不可能だ。
性的欲望は呼吸する速度の低下とともに消える。
だからセックスや怒り、または様々な欲望で頭の中が一杯になった時には呼吸の速度を落とし、穏やかな呼吸をしなさい。
そして瞑想に対する渇きや熱望がマインドの中に生じたら、呼吸の速度を上げて深い呼吸でクンダリニーを打ちつけなさい。
というのは、この内なる渇きと打ちつけるような呼吸があれば、エネルギーが揺らぐことなく瞑想の旅へと向かうからだ。
深い呼吸は、クンダリニーにとても大きな影響を及ぼす。
プラーナヤーマ(ヨーガ式呼吸の科学)が発見されたのも偶然ではない。
長期にわたる実践と研究と連綿と続く体験から、呼吸や呼吸によりクンダリニーを打ちつけることで、非常に多くのことを成し遂げられることがわかった。
実際、深くて速い呼吸によって起こることはたくさんある。
そしてその打ちつける力が、より激しく、強ければ強いほど、エネルギーの動きも速くなる。
ましてや、普通の人たちに関して言えば、無数の生に渡ってクンダリニーが眠り続けてきたので、とりわけ激しく、力強くあらんかぎりの力で打ちつけることが必要となる。
呼吸はクンダリニーを叩く。
体験が深まると、両目を閉じていても、呼吸によって打ちつけられる場所がはっきりとわかるようになる。
ところが、深い呼吸で打ちつけると性的興奮が起こることがよくある。
そうなるのは、体が深く呼吸した時には、性的に興奮するという経験しかないからだ。
習慣上、深くて速い呼吸をすると、必ず体はいつもどおりのセックスの方向へと向かい始める。
そしてたくさんの探究者たちが――男女を問わず――深い呼吸をすると、すぐに性中枢が刺激を受けるように感じる理由もそこにある。
深くて速い呼吸は、必ずクンダリニーに大きな影響を及ぼす。
いわゆるチャクラという中枢は、すべてクンダリニーの停留地点にほかならない。
これらの中枢をクンダリニーが通過していくのだ。
普通そういう中枢にはいくつもあり、その数に関する意見もまちまちだ。
だが大雑把に言うと、七つの重要な中枢があり、クンダリニーの上昇や下降の時、そこで、一時的に停止することがある。
そしてクンダリニーが流れてくると、それらの中枢はその影響を受ける。
そしてまず始めに、あなたのもっとも活動的な中枢でその中枢固有の影響が感じられるだろう。
たとえばいつも頭脳を使っている人なら、深い呼吸をすると頭がひどく重くなる。
というのも、脳の中枢が、たまたまその人のもっとも活動的な中枢となっているからだ。
呼吸による最初の衝撃を頭で――その人にとっての活動的な中枢――で感じ、そこが重くなるはずだ。
またその人が性的であれば、始めに性中枢が刺激を受けるだろう。
同様に、愛情深い人は自分の愛情が刺激を受けて高まり、溢れだしていくのがわかるだろう。
また感情豊かな人は、感情が高まっていくだろう。
こうして深くて速い呼吸によって、もっとも活動的な中枢が打ちつけられ活性化する。
しかし、すぐに他の中枢にも影響を及ぼし始めるだろう。
それに相応して、同時に人格の変化、変容が起き始める。
あなたは自分が変わりつつあることに、今までの自分とは違った人間になっていることに気づき始めるだろう。
みんなは気づいていないが、私たちひとりひとりの内側には、実に様々な可能性がある。
自分が知っているのは、自分が腰を据えているもっとも活動的で優勢な中枢だけだ。
そのため他の中枢が開くと、あたかも自分のそれまでの人格が消え失せ、別の人間が出現したかのようになる。
つまり、以前の自分とは別の人間のようになる。
それはちょうど、私自身が住んでいる家なのにひとつの部屋しか知らず、その部屋の印象が脳裏に焼き付けられているところへ、ある日突然ある扉が開き、目の前に他の部屋が現れるようなものだ。
そうなると、自分が心に描いていた家の構造は一新されてしまう。
今や我が家と考えていたものが、まるっきり異なった家になり、家の造りも新たに把握し直さなくてはならなくなる。
同じように、様々な中枢が打ちつけられ活性化されると、新たな広がりをもった生が自ら顔を覗かせ始める。
そしてすべての中枢が一様に活性化している時――エネルギーがすべての中枢にもれなくいき渡る時――初めて私たちは全体的な生を送り、生を全面的に生きるようになる。』(この続きは、次回にご紹介します)
(「奇跡の探究 Osho講話集」)
次回に続きます。
Hari Om Tat Sat!
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