永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

生まれ変わりの法則(輪廻転生)について

前回の記事では、昨日発売になりましたスワミ・ラーマの「聖なる旅ー目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」を出版することになるまでのいきさつをご紹介させて頂きました。 その後、翻訳を進めていく内に、スワミ・ラーマが語って下さった真実に関して、とて…

スワミ・ラーマの「聖なる旅-目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」との出逢い

本日、スワミ・ラーマの『聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く』が発売されました! この本を日本で出版できることを、歓びに感じています。 翻訳はわたしですが、監修は、恩師(グル)であるナーナさんにお願いいたしました。 今回は、いつもとは…

神(不死)に至る無限の道

束縛からの解放、限りない永遠の至福、個我が求めてやまない完全なる自由を求めて、 人間が、持っている限りの能力を用いて、実践できる方法とはどんなものでしょうか? これまでもご紹介してきましたよく知られている実践方法を、ここでもう一度整理してみ…

束縛からの解放から限りない永遠の至福へ(パラマーナンダ)

前回の記事では、神を悟る人の性質(グナ)について整理してみました。 そして、永遠の魂、解脱した魂、解脱しようと努力している魂、縛られた魂という4種の魂についての聖ラーマクリシュナの分かり易いお言葉をご紹介いたしました。 今回は、その続きです…

神を見る人の性質(グナ)について

人間の真の本性であるアートマン(真我)は、体験を通して悟って行くことでしか、知ることはできない、と書いてきました。 しかし、これは、望めば叶うという類のことではないため、真我体得し得た人々は、これまでも少数でしたし、これからもそれは変わらな…

アートマン(真我)への道は、永遠の至福への道

「アートマン(真我)は、人間の真の本性である」と書きましたが、 そのことは、知識(頭)で理解するのではなく、体験を通して悟られなくては、真にわかったとは言えません。 ”ミルクは、その話を聞くだけでは知ったことにならず、見ただけでもまだ十分では…

アートマン(真我)は、人間の真の本性である

これまで数回にわたり、古くインドに誕生したウパニシャッドの聖典で説かれている「人間馬車説」と「人間五臓説」について、現代脳科学の知識も交えて解説してきましたが、 これらの記事を読んだ後で、3月17日の記事「ヨーガとは心の制御である」でご紹介…

人間五臓説と5つの鞘(層)

少し前の記事で、「人間馬車説」という”人間の構造図”についてご紹介しました。 この「人間馬車説」に似たもので「人間五臓説」というものがあります。 「人間馬車説」は、10頭の馬を5つの感覚器官(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)と5つの運動器官(手、…

ヨーガの科学(ラージャ・ヨーガ)

ラージャ・ヨーガは、斉一性と再現性があるという点において、「科学」であると言うことができます。 つまり、同じことをすると、同じ結果が得られる、ということが、経験的に起こるということになります。 現代の日本では、ヨーガというと、アーサナ(坐法…

ヨーガの叡智(シュリー・ヴィッディヤー)

前回の記事で、「経験(直接体験)を通してのみ、真理は悟られる」ということを、多くの聖者と呼ばれている人びとが、口を揃えておっしゃっている、とご紹介しました。 このことは、ナーナさんも、いつも仰っていることで、そのために活動されていることもお…

真理は、経験を通してのみ悟られる

これまで三回にわたって「人間」について見てきました。 何故、「人間」について分析し、考察したか?というと、それは、「人間」について知ることが、「神」を知ることにつながるからです。 以前の記事で、「神」について詳しく分析し、考察しましたが、 「…

自己制御(ヨーガ)は、解脱への道(方法)

前回の記事では、長々と、「人間の心」について見てみました。 私たちは、5つの感覚器官(五官)と5つの運動器官(身体)を使って、この世を経験しているわけですが、これらの諸器官から得られた情報は、電気信号に変換されて、高速で全身に張り巡らされてい…

ヨーガとは、心の制御である

前回の記事では、人間の構造を10頭立ての馬車の譬えで説明しているカタ・ウパニシャッドの内容をご紹介いたしました。 私たちは、5つの感覚器官と5つの運動器官を使って、この世を生きて(体験して)います。 しかし、よくよく考えてみると、これらの感…

人間の構造について(人間馬車説)

これまで何回にもわたり、「神」について考察してきましたが、 これからは、「神」に対する「人間」について考えていきたいと思います。 「人間」とは、どのようなモノでしょうか? 「人間」である”わたし”は、固有の肉体と固有の名前を持った存在です。 そ…

聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝く

これまで数回にわたり、スワミ・ヴィヴェーカーナンダと彼の師である聖ラーマクリシュナが遺されたお言葉より、抜粋してご紹介してきました正に同じことを、 今月3月30日に発売になりますスワミ・ラーマも彼の著書『聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受…

見神=内なる神に出会うこと

前回まで、何回にもわたり、二元論から出発して、限定非二元論を経て、非二元(一元)へとざっと見てきました。 自分を知ることは、神を知ることです。 そして、神を知ることは、実は、自分を知ることなのです。 実在としての”ただひとつなる一者”である「神…

ただひとつなるもの-不滅の自己

前回の記事でご紹介しましたスワミ・ヴィヴェーカーナンダのアドヴァイタ(不二一元論)における「神」「宇宙」「人間」間の相互関係について、概要だけでも掴めたでしょうか? この宇宙のほんの一部でしかない、と考えられている”人間”と、この宇宙の唯一の…

自己、すなわちアートマン(真我)こそ神なり

今回も、二元論、限定非二元論を経て、不二一元論(アドヴァイタ)について、更に考察を深めていきましょう。 この智慧を真に理解できるならば、神秘への扉は開きつつあると言えるでしょう。 『ではアドヴァイティスト(非二元論者)は何と言明するのか。 彼…

二元論から限定非二元論へ、そして、不二一元論(アドヴァイタ)へ

前回までの二回にわたって「二元論」について書きましたが、これらは少しばかり哲学的な考察を要する内容です。 これは、インドでは、ギャーナ・ヨーガと呼ばれている智識(ギャーナ)によって真理に到ろうとするヨーガ(行)で、 聖ラーマクリシュナも、度…

二元論における神と人間

前回の記事では、スワミ・ヴィヴェーカーナンダのギャーナ・ヨーガからの抜粋を元に、二元論における「神」と神による創造である「宇宙」についてご紹介しました。 今日も、その続きを見ていきたいと思います。 『すべての二元論的学説にともなう最初の困難…

二元論における神と宇宙

前回の記事で、『私たちは、ヒツジ(人間)だと思って生きているライオン(神)である』と書きました。 これは、ウパニシャッド哲学が誕生したインド周辺では、ヴェーダンタという名前で、古い時代から伝えられてきた馴染み深い教えとして、よく知られている…

ヒツジ(人間)だと思っているライオン(神)のお話し

前回の記事で、 『ナーナさんから湧き出でるプラーナという磁石の力は強力です。 多くの人の執着心を抑え、無駄な思考や感情を消滅させます。 こうして、エゴは自然と大人しくなり、やがては、エゴの層は限りなく薄くなり、心は素直で柔和となり、真の自己が…

神の化身(アヴァターラ)

前回の記事で、聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」よりご紹介させて頂いた文章の中で、 『船が突然、磁石の岩に近づきます。 するとそれの鉄のねじ釘や鉄の棒は全部ひきよせられてぬけ出し、船板は突然、バラバラになって自由に海上にうかびます。 神の恩寵…

神への愛(パラー・バクティ)

前回ご紹介したラーマクリシュナのお言葉の中に、 ”いちばん肝心なことは、神様に激しい信仰を持つこと。それから識別と離欲だ”という一文がありましたが、何故、そうなのか?ということを、ラーマクリシュナの高弟でいらっしゃいますスワミ・ヴィヴェーカー…