前回の記事では、すべての物質的な存在の源である「プラクルティ」(物質原理)についての理解を深めるために、「バガヴァッド・ギータ―」において、クリシュナ神が人間アルジュナに語った内容をもとに、「プラクルティ」とは何であるのか?どのような概念であるのか?について解説しましたが、その際に引用した一文について、補足の解説をさせていただきます。
今回の記事で取り上げる内容は、私たち日本人には、あまり馴染みのない考え方ではありますが、古インド哲学のサーンキャ学派とヨーガ学派の考え方(サーンキャ学派そのものの文献などは後世に殆ど遺されていないため、その理論の全貌は、不明な部分もあるようですが、二十四の原理などの考え方は、今現在広く知られているヨーガの理論に組み込まれているとされています)が色濃く反映されていることもあり、日本語には訳し難いサンスクリット語の単語が数多く出てきますので、わかりにくい部分もあるかもしれませんが、極力、わかりやすい形で、ご紹介したいと思います。
「地 水 火 風 空 心 知性 そして自我(アハンカーラ)
――わたし自身であるプラクルティ(物質原理)は、
これら八つで構成されている」(第七章4)
前回の記事の中でご紹介しましたこの一文ですが、ここで述べられている「地水火風空」についてですが、インド哲学においては、サンスクリット語では、タットヴァ(実在原理、元素)と言われ、この宇宙(この世)を構成する五大元素とされているものです。
この五大元素は、自然界で、私たち人間が、地、水、火、風、空(エーテル)と捉えている物質に特徴的なそれぞれの特性を、全ての物質が特性としてそれぞれが内包しており、地元素のものは、水元素、火元素、風元素、空元素を内包しており、水元素のものは、火元素、風元素、空元素を内包しており、火元素のものは、風元素、空元素を内包しており、風元素のものは、空元素を内包している、とされています。
例えば、水は、太陽熱などで蒸発しますが、液体(水元素)に熱エネルギー(火元素)が加わると、水元素内の運動が激しくなり(火元素が反応)、蒸発という気体へ状態変化する気化作用(風元素→空元素)が生じます。
つまり、水が、水元素だけでなく、火元素、風元素、空元素を内包しているからこそ、このような自然現象が起こる、と考えることができるのです。
この五つのタットヴァ(元素)は、プラクルティ(物質原理)に属するものですが、粗雑元素であり、現代科学で例えるならば、分子レベルの元素と言えます。
それ故、この地球上でも、存在するあらゆる物質を「地水火風空」の五つの元素に分類することは、かなり容易であり、その特性を改めてここでご紹介する必要もないでしょう。
もちろん、私たち人間の肉体にも、このタットヴァ(元素)が働いており、タットヴァ(元素)は、粗雑次元の私たち人間の肉体を創り上げています。
例えば、骨や筋肉、各臓器などは、「地」元素が、血液やリンパ液、精液などは、「水」元素が、消化、体温などは、「火」元素が、神経伝達網や脳の情報処理器官などでは「風」元素が、呼吸や生気、肉体全体には、「空」元素が働いているとされています。
ヨーガでは、この粗雑元素であるタットヴァ(元素)が物質化する前の精妙な形のものをタンマートラ(微細元素)と呼びますが、今回の記事のテーマは、このタンマートラ(微細元素)についてです。
「心、知性、そして自我(アハンカーラ)もプラクルティである」と、クリシュナ神は語っていますが、私たち人間の観点では、心(マナス)、知性(ブッディ)、自我(アハンカーラ)などの精神的な活動や心理作用に関係するこれらの内的心理器官(アンタハカラナ)が、プラクリティ(物質原理)より生じる、ということは、殆ど知られていない考え方と言え、初めて知った方もいらっしゃることと思いますので、この理論を真に理解するために、シュリ・ラマナ・マハルシの講話集より、詳細な説明がなされていますので、ご紹介したいと思います。
『T・K・Sアイヤール氏がある本からアンタハカラナ(内的器官)の五つの異なった部分についての記述を読み上げた。
それらは①ウラム(意識)②マナス(心)③ブッディ(知性)④チッタ(記憶)⑤アハンカーラ(自我)である。
マハルシ
「②から⑤までの四つがアンタハカラナの一般的な区分です。
①のウラムは五つのタットヴァ(五大元素)と相応させるために挙げられています。
①ウラム(意識)は頭蓋から眉間までのアーカーシャ(空間、虚空)・タットヴァ
②マナス(思考機能)は眉間から喉までのヴァーユ(空気)・タットヴァ
③ブッディ(知性)は喉からハートまでのアグニ(光)・タットヴァ
④チッタ(記憶)はハートから臍までのジャラ(水)・タットヴァ
⑤アハンカーラ(自我)は臍から尾骶骨までのプリトヴィー(土)・タットヴァ
ウラムとは純粋な心、あるいは純粋な存在状態にある心、つまりすべての想念を取り去った心です。
それは想念に覆われない広大な虚空の心と相応しています。
人が眠りから目を覚ますと、頭は起き上がり、そこに気づきの光が現れます。
この光はすでにハートの中にあり、それが後に脳に反映されて意識として現れるのです。
しかしアハンカーラが入り込んで来るまでは、それは特定化されません。
区別される前の(未分化の)状態では、それは普遍的(普遍的心あるいは宇宙意識)です。
この目覚めの瞬間の状態は通常一分ほど続き、気づかれないまま過ぎていきます。
それが特定化あるいは区別化されるのは、自我が入り込んで、個人が「私」という時です。
それは常に身体という実体と結びついています。
それゆえ、まず身体と「私」が同一視され、それからそれ以外のすべてが続くのです。
ウラム(意識)は反映された光でしかないため、それは月だと言われています。
源の光はハートの中にあるため、それは太陽と言われています。
(対話510)
ヨーガにおいては、私たち人間にとっては、物質的とは思えない、精神的な活動、心理作用を支える各内的心理器官(アンタハカラナ)が、プラクルティ(物質原理)から生じたものであるという考え方は、殆ど馴染みのない考え方であると言えますが、プラクルティ(物質原理)という概念に内包される主要素は、物質そのものではなく、粗雑な物質宇宙(この世)を構成している各物質に潜在する微細元素(タンマートラ)と呼ばれるものであり、このタンマートラ(微細元素)が、粗大な物質を創り出し、また、私たち人間の内的心理器官を構成し、機能させているということになります。
つまり、プラクルティ(物質原理)から直接、物質が生じる訳ではなく、プラクルティ(物質原理)の中に内包されているタンマートラ(微細元素)が、物質が生まれ出てくる創造の過程において、重要な役割を果たしている、ということになります。
ちなみに、分かりやすく表現するならば、タンマートラ(微細元素)は、分子レベルのタットヴァ(元素)に比べると、現代科学で例えれば、量子レベルと言える存在ですので、通常の人間の感覚器官で捉えることは困難ですが、タンマートラ(微細元素)について、更に詳しく知りたい方は、“魂の科学”(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)に詳細な説明が記されていますので、ご参考になさって下さい。
このあまり知られていないタンマートラ(微細元素)について、シュリ・ラマナ・マハルシが、更に詳しく語って下さっていますので、ご紹介いたしますが、その前に、サーンキャ学派の理論では、プラクルティ(物質原理)には、3つ(トリ)の特性(グナ)があり(トリグナ)、それらは、それぞれ①サットヴァ(純粋性)、②ラジャス(活動性)、③タマス(不活発性、暗性)と呼ばれています。
(この3つのグナ(トリグナ)については、今回の記事ではご紹介いたしませんが、またの機会にご紹介したいと思います。)
マハルシ
『五つの感覚作用とは、聞くこと、触れること、見ること、味わうこと、嗅ぐことという精妙な機能(タンマートラ)を意味します。
それらの変容したものが全宇宙を形作っているのです。
それらは三つのグナにしたがって以下のように異なります。
タマス(不活発性)によって、粗大な元素が生じ、
ラジャス(活動性)によって、対象物を知る手段が生じ、
サットヴァ(純粋性)によって、感覚を通して得るさまざまな種類の知識が生ずる。
また、
タマス(不活発性)によって、粗大な対象、つまり世界が生じ、
ラジャス(活動性)によって、生気と行動器官(カルメーンドリヤ)が生ずる。
サットヴァ(純粋性)によって、感覚器官(ジニャーネンドリア)が生ずる。
行動器官とは、つかむ、歩く、話す、排せつする、生殖するための器官です。
ではここで、鈴の音について考えてみなさい。
音は聞くことと関連しています。
鈴は物体であり、タモーグナ(タマス)が変化して現れたものです。
ラージャシック(ラジャス)な要素(タンマートラ)は音の振動として変化して、鈴の周辺へと拡張していきます。
それから、音として感じられるように空を通して耳へと届くのです。
それを音として認識する知識がサットヴァな要素です。
それは他の感覚についても同じことです。
触感――風(ヴァーユ)の元素、視覚――火(テージャス)の元素、味覚――水(アープ)の元素、嗅覚――土(プリトヴィ)の元素となります。
元素(タンマートラ)を物質の最も微細な粒子として理解するのは正しいとは言えません。
その理解は不完全なものです。
それらは単に聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚の精妙な形態であり、それらが宇宙のすべての構成要素を形作ります。
世界創造はこのようにして起こるのです。
学術的な専門用語に欠けるため、これらの概念を正確に外国語で表現することは不可能です。
(対話567)
このように、タンマートラ(微細元素)の働きのおかげで、この物質世界(この世)で、私たち人間は、見たり(火の微細元素)、聞いたり(空の微細元素)、触ったり(風の微細元素)、嗅いだり(土の微細元素)、味わったり(水の微細元素)という感覚的経験を得ることができると言うわけです。
このタンマートラ(微細元素)が、内的心理器官(アンタハカラナ)に働きかけて、私たち人間の粗雑元素の塊である肉体を駆使して、地球上(この世)における「体験」という生命活動において、重要な役割を果たしている、という事実は、ほとんど知られていないと言えるでしょう。
客観的な視点から見るならば、各種感覚器官(目、耳、鼻、口、皮膚)は、それぞれの機能に特化した形で、私たち人間の生命活動を支えてくれていますが、そのプロセスは、ある意味、至極機械的なプロセスと言えます。
肉体にある各種感覚器官が取得した情報は、速やかに電気信号に変換され、それぞれの感覚器官専用の神経伝達路を通って、脳に伝えられ(この一連のプロセスは、マナスの働きです)、脳という優れた情報処理機能を備えた情報処理器官が、各情報ごとの専用のプログラムを用いて、届けられた情報を素早く情報処理をする(このような一連の情報分析におけるプロセスには、ブッディが関わっています)、というスーパーコンピュータ顔負けの働きの結果、私たち人間は、生命活動を維持しながら、この世を体験している訳ですが、これら一連の肉体における人間の生命活動の流れは、誰にでも日常的に起こっている現象であるため、私たち自身は、それらが全自動的に起こっているため、特段の注意を払うことは稀ですが、そこには、ダルマ(永遠の真理)が働いており、このタンマートラ(微細元素)の働きも、その内の一つであり、生命活動の根源を支える最も重要な働きである、と言えます。
更に、シュリ・ラマナ・マハルシは、以下のように語っています。
質問者
「タンマートラ」(微細な要素)は夢の中で作用する要素なのでしょうか?
マハルシ
「いいえ。
タンマートラは夢よりも精妙なものです。
目覚めの状態の粗大な世界と比べれば、夢見の世界は精妙なものですが、タンマートラと比べれば、夢見の世界のほうがより粗大です。
五大要素と組み合わさった後、タンマートラは内的器官すなわち心(アンタハカラナ)を生じさせます。
それもまた異なった作用要因の組み合わせによって異なります。
空間(エーテル)が支配する純質(サットヴァ)の影響を受けると、それは叡智(ジニャーナ)を生じさせます。
空気(ヴァーユ)は心(マナス)を生み出し、
光(テージャス)は知性(ブッディ)を生み出し、
水(ジャラ)は記憶など(チッタ)を生み出し、
大地(プリトヴィ)は自我(アハンカーラ)を生み出します。
それはどの感覚や器官に対しても個別に作用でき、または全体に対しても集合体(サマシュティ)として作用できるようになっています。
激質(ラジョーグナ、ラジャス)と組み合わせたとき、それは個人(ビィヤシュティ)の中で知識器官(ジニャーネーンドリヤ)に変化し、暗質(タモーグナ、タマス)と組み合わせたとき、それは個人の中で行動器官(カルメーンドリヤ)に変化します。
外界と個人の関係が調和するのは、タンマートラ(微細な要素)がそれらに共通した要素だからです。
タンマートラは物質的原理(プラクリティ)から生じます。
創造の理論にはそれぞれに大きな違いがあります。
同時創造(ユガパト・スリシュティ)と段階的創造(クラマ・スリシュティ)が知られていますが、その意義は創造にではなく、創造の起こる起源に重きがあるのです。
(対話292)
尚、補足ではありますが、このタンマートラ(微細元素)が働く次元は、私たち人間が体験している粗雑な物質次元(肉体レベル)ではなく、私たち人間を覆うように存在するエネルギー相(層)で言うならば、微細身(スークシュマ・シャリーラ)を生じさせるより精妙なエネルギーの次元です。
スークシュマ・シャリーラ(微細身)への理解は、真我実現へのプロセスにおいて、非常に重要なキーポイントとなりますが、このスークシュマ・シャリーラ(微細身)については、あまり多くの情報が発信されていないこともあり、殆ど知られていないというのが現状でしょう。
ちなみに、現代ヨーガでよく語られるチャクラ(エネルギー中枢)やナディ―(生気を通す微細次元の導管)、スシュムナー(脊髄中にある微細次元の太い導管)などは、粗雑次元の肉体よりも精妙なものですが、ヨーガでは、アンナ―マヤ・コーシャ(食物鞘)に属するものとされています。
精神修養の過程で、チャクラやナディー、スシュムナーを体験を通して識ることは、人間という存在をエネルギー体として捉える良いきっかけとなりますので、そういう意味では、重要ですが、ヨーガでは、スークシュマ・シャリーラ(微細身)は、それらよりも更に微細なものとして定義されています。
このことについて、シュリ・ラマナ・マハルシは、以下のように語っています。
質問者
「真我実現の前にクンダリニーが上昇しなければならず、その覚醒は身体に熱をもたらすと言われています。
そうなのでしょうか?」
マハルシ
「ヨーギーはそれをクンダリニー・シャクティと呼んでいます。
帰依の道を歩む者にとっての「神の姿への黙想」(バーガヴァタカーラ・ヴァリッティ)と、知識の道を歩む者にとっての「ブラフマンの姿への黙想」(ブラフマカーラ・ヴァリッティ)、その両者の心の状態とクンダリニー・シャクティは同じものです。
それは実現が起こる前に起こらなければなりません。
それによって起こる感覚は、熱をともなうものと言われています。」
質問者
「クンダリニーは蛇の形をしていると言われていますが、心の様態(ヴァリッティ)がそうあるとは考えられません。」
マハルシ
「知識の道(ジニャーナ・マールガ)にとってのクンダリニーは、ハートであると言われています。
それには霊的神経経路(ナディー)の網状組織(ネットワーク)、蛇の姿、蓮の花のつぼみなどさまざまな描写が与えられています。」
質問者
「このハートは生理学的なハートと同じものなのでしょうか?」
マハルシ
「いいえ。『シュリー・ラマナ・ギータ―』はそれを『私』という概念の源だと定義しています。
質問者
「しかしそれは胸の右側にあると書いてありました。」
マハルシ
「それはただ想像を助けるための描写です。
六つのチャクラ、内的や外的などの多くのセンターについて書かれた本があります。
ハートの描写は数あるセンターの一つであって、必要不可欠なものではありません。
それは『私』という想念の源にすぎないのです。
それが究極的な真理です。」
質問者
「ハートをアンタハカラナ(内的器官、思考機能)の源と見なしていいのでしょうか?」
マハルシ
「アンタハカラナは五つに分類されます。
(1)知識―ジニャーナ、(2)心―マナス、(3)知性―ブッディ、(4)記憶―チッタ、(5)自我―アハンカーラ。
ある人は最後の四つだけであると言い、ある人はマナスとアハンカーラの二つだけだと言います。
さらに別の人はアンタハカラナだけが異なった機能を異なった形で表すため、アンタハカラナだけでいいと言います。
それゆえ、ハートがアンタハカラナの源なのです。
一方には、生命意識を持たない身体が存在し、もう一方には、自ら輝く永遠の真我が存在します。
その二つの間に現れた一つの現象、それが自我です。
それは心(マナス)、知性(ブッディ)、記憶(チッタ)、自我(アハンカーラ)力(シャクティ)、生気(プラーナ)などの異なった名前で知られています。
あなた自身の源を見いだしなさい。
そうすれば、その探求は自動的にハートへと導くでしょう。
アンタハカラナとは微細身(スークシュマ・シャリーラ)を説明するための概念にすぎません。
物理的身体は、土、火、水、空気、空間(エーテル)という元素から成り立ち、生命意識を持っていません。
真我は純粋で、自ら輝き、自ら明らかです。
身体と真我の関係は、一方には五大元素の微細な相によって構成された微細身、もう一方には反映された真我の光を仮定することで説明されます。
このように微細身すなわち心は、生命意識のあるものでもあり、生命意識のないものでもあるのです。
サットヴァ(純粋性)の質が五大元素に働きかけると、その輝きは心(マナス)や感覚(ジニャ―ネンドリヤ)として現れます。
ラジャス(活動性)が働きかけると、ラジャス(活動)の相が生気(プラーナ)や活動器官(カルメーンドリヤ)として現れ、タマス(不活発性)が働きかけると、タマ(暗質)の相が身体という粗大な現象として現れるのです。」
(対話392)
上記のシュリ・ラマナ・マハルシが語って下さった内容は、私たち人間が体験している表面上の世界(三次元世界)についてではありませんので、直ぐに理解することは難しいかもしれませんが、この微細次元への真の理解が、真我実現やその先の「解脱」へのプロセスにおいては、非常に重要な要素となりますので、このような人間という存在におけるエネルギー的な多層構造への理解が進むにつれて、Atman Jnana(真我の智識)への理解も、次第に強固なものとなっていくことでしょう。
今回の記事は、内容が量、質と共に、非常に盛沢山でしたが、最後に、ヨーガを実践し、ヨーガの理論もある程度知っている方々にはよく知られているパンチャ・コーシャ(五つの鞘)について、シュリ・ラマナ・マハルシが語って下さっていますので、ご紹介いたします。
ちなみに、パンチャ・コーシャ(五つの鞘)という概念は、①粗雑な肉体=アンナ―マヤ・コーシャ(食物鞘)、②プラーナマヤ・コーシャ(生気鞘)、③マノーマヤ・コーシャ(意思鞘)、④ヴィジニャーナマヤ・コーシャ(理智鞘)⑤アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)で、人間を構成する五つのエネルギーの相(層)とされているものです。
私たち人間の魂であるアートマン(真我)は、この最も微細なエネルギーの相(層)であるアーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)の更に奥に、鎮座していらっしゃいます。
コーエン氏
「意思とは何でしょうか?
それは何に属するのでしょうか?
五つの鞘(パンチャ・コーシャ)にでしょうか?」
マハルシ
「「私」という想念が初めて立ち現れ、それからその他のあらゆる想念が生まれます。
それらが心というものを構成します。
心は対象であり、「私」は主体です。
「私」なしに意志がありえるでしょうか?
意思は「私」の中に含まれています。
「私」という想念はヴィジニャーナマヤ・コーシャ(知性の鞘、理智鞘)であり、意思はその一部なのです。
アンナ―マヤ・コーシャ(食物鞘)は粗大な身体の鞘です。
感覚と生気(プラーナ)と行為器官(カルメーンドリヤ)がプラーナマヤ・コーシャ(生気鞘)を形作り、感覚と心がマノーマヤ・コーシャ(意思鞘)をつくります。
それらは知覚器官(ジニャ―ネンドリヤ)です。
心は想念だけで形作られており、「これ」(イダム)が対象で、「私」(アハム)が主体です。
この二つがヴィジニャーナマヤ・コーシャ(理智鞘)を構成するのです。」
(対話277)
今回の記事は、私たち人間が通常「世界」と呼んでいる粗雑な物質次元よりも微細なエネルギーの次元である神秘の領域に(少しとは言え)踏み込んだ内容であるため、多少、理解するのが難しい内容であったかもしれませんが、真我探求のプロセスにおいては、微細次元への理解は、不可欠ですので、次回も、ヨーガにおける微細次元から視た宇宙観をご紹介したいと思います。
次回は、「プラクルティ」から展開した「トリグナ」(三性質)であるサットヴァ(純粋性)、ラジャス(活動性)、タマス(不活発性、暗性)について、解説したいと思います。
物質世界(このよ)の生物に内在(やど)る不滅の霊魂は
わたし自身の極小部分である――かれは
心をふくむ六つの感覚を用いて
苦労しながら肉体を操っているのだ
霊魂(かれ)は風が芳香を運ぶように
自らの意思感情を次の体に運ぶ
このようにしてかれは或る種の体をとって生き
またそれを捨てて他の体をまとう
不滅の霊魂はこのようにして
耳 眼 舌 鼻 触覚と
また心意(こころ)をもった物質体(にくたい)をとって誕生し
それらに相応した対象を味わい経験する
(バガヴァッド・ギータ― 第十五章7-9 田中嫺玉訳)
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