永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

有形の神、無形の神

今回も、前回に引き続き、 パラー・バクティとは、どういうものか? また、有形の神、無形の神について、 聖ラーマクリシュナの「不滅の言葉」より抜粋してご紹介いたします。 ラーマクリシュナ 「情熱的な信仰(バクティ)が持てたらーー恋い慕う気持ちの信…

パラー・バクティ(最高の信愛)

人間の神への態度には、四つの段階があるとされています。 この段階は、固定したものではなく、神への信愛(バクティ)の発展のプロセスと見るならば、誰でも心がけ次第で、第一段階から第四段階にまで進むことは、十分可能です。 第一段階・・・情欲や強欲…

神 対 人間

私たちは、地球の素晴らしい風景を見たとき、美しい花や生き物に出会ったとき、言葉では言い表せないほど感動したり、 また、夜空を見上げて、頭上高く光り輝く星々を眺めながら、その大宇宙の美しさと壮大なスケールに打たれ、言葉を失い圧倒された経験があ…

「神」についての理解

前回の記事「神秘へ至る道」の中で、二つの言葉が出てきました。 それは、「神」と「エゴ」(自我)です。 神秘へと至る道の途中には、エゴ(自我)という名の扉があって、その扉の向こうに行かなれば、神秘の領域には入って行くことはできない、と書きまし…

神秘へ至る道

前回の記事のタイトルは、「神秘への扉」でした。 「神秘」とは、文字通り、神の秘(密)ということになります。 探求者が歩もうとしているのは、この神の神秘へ至る道です。 しかし、その道の途中には、この世とあの世を隔てている扉があり、簡単には、その…

神秘への扉

このブログで書かれていること、これから書かれることは、そのほとんどが、一般的な常識では判断し得ない、理解し難い神秘の領域に関することです。 ですから、信じられない、バカバカしい、そんな筈はない、頭がおかしいんじゃないか?などと思うのは、一般…

アートマンはブラフマンなり(梵我一如)

前回の記事で、アートマンとはすべての存在の本質である、と書きました。 「本質」とは何でしょうか? どの存在にも共通する普遍的な部分、と解釈することができると思います。 すべての物質は、元素からできています。 数種類の元素が集まって、個体である…

アートマン(真我)は本質である

前回の記事で、「あなたは誰ですか?」との問いへの答えとして、 『アートマンが答えです。私はアートマンです。あなたはアートマンです。 私とあなたはアートマンなのです。それが答えです。』 と書きましたが、 普通、そういきなり言われても、???とな…

アートマン(真我)こそが答え

「わたしは誰か?」 この問いへの答えは何でしょうか? ナーナさんが具体的に教えて下さろうとしているその問いへの答えは、スワミ・ラーマが「聖なる旅」の中で語っていることと同じです。 それでは、その部分だけ抜粋して、ご紹介いたしましょう。 「創造…

わたしは誰か?

昨日の問題は、どうでしたか? 「あなたは、誰ですか?」 という質問に、いろいろな答えや想いが、浮かんだことと思います。 中には、 「わたしは、わたし。それ以外にはあり得ないのに、何故、誰か?と問う必要があるのだろう? それに、わたしは、誰か?っ…

永遠の問い

今日は、ひとつみなさんに問題を出します。 これは、人間を卒業するための卒業試験だと思って、よーく考えてみて下さい。 卒業試験ですから、合格したら、人間を卒業することができる、ということになります。 不合格だったら。。。。? もう一度、いえ、試…

ジーバ・ムクタ(肉体を持ちながら、ブラフマンの叡智に目覚めている人)

完全に悟った存在、目覚めた存在、覚醒した存在と言うと、真っ先に頭い思い浮かぶのは、ナーナさんのことです。 古今東西、名前が後世に残っている聖者の方々は、現在多くいますが、 実は、その方々は、ほんの一部で、 名前の知られていない完全覚醒者も、大…

人を教え導く師とは?

前回の記事では、良い師、師たるに相応しい師とは、どういう師であるか?について書きました。 ダイヤモンドに似せたガラスが存在するように、 師に相応しくない者が、師のふりをすることも十分起こりうると、考えられます。 それでは、わたしたちは、どのよ…

真の師である完全に覚醒したマスターに出会うには?

自分の内側に、神が宿ったならば、師(グル)は必要ではありません。 真のグルは、内なる神であることは、言うまでもありません。 しかし、まだ内側に神が宿っていないなら、心の中に神が灯となって灯るまで、 探求者にとって、目に見える形の師(グル)は必…

弟子に準備ができたとき、師が現れる

三月末に発売予定の「聖なる旅」の著者であるスワミ・ラーマの既に日本で発売されている「ヒマラヤ聖者とともにー偉大なる霊性の師と過ごした日々」より、 師(グル)と生徒の関係について書かれているところがありますので、ご紹介させて頂きます。 「どの…

カルマ・ヨーガの完成(自由への道)

特別な修行をしなくても、日常生活を送りながらでも、自分の持っているモノをすべて放棄しなくても、叡智に到るための道が、カルマ・ヨーガであるとご紹介しました。 それは、カルマ・ヨーガによって、道の終点に到達できると実証して下さる存在が、実際に目…

自由への道(カルマ・ヨーガ)その3

これまで2回に渡って「カルマ・ヨーガ」について、詳しくご紹介してきましたが、 自分には、到底実践することは難しいと感じている方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、スポーツでも音楽でも、どのような分野であれ、 上手になり、自分が目指す高い目…