永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(67) クンダリニー③
前回、前々回と「クンダリニー」について、ご紹介しています。
「クンダリニー」は、個々人の肉体の中にありながら、通常は、人間に認知されていない潜在的なエネルギー(力、シャクティ)ですが、見えない、感じない力でありながら、人間の体と心を動かす(潜在的な)力として働いていることを、私たちは気づいていません。(そういう意味では、私たちに働いている生命力の源と言うこともできるかもしれません)
通常は、この潜在力は肉体や心の背後に隠れていますので、表に出て来ることはありませんが、ある条件の下では、表面化することがあり、それを「クンダリニー覚醒」と呼ぶことがあります。
以前にもご紹介しましたが、Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)は、「クンダリニー」は、第四身体(サイキック体)で体験することができる、と語っていますが、確かに、第一身体(肉体)、第二身体(感情体)、第三身体(アストラル体、想念、思考)までは、誰でも体験しており、よく知っており、誰でも、直ぐにイメージすることができますが、第四身体(サイキック体)となると、体験者はぐっと少なくなるため、イメージすることさえ難しいため、解説するのも難しくなります。
また、第一身体から第三身体までは、個我が体験し、コントロールすることが可能ですが、第四身体となると、個我の意志では、どうにもなりません。
よって、第四身体で体験される「クンダリニー」は、個人の意思だけでは、経験し、コントロールすることはできません。
しかしながら、「瞑想」を実践することで、想念、思考(の発生)をコントロールできるようになるのと同じく、第四身体(サイキック体)にアクセスする方法はあります。
また、「クンダリニー」が第四身体(サイキック体)で経験されると言うことは、「クンダリニー」が目覚めることは、サイキックな力(能力)が目覚めることでもあります。
目覚めるサイキックな力(能力)は、その個人において、他のチャクラよりもより発達したチャクラにおいて発揮されることが多いようで、すべてのチャクラでサイキックな力が発揮されることはなく、個人差があることでしょう。
但し、第四身体のサイキック体が目覚めても、その先に、より微細な第五身体(スピリチュアル体、霊体)の目覚めが、待っています。
サイキック体が目覚めると、様々な潜在的な力、能力が目覚めますが、魂の旅は、それで終わることはなく、究極の真理への旅は、続くことでしょう。
ですが、次元の扉は、一つ一つ開いていくようになっているようですので、先ずは、第四身体で体験される「クンダリニー」が目覚めるのに役立つと思われる情報をご紹介したいと思います。
最初は、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」よりの抜粋文、次は、前回ご紹介しましたOshoの「奇跡の探究」からの抜粋文の続き、最後は、より詳細に「クンダリニー」について書き記して下さったスワミ・ヨーゲシヴァラナンダの「魂の科学」よりの抜粋文です。
最後に、「クンダリニー」(或いは、プラーナ)を活性化するのに非常に役立つと思われる「プラーナヤーマ」について、ご紹介させて頂きます。
The Upward Ascent of the Kundalini Shakti(クンダリニー・シャクティの上昇)
クンダリニーが目覚める時、それは、一気にサハスラーラ・チャクラへとは進まない。
あなたは、チャクラからチャクラへと運んで行かなくてはならないだろう。
スシュムナーには、6つのチャクラがある。
これらは、ムーラーダーラ、スワディッシュターナ、マニュプラ、アナハタ、ヴィシュッダ、アジナーである。
これらすべての上に、すべてのセンターの主、サハスラーラがある。
すべてのチャクラはサハスラーラ・チャクラと緊密に関係している。
よって、6つのチャクラ間の一つとして含まれていない。
ムーラーダーラ・チャクラは、脊柱の基底部にある。
スワディッシュターナは、生殖器の付け根にある。
マニュプラは、臍のところにある。
アナハタは、心臓のところにある。
ヴィシュッダは、喉のところにある。
アジナーは、両眼の間、眉間にある。
七つのチャクラは、七つの次元に呼応している。
ムーラーダーラからヴィシュッダまでの五つのチャクラは、五元素のセンターである。
アジナーは、心(マインド)の座である。
もしヨーガ修行者がムーラーダーラを突破すると、彼は地球を征服したことになる。
地球は、彼に影響を与えることはできない。
もし彼が、スワディッシュターナを渡ると、彼は水元素を征服したことになる。
彼は、星間次元(Bhuvar-loka)に触れている。
もし彼がマニュプラを渡ったのなら、彼は火を征服したことになる。
火は、彼に影響を与えることはできない。
彼は、大宇宙(Svarga-loka)に触れている。
もし彼が、アナハタを渡ったならば、彼は風元素を征服したことになる。
風は、彼に影響を与えることはできない。
彼は、天上界(Mahar-loka)に触れている。
もし彼がヴィシュッダを渡ったのなら、彼は空元素を征服したことになる。
空は、彼に影響を与えることはできない。
彼は、内面の真理と理解、つまりブラフマンの息子の王国(Jana-loka)に触れている。
もし彼がアジナー・チャクラを渡ったのなら、彼は不死の王国(Tapo-loka)に触れている。
その時、彼は、輪廻からの解放が起こる至高の意識の次元(Satya-loka)に入る。
クンダリニー・シャクティがサハスラーラへと通過するには、四つの道がある。
最も長い通路は、ムーラーダーラからサハスラーラへと背中に沿って通っている。
クンダリニーをこの道に沿って運んで行くヨーギーは、非常に強力である。
これは、最も難しい通路である。
シュリ・シャンカラチャリアにおいては、クンダリニーはこの通路に沿って通過した。
最も短い通路は、アジナーからサハスラーラである。
第三の通路は、ハートからサハスラーラである。
第四の通路は、ムーラーダーラからサハスラーラまで、前方を通っている。
もしヨーギーがアジナー・チャクラに集中すると、低位のチャクラは、自動的に開き、征服される。
クンダリニーは、脊柱を通って上昇し、時には、蟻のように這う。
時には、ヨーギーは純粋になると、猿のように飛び跳ね、サハスラーラに到達する。
時には、枝から枝へと飛び跳ねる鳥のように舞い上がる。
時には、蛇のように螺旋の流れが上昇し、ジグザグ上に動いていく。
時には、ヨーギーは魚のように至福の海を幸せに泳ぐ。
ヨーガの実践者は、彼がチャクラからチャクラへ動く時、内側から助けを得るだろう。
神秘的な力、神秘的な声が、彼が階段を上がる毎に、彼を導くであろう。
彼は、完全に揺るぎない信頼を聖なる母に持つべきである。
修行者を導くのは、彼女なのである。
チャクラからチャクラへと、彼女の子供を連れて行くのは、彼女なのである。
彼女は、目に見えない形で、彼にすべての助力を与える。
彼女の恵みなしでは、あなたはスシュムナーの上昇において、1インチも動くことはできない。
滞在時間は、純粋性、修練の度合、ヨーガ実践者の内面的な精神力に依る。
多くの生徒達は、低位のチャクラのみに留まる。
彼らは、低位のチャクラで得る幸福に夢中になり、彼らは偽りの満足感のためにサハスラーラに到達するために、更に試みようとはしない。
ヨーギーは、低位のチャクラや休息の場所に魅了される。
彼は、すべてのシッディ(神通力、超能力)を避けるべきである。
シッディは、彼の道における障害物である。
もし彼がシッディで遊び始めると、彼はゴールを見失い、転落するだろう。
クンダリニーを目覚めさせることは、簡単である、しかし臍まで、アジナー・チャクラまで、それから頭のサハスラーラまで運んで行くのは、大変難しい。
実践者のほうに、多大な辛抱と粘り強さを必要とする。
マニュプラ・チャクラを通過するのは、非常に難しい。
ヨーギーは、このセンターに大いに努力しなくてはならない。
身体は、クンダリニーがサハスラーラ・チャクラに到達した後でさえ存在する。
しかし、ヨーギーは身体感覚がなくなるだろう。
身体が生命がないものになるのは、独存位(Kaivalya)が達成された時だけである。
あなたは、クンダリニーがサハスラーラに達した後でさえ、確かに生きるだろう。
しかし、それがサハスラーラに達した後でさえ、瞬時にムーラーダーラにまで落下するかもしれないということを覚えておきなさい。
あなたがサマーディに強固に確立された時だけ、あなたが独存位(Kaivalya)に達した時、クンダリニーは落下できないし、しない。』
(「Bliss Divine by Swami Sivananda)
『Osho
「普通、全面的にトータルに生きている者はひとりもいない。
みな断片的な生き方をしている。
上部の中枢は、すべて手つかずのまま残っている。
深い呼吸が、そういったものすべてを叩きつけ活性化させる。
『私とは誰か?』という問いかけも同じ機能を果たすが、中枢を叩きつける時の方向が異なっている。
だから、深くて速い呼吸の機能を今理解したように、それについても理解に努めてごらん。
『私とは誰か?』という言葉の繰り返しは、クンダリニーにどんな作用を与えるのだろう?
『私とは誰か?』と問いかける時、あなたはただ問いを発している。
心理的に疑念を巻き起こしている。
この問いかけは、どこの中枢に影響を与えるだろう?
それがどこかの中枢へ影響を及ぼすことは確かだ。
あなたがこの問いかけを発し、自分が誰なのか問いただし、それを知りたいという思いで一杯になり、全細胞のひとつひとつが『私とは誰か?』と問いかける時、あなたは内側へと向かっている。
つまり、必ずどこかの中枢がそれによって叩かれ、活性化するはずだ。
ところが『私とは誰か?』という問いかけは、それを問いかけたことが、これまで一度もなかったために、自分が知っている活動的な諸中枢をまったく打つことがない。
この問いは、これまで一度も自分自身に発したことのないものだ。
こういう疑問を抱いたことは、一度たりともない。
あなたたちはこれまで一度だって、自分が誰なのか知りたいという想いで一杯になったことがない。
彼は誰?彼女は誰なんだろう?というようなことを尋ねたことは幾度もあっても『私とは誰か?』と尋ねたことは一度もない。
『私とは誰か?』という問いかけは、あまりにも長い間、不問にされ続けてきた。
だから、あなたが一度も触れたことのないまったく未知なる中枢を打つことになる。
そしてこの『私とは誰か?』という問いかけが打ちつける未知なる中枢は、非常に基本的なものだ。
なぜならその問いかけ自体がとても基本的なものだからだ。
『私とは誰か?』はとても基本的な問いかけであると同時に、とても実在的な問いかけでもある。
『私とは誰か?』は『実在』全体にとことん関わっている問いかけだ。
この問いかけには、自分のすべての過去生をも後にするほどの『私』が誕生する以前の『私』が存在していた地点へと人々を運んでいく。
原初の始まりに私がいた地点へと、運んでいくことができる。
この問いかけには、計り知れない深みがある。
そして、その旅も同じように深遠だ。
したがってこの問いは即座に、基本的な一番深い中枢――クンダリニーを打つ。
深い呼吸はその中枢を肉体的に打ち、『私とは誰か?』という問いかけは同じことを心的(メンタル)に、心理的に行う。
この問いかけは、クンダリニーをマインドのエネルギーで打ちつけ、深い呼吸はそれを肉体的なエネルギーで打ちつける。
もしこのふたつの打ちつける力が充分に強ければ。。。。普通その中枢を打ちつける方法はふたつしかない――呼吸によるものと『私は誰か?』と問いかけるものだ。
他にも方法があるが、それらは少し込み入っている。
だが、普通はふたつの方法しかない――肉体的なものと心的(メンタル)なものだ。
そして、『私とは誰か?』という問いは、より強烈になるだろう。
それは深い呼吸より強烈だ。
だが、始めるのは呼吸からだ。
なぜならそれは肉体に関わっているため、やりやすいからだ。
『私とは誰か?』という問いが多少難しくなるのは、それがマインドに関わるものだからだ。
肉体から始め、肉体が完全に震えだした時に、『私とは誰か?』と問うためのマインドの準備ができる。
これを問いかけるには、ふさわしい状況が必要だ。
『私とは誰か?』をふいに問いかけても、常にうまくいく訳ではない。
事実、どの問いにも、それを問うにふさわしい状況が必要だ。
たとえば、全身が揺れ振動し始めるような時には、自然と問いが湧き起こり、自分自身に問いかけるものだ。
『いったい、どうしたのだろう?いったいどうしてこうなっているのだろう?』と。
だがそうするうちに、自分は何もしておらず、足を上げているわけでも振り返っているわけでもなく、ただ踊りが起こっていることがわかる。
そして、これらすべてのことが、自分が努めることなく起こると、肉体への同化が薄らいでゆく。
すると新たなる問いが湧き起こり、自分とは誰なのかを知りたくなる。
その新たなる問いとは、肉体がしていることを自分がやっていないとしたら、いったい誰がそうしているのか?そして、私とは誰なんだろう?というものだ。
今や分裂が、隙間が、自分と肉体との間に生まれている。
この時こそ、そのギャップを通して「私とは誰か?」という問いが、深くあなたの中へ浸透していける絶好の状況だ。
その問いが必要となるのはまさにこの時だ。
本当は、あらゆる質問にはそれぞれふさわしい時、ふさわしい時期がある。
そして『私とは誰か?』という問いにふさわしい時期を見つけだすのはとても重要だ。
それはやみくもにするような問いかけではない。
しかるべき準備もせず、いつやってもいいような問いかけではない。
たとえばこうして座っている時、あなたが何気なく『私とは誰か?』と問いかけても、空の中へ消えていくばかりだ。
どこにも行き着くことがない。
この問いかけが浸透していくためのギャップが、隙間があなたの中になくてはならない。
隙間が必要不可欠だ。
このふたつの打撃――深い呼吸と『私は誰か?』――に打ちつけられると、クンダリニーが目覚める。
そしてその目覚めに伴って、並々ならぬ体験が起こり始める。
が、それは全過去生のあらゆる体験が、クンダリニーと結びついているからだ――ある意味で、それらはクンダリニーの中に貯蔵されている。
あなたたちが木として、魚として、鳥として生きた生を含め、無数の生における体験が、進化の過程におけるあらゆる体験が、旅の途上の至る所に横たわっている。
そして、このクンダリニーとして知られる蛇の力は、そのすべてをとり込むものだ。
そのため、様々なことが起こる可能性があり、これらの経験とあなたが同化することが可能だ。
そしてあらゆる類のことが、考えられないようなことが起こりうる。
あなたたちは、クンダリニーに関わる数多くの精妙な体験について何も知らない。』
(「奇跡の探究 Osho講話集」)(この続きは、次回に続きます)
『クンダリニーの覚醒には、次の二つの形態があります。
(1)生気の上昇(Pranotthama)
(2)光輝状態の始まり
生気の上昇とは次のようなことをいいます。
それがどんな意志であれ、意志の力を受けると生気はチャクラ内部で光を伴わずに動き始めます。
つまり、身体下部で働くアパーナ気は、繰り返しなされる瞑想修行によって興奮状態となり、尾骶骨から頭部に到る脊髄の中で生気の震動運動を生じさせながら、ムーラーダーラ・チャクラ内の神経組織や最奥組織を刺激します。
こうした生気の動きは、ちょうど、蟻が張ったり湯や湯気が動いているかのように感じられたり、時には、それが非常に冷たく感じられ、身体全体がゾクゾクしたり頭髪が逆立ったりもします。
以上が生気の上昇((Pranotthama)と呼ばれているものです。
この生気の上昇は、特別な調気法を行じたり、ハタ・ヨーガ行者が行う身体浄化法(Shat Karma)によっても引き起こされます。
というのも、こうした修行法は、基礎神経叢にある神経束に詰まっている痰状の粘液を取り除くと言われているからです。
従って、それらが浄化された後では、脊髄中にあるスシュムナー管の基底部から上部に到るまで、アパーナ気がなめらかに動いていくのがはっきりと感じとれるようになります。
アパーナ気のこうした動きはやがて非常に早くなり、そのため、行者の四肢がよく麻痺したります。
たとえば、手足が引っ張り上げられたり、行者によっては急に肉体が上に持ち上げられ、少し離れた場所にまで飛ばされてしまうということもあります。
時には、実際には地面から浮き上がらないにもかかわらず、肉体が宙に浮いたように感じたりすることもあります。
他にも、ベルの鳴る音や、鳥がチイチイ鳴く声、コオロギの声、ドラムやシンバルの音、リュートやフルートの音、それに雷の音などを聞く者もいます。
こうした音は、何年にもわたって聞こえ続けるのです。
そうして修行を休みなく続けてゆけば、やがては諸々の障害が除かれ、スシュムナー管の中を脳に到るまで、生気が自由に、しかも適量に流れるようになってきます。
やがてはさらに修行の段階が進めば、半覚醒の状態(Tandra)、よく眠った状態(Nidra)、そして暗性優位の三昧の境地を経験できるようになってきます。
無知な行者の場合、こうした暗性優位の三昧の境地をヨーガ・ニドラー(Yoga Nidra)と呼んで、その境地に満足し、それ以上努力しなくなったりするのですが、こうした境地では真の智慧を得ることは不可能なのです。
ですから、こうした境地に続いて、智慧の光が輝きわたり意識もはっきりしているより高い三昧の境地に入ってゆかなければ、解脱とか絶対者ブラフマンを知るといったことは不可能なままになってしまいます。
(「魂の科学」 スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ)
最後に、前回の記事で、Oshoによる「奇跡の探究」をご紹介した文章の中で、Oshoが「深い呼吸」について言及していましたが、「深い呼吸」と言っても、ただの深呼吸が有効である訳ではありませんので、ヨーガのプラーナヤーマ(調気法)について、簡単な説明を加えさせて頂きます。
実際に、プラーナヤーマを行ずる場合、適切な指導者の元、実践することが望ましいのは勿論ですが、日本において、そのような指導者を見出せない場合、出版されている「実践ヨーガ大全」(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)の中で、詳細な実践方法が書かれていますので、それらをご参考に、実践することも可能かと思われます。
但し、中には、独学で実践するには、命の危険が伴うプラーナヤーマもありますので、注意が必要です。(ですので、本に記載の注意事項を、必ず守って、実践することが重要です)
比較的、簡単に実践でき、身体への負担が少ないプラーナヤーマであっても、その効果は、実践する毎に、実感できるようになることでしょう。
この本の中で、60種類のプラーナヤーマが紹介されていますが、その中でも、プラーナ(生気)の動きを良くしたり、クンダリニーを目覚めさせるのに効果的であるとの記載があるプラーナヤーマをご紹介いたします。
(詳細な実践方法は、本に記載されていますが、YouTubeなどで映像で確認できるものもあるかと思いますので、実際に実践する意思があるならば、指導者が見つからなくとも、実践できないことはありません)
・スールヤ・ベディー
・バストゥリカー
・トゥリバンダ・レチャカ
・サルヴァ・ドゥワータ・バッダ
・ヴァーヤヴィーヤ・クンバカ
・プラーナ・アパーナ・サムユクタ
・ウラシュタラ・シュディ
・ナーダ・シュラヴァナ
次回に続きます。
Hari Om Tat Sat!
So ham!
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(翻訳:羽沼真理世 監修:池田直美)
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