永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(56)ヨーガ④

これまで55回に渡り、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」より、テーマ毎に抜粋して、ご紹介してきましたが、今回は、スワミ・シヴァナンダご自身の肉声によるメッセージをご紹介したいと思います。

 

スワミ・シヴァナンダは、このメッセージを通して、人間が人間として生きる目的、一個人としてヨーガを実践する目的、そして、ヨーガの実践を通して、最終的に到達する目的地について、語られています。

 

次にご紹介するのは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ラージャ・ヨーガ」の抜粋で、前回からの続きです。

その中で語れている「サーンキャ哲学」は、私たち日本人にはあまり馴染みのない物質の二元論が土台となっている考え方ですが、最後にご紹介しますラマナ・マハルシが語るアドヴァイタ(一元論、非二元論)とは、両者が語っている視点が異なるために、相容れないような感覚をもたれるかもしれませんが、それは、異なる次元について語っているためで、どちらかが間違っている、ということではありません。

 

アドヴァイタ(一元・非二元)は、二元世界の中で人間として在る私たちには、簡単には理解できない非論理的な世界観・自己認識とも言える”究極の真理”でもあるため、生きている間に目覚め体験が起こり、非二元のカラクリが明らかになる、というような展開が起こらない限りは、スワミ・シヴァナンダ、及び、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの御言葉にもあるように、プルシャーチャ※(生きる目的)として「自己探求」という目標を掲げ、諦めずに、一歩一歩確実に歩を進めることが、最終的な目的達成のためには、必要不可欠と言えます。

 

(※ヒンドゥーにおいては、①ダルマ(道徳、倫理)、②アルタ(富、財産、生計)、③カーマ(欲望、性欲、情熱、憧れ、感覚への喜び、耽美的生き方、愛など)、④モクシャ(輪廻からの解放)の四つが、人生の目標とされている。

これら四つの目標はプルシャーチャ(Puruṣārtha)と呼ばれている)

 

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「勇気は、生得のものであるが、恐れはそうではない。

平和は、あなたの神聖なる遺産であるが、しかし、落ち着きのなさは、そうではない。

不死は、生まれ持ったものであるが、死はそうではない。

強さは生得のものであるが、弱さは違う。

健康は、生得のものであるが、病は違う。

至福は、生まれ持ったものであるが、悲しみは違う。

智慧は、生得のものであるが、無知は違う。

痛み、悲しみ、無知は、幻想であるが、これらは、生き長らえることはできない。

至福、喜び、智慧が真実であり、これらは死ぬことがない。

あなたは、あなた自身の宿命の建築家である。

あなたは、あなた自身の運命の主である。

あなたは、することができるし、やらないことができる。

あなたは、行為を蒔き、性癖を刈り取る。

あなたは、性癖を蒔き、習慣を刈り取る。

あなたは、習慣を蒔き、あなたの性格を刈り取る。

あなたは、性格を蒔き、あなたの運命を刈り取る。

それ故、運命は、あなた自身の創造なのである。

あなたは、あなたが望むならば、それをしないことができる-運命とは習慣の束である。

プルシャーチャ(人間的な追及目的)とは、自己努力である。

プルシャーチャは、あなたに何かを与えることができる。

あなたの習慣を変えなさい。

思考方法を変えなさい。

あなたは、運命を克服することができる。

あなたは、今、「私は身体である」と考えている。

逆の流れを霊的に始め、「私は、不滅であり、冒されることのない、性別の無い真我(アートマン)である」と考えなさい。

あなたは、死を克服し、最高の光輝の不死の座に到達することができる。

徳のある行いと正しい思考により、あなたは運命を和らげることができる。

あなたは、行動する自由意志を持っている。

自己努力により、ラトナカは、ヴァルミキーになった。

自己努力によって、マルカンディヤは死を克服した。

自己努力によってのみ、ウッダーラカは、ニルヴィカルパ・サマディ(より高い自己実現)に到達した。

自己努力によって、サヴィトリは彼女の夫(サッチャヴァン)を生き返らせた。

それ故、あなた自身を粘り強く、神への信愛、真我探究、瞑想に従事させなさい。

注意を怠らず、励みなさい。

想いや望みを絶ちなさい。

明日の悪魔を、今日の自己努力によって克服しなさい。

不浄な願望(不純な精神的傾向)を神聖なる願望を通して、破壊しなさい。

神聖なる想いによって不浄な想いを殺し、あなたの運命を超えた勝利を手にしなさい。

運命論者に屈するな。

無気力になるな。

ライオンのように立ちなさい。

努力し、自立、魂の自由(Atma Svarajya)を手に入れなさい。

あなたの内側に、力の弾倉がある。

あなたの内側に、広大なる智識の大海がある。

すべての能力は、あなたの中に潜んでいる。

それらを開き、生前解脱者(解放された魂)になりなさい。

肯定は、否定に打ち勝つ。

これは、自然の不変の法則である。

プルシャーチャ(自己努力)は、より強い力である。

プルシャーチャは、ライオン、或いは、象である。

プララーブダ(運命)は、猫、或いは、ジャッカルである。

神は、自らを助ける者を助ける。

ヴァーシシュタは、ラーマにプルシャーチャをするように求めた。

運命論者は、確かに、惰性やものぐさを生む。

それ故、あなたの気を引き締め、最大限の努力をしなさい。信愛なる友よ。

あなたがたがみな、今生で、自己実現(真我実現)、ブラフマンの智識に到達できますように!

あなたがたがみな、明知の状態で、至福の大海に浸って、生きますように!

あなたが、解放された聖者として輝きますように! 」

(スワミ・シヴァナンダ ”あなたは、あなた自身の運命の主人である”)

 

 

『話をさらにすすめる前に、サーンキャ哲学について少しばかりお話しましょう。

ラージャ・ヨーガの全体が、それを根拠としているのです。

サーンキャ哲学によると、知覚は次の通りに生まれます。

外の世界の対象の影響が、外部にある道具(目、耳など)によって、脳にあるそれぞれの中枢、すなわち器官に運ばれます。

器官はそれらの影響を心に、心は判断力に運び、判断力から、プルシャ(魂)がそれらを受け、そのときに知覚が生じるのです。

次に、プルシャはいわば、必要なことをせよという命令を運動神経の中心に与え返します。

プルシャ以外のこれらのすべては物質ですが、心は外部の道具よりはるかに精妙な物質です。

心を形成している、その物質はまた、タンマートラスという精妙な要素を作ることもします。

これらが粗大になって、外界の物質を作るのです。

これが、サーンキャの心理学です。

それゆえ知能と外部のより粗大な物質との間には、ただ程度の違いがあるだけなのです。

プルシャが、物質ではない唯一のものです。

心は、いわば、魂の手中の道具であって、それによって魂は、外界の対象を捉えるのです。

心はたえず変化し動揺していて、完成されたときには、それ自身をいくつかの器官につけることも一つの器官につけることも、またどれにもつけないでいることもできます。

たとえば、もし私が深い注意を込めて時計の音を聞くなら、私は多分、目はあいているのに何も見ず、心は聞く器官につながっていたけれど見る器官にはつながっていなかった、ということを、示すでしょう。

しかし、完成された心は、同時にすべての器官につながることができるのです。

それは、ふりかえって自分みずからの深みを覗き込む、内省の力を持っています。

この内省力が、ヨーギーが得たいと欲するものなのです。

心の力を集中し、それらを内に向けることによって、彼は内部で起こっていることを知ろうとします。

ここには、単なる信仰などということはあり得ません。

それは、ある哲学者たちが成し遂げた分析なのです。

現代の生理学者たちは、目は視覚の器官ではない、器官は大脳の神経中枢の一つの中にある、他のすべての感覚の場合もそうである、と言います。

彼らはまた、これらの中枢は、脳それ自体と同じ物質で作られている、と言います。

サーンキャ派の人びともやはり、同じことを言っています。

前者は肉体の側に立っての声明、後者は心理学に立脚しての声明ですが、両者は同じです。

われわれの研究分野は、これを超えたものです。

ヨーギーは、さまざまの心の状態のすべてを認識することのできる、あの精妙な知覚の状態を得ようとします。

それらすべてを感知する内面的知覚があるに違いありません。

人は、感覚がどのように伝わるのか、心がどのようにしてそれを受けるか、どのようにしてそれが判断力まで行くか、そしてどうしてこれが、それをプルシャに与えるか、を知覚することができます。

それぞれの科学が一定の準備を必要とし、また、たとえ理由はわからなくても従わなければならない、それ自身の方法を持っていますが、ラージャ・ヨーガの場合も正にそうです。

食物に関する、ある制限が必要です。

われわれは、心を最も清らかにする食物を摂らねばなりません。

動物園に行けばすぐに、このことが実証されているのが見られるでしょう。

ゾウがいます。

巨大な動物ですが、静かで柔和です。

そしてライオンやトラの檻の方に行けば、彼らの様子を見て、食物によってどんなに大きな違いが生まれているか、おわかりになるでしょう。

この肉体の中で働いているすべての力は、食物から生まれました。

われわれは毎日、それを見ています。

もしみなさんが断食を始められるなら、第一に肉体の力が弱くなり、それから、数日の後に、心の力も影響を被るでしょう。

まず、記憶力が減退します。

それから、考えることができなくなり、推理の過程を辿ることなどは一層難しくなる時が来ます。

ですからわれわれは、最初はどのような食物を摂るべきか、気をつけなければなりません。

そして十分な力を得たら、修行が進んだら、このことにはそれほど気をつかう必要はありません。

植物が若いうちは、囲いを作ってやらなければなりません。

しかしそれが樹木になったら、囲いは取り払われます。

すべての攻撃に耐えられるほど、それは強くなるのです。

ヨーギーは、贅沢と苦行の二つの極端は避けなければなりません。

彼は断食してはならないし、自分の肉体を酷く苦しめてはなりません。

それをする人はヨーギーにはなれないとギーターは言います。

「断食をする人、眠らない人、眠り過ぎる人、働き過ぎる人、働かない人、このような人びとは誰も、ヨーギーにはなれない」(ギーター六章十六節)』

(ラージャ・ヨーガ by スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)

 

 

『質問者

アーサナ(坐位)とは何でしょうか?

それらは必要なのでしょうか?」

 

マハルシ

「多くのアーサナとそれらの効果がヨーガの聖典のなかに述べられている。

座はトラの毛皮、干し草など。

坐位は蓮華坐、半跏趺坐など。

ただ自己を知るだけのために、なぜこのようなことが必要なのだろうか?

真実は、真我から自我が立ち現れ、それ自身を身体と混同し、世界を実在だと誤解し、そして利己的な慢心から夢中になってアーサナを探し求めるのである。

このような人は彼自身がすべての中心であり、すべての現れの土台をつくり出していることを理解しないのである。

アーサナは安定した坐りをつくるためにある。

真我以外のどこに、どのように、揺るぎなく住まうことができるというのだろうか?

これこそが真のアーサナである。

全世界がその上に揺るぎなく収まっている土台(アーサナ)、それが真我である。

それは真の知識の空間、輝かしい基盤、この知識から逸脱することのない安定を達成すること、それが優れたサマーディのためのアーサナである。」

 

質問者

「バガヴァーンはふだんどのようなアーサナで坐るのでしょうか?」

 

マハルシ

「どのアーサナか?

ハートのアーサナである。

どこであれ心地よく自然であれば、それが私のアーサナである。

ハートのアーサナは平和であり、幸福をもたらす。

真我のなかに坐す者にとって他のアーサナは必要ない。」

 

質問者

「『ギーター』はカルマ・ヨーガを強調しているようです。

なぜならアルジュナは戦うように説得されたからです。

シュリー・クリシュナ自身も英雄的行為で活動的な人生の手本を示されたのです。」

 

マハルシ

「『ギーター』は、「あなたは身体ではない。

それゆえ、あなたはカルタ(行為者)ではない」という言葉で始まっている。」

 

質問者

「それはどういう意味でしょうか?」

 

マハルシ

「つまり、人は自分が行為者だという想いなしに行為をすべきだということである。

無我の状態でさえ行為はつづいていくだろう。

各人がある決められた目的を果たすために、この顕現のなかに現れたのである。

そして、その目的はその人が自分自身を行為者だと考えようと考えまいと達成されるだろう。」

 

質問者

「それは行為の結果への無執着なのではありませんか?」

 

マハルシ

「そこに行為者が存在するときにのみ、その質問は起こる。

あなた自身を行為者だと見なしてはならないとすべての聖典は述べている。」

 

質問者

「では、カルマ・ヨーガとは行為者であるという感覚なしに行われる行為のことなのですね。」

 

マハルシ

「そのとおりだ。」

 

質問者

「『ギーター』は、初めから終わりまで活動的な人生を送るように説いています。」

 

マハルシ

「そうだ。それが行為者なしの行為である。」

 

質問者

「もし静寂のなかにとどまるなら、どのようにして行為は起こりつづけるでしょうか?

どこにカルマ・ヨーガの場があるのでしょうか?」

 

マハルシ

「まず何がカルマであり、それは誰のカルマで、行為する人は誰なのかを理解しようではないか。

それを調べ、その真理のなかへと探索していくと、人は静寂のなかで真我としてとどまっている自分を見いだす。

だが、たとえそのような状態のなかにあろうとも、行為は起こりつづけていくだろう。」

 

質問者

「私が行為しなければ、どのように行為がつづいていくというのでしょうか?」

 

マハルシ

「誰がこの質問を尋ねているのだろうか?

真我だろうか、あるいは何か他のものだろうか?

真我は行為に関心をもっているのだろうか?」

 

質問者

「いいえ、真我ではありません。

それは真我とは別の何かです。」

 

マハルシ

「それゆえ、真我が行為に関わらないことは明らかである。

そのため、その質問は起こらないのである。」

 

質問者

「私はカルマ・ヨーガをしたいと思っています。

どうすれば他の人びとを助けられるでしょうか?」

 

マハルシ

「誰を助けるというのかね?

他者を助けたいというその「私」とはいったい誰だろうか?

まず、その問題を解決しなさい。

そうすればすべてはひとりでに落ち着くことだろう。」

 

質問者

「それは真我を実現しなさいということです。

私が真我を実現すれば他者の助けになるのでしょうか?」

 

マハルシ

「もちろん。

それは可能なかぎり最高の助けである。

だが、そこに助けられるべき他者は存在しない。

なぜなら、金細工師がさまざまな宝飾品のなかの金を見積もるとき、ただ金だけをみているように、真我を実現した人はただ真我だけを見ているからである。

あなたが自分を身体と同一視すれば、そこには名前と形がある。

だが、あなたが身体意識を超越するとき、「他者」もともに消え去る。

真我を実現した人は、世界を彼自身と異なったものとして見ないのである。」

 

質問者

「賢者が他の人びとと交わったほうが、より彼らの助けとなるのではないでしょうか?」

 

マハルシ

「交わるべき他の人びとなど存在しない。

ただ真我だけが実在しているのである。

賢者はただ真我として在ることによって世界を助ける。

世界に奉仕する最上の方法は、無我の状態を勝ち取ることである。

もしあなたが世界を助けたいと願いながらも、無我を達成することでは世界を助けられないと考えるなら、あなた自身の問題も含めた世界の問題すべてを神に任せるがいい。」

 

質問者

「私は世界を苦しみから救おうとするべきではないでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたを創造したその力が世界をも創造したのである。

その力があなたの世話をすることができるのなら、同じように世界の世話もすることができるだろう。

神が世界を創造したのであれば、その世話をするのは神の仕事であり、あなたの仕事ではない。」

 

質問者

「スワラージ(インドの政治的独立)に向けての願望は正しいものでしょうか?」

 

マハルシ

「そのような欲望は、疑いなく利己的な関心から生まれたものである。

それでも、その目的に向かった実質的な仕事はしだいに視野を広めていき、個人は国家のなかに溶け合っていく。

そのような個我の融合は望ましく、それに係わるカルマ(行為)はニシカーマ(非利己的)なものである。」

 

質問者

「もし悲惨な犠牲と長い闘争の後にスワラージが得られたとすれば、そのことで個人が喜びを感じ、得意となることはじゅうぶん正当なのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼は仕事を遂行する間、高次の力に彼自身を明け渡し、そのことをつねに心に刻み込んで、けっして忘れてはならない。

そうするなら、いったいどうやって得意になることができようか?

彼は行為の結果を心配するべきでさえない。

そうしたときのみに、カルマは非利己的となるのである。」』

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham!

 

 

 

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