永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(57) 瞑想(ディヤーナ)①

近年、日本でも多くの場所で、初心者、熟練者を問わず、ヨーガを学ぶための教室やセミナー、ワークショップなどが開催され、多くの人が、ヨーガを実践する機会に恵まれ、その時代的傾向は、年々強まってきています。

 

ただ、そのようなヨーガ・ブームとも言えるような流れの中でも、「ヨーガ」という言葉が指しているのは、「ヨーガ・アーサナ」(長時間坐るための坐法)であることが多いようです。

プラーナヤーマ(調気法)やマントラ(呪文)を適切に教える(伝授とも言います)ことができる教師(グル)は、日本だけではなく世界においても少なく、瞑想(ディアーナ)に至っては、適切に指導できる教師(グル)は、更に少ないのが、実情でしょう。

 

所謂、覚醒体験(真我実現)に至るヨーガにおける、ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナヤーマまでの4段階については、詳細な説明がなされている書籍などがありますので、情報を入手し、実践することは、比較的容易ですので、今回からは、次の段階「瞑想」(ディヤーナ)について、詳細にご紹介したいと思います。

 

特に、八段階に分けて提唱されているアシュタンガ・ヨーガなどの古典的ヨーガにおいては、ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナヤーマは、「瞑想」(ディヤーナ)を実践するための準備段階における実践(サーダナ)と位置付けられています。

 

古来から「ヨーガ」とされてきた実践体系である「ヨーガ」の目的は、難解なポーズ(アーサナ)ができるようになることではありません。

 

ヨーガは、真我の目覚め(真我実現)のために用意された実践プログラムであり、実践者は、「瞑想」(ディヤーナ)を経て、魂の最終目的である「解脱」(サマーディ)へと至る長い長いプロセス(行程)を、飛躍的に短縮するのに役立つようにと、長い年月をかけて、体験者たちによって、考案された叡知の結集の成果と言えます。

 

その中でも、最も重要である「瞑想」(ディヤーナ)について、ヨーガにおいては、どのようにとらえられているか?を見て行きたいと思います。

 

最初にご紹介するのは、Swami  Sivanandaの「Bliss Divine」、次は、ラマナ・マハルシの「瞑想」についての質問者への御言葉です。

 

 

 

MEDITATION(瞑想)

有徳な人生を送ることは、それ自体、神の実現には充分ではない。

心(マインド)の集中は、絶対的に必要である。

良い有徳な人生は、心(マインド)に、適した指導として、集中や瞑想のため準備をするだけである。

やがて、自己実現(Self-Realization)に導くのは、集中と瞑想である。

瞑想の助けなしで、あなたは自己の智識に達することはできない。

その助けなしで、あなたは神聖なる状態へと成長することはできない。

それなしには、あなたは心の束縛からあなた自身を自由にし、不死を獲得することはできない。

瞑想は、救済の獲得、或いは、解脱への唯一の王道である。

それは、地上から天国へ、誤りから真実へ、闇から光へ、苦しみから至福へ、落ち着きのなさから永久的な平和へ、無知から智識へと達する神秘の階段である。

死ぬべき運命から不死へと達する階段である。

 

 

What Is Meditation?(瞑想とは何か?)

瞑想は、神意識の途切れることのない流れを持ち続けることである。

すべての世俗的な思考は、心(マインド)から閉鎖される。

心(マインド)は、神聖なる想い、神聖なる栄光、神聖なる存在で満たされる、或いは、浸される。

瞑想は、ヨーガの階梯では、七番目の段である。

ヨーギーは、これを“ディアーナ”と呼ぶ。

ジニャーナは、これを“ニディディアーサナ“と呼ぶ。

バクティは、これを“バジャーナ“と呼ぶ。

身体を忘れなさい。

環境を忘れなさい。

忘れることは、最も高いサーダナ(霊的修練)である。

それは、瞑想を大いに助ける。

それは、神へと近づくことをより簡単にする。

神を思い出すことによって、あなたは、すべてのこれらのことを忘れることができる。

イエス・キリストは言う「あなたを空にすれば、私はあなたを満たすであろう」

これは、聖仙パタンジャリの「ヨーガは、すべての精神作用の絶滅である」という教えに匹敵する。

この無にするプロセス、或いは、心を空っぽにすることは、間違いなく、骨の折れる訓練である。

しかし、熱情的なタイプの継続的な実践は、成功をもたらすであろう。

これには疑いはない。

大きな都市では、夜の8時に、多大な賑わいや音がある。

9時には、それほど多くない賑わいや音がある。

10時には、更に減少し、11時には、もっと少なくなる。

夜中の1時には、何処でも平和がある。

これと同じで、ヨーガ的な実践の始まりには、心の中に数え切れない波(Vrittis)がある。

心の中に、多くの興奮や動揺がある。

次第に、思考の波は、静まる。

最後には、すべての精神的な緩和が制御される。

ヨーギーは、完全なる平和を楽しむ。

 

 

How to Practice Meditation(瞑想を実践する方法)

パドマ・アーサナ、シッダ・アーサナ、シュクラ・アーサナで人里離れた場所で坐りなさい。

すべての情熱、熱情、刺激からあなた自身を自由にしなさい。

感覚を征服しなさい。

心(マインド)を対象から引き離しなさい。

すると、心(マインド)は、静かになり、一点に集中し、純粋で微細になるであろう。

この修練された心(マインド)という訓練された道具の助けで、一つの不滅の自己について沈思黙想しなさい。

他の何かについて考えてはいけない。

世俗的な思考に、心に入ることを許してはならない。

心(マインド)に、身体や精神的な喜びについて考えることを許してはならない。

これらの考えに耽る時は、それをハンマーで打ちなさい。

その時、それは神へと動くであろう。

ガンジス河が、連続して海に向かって流れて行くように、神についての想いは、神に向かって、切れ目なく流れて行くべきである。

油のように、一つの瓶から別の瓶へ注がれる時、途切れることのない継続した流れで流れる。

ベルの響きから生まれた調和した音が継続した流れとして、耳の上におちるように、同じように、心(マインド)は、一つの継続した流れとなって、神へと流れるべきである。

あなたが瞑想を始める前に、あなたは、神、或いはブラフマンの―具体的、又は、絶対的な-精神的なイメージを持たなくてはならない。

あなたが、瞑想で初心者である時、瞑想のために座ったら直ぐに、10分間は、いくつかの崇高な聖句(Slokas)や、聖歌(Stotoras)を繰り返しなさい。

これは、心(マインド)を高揚させるであろう。

心(マインド)は、簡単に世俗的な事柄から引っ込めることができる。

その時、またこの種の思考を停止し、度重なる奮闘によって、一つの考えのみに固定しなさい。

その時、瞑想(Nishtha)が起こるであろう。

あなたが火を起こす時、あなたは、いくらかの藁や、紙や小さな木片を積み上げる。

火は、素早く消える。

あなたは、口や吹きパイプを通して、何度も吹かなればならない。

何回かの後に、それは、小さな火となる。

あなたは、多くの努力をもってしても、今やそれをなかなか消せない。

そのようにして、瞑想の初心者の初めの段階では、彼らは、瞑想から彼らの古い決まりきった型の中へと落下する。

彼らは、何度も何度も、彼らの心(マインド)を持ち上げ、目的(Lakshya)に固定しなくてはならないであろう。

瞑想が、深く定着するようになると、彼らは、やがては、神に確立する。

その時、瞑想は、自然(Sahaja)となる。

それは、習慣となる。』

(「Bliss Divine」 by Swami Sivananda)

 

 

 

『質問者

「瞑想(ディヤーナ)と探求(ヴィチャーラ)にはどのような違いがあるのでしょうか?」

 

マハルシ

「それらはどちらも同じ結果に達する。

探求に適さない人は瞑想を修練すべきである。

瞑想のなかで真理の探究者は、自己を忘れて「私はブラフマンである」、「私はシヴァである」と瞑想し、この方法でブラフマンあるいはシヴァをとらえる。

これが最終的には、存在としてのブラフマンあるいはシヴァという覚醒として残る。

そのとき、彼はこれが純粋な存在、真我であることを悟るのである。

真我を探究する人は、彼自身をとらえる。

そして「私は誰か?」と自分自身に尋ねることによって、真我は明らかにされるのである。

自分自身を存在―意識―至福として輝く至高の実在だと精神的に想像することが瞑想である。

非実在の迷妄の種子が途絶えるように、心を真我の内にしっかりととどめることが真我探究である。

何であれ、バーヴァ(精神的イメージ)を心に描きながら真我に瞑想する者は、そのイメージのなかに現れたものにしか到達できない。

そのようなバーヴァなしに沈黙にとどまる心安らかな者は、形なき真我、崇高な限定されないカイヴァリヤ(解脱)の状態に到達する。」

 

質問者

「瞑想は真我探究よりも直接的です。

なぜなら、瞑想は真理をとらえつづけますが、真我探究は、非真理から真理へと移行していくからです。」

 

マハルシ

「初心者にとっては、形態に瞑想することのほうがよりやさしく、好みに合うだろう。

瞑想を修練することが、非実在から実在へと移行する真理探究に導くのである。

あなた自身が真理に反する要因に満ちているときに、真理にしがみつくことが何の役に立つというのだろうか?

真我探究は、あなたに真我がいまだ実現されていないと考えさせる障害を取り除き、それによって直接実現に導くのである。

瞑想は探究者の熟達の程度にしがたって異なる。

もし適した人なら、彼は直接に思考者をとらえるだろう。

そうすることで、思考者は彼の源である純粋意識のなかへと沈みゆくだろう。

もし思考者を直接とらえることができないとすれば、神に瞑想しなければならない。

そして機が熟したとき彼は思考者を直接とらえるにじゅんぶんなほど純粋になり、絶対なる存在のなかへと沈みゆくだろう。

瞑想は自我が保たれた状態にのみ可能である。

そこには自我があり、瞑想される対象者がある。

そのため、その方法は直接的とは言えない。

瞑想する主体である自我と瞑想の対象が存在するかぎり、それは二元性のなかにあるからだ。

だが、真我はひとつなのである。

自我を探りだすこと、つまりその源を探究することで自我は消滅し、あとにはただ真我だけが残る。

これが直接的方法である。」

 

質問者

「瞑想では内面へ入って行く方法が見つかりません。

 

マハルシ

「いったい他のどこに、今われわれがいるというのかね?

われわれの存在そのものが内面にあるのだ。」

 

質問者

「それにもかかわらず、私たちはそのことに無知なのです。」

 

マハルシ

「何についての無知だろう?

誰の無知だと言うのかね?

もし真我についての無知だと言うなら、そこに二つの自己があると言うのだろうか?」

 

質問者

「二つの自己があるわけではありません。

しかし、限定されているという感覚は否定し難いものです。

限定のために。。。。」

 

マハルシ

「限定は心のなかにしか存在しない。

あなたはそれを深い眠りのなかでも感じるだろうか?

いいや、深い眠りのなかに限定の感覚はない。

あなたは眠りのなかで存在していた。

同じ真我が、今ここで目覚めの状態にも存在しているのだ。

あなたは今、限定があると言っている。

つまり目覚めと眠りの状態の間に違いが現れたのは今である。

その違いは心によって現れた。

つまり限定は心によって現れたのだ。

眠りのなかに、心は存在していなかった。

その反対に、今それは活動している。

だが、心が存在しなくとも真我は存在するのである。」

 

質問者

「それを理解することはできても、真我を実現することができないのです。」

 

マハルシ

「瞑想とともに徐々に明らかにされていくだろう。」

 

質問者

「瞑想は心をともなうものです。

どうしてそれが心を殺せるというのでしょうか?」

 

マハルシ

「瞑想とはひとつの想念だけを想いつづけることだ。

そのひとつの想念が他のすべての想念を遠ざける。

心の散漫は精神力の弱さの兆候である。

たゆみなく瞑想をつづけることによって心は力を得ていく。

つまり、移り変わりやすい心の弱さが、その背後にある恒久的な無心状態に場を明け渡すのだ。

この無心の心の広がりが真我である。

純粋な心が真我なのである。」

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

 

次回に続きます。

 

 

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