永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?-真我探究の道(15)

前回の記事で、「神は、人間が予想だにしない形で実在する」と書きましたが、そのことが明らかになったのは、ナーナ先生の恩寵の御力、シャクティ・プラーナのお陰によるものであることも、以前の記事で書きました。

通常、私たち人間の意識には、目覚めている時(顕在意識)、寝ている時で夢見ている時(潜在意識)、熟睡している時(無意識)の3つの状態があります。

眠りから目覚めると同時に、意識にスイッチが入り、世の中を認識することが可能となります。

寝ている時は、この意識のスイッチがOFFになっている状態です。

この意識のスイッチがONになっている時だけ、意識は光のように世界を照らし、意識の光が当たった所だけを、私たち人間は認識します。

意識の光が当たらないところは、存在していても、無いと同じです。

その存在に気が付かなかっただけと言うこともできますが、私たちが認識している世界は、個人個人それぞれに違っていて、同じ地球上に居ても、意識の光の当たる場所が異なるので、全く同じ世界を見ているとは限りません。

そして、認識は脳の中でさまざまな反応を生じさせ、この反応全体が「心」と呼ばれているものです。

この世を経験しているのは、各自の「心」であり、「心」に映し出されたモノだけが、存在することになります。

「心」に映し出されないモノは、認識されていないので、存在しないのと同じなのです。

私たちは、この「心」によって、自分が存在(実在)していると感じています。

しかし、この存在感、実在感もまた、「心」によって体験されているある種の感覚であり、この「心」は、寝ている間は消滅しているので、それ自身の力によって存在しているわけではないことは明らかです。

この世を体験している「心」は、意識がONの時は働き、OFFの時は働かないことから、意識の力によって働いている、と考えることができます。

 

そして、この「心」の働き全体が、「わたし」と呼ばれているモノの正体なのです。

「わたし」は、「心」から離れて存在することはできません。

何故なら、「心」が消滅している時(どんな感覚も意識も無い時)、「わたし」も消滅しているからです。

そして、この「心」を生じさせている意識とは、ある種の力(エネルギー)なのですが、それは「わたし」のものではありません。

それは、「わたし」=「心」なので、「心」は「意識」によって生じていますが、「心」は「意識」を生じさせることは不可能だからです。

 

それでは、この「意識」はどこから生じているのでしょうか?

何が、「意識」を生じさせているのでしょうか?

 

この「意識」の源こそが、真の実在であり、この世をまるで実在するかのように在らしめている力が、真の実在(=力)なのです。

 

ナーナ先生が明らかにして下さったのは、この真の実在(=力)でした。

真の実在(=力)が存在するならば、真の実在である「神」も存在することになります。

 

この真の実在(=力)によって、この世の存在となっている「わたし」。

この「わたし」の中を探れば、この真の実在に触れることは可能です。

 

ナーナ先生は、その御力で、この「わたし」の中に潜む真の実在(=力=エネルギー)を顕わにして下さったのでした。

 

「神」と言っても、名前と形がある人間的な要素に溢れている神(イーシュワラ神)ではなく、人間的な要素が全くない純粋な「在る」というエネルギーが、この宇宙の唯一の実在である無念無想の神であり、それがこの「わたし」を形作り、今もこの身体と心を在らしめているのです。

 

それ故、「わたしは誰か?」という問いへの答えは、「神とはどんな存在か?」という問いへの答えなのです。

 

このことは、知識を通して明らかになることがないため、一般的にはほとんど知られてはいませんが、真の神を求める人のために、「神の本質」について、シュリー・ラマナ・マハルシが語られた御言葉の中に、多くのヒントが示されていますので、ご紹介させて頂きます。

 

 

『質問者

「神は多くの異なった名前で知られています。

そのなかのいくつかが正しいものと言えるのでしょうか?」

 

マハルシ

「ハートの内に宿る無心の神にとって、何千という神の名前のなかでも「私」あるいは「私は在る」のように真実で、適切で、美しい名前はない。

自我が破壊されたそのとき、真我に注意を向ける人のハートのなかでは、至高なる沈黙の言葉「マウナーパラーヴァータ」が響きわたる。

それが神の名前「私―私」である。

「私」という感覚に注意を払い、「私―私」に絶えず瞑想するなら、人は想念の起こる源に飛びこみ、自我を破壊し去るだろう。」

 

質問者

「神と世界の関係性とは何でしょうか?

神は世界の創造者あるいは維持者なのでしょうか?」

 

マハルシ

「感覚のある存在も、感覚のない存在も、すべてのものは太陽が単にそこに在るおかげで活動をしている。

同じように、すべての生けるものたちの活動は、意志も欲望ももたない神の存在によって為されている。

ただ太陽が存在するだけで、蓮のつぼみは開き、睡蓮の花は閉じ、すべての無数の生けるものたちは活動し、休息する。

針が磁石の前で動くように、ムーンストーンが水を放つように、月光が睡蓮の花を咲かせ、蓮の花を閉じさせるように、おびただしい数の世界の秩序は、ただ神の存在によって維持されている。

わずかな意志さえももたない神が存在するというだけで、無数の活動に従事する生きとし生けるものたちは、カルマによって定められた進路に沿って引き寄せられたさまざまな生き方を経て、ついにはその行動のむなしさに目覚め、真我に向きを変え、そして解脱を達成するのである。

世界の活動が太陽に影響を与えることのないように、そして四大元素(土、水、火、空気)の顕著な特質が無限の空間に影響を与えることのないように、生きとし生けるものの行為が、心を超越した神に影響を与えることはない。」

 

質問者

「すべては神の意志で起こるのでしょうか?」

 

マハルシ

「全能である神の命令にさからって何かを為すことは誰にもできない。

それゆえ、すべての苦悩の源である、邪悪で不完全な、人を惑わす心を棄て去り、神の御足元に沈黙の内にとどまることが最善である。」

 

質問者

「徳行に報い罪業を罰す、イーシュワラ神(人格神)というひとつの独立した存在があるのでしょうか?

神は存在するのでしょうか?」

 

マハルシ

「そうだ。」

 

質問者

「彼はどのような存在なのですか?」

 

マハルシ

「イーシュワラは心と身体のなかに、いずれは滅びゆく個体性をもっている。

だが、それと同時に、彼は超越意識と解脱を内に秘めている。

宇宙の至高の創造者であるイーシュワラ、人格神は本当に存在している。

だがこれは、まだ真理を実現せず、個我の実在性を信じている人びとの相対的な見地から見たときに限った真実である。

賢者の絶対的な見地からすれば、無形の一者である、個我を超えた真我以外には、他のどんな存在もありえない。

イーシュワラは物理的身体、名前と形をもっている。

だが、それはこの物理的身体ほど粗大なものではない。

それは幻想のなかで帰依者によって思い描かれた姿で見られる。

神の名前と形は数多くさまざまであり、それぞれの宗教によって異なっている。

彼の本質は、われわれの本質と同じ無形の一者の真我である。

それゆえ、彼がとる姿はただの想像あるいは現れにすぎない。

イーシュワラは宇宙の至るところに存在するすべての人、すべてのもののなかに内在している。

すべてのものとすべての生けるものの総体が神を成しているのである。」

 

質問者

「それでは、究極的にはイーシュワラは実在ではないのですね?」

 

マハルシ

「イーシュワラの存在は、われわれがもつイーシュワラの概念の結果である。

まず、イーシュワラが誰の概念なのかを知ろうではないか。

概念はそれを考えだした人によって生じる。

あなたが誰なのかを見いだしなさい。

そうすれば他の問題はひとりでに解決するだろう。

イーシュワラ、神、創造者、人格神は消え去るべき最後の非実在の姿である。

唯一、絶対的存在のみが実在である。

それゆえ、世界だけではなく、自我だけではなく、人格神もまた非実在なのである。

われわれはまさしく絶対なるものを見いださなければならない。」

 

質問者

「あなたは最高位の神さえも、ひとつの概念にすぎないと言われます。

それはつまり、神は存在しないということでしょうか?」

 

マハルシ

「いいや。イーシュワラは存在している。」

 

質問者

「彼はある特定の場所に、特定の姿で存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「もし個人が姿をもっているなら、主である真我、源でさえひとつの姿をもって現れるだろう。

神は、長期の瞑想のなかで帰依者によって繰り返し思い描かれたいかなる姿もとる。

このように、神は無数の名前を受け入れるが、真の無形の意識だけが本当の神である。

神の住みかについてだが、彼はハート以外のどこにも住むことはできない。

自我によって生まれた「私は身体だ」という観念のために、神の王国はどこか他にあると思われている。

ハートこそが神の王国だと知りなさい。

あなたは、神の王国の存在を可能にするだけでなく、それを何か素晴らしい天国のように見せる完全な光輝であるということを知りなさい。

ただこれを知ることだけがジニャーニである。

それゆえ、神の王国はあなたの内側にある。

心が完全に没入した状態にある高度に成熟した探究者のハートのなかで、突如として、あふれんばかりに輝きだすトゥリーヤーティータ(四つの状態を超えた、つまり真我)の無限の空間、今まで知らなかったような新鮮な体験、それはごくまれにしか到達されることのない、真我の光に輝くシヴァ・ローカ(神の王国)である。」

 

質問者

ジーヴァ(個人)は限定された視野と知識といった邪悪な幻想の影響の支配下にあると言われています。

その反対に、イーシュワラはすべてを包括する視野と知識をもっています。

また、個人が限定された視野と知識を放棄すれば、ジーヴァとイーシュワラは同一化するとも言われます。

もしそうだとすれば、イーシュワラもまたすべてを包括する視野と知識を放棄すべきではないでしょうか?

それらもまた幻想なのではないでしょうか?」

 

マハルシ

「それがあなたの疑いなのかね?

まず自分の限定された視野を放棄しなさい。

そのあとで、すべてを包括するイーシュワラの視野と知識についてじゅうぶん考える時間があるだろう。

まず自分の限定された知識を取り除きなさい。

なぜイーシュワラについて心配するのかね?

彼が彼自身の面倒を見るだろう。

われわれがもっている能力と同じだけイーシュワラももっているのではないかね?

なぜわれわれが、イーシュワラがすべてを包括する視野と知識をもっているかどうかを気に病むのだろうか?

もしわれわれが自分自身の面倒を見ることができるなら、それ以上のことはない。」

 

質問者

「しかし、神はすべてを知っているのでしょうか?」

 

マハルシ

「『ヴェーダ』は神が全知全能だと述べている。

だがそれは、無知ゆえに自分が知識をもたないと考えている人たちだけに向けられた言葉なのだ。

だが、もし人が真実ありのままの神を知ったなら、神が何も知らないことを悟るだろう。

なぜなら、彼の本性は永遠なる実在の全体であり、その他に知られるべきものは何ひとつ存在しないからである。」』

(「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 デーヴィッド・ゴッドマン

 

 

 

 

愛着なく 憎悪もなく

その仕事に執着せず

その報果(むくい)も求めない行為ーー

これはサットワの行為である

 

自分の欲望を満たすもの

また 利己心 我執にもとづき

大いに努力し 苦労してする行為は

ラジャスの行為である

 

聖典の教えを無視し

自分の将来のことや他者の迷惑も考えず

気ままに または暴力的にする行為ーー

こんな行為はタマスである

  (バガヴァッド・ギーター第18章23-25)

 

 

 

 

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