永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?-真我探究の道(16)

今回の記事では、前回の記事の内容を更に詳しく見て行きたいと思います。

 

睡眠中、熟睡の状態にある時、感情や思考は起こらず(心は消え)、肉体感覚も消え、「わたしは存在している」という存在感も消滅していることから、「わたし」(自我とされているモノ)は完全に消滅している、と言えます。

そして、同時に、世界(世の中)も消滅していますが、目が覚めると同時に、「わたし」は目覚め、世界も現れます。

(それは、観察者としての「わたし」が目覚めるからで、こうして、観察者である「わたし」と観察される「世界」である二元世界が現われます(生じます))

これが、毎日、私たちに無意識に(自動的に)起きていることですが、寝ている間、「わたし」は消えているにも拘わらず、肉体は存在しています。

呼吸が行われて、肺が動き、心臓も鼓動し、血液は体中を巡り、夢を見ている間は眼球も動き、その他の内臓器官もペースは違えど、絶えず動いています。

しかし、これらを動かしているのは、「わたし」でないことは明らかです。

もし、「わたし」が肉体を維持している主人ならば、その「わたし」が消えれば、肉体も消滅するはずですが、そういうことは起こりませんし、その他の内臓器官も「わたし」の意志で動いている訳ではないことは、人間なら誰でも知っています。

と言うことは、寝ている間、「わたし」が消滅している間に、消滅している「わたし」とは別に、肉体を維持している存在(何か)が存在している、ということになります。

これは、譬えで考えると理解しやすいと思いますので、譬えを使って説明したいと思います。

 

電気は、電力というエネルギーとして、パソコン、洗濯機、冷蔵庫、照明、電車、エアコン。。と様々なものに使われ働いています。

同じことが私たちにも起きていて、シャクティ(宇宙の力)と呼ばれている力が、私たちが人間として機能するためのエネルギー(プラーナ)として働いています。

自我はこの力を自分の力だと勘違いしていますが、それはまるで、パソコンがパソコンが働くのは自分の力であり、パソコンの働きを自分の働きだと思っている、という構図と同じです。
パソコン自体は何もしていないにも拘わらず、パソコンが自分の力で働いているかのように思ってしまうということが、自我にも起きており、これは完全に脳に起きている「錯覚」と言えます。

感覚知覚器官を通して得られた情報が脳に到達し、それらの情報が脳で再構築される過程で、「存在している」「生きている」という感覚(実在感)が脳に生じるため、脳の中で、その”感覚を感じている主体”であり、”生きて存在している主体”としての「わたし」が作り出され、まるで、その「わたし」が実在しているかのような「錯覚」(勘違い)が脳に生じてしまうのです。

こうして、肉体に生じている感覚(実際には、脳で生じている感覚ですが)が「自分が存在している」という「勘違い」を生み出し、「自我」という「幻想のわたし」を形成する基盤となっているため、「存在しているのはわたしだ」という想い(勘違い)が消滅することは、通常は起こりません。

この脳に生じる「錯覚」から起こる「勘違い」が、自我である「幻想のわたし」の正体と言うことになりますが、「わたしが存在している」というこの「勘違い」を、シュリ・ラマナ・マハルシは「肉体との誤った同一視」と表現しています。


パソコンを動かしているのは、電気で、電気が無ければ、パソコンはパソコンであることができないのと同様、シャクティが無ければ、私たちは私たちであることはできません。
パソコンの電源が抜かれて電気が来なくなると、パソコンが機能しなくなるように、源のエネルギーであるシャクティ(の流れ)が停止すると、肉体にあるすべての機能が停止し、「錯覚」である自我は消滅します。
これが、所謂、"個人の死"と呼ばれているものです。


全宇宙が絶えず動いていることは、誰もが知っている事実ですが、この宇宙全体を動かしている絶大なエネルギー、それが私たちをも動かしていることは言うまでもなく、その力(シャクティ)は、常に形を変え、一瞬も留まることなく、動きや働きを生んでいます。

この宇宙には、この永遠に在り続ける力以外は存在せず、私たち人間を含めたこの宇宙のすべての存在に実際に働いているのは、この一つなる力(シャクティ)であり、すべての存在に内在し、この宇宙を形作っているのは、一つなるエネルギー(プラーナ)だけなのです。

そして、コレこそが、ナーナ先生が、シャクティ・プラーナを通して明らかにして下さった私たちの真の本性なのです。

「神」でも「アートマン」でも、呼称が何であれ、コレはひとつしか存在しません。

わたしもあなたもコレですし、この宇宙にコレでないモノは存在せず、コレだけが、この宇宙における真の実在です。

 

この真の実在である「真我=アートマン」と「幻想であるわたし」は、1mmも離れていないにも拘わらず、「幻想であるわたし」がこの肉体の維持者だという想いが生じている限りは、この「幻想のわたし」は消えることは無いでしょう、また、真の実在である「真我=アートマン」が顕わになることも無いでしょう。

しかし、ナーナ先生のシャクティ・プラーナの御力は、その「幻想のわたし」を無理なく消滅させ、真の自己である「真我=アートマン」が顕わになる方向へと私たちを誘ってくれます。

それは、紛れもなく、「恩寵」であり、この宇宙の最奥の神秘が明らかになる至福のプロセスなのです。

 

これまで、言葉で説明する限界を感じながらも、約3年間、私たちの真の本性である真我(アートマン=神)について、聖者と呼ばれている方々の御言葉をご紹介しながら、いろいろな角度から綴ってきましたが、実際には、真我は言葉で語ることも、ましてや言葉や知識を通して識ることは不可能です。

自己の真の本性が明らかになるには、ダイレクトな直接体験以外にはあり得ないとの想いから、このブログは今回をもちまして、しばらくお休みさせて頂くことにしました。 

今まで、このブログを訪れて下さり、ありがとうございました。

(ナーナ先生のサットサンガやマインドフルネス瞑想会(在宅参加を含む)は、継続して開催しておりますので、真の自己の探究に興味がある方は、記事の最後にナーナ先生のHPのURLを記載しておりますので、HPの申し込みフォームより、ナーナ先生に直接お申込み下さい)

 

それでは、最終回となりますが、シュリ・ラマナ・マハルシの遺された御言葉より、私たちの真の本性である「真我=アートマン」について更に理解を深めるために、前回の続きをご紹介したいと思います。

 

 

『質問者

「なぜ、宗教は神や天国や地獄などについて語るのでしょうか?」

 

マハルシ

「ただ人びとに、それらがこの世界と同程度のものであり、そしてただ真我だけが実在だということを気づかせるためである。

宗教は真理の探究者の見地にしたがって現れる。」

 

質問者

「ヴィシュヌ、シヴァなどの神々は存在するのでしょうか?」

 

マハルシ

「存在するものとして知られているのは人間だけではない。」

 

質問者

「では、神々の聖地カイラーサやヴァイクンタは実在するのでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたがこの身体のなかにいるのと同じようにそれらは実在である。」

 

質問者

「彼らは私の身体のように、現象的存在を所有しているのでしょうか?

あるいは、彼らは野ウサギの角のように作り話にすぎないのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼らは確かに存在している。」

 

質問者

「もしそうであれば、彼らはどこかにいるはずです。

どこにいるのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼らをみたことのある人びとは、彼らがどこかに存在していると言っている。

それゆえ、われわれはその言葉を信じなければならない。」

 

質問者

「どこに存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたのなかに。」

 

質問者

「では、それは私が創造し、支配できるただの観念なのでしょうか?」

 

マハルシ

「すべてがそのようなものなのだ。」

 

質問者

「しかし、野ウサギの角のようなまったくの虚構や、部分的には真実である蜃気楼のようなものなら想像で作りだすこともできます。

それにもかかわらず、私の想像力と関わりのない事実もまた存在するのです。

イーシュワラ神やシヴァ神はそのように存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「そうだ。」

 

質問者

「神はプララヤ(宇宙的崩壊)を被るのでしょうか?」

 

マハルシ

「どうしてかね?

真我に気づいている人は宇宙の崩壊をも超越して解脱を得る。

ならば、なぜはるかに賢く能力をもったイーシュワラにそうできないことがあろう?」

 

質問者

「デーヴァ(天使)たちやピサーチャ(悪魔)たちも同じように存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「そのとおりだ。」

 

質問者

「神々は真我との関係のなかでどのような位置を占めているのでしょうか?」

 

マハルシ

「シヴァやガナパティやブラフマンのような他の神々は、人間の視点から見れば存在している。

つまり、あなたが個人的な自己を実在だと考えるなら、神々も存在する。

ちょうど政府の行政運営のために高官がいるように、創造者がいるのである。

だが、真我の見地からすれば、これらの神々はすべて幻想であり、神々自身が実在のなかに溶け去らなければならないのである。」

 

質問者

「いつであれ私が名前と形をもった神を礼拝すると、自分が無限の神を限定し、無形の神に形を与えていると考えてしまいます。

それと同時に、形のない神を礼拝することに一途に専心できないとも感じているのです。」

 

マハルシ

「あなた自身、名前を呼ばれてそれに応じるのである。

ならば、名前と形をもつ神を礼拝することに反対する理由がどこにあるだろうか?

あなたが誰なのかを知るまでは、形をもとうともつまいと、神を礼拝するがいい。」

 

質問者

「人格神を信じることが私にとって困難なことだとわかりました。

実を言えば、まったく不可能です。

しかし世界を支配し、導く、聖なる力である非人格神を信じることならできます。

そして、もしこの信頼が増せば、私の治療の仕事にもたいへんな助けとなるでしょう。

どうすればこの信頼を増すことができるか教えていただけますか?」

 

マハルシ

「信頼とは未知なるものを信じることである。

だが、真我はおのずと明らかである。

もっとも尊大な利己主義者でさえ、彼自身の存在は否定できない。

つまり真我を否定することはできないということである。

あなたは究極の真理をどんな名前で呼ぶこともできる。

そしてあなたは、その真理を信じている、あるいは愛していると言うこともできる。

だが、自分の存在を信じない人、あるいは自分自身を愛さない人がはたしているだろうか?

なぜなら、信じることや愛することがわれわれの真の本性だからである。」

 

質問者

「私は神についてのどんな観念も抱くべきではないのでしょうか?」

 

マハルシ

「ハートのなかに他の想念が存在する間は、神についての想念も存在できる。

すべての想念の破壊によって神の想念も破壊された状態が、無念無想の想念であり、それこそが神の真の想念である。」

 

質問者

「すべては神のなせるわざではないのでしょうか?」

 

マハルシ

「欲望も決意も努力もなしに太陽は昇る。

太陽がただそこに存在するだけで、日長石は火を発し、蓮の花は開き、水は蒸発していく。

磁力が存在することによって磁石の針が動くように、人びとが三つの宇宙的機能(創造、維持、破壊)や五つの神聖な活動(「ヴェーダの学習、祖霊への食物の供養、ホーマの献火、すべての生き物への食物の供養、人間への供養」に支配され、それぞれのカルマにしたがって行為し、そして休息するのは、ただ神が存在するという美徳によるものである。

神は何の決意も持たず、いかなるカルマも彼に属さない。

それは、世間の行為が太陽に影響をあたえず、すべてに遍在するエーテルが他の四元素の長所や短所に影響されないのと同じである。」

 

質問者

「解脱とは何でしょうか?」

 

マハルシ

「束縛されている自己の本性を探究すること、その真の本性を悟ることが解脱である。」

(「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 デーヴィッド・ゴッドマン

 

 

この肉体でも、感情でも、思考でもなく、すべてを超越して永遠に在り続ける実在そのものである真我(アートマン)、在って在るモノ(YHWH)こそが、わたしたちの真の本性である「真の自己」です。

そして、この「真の自己」が明らかになることが、真我実現であり、「わたしは誰か?」という問いへの答えなのです。

 

 

 

我執 私心なく しかも

確信をもって 熱心に仕事をして

成功にも失敗にも心を動揺させない

そのような行為者はサットワである

 

仕事とその結果に執着して

成功に憧れ 貪欲不純で嫉妬心強く

成功に狂喜し 失敗に絶望する者は

ラジャスの行為者である

 

節度なく 俗悪野卑で

頑迷で よく人を欺(だま)し

態度が横柄 尊大で 怠惰な者

このような行為者はタマスである

  (バガヴァッド・ギーター第18章26-28)

 

 

 

 

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