永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?-真我探究の道(14)

これまでの記事にも書きましたが、クンダリニーシャクティが、初めて目覚めた後は、目には見えない存在である「神」を、実在感を持った存在として感じるようになり、神の存在そのものは、わたしの中では、揺るぎない事実となりましたが、しかし、それでも尚、「神」と「わたし」は依然として分離した状態にありました。

クンダリニーシャクティが目覚めるという体験を通して、「神」をそれまでよりもずっと近しい存在として感じるようになったとは言え、それではまだ充分ではなく、「わたしは誰か?」という究極的な問いへの答えを掴むまでには至りませんでした。

「神」が存在することは明白でしたが、「神」が具体的にどのような形で存在するのか?、また、人間とどのような関りがあるのか?までは、依然としてわからないままでした。

しかし、ナーナ先生に出会い、ナーナ先生のシャクティ・プラーナの御力のお陰で、ナーナ先生のシャクティに触れた瞬間に、一瞬にして、「わたし」は微細な粒子(エネルギー)となり、全体なるエネルギーに溶け去りました。

「わたし」は消えましたが、しかし、何もかもが消滅した訳ではなく、「ソレ」は確かに、在りました。

その時、初めて「わたしは誰か?」という問いに対する答えが、明らかになったのでした。

その後、自分に起きたことに対して、エゴが(知識で)理解するには、それなりの時間が必要でした。

しかし、このことだけは、直ぐにハッキリとしたのでした。

 

神は実在するのか? - YES! しかも、思いもしない形で!

 

それが、同時に、「わたしは誰か?」という問いに対する答えなのです。

 

「わたしは誰か?」ということが明らかになると、同時に、「神とはどんな存在なのか?」ということが明らかになります。

 

本当に実在するのは、「神」だけであり、この宇宙には、「ただ在るが在るだけ」なのです。

 

実在する神について言葉で語ることは、本当は不可能であり、個々人が、それぞれに直接体験を通して識っていくしかないのですが、シュリー・ラマナ・マハルシが語って下さっている御言葉が、とても分かり易く、すべてを語って下さっていると思われますので、ご紹介させて頂きます。

 

 

『質問者

「神は顕現と非顕現として描写されています。

前者としては、神は世界をその一部として包含していると言われています。

もしもそうであるなら、世界の一部としての私たちは、彼を目に見える姿で知っているはずです。」

 

マハルシ

「彼の世界の本質について決める前に、あなた自身を知りなさい。」

 

質問者

「私自身を知ることが、神を知ることなのでしょうか?」

 

マハルシ

「そうだ。神はあなたの中にいる。」

 

質問者

「それでは、私自身あるいは神を知る上で障害となるのは何でしょうか?」

 

マハルシ

「あなたのさ迷う心と、道を踏みはずすことである。」

 

質問者

「神は個人なのですか?」

 

マハルシ

「そうだ。

彼はつねに第一番目の人であり、「私」であり、永遠にあなたの目の前に存在する人である。

あなたが世俗的なことに優位を与えてきたため、神は背後に遠のいてしまった。

もしあなたが神のみを求め、それ以外すべてをあきらめるなら、唯一神のみが「私」、真我として残るだろう。」

 

質問者

「神と真我は別のものなのでしょうか?」

 

マハルシ

「真我は神である。

「私は在る」(I AM)が神である。

あなたが自我にしがみついているため、このような質問が起こる。

もしあなたが真我をとらえれば、質問は起こらないだろう。

なぜなら、真我は何も問わないだろうし、問いようがないからである。

もし神が真我から分離しているとしたら、その神は真我のない神であり、それはありえない。

存在していないかのように見える神だけが真に存在し、存在しているかのように見える個人はけっして存在しない。

だからこそ、「自分が存在していない」(シューンシャ)ことを知っている状態だけが、栄光ある至高の知識である」と聖者たちは言うのである。

現在のあなたは自分を個人だと考え、そして宇宙が存在し、宇宙の彼方に神がいると考えている。

そのため、そこには分離という観念がある。

この観念が去らなければならない。

なぜなら、神はあなたからも宇宙からも分離していないからである。

『ギーター』もこう言っている。

アルジュナよ、

私は万物のハートに宿る真我である。

私は万物の原初であり、中間であり、終末である。

(『バガヴァッド・ギーター』第10章20節)

このように、神はただすべての生けるもののハートのなかにいるだけではなく、彼はすべての支柱であり、すべての源であり、すべての生けるものの住まう場であり、彼らの終着点でもある。

すべてが彼から存在を現わし、彼のなかに生き、ついには彼のなかに溶け去る。

それゆえ、彼は分離していないのである。」

 

質問者

「『ギーター』のなかの一節に、「この宇宙全体は私の小片である」とあります。

これはどう理解すればよいでしょうか?」

 

マハルシ

「神の小さな一部分が分離して、それが宇宙を形成しているという意味ではない。

彼のシャクティ(力)は活動している。

その力による活動の相のひとつの結果として宇宙が姿を現したのである。

同じように、『プルシャ・スークタ』のなかには、「すべての生けるものが神の御足の片方を形作っている」と述べているが、それはブラフマンがいくつかの部分に分かれているという意味ではない。」

 

質問者

「それは理解できます。

ブラフマンは間違いなく分割できるものではありません。」

 

マハルシ

「それゆえ、ブラフマンはすべてであり、分割不可能である。

それはつねに明らかである。

だが、人びとはこのことに気づいていない。

彼はこのことを知らなければならない。

真我がブラフマンという永遠の啓示を防げる障害を克服すること、それが知識である。

その障害はあなたがひとりの個人として分離しているという概念から成っている。」

 

質問者

「神と真我は同じものでしょうか?」

 

マハルシ

「誰もが真我を知っている。

だが、明確には知られていない。

あなたはつねに存在している。

その「在ること」が真我である。

「私は在る(I AM)が神の名前である。

神を定義した言葉のなかで、(旧約聖書)の出エジプト記第3章14節にある「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)ほど、ふさわしい言葉はない。

他にも「ブラフマイヴァーハム」(ブラフマンは私である)、「アハム・ブラフマースミ」(私はブラフマンである)、「ソーハム」(私は彼である)という言葉がある。

だが、「私は在る」(I AM)を意味するエホヴァという名前ほど、直接的に表現したものはないだろう。

絶対的存在とは、ただ在るものである。

それが真我である。

それが神である。

真我を知れば神を知る。

実際、神は真我以外の何ものでもない。」

 (「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 デーヴィッド・ゴッドマン

 

 

 

物質自然(プラクリティ)の性質(グナ)の相違により

知識と 知識の対象と そして

行為をなす者とに三種ある

これについてわたしの言葉を聞け

 

あらゆる存在のなかに

不滅の一者が実在することを知り

無数の異なる形に分かれているなかに

分割し得ない一者を見る知識はサットワである

 

形の違うもの 分かれているものは

それぞれにまったく別の存在であると

差別面だけしか見ない考えは

ラジャスの知識である

 

まったくの真理や哲学に無関心で

一つのことをすべてだと思って盲目的に固執

偏狭で無味乾燥な考えーー

これをタマスの知識と言う

  (バガヴァッド・ギーター第18章19-22)

 

 

 

 

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