「神」についての理解
前回の記事「神秘へ至る道」の中で、二つの言葉が出てきました。
それは、「神」と「エゴ」(自我)です。
神秘へと至る道の途中には、エゴ(自我)という名の扉があって、その扉の向こうに行かなれば、神秘の領域には入って行くことはできない、と書きました。
そして、その扉を開けることができる鍵を握っているのは、「神」であると。
私たちが、自分たちが望むように、スンナリと神秘の領域に入って行くことができないのは、まずは、「エゴ」という扉が邪魔をしているからだということがわかります。
それから、その「エゴ」という扉の向こうに行こうとするには、「神」の許可が必要である、ということになります。
それもそのはず。
神秘の領域は、「神」の領域であり、「人間」が入って行くことができないのは、当たり前と言えば、当たり前です。
それでは、まずは、「神」について、少し考えてみましょう。
神秘の領域に踏み込んで行くためには、「エゴ」と「神」をきちんと理解する必要がありそうです。
その性質をよく知り、理解することで、何故、その扉が開かれないのか?を理解することができます。
そして、その次には、どうしたら、その扉を開けてもらい、その扉の向こうに行くことができるか?についての智慧を持つことができるかもしれません。
何事も、何もしなければ、そのままですが、やれることをやってみて、結果を待つ方が、何もしないよりは、現状を打破できる確率が高くなります。
棚から牡丹餅は期待しても、起こらないでしょう。
何もトライしないままでいるなら、扉の手前で門前払いを受けるだけで、探求はそこで敢え無く終わってしまうことでしょう。
それでいいというのなら、それはそれでよいのですが、
結果を憂うことなく、トライしてみようという気持ちが、突破口を見い出すということもまた真です。
そのためには、何としてでも扉の向こうに行きたい、という強い気持ちが大切です。
まずは、「神」から考えてみましょう。
生まれてからこのかた「神」という言葉を聞いたことがない人はいないことでしょう。
しかし、「神」について詳しく知っていると自負できる人は、滅多にいないと思われます。
そして、現代は、科学が「神」に取って代わった時代であり、無神論者も多い世の中となっているように感じています。
そして、「神」という言葉は聞いたことがあるけれど、「神」について考えたこともないし、興味もない、という人も多いかと思います。
あなたにとって、「神」とはどのようなイメージですか?
何でも善いので、イメージしてみて下さい。
具体的な神さまの名前が、頭に浮かぶ人もいることでしょう。
その人が抱く具体的な「神」のイメージは、神秘の領域に入っていくためには、とても重要です。
「神」に神秘への扉を開けて頂き、「神」の領域に入って行くには、「神」について正しく理解する必要があるのは、少し考えれば、当たり前のことだということが、わかると思います。
神さまは、あなたにとって、どんな存在ですか?
『お前さんたち、遠いところから苦労して此処へやってくるが、神様を探して歩いているのかい?
大方の人は庭を眺めて満足しているだけで、庭の造り主のことを聞くのはほんの一人、二人だ。
この宇宙の美しさがわかっても、その造り主を探そうとしない。』
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
あなたは至高のブラフマン 無上の安息所
そしてすべてを浄化する御方
永遠至聖にして不生無始
全宇宙に遍在する元始の神
(バガヴァッド・ギーター第10章12)