永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-realization)(6)

これまでの記事で、「人の本性は、アートマンであり、ブラフマンである」ということを書きましたが、たとえ、それが体験を伴わない知識のみの理解であっても、このことを否定感なく理解することは、それほど難しくはないでしょう。

「私は、~である」という自己を肯定する観念は、「私は、~ではない」という否定に基づく観念よりも、エゴにとっては、受け入れやすいと言え、それまで当たり前だと思って、その正誤を疑ったことのない観念に対する否定を受け入れることは、エゴにとっては、とても難しいことでしょう。

 

しかし、別の観点から見ると、これが、二元(ドヴァイタ=デュアルティ)から、一元(アドヴァイタ=ノン・デュアルティ)に、無理なくスムーズに移行できるか?どうか?の、分岐点と言うことができます。

 

エゴという視点から世界を眺めると、どうしても「私 対 世界」という主体と客体の分離が生じてしまいます。

「主体なるわたし」が消えた時に、宇宙の実相である一元宇宙への理解が起こります。

「私 = 世界」というのが、非二元、不二一元であり、この究極の真理に到達することを、ヨーガ(統一)と言うのです。

 

私たち人間が、自分自身の真の姿や宇宙の実相を知らずに、生と死を繰り返しているのは、神の惑わしの力(マーヤ)が働いているからですが、しかし、このマーヤは消滅することがあります。

マーヤが完全に消滅するまでには、人はいくつかの門を潜り抜けて行く必要がありますが、マーヤが消滅すると、完全なる智識がやって来て、個は、自分を縛り付けていた束縛から解放され、本来の自己を思い出し、マーヤの力を客観的に眺められるようになります。

 

そのためには、先ずは、マーヤの性質を知ることが必要不可欠です。

知ることで智慧がもたらされ、その智慧によって、次第に、マーヤの力で催眠術に陥っている真の自己が、完全に目覚める方向へと促されることでしょう。

 

個人にかけられているマーヤの力を消滅させることができるのは、自分自身やこの世の仕組みへの深い理解だけです。

 

そのヒントを、スワミ・シヴァナンダが語って下さっていますので、ご紹介したいと思います。

 

 

Maya and Mind(マーヤとマインド:幻妄の力と心)

 

実在においては、二元性は無い。

すべての部分的な違いは、錯覚であり、多様性は、幻想である。

マーヤは分離を投影し、個人の魂と至高の魂との間に分離を造り出す。

マーヤは、人を誤らせる神の巨大な力である。

マーヤは、この世の物質的な要素であり、物理的宇宙の源である。

名前と形のこの世は、マーヤという手品によって継続される誤った劇である。

片端で火が燃えている棒が、素早く振り回されると、火が回転しているような幻想を生み出すように、言葉の多様性をもってして、マーヤは私たちを惑わす。

マーヤは、心を大混乱させる。

私たちが周りで知覚するものは、形、或いは物質の姿をした単なるマインド(心)なのだ。

世界は、心の産物である。

全世界は、心の拡大である。

全宇宙は、心の中に発生し、存在する。

世界のどんなものも、心の外には無い。

地球、山々、川――すべては心の断片であり、あたかも外側に存在するかのように見えるだけである。

世界は、それ自身の力で存在しているのではなく、心の助けなしには、見られることはなく、心が機能しなくなれば、消滅する。

時間、空間、動きという形を事実だと考えるのは、想像力だけである。

空間と時間は、ブラフマンである真の自己から独立した状態を持ってはいない、これが気づきである。

時間のない空間はない、そして空間のない時間もない。

空間と時間は、相伴う。

空間と時間は、相互依存しており、非実在である。

時間と空間は、心理的な創造である。

時間と空間は、心の投影であり、夢のように非実在である。

それらがいくら実在のように見えても、究極的には、実在ではない。

時間の無い、空間の無いブラフマンが、唯一の実在なのだ。

ブラフマンだけが存在する。

水を多種類の泡や気泡に分化させる波のように、多様な対象物の世界として輝いているのは、ブラフマンである。

ブラフマンは、心と感覚を通して認識される時、世界として顕れるのである。

 (Bliss Divine by Swami Sivanannda)

 

 

スワミ・シヴァナンダも、ハッキリと仰っていますが、私たち人間が、五感を通して認識しているすべては、マインド(心)の中だけにあるのです。

(言い換えれば、マーヤの力は、マインド(心)にだけ影響を与えていると言えます)

つまりこの物質宇宙であるこの世は、感覚を伴った夢のようなものと言えるのです。

この世は、本当には、実在ではないのですが、マーヤという幻妄の力のせいで、私たち人間の共通の認識では、非実在が実在であり、真の実在は、五感で捉えることができないために、非実在となってしまっている、ということなのです。

(深い睡眠中は、マインド(心)が機能していないために、”わたし”も”世界”も消えていますので、この世界が存在するためには、人間のマインド(心)が必要不可欠だと言うことになります。

つまり、私たちが認識している世界は、マインド(心)が見ている夢と言うこともできるわけです。

また、マインド(心)が機能していない時であっても、ブラフマンである神は、実在していますので、マインド(心)が再び機能し始めると、マーヤの力によって世界は再び現れ、マインド(心)は、現実という夢を見続ける、ということになります。)

パソコンが、パソコンとして機能するためには、電源から電気というエネルギーが供給される必要があります。(この場合の電源は、電気を生産する発電所になります)

これと同じことが、私たち人間にも起きています。

私たち人間が、人間として機能するためには、命の源から(生命)エネルギーが供給される必要があります。

私たち人間は、この(生命)エネルギーなしには、一秒たりとも生きていることはできません。

そして、この(生命)エネルギーの供給源であるすべての存在の源が、ブラフマン、神であると言うことになります。

そして、この宇宙には、コレだけが実在として存在する、というのが、真実なのです。

 

このことを真に理解できれば、人間にとって、これ以上知るべきことは何もありません。

これが、ヨーガや瞑想の究極的なゴールである、と言っても過言ではありません。

また、これは、同時に、哲学的な思索テーマである”わたしは誰か?”の答えでもあります。

マーヤが消滅し、わたしが、世界が、宇宙が、幻想の彼方に消え失せた時、すべてが明らかになります。

ここに至って、人はやっと、長い長い魂の旅を終えることができるのです。

それまでは、少しずつでも良いので、心をサットヴァ(善性優位)にするためにも、究極を悟った人(聖人)の御言葉を真摯に辿り、ブッディ(理性)を正すことが、生命として究極のゴールに向かって進んでいる魂の旅路の短縮につながりますので、今は100%理解できなくても、種子として心の片隅に置いておくことが大切で、やがて、その種子は、時が来れば、芽を出すことになるでしょう。

己の内側にこの種子を宿し、その種子が芽を出すという一連のプロセスは、エゴ・マインドにはわかりませんが、マーヤの力によって顕れた自然界における、個人に起こるダルマ(法則)に則った全自動の宇宙の流れであり、魂の旅の最終ステージに向けての前準備と言えるでしょう。

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham!

 

 

 

☆ナーナ先生によるプラナーナ瞑想会
           (オンライン)のお知らせ☆

 

※瞑想会の詳細(日程など)は、コチラ↓をご覧下さい。

Pranahna Official HP 〜 真我が目覚めるとき 〜 | Pranahna Official HP 〜 真我が目覚めるとき 〜


オンライン「プラナーナ瞑想会」
意識の変容を促す恩寵のエネルギープラナーナによる直接体験会

[事前に準備して頂くこと]
パソコン、タブレットスマホのいずれかをご用意いただき、zoomのダウンロード(無料)をお願いします。
お申し込み後に詳細を返信いたします。
関屋ニルバーナ瞑想センターのHP[オンライン瞑想会]からもご覧いただけます。 http://nirvana.777org/

*****************************

オンライン「プラナーナ瞑想会」
[昼のクラス]14:00~15:30
[夜のクラス]20:00~21:30
初心者、経験者どなたでも参加できます。
瞑想を深めるための大切な準備と瞑想を30分おこないます。
参加費1回3000円
☆お得な5回分前納13000円 参加有効期限60日以内
※瞑想センターで開催される日には使用できません。

 

オンライン「個人セッション」
 プラナーナ瞑想会に3回以上参加された人。
 1時間 15000円 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡<お知らせ>♡♡♡♡♡♡♡♡♡

☆ 【聖なる旅  目的をもって生き 恩寵を受けて逝く】  

  (Parade books) - スワミ ラーマ著(翻訳:羽沼真理世 監修:池田直美) 

  単行本(ソフトカバー) ¥1,728(税込み)

  Amazonで購入できます。