永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(32)「創造」①

これまでの記事で、私たちは、人間としての体験を通して、この世界(宇宙)が存在し、自分自身も○○××という個人として存在していると認識していますが、それが、マーヤ(幻妄の力)という神の魔術的な力が私たち人間に働いているために、脳に一種の「錯覚」が起きているからである、というような趣旨のことを書きましたが、これまでの一般的な世界観、宇宙観に囚われている間は、一元(アドヴァイタ)を理解することは、直ぐには無理でしょう。

 

「ただ至高の一者のみが存在している」

 

この「至高の一者のみ」という所が、二元世界で生きている私たちに、なかなか理解できないと言うことが起きてしまう原因かと思われますが、しかし、究極の真理は、これしかないのです。

 

そのことを体験を通して理解して行くことが求められているのですが、そこに至るまでには、補足的な説明が必要な場合があります。

 

その補足説明も、究極の真理に達した後には、もはや必要ではありません。

 

これは、ヨーガでも、Jnana Yoga(智識の道)ですが、肉体制御のハタ・ヨーガやアシュタンガ・ヨーガに対し、心を制御するヨーガと言えます。

いかなるヨーガ(合一)も、同じ究極の真理に到達します。

 

真理は一つしかありません。

 

そこに到達すると、世界、宇宙、人間、「わたし」という存在への観念が、180度ひっくり返ってしまうことでしょう。

 

ヨーガではありませんが、正に、仏教のお経である「般若心経」において説かれている「顛倒夢想究竟涅槃」(てんどうむそうくぎょうねはん」の意味を深く理解することができることでしょう。(仏教の修養は、ある意味で、「Jnana Yoga」であり、心のヨーガと言えます)

 

前回と同じく、始めに、Swami Sivanandaの「Bliss Divine」からの抜粋と、次に、ラマナ・マハルシが遺された御言葉をご紹介したいと思います。

 

 

Creation(創造)

 

宇宙は、神秘である。

誰も、それがどのように在るようになったのか?を言うことはできない。

あなたは、リグ・ヴェーダの中に「ここにおいては、この雑多な宇宙のすべてが、何処からやって来たのか?を知る人も、述べることができる人もいない。」と書かれているのを見つけることだろう。

宇宙は、神の命令によって、無から創造され、それは大洪水の期間に、再び無になるだろうと考える人がいる。

この創造の独断は、科学者たちによって是認されてはいない。

彼等は、今存在しているモノは、常に存在して来たし、何かの形で常に存在し続けるだろうと、断固として言う。

サーンキャ哲学でも、あなたは、「在るモノは、無いモノから出て来ることはできない」と見つけるだろう。

バガヴァッド・ギーターも言っている“非実在から実在はあり得ないし、現存するモノは、なくならない。両方についての真理は、見る者によって感知されてきた。」

何かは、無から出て来ることはできない。

何かは、何かからのみ出て来ることができる。

草は、地球から出て来て、地球へと吸収される。

そうであるならば、この宇宙もブラフマンから出て来て、ブラフマンに残り、ブラフマンに分解するであろう。

 

 

The Cause of This Universe(この宇宙の原因)

 

初めに、一秒も無く一つであるブラフマンだけが存在している。

闇が闇を覆っている時、存在だけがあった。

ブラフマンの中で、世界が投影される以前に、振動があった。

これは、ブラフマンの意志(Sankalpa)である。

彼は思った(意図した)「私は一つである。私は多くになれ」

この振動は、水に浸された時の地面の中の種子の膨らみに相当する。

その時、全世界は投影された。

普通の下手な魔術師が、マンゴー、フルーツ、お金、甘いモノ、想像上の神殿など、を取り出すことができる時、魔術や黒魔術を通して、彼-全能の支配者は、この意味のない世界を彼自身の遊技場として創造できないだろうか?

王は、彼の宮殿を家具や絵画、骨董品、庭園、噴水などで飾る時、彼は、この世界を美しい風景、輝く太陽や月、星々、大きな河や大海原を備え付けることができないだろうか?

 

 

Nature of the Creative Process(創造のプロセスの性質)

 

この眼に見える世界は、神の魔術である。

この世は、混沌(カオス)ではない。

それは、統制された、神聖な機構である。

世界は、神の幻影である。

ブラフマンは、彼自身のリーラ(戯れ)のために、マーヤ(幻妄の力)という人を惑わす力を通して、この想像もできない宇宙を創造する。

この宇宙の現象は、マーヤ(幻妄の力)と呼ばれる力のせいであり、その力により、絶対者は、それ自身により、それ自身の中で変化することなく、時間と空間によって条件づけられた現象の絶え間なく続く連続性として現れる。

ブラフマンは、この宇宙を、いかなる方法においても影響を受けることなく投影する。

雲から降る雨が、空を湿らすことがないように、絶対者は、絶対者なしに進行する世界のプロセスに影響されることはない。

一つのブラフマンが、彼のシャクティ(力)を通して、すべてこれらの数え切れない名前と形を装い、多くとして、現れることができる。

彼自身においては、何も変化がない。

世界は、ただの顕れである。

ブラフマンは、これらの形を作るために、いかなる指示も手も必要としない。

彼は、純粋意識であり、自ら輝く知性である。

ただ意志を働かせることによって、かれは数知れない世界を生み出すことができる。

種子の潜在力が、木を生み出すように、それと同様、ブラフマンの潜在力(Svabhava)が、この宇宙を生み出す。

投影は存在と共存する。」

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

 

『質問者

「スリシュティ(創造)はどのようにして起こったのでしょうか?

ある者は運命によってだと言い、またある者は神のリーラ(遊戯)あるいは娯楽だと言います。

何が真実なのでしょうか?」

 

マハルシ

聖典のなかにはさまざまな説明が見られる。

だが、どこに創造があるというのだろう?

もしそこに創造があるとするなら、それがどのようにして起こったかが説明されなければならない。

われわれはこれらの理論については何も知らないかもしれないが、われわれが存在することは間違いなく知っている。

まずその「私」を知りなさい。

それから創造があるかどうかを見てみるがいい。」

 

質問者

「シュリー・シャンカラチャーリヤのヴェーダーンタ哲学のなかでは、初心者のために世界の創造の原理が受け入れられていますが、より熟達した探究者には非創造の原理が説かれています。

この問題におけるあなたの見解はどのようなものでしょうか?」

 

マハルシ

「そこには世界の崩壊もなく、束縛された人も霊的修練を積む人もいない。

解脱を求める人も解脱した人もいない。

これが絶対的な真理である」。

このシュローカ(聖典の一節)は『ガウデパーダ・カーリカー』の第二章に見られる。

真我のなかに確立された人は、自らの真理の知識によってこれを知るのである。」

 

質問者

「私たちが見ているこの世界は、真我によって創造されたのではないでしょうか?」

 

マハリシ

「真我自身が多様な名称と形態の世界として現れたのであって、真我が世界の創造、維持、破壊という行為(ニミッタ・カーラナ)をするのではない。

「どうして真我が真実を知らずに混乱して、それ自身を世界として現わしたのか?」と尋ねるよりも、「この混乱は誰にとって起こったのか?」と探求していきなさい。

そうすれば、このような混乱が真我に起こったことはないと知るだろう。」

 

質問者

「どうやら、あなたはアドヴァイタ・ヴェーダンタのアジャータ教義の主唱者のようですね。」

 

マハルシ

「私はアジャータ教義だけを教えてはいない。

私はすべての教義を承認している。

教えを聞く者の許容量にしたがって、同じ真理が異なった方法で表現されなければならない。

アジャータ教義は、「ただひとつの真理だけが存在する。

誕生も死もなく、世界を投影することも、世界から退くこともない。

真理の探究者も、束縛も、解脱もない。

ただ至高の一者だけが存在する」と説く。

この真理を理解することが困難な者たちは「どうして私たちを取り巻くこの堅固な世界を無視することができましょう」と言う。

彼等には夢見の体験が指摘され、「あなたが見ているものすべては見る者に依存している。

見る者なしには見られるものもない」と説かれるのである。

これはドリシュティ-スリシュティ・ヴァーダと呼ばれる。

人はまず自分の心から創造をし、それから心自体が創造したものを見るという理論である。

何人かの人たちはこれさえも理解できず、「夢見の体験はとても短く、一方、世界はつねに存在しています。

夢見の体験は私だけに限定されたものです。

一方、世界は私だけでなく、他の多くの人びとに体験されています。

そのような世界を非実在と呼ぶことはできません」と議論しつづける。

このように議論する人たちにはスリシュティードリシュティの理論が与えられる。

例えば、「まず、神はこれらの要素からこれらのものを創造し、それから何か他のものを創造し、それから。。。」といった説明がなされる。」

この段階にいる人たちは、この説でしか満足できないからである。

さもなければ、彼らの心は飽き足らず、自分自身に問いかけ始める。「どうしてすべての地理や、地図、すべての科学、星や惑星、そしてそれらを支配している法則、そのすべての知識がまったく偽りだと言うのだろう?」。

このような人たちにはこう告げるのが一番である。

「そうだ。神がこれらすべてを創造し、それゆえ、あなたはそれを見ているのだ」と。」

 

質問者

「しかし、これらすべてが真実ではありえないでしょう。

ただひとつの教義だけが真実のはずです。」

 

マハルシ

「これらの理論は学ぶ者の能力に合わせて編み出されたもので、絶対なる真理はただひとつしかない。

ヴェーダーンタは、宇宙は見る者と同時に出現し、創造の過程といったものは存在しないと説く。

これはユガパト-スリシュティ(同時の創造)と言われる。

それは体験の対象が体験者と同時に出現する夢見のなかでの創造とまったく同じである。

多くの人びとは客観的知識に深く根づいているため、これが説明されても満足できない。

彼らはどのようにして突然の創造が可能なのかを見いだそうとする。

原因が結果にしたがうという因果関係があるはずだと彼らは論争する。

つまり彼らは自分たちを取り囲む世界の存在の説明を求めているのである。

そのために、聖典は創造の理論で彼らの好奇心を満たそうとするのである。

このような創造の問題を扱う手段はクラマ-スリシュティと呼ばれる。

だが、真の探究者ならユガパト-スリシュティを進んで受け入れるべきである。」

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

次回に続きます。

 

 

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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(31)「マーヤー」⑥

前回の記事でご紹介しましたSwami Sivanandaのお言葉の中に、

アートマン(真我)の智識(Atman-Jnana)に到達し、マーヤ(幻妄の力)を克服した彼は、何がマーヤ(幻妄の力)であるのかを知り、どのようにそれが発生し、破壊されるのかを知るだけであろう。

マーヤ(幻妄の力)の何故は、あなたがブラフマン智を獲得した時にのみ、理解することができる。』

とありましたが、この「アートマン(真我)の智識(Atman-Jnana)」や「ブラフマン智」とは、どのようなものなのでしょうか?

 

このことを識るだけでも、心の明晰さは増すと思われますので、ここで、改めて、再確認してみましょう。

最終的には、自らの体験を通して、これらの智識(Jnana)を獲得していくことが、Moksha(解脱=解放)へと至る道なのですが、観念的に識っているだけでも、最終的なゴールに至るまでの間、無知と混乱と誤認知を少しでも取り払うための霊性修養を進める上で、大きな助けとなってくれることでしょう。

 

前回と同じように、前半は、スワミ・シヴァナンダの「Waves of Bliss」からの抜粋で、後半は、ラマナ・マハルシのお言葉をご紹介いたします。

 

 

 

Supreme Driver(至高の操縦者)

 

壺や水差しなどがある。

これらすべてを作った陶芸家がいなくてはならない。

椅子やベンチや簡易ベッドがある。

これらすべてを作った大工がいなくてはならない。

エンジンがあり、車がある。

これらを運転する人がいなくてはならない。

容器、薪、お米などがある。

食物を調理できる人がいなくてはならない。

 

この身体というエンジンを操縦するためには、知性のある操縦者がいなくてはならない。

この身体というエンジンの操縦者は、操縦者の中でも最高の操縦者である。

彼は、ブラフマン、神である。

 

生物や木、川や山がある。

これらすべての創造者がいなくてはならない。

その創造者は、あなたのハートの個室に住む全能の神である。

最高の操縦者である彼を知り、常に幸せでいなさい。

 

 

VISHNUMAYAM JAGAT

 

ハリ(ヴィシュヌ神)は、地球、水、火、虚空の中にいる。

ハリは、太陽、月、星々の中にいる。

ハリは、心、プラーナ、感覚の中にいる。

ハリは、花、木、野菜の中にいる。

ハリは、コーヒー、お茶、ココアの中にいる。

ハリの顔は、何処にでも向けられる。

彼は、全宇宙を満たしている。

彼は、内在する存在である。

彼は、世界に住み、そこら中を包み込んでいる。

この全世界は、彼の形であるだけである。

彼は、地球であり、太陽であり、火であり、個の魂である。

すべての形は、ハリの形であるだけである。

それ故、誰をも嫌わず、傷つけてはいけない。

あらゆる処に、彼の存在を感じなさい。

すべての形の中に、彼を見出しなさい。

彼を悟り、常に至福でありなさい。

 

 

ONE ESSENCE(一つの本質)

 

すべての名前と形の背後には、一つの名前の無い、形の無い本質がある。

すべての支配者の背後には、一つの至高の支配者たちの中の支配者がいる。

すべての光の背後には、一つの光の中の光がある。

すべての音の背後には、音の無い至高の静寂がある。

すべての教師の背後には、一人の至高のグルの中のグルがいる。

あなたは、それである。

 

これらすべての腐敗しやすいモノの背後には、腐敗しない絶対者がいる。

これらすべての動きの背後には、一つの動きの無い無限がある。

時間、分、日々の背後には、一つの時間の無い永遠がある。

恐れ、暴動、戦争の背後には、一つの隠された愛がある。

あなたは、それである。

 

 

Brahman only Exists(ブラフマンだけが存在する)

 

マーヤ(幻妄の力)もない。マーヤ(幻妄の力)の活動もない。

幻影もない、魅惑的な世界もない。

エゴもない、チッタ(記憶)もない。

身体もない、カルマもない。

器官もない、視覚もない。

見る者もいない、知る者もいない。

智慧もない、無知もない。

霊的な修行もない、サマディ(三昧)もない。

束縛もない、解放もない。

ただ自在するブラフマンが在るだけである。

 

 

Brahman alone is true(ブラフマンだけが真実である)

 

見られるモノは、全くの偽りである。

聞かれるモノも、また偽りである。

味わわれるモノは、すべて偽りである。

触れられるモノは、全くの偽りである。

楽しまれるモノは、すべて偽りである

考えられるモノは、恐ろしい偽りである。

無色であり、味のない、形のない絶対で純粋な自ら輝くブラフマン

それのみが、真実である。

唯一の生きる実在であり、

生きる真実であり、

唯一の生きている存在である。

これを悟り、永遠に自由になりなさい。

 

 

BRAHMAN AND MAYA(ブラフマンとマーヤ)

 

この世は、非実在であるが、それでも現れている。

それは、幻想のマーヤ(幻妄の力)の結果である。

それは、現れているが、非実在なのである。

マーヤ(幻妄の力)とブラフマンは、同時に存在することはできない。

猫と鼠が、一つの籠の中で居ることができないように、

一つは、去らなくてはならない。

猫と鼠は、正反対のものである。

もしあなたがマーヤ(幻妄の力)を見るならば、ブラフマンを見ることはできない。

もしあなたが、ブラフマンを悟るならば、マーヤ(幻妄の力)は消滅する。

もしあなたが、蛇を見るならば、ロープはない。

もしあなたがロープを見るならば、蛇は消滅する。

マーヤ(幻妄の力)とブラフマンは、正反対の性質を持っている。

ブラフマンは、実在(Sat)、意識(Chit)、至福(Ananda)である。

マーヤ(幻妄の力)は、非実在(Asat)、生命のないもの(Jada)、苦しみ(Duhkha)である。

もし、ゴム製の猫ならば、本物の鼠は、残ることができる。

そして、反対も然りである。

 

 

The World is False(この世界は、偽りである)

 

元素は、偽りである。

この世界は、偽りである。

創造、維持、破壊は、偽りである。

愉しみは偽りであり、束縛も偽りである。

すべての事物は偽りであり、運命も偽りである。

富、家、快楽、痛みも、偽りである。

心と言葉も、偽りである。

神秘な神も、偽りである。

瞑想も、偽りである。

心によって考えられるモノは、偽りである。

触ること、聞くこと、見ること、嗅ぐこと、味わうことは、偽りである。

わたし、あなた、これ、あれは、偽りである。

時は、偽りである。

すべての現われは、偽りである。

ブラフマン、至高の一者だけが、真実である。』

Waves of Bliss by Swami Sivananda)

 

 

 

『質問者

「世界中に災害が蔓延し、飢饉や伝染病などによる荒廃が広まっています。

このような状態の原因は何なのでしょうか?」

 

マハルシ

「これらすべては誰にとって現れたのでしょうか?」

 

質問者

「それは通用しません。

私は苦しみを至るところで見ているのです。」

 

マハルシ

「眠りの中では、あなたは世界とその苦しみに気づいていませんが、今、目覚めの状態の中ではそれを意識しています。

あなたがそれらに悩まされていない状態の中にとどまりなさい。

つまりあなたが世界に気づいていないとき、その苦しみはあなたに影響をあたえないのです。

眠りのときのように、あなたが真我としてとどまるとき、世界とその苦しみはあなたに影響を与えないでしょう。

それゆえ、内面を見なさい。

真我を見なさい!

そのとき、世界とその不幸は終息するでしょう。」

 

質問者

「しかしそれは利己主義です。」

 

マハルシ

「世界は外側にあるのではありません。

あなたが誤って自己と身体と同一視するために、世界を外側に見て、その苦しみが現れるのです。

しかしそれは実在ではありません。

実在を探し出し、この偽りの感覚を払い去りなさい。」

 

質問者

「世界の悲惨な状態を解決することのできない政府高官や偉大な人がいます。」

 

マハルシ

「彼らは自分本位である、それゆえ問題を解決できないのです。

もし彼らが真我の内にとどまるなら、彼らも違っていることでしょう。」

 

質問者

「マハートマーたちはどうして助けないのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼らが助けていないと、どうして知っているのですか?

マハートマーの沈黙は、演説、身体的活動、物質的援助のすべてに勝ります。

彼らは他の誰よりも成果を達成するのです。」

 

質問者

「世界の状況を改善するために、私たちにできることは何でしょうか。」

 

マハルシ

「もしあなたが苦しみから解放されれば、苦しみはどこにもなくなるでしょう。

現在の問題はあなたが世界を外側に見て、そこに苦しみがあると考えるからです。

しかし世界もその苦しみもあなたの中にあるのです。

もしあなたが内側を見れば、苦しみはなくなるでしょう。」

 

質問者

「神は完全です。

それなのに、なぜ神は世界を不完全に創造したのでしょうか?

作品は作者の性質を帯びるものです。

しかし世界に関してはそうではありません。」

 

マハルシ

「その質問をしているのは誰でしょうか?」

 

質問者

「私、つまり個人です。」

 

マハルシ

「この質問をするあなたは神から分離しているでしょうか?

自分自身を身体だと考えているかぎり、あなたは世界を外側に見ます。

そして、それはあなたにとって不完全なものとして現れるでしょう。

神は完全です。

彼の仕事も完全です。

しかし誤った自己同一視ゆえに、あなたは世界を不完全なものと見るのです。」

 

質問者

「なぜ真我はこの悲惨な世界として現れるのでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたに真我を探究させるためです。

あなたの目はそれ自身を見ることができません。

鏡を置いてみなさい。

そうすれば、目はそれ自身を見ることができます。

創造についても同じことなのです。

「まずあなた自身を見なさい。そして全世界を真我として見なさい」

 

質問者

「つまり、常に内側を見るべきだということですね。」

 

マハルシ

「そうです。」

 

質問者

「世界をまったく見るべきではないということでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたは世界に対して目を閉じるようにと言われたわけではありません。

まずあなた自身を見て、それから全世界を真我として見なさい。

もしあなたが自分自身を身体だと考えるなら、世界は外側に現われるでしょう。

もしあなたが真我であるなら、世界はブラフマンとして現れるのです。」』

(ラマナ・マハルシとの対話1)

 

 

次回に続きます。

 

 

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永遠の至福と自己実現(Sefl-Realization)(30)「マーヤー」⑤

ここ数回に渡り、マーヤ(幻妄の力)について、ご紹介しています。

 

人は、生まれてから、時間が経つにつれ、年を取り、やがて死を迎えます。

誕生から死までの期間は、人それぞれであり、その間に体験することも、最後の瞬間に起こることも、人それぞれです。

この一連の流れは、あらゆる生命のある存在に、例外なく働いています。

私たち人間は、この一連の流れを「人生」と呼んでいますが、この地球上に同じ「人生」は、二つとありません。

そして、この「人生」は、自分で作り出しているように感じますが、少なくとも、誕生と死は、(自死でない限り)自分が作り出せるものではないことを知っています。

そして、「人生」においては、自分が想像もしない出来事が起こり、一瞬で「人生」の流れが変わってしまうということも起こります。

それを「運命」と呼ぶ人もいますが、そこに「神の力」を感じる人もいます。

 

マーヤ(幻妄の力)は、宇宙の星々の運行、地球の自然現象、生物の生滅、人間の人生など、ありとあらゆるモノに働いています。

戦争や紛争が起きたり、疫病が流行ったり、天変地異が起きたり、人間を悩ます諸々の現象に、私たちの人生や日常生活が脅かされることは、珍しいことではありません。

 

マーヤ(幻妄の力)によって生じた世界を、難なく、または、何とか、渡り切って安堵していても、人生の最後は「死」であり、それが早く来るか、遅く来るかの違いはありますが、生命ある存在に起こる最後の現象は、存在の消滅という点では、同じです。

 

私たちは、何処から来て、何処へ行くのでしょうか?

それさえも知らされずに、この地球で、次の瞬間は、何が起こるかわからない状態で、生きているのです。

たとえ、このような疑問が湧いても、答えは、簡単には見つからないために、ほとんどの場合、生じた疑問は解決を見ずに、そのまま人生の終わりの時を迎えることになります。

こうして、疑問は、そのまま継続し、時を超えて、持ち越されてしまいます。

 

「死」が、その人にとって、完全なる終わりであるならば、人々の人生は、不平等極まりないものであり、誰が、このような不平等な世界を創造したのか?という疑問が湧いて来ることでしょう。

 

人生だけでなく、世界の混乱に遭遇した時、未来の世界に危機感を抱いた時、その世界で生きなくてはならない自分の人生を考えた時、マーヤ(幻妄の力)は、否応なく、多くの人を巻き込み、大混乱の中で右往左往するような事態は、これまでも起こりましたし、これからも起こることでしょう。

 

しかし、人は、この物質界にあっても、マーヤ(幻妄の力)の正体を知り、その力に翻弄されずに、影響を受けることなく、賢明に生きることはできるのです。

それは、ある種の智慧(Jnana)がもたらしてくれる結果なのですが、その智慧(Jnana)は、輪廻の大海、再誕の大海を、何の影響も受けずに、乗り越えて行く智慧(Jnana)でもあります。

 

その智慧(Jnana)とは何なのか?ということを理解するために、今回も、始めに、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、後半は、ラマナ・マハリシが遺された御言葉をご紹介したいと思います。

 

 

The “Why” of Maya(マーヤの原因)

 

マーヤ(幻妄の力)の原因、人間の原因、宇宙の原因、存在の謎、宇宙の謎は、有限な人間の知性の範囲を超えている問題である。

人間の知性は、全くこれらの疑問を解くことはできないし、試みれば試みる程、それは益々混乱したものとなる。

これらの問題は、ブラフマン智(Brahma-Jnana)、或いは、神聖なる智慧を獲得した後にだけ、理解されることができる。

答えは、絶対者の中にしまい込まれており、扉は相対的な心や知性に対しては閉じられている。

どんな言葉も、充分にマーヤ(幻妄の力)の起源を述べることはできない。

アートマン(真我)の智識(Atman-Jnana)に到達し、マーヤ(幻妄の力)を克服した彼は、何がマーヤ(幻妄の力)であるのかを知り、どのようにそれが発生し、破壊されるのかを知るだけであろう。

マーヤ(幻妄の力)の何故は、あなたがブラフマン智を獲得した時にのみ、理解することができる。

マーヤ(幻妄の力)の何故を知るために、あなたの頭を悩ませてはならない。

あなたは、いかなる聖典の中にも答えを見出すことはできないだろう。

何故は、論理的な不条理そのものである。

あなたは、理性(ブッディ)が機能する世俗的な事物のためにだけ、何故を持つことができる。

時間と空間によって条件づけられているので、粗雑で限りある知性が届かない形而上次元の質問のための何故はあり得ない。

経験的な世界を説明しようと努力する人は誰でも、一歩ごとに無知に立ちはだかれて来て、人間的な知力がここまでで、それ以上は行かれないことを告白せざるを得なかったのである。

真理のすべての先見者、すべての教師、すべての預言者、すべての哲学者、すべての形而上学者、すべての神学者は、完全に失敗してしまった。

だからどうぞ、このマーヤ(幻妄の力)の起源についてこれ以上、あなたの頭を悩ませないように。

しかし、その破壊の手段を調べなさい。

もし、それが破壊されると、その時あなたは、それがどのようにして発生し、いつ発生するのか、その性質は何か、それはどのように消滅するのかを知ることができるだろう。

もし、あなたが一服の智識(Jnana)を注入してもらったら、その時あなたは有害な再誕の大海で溺れ死ぬことはないであろう。

恐ろしいマーヤ(幻妄の力)は、本当には存在しない。

 

 

Maya-A Negative Existense(マーヤ - 否定的な存在)

 

光りの欠如は、闇である。

闇は、本当の存在ではない。

それで、マーヤ(幻妄の力)は、否定的な存在を持つ。

光りがもたらされると、闇は消滅する。

同様に、智識がやって来ると、マーヤ(幻妄の力)は消えてしまう。

覆いが、美しさを隠す。

ポットは、粘土を隠す。

指輪は、金を隠す。

象は、森を隠す。

砂糖菓子は、砂糖を隠す。

布は、糸を隠す。

釘は、鉄を隠す。

無知は、永遠を隠す。

形は、ブラフマンを隠す。

マーヤ(幻妄の力)の覆いの背後には、ブラフマンが隠れている。

覆いを破りなさい。

光りの中の光を見出しなさい。

証明の道における人生の旅は、長く退屈で疲れる。

それには、不屈の根気のよい活力を伴った誠実で真剣な実践的な努力が要求される。

無駄な討論を止めなさい。

直ちに、道へ進みなさい。

果実を食べなさい。

炎によって服が燃えている人は、直ぐに、水へと走って行く。

彼は、けっして、激しい苦痛の真っ最中に、火がどのようにしてやって来て、どのようにして彼の服を燃え上がらせたのか?を尋ねはしない。

同じように、あなたが、数々の惨めさや苦悩、苦痛や艱難を伴うこの恐ろしいサムサーラ(輪廻)の生と死の車輪の中に囚われている時、あなたは、マーヤ(幻妄の力)から逃れるために、あなたの最善を試さなくてはならない。

マーヤ(幻妄の力)を破壊する方法はある。

この破壊の後に、あなたはマーヤ(幻妄の力)の原因と性質を知るだろう。

無知の眠りから目覚めなさい。

冷静、識別、「わたしは誰か?」という質問を発展させなさい、そうすれば、あなたは、ブラフマンの永遠の至福に達するであろう。

維持しなさい。

こつこつと歩みなさい。

勇敢に進んで行きなさい。

サーダナ(霊的修行)において規則正しくありなさい。

永遠の警戒と内省を実践しなさい。

祈りなさい。

ジャパ(神の名を唱えること)をしなさい。

礼拝し、瞑想しなさい。

マーヤ(幻妄の力)は、あなたにけっして、けっして近づかないであろう。

あなたは、いつか神の恩寵を持つだろう。

すべての覆いは、破られるであろう。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

質問者

「どのようにしてマーヤ(幻妄の力)を取り除くのでしょうか」

マハルシ

「マーヤ(幻妄の力)を征服しようとしてはいけません。

あなたの真の状態でありなさい。

そうすればマーヤ(幻妄の力)は自発的に去っていくでしょう。

それを征服しようとすれば、それはあなたを多くの困難に導くでしょう。

今のままでいなさい。

もしあなたのところになんらかの外来の想念がやってきたならば、それが誰のところに来ているのかを発見しなさい。

しかし、あなたが本当の真我であると考えても考えなくても、あなたはつねにそれなのです。

真我実現のような単純で明白なことのために、こんなに多くの心配事とこんなに多くのヨーガの技法があるのです!

なぜでしょうか。

あなたは本当の真我です。

あなたはどのように真我と異なったものであることができるでしょうか」

 

質問者

「あなたはマーヤ(幻妄の力)の教えを支持しています。

しかし私は、この椅子が実在であるという私の感覚を、それが非実在であるというあなたの主張と調和させることができません」

マハルシ

「あなたの困難の根源は、たとえば「私」と「身体」というような、二つの別個の観念を一つに混ぜ合わせることによって生じている混乱の中にあります。

あなたが椅子に気づいたとき、それは「私は身体である」という原初の想念に続いて起こってきている想念なのです。

「私は身体である」という想念が、世界の経験についてのすべてのあなたの想念の土台なのです。

その想念がまず起こり、その後はじめて、他の想念が起こるのです。

それが、深い眠りの中でのように「私は身体である」という想念が起こっていないときには、世界の経験もまたあなたの意識の中に入ってこない、という理由なのです。

ところでこれらの二つの観念のうち「私」という想念は持続するものであり、身体の想念は一時的なものです。

このことは夢によって明らかにされます。

そこであなたは「私」という感覚をなおももちづづけていますが、肉体には気づいていません。

そのようにすべてのあなたの身体的経験とそれにリンクしている世界の経験は、あなたの心に入ってきたもの以外の何ものでもないのです。

これが、心は想念以外の何ものでもないと私が言うときに意味していることなのです。

「私」は、それがまさに永続的なものであるという理由で、きわめて実在的な存在なのです。

想念が止まった後に心を発見しなさい。」

 

質問者

「なぜマーヤ(幻妄の力)が働くようになるのですか。」

マハルシ

「いったいこの質問はどのようにして起こるのでしょうか。

あなた自身がマーヤ(幻妄の力)の中にいるのです。

あなたはこの質問を発するために、その宇宙の活動(マーヤ)から離れて立っているのでしょうか。

すべての疑問が最終的になくなるように、同じ力がこの疑問を提起させているのです。

マーヤ(幻妄の力)は神の幻力(イーシュワラ・シャクティ)、あるいは実在の活動にほかならないのです。

 

宇宙は真我の内部に存在しています。

それゆえにそれは実在です。

しかし、それは真我からその実在性を獲得するという理由でのみ実在なのです。

しかし、われわれはその変化する外観と一時的な形を示すために、それを非実在であると呼びます。

一方われわれは真我を不変であるという理由で実在と呼びます。

真我を実現した後では、身体やその他のすべてのものが真我とは異なったものとして現れることはありません。」

(不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話)

 

 

 

次回に続きます。

 

 

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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(29)「マーヤー」④

前回より、マーヤ(幻妄の力)が働いているがために、「世界」(人間の個人もこの中に含まれます)が実在しているかのような認識が、私たち人間に起きている、ということをご紹介しましたが、私たち人間が、自分の本性であるアートマン(真我)、世界の実相であるブラフマン(神我)を悟れないのは、このマーヤ(幻妄の力)によって、非実在を実在と見做し、実在を非実在(単に、気付いていないだけなのですが)と見做していることに原因があると、ご紹介しました。

それを、シュリ・シャンカラ(不二一元を唱えたインドの哲学者)は、「無知」と呼びましたが、この「無知」の消滅は、非実在が消滅し、実在だけが顕わになるという真実が明らかになることで起こります。

 

このカラクリは、とても功名ですが(それが、魔術と言われる所以でしょう)、ひとたび正しい理解が起これば、その智識(Jnana)の光により、あらゆる謎(闇)は消滅することでしょう。

 

より理解を容易くするために、今回は、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、ラマナ・マハルシ「不滅の意識」からの抜粋をご紹介したいと思います。

 

二人の聖者の方々は、同じ一つのことを、違う方向から語っていますが、「無知」の原因は、私たちの「心」の働きそのものにある、と指摘しています。

 

つまり、マーヤ(幻妄の力)というのは、「心」の働きのことであり、それが、私たちが、真実を悟ることができないでいる最大で唯一の原因です。

それは、「心」が、内側に「わたし」(という自我意識)を作り出し、外側に「世界」を投影するため、この働きによって、「わたし」と「世界」は、見る者と見られる物という二極に分離し、それが元になって、私たち人間が認識している二元世界が顕れます。

しかし、それは、「心」の働きによるものであって、「心」が無ければ、存在できない非実在のモノなのです。

故に、この原因(無知)が取り去られれば、非実在である「世界」も「わたし」(個我)も消滅し、「在って在るモノ」だけが在る、という実相だけになります。(不二一元)

 

それは、常に在るのですが、私たちの「心」の源であるために、源より生じた「心」には、その源を対象物として認知することは、不可能なため、「心」を通しては、真実は掴むことはできないでしょう。

 

しかしながら、この仕組みや原理について理解しようとすることで、自分という存在についての理解が深まり、真我実現への道は、着実に短縮されることでしょう。

 

 

 

『Vidya Maya and Avidya Maya(智識のマーヤと無知のマーヤ)

 

マーヤ(幻妄の力)は、無知(Avidya)を通して、個の魂を束縛し、智識(Vidya)を通して彼を解放する。

彼女は、智識(Vidya)であり、無知(Avidya)である。

無知(Avidya)のマーヤ(幻妄の力)は、あなたを束縛の道に降ろし、肉欲、怒り、貪欲、自尊心、憎悪などに特徴づけられる。

智識(Vidya)のマーヤ(幻妄の力)は、あなたを自由の道に連れて行き、無差別、平静、献身によって特徴づけられる。

 

 

Maya and Mind(マーヤとマインド)

 

マーヤ(幻妄の力)は、人間個人の中では、心(マインド)としてはっきりと表れている。

心(マインド)だけが、マーヤ(幻妄の力)である。

マーヤ(幻妄の力)は、心(マインド)だけである。

心(マインド)のコントロールは、マーヤ(幻妄の力)のコントロールである。

マーヤ(幻妄の力)のコントロールは、心(マインド)のコントロールである。

マーヤ(幻妄の力)は、心(マインド)を通して戯れる。

マーヤ(幻妄の力)は、心(マインド)を通して惨害を与える。

マーヤ(幻妄の力)は、心(マインド)の印象を通して、大混乱を演じる。

女性は、美しくないが、印象は美しい。

砂糖は甘くないが、印象は甘い。

食物は美味しくないが、印象は美味しい。

人間は、弱くないが、印象は弱い。

マーヤ(幻妄の力)と心(マインド)の性質を理解し、賢くなりなさい。

正しく考えることで、この心(マインド)の印象を抑制し、印象や思考の無いブラフマンに安らぎなさい。

心(マインド)があると、この宇宙があるだろう。

深い睡眠中、心(マインド)の機能はない。

それ故、世界はない。

あなたが、対象物について考えれば考える程、この世界は、あなたに対して、現実として現れるだろう。

もしあなたがよくよく感覚的対象物について考えると、宇宙の実在の概念は、増すだろう。

もし心(マインド)が、感覚的な対象物に対して狂乱して向かうと、マーヤ(幻妄の力)は人間の本拠となる。

マーヤ(幻妄の力)は、心(マインド)を通して惨害を与える。

このより低い瞬発的な心(マインド)は、あなたをあらゆる種類の些細な感覚的な喜びに引き下ろし、数々の方法で、惑わす。

マーヤ(幻妄の力)は、彼女の力を通して、心(マインド)の中に、何万という想念(サンカルパ)を起こさせる。

個の魂は、想念(サンカルパ)への餌食となる。

このより低いマナス(意思)は、実在と非実在の強力な識別力を持つ人々には近づくことができない。

強力な決意と識別を持つ人間によって、マーヤ(幻妄の力)を看破することは、非常に容易く、真の自己の実現は、非常に簡単である。

これらの力、識別力と意志力を通して、マーヤ(幻妄の力)は、コントロールすることができる。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

 

ラマナ・マハルシ

『宇宙はひとつの観念にすぎません。

すべてのこれらの形態を受け取るのはハートです。

それは、その中にエゴも個体的感覚も残していないアートマンと呼ばれます。

霊魂は誤って自分を肉体と同一視します。

身体は心によって投影され、心はそれ自身霊魂から発生します。

誤った同一視が止めば、平安と永久に途切れることのない喜びがあるでしょう。

生命はあなたの真我である存在です。

それは永遠の生命です。

逆に、あなたがそうではないときを想像できますか。

あなたは無条件の生命です。

この身体があなたの心の投影としてあなたに一時的に付着して、あなたは「私は身体である」という考えによって悩まされるのです。

もしこの考えがなくなれば、あなたはあなたの真我です。

あなたは眠りの中では身体がなくても存在します。

目覚めたときエゴが生まれ、その後に心が存在するようになります。

エゴ、心は身体を投影するものです。

あなたは、身体が生まれたと言い、そしてそれは死ぬだろうと言います。

そしてそれを、あなたは生まれた、あなたは死ぬだろうと言いかえることによって、身体を真我に移しかえるのです。

実際、眠りの中ではあなたは身体なしに存在します。

ちょうど今はまたあなたが身体といっしょに存在しているように。

真我は身体から離れて存在することができます。

「私は身体である」という想念は無知です。

それゆえ、身体は真我から離れてはいないということは知識です。

身体は心の投影なのです。

身体という想念は真我から注意をそらされたものなのです。

誰にとっての身体あるいは誕生なのでしょうか。

それは真我、霊魂によってのものではありません。

それは自分自身を分離されたものと想像する非自己にとってのものです。

ちょうど守銭奴が自分の財宝をいつも自分のものとして保ちつづけ、決して手放さないように、真我は、それ自身にもっとも近いものの中に、すなわちハートの内部にヴァーサナ(Vasanas:生来の傾向と気質)を保護しています。

ハートは脳に生命力を放射してそれを機能させます。

ヴァーサナはもっとも微細な形でハートの中に囲いこまれ、その後に、高度に拡大されてそれを映す脳の上に投影されます。

これが世界が進行させられる仕方であり、またこれが世界がシネマ・ショー以外の何ものでもない理由なのです。

世界は永遠のものではありません。

世界は意識によってだけ認知されるのですから、感覚的印象は外部に起源をもつことができません。

世界は存在するとは言いません。

そう言うのはあなたです。

それはあなたの印象なのです。

しかしこの印象は途切れなく続くものではありません。

眠りの中では世界は認知されません。

眠っている人にとって、それは存在しないのです。

それゆえ世界はエゴの所産です。

エゴを発見しなさい。

その源が最終の目標です。

世界はあなたの心の所産なのです。

あなたの心を知りなさい。

世界は純粋意識の上に現われている現象にすぎないのです。

純粋意識は何かに影響されることのないそれ自身なのです。

宇宙は画面に描かれた絵のようなものです。

生じたり没したりするものは、それが生じてきたものによって創り上げられているのです。

宇宙の終局は真我です。

実在するものは決して非実在になることはできませんし、逆もまた同じです。

世界は眠りの中では非実在になります。

それゆえにそれは決して実在性を保つことはなかったのです。

しかし存在、「私」はつねに存在します。

それゆえにそれはつねに実在なのです。』

(不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話)

 

 

次回に続きます。

 

 

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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(28)「マーヤー」③

前回より、アドヴァイタ(不二一元=梵我一如)の基本的な考え方におけるヒントを、「マーヤ(幻妄の力)」に絞って、ご紹介していますが、ヨーガにおいて、最高の智慧(Prajnana)を獲得した聖者たちは、自らの体験を通して、真の宇宙構造を発見し、それをアドヴァイタ(二つではない)と名付け、宇宙の根本原理(Prajnana=真智=ブラフマン智)としました。

 

この最高の智慧によって明らかになったことの一つには、譬えで言うならば、「ロープを、蛇に見てしまう」という現象(一つを二つに見てしまうという誤認知)が人間に起きていることでした。

そして、この誤認知は、人間の錯覚、勘違い(という現象)であり、その錯覚の原因は、人間に生じている根本的な「無知」にあると指摘しています。

 

「無知」の反対は、「明知」です。

そして、この「明知」とは、「ブラフマン智」のことなのですが、実際には、この「ブラフマン智」とは何であるか?でさえ知っている人は、ごく僅かであると言わざるを得ません。

 

ブラフマン智」を真に理解するには、霊的な体験が必要ですが、「ブラフマン智」について知っているだけでも、(自分と他者の)人生を別の角度から眺めることができるようになり、世界を別の視点から眺めることができるようになることでしょう。

また、自己探求という霊性修養の基本的な考え方を学ぶことは、自分という存在を理解する上でのヒントとして、この世に束縛されて生き辛さを感じている人にとっては、束縛が緩む方向に働いてくれることでしょう。

 

真理は、いつの世でも、真理ですし、真実は、真実として永遠に変わりません。

究極の真理は、人間の脳の理解力を超えているので、短時間で理解することは、簡単ではないでしょう。

しかし、チッタ(記憶)の中に、小さな種子が蒔かれると、その種子は、やがて芽を出し、結実する時が巡って来るまで、サンスカーラ(過去の残存印象)の中で、眠った状態で保存されます。

そして、然るべき時がやって来ると、この世で結実するために、目覚め、やがて、形として現れ、私たちは、その結果を体験することになるのです。

それが、カルマ(業)と呼ばれているもので、行為の種子と考えられています。

(種子が先で、結果が後であるのは、因果の法則に則っているからです。

二元世界では、因果の法則は、ダルマ(宇宙の自然法則)なので、すべての存在は、ダルマ(宇宙の自然法則)に則って、展開しています)

 

良い種子を撒けば、良い実が実り、悪い種子を撒けば、悪い実が実ります。

(これは、聖書の中のイエス・キリストの言葉でもあります)

 

種子が、結実するまで成長するには、この三次元世界では、時間が必要です。

しかし、種子は、いつか必ず、芽吹き、芽吹いた種子は、結実することでしょう。

 

これは、ダルマ(宇宙の自然法則)であり、この世は、マーヤ(幻妄の力)によって展開している世界ではありますが、ダルマ(宇宙の自然法則)の世界でもあります。

 

しかし、マーヤ(幻妄の力)もダルマ(宇宙の自然法則)も、「絶対者ブラフマン」から生じたモノなので、両者は、「ブラフマン」には作用しないため、「ブラフマン智」に達すれば、マーヤ(幻妄の力)もダルマ(宇宙法則)も、幻影と共に、消滅することでしょう。

 

 

Manifestation of Maya(マーヤの顕れ)

 

マーヤ(幻妄の力)は、最も偉大な芸術家であり、最も偉大な手品師である。

俗人は、ほとんど彼女のトリックを見破ることができない。

彼女は、情熱的な人や不用心な人を惑わす。

彼女は、実在を隠し、非実在を実在のように見せる。

彼女は、永続的でないものを永続するかのように見せ、不純なものを純粋なものであるかのように見せ、痛みを快感のように見せ、アートマン(真我)でないものをアートマン(真我)のように見せる。

あなたは、あなたが死ぬだろうということを知っている、それでも、あたなは、永久に生きるだろうと思う。

これは、マーヤ(幻妄の力)である。

マーヤ(幻妄の力)は、誤った光輝を引き起こし、惑わされた個の魂を罠にかける。

彼女は、ちょっとした電気メッキの仕事をしている。

人は、罠にかけられ、生と死の車輪に捕らえられる。

マーヤ(幻妄の力)の砂糖がけの背後に、苦いキニーネがある。

感覚的な快楽の園の背後には、涙の覆いがある。

女性の微笑みの背後には、憎しみ、欺き、狡猾さ、不誠実がある。

深紅の唇の背後には、粘液や病気を引き起こす病原菌がある。

バラ色の頬の背後には、生肉がある。

元気な若さの背後には、よろよろした足取りの老齢がある。

美しさの背後には、醜さがある。

この宇宙の魅力の背後には、死、病気、蛇に咬まれること、蠍に刺されること、非難、屈辱、地震、暴風雨、戦争、原子力爆弾がある。

この心をそそるマーヤ(幻妄の力)に騙されてはいけない。

マーヤ(幻妄の力)は、数々の方法で、あなたを縛り付ける。

彼女の秘密の仕事を見つけだすことは、難しい。

人は、世界を捨て、サニヤーサ(出家者)になり、アシュラム(隠者の住処)を開く。

彼は、ゆっくりとアシュラムと彼の修養に愛着を感じる。

彼は、制度的な利己心、サニヤーサ(出家者)への執着、放棄と学びの誇りを発達させる。

路上の人は、微笑み、敬意を払い、あなたの足に触れる。

あなたは、彼に愛着を感じる。

人があなたに仕え、あなたを讃美し、あなたに贈り物を贈る。

あなたは、彼に愛着を感じる。

他の人は、親切な言葉を話し、あなたに良い食べ物や快適な家をくれる。

あなたは、彼と家そのものに愛着を感じる。

微笑み、愛情、快適さ、名前、名声、親切な言葉、妻、子ども、家、財産、尊敬、名誉、力、威信、地位、肩書、天国は、すべて惑わされた魂を罠にかけるマーヤ(幻妄の力)の誘惑の餌である。

マーヤ(幻妄の力)の魅力に気をつけなさい。

おお、無知なる人間よ!マーヤ(幻妄の力)の網に陥るな。

全世界は、無知で惑わされた魂を罠にかけるためのマーヤ(幻妄の力)の網である。

注意し、警戒し、気付きなさい。

全宇宙は、無知の誤った光輝である。

それは、罠と誘惑に満ちている。

色、音、感触は、マーヤ(幻妄の力)の魅惑的な罠である。

女性、金、力は、彼女の誘惑、砂糖菓子、花、金は、マーヤ(幻妄の力)の魅力である。

神のマーヤ(幻妄の力)は、神秘である。

彼女は、数々の微細な形を帯び、多様な方法で、人を惑わす。

あなたが情熱を諦める時、あなたは怒りが残るのを見る。

あなたが怒りをコントロールすると、貪欲がまたあなたと共にいる。

貪欲がコントロールされると、自尊心があなたに頑強にくっつく。

あなたがお茶と珈琲を放棄すると、あなたはミルクとフルーツに執着する。

あなたが舌をコントロールすると、目があなたを悩ますために待っている。

あなたが古い友人を放棄すると、新しい友人があなたにくっつく。

あなたが、一つの仕事を諦めると、他の仕事があなたを待っている。

一足ごとに、マーヤ(幻妄の力)は覆いをかける。

あなたがサーダナ(霊的修行)の最後の段階で、たった一つの覆いを破らなくてはならないだろう、などと考えてはいけない。

マーヤ(幻妄の力)は、数え切れない覆いをかける:執着、切望、願望、好き嫌い、心酔、自尊心、羨望、憎悪、貪欲、性本能、衝動、五つの鞘、シッディ(超能力)を追い求めること、サーダナ(霊的修行)の誤った満足、鈍った理解、知性の鈍感さは、すべて彼女の覆いの形である。

もしあなたが、少しばかり不注意で不用心であるならば、彼女は覆いの後に覆いをかける。

あなたは、取り除かなくてはならない数え切れないほどの覆いに遭遇するであろう。

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

LIFE HERE IS TRANSITORY (ここでの人生は一時的なもの)

 

人生は、光る閃光のようなものであり、あっという間に過ぎて行く一時的なものである。

それは、虹のように素早く消えて行く。

水の上の痕跡のようなものであり、夢か泡、影、霧、幻のようである。

それでも尚、人間は人生はここにおいては永久的なものであると思う。

これは、マーヤ(幻妄の力)の幻想であり、心(マインド)の魔術であり、感覚の惑わしである。

目覚めよ、人間よ。この長い眠りから。

マーヤ(幻妄の力)のトリックを理解し、識別することを学びなさい。

無限の智識に達しなさい。

そして、ブラフマンの不滅の至福を楽しみなさい。

Waves of Bliss by Swami Sivananda)

 

 

次回に続きます。

 

 

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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(27)「マーヤー」②

前回の記事で、神の力(シャクティ)が、マーヤ(幻妄の力)であるということについてご紹介させて頂きました。

 

この宇宙のすべての展開、動き(創造、維持、破壊、帰滅)が、神の力(シャクティ)によってもたらされていることを、先ず、理解し、心の奥深くに銘記することは、非常に重要です。

このことがはっきりとわかれば、「わたしは誰か?」「宇宙とは何か?」についての答えは、自然とやって来ることでしょう。

そして、被造物である「わたし」が、創造主である「神」の中に、吸収され消滅すると、梵我一如(アドヴァイタ=不二一元:アートマンブラフマンなり)が真理として、顕わになることでしょう。

 

それは、己の中に実在する「真我」を発見することで、もたらされます。

「真我」(アートマン)は、別名「魂」とも呼ばれるモノですが、70億人の人間に内在している「魂」は、「生命の源」であり、人間だけではなく、命ある生命体であるならば、どの生命体においても、共通の存在として内在しています。

全体で一つであって、”あなた”と”わたし”の「魂」が違うということはありません。

アートマンは、水や空気や電気と同じように、それ自体の性質を有していますが、個別性はありません。

コップの中の水と川を流れる水が同じように、日本で吸う空気と南極で吸う空気が同じように、アートマンアートマンであって、単一の存在なのです。

(よって、小さな昆虫のアートマンも、大きな象のアートマンも、人間と同じアートマンです)

この世で体験をしているのは、ジーヴァと呼ばれる個体(個人)ですが、一方、アートマンは、ジーヴァ(個人)に内在し、個人を生かしている生命力の源なのですが、私たちは、アートマンの存在を知らないために、大きな勘違いをしています。

私たち生物は、食べ物を食べることで、身体が養われ、それで生物として生きていると思っていますが、食べ物は、この「わたし」を構成する一番外側の食物鞘を構成し、維持し、肉体を動かして活動するためには必要ですが、食物が生命を生じさせている原因ではないことは、誰もが知っています。

しかし、ひとたびアートマンが知られると、アートマン=生命力と言っても過言ではないことが、明らかになることでしょう(何故ならば、アートマン無しでは、どのような生命も生じないからです)

私たち人間を含むすべての生命体には、アートマン(真我)が内在しています。

人間に関して言えば、ハートの中心から、生命力という生命エネルギーを、「人間」を構成しているすべての5つの鞘(歓喜鞘、理智鞘、意思鞘、生気鞘、食物鞘)に放っています。

こうして、私たちは、「人間」として、この世で、いろいろな体験をしているのです。

アートマンから放たれる生命エネルギーが無ければ、私たちは、ただの”肉などのゲル化したタンパク質の塊”にしか過ぎません。(死後の肉体が、そのことを示しています)

つまり、私たち人間は、自分で考え、自分が感じ、自分が行動して(いると思って)いますが、実は、アートマンからの生命エネルギー(生命力)を受けて、生命活動をしている存在なのです。

このことは、「自分が生まれて来て、自分が生き、自分が死ぬ」ということは、勘違い(錯覚)であることを示唆しています。

この「勘違い」(錯覚)は、本当のことを知らない「無知」から生じています。

本当のことを識れば、「無知」は消滅します。

(ヨーガ(神との合一)が成就するには、更に、最後の覆いを取り除く必要がありますが、それについては、また、違う機会にご紹介したいと思います。)

 

実は、この「無知」こそが、マーヤ(幻妄の力)の本当の正体なのですが、このトリック(仕組み)について、スワミ・シヴァナンダが、「Bliss Divine」の中で、わかりやすく解説して下さっていますので、ご紹介したいと思います。

 

 

The Great Illusion(偉大なる幻影)

 

このマーヤ(幻妄の力)によって、全世界は、至高の実在の場所に顕われる。

マーヤ(幻妄の力)は、ブラフマンに少しも影響を与えることなく、この世界を創造する。

不可能を引き起こす力は、マーヤ(幻妄の力)に特有である。

マーヤ(幻妄の力)は、無限の謎の母である。

マーヤ(幻妄の力)は、ブラフマンを覆い隠し、それをそうではないように、顕わさせる。

それは、名前と形、性質のない、無限のブラフマンを、経験の限定された中心の中に分裂させ、名前と形と性質をそれらに賦与している。

マーヤ(幻妄の力)は、宇宙の多様さの認識の原因として存在しているが、しかし、真実には、それは、実在などではない。

それは、また、それが引き起こす顕れのような顕れである。

それは、存在すると言うことができないし、存在していないと言うこともできない。

それは、顕れのように見えるという誤った原因である。

人は、正確にそれが何であるか?を言うことはできない。

それは、不可解、又は、不確定である。

マーヤ(幻妄の力)は、真実でもないし、誤りでもない。

それは、真実と言えば偽りだが、偽りと言えば真実なのである。

それは、実在でもないし、非実在でもない。

それは、ブラフマンのように、実在ではない、何故ならば、人がブラフマンの智識を得ると、それは消滅してしまうからだ。

それは、不妊の女性の息子、或いは、うさぎの角のような非実在ではない、何故ならば、その存在は、感じられるから。

このマーヤ(幻妄の力)は、ある種の魔術である。

あなたは、魔術師を見ない限り、驚く。

魔術師を知るや否や、結果は非実在だと知り、驚きは、直ぐに止む。

あなたが、ブラフマンを悟った時、マーヤ(幻妄の力)の働きの驚きは、消滅する。

あなたは、驚きを鼓舞していたモノが、非実在だと知るようになる。

催眠術師が全聴衆に催眠術をかける時、すべての人々は、人が空中でロープを上がっていると信じる。

すべての人々は、催眠術師が、大きな剣をむさぼり食い、箱の中の若者の身体を切り刻むのを見る。

たとえそうでも、あなた達はみな、マーヤ(幻妄の力)と無知よって催眠術をかけられ、あなたは、この非実在な固体を実在と見做しているのである。

ブラフマンの智識を得ることで、あなた自身を催眠術から覚めさせなさい。

その時、あなただけは、マーヤ(幻妄の力)の壮大なる魔術を理解するだろう。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

The World is False(この世界は、偽りである)

 

元素は、偽りである。

この世界は、偽りである。

創造、維持、破壊は、偽りである。

愉しみは誤りであり、束縛も偽りである。

すべての事物は誤りであり、運命も偽りである。

富、家、快楽、痛みも、偽りである。

心と言葉は、偽りである。

天界の神々は、偽りである。

瞑想は、偽りである。

心によって考えられるモノは、偽りである。

触ること、聞くこと、見ること、嗅ぐこと、味わうことは、偽りである。

わたし、あなた、これ、あれは、偽りである。

時は、偽りである。

すべての現われは、偽りである。

ブラフマン、至高の一者だけが、真実である。

Waves of Bliss by Swami Sivananda)

 

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

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永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(26)「マーヤー」①

 

 前回まで数回に渡り、「神」について、ヨーガやウパニシャッドで語られている「神」の概念について、ご紹介しましたが、これまで漠然と頭に抱いていた「神」とは、かなり違っていたかもしれません。

 

より具体的な「神像」に迫るために、今回からは、前回ご紹介しました記事の中で、シュリ・ラーマ・クリシュナが「神」と「神の力」は同じものであるという例え話の中で使われた「アディヤシャクティ(宇宙生命力・根元造化力)」であるマーヤ(幻妄の力)について、ご紹介したいと思います。

 

このマーヤ(幻妄の力)についてですが、その言葉自体を初めて聞く人には、何のことを言っているのか?見当もつかない場合もあるでしょうが、そうでなくても、その仕組みや概要を理解するのは、そう簡単ではありません。

これまでの考え方、世界の捉え方を変えなくては、理解できない仕組みとも言えますので、この本題に入る前に、少し自分自身をチェックしてみましょう。

 

ブログの記事や精神世界の本を読んだだけでは、なかなか「人間(私)」「神」「世界」についての捉え方が変化する訳ではありません。

物事の捉え方は、70億人の数だけあり、一様ではなく、その人の意識によって異なっているため、私たちは、同じ地球に居ながら、全く同じ世界を体験している訳ではありません。 

物事の捉え方は、自己の意識の変化によって、変化します。

そして、自己の意識の変化によって、体験する世界が異なるために、自分が体験する世界も、意識の変化と共に、変化します。(これにより、生き易さや生き難さが生じてしまいます)

体験する世界の変化を促す自己の意識の変容を求めるならば、実践的な心の修養が不可欠ですが、この心の修養は、特別な訓練や修行の中でしか達成できない訳ではなく、日常生活でも充分可能です。

グル(師)について修行をしている場合では、グル(師)が生徒の意識の変容の進捗状況を見てくれますが、そうでない場合は、自分の意識がどれ位変化したか?霊性修養がどの程度進んだか?は、なかなか自分では判断し難いものです。

このことは、私たちが、霊性修養を実践する中で、中途半端に終わってしまう、或いは、挫折してしまう大きな理由の一つと言えるでしょう。

 

自分の意識に変化が訪れると、世界を見る目も変化し、物事の捉え方が変わるので、世界全体が変わったように感じます。

その結果、私たちは、同じ地球に住んでいても、各個人個人が体験している世界は、同じようでいて、実は異なることに、気付くことでしょう。(同じ現象が起きた時、それに対して異なった反応、対応が起こり、それにより、人生の味わいは、個人により大きく異なります)

 この物事を捉える視点が、ひとたび変わってしまうと、その後は、その視点から物事を見るようになります。

それはまるで、山を登っている時に、高度が上がるにつれ、周りの景色が変わって行き、遠くまで見通せるようになるのに似ています。

富士山の一合目から見える景色と、富士山の五合目から見える景色と、山頂から見える景色が違うように、同じ世界でも、見る視点により、世界は違って見えるのです。

そして、一合目にいる人は、山頂からの景色はわからないので、自分の見える風景について語りますが、中には、想像も加味されるので、個人個人が切り取って見る風景はいろいろで、同じ風景とは思えないこともあり、その違いが人間間のコミュニケーションや認識に誤解や軋轢を生み、人間社会に混乱を招くことがあります。

しかし、霊性修養が進むにつれ、風景を見る視点の高度が上がって来ると、格段に視界が広がるので、世界を全体的に見ることができるようになります。

これは、同じ出来事が起きても、個人個人によって、全く異なる解釈をし、その解釈に対する対応が、一様でないことで明らかですが、最高の智慧に至った人々の世界の見方は同じで、マーヤ(幻妄の力)について語っています。

それは、山頂に到達した人々は、全体として一つの同じ風景を見ることになるので、真理はたった一つであり、それ以外にはない、ということが、自ずとわかるようになり(自明)、それが、共通の認識(真理)となるため、最高の智慧(プラジャニー)は一つしかない、と確信できるようになります。

その智慧の眼を通して、山頂から、世界を見渡して、それを言葉で表現しようとすると、「マーヤ(幻妄の力)」について言及することなく、私たちと世界の関係性を説明することは、不可能であるからでしょう。

 

様々な体験を経ながら山を登り、最終的に到着する山頂は、「我、それなり」(梵我一如)であり、これを不二一元(アドヴァイタ)と言います。

 

今回は、前半に、スワミ・シヴァナンダの「霊的な進歩のバロメーター」をご紹介しますので、自分の場合に当てはめて、考えてみて下さい。

もう既に、ここに書かれている状況に置かれても、心が混乱することなく、動揺せずに、穏やかで平安な気持ちで過ごせるならば、日常生活を営みながらも、ヨーガ(神との合一)の修養は、充分に実践できていて、最終的なゴールに向かって、着実に進んでいるという証と言えますので、時々、自分自身でチェックしてみると、自分を客観視することで、見えて来るモノがあり、霊性修養の励みになることでしょう。

 

後半は、神の力(シャクティ)が、マーヤ(幻妄の力)であるということについて、スワミ・シヴァナンダとシュリ・ラーマ・クリシュナの御言葉をご紹介いたします。

 

 

『ここに、あなたの霊的な進歩の度合がわかる絶対に確実なバロメーターがある。

このような時、あなたなら、どう感じるだろうか?

 

① あなたのきれいな手や最も良い洋服が汚れてしまった時

② 躓いたり、大失敗をして笑われた時

③ 偶然に怪我をしたり、虫や蠍に刺されたり、傷を負わせられた時

④ 病気や痛みに苦しむ時

⑤ 努力しても成功しない時

⑥ 欲しいモノを得られない時、あなたの所有物が紛失していることを発見した時

⑦ 何人かの人々によって、長時間待たされている時

⑧ 理由なく、侮蔑されたり、罵られた時

⑨ 他人が、あなたに対する彼らの義務を怠った時

⑩ 喪失や死別を経験した時

 

もしこれらのことが、あなたの心の平和を乱すことなく、あなたがそれらに無関心であるならば、あなたは苦闘に打ち勝ち、50%の自己制御(self control)を達成したのである。

神は、あなたの人格を強くするために、試みや問題を送る。

それを歓迎し、あなた自身をテストしなさい。

 

 

MAYA(マーヤ)

 

本当には、ないが、あるように見えるモノが、マーヤ(迷妄の力)である。

夢中にさせる、或いは、思い違いを引き起こすモノが、マーヤである。

マーヤは、顕れである。

それは、見せかけである。

それは、神の錯覚の力である。

彼女は、この宇宙の創造者である。

彼女は、神のリーラ(戯れ)のために、この世界を投影する。

心(マインド)、知性、身体、感覚は、彼女の形である。

彼女は、エネルギー、神の母性的な側面である。

熱が炎から、固さが氷から分離できないように、マーヤはブラフマンから分離できないモノである。

それは、ブラフマンに依存している。

マーヤは、数え切れない潜在力を持っている。

石の固さは、マーヤの力である。

水の流動性は、マーヤのもう一つの力である。

火は、三つ目のマーヤの燃える力である。

空気は、マーヤの動く力である。

空間は、空であり、または、マーヤの宇宙的な力である。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「虚空(アーカーシャ)のようなものだよ。

ブラフマンのなかには変化はない。

炎に色がないようにね。

それが力(シャクティ)として、あの御方はいろいろにおなりになさる。

サットヴァ(調和性・悟性)、ラジャス(積極性・建設性)、タマス(消極性・破壊性)の三性(グナ)は、シャクティの性質だ。

無色の炎に白い物を投げ入れると白く見えるだろう。

赤いものを入れると赤く見える。

黒いものを投げ込むと黒く見える。

ブラフマンは三つの性質を超越している。

あの御方はこういうものだと、口で言うことは出来ないよ。

言葉を超越しているんだからーー。

これではない、これではない、と打ち消していって最後に残るもの、そこにある常楽(よろこび)、それがブラフマンだ。」

 

マヘンドラ・グプタ

「仰せの通り、あの御方がすべてのものになっていらっしゃるならば、こんなふうにいろいろな感じ方、考え方があるのは何故でございましょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方は、あらゆる処、あらゆるものに遍在しておいでだが、力の顕れ方がいろいろ違う。

ある場所には明知(ヴィディヤー)として、ある場所には無明無知(アディヴィディヤー)として、ある場所には強く大きく、ある場所には弱く小さく顕れていらっしゃる。

ご覧、人間の中にだって、殺し屋もサギ師もいるし、虎みたいに恐ろしい人もいる。

わたしはだから殺し屋神、虎神と言っているんだよ」

「あの御方とあの御方の造化力(ちから)――ブラフマンシャクティ――これ以外には何もないんだよ」

 

マヘンドラ・グプタ

「それから、霊はどういう相(すがた)のものでございますか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「どんなものかって?

――ちょうど水のようなもの――修行をしていくうちにだんだんわかってくるよ。

お前、“相(すがた)”を信じろ。

ブラフマン智に達したら、不異(おなじ)ということがわかるが――ブラフマンと働き(シャクティ)が不異だということがね。

火と燃える力だ。

火を思えば燃える力を思わんわけにはいかないし、燃える力を思えば火を思うことになる。

牛乳と牛乳の白さ。

水とその冷やす力だ。

だが、ブラフマン智のそのまた上がある。

智識(ジニューナ)の上が覚智(ヴィジュニャーナ)だ。

智慧ある人は自分の無知にも気付く。

賢者ヴァシシュタは百人の息子を亡くして嘆き悲しんでいなすった。

ラクシュマナにきかれてラーマはこう答えた

『弟よ、智と無智を超えてしまえ。

智を持つものは無智をももつ。

足にトゲが刺さったら、もう一本トゲをもってきて、そのトゲをほじくって抜く。

それがすんだら二本目のトゲも捨ててしまえ』」

 

マヘンドラ・グプタ

「無智も、智慧も、二つとも捨てなければいけないのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「そうだよ。――覚智が最後の目的だ!

わかるかい。

光を知るものは闇を知る。

幸福の味がわかるものは不幸の味もわかる。

徳について思うものは罪についても考える。

善を思うものは悪をも思う。

清浄を感じるものは不浄の感じもある。

ワタシがあればアナタがある。

覚智とは、あの御方と特別に近く親しくなることだ。

木の中に火の性があるという感じ――この確信をもつことを智識(ジニャーナ)という。

その火で米を煮て食べて栄養をとる。

これを真実智と言うんだ。

神様は実在する――これを心の経験で知るのが智識。

あの御方と話をしたり、あの御方と楽しんだり。。。。。

つまり、あの御方の子供になったり友だちになったり、召使いになったり恋人になったりして――これこそ、覚智というものだ。

あの御方が宇宙とすべての生物になっていらっしゃる。

これを見抜くのが覚智というものだ。

ある一派の考えによると、あの御方は見ることが出来ないそうだ。

――いったい、誰が誰を見るというのかね。

自分が自分を見るんだよ。

黒い海に船が入ると戻ってこない――だから戻って報告をすることも出来ない」

 

「なぜ、これでもない(ネーティ)、これでもない(ネーティ)なんてばかり言ってうろついているんだい?

ブラフマンについて何一つ説明することは出来ないよ。

ただ、“実在そのもの”と言えるだけだ。

ただ“ラーマ”だけだ。

わたしらが見たり考えたりすることはみんなあの根源造化力の、あの造化力意識のすばらしい顕れなんだよ。

 

――造る、保つ、壊す。

生物世界、それに瞑想と瞑想する人、信仰、愛、すべてあの御方の力の表現(あらわれ)だ。

だが、ブラフマンシャクティ(力)は同じものだよ。

ちょうど舵と蛇行の関係――舵のように曲がりくねった動きを考えると、どうしても舵のことを考える。

舵のことを考えると、蛇行のような動きもいっしょに考えてしまう。

牛乳を考えると牛乳の色を考える――白い色を。

牛乳のような白さといえばすぐ牛乳を考えてしまう。

水の冷やす力を考えれば水のことを考えるし、水を考えれば水の冷やす力のことを考える。

この根源造化力(アディヤシャクティ、または、大現象(マハーマーヤー)がブラフマンを覆っている。

この覆いの幕が除かれてはじめて、“永遠に実在(あ)り通しの我”だ。

“わたしはあなた、あなたはわたし”だ!

この覆いの幕が残っている間は、ヴェーダーンタ派の決まり文句――つまり、“我こそ、かのブラフマンである”などと口にするのは正しい態度ではないんだよ。

波は水のものだが、何で水が波のものであるもんか。

まだ幕がかかっている間は、母親――大実母(マー)と呼ぶのがいい。

あなた(神)は母親、私はあなたの子供、あなたは御主人、私はあなたの召使い。

この主人と召使いの考え方もとてもいいよ。

この召使いという考え方から、ほかのいろんな思い方が出てくる。

静かで平安な態度や、友達関係と見る態度も――

主人が召使いを可愛がっていれば、『これ、私の傍にきてお坐り、お前と私は一心同体だよ』と言ってくれることもあるさ。

けれども、召使いが自分勝手に主人のそばへきて坐りこめば、主人は怒るだろう?」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

次回に続きます。

 

 

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