永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Sefl-Realization)(30)「マーヤー」⑤

ここ数回に渡り、マーヤ(幻妄の力)について、ご紹介しています。

 

人は、生まれてから、時間が経つにつれ、年を取り、やがて死を迎えます。

誕生から死までの期間は、人それぞれであり、その間に体験することも、最後の瞬間に起こることも、人それぞれです。

この一連の流れは、あらゆる生命のある存在に、例外なく働いています。

私たち人間は、この一連の流れを「人生」と呼んでいますが、この地球上に同じ「人生」は、二つとありません。

そして、この「人生」は、自分で作り出しているように感じますが、少なくとも、誕生と死は、(自死でない限り)自分が作り出せるものではないことを知っています。

そして、「人生」においては、自分が想像もしない出来事が起こり、一瞬で「人生」の流れが変わってしまうということも起こります。

それを「運命」と呼ぶ人もいますが、そこに「神の力」を感じる人もいます。

 

マーヤ(幻妄の力)は、宇宙の星々の運行、地球の自然現象、生物の生滅、人間の人生など、ありとあらゆるモノに働いています。

戦争や紛争が起きたり、疫病が流行ったり、天変地異が起きたり、人間を悩ます諸々の現象に、私たちの人生や日常生活が脅かされることは、珍しいことではありません。

 

マーヤ(幻妄の力)によって生じた世界を、難なく、または、何とか、渡り切って安堵していても、人生の最後は「死」であり、それが早く来るか、遅く来るかの違いはありますが、生命ある存在に起こる最後の現象は、存在の消滅という点では、同じです。

 

私たちは、何処から来て、何処へ行くのでしょうか?

それさえも知らされずに、この地球で、次の瞬間は、何が起こるかわからない状態で、生きているのです。

たとえ、このような疑問が湧いても、答えは、簡単には見つからないために、ほとんどの場合、生じた疑問は解決を見ずに、そのまま人生の終わりの時を迎えることになります。

こうして、疑問は、そのまま継続し、時を超えて、持ち越されてしまいます。

 

「死」が、その人にとって、完全なる終わりであるならば、人々の人生は、不平等極まりないものであり、誰が、このような不平等な世界を創造したのか?という疑問が湧いて来ることでしょう。

 

人生だけでなく、世界の混乱に遭遇した時、未来の世界に危機感を抱いた時、その世界で生きなくてはならない自分の人生を考えた時、マーヤ(幻妄の力)は、否応なく、多くの人を巻き込み、大混乱の中で右往左往するような事態は、これまでも起こりましたし、これからも起こることでしょう。

 

しかし、人は、この物質界にあっても、マーヤ(幻妄の力)の正体を知り、その力に翻弄されずに、影響を受けることなく、賢明に生きることはできるのです。

それは、ある種の智慧(Jnana)がもたらしてくれる結果なのですが、その智慧(Jnana)は、輪廻の大海、再誕の大海を、何の影響も受けずに、乗り越えて行く智慧(Jnana)でもあります。

 

その智慧(Jnana)とは何なのか?ということを理解するために、今回も、始めに、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、後半は、ラマナ・マハリシが遺された御言葉をご紹介したいと思います。

 

 

The “Why” of Maya(マーヤの原因)

 

マーヤ(幻妄の力)の原因、人間の原因、宇宙の原因、存在の謎、宇宙の謎は、有限な人間の知性の範囲を超えている問題である。

人間の知性は、全くこれらの疑問を解くことはできないし、試みれば試みる程、それは益々混乱したものとなる。

これらの問題は、ブラフマン智(Brahma-Jnana)、或いは、神聖なる智慧を獲得した後にだけ、理解されることができる。

答えは、絶対者の中にしまい込まれており、扉は相対的な心や知性に対しては閉じられている。

どんな言葉も、充分にマーヤ(幻妄の力)の起源を述べることはできない。

アートマン(真我)の智識(Atman-Jnana)に到達し、マーヤ(幻妄の力)を克服した彼は、何がマーヤ(幻妄の力)であるのかを知り、どのようにそれが発生し、破壊されるのかを知るだけであろう。

マーヤ(幻妄の力)の何故は、あなたがブラフマン智を獲得した時にのみ、理解することができる。

マーヤ(幻妄の力)の何故を知るために、あなたの頭を悩ませてはならない。

あなたは、いかなる聖典の中にも答えを見出すことはできないだろう。

何故は、論理的な不条理そのものである。

あなたは、理性(ブッディ)が機能する世俗的な事物のためにだけ、何故を持つことができる。

時間と空間によって条件づけられているので、粗雑で限りある知性が届かない形而上次元の質問のための何故はあり得ない。

経験的な世界を説明しようと努力する人は誰でも、一歩ごとに無知に立ちはだかれて来て、人間的な知力がここまでで、それ以上は行かれないことを告白せざるを得なかったのである。

真理のすべての先見者、すべての教師、すべての預言者、すべての哲学者、すべての形而上学者、すべての神学者は、完全に失敗してしまった。

だからどうぞ、このマーヤ(幻妄の力)の起源についてこれ以上、あなたの頭を悩ませないように。

しかし、その破壊の手段を調べなさい。

もし、それが破壊されると、その時あなたは、それがどのようにして発生し、いつ発生するのか、その性質は何か、それはどのように消滅するのかを知ることができるだろう。

もし、あなたが一服の智識(Jnana)を注入してもらったら、その時あなたは有害な再誕の大海で溺れ死ぬことはないであろう。

恐ろしいマーヤ(幻妄の力)は、本当には存在しない。

 

 

Maya-A Negative Existense(マーヤ - 否定的な存在)

 

光りの欠如は、闇である。

闇は、本当の存在ではない。

それで、マーヤ(幻妄の力)は、否定的な存在を持つ。

光りがもたらされると、闇は消滅する。

同様に、智識がやって来ると、マーヤ(幻妄の力)は消えてしまう。

覆いが、美しさを隠す。

ポットは、粘土を隠す。

指輪は、金を隠す。

象は、森を隠す。

砂糖菓子は、砂糖を隠す。

布は、糸を隠す。

釘は、鉄を隠す。

無知は、永遠を隠す。

形は、ブラフマンを隠す。

マーヤ(幻妄の力)の覆いの背後には、ブラフマンが隠れている。

覆いを破りなさい。

光りの中の光を見出しなさい。

証明の道における人生の旅は、長く退屈で疲れる。

それには、不屈の根気のよい活力を伴った誠実で真剣な実践的な努力が要求される。

無駄な討論を止めなさい。

直ちに、道へ進みなさい。

果実を食べなさい。

炎によって服が燃えている人は、直ぐに、水へと走って行く。

彼は、けっして、激しい苦痛の真っ最中に、火がどのようにしてやって来て、どのようにして彼の服を燃え上がらせたのか?を尋ねはしない。

同じように、あなたが、数々の惨めさや苦悩、苦痛や艱難を伴うこの恐ろしいサムサーラ(輪廻)の生と死の車輪の中に囚われている時、あなたは、マーヤ(幻妄の力)から逃れるために、あなたの最善を試さなくてはならない。

マーヤ(幻妄の力)を破壊する方法はある。

この破壊の後に、あなたはマーヤ(幻妄の力)の原因と性質を知るだろう。

無知の眠りから目覚めなさい。

冷静、識別、「わたしは誰か?」という質問を発展させなさい、そうすれば、あなたは、ブラフマンの永遠の至福に達するであろう。

維持しなさい。

こつこつと歩みなさい。

勇敢に進んで行きなさい。

サーダナ(霊的修行)において規則正しくありなさい。

永遠の警戒と内省を実践しなさい。

祈りなさい。

ジャパ(神の名を唱えること)をしなさい。

礼拝し、瞑想しなさい。

マーヤ(幻妄の力)は、あなたにけっして、けっして近づかないであろう。

あなたは、いつか神の恩寵を持つだろう。

すべての覆いは、破られるであろう。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

質問者

「どのようにしてマーヤ(幻妄の力)を取り除くのでしょうか」

マハルシ

「マーヤ(幻妄の力)を征服しようとしてはいけません。

あなたの真の状態でありなさい。

そうすればマーヤ(幻妄の力)は自発的に去っていくでしょう。

それを征服しようとすれば、それはあなたを多くの困難に導くでしょう。

今のままでいなさい。

もしあなたのところになんらかの外来の想念がやってきたならば、それが誰のところに来ているのかを発見しなさい。

しかし、あなたが本当の真我であると考えても考えなくても、あなたはつねにそれなのです。

真我実現のような単純で明白なことのために、こんなに多くの心配事とこんなに多くのヨーガの技法があるのです!

なぜでしょうか。

あなたは本当の真我です。

あなたはどのように真我と異なったものであることができるでしょうか」

 

質問者

「あなたはマーヤ(幻妄の力)の教えを支持しています。

しかし私は、この椅子が実在であるという私の感覚を、それが非実在であるというあなたの主張と調和させることができません」

マハルシ

「あなたの困難の根源は、たとえば「私」と「身体」というような、二つの別個の観念を一つに混ぜ合わせることによって生じている混乱の中にあります。

あなたが椅子に気づいたとき、それは「私は身体である」という原初の想念に続いて起こってきている想念なのです。

「私は身体である」という想念が、世界の経験についてのすべてのあなたの想念の土台なのです。

その想念がまず起こり、その後はじめて、他の想念が起こるのです。

それが、深い眠りの中でのように「私は身体である」という想念が起こっていないときには、世界の経験もまたあなたの意識の中に入ってこない、という理由なのです。

ところでこれらの二つの観念のうち「私」という想念は持続するものであり、身体の想念は一時的なものです。

このことは夢によって明らかにされます。

そこであなたは「私」という感覚をなおももちづづけていますが、肉体には気づいていません。

そのようにすべてのあなたの身体的経験とそれにリンクしている世界の経験は、あなたの心に入ってきたもの以外の何ものでもないのです。

これが、心は想念以外の何ものでもないと私が言うときに意味していることなのです。

「私」は、それがまさに永続的なものであるという理由で、きわめて実在的な存在なのです。

想念が止まった後に心を発見しなさい。」

 

質問者

「なぜマーヤ(幻妄の力)が働くようになるのですか。」

マハルシ

「いったいこの質問はどのようにして起こるのでしょうか。

あなた自身がマーヤ(幻妄の力)の中にいるのです。

あなたはこの質問を発するために、その宇宙の活動(マーヤ)から離れて立っているのでしょうか。

すべての疑問が最終的になくなるように、同じ力がこの疑問を提起させているのです。

マーヤ(幻妄の力)は神の幻力(イーシュワラ・シャクティ)、あるいは実在の活動にほかならないのです。

 

宇宙は真我の内部に存在しています。

それゆえにそれは実在です。

しかし、それは真我からその実在性を獲得するという理由でのみ実在なのです。

しかし、われわれはその変化する外観と一時的な形を示すために、それを非実在であると呼びます。

一方われわれは真我を不変であるという理由で実在と呼びます。

真我を実現した後では、身体やその他のすべてのものが真我とは異なったものとして現れることはありません。」

(不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話)

 

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

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