永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(26)「マーヤー」①

 

 前回まで数回に渡り、「神」について、ヨーガやウパニシャッドで語られている「神」の概念について、ご紹介しましたが、これまで漠然と頭に抱いていた「神」とは、かなり違っていたかもしれません。

 

より具体的な「神像」に迫るために、今回からは、前回ご紹介しました記事の中で、シュリ・ラーマ・クリシュナが「神」と「神の力」は同じものであるという例え話の中で使われた「アディヤシャクティ(宇宙生命力・根元造化力)」であるマーヤ(幻妄の力)について、ご紹介したいと思います。

 

このマーヤ(幻妄の力)についてですが、その言葉自体を初めて聞く人には、何のことを言っているのか?見当もつかない場合もあるでしょうが、そうでなくても、その仕組みや概要を理解するのは、そう簡単ではありません。

これまでの考え方、世界の捉え方を変えなくては、理解できない仕組みとも言えますので、この本題に入る前に、少し自分自身をチェックしてみましょう。

 

ブログの記事や精神世界の本を読んだだけでは、なかなか「人間(私)」「神」「世界」についての捉え方が変化する訳ではありません。

物事の捉え方は、70億人の数だけあり、一様ではなく、その人の意識によって異なっているため、私たちは、同じ地球に居ながら、全く同じ世界を体験している訳ではありません。 

物事の捉え方は、自己の意識の変化によって、変化します。

そして、自己の意識の変化によって、体験する世界が異なるために、自分が体験する世界も、意識の変化と共に、変化します。(これにより、生き易さや生き難さが生じてしまいます)

体験する世界の変化を促す自己の意識の変容を求めるならば、実践的な心の修養が不可欠ですが、この心の修養は、特別な訓練や修行の中でしか達成できない訳ではなく、日常生活でも充分可能です。

グル(師)について修行をしている場合では、グル(師)が生徒の意識の変容の進捗状況を見てくれますが、そうでない場合は、自分の意識がどれ位変化したか?霊性修養がどの程度進んだか?は、なかなか自分では判断し難いものです。

このことは、私たちが、霊性修養を実践する中で、中途半端に終わってしまう、或いは、挫折してしまう大きな理由の一つと言えるでしょう。

 

自分の意識に変化が訪れると、世界を見る目も変化し、物事の捉え方が変わるので、世界全体が変わったように感じます。

その結果、私たちは、同じ地球に住んでいても、各個人個人が体験している世界は、同じようでいて、実は異なることに、気付くことでしょう。(同じ現象が起きた時、それに対して異なった反応、対応が起こり、それにより、人生の味わいは、個人により大きく異なります)

 この物事を捉える視点が、ひとたび変わってしまうと、その後は、その視点から物事を見るようになります。

それはまるで、山を登っている時に、高度が上がるにつれ、周りの景色が変わって行き、遠くまで見通せるようになるのに似ています。

富士山の一合目から見える景色と、富士山の五合目から見える景色と、山頂から見える景色が違うように、同じ世界でも、見る視点により、世界は違って見えるのです。

そして、一合目にいる人は、山頂からの景色はわからないので、自分の見える風景について語りますが、中には、想像も加味されるので、個人個人が切り取って見る風景はいろいろで、同じ風景とは思えないこともあり、その違いが人間間のコミュニケーションや認識に誤解や軋轢を生み、人間社会に混乱を招くことがあります。

しかし、霊性修養が進むにつれ、風景を見る視点の高度が上がって来ると、格段に視界が広がるので、世界を全体的に見ることができるようになります。

これは、同じ出来事が起きても、個人個人によって、全く異なる解釈をし、その解釈に対する対応が、一様でないことで明らかですが、最高の智慧に至った人々の世界の見方は同じで、マーヤ(幻妄の力)について語っています。

それは、山頂に到達した人々は、全体として一つの同じ風景を見ることになるので、真理はたった一つであり、それ以外にはない、ということが、自ずとわかるようになり(自明)、それが、共通の認識(真理)となるため、最高の智慧(プラジャニー)は一つしかない、と確信できるようになります。

その智慧の眼を通して、山頂から、世界を見渡して、それを言葉で表現しようとすると、「マーヤ(幻妄の力)」について言及することなく、私たちと世界の関係性を説明することは、不可能であるからでしょう。

 

様々な体験を経ながら山を登り、最終的に到着する山頂は、「我、それなり」(梵我一如)であり、これを不二一元(アドヴァイタ)と言います。

 

今回は、前半に、スワミ・シヴァナンダの「霊的な進歩のバロメーター」をご紹介しますので、自分の場合に当てはめて、考えてみて下さい。

もう既に、ここに書かれている状況に置かれても、心が混乱することなく、動揺せずに、穏やかで平安な気持ちで過ごせるならば、日常生活を営みながらも、ヨーガ(神との合一)の修養は、充分に実践できていて、最終的なゴールに向かって、着実に進んでいるという証と言えますので、時々、自分自身でチェックしてみると、自分を客観視することで、見えて来るモノがあり、霊性修養の励みになることでしょう。

 

後半は、神の力(シャクティ)が、マーヤ(幻妄の力)であるということについて、スワミ・シヴァナンダとシュリ・ラーマ・クリシュナの御言葉をご紹介いたします。

 

 

『ここに、あなたの霊的な進歩の度合がわかる絶対に確実なバロメーターがある。

このような時、あなたなら、どう感じるだろうか?

 

① あなたのきれいな手や最も良い洋服が汚れてしまった時

② 躓いたり、大失敗をして笑われた時

③ 偶然に怪我をしたり、虫や蠍に刺されたり、傷を負わせられた時

④ 病気や痛みに苦しむ時

⑤ 努力しても成功しない時

⑥ 欲しいモノを得られない時、あなたの所有物が紛失していることを発見した時

⑦ 何人かの人々によって、長時間待たされている時

⑧ 理由なく、侮蔑されたり、罵られた時

⑨ 他人が、あなたに対する彼らの義務を怠った時

⑩ 喪失や死別を経験した時

 

もしこれらのことが、あなたの心の平和を乱すことなく、あなたがそれらに無関心であるならば、あなたは苦闘に打ち勝ち、50%の自己制御(self control)を達成したのである。

神は、あなたの人格を強くするために、試みや問題を送る。

それを歓迎し、あなた自身をテストしなさい。

 

 

MAYA(マーヤ)

 

本当には、ないが、あるように見えるモノが、マーヤ(迷妄の力)である。

夢中にさせる、或いは、思い違いを引き起こすモノが、マーヤである。

マーヤは、顕れである。

それは、見せかけである。

それは、神の錯覚の力である。

彼女は、この宇宙の創造者である。

彼女は、神のリーラ(戯れ)のために、この世界を投影する。

心(マインド)、知性、身体、感覚は、彼女の形である。

彼女は、エネルギー、神の母性的な側面である。

熱が炎から、固さが氷から分離できないように、マーヤはブラフマンから分離できないモノである。

それは、ブラフマンに依存している。

マーヤは、数え切れない潜在力を持っている。

石の固さは、マーヤの力である。

水の流動性は、マーヤのもう一つの力である。

火は、三つ目のマーヤの燃える力である。

空気は、マーヤの動く力である。

空間は、空であり、または、マーヤの宇宙的な力である。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

『聖ラーマクリシュナ

「虚空(アーカーシャ)のようなものだよ。

ブラフマンのなかには変化はない。

炎に色がないようにね。

それが力(シャクティ)として、あの御方はいろいろにおなりになさる。

サットヴァ(調和性・悟性)、ラジャス(積極性・建設性)、タマス(消極性・破壊性)の三性(グナ)は、シャクティの性質だ。

無色の炎に白い物を投げ入れると白く見えるだろう。

赤いものを入れると赤く見える。

黒いものを投げ込むと黒く見える。

ブラフマンは三つの性質を超越している。

あの御方はこういうものだと、口で言うことは出来ないよ。

言葉を超越しているんだからーー。

これではない、これではない、と打ち消していって最後に残るもの、そこにある常楽(よろこび)、それがブラフマンだ。」

 

マヘンドラ・グプタ

「仰せの通り、あの御方がすべてのものになっていらっしゃるならば、こんなふうにいろいろな感じ方、考え方があるのは何故でございましょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方は、あらゆる処、あらゆるものに遍在しておいでだが、力の顕れ方がいろいろ違う。

ある場所には明知(ヴィディヤー)として、ある場所には無明無知(アディヴィディヤー)として、ある場所には強く大きく、ある場所には弱く小さく顕れていらっしゃる。

ご覧、人間の中にだって、殺し屋もサギ師もいるし、虎みたいに恐ろしい人もいる。

わたしはだから殺し屋神、虎神と言っているんだよ」

「あの御方とあの御方の造化力(ちから)――ブラフマンシャクティ――これ以外には何もないんだよ」

 

マヘンドラ・グプタ

「それから、霊はどういう相(すがた)のものでございますか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「どんなものかって?

――ちょうど水のようなもの――修行をしていくうちにだんだんわかってくるよ。

お前、“相(すがた)”を信じろ。

ブラフマン智に達したら、不異(おなじ)ということがわかるが――ブラフマンと働き(シャクティ)が不異だということがね。

火と燃える力だ。

火を思えば燃える力を思わんわけにはいかないし、燃える力を思えば火を思うことになる。

牛乳と牛乳の白さ。

水とその冷やす力だ。

だが、ブラフマン智のそのまた上がある。

智識(ジニューナ)の上が覚智(ヴィジュニャーナ)だ。

智慧ある人は自分の無知にも気付く。

賢者ヴァシシュタは百人の息子を亡くして嘆き悲しんでいなすった。

ラクシュマナにきかれてラーマはこう答えた

『弟よ、智と無智を超えてしまえ。

智を持つものは無智をももつ。

足にトゲが刺さったら、もう一本トゲをもってきて、そのトゲをほじくって抜く。

それがすんだら二本目のトゲも捨ててしまえ』」

 

マヘンドラ・グプタ

「無智も、智慧も、二つとも捨てなければいけないのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「そうだよ。――覚智が最後の目的だ!

わかるかい。

光を知るものは闇を知る。

幸福の味がわかるものは不幸の味もわかる。

徳について思うものは罪についても考える。

善を思うものは悪をも思う。

清浄を感じるものは不浄の感じもある。

ワタシがあればアナタがある。

覚智とは、あの御方と特別に近く親しくなることだ。

木の中に火の性があるという感じ――この確信をもつことを智識(ジニャーナ)という。

その火で米を煮て食べて栄養をとる。

これを真実智と言うんだ。

神様は実在する――これを心の経験で知るのが智識。

あの御方と話をしたり、あの御方と楽しんだり。。。。。

つまり、あの御方の子供になったり友だちになったり、召使いになったり恋人になったりして――これこそ、覚智というものだ。

あの御方が宇宙とすべての生物になっていらっしゃる。

これを見抜くのが覚智というものだ。

ある一派の考えによると、あの御方は見ることが出来ないそうだ。

――いったい、誰が誰を見るというのかね。

自分が自分を見るんだよ。

黒い海に船が入ると戻ってこない――だから戻って報告をすることも出来ない」

 

「なぜ、これでもない(ネーティ)、これでもない(ネーティ)なんてばかり言ってうろついているんだい?

ブラフマンについて何一つ説明することは出来ないよ。

ただ、“実在そのもの”と言えるだけだ。

ただ“ラーマ”だけだ。

わたしらが見たり考えたりすることはみんなあの根源造化力の、あの造化力意識のすばらしい顕れなんだよ。

 

――造る、保つ、壊す。

生物世界、それに瞑想と瞑想する人、信仰、愛、すべてあの御方の力の表現(あらわれ)だ。

だが、ブラフマンシャクティ(力)は同じものだよ。

ちょうど舵と蛇行の関係――舵のように曲がりくねった動きを考えると、どうしても舵のことを考える。

舵のことを考えると、蛇行のような動きもいっしょに考えてしまう。

牛乳を考えると牛乳の色を考える――白い色を。

牛乳のような白さといえばすぐ牛乳を考えてしまう。

水の冷やす力を考えれば水のことを考えるし、水を考えれば水の冷やす力のことを考える。

この根源造化力(アディヤシャクティ、または、大現象(マハーマーヤー)がブラフマンを覆っている。

この覆いの幕が除かれてはじめて、“永遠に実在(あ)り通しの我”だ。

“わたしはあなた、あなたはわたし”だ!

この覆いの幕が残っている間は、ヴェーダーンタ派の決まり文句――つまり、“我こそ、かのブラフマンである”などと口にするのは正しい態度ではないんだよ。

波は水のものだが、何で水が波のものであるもんか。

まだ幕がかかっている間は、母親――大実母(マー)と呼ぶのがいい。

あなた(神)は母親、私はあなたの子供、あなたは御主人、私はあなたの召使い。

この主人と召使いの考え方もとてもいいよ。

この召使いという考え方から、ほかのいろんな思い方が出てくる。

静かで平安な態度や、友達関係と見る態度も――

主人が召使いを可愛がっていれば、『これ、私の傍にきてお坐り、お前と私は一心同体だよ』と言ってくれることもあるさ。

けれども、召使いが自分勝手に主人のそばへきて坐りこめば、主人は怒るだろう?」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

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