永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

クンダリニーについて

宇宙エネルギーであるプラーナについて、数回にわたりご紹介してきましたが、今回は、私たちの内部に眠っていると言われています生命エネルギーの源であるクンダリニーについて、ご紹介したいと思います。

 

日本では、あまり知られていないクンダリニーですが、インドで発祥したヨーガでは、クンダリニーを目覚めさせることが、ヨーガの目的の一つとして考えられているほど、よく知られた存在です。

 

これまでと同様、スワミ・シヴァナンダの著書からの抜粋を引用させて頂きますが、ここに書かれていることは、比喩でも例え話でもなく、実際に存在するものを、その存在を知らない人々にも理解できるように、言葉を使っての説明となっています。

 

クンダリニーという生命エネルギーの源の力が目覚めないと、本当の意味での霊的な意識は目覚めない、と多くの聖者が語っています。

 

それでは、クンダリニーとは、一体どのようなモノなのでしょうか?

 

クンダリニーは、誰にでも眠った形で内在していますが、そのことに気づいている人は、極少数です。

 

眠った状態で内在しているクンダリニーは、目覚めさせ、体験することが必要ですが、ここでは、知識として、どのようなモノであるか?について、簡単ではありますが、ご紹介したいと思います。

 

 

クンダリニーは、蛇がとぐろを巻いたような姿で、尾てい骨の下、肛門の上にあるムーダーラーダ・チャクラ(根の力の中枢)に、顔を下に向け、三回半とぐろを巻いて眠っている状態にあり、サーペント・パワー(蛇の力)とも呼ばれている。

クンダリニーはプラーナとつながり、プラーナは心とつながっている。

チャクラとは体内にある各エネルギー・センターを指す。

知識の道を辿るヴェーダンタの人びとも、クンダリニーの力の覚醒を通じて初めて超越意識を達成するのである。

ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ニューナ・ヨーガのいずれも、この根源のエネルギーの覚醒なしには、サマーディ(三昧)あるいは、宇宙の真理と一体になる超越意識、超常能力への到達は不可能である。

世俗的な情欲と欲望が実際になくならなければ、クンダリニーの力とエネルギーは目覚めない。

シャクティ(力)を揺り動かす、打つ、動き回る、などがクンダリニーを覚醒させるのに役立つ。

強く動かす、はクンダリニーをさらに上昇させるのに役立つ。

クンダリニーの力が目覚めると、脊髄のなかにある、スシュムナー管を勢いよく上昇する。

するとすべての知覚が精神的空間の中で起きるようになる。

クンダリニーが目覚めた後、プラーナは、脊髄の中にある気道の流れ、プラフマ・ナーディーのスシュムナー管を、心とアグニと呼ばれる火を伴って、上に向かって昇る。

その時体に灼熱を感じる。

こうしてヨーギーは、肉体意識の呪縛から解き放たれ、物質世界から自由になれる。

初めてクンダリニーが目覚めるとすぐに、ヨーギーは短期間に、次の六つの経験をする。

アーナンダ「神聖な歓喜」、カムパナ「体のさまざまな部分の震え」、ウドバーヴァ「地面からの浮上」、クールニー「神聖な酔い、体は丸く動く」、ニドラー「眠り」、ムールッチャー「気絶」。

クンダリニーが目覚めた後、頭頂部のサハスラーラ・チャクラまで上昇させなければならない。

クンダリニーが下のチャクラ(エネルギーの中枢)から上のチャクラへ動く時、それぞれのチャクラの扉を開けて進んでいく。

ヨーギーはそれぞれのチャクラごとに別の種類のアーナンダ(至福)を経験する。

種々の超常的能力を得るとともに、さまざまな体験をする。

地水火風空の五大元素の支配ができる力を得る。

宇宙を、細やかな本来の姿で感知できるようになる。

さまざまのコーザル、原因体レベルの完全な知識を取得する。

クンダリニーがサハスラーラ・チャクラに到達すると、チダーカーシャという無限の智識としてのブラフマンに入る。

チャクラが開くと輝く光を発するが、超常的で常人の目には普通見えない。

 

からだには7つのチャクラ、いわゆる精神エネルギーのセンターが存在する。

一番下が肛門付近にあるムーラーダーラ・チャクラ(根のチャクラ)で、ここには蛇のようにとぐろを巻いてクンダリニーの力が眠っている。

その少し上にスヴァーディスターナ・チャクラ(脾臓のチャクラ)、次が臍にあるマニプーラ・チャクラ、心臓部にあるアナーハタ・チャクラ、喉にあるヴィシュッダ・チャクラ、眉間にあるアージュナー・チャクラ、頭上のサハスラーラ・チャクラである。

ラージャ・ヨーギーは眉間のアージュナー・チャクラに心を集中する。

このチャクラは目覚めている時に心がある場所で、ここに心を集中すれば、容易に心を支配できる。

ある人は、瞑想で精神集中していると「光」を見ることがある。

宇宙として顕われた神を瞑想しようとする人や、世界を助けたいと思っている人は、ここに心を集中するとよい。

修行者は、感情の中心であるハートに心を集中するとよい。

ハートに心を集中する人は大きな歓びを得る。

ハタ・ヨーギーは心を脊髄の中央の気の流れる管、スシュムナー・ナーディーに集中する。

と同時に、ムーラーダーラ・チャクラ、マニプーラ・チャクラ、アージュナー・チャクラの集中する。

あるヨーギーは体の下部にあるチャクラを無視し、アージュナー・チャクラだけに心を集中する。

アージュナー・チャクラを支配すれば、下のチャクラも自然に支配できると考えている。

チャクラに心を集中すると、まず心とチャクラの間に糸のようなつながりができる。

こうして覚醒された力は、スシュムナー管を経て、チャクラからチャクラへとスシュムナー・ナーディーを上昇する。

この上昇は忍耐強く徐々に行うことが重要である。

スシュムナー管の開口部がかすかに揺れるだけでも、表現しがたい大きな歓びを感じ、至福に酔い、俗世を全く忘れる。

スシュムナーの開口部が少し開くと、クンダリニーの力がスシュムナー管に入ろうとする。

その時強い放棄と離欲の思いが起こる。

恐れが全くなくなり、さまざまなヴィジョンを見ることが多い。

そこで表現しがたい内なる輝きを見る。

これをヨーギーの「心の存在しない状態」と呼ぶ。

いろいろな超常能力、さまざまな歓喜、さまざまな知識が、チャクラが開かれることによって得られる。

ムーラーダーラ・チャクラを支配すれば、地を支配したのである。

マニプーラ・チャクラを支配すれば、火を支配し、火の事故はなくなる。

下から五つのチャクラは、地、水、火、風、空の五大元素を支配している。

しかしクンダリニーの覚醒など、高度な技術は、必ずヨーガに熟練したグルの丁寧な指導のもとで学ばねば危険を伴うので、むやみに我流でやらぬよう注意を喚起しておく。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

>グルの恩恵があっても、心のコントロールができないのはどうしてか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「自助努力(プルシャッタ)して初めて、神の恩寵・恩恵が得られるのである。

入学試験で、教授が答えを教えて合格させてくれるわけではない。

「ギーター」に「自分を高めるべし。神の恩恵は自助努力する者を助ける」と記されている。

自分を救う道は自分の努力で見つけるしか方法はない。

では「恩寵とはいったい何なのか」と問うかもしれない。

たとえば、ある修行者がグルから手紙を受け取り、日頃の疑問が解ける。

それが恩寵である。

求道者がシバナンダ・アシュラムを訪れ、ガンガーで沐浴し、アシュラムの講義を聴くことができる。

それが神の恩寵である。

何千何百万ルピーを持った金持ちたちも、聖なるガンガーで沐浴したいと願っている。

しかしすべての願いが叶えられるわけではない。

あなたがここに来られたというのはラッキーで、それは大いなる神の愛の成せるわざである。

精神を向上させる書物との出会いも恩寵である。

健康に恵まれて努力が続けられるのも恩寵である。

神が望めば、一瞬にして全世界を救済することも可能であるが、神はそうはしない。

努力する者にのみ、神の愛は自然に流れ込む。

すべて恩寵である。」

 

>超越した世界のことなど求めなくとも、誠実で、思いやりを持ち、正直に社会の幸福のために働き、善良な人間として死ねば、それでよいのではないか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「人生を誠実に生きて死んだら、あなたは聖人としてではなく、善良な人としてだけ死ぬことになる。

それでは、解脱(モクシャ)することはできない。

善良な人間は数多くいるが、覚者と言える人の数はごくわずかである。

真の求道者と呼べる人でさえ、最近は稀である。

あなたが言う「善良な人」のカテゴリーの中でも、善良の度合はさまざまである。

たとえば、ガンジーのように善良な人が何人いるであろうか。

善良な人とは、どういう人を指すのか。

正直で、誠実、人を思いやり、敬虔な人たちのことかもしれないが、彼らも本質的には自己中心的である。

財産を貯めるのも、自分の妻や子供たちのためのであって、他人の子供も自分の子供同然と考えているであろうか。

町で甘い菓子を買い、最初に他人の子にそれを食べさせる人がいるだろうか。

善人でもそのようなことはしない。

それはすべてが一つだという宇宙真理を知らないからだ。

この真理が認識されない限り、どうして離欲や本当の意味の無私の奉仕が実行できようか。

善良な人間になろうという理想は、動物本能の悪い生き方よりは勝る。

しかし、善良な人間になるという理想は、大きな目標到達への一段階でしかなく、目的そのものでは決してない。

最終的な目的は、神を知って解脱することである。

神への第一歩として人は、善良であり、善を成すべきである。

さらに、真理を識別する力、離欲、正しく生きる態度を養い、瞑想、ジャバ(誦経)、キルタン(讃歌)、経典の学習をする。

そうすれば霊性が高まり、神の恩寵により、最終目標に到達することができるであろう。

途中で留まっては意味がない。

 

>スワミジ、なぜ解脱を求める必要があるのですか。

 

スワミ・シヴァナンダ

「解脱について理解するためには、サットサンガに参加し、聖典を学ぶ必要がある。

さまざまな欲望や悪いサムスカーラ(潜在印象)で曇った知性は、解脱の重要性すら自覚できない。

そういう知性は有害である。

『バガヴァッド・ギーター』を読み、サットサンガに参加しなさい。

聖者やスワミの話を聞きなさい。

そうすれば、真実を識別できる心(ヴィヴェーカ)が生まれる。

やがてこの世が、苦痛、悲しみに満ちていることが見えてくるだろう。

家や車の所有、社会的地位や財産、高い給料だけでは心は満足しなくなる。

そこで求道心が芽生える。

神の意識を悟りたいと願うようになる。

あなたをがっかりさせない、永遠の幸せを手に入れるためには解脱が必要である。」

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

わたしが至上者であることを知る者は

迷わぬ者であり 全てを知る者である

アルジュナよ 彼は全身全霊をもって

わたしを礼拝しわたしに仕えるのだ

 

罪無き者よ いままで教えた真理のなかで

最も神秘な部分を今 わたしは話した

これを理解する者は誰でも賢明になり

やがて究極の目的を達するであろう

(バガヴァッド・ギーター第15章19-20)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(9)

これまで、何回にも渡ってこの私たちの肉体に宿る生命エネルギーであるプラーナについてご紹介してきましたので、プラーナとは何なのか?について、以前より格段に、理解が深まったことと思います。

 

プラーナについて知ることは、意識が、この物質次元から、より微細なエネルギー次元へシフトしていくことに繋がっていき、やがて、それは、個我の最奥に存在するアートマン(真我)そして、更には、宇宙エネルギーの源である至高の存在であるブラフマン(宇宙我)へと至る一連のつながりの発端を掴むことに繋がっていくことになります。

 

この物質世界に、一時的に現れては消えていく「表面上のわたし」は、プラーナ(生命エネルギー)に生かされている肉体と心を使って、この世を経験していますが、このプラーナ(生命エネルギー)と肉体と心の関係を、スワミ・シヴァナンダが、著書の中で、とても分かり易く解説して下さっていますので、ご紹介したいと思います。

 

 

『この世には二つの主要な物質がある。

それは「心」と「プラーナ」(生命エネルギー)である。

プラーナのあるところには、必ず心も存在する。

鼻から出た、体外の息の動きの中にさえ、心は交り合っている。

プラーナというエネルギーは、いわば心の外側の覆いなのである。

プラーナは食物を消化し、血液をつくり、栄養や脳や心に送り出している。

これによって、心は考えることができ、宇宙の真理、ブラフマンの探求を行うこともできるのである。

微細なプラーナの波動によって心は命を保ち、このお陰で人間は思考することができるのである。

精妙な心に対して、プラーナは少し粗大なものからできている。

心は、五大元素の中でもサットワと呼ばれる微細で純粋な部分が集まって形成されている。

これに対して、プラーナは五大元素のラジャスと呼ばれる活動的な部分が集合して形成されている。

まず、アンナマヤ・コーシャと呼ばれる肉体の鞘があり、次にプラーナマヤ・コーシャと呼ばれるプラーナの鞘が、肉体の鞘に重なるように、より広範囲に存在する。

さらにマノーヤマ・コーシャと呼ばれる心の鞘があり、プラーナの鞘より細やかである。

肉体的に他人に影響を及ぼそうとする場合には、直接相手に接触しなければならない。

しかし、プラーナの場合には、遠くにいても送り出すだけで、その生命エネルギーを他人に与えることができる。

プラーナは肉体より微細にできているためである。

何千キロ遠く離れていようと、そのこと、その人を考えるだけで、精神的に影響を与えられるのである。

 

プラーナと心は、互いに支え合うという関係にある。

それは、花とその香り、ゴマの種とゴマ油のような関係と考えるとわかりやすい。

もし一方がなくなれば、他方も存在しない。

心とプラーナの両方が存在しなくなれば、考えや想念というものも生じない。

心には、集中した状態と完全に鎮まって制御された状態がある。

純粋で静寂な要素によって浄化されると、プラーナは全身くまなく行きわたり、食べ物は完全に消化される。

 

プラーナヤーマ、すなわち、プラーナの制御、呼吸のコントロールは、精神力を高め、思考を深め、精神を豊かにする。

さらに、精神集中と瞑想を助ける。

心はしっかりと落ち着く。

プラーナヤーマによって、心は次第に粗大なものから精妙なものを感知するようになる。

だから、不必要な性的興奮を健全なかたちで抑制できる。

もし雑念が湧いて来たら、すぐに蓮華座で坐り瞑想する。

すると雑念はたちどころに消え去る。

 

我々の内面は、いくつもの層からなっている。

まず一番外側の層に言葉があり、その内側に視覚がある。

視覚は矛盾なく目でみた対象の印象を伝えるけれども、あたかも貝の真珠層を銀と見間違うことがあるように、視覚には錯覚がある。

一方、聴覚は視覚よりももっと内側にある。

なぜならば、耳はありもしない音を聴くことはないからだ。

また、耳は心の注意が向いたときにだけ機能する。

その心はプラーナに依存している。

プラーナは、アートマンに最も近いすべての一番奥に存在する。

ある時心は肉体から離れた。

その一年後、肉体に戻った時、心は感覚器官に尋ねた。

「私がいない間、どうだった?」そこで感覚器官は答えた。

「考えなしの幼児のように、ただ呼吸器官で息をし、口で物をいい、目で見、耳は聞いていただけだった」。

心は元の場所に戻り、次にプラーナに同じ質問をした。

プラーナは答えた。

「あなたは感覚器官を支配できると思っているが、私の支えなしにその能力をどうして発揮できようか」。

心はプラーナによって働き、プラーナからすべてが生じる。

この話は、プラーナが心や他の感覚器官より優位に立っていることを物語っている。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

『<質問者>

霊的向上の証を見たい。

どうすれば人の精神性の高さを知ることができるか。

 

<スワミ・シヴァナンダ>

霊的(スピリチュアル)向上の現われは、心の平和、陽気さ、満足、冷静さ、あらゆる状況下でも恐れを知らず、平静である、などでわかる。

精神的成長、霊性の高さはサイキックパワー(超能力)の有無では推し量れない。

霊的向上の度合いは、瞑想の時の至福感の深さでわかるものだ。

次の項目を自問自答してみよう。

 

・日々、内なる霊的修行と肉体的修行に興味が深まってきたか。

・あなたの意識は、世俗の楽しみより精神生活の方向に大きな歓びを感じ始めたか。

・求道者でないと得られないような、心の安らぎや力強さを得たと感じ取れるか。

・真理を識別する力が徐々に増したと感じられるか。

・自分の力を超えた、全知全能の神の意志と知性の働きを感じ取れるか。

・日々違った視点から物が見られるようになったか。しっかり地に足が着いたと感じるか。

・永遠不滅の神との密接な繋がりを確信できるか。

 

「はい」の答えが一つでもあれば、あなたは直実に霊的な向上の一途をたどっている証だ。

 

 

<質問者>

科学は正確にどう構築されてどう発展するかが明らかだ。

ヨーガの実践で、求道者の修行の進み具合を量る的確なしるしはあるのか。

たとえば、ヨーガ実践三カ月後、一年後、その後などに起こる経験の種類を知りたい。

 

<スワミ・シヴァナンダ>

それぞれのヨーギは異なる経験をする。

たとえば熱心にプラーナヤーマ、ハタ・ヨーガ、クリヤ・ヨーガをすることで、それぞれの段階に応じてサイキックな体験をする。

エーテル体の光を見たり、アナハタ・チャクラ(心臓のチャクラ)の音を聞いたりする。

高い段階に達したヨーギは、クンダリニーがチャクラからチャクラへと通過する時、ある確固とした実証可能な経験をする。

理由は、それぞれのチャクラには特定のタットヴァ(実在)があり、各自司る分野を持つ。

そのために特定の体験が現れるのである。

同様に、タントラ・ヨーガ(密教ヨーガ)の修行者は、霊的な体験の結果をはっきりと図表で示している。

修行法によって各自特有のシッディ(サイキック・パワー)がもたらされる。

同じ修行法を会得したヨーギは皆同じ経験を得る。

しかしこれらは下のクラスの経験である。

サイキックな経験は必ずしも修行者の精神的前進を示すものではない。

滂沱の涙を流すなど、バクティ・ヨーガの修行者の驚くような体験もある。

変った体験は必ずしも精神的な進歩を示すものではない。

精神世界の領域にいると、そこは無限の世界だ。

無限がヨーガであり、経験でもある。

各人のヨーガはそれぞれ異なる。

過去生からの潜在意識と潜在欲望を持って生まれており、それぞれが自分なりに努力して最終ゴールの神へ向かって進む。

たとえば、霊的修行が進んで超越意識、無限、永遠不滅の神に近づくと、求道者は絶大な内面の平安を感じ、言い表し難い至福に浸る。

周囲の出来事にもほとんど影響されなくなる。

のみならず、周りの人々へ至福と平和の気持ちを放射できる。

善き人となり、善きことを広める。

これが精神的に前進したかどうかの一番明らかな兆しだ。

神は完全なる善である。

神へ一歩近づいた求道者は、その分だけ善が強くなる。

悪の面は徐々に消えて純粋な徳に置き換わる。

この重要な面が欠けていると、超常的な物が見えたり聞こえても、無用の長物でしかありえない。

悟ったヨーギは、そばにいるだけで人々を善の人生に導くものである。

ヨーギのハートは宇宙の純粋な善に満ちあふれ、そのためすべてに無私の働きをする。

これがお尋ねの、ヨーガにおける進歩の度合を示す事象である。

とにかく究極の体験をする。

それは言い表しがたいものだ。

心の平和、至福、乱されることのない静寂、これも進歩の度合を示す。

究極は神と合体することである。

善をなし、徳をつんだ上で、絶え間ないヨーガの瞑想を続けることだ。

ヨーギが神と合体したと感じる経験は、どの言葉でも言い表すことはできない。

言葉を超えた体験である。

言葉を超えた世界がそこにはある。』

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

これら二つのものを超越して

至高の大霊が実在する

それは至上我(パラマートマー) 不死不滅の主自身であり

宇宙三界に入って全てを支えている

 

わたしこそ滅不滅を超越した

その最も偉大な実在者である

わたしは全世界から またヴェーダから

至上主とよばれ崇め讃えられている

(バガヴァッド・ギーター第15章17-18)

 

 

 

 

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☆真我の目覚めを体験したい人

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

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プラーナについて(8)

プラーナについて正しく理解するために、スワミ・シヴァナンダの著書からの抜粋をご紹介していますが、

プラーナヤーマ(調気法)を実践することで、生命エネルギーであるプラーナをコントロールすることができるようになり、プラーナを病気の治療法にも役立てることができるようになるという解説をご紹介したいと思います。

 

これは、気功という東洋医学で用いられている方法として、日本でもお馴染みのモノなので、すでに治療などで使っている人もいるかもしれません。

 

プラーナによる治療は、プラーナヤーマの本来の目的ではありませんが、こんなこともできるようになる、ということで、改めて、ご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマの実習者は、自分のプラーナを分け与えて病人を治療することができる。

クンバカを行なえば、失ったプラーナを補充するのに時間はかからない。

他の人たちに分け与えることで、自分のプラーナが使い果たされると考えるのは間違いである。

与えれば与えるだけ、宇宙エネルギーの源泉(ヒランヤガルバ)からあなたの中に流れ込むプラーナの量も増えるのだから。

それが自然の摂理だ。

出し惜しみをしないこと。

リウマチ患者が居たら、あなたの手で両脚をマッサージしてあげなさい。

マッサージしながらクンバカを行ない、あなたの手から患者の脚に向かってプラーナが流れていると想像しなさい。

ヒランヤガルバ、つまり宇宙プラーナとあなた自身を繋ぎ、宇宙のエネルギーがあなたの手から患者の脚に向かって流れていると想像しなさい。

患者は即座に温かさ、慰め、活力を感じとることだろう。

あなたの手のすばらしい感触とマッサージによって、頭痛や腹痛、その他のどんな病気でも治すことができるのだ。

肝臓、脾臓、胃などの臓器をマッサージしながら、その臓器の細胞に話しかけて次のように命令しなさい。

「細胞たちよ!正しく機能しなさい。私からの命令です」。

細胞はあなたの命令に従うだろう。

細胞も意識下の知性を持っているからだ。

誰かにプラーナを送る時には、繰り返しオームを唱えなさい。

何人かに試してみることで、上手くできるようになるだろう。

蠍に刺された患者の治療も可能である。

患者の脚を優しくマッサージして蠍の毒を外に出せばよいのだ。

毎日プラーナヤーマを実習することで並外れた集中力、強い意志、完璧に健康で強靭な肉体を手に入れることができる。

どこか不健康な部分があれば、プラーナを意識的にその部分に送ること。

例えば、肝臓の働きが弱っているとしよう。

まず、パドマアーサナで座る。

目を閉じて、心の中でオームを3回唱えながら静かに息を吸い入れる。

次に、オームを6回唱える間息を止める。

プラーナを肝臓の辺りに送る。

肝臓に精神を集中し、その部分から意識をそらさないようにする。

プラーナが肝臓の組織と細胞全体に浸透し、癒しと再生を行っていると想像する。

プラーナによる治療では、信念と想像力、そして、集中力と関心とが重要な役割を果たす。

次に、ゆっくりと息を吐く。

息を吐いている間、病気の原因となる不純物が肝臓から取り除かれている様子を心に描く。

これを朝12回と夕方12回行う。

肝臓の不調は2~3日で改善するだろう。

この治療法では医薬品は使わない。

これがまさに自然療法だ。

プラーナヤーマを行ないながらプラーナを身体の特定の部位に注ぐことで、急性、慢性に関わらず、どのような病気でも治すことができる。

1度か2度、自分自身に試してみなさい。

確信を深めることができるだろう。

プラーナという安価でよく効く薬が、あなたの意志ひとつでいつでも簡単に手に入るのに、何故ない物ねだりをしなければならないのだろう。

それではまるで、バターを手にしていながらギーを求めて懇願するようなものだ。

プラーナを賢く使いなさい。

集中力や治療する能力が高まるにつれて、触れるだけで様々な病気を治すことが可能になる。

さらに高度なレベルに達すると、ただ望むだけで病気が治ってしまうだろう。

 

別名「不在治療」として知られているものだ。

あなたのプラーナを遠くに住む友人に送りたい時、空中を経由してプラーナを届けることができる。

相手が受容的な心の持ち主であることが条件だが。

また、遠隔ヒーリングによって癒そうとしている友人とあなたの心がひとつであって、親密さと思いやりを感じていることも大切だ。

手紙などで時間を決めておくとよいだろう。

このような文面で構わない。

「午前4時までに準備を整えてください。

受容的な心を保つこと。

安楽な椅子に座り、目を閉じてください。

私のプラーナを送ります」。

そして、その時間に患者に対して、心の中で次のように話しかける。

「私は今、プラーナ(生命エネルギー)を送っています」。

プラーナを送る時は、クンバカをリズム呼吸を行ないなさい。

息を吐く時、プラーナがあなたの心から離れ、空中を横切って患者の器官へと入って行く様子を心に描く。

プラーナは無線やラジオ波のように目に見えない波動として伝わり、空に走る稲妻のようにさっと伸びる。

治療者の思いがプラーナの色として表れ、外界に投影されるのだ。

遠隔治療の後にクンバカを行い、あなた自身のプラーナを補充する。

この治療を行うためには、日々の実習を長期間欠かさず続けることが求められる。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

『心の浄化はヨーガの第一、第二段階である。

この心の浄化が終了した時、心は自然に自ずから自由解放、悟りへと向かう。

心の汚れをすっかり清めた弟子のみが、グルによって神聖な奥義を伝授され、その心は完全な静寂を得る。

この三昧の状態は超越意識とも呼ばれる。

すべては神の顕われと気がつく。

常に変化する世界と不変の世界が見えてくる。

 

鋭敏で一点に集中した純粋な心が、アートマンの探求やウパニシャッドの研究には必要なのである。

世俗に浸った欲深い心は、真理の探究や哲学的思考には不向きである。

自分本位な考えは理解を曇らせる。

俗な心はいつも性的刺激に駆りたてられ、深遠な哲学的考えを受けつけない。

このような心は無感覚で、本来の働きをせず、哲学的思索ができない。

釘は粘土には刺すことができるが、石には打ち込めない。

不動の心を作るには、奉仕の活動、ジャパを唱える、プラーナヤーマを行うなどの修行によって俗な心が清められなければならない。

心は鏡にたとえられる。

鏡が汚れていれば、自分の顔がはっきり映らないのと同様に、心の鏡が汚れていれば、神を正しく映すことができない。

ブラフマンの光を正しく輝き通せない。

瞑想、無私の活動のヨーガ、信仰などの日々の修行によって、心の掃除をしなさい。

そして、神を知る努力をするがよい。

ブラフマンは心によって感知されるものだ。

この心は純粋な心のことである。

心の平安、節制、道徳的生活の実行によって、鋭敏で純粋になった心には、ブラフマンが忽然と顕われる。

有能なグル(師)が、心を純粋にする方法を伝授するのだが、このグルの教えを、まずよく聞いて熟慮し、自分で繰り返し瞑想しなければならない。

聖典の学習、賢者との交わり、不断の瞑想の実行を通じて純粋な心が集中されると、知恵が開け、神を見る。

その実在を直接に知り、感じることができる。』

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

わたしは全人類の心臓(むね)に住み

彼らに記憶と知識と忘却を与える

ヴェーダはわたしを知るためにあり

わたしはヴェーダを悉く知りヴェーダンタの編集者である

 

この宇宙に二種の存在がある

それは必滅のものと 不滅のものーー

物質界の万物は無常にして必滅であり

神霊界のものはすべて常在不滅である

(バガヴァッド・ギーター第15章15-16)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(7)

 プラーナについて理解していく上で、欠かせないのが、霊体(アストラル体)と呼ばれる微細体についての知識です。

 

プラーナは、眼には見えないので、肉体次元である物質次元のものではありませんが、確かに存在しています。

 

ここで、思い出して頂きたいのは、以前の記事でご紹介しましたウパニシャッドにおける「人間五臓説」における、食物鞘(肉体)、生気鞘(生命エネルギー)、意思鞘(感情)、理智鞘(理性)、歓喜鞘(真我)という人間を5つの鞘で覆われた存在として、包括して捉える構成図(見取り図)です。

 

アストラル体、メンタル体、コーザル体という呼び方は、19世紀の西洋で誕生した「神智学」における呼称であり、インドで誕生したウパニシャッドでは古くから、生気鞘、意思鞘、理智鞘と呼んでいます。

 

神智学が説くスピリチュアルな考えは、インドのウパニシャッドで説かれているものを、19世紀になってから、西洋に取り入れたもので、オリジナルの考えは、インドで約2000年以上も前に発見されていました。

 

それでは、プラーナを理解するために最低限必要な知識を得るために、人間を5つの層から成る多層構造の存在として考えた場合の詳細な見取り図を、スワミ・シヴァナンダの解説から抜粋してご紹介したいと思います。

 

人間は、私たちが知っている肉体次元だけでなく、全部で5つの多層構造になっていることが、よくおわかり頂けることと思います。

 

人間におけるこの多層構造を理解できて初めて、プラーナという目に見えないエネルギーについての理解が深まると言えるでしょう。

 

 

『ナディーは霊的な物質から作られている管で、プラーナが流れる通路のことだ。

ナディーは霊視によってしか見ることができない。

ナディーと神経とは別のものである。

人体には7万2000本のナディーがあり、イダー、ピンガラ、スシュムナーがそのうちの重要なもの。

中でも、最も重要なのがスシュムナーだ。

 

スシュムナーはナディーの中で最も重要なものである。

それは、宇宙の支えであると同時に、宇宙への道であり、救いへの道でもある。

スシュムナーは、肛門の後ろから脊髄に沿って頭部のブラフマランドラ(梵の座、サハスラーラ・チャクラ)まで伸びている目に見えない精妙な管のことだ。

ヨーギにとって本当の意味での活動が始まるのは、スシュムナーが機能し始めた時からだ。

スシュムナーは脊柱(脊髄)の中心を通っている。

生殖器の上部、臍の下部に位置するカンダ(丹田)は鳥の卵のような形をしており、数にして7万2000本といわれるナディーのすべてが、ここを起点にしている。

このうち一般的に知られているのは72本で、そのうちのイダー、ピンガラ、スシュムナー、ガーンダリー、ハスティジフヴィカー、プーシャー、ヤシャスヴィニー、アランプーサ、タフー、シャンキニーの10本がプラーナを通す主要な10本だといわれている。

ヨーガはナディーとチャクラについての知識を持たななくてはならない。

イダー、ピンガラ、スシュムナーはプラーナを通す管で、それぞれ月、太陽、火という神に対応するといわれている。

スシュムナー管の中でプラーナが動く時は、瞑想のために座ろう。

そうすれば、深いディヤーナ(瞑想)を得ることができるだろう。

渦巻状のエネルギーであるクンダリニー(先天の源気)がスシュムナーに沿って上昇し、チャクラからチャクラへと昇って行く時、ヨーギは様々な経験、力、至福を得る。

 

背骨に沿って、左右に、一本ずつの神経の流れが走っている。

左はイダー、右はピンカラと呼ばれるナディー(プラーナの通路となる管)がある。

イダーとピンガラを左右の交感神経であると推論する人がいるが、実際には、プラーナを運ぶ精妙な管のことをいう。

月はイダーの中を動き、太陽はピンガラの中を動く。

イダーは冷やし、ピンガラは熱す。

イダーは左の鼻孔を流れ、ピンガラは右の鼻孔を流れる。

一日のうち息をする時、私たちは右の鼻孔から1時間、その後左の鼻孔から1時間というように交互に鼻孔を使っている。

息がイダーとピンガラを通して流れている間、人は忙しく世俗の活動を行っている。

息がスシュムナーを通して流れ始めると、現実の世界には反応しない死の状態が訪れ、人はサマーディ(三昧、涅槃、煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態)に入る。

プラーナをスシュムナーに通すため、ヨーギは技量の限りを尽くす。

スシュムナーは、中央のプラフマ・ナディーとしても知られており、その左にはイダーが、右にはピンガラが位置する。

月はタマス(暗性)、太陽はラジャス(活動性)の性質を持つ。

また、毒は太陽に属し、甘露は月に属する。

イダーとピンガラは時を知らせる。

しかし、スシュムナーは時を消滅させる。

 

クンダリニーは蛇のパワーもしくは眠れるシャクティ(霊性を進化させる力)として、脊柱の基底部のムーラダーラ・チャクラに位置していて、3回半渦を巻いて、顔を下に向けている。

このクンダリニーが目覚めない限りサマーディはあり得ない。

プラーナヤーマの実習では、クンバカ(止息)が生み出す熱によってクンダリニーが覚醒し、スシュムナーに沿って上昇する。

この時、実習者は多種多様のビジョンを体験する。

6カ所のチャクラを通ったクンダリニーは、最終的には頭頂部のサハスラーラ、または千の花弁を持つ蓮と呼ばれるチャクラに達し、そこを座とするシヴァ神ヒンドゥー教三大神の一人、魔神を退治する“破壊と幸福の神”としての一面と、帰依者に恩寵を授ける“恩恵の神”としての側面がある)と一体になる。

これがニルヴィカルパ・サマーディの達成であり、ヨーギは開放と神聖な精神的富を得る。

ここに到達するには、呼吸の制御と共に、精神の集中をも訓練しなければならない。

クンダリニーが覚醒してマニプラ・チャクラ(第3のチャクラ・腹腔=太陽神経叢、腹部における自律神経の重要な中心であり、肉体生命の素であるプラーナの受容、分配を支配し制御)まで上昇したとしても、再びムーラダーラ(第1のチャクラ 仙骨神経叢、“根を支えるもの”を意味する)へと下降してしまうことがある。

その場合は、再び上昇させるよう努力すること。

クンダリニーを覚醒しようと試みる者は、その前に、完全に無欲で、世俗的な楽しみに無関心でなければならない。

クンダリニーは糸状で、きらきらと輝いている。

クンダリニーが覚醒すると、シューという音をたてて、スシュムナーの入り口に入る。

ちょうと、蛇が棒に打たれた時に出すような音がする。

そして、チャクラからチャクラへとクンダリニーが上昇するにつれ心の層が一枚一枚と開かれていき、ヨーギは多様なシッディ(霊的能力)を身につけることができる。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

修行者にはグル(師)が必要である。

独力で何年間も修行する人がいるが、あとになってグルの必要性を切実に感じるはずである。

修行途上で何らかの障害に出会う。

いかに先に進めば良いのか、障害の取り除き方がわからない。

そこで、グルを探し求めるのである。

この傾向はヨーガの修行で特に顕著である。

グルの役割は、グルとしての洞察力でそれぞれの弟子の本来の傾向を見極め、最善の修行道、魂が崇高に発達する道に導くことである。

イーシュワラ(神)はグルの中のグルである。

神は、無知な魂の、無知の覆いを取り除いて祝福する。

修行者は、肉体を持ったグルに対して、グルのグルである神の顕現だと信じ、神同様の崇拝の念を払う。

肉体を持つグルは、弟子にもたらされるすべての良い出来事、幸福の源となる。

一方弟子は、グルの願望や命令に従うことが最高に重要であり、グルを信頼し、ひたむきにゆだねることを知らねばならない。

心の秘密をグルに打ち明ける。

より多く打ち明ければ、それだけ多くの慈愛を得る。

これは、罪や誘惑に対抗して闘う力となってくれる。

 

オレンジを人にあげ、また取り戻すことができるように、神聖な霊能力を分け与えることができ、また取り戻すことができる。

この神聖な力を伝達する方法は、シャクティ・サンチャーラ(グルから弟子へのパワーの伝達)と呼ばれる。

鳥、魚、亀などが互いに合図するように、グルは、弟子に手で触れる、視線を投げる、意志や思考をするだけで、神聖な力を伝授することができる。

時には弟子のアストラル体の中に入って、弟子の心を高揚させることもある。

弟子を前に坐らせ、目を閉じるように言い、そして、神聖な霊能力を伝授する。

その時弟子は、実際には電流がムーラーダーラ・チャクラから上に昇り、喉、そして頭頂部へと流れるのを感じる。

得たインスピレーションだけで、特別の指導も受けずに、ハタ・ヨーガのアーサナ、プラーナヤーマ、パンダ、ムドラーなどを自分で行えるようになる。

ここで、大宇宙の力が働く。

弟子はイッチャー・シャクティを押さえてはならない。

内なる光に従って行動する。

心は非常に高められる。

修行者が目を閉じるとすぐ、瞑想が自然にやって来る。

グルの慈愛で弟子に宇宙のパワーが伝達され、クンダリニ―が覚醒されたのである。

グルは、実際に弟子へ神聖な能力を送るのである。

真のグルの神聖な波動が弟子の心に伝えられる。

ラーマクリシュナは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダに、実際に神聖な力を伝授した。

キリストも、弟子たちに神聖な能力を与えた。

これが、「グルの霊的タッチ」と呼ばれるものである。

ラームダースの弟子は、自分の力を、自分に熱烈にいい寄って来た踊り子に与えた。

この弟子はその娘をじっと見つめ、娘にサマーディを与えた。

すると娘の情熱は消えうせ、とても信心深い娘になった。

聖者ムクンダ・ライは、回教の王をサマーディに到達させた。

グルの慈愛で、ヨーガの八段階を達成する。

大宇宙の純粋意識で、永遠のヨーガの完成を達成する。

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

全世界を照らす太陽の光は

わたしから発しているのである

そして月の光も火の輝きも

すべてわたしから発しているのだ

 

わたしは各個の天体(ほし)に入り

わたしのエネルギーで彼らは軌道を回る

わたしは月となって大地の野菜を育て

彼らに滋味ゆたかな水を与える

 

わたしは生物の体に入って

生命力の火となり

呼気(プラーナ)と吸気(アパーナ)に合して

四種の食物(飲む、噛む、舐める、吸うもの)を消化する

(バガヴァッド・ギーター第15章12-14)

 

 

 

 

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

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シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(6)

宇宙の生命エネルギーであるプラーナについて知ることは、肉体だけでなく、微細体への理解が深まるきっかけになると思われます。

 

この微細体(アストラル体)への理解が深まると、やがて、宇宙の神秘の扉が開かれ、そこから叡智の光が射し込むようになり、真理への道が自ずと明らかになることでしょう。

 

肉体は乗り物、或いは、器にしか過ぎません。

 

この世を体験しているのは、心ですが、心も実体のある実在ではありません。

 

私たちの多くは、自己の本性である真の実在を知らないまま、人生を終えてしまいますが、微細体を知ることで、宇宙の生命エネルギーであるプラーナを知り、そして、それにつながって「大いなる自己」である純粋意識に目覚めていくことができます。

 

その秘訣は、”プラーナの制御”(プラーナヤーマ)であるというのが、多くのヨーギー達が、彼らの遺した書物によって、明らかにされています。

 

今回もプラーナについて、前回の続きを見ていきたいと思いますが、ご紹介していますスワミ・シヴァナンダは、出家される前は、医師であったことから、体の仕組みに関して非常に詳しい説明をされています。

 

プラーナは、呼吸に一番よく現れている、ということから、プラーナについて知るには、呼吸について知ることが、理解の助けとなると思いますので、今回は、呼吸について、詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『この機会に、肺とその機能について述べておこう、

呼吸器官の両側に1個ずつ配置された2個の肺と、それに繋がる気管とで成り立っている。

肺は胸腔の上部に位置し、体の正中線の両側に1個ずつ配置されていて、心臓、大動脈、気管によって隔てられている。

肺は多孔性の海面質で、組織は収縮性に富んでいる。

肺の中には空気を含んだ無数の肺胞が詰まっている。

死体を解剖した後で、水を張った容器の中に肺を入れると、水面に浮かぶ。

肺胞は胸膜という、漿液を出す薄い膜に覆われている。

この肺胞は胸膜という漿液が、呼吸時の肺の摩擦を防いでいる。

胸膜の壁の一方は肺に密着しており、もう一方は胸の内壁に張りついている。

肺は、この膜によって胸の内壁に固定されている。

右肺は3つの、左肺は2つの肺葉から成り立っていて、左右それぞれの肺は、尖った上端部と基底部から成り立つ。

基底部は、喉と腹部とを隔てている横隔膜と呼ばれる筋肉の膜に続いている。

肺の上端部は、首の付け根の近くに位置する。

肺炎の時に炎症を起こすのが基底部だ。

上端部への酸素の供給が不十分な場合、結核菌の繁殖に好都合な場所を提供することになり、肺結核になる。

カパーラパティ(頭蓋浄化呼吸)やバストリカ(ふいごの呼吸)のようなプラーナヤーマ、そして、深呼吸を実習することによって、肺の上端部に十分な酸素が供給され、肺結核を未然に防ぐことができる。

プラーナヤーマは肺を発達させる。

プラーナヤーマの実践者は、力強く、甘美で旋律的な声の持ち主になる。

気道は鼻腔、咽頭(喉)、喉頭(2つの声帯を含む空気の共鳴箱)、気管、左右の気管支、そしえ、より小さく枝分かれした気管支から成り立つ。

私たちが呼吸すると、鼻から吸い込まれた空気は、咽頭喉頭を通って気管から左右の気管支へと進む。

気管支に入った空気は、順次枝分かれを繰り返して、細気管支と呼ばれる膨大な数の細い管に流れ込む。

そして最終的には、肺にある何百万もの小さな気嚢の中の、さらに細かく分割された空間に行き着く。

仮に、一対の肺に含まれる気嚢を平面に広げるとすれば、14万平方フィート(約1万3000m2)にもなる。

空気は横隔膜の働きによって肺に吸入される。

横隔膜が伸ばされることで胸と肺が拡張し、真空になった部分に外気が勢いよく入って来る。

反対に、横隔膜が縮むと胸と肺が縮むので、肺から空気が排出される。

音声は、喉頭に位置する声帯によって生み出される。

喉頭は音の共鳴箱のようなもの。

歌唱や長時間の講義によって声帯を使いすぎると、声が枯れてしまう。

女性の声帯は短いため、甘く旋律的な声になる。

健康な人の呼吸は1分間に16回位だが、肺炎の患者では1分間に60回から80回にもなる。

喘息の症状は、気管支の摩擦によるものだ。

気管支が収縮するために呼吸が困難になる。

気管支との摩擦や圧迫は、プラーナヤーマによって改善することができる。

喉頭上部の表面には、喉頭蓋と呼ばれる小さな薄い膜上の蓋がついている。

この蓋によって、食物のかけらや水が気道に入り込むのを防ぎ、ちょうど、安全弁のような役割をしている。

食物のかけらが気道のほうに入りそうになると、喉によって気道外に排出される。

肺は血液を浄化する。

動脈へと旅立つ血液は鮮紅色をしており、生命に活力を与えるための成分に富んでいる。

反対に、静脈を通って帰ってくる血液は成分の乏しい青みがかった色をしており、組織からの老廃物を運ぶ。

動脈とは、酸素に富んだ新鮮な血液を心臓から体の各部へと運ぶための管であり、静脈とは、汚れた血液を身体の各部から心臓に戻すための管のことである。

心臓の右側には汚れた静脈血が溜まる。

汚れた血液には、そこから肺に運ばれ、肺の中の何百万という気嚢に分配されて浄化される。

空気中から吸い込まれた酸素は、肺毛細血管と呼ばれる毛髪のように細い血管の薄い壁を隔てて、汚れた血液と接触する。

毛細血管の壁は極めて薄く、モスリン布や裏ごし器のような働きをする。

血液は簡単に滲み出し、酸素もこの壁を透過する。

酸素が組織と接触する時には、急激な酸化反応が起こる。

血液は、酸素を取り入れ、老廃物や有害物質から発生する二酸化炭素を手放す。

その二酸化炭素は、血液によって身体中の組織から集められたものだ。

浄化された血液は、4本の肺動脈によって左心房へ送り込まれ、さらに左心室へと送られる。

その後、最も太い動脈である大動脈へと送り込まれ、そこから各部位の動脈へと受け継がれる。

1日あたり3万5000パイント(約1万9900リットル)もの血液が肺の毛細血管を透過すると推定されている。

浄化された血液は、動脈を通って毛細血管へと流れ込む。

血液中のリンパ液は毛細血管を通して組織に滲み出し、組織を洗い清め、栄養を与える。

一方、組織内では組織呼吸が行われる。

そこでは、組織が酸素を受け取り、二酸化炭素を手放す。

不純物は、静脈を通って心臓の右側へと運ばれる。

このように精巧な構造は、いったい誰の手によって造られたのだろうか。

ひとつひとつの臓器の背後に、目に見えない神の御手を感じることはないだろうか。

私たちの身体の構造そのものが、神の全知を明白に物語る。

アンタルヤーミン、もしくはインドウェラーとも呼ばれる我々の心に住んでいらっしゃる方は、ドラシュタ(観察者)として体内工場の働きを見守っている。

この方の存在なしには、心臓が動脈に血液を送り込むことも、肺が血液を浄化することもできない。

祈り、その方に無言の敬意を払おう。

いつでもそのお方のことを忘れないように。

体の細胞のひとつひとつに、その存在を感じるように。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

『真の知識とは魂の覚醒、宇宙真理(大いなる神)を知ることである。

一般の常識とは、自分や他人を正しく理解し、見極めることである。

正しく考えれば、行動も正しくなり、正しい人生を送れる。

美は本来、魂のものである。

真の美はハートの中にある。

美は人格の中にある。

美は純粋さの中にある。

美は美徳の中に輝きを増す。

愛とは、宇宙の純粋真理との合体(ワンネス)である。

愛とは自己否定であり、無私の状態を言う。

普遍的な愛は大いなる神の神聖さであり、溢れる善意、慈悲、思いやり、寛容だ。

真の愛は官能的なものでは決してない。

肉体がすべてではない。

しかし肉体の中には非常に重要なものが潜んでいる。

それは魂である。

宇宙の魂(真我)が個人の魂(個我)となって存在する。

肉体は滅びるが、魂は生き続ける。

魂はその人の肉体が存在する限り個別に存在する。

死が訪れて肉体が滅びた時、この魂は親元に戻り、宇宙の純粋意識に溶け込む。

しかし、カルマの法則から、蒔いた種を刈り取るために、再び別の肉体に生まれ変わることもある。

すべては過ぎ去る。

肉体が脱ぎ捨てられた時、宇宙の親元に戻る魂(個我)にはカルマしか同伴しない。

だから生きている間は、友好的に、愛と善意を持ち、他人に害を与えず、世俗の富を欲しがらず、多くの親切と慈悲を示し、寛容、無執着、無私を実行するのが良い。

一方、すでに作った行動(カルマ)の結果を消化しつつ、良くないカルマを新たに作らないように心掛けて生きる。

困難に直面した時、その原因をまずつきとめる。

本当の問題は、原因を無視したことに起因している。

原因が対処されれば、困難は少なくなる。

現世は学校だと思うが良い。

日々の試練は自分をより良く作り直す機会だ。

誰も生まれながらにして完全ではない。

試練にめげてひがんだり、心狭くなってはいけない。

永遠の純粋意識に目覚める絶好のチャンスだ。

グルの弟子に対する愛は無条件だ。

同時に、グルの愛を受け入れる弟子には、自己の修行と信仰、純粋さが要求される。

グルは弟子の心の中にいる。

このことを知る弟子もいるし、知らない弟子もいる。

自分の内にグルがいるという実感は、弟子にとって最高の宝だ。

 

「永遠の真理、大いなる神を悟ったと明言できるグル(導師)を探している。

そのような方をご存知か。

失礼ですが、あなたは、神を悟った方なのですか。」

 

あなたの質問は、熱心な修行者の多くが、ある霊的過程で持つ疑問である。

しかし、たとえ「X氏は覚醒し神を悟った人だ」とわたしが教えたとしても、あなたには、わたしの言葉を検証する方法はない。

知ったとしても、そのことであなたは何か恩恵を受けられるだろうか。

悟りを開いたグルを探し求めて東奔西走しても無駄である。

神を悟った人間は稀ではないが、無知の心の世人には容易に認識できない。

悟った人を知るのは、同様に高いレベルの少数の人たちだけだ。

それ以外は、解脱した人のそばにいても恩恵にあずかることもできない。

たとえばクリシュナ神があなたのすぐそばにいたとしても、あなたが高い精神的、霊的レベルにいなければ、素通りしてしまうだけだ。

まず恩恵を受けるに値する素質を自分の中に育てる。

社会奉仕、慈善、瞑想、ジャパ、性的欲求や感覚の誘惑を制御して、自分を浄化することに専念しなさい。

グルをテストすることはとても難しいことだ。

そんなことに貴重な知的エネルギーを使うのは無駄である。

常に祈りなさい。

霊的求道者はこのような質問や疑念に振りまわされたりはしない。

わたしの言葉を信じて日々純粋な生き方をしていれば、ある日奇跡のように大いなる神から救いの手がさしのべられるであろう。

 

ウパニシャッドには、“人は一人で生まれ、一人で神に戻る”と書かれている。

グルやグルの恩恵がなくとも、神の恩寵さえあれば充分なのではないですか?」

 

それは道理だ。

しかし、どのように修行をすれば、神の恵みを得ることが出来るのだろうか。

それを知ることは難しい。

ゆえに、同じ道を歩み、ゴールまで到達した指導者の元で修行することが必要とされる。

グルとは、まさしく、神に至るというゴールに到達した者のことを指す。

霊的求道者には、グルの指導、模範、激励、恩恵が不可欠である。

アートマンの恩寵、グルの恩寵、神の恩寵も、あなたにはすべて必要である。

大いなる道へのチャンネルを教え、導いてくれる。』

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

霊魂は物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の支配下

自己の心性に相応した体で様々な経験をし

時期が来ればその体を離れていく

迷える者にはこの事実が見えないが智慧の眼をもつ者には見える

 

修行する求道者(ヨーギー)たちは自己の本性を覚って

この事実を明らかに理解している

だが未熟で自覚(さとり)に到らぬ者たちは

努力しても不滅の霊魂を感知できない

バガヴァッド・ギーター第15章10-11)

 

 

  

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シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(4)

プラーナすなわち生命力について、スワミ・シヴァナンダの「プラーナヤーマの科学」から詳しい解説をご紹介しています。

 

このプラーナすなわち生命力は、東洋医学では「気」と呼ばれているものですが、中には、この微細なエネルギーをはっきりと感じ取ることができる人がいます。

 

この生命力である「気」は、人の本能的な動物的な感覚で捉えることができ、「気」という漢字が、気配、気持ち、気分、天気、気運、人気、などに使われていることからも、人はある程度は、エネルギーとしてのプラーナを感知する能力があり、いろいろなモノの中に、プラーナを感じていることが伺えます。

 

それでは、人体に宿るプラーナについて、前回の続きを見て行きましょう。

 

 

『プラーナは心臓に宿っている。

アンタカーラナ(内的な器官)はたったひとつしか存在しないが、どのような働きをするかによってマナス(マインド、意思)、ブッディ(知性、精神基盤)、チッタ(意識)、アハンカーラ(自我、我執)という4つの異なる形をとる。

同様に、プラーナもひとつしか存在しないが、その働きによってプラーナ、アパーナ、サマーナ、ウダーナ、ヴィヤーナという5つの異なる形をとる。

これらは識別知(ヴリッティ・ベーダ)のよって分けられた。

未分化のプラーナはムクヤ・プラーナと呼ばれる。

プラーナはアハンカーラ(自我、我執)と共に心臓に宿る。

5種類のプラーナのうち、プラーナとアパーナが主要なものとして知られる。

プラーナは心臓に宿っている。

アパーナは肛門に、サマーナは臍のあたりに、そしてウダーナは喉に、それぞれ宿っている。

ヴィヤーナだけは一か所に留まらず全身を移動している。

 

副プラーナには、ナーガ、クールマ、クリカーラ、デーヴァダッタ、ダナンジャヤの5種類がある。

5種類のプラーナの役割は以下の通りである。

プラーナは呼吸機能を、アパーナは排泄機能を、サマーナは消化機能を、ウダーナは嚥下機能(食物を飲み下す機能)を、それぞれ受け持っている。

また、ウダーナには自我を眠りにつかせる役目や、死の瞬間に肉体からアストラル体を引き離す役目もある。

ヴィヤーナは血液の循環機能を受け持っている。

5種類の副プラーナの役割は以下の通りである。

ナーガはあくびやしゃっくりを、クールマは目を開ける機能を、クリカーラは空腹感や喉の渇きを、デーヴァダッタはあくびを、それぞれ受け持つ。

ダウンジャヤは死後に肉体を腐敗させる役割を持つ。

呼吸がブラフマランドラ(頭頂部の穴)を突き抜けて頭頂部から抜け出た人は、いつ何時亡くなったとしても、二度と輪廻の世界に生まれ変わることはない。

 

プラーナの色は、血の色や赤い宝石の色、または珊瑚の色だといわれている。

アパーナはインドラゴーパの色(白色から赤色をした蛍の色)をしている。

サマーナの色はミルクと水晶の中間の色や、油を塗ったような光沢のある色、または、プラーナとアパーナの中間のような色であるといわれる。

ダーナは白に近い淡色で、ヴィヤーナはオルキル染料の紫やスペクトルの紫に似ている。

 

ヴァーユ(プラーナ)の大きさは通常で180cmあるといわれている。

呼吸により、息を吐き出す時の標準の距離は22.5cmだといわれる。

歌う時は30cm、食事中は37.5cm、睡眠中は56.25cm、性交時には67.5cm遠くまで離れるといわれる。

吐く息の距離を短くして、ヴァーユを元来の22.5cmよりも近くに留めておけば長寿となり、遠くに吐き切ってしまえば短命となる。

 

プラーナを外部から吸い込む。

それを腹部に満たしてから、精神力によって臍、鼻の先端、つま先に集中させる。

サンディアス(夜明けと日没)に行うか、他の時間帯でもよい。

ヨーギは、このようにして病気や疲れから開放される。

プラーナを鼻の先端に集中させることで、空気中の成分を自由に支配する力が得られる。

プラーナを臍に集中させると、すべての病気から開放される。

同様に、プラーナをつま先に集中させると、体が軽くなる。

また、舌の両端を織り上げるようにして筒を作り、それを通して空気を飲む人は、疲労や喉の渇きから開放され、多くの病気が癒される。

日の出と日没の2回、そして夜寝る前の2時間をこの行法に当てるならば、3か月もしないうちに、幸運のサラスワティ神(智識、学習の女神)が会話の中に現れ、実習者を雄弁で博学にするだろう。

この行法を6か月続ければ、すべての病気から開放される。

賢者は、舌の付け根から空気を吸い込むことによって生命の甘露を飲み、幸運と繁栄を楽しむだろう。』

 (プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

「人生の真の目的は、大いなる神の純粋意識に目覚めることである。

この朽ち果てた肉体や、有限変化する心が真の自分ではない。

完全に純粋で絶対的自由であるアートマンが自分の真の姿であると、はっきりと知ることが目的である。

宇宙の純粋意識は、生まれることもなく死ぬこともない、永遠不滅、永久の存在である。

これがあなたの真の姿である。

名前と形にとらわれた小さな、束の間の個性があなたの真の姿ではない。

あなたは、ラーマスワミでも、ムケジーでも、メータでも、マシューでも、ガルデでも、アプテでもない。

束の間の無知という雲間から、偶然この小さな幻影の世界に落ち込んだだけである。

目を覚まし、自分は純粋なアートマンそのものであると自覚することだ。

もう一つ、経典ウパニシャッドの中に気づきを与える素晴らしいヒントがある。

宇宙の純粋意識「大いなる神ですべてを包みこめ」という言葉である。

宇宙のすべての存在は、宇宙神の中で脈動している。

花や緑の葉に、樹木やシダ、木の枝に微笑む。

周辺のすべての生物、犬、猫、牛、人間、木、そしてあらゆる自然界の創造物と親しくなる。

そうすれば、完璧で心豊かな人生を送ることができる。」

 

「何事も、その真の経験者はアートマンでも肉体でもない。

心(マインド)そのものである。

個の中心は心であり、心がアートマンの光を個別化し、印象づけるのである。

それが個我と呼ばれるものである。

心は、肉体がより精妙な形をとったものであり、現世において天国の歓びや地獄の苦しみを味わうのである。

心や意識を持つ理由は、個我として、アートマンの光を反射で受けているからで、その成り立ちのため大きな制限がある。

実在(神)の事象の反映に過ぎないから、個我は現実であっても幻であっても、両面において「実在の事象の反映」の域をでることはない。

すべては神の意志によって起こる。

これは真実である。

しかし個々の過去のカルマ(行動)こそが結果の種類を決定づけ、神の意志としてこの世で消化されていく。

肉体は物質界で経験するツールとなるが、アートマンや肉体が経験するのではなく、あくまで心が主役で経験しているのである。

この点を間違えてはならない。」

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

物質世界の生物に内在する不滅の霊魂は

わたし自身の極小部分であるーーかれは

心をふくむ六つの感覚を用いて

苦労しながら肉体を操っているのだ

 

霊魂は風が芳香を運ぶように

自らの意想感情を次の体に運ぶ

このようにしてかれは或る種の体をとって生き

またそれを捨てて他の体をまとう

 

不滅の霊魂はこのようにして

耳 眼 舌 鼻 触覚と

また心意をもった物質体をとって誕生し

それらに相応した対象を味わい経験する

バガヴァッド・ギーター第15章7-9)

 

 

  

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(3)

プラーナについての理解を深めるために、前回、ご紹介しましたスワミ・シヴァナンダの「プラーナヤーマの科学」から、私たち日本人には馴染みの浅い「プラーナ」について、詳しい説明が書かれている箇所を、引き続きご紹介したいと思います。

 

このプラーナは、東洋では、「気」と呼ばれているエネルギーですが、私たちの肉体から発されているエネルギー(生体エネルギー)ではなく、むしろ、肉体を動かしているエネルギーであり、反対に、肉体はこのエネルギーが無いと動かなくなり、やがて滅びてしまいます。

 

肉体は、このプラーナによって肉体として存在できるのであって、主役はプラーナなのです。

 

この仕組みが、体験によって理解されることが、見神です。

 

「見神」とは、形ある神を見ることではなく、自分の本性である「真の自己」を悟ることです。

 

すなわち、肉体はプラーナによって動かされているただの器であり、プラーナを体感しすることで、プラーナこそが、この宇宙の普遍的なエネルギーであり、そのプラーナがすべて(自分も含めて)になっている、ということを悟ることなのです。

 

知識ではありますが、これを理解するために、前回の続きを見て行きましょう。

 

 

『呼吸の制御は、体内の様々な動きや、体中を走っている神経の流れの効率的な管理を可能にする。

呼吸もしくはプラーナのコントロールによって、簡単に、しかも時間をかけずに、身体、心、魂の制御と発達が実現する。

プラーナヤーマを通して、周囲の状況と自分の人格をコントロールすること、さらには、個人の生命と宇宙の生命を調和させることが可能になる。

呼吸が意志の支配下に置かれ、思考によって導かれる時、人は活力と再生への力に満ちる。

その力は、自己啓発や、自分自身の不治の病を治療すること、他の人たちの病気を癒すこと、その他いろいろな有益な目的のために意図的に使うことができる。

その力は、いつでも手の届くところにある。

賢明に使ってほしい。

古代より、シュリ・ニャーナデーヴァ、トライリンガ・スワミ・ラーマリンガ・スワミなど大勢のヨーギたちが、この呼吸の力すなわちプラーナを様々な方法で使ってきた。

与えられた呼吸の方法に従ってプラーナヤーマを練習すれば、あなたにも、それが可能になる。

今あなたが呼吸しているのは、空気というよりは、むしろプラーナなのだ。

心を集中して、ゆっくり静かに息を吸う。

楽に止められる範囲で、できるだけ長く息を止め、それから、ゆっくりと息を吐く。

プラーナヤーマの初級者であろうと上級者であろうと、実習は無理のないように行う。

呼吸に秘められている神秘的な内なる生命力を実感してみよう。

ヨーギとなり、あなたの周りを喜びと光と力で照らそう。

プラーナ派の人々やハタ・ヨガの行者はプラーナ・タットヴァ(プラーナの本質)はマナス・タットヴァ(心の本質)より勝ると考えている。

眠っている時、精神はそこにないが、プラーナは存在している。

つまり、生命活動において、プラーナは精神よりも重要な役目を演じているといえる。

カウシータキやチャンドーギャといった教典の中の寓話を読むと、心やプラーナといったインドリヤ(感覚、感覚器官)同士の勢力争いにおいて、プラーナが優位を保っていることに気づくだろう。

プラーナこそ最古の存在なのだ。

なぜなら、プラーナは正に受胎の瞬間から働き始めるのに対し、聴覚器官が働き始めるのは耳という特定の場所が形成された後のことだからだ。

ウパニシャッドでは、プラーナは‘Jyeshtha and Sreshra“(最古で最上)と呼ばれる。

霊的なプラーナの振動を通じて、精神の働きである「サンカルパ」つまり「思い」が保たれ、思考が生み出される。

人はプラーナの助けによって見、聞き、話し、感知し、思い、感じ、望み、知るのだ。

それゆえ、聖典には次のように明記されている。

「プラーナはブラフマン(主宰神、梵)である」と。

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

「(校長に向かって)いいかい、神だけが永遠の存在で、ほかはみな、その場かぎりのはかないものだよ!

人や動物、この世界、家屋敷、子供たち、一切合切が魔術師の手品なんだ!

帽子をさし出して伴奏にあわせて言うだろう――“サァ、サァ、お立ち会い、タネも仕掛けもありませんよ!”――覆い布をとりのけると、鳥が何羽かパッと舞い上がる!

だが手品師だけがそこにいるだけで、あとはみな、その場かぎりのものだ、今あったかと思うと、もう無い!

この世に生まれること、死ぬこと――みんな手品のようなものさ!

いま在たのに、もういない!

神だけが永遠の実在で、ほかはみな、はかない幻だよ。

水だけが永遠の実在で、水の泡は出来たかと思うと、すぐ消える。

泡は水に帰る――水から生まれて、同じ水に帰る。

神は大海のようなもの。

生きとし生けるものは泡だ。

あの御方から生まれ、あの御方へ帰ってゆく。

子供たちは、大きな泡のまわりに五つか六つかたまっている小さな泡だ。

神だけが真実。

永遠の実在。

どんなかたちでも方法でもいいから、あの御方を信じ、愛し、あの御方をしっかりわがものにするよう努力しなさい。」

 

「世間の人たちは幸福を求めて四方八方をうろつきまわるが、何もえられないものだから、やがてしまいにはくたびれてしまう。

女と金に執着して、得たものは苦しみと悲しみばかりという経験の挙げ句、利欲の気持ち、世間のことから離れようとする気持ちが自然に湧いてくる。

こうした経験をし尽してしまわないと、たいていの人は世間のことを捨てる決心がつかない。

修行者のなかには二種類あってね――クティチャカとヴァフダカだ。

一ところに止まっていられないであちこちの聖地をまわって歩く人がいてね、沢山の聖地の水を飲まないと落ち着かないんだ!

でも気のすむまでやると、やがて一か所に掘っ建て小屋を作って住みつく。

そして、安らかな気持ちになって、あれをしよう、これをしようとバタバタすることもなく、落ち着いて神様のことを考えるようになる。

この世でどんな楽しみがある?

女と金の楽しみか?

あんなものは一瞬(つか)の間の喜びだよ!

今あったかと思うと、もうない!

まあこの世は、雨期で空が雨雲でいっぱい、横なぐりの雨が絶え間なく降りしきっていて滅多に太陽が顔を出さないようなものだ!

悲しいことやつらいことばっかり!

“女と金”の雨雲で太陽が見えない。

わたしにこう聞く人がいるよ――『先生、では、なぜこんな世の中を神はお創りになったのですか?

我々には助かる方法がないのですか?』と」

「わたしはこう答える――方法がないわけはないだろう?

あの御方にすべてを委ねろ。

一生懸命あの御方に祈れ。

順風(おいかぜ)が吹くようにと――。

諸縁如意吉祥であれと――。

ある人の息子が病気で死にそうになった。

その人は夢中になってあちこち治療方法をききまわった。

するとあるところで、これができたらきっと治るという方法を教わった。――スワィテー星座が上がったときの雨が人間のガイコツのなかに溜まる。

その水を蛙が飲みにくる。

その蛙を一匹の毒ヘビが追いかけてくる。

蛙を咬もうとした瞬間に蛙はピョンと跳んで逃げ、ヘビの口から毒液がタラリとその水の中に堕ちる。

その毒水を病人に飲ませることである。

その人は、是が非でもその薬を手に入れようと決心して、スワティー星座の上がった夜、旅立った。

ちょうど雨が降ってきた。

その人は熱心に神に向かって願った――『神様(タクール)!シャレコウベを恵み給え!』

熱心にさがすと一つのガイコツがころがっていて、雨水が溜まっている。

彼は祈った――『神よ、助け給え!

また願わくは、蛙とヘビをここに与え給え!』

その熱意に応えるかのように事は進んだ。

そこに一匹のヘビが蛙を追ってきて、咬もうとした瞬間に蛙に逃げられ、口にたまった毒がシャレコウベの中に落ちたんだよ。

神様におすがりして熱心に祈れば、あの御方はきっと聞きとどけて下さるとも。

何事もいいようになるんだよ」

 

大佐

「何とも、すばらしい例え話ですなあ!」

 

聖ラーマクリシュナ

「うん、あの御方が何でも都合よく運んで下さる。

たとえば結婚せずにすんで、心の全部を神様に捧げられるとか、または兄弟が生活費を稼いでくれるとか、息子が成人して、もう俗事は全部その子に任せておけるとかね。

そうなれば、お前は安心して十六アナ(100%)の心を神に向けることができるというものさ。

でも、女と金を捨てなけりゃダメだ。

あれを捨てると無智も無明も消える。

ガラスレンズの上に太陽の光線を当てると、下のものは皆、燃えてしまう。

しかし、部屋の中でそうしてもダメだろう。

暗い部屋から外へ出なけりゃ、そうはならない。」

「智慧を身につけてから世間で暮らす人もある。

彼らは部屋の内も外も見ることができる。

智慧の明かりで世間を見るから、良い悪いも、永遠のものも一時的なものも、みんなその明かりで見分けられる。

無智で神を信じようとも認めようともしない人たちは、土造りの部屋の中で暮らしているようなものだ。

ほんのわずかな隙間から差し込む光線で、部屋の中だけどうやら見えるんだよ!

智識を得て、神を知ってから世間で暮らしている人たちは、ガラス張りの部屋にいるようなもの。

部屋のなかも、部屋の外のものもはっきり見える。

智慧の太陽の光は、ふんだんに部屋のなかに入ってくるからね。

その人は部屋のなかのものをハッキリすみずみまで見ることができる。

どれが良いか、どれが悪いか、どれが永遠のものか、どれがその場かぎりの頼りないものか――神ひとりが行為者、ほかのものは皆、あの御方の道具だ。

だから、どんな智者でも高慢でいられる筈がない。

シヴァ大神の讃歌をつくっている人が、あまりうまくできたのでつい慢心してしまった。

ところが、あるとき、シヴァの乗り物である牡牛が歯をむき出して見せた。

それを見て、彼の高慢の鼻はペシャンコになった。

牡牛の歯の一つ一つが真言マントラ)だったんだよ!

これはどういう意味かわかるかい?

真言はすべて、無限の過去から、始めなきはじめから存在していた、ということなんだよ。

作者はそれを発見したにすぎないんだよ。

宗教の教師を職業にするのはよくない

神のお許しがなければ、霊的指導者(アーチャーリヤ)にはなれない。

自分で「私は教師(グル)だ」などと言っているのは至って知性の低い人間だ。

天秤ばかりを見たことがあるだろう?

軽い方が上に上がっている。

自分を高く言う人は軽いということさ。

猫も杓子も先生、先生と言われたがる!

弟子になって学ぼうという人は滅多にいない!」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

虚妄の名声を求めず妄想を払い除けた人

執着心を克服し 欲を無くした人

苦楽の二元性を超越して真我(アートマン)に安住する人

このような人々は至上神に順(したが)うことを知って永遠の楽土に入る

 

わたしの住む至高妙楽の住処(すまい)は

太陽も月も火も電気も必要とせず

ただ自ら光り輝いている

ここに来た者たちは決して物質界に戻らない

(バガヴァッド・ギーター第15章5-6)

 

 

  

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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