永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

チャクラについて(13)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 幽体離脱

前回の記事では、「直感」が働くときには、”学習”(訓練)という経験に密接に関係している「大脳基底核」が反応することから、

「直感」が、スピリチュアル的な、所謂、”神や天(使)からのメッセージ”のような神秘的ものではなく、

脳の”自動反応”のひとつの現われであるという最新の脳科学の研究成果についてご紹介しました。

 

こう結論付けてしまうと、「直感」に神秘的なイメージを持っていた方々には、少々ガッカリするような内容だったかもしれません。

 

しかし、「直感」の神秘的なイメージが無くなってしまったとしても、私たち人間という存在における神秘性が消滅したわけではありません。

 

科学的に、いろいろなことが明らかになっていくにつれ、当たり前だと思っていたことが、それが実はそうではなかった、と知ることで,

逆に、人間という生物に神秘性を感じる、という方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

今日は、チャクラの話題からは少し外れますが、

更に、人間が体験する体験の中でも、起こる頻度が非常に稀であるため、不思議な現象、超常現象として考えられているような体験について、

近年行われた脳科学の実験より、解明された驚きの結果をご紹介したいと思います。

 

今回ご紹介する中に、「幽体離脱」がありますが、個人的に、非常に興味深い内容でした。

 

脳科学的に見れば、「幽体離脱」も、「超常現象」と言われるような、所謂、特殊な体験ではなく、条件さえ揃えば、誰にでも起こり得る一種の「脳の錯覚」なのだということがわかります。

 

なるほど~、こういうことが、脳内に起きていたのか。。。納得です!(笑)

 

 

『脳の活動を人工的に操作すると、いろいろなことが起こる。

たとえば、自分を他人だと勘違いするという実験がある。

君らは自分が写った写真を見ると「ああ、これは僕だ」と認識できるよね。

そんな当たり前のことができなくなってしまうっていう話だ。

TMSという実験装置を使う。

経頭蓋磁気刺激法とも呼ばれている。

頭皮の表面から強烈な磁場をかけて、脳の一部をマヒさせる刺激装置だ。

これを使うと、ある特定の脳領域の活動を一時的に抑制することができる。

たとえば言語野をマヒさせれば、その瞬間は言葉が出せなくなる。

視覚をマヒさせると視野の一部が欠ける。

なかなか劇的な効果が出るのだけど、脳には重大な悪影響はないと言われているので、とりあえず安心してね。

この装置を使って、側頭葉のある部分を刺激してマヒさせると、写真に写っている人物が自分か他人かわからなくなってしまうんだ。

ということは脳には自分を認識する回路が備わっているということだよね。

その専用回路が働かないと、自分か他人かを区別できなくなる。

つまり、自分という存在、「自己」は、脳によって創作された作品なんだ。

 

マヒさせる実験ではなくて、脳を直接に電気刺激して活性化させる実験もある。

刺激すると、刺激場所に応じていろいろな反応が起こる。

たとえば、運動野を刺激すると、自分の意志とは関係なく、腕が勝手に上がったり、足を蹴ったりする。

視覚野や体性感覚野を刺激すると、色が見えたり、頬に触られた感じがしたりする。

そうやって、刺激によっていろいろな現象が生じるのだけど、なかには信じられない現象が起こることがある。

たとえば、これは一昨年に試された脳部位だけど、頭頂葉後頭葉の境界にある角回という部位。

この角回を刺激されるとゾワゾワ~と感じる。

たとえば一人で夜の墓地を歩いていると、寒気がすることない?

 

→ あります!

 

それそれ、あんな感じらしい。

角回を刺激すると、自分のすぐ後ろに、背後霊のようにだれかがベターとくっついている感じがするようなの。

うわーっ、だれかにつけられている。

だれかに見られている・・・・強烈な恐怖を感じるんだって。

でもね、その背後霊を丁寧に調べてみると、自分が右手を上げると、その人も右手を上げるし、左足を上げてみると、その人も左足を上げる。

坐っていると、その人も背後で座っていることがわかる。

これで理解できるよね。

そう、実は、背後にいる人間は、ほかならぬ自分自身だ。

要するに、「心」は必ずしも身体と同じ場所にいるわけではないということ。

僕らの魂は身体を離れうるんだ。

この例では、頭頂葉を刺激すると、身体だけが後方にワープする。

この実験で興味深いことは、その「ゾワゾワする」という感覚について尋ねてみると、背後の”他者”に襲われそうな危機感を覚えるという点だ。

これはちょうど統合失調症の脅迫観念に似ている。

これで驚いてはいけない。

身体と魂の関係については、さらに仰天するような刺激実験がある。

先ほどの実験と同様に角回を刺激する。

ベッドに横になっている人の右脳の角回を刺激するんだ。

すると何が起こったか。

刺激された人によれば「自分が2メートルぐらい浮かび上がって、天井のすぐ下から、自分がベッドに寝ているのが部分的に見える」という。

これは何だ?

 

→ 幽体離脱

 

その通り。

幽体離脱だね。

専門的には「対外離脱体験」と言う。

心が身体の外にワープして、宙に浮かぶというわけ。

幽体離脱なんていうと、オカルトというか、スピリチュアルというか、そんな非科学的な雰囲気があるでしょ。

でもね、刺激すると幽体離脱を生じさせる脳部位が実際にあるんだ。

つまり、脳は幽体離脱を生み出すための回路を用意している。

たしかに、幽体離脱はそれほど珍しい現象ではない。

人口の3割ぐらいは経験すると言われている。

ただし、起こったとしても一生に一回程度。

そのぐらい頻度が低い現象なんだ。

だから科学の対象になりにくい。

だってさ、幽体離脱の研究がしたいと思ったら、いつだれに生じるかもわからない幽体離脱をじっと待ってないといけないわけでしょ。

だから現実には実験にならないんだ。

つまり、研究の対象としては不向きなのね。

でも、研究できないからといって、それは「ない」という意味じゃないよ。

現に幽体離脱は実在する脳の現象だ。

それが今や装置を使って脳を刺激すれば、いつでも幽体離脱を人工的に起こせるようになった。

 

でも、幽体離脱の能力はそんなに奇異なものだろうか?

だって、幽体離脱とは、自分を外からみるということでしょ。

サッカーをやってる人だったらわかるよね。

サッカーの上手な人は試合中、ビッチの上空から自分のプレイが見えると言うじゃない。

あれも広い意味での幽体離脱だよね。

俯瞰的な視点で自分を眺めることができるから、巧みなプレイが可能になる。

サッカーに限らず、優れたスポーツ選手は卓越した幽体離脱の能力を持っている人が多いと思う。

スポーツ選手だけではなくて、僕らにもあるはずだよね。

たとえば、何かを行おうと思ったとき、障害や困難にぶつかったり、失敗したりする。

そういうときには反省するでしょ。

どうしてうまくいかないのだろうかとか。

あるいは自分の欠点は何だろうかとか。

それから女の人だったら、「私は他人からどんなふうに見えているかしら」と考えながら、お洒落や化粧をする。

こうした感覚は一種の幽体離脱だと言っていい。

自分自身を自分の身体の外側から客観視しているからね。

他人の視点から自分を眺めることができないと、僕らは人間的に成長できない。

自分の悪いところに気づくのも、嫌な性格を直すのも、あくまでも「他人の目から見たら、俺のこういう部分は嫌われるな」と気づいて、はじめて修正できる。

だから僕は、幽体離脱の能力は、ヒトの社会性を生むために必要な能力の一部だと考えている。

しずれにしても、幽体離脱の神経回路がヒトの脳に備わっていることは、実験的にも確かだ。

そして僕は、この幽体離脱の能力も、「前適応」の例じゃないかと思っているの。

だって、動物たちが他者の視点で自分を省るなどということはたぶんしないでしょ。

おそらく動物たちは、この回路を「他者のモニター」に使っていたのではないだろうか。

たとえば、視野の中に何か動く物体が見えたら、それが動物であるかどうか、そして、それが自分に対して好意を持っているのか、あるいは食欲の対象として見ているのかを判断することは重要だよね。

現に、野生動物たちはこうした判断を行いながら生き延びている。

だから動物に「他者の存在」や「他者の意図」をモニターする脳回路が組み込まれていることは間違いない。

他者を見る能力は、高等な霊長類になると、行動の模倣、つまり「マネ」をするという能力に進化する。

ニホンザルはあまりマネをしないんだけれども、オラウータンはマネをする動物として知られている。

 

模倣の能力がある動物は、環境への適応能力が高いし、社会を形成できる。

しかし、マネをするという行為はかなり高等な能力だ。

他人のやっていることをただ眺めるだけではダメで、その行動を理解して、さらに自分の行動へと転写する必要がある。

鏡に映すように自分の体で実現する能力がないとマネはできないよね。

ヒトの場合はさらに、マネだけでなく、自分を他人の視点に置き換えて自分を眺めることができる。

まあ、猿でも鏡に映った自分の姿を「自分」だと認識できるから、自分を客観視できてはいるんだろうけど、でも、ヒトは鏡を用いなくても自分の視点を体外に置くことができる。

そして、その能力を「自己修正」に使っている。

他人から見たら私の欠点ってこういうところだなとか、クラスメイトに比べて自分が苦手とする科目はこれだなとか、そんなふうに一歩引いてものを眺める。

そいう自分に自分を重ねる「心」の階層化は、長い進化の過程で脳回路に刻まれた他者モニター能力の転用だろう。

このように進化論的に「他者の心」の誕生を考えるのはとてもおもしろい。

 

最後に僕の仮説を話しておしまいにしよう。

こうした進化の名残で、いまだに見られる奇妙なプロセスが、今日の講義の前半で話してきた「自分の身体の表現を通じて自分の内面を理解する」という心の構造だ。

いったん脳から外に向かって表現して、それを観察して自分の心の内側を理解するというのは、一見すると、ひどく面倒な手続きを踏んでいるように思えるよね。

だって、自分の脳なんだから、いきなり脳の内部に、脳自身がアクセスすればいいのに、なぜ、こんな無駄と思える二度手間をわざわざ踏むのか。。。

おそらくこういうことだろう。

すでに説明したように、進化の過程で、動物たちは他者の存在を意識できるようになった。

そして次のステップでは、その他者の仕草や表情を観察することによって、その行動の根拠や理由を推測することができるようになった。

他者の心の理解、これが社会性行動の種になっている。

なぜかというと、この他者モニターシステムを、「自分」に対しても使えば、自分の仕草や表情を観察することができるよね。

すると、他者に対してやっていたときのように、自分の行動の理由を推測することができる。

これが重要なんだ。

僕は、こうした他者から自己へという観察の投影先の転換があって、はじめて自分に「心」があることに自分で気づくようになったのではないかと想像している。

つまり、ヒトに心が生まれたのは、自分を観察できるようになったからであって、もっと言えば、それまでに先祖の動物たちが「他者を観察できる」ようになっていたことが前提にある。

そういう進化的な経緯が理由で、ヒトは今でも、「身体表現を通じて自分を理解する」という不思議な手続きを踏んでいる。

常識的に考えれば、「脳の持ち主は自分なんだから、脳内で自身に直接アクセスすれば、もっとストレートに自分を理解できるんじゃないか」と思うよね。

「体を通じて自己理解する」というのは、理解までのステップが増えてしまって非効率だ。

でも、「生物は先祖の生命機能を使い回すことによって進化してきた」という事実を忘れないでほしい。

いや、「使い回す」ことしか、僕らには許されていない。

「無」からいきなり新しい機能を生み出すことは進化的にむずかしいことだ。

そんな困難なことに時間を費やすくらいなら、すでに存在しているすばらしい機能を転用して、似て非なる新能力を生み出す方が、はるかに実現可能性が高いし、効果的だろう。

その結果生まれたものが、僕らの「自己観察力」だ。

これは「他人観察力」の使い回し。

自己観察して自己理解に至るというプロセスは、一見、遠回りで非効率かもしれないけど、進化的にはコストは低い。

こうして僕らは、自分を知るために、一度、外から自分を眺める必要が生じてしまった。

これこそが「幽体離脱」だ。

しかし、それによって、僕らに「心」が芽生えた。

いやもっと厳密に言えば、自分に心があることを知ってしまった。

このように脳機能の使い回し、つまり、「前適応」こそが、進化の神髄だ。

ということは、人類の未来に対しても同じことが当てはまるはずだ。

だって僕らは進化の完成形ではなくて、まだまだ中間産物でしょ。

だから、もしかしたら、現在の人類の持つ「心を扱う能力」を、未来の人類が応用して、もっととんでもない新能力を開拓してしまう可能性もあるわけだ。』

(単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二

 

 

幽体離脱」のような超常現象的な出来事さえも、脳内で起きている錯覚の一種である、ということが明らかになったということですが、

これまでご紹介してきました記事に一貫していることは、人間が体験するあらゆる現象は、人間の脳に起きたことであり、必ずしも真実とは言えないけれど、

それが起きた個人にとっては、それは事実であり、リアリティを持っているということになります。

 

こうして考えると、リアルだと思っていた世界は、実は、脳の中だけに存在する世界である可能性も否定できない、と言えるでしょう。

 

脳がこれまでに得た常識的な固定観念に縛られている限りは、この宇宙の実相を知ることはできないと断言できますが、

目に見えている世界、人間が体験している世界は、人間の脳の中にだけ存在する世界である、という新しい視点に立つならば、

少しだけ、人間を外側から俯瞰的に観察することができ、やがては、それが、新しい世界観へとつながっていくきっかけとなることは、確かでしょう。

 

次回は、「心」について、「心」と「体」の関係について、少し理解を深めてみましょう。

 

 

 

亀が手足を甲羅に収めるように

眼耳鼻舌身(五官)の対象から

自分の感覚を引き払うことのできる人は

完全智に安定したと言える

(バガヴァッド・ギーター第2章58)

 

 

チャクラについて(12)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 直感力

前回ご紹介しました脳科学者、池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な「私」」から、「直感」についてご紹介しました。

「直感」とは、脳の、大脳皮質と視床、脳幹を結び付けている神経核の集まりである大脳基底核という部位が関係している、ということでしたが、今回は、その続きをご紹介いたします。

 

 

『直感が(大脳)基底核から生じるということをはじめて聞いたときに、私はとてもびっくりしました。

というのは、古典的な脳研究から、基底核は、直感ではなくてもっと重要な役割を担っていることがよく知られていたからです。

脳の教科書を読むと、「基底核は手続き記憶の座である」と書かれています。

「手続き記憶」とは、簡単に言えば「方法」の記憶のことです。

つまり、ものごとの「やり方」です。

テニスラケットのスイングの仕方、ピアノの弾き方、自転車の乗り方、歩き方、コップのつかみ方ーーとにかく何かの「やり方」の記憶のことです。

基底核は、少なくとも「体」を動かすことに関連したプログラムを保存している脳部位なのです。

この「身体」に関係した基底核が、どうして身体とはもっとも関係なさそうな「直感」に絡むんだろうと、当初、私は不思議に思ったわけです。

でも、真剣に考えると、すぐに納得できました。

それは、方法の記憶の特徴を挙げていけばわかります。

方法記憶には重要な特徴がふたつあります。

ひとつ目のポイントは、無意識かつ自動的、そして、それが正確だということです。

たとえば、箸の持ち方。

これは無意識ですよね。

意識して箸を持っている人はいますか?

たとえば、「おっ、このタイミングで上腕二頭筋を2センチメートル収縮させて、その次の瞬間には三角筋を5ミリメートルだけ弛緩させて。。。」とか、そんなことを考えて箸を持っている人はいますか?

いないですよね。

つまりは、方法記憶は無意識なのです。

箸を持つという些細な行為でさえ、実は、腕や手や指にある何千という筋肉が、正確に協調して働いて、ようやく実現できる、ものすごく高度な運動なわけです。

それを無意識の脳が厳密に計算をしてくれている。

その計算過程を私たちは知る由がない。

計算結果だけが知らされている。

だから、知らず知らずに箸を操ることができるわけです。

その計算を担うのが基底核などの脳部位です。

その計算量たるや膨大なものです。

しかも、重要なことに、基底核はほとんど計算ミスをしない。

箸を持つのはほとんど失敗しないですよね。

正確無比なのです。

そうした高度な記憶を操るのが基底核

だから基底核の作動は、無意識かつ自動的かつ正確だと言えるのです。

これが方法の記憶のひとつの目の特徴です。

ふたつ目の特徴は、一回やっただけでは覚えない。

つまり、繰り返しの訓練によってようやく身につくということです。

自転車も、はじめて乗っていきなり乗れることはないですよね。

何度も何度も練習してできるようになる。

ピアノの練習もそうだし、ドリブルシュートだって同じ。

訓練しているうちにだんだんできるようになります。

繰り返さないと絶対に覚えない。

その代わり、繰り返しさえすれば、自動的に基底核は習得してくれる、というわけです。

いいですね。

私は、以上のふたつの特徴、つまり「無意識」と「要訓練」を挙げながら、よくよく考えてみたことがあるのです。

そして、あるとき、「あれ、直感も同じだ!」と気づいたんです。

まず直感は無意識ですよね。

「こうに違いない」と気づいても、その判断の理由が本人にはわからないんですから。

つまり、無意識の脳が厳密な計算を行っていて、その結果として「こうだ」と最終的な答えだけがわかる状態なんです。

箸の持ち方と似ていますね。

 

実は3か月ほど前に、私と同い年の、あるプロの棋士とお話する機会がありました。

彼は、こんなことを言っていました。

「将棋を指しているとき、先の展開を丁寧に読みながら指しています。

ただ試合の序盤と終盤はいいけれども、中盤はむずかしい。

中盤は可能な手の数が多すぎる」と。

つまり中盤では、試合展開が読めないこともあるらしいのです。

ただ、そういうときでも、次の一手はこれを指したら勝てる、と感じるらしいんです。

しかし、その理由は本人にもよくわからない。

「なぜかわからないけれど、次の一手はこれしかないという確信が生まれるのです。

理由はわからないけれど、その信念に従って試合を運んでいくと、不思議と勝っちゃうんです」と。

そういう話を、私のような素人が聞くと、「だから、あなたは天才なんですよ」と言いたくなりますね。

「凡人には、”神からの啓示”のようなアイデアは都合よく降りてこないんです」と。

でも、脳科学的に言うのであれば、その考えは浅はかでしょう。

だって、プロの棋士は訓練をしているからです。

繰り返し繰り返し、幼い頃から将棋の盤を見てきて、いろんな対戦をして、戦局を眺めて、さまざまな手に思いを巡らせて。。。だから、指し手と盤面の展開が血となり肉となっている。

そういう「訓練」をした人の脳は、その局面を見ただけで、「直感」が働く。

無意識の脳が膨大な計算を瞬時に行って、「次の一手」をそっと当人に教えてくれるのでしょう。

その直感に従っていれば、そう、直感はほぼ正しいので、勝てる。

一方、私はといえば、将棋の訓練を受けていないですから、プロ棋士と同じ棋盤を見ても、何もアイデアは浮かびません。

「直感」が働かないんですから。

もちろん、そんな状況でも「まあ、何か指してみてよ」と言われれば、それは指せますよ。

「じゃあ、ここに桂馬を」とかね。

でも、これは脳科学的には「直感」とは言えません。

あえて言えば「でたらめ」でしょうか。

経験に裏づけられていない勘は直感ではありません。

こういうことを考えていくと、ひとつの重要な結論に達しますね。

そうです、直感は「学習」なんですよ。

努力の賜物なんです。

直感は訓練によって身につく。

私たちが箸を自然とミスせず持てるように、その理由は本人にはわからないにしても、直感によって導き出された答えは案外と正しいんだということになります。

 

テレビドラマや演劇を見てると、浮気を見破るのはだいたい女性の役目ですよね。

「あなた!浮気しているでしょう」とかね。

こんなケースでは、男は動揺を隠そうとして「何を急に!言いがかりをつけるんじゃない、理由を言ってみろ、理由を!」なんて逆ギレする。

そういうシーン、よくドラマや映画で見ますね。

でも、これ、すごく滑稽じゃありませんか?

だって「理由を言ってみろ」ですよ。

理由がないから「直感」なんであって、つまり、理由を訊くのはヤボなんですよ。

女性はおそらく本人も気づかないような微細なシグナルを、無意識の脳で検出して、見破ることができるのでしょうね。

しかも、やっかいなことに、直感って正確だから、だいたい図星。

 

さて、直感やセンスは基底核でつくられるということは理解できたでしょうか。

実は、基底核にはとても心強い性質があります。

それは大人でも成長を続けるということです。

赤ちゃんの脳はおおよそ400グラムくらい。

それが成長とともに大きくなって、だいたいみなさんくらいまでの年齢には大人の脳のサイズになって、それ以降は安定します。

生まれてから3倍くらいの大きさになっています。

ただし、それ以降でも、一部の脳部位はまだまだ成長することが10年ほど前に発見されました。

大人になって成長する脳部位は2か所ありまして、ひとつは前頭葉で、もうひとつは基底核だったのです。

ということは、話をあえて卑近な例に引き寄せますと、私たちが学習したり、人生で経験したりすることの意義は、基底核、つまり「直感力」を育むという側面があるのではないか、と私は思いたいんです。』

(単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二

 

 

第6チャクラであるアジナー・チャクラに集中して瞑想を続けていると、「神の眼」が開眼し、「直感」が降りやすくなる、ということが言われていますが、

脳の働きから見ると、学習や訓練の積み重ねが、「直感」を生んでいる可能性が示唆されていることが伺えます。

 

心を静かにし、雑念を取り除くという、頭の中で常に起きている煩い思考や感情に左右されない訓練を繰り返し行うことで、

どんな時であっても、平常心でいることができ、冷静な判断を下すことができる。

そして、その冷静な判断を、私たちは「直感」と呼んでいるのかもしれません。

 

次回は、更に脳の働きから体に起こる不思議な「超常現象」について、見てみましょう。

 

 

 

 

ブリターの息子よ さまざまな感覚の

欲望をことごとく捨て去って

自己の本性に満足して泰然たる人を

純粋超越意識の人とよぶ

 

三重の逆境に処して心を乱さず

順境にあっても決して心おごらず

執着と恐れと怒りを捨てた人を

不動心の聖者とよぶ

 

善を見て愛慕せず

悪を見て嫌悪せず

好悪の感情を超えた人は

完全な智識を得たのである

(バガヴァッド・ギーター第2章55-57)

 

 

チャクラについて(11)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 直感について

前回は、「脳の錯覚」について、最新の脳科学の研究結果から想定されたひとつの仮説についてご紹介させて頂きました。

 

それは、脳が見ている(目が見ている)世界が、実際に存在している真の世界であるという、一見当たり前のように考えられている一般的な常識を覆すのに十分な可能性を秘めている大脳生理学的な見地に立ったひとつの考え方と言えますが、

今回は、この仮説を裏付ける実証実験とその結果についてご紹介することで、

私たちの脳が認識している(目に見える)世界が、いかに不確実で曖昧であり、想像できないほど多くの錯覚に満ちた世界であるかという可能性について、少しご紹介したいと思います。

 

 

『脳の中のニューロン神経細胞)に細かいガラス電極を刺せば、ニューロンの活動を記録できる。

すでに脳の中に、いろんなニューロンが見つかっています。

たとえば赤色を見たときに反応する赤ニューロンとか、丸い形を見たときに反応する丸ニューロンとか、顔を見たときに反応する顔ニューロンとかね。

とにかく、いろんな種類のニューロンがあることがわかっています。

 

ピンク色の斑点があります。

それが一か所ずつ瞬間的に消えていきます。

消灯する場所が転々と回転している。

こんな簡単な動画ですが、驚くべきことが起こります。

まず、ピンクの斑点が見えているということは、みなさんの脳の中に、ピンク色に反応するニューロンがあるということです。

ピンク担当のニューロンがビビビと活動しているから、みなさんはピンク色が見えているわけです。

 

さてここで、中心の黒い+印を凝視してください。

何か変化が起こりませんか。

緑色の斑点がグルグルと回っているのが見えてきますね。

ありもしない、緑色が。

ということは、今、みなさんの脳の中の緑色に反応する緑ニューロンも活動したというわけです。

ニューロンが活動しさえすれば、ないものだって見えちゃう。

「存在」してしまうわけです。

(下記のサイトで、その動画を見ることができますので、ご自分で確かめてみて下さい)

 

http://bluebacks.kodansha.co.jp/special/brain_move01.html

 

 

これで驚いてはいけません。

もっとすごいことが起こりますよ。

+印をずっと見続けてください。

じっと、視線を固定して。。。。

15秒くらい凝視を続けると何か起こりませんか。

ほら、驚くべき現象を目の当たりにしたでしょう。

そうです。

ピンク色の斑点が全部消えてしまって、緑色だけが回っている。

できました?

じっと我慢して、+印だけを見続けないと起こりませんよ。

慣れなうちは30秒くらいかかってしまうかもしれませんが、慣れれば5秒程度で消えます。

このとき、みなさんの脳に何か起こったかというと、もうわかりますね。

ピンク色ニューロンが活動をやめてしまった。

すると、目の前から消えて、見えなくなっちゃう。

なかったことになってしまうのです。

つまり、外界にはピンク色が存在しているかどうか、あるいは、ピンク色が光波として網膜に届いているかどうかは、あまり重要なことではなくて、脳の中のピンク色担当のニューロンが活動するかどうかが、「存在」のあり方、存在するかどうかを決めていると言うことになります。

哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が相応の活動をすること」と、手短に落とし込んでしまってよいと思います。

つまり私は「事実(fact)と真実(truth)」は違うんだということが言いたいのです。

脳の活動こそが事実、つまり、感覚世界のすべてであって、実際の世界である「真実」については、脳は知りえない、いや、脳にとっては知る必要さえなくて、「真実なんてどうでもいい」となるわけです。

この考え方は「脳」を考えていくときに重要なポイントになりますので、忘れないでくださいね。』

(単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二

 

 

このことから、大まかに言うならば、人間(の脳)にとっては、事実=真実とは限らない、ということが言えるかと思います。

 

つまり、私たちの脳が認識している世界は、脳の錯覚によって創造された世界である可能性は、十分にあるわけです。

 

次に、スピリチュアルな世界では、「直感」について神秘的なイメージをもっていますが、

この「直感」についても、おもしろい実験結果が紹介されていますので、

第6チャクラである「アジナー・チャクラ」に関係する「直感」について、大脳生理学的に見たら、どのような結果が得られたのかについて、ご紹介したいと思います。

 

 

『無意識の能力を調べていく研究から、最近、(大脳)基底核は「直感」を生む場所だということがわかってきました。

直感です。

うーん、直感なんて聞くと、何やら怪しげで、トンデモ科学の雰囲気がプンプンしてきませんか。

でも、直感は実際にある脳の能力なんです。

ただ、直感は最近まで科学の対象になりにくかっただけなのです。

日常会話でも「勘だよ、勘」などと言いますよね。

たとえば、料理を習っていて、「塩を少々加えて」というときの「少々」とは具体的に何グラムを指すんだ」なんて訊けば、料理の先生は「勘、適量よ」なんて返してくる。

あるいは野球でフライが上がったとき、落下点に素早く移動したいときには、放物線の二次方程式を解かなくても「勘」でキャッチできますね。

「勘」って、いったい何なのでしょう。

直感は、最近ではちゃんと科学的に扱えるようになっていて、(大脳)基底核から生じることが示唆されています。

そこで、今日の最後の話題は「直感」にしようと思っています。

まず、「直感」の定義をしておきましょう。

「直感」と「ひらめき」は異なるものだということをご存知ですか。

日常用語では両者を同じような意味で使っているかもしれませんが、脳の研究ではまったく違うものとして取り扱っています。

脳機能の視点から見ると、まるで別物です。

実際に、脳内メカニズムが違うのです。

だから、もし両者を混同している脳科学者がいたらニセ研究者だと思ってくださいね。

直感もひらめきも、何かフとしたときに考えを思いつくという意味では似ているのですが、その後、つまり、思いついた後の様子がまるで違うのです。

「ひらめき」は思いついた後に理由が言えるんですよ。

「これこれこうなって、ああなって、だからこうなんだ。

さっきまではわからなかったけれど、今ならよくわかるよ」というふうい理由が本人にわかるんです。

一方、「直感」は自分でも理由がわからない。

「ただなんとなくこう思うんだよね」という漠然とした感覚、それが直感です。

そんな曖昧な感覚なのですが、直感は結構正しいんですよね。

そこが直感のおもしろさです。

脳の部位でいうと、理由がわかる「ひらめき」は、理屈や論理に基づく判断ですから、おそらく大脳皮質がメインで担当しているのでしょう。

一方の「直感」は(大脳)基底核です。

 

ある実験で、勘に従って決断しているときの脳の活動をMRI(核磁気共鳴画像法)で測定しています。

直感を駆使しているときには、想像通り「(大脳)基底核」が活動していました。

やはり、私たちの直感は(大脳)基底核から生まれるというわけです。』

(単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二

 

 

第6チャクラの「アジナー・チャクラ」は、「直感」と関連付けて語られることが多いのですが、

大脳生理学的に考えると、「直感」と同様、アジナー・チャクラも、「大脳基底核」と関係しているのでしょうか?

 

次回では、更に詳しく「直感」について見ていきたいと覆います。

 

 

 

全ての行為は自分がするのではなく

物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の作用にほかならなね事を知り

その上に至上主の実在を正覚した者は

この三性質を超越してわたしのもとに来る

 

肉体をまとった者が その体と連合する三性質を

振り捨ててこれを超越したとき

誕生と老と死の苦より解脱し

物質界(このよ)にいる間から至幸の神酒をのむ

(バガヴァッド・ギーター第14章19-20)

 

 

 

 

 

 

チャクラについて(10)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 錯覚について

前回は、脳科学者の池谷裕二さんの著書「進化する脳」から、最新の脳科学の実験データなどから得られた情報を元に、これまでの常識を覆すような考え方の一例として、

「世界があって、それを見るために目を発達させたのではなくて、目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。」という内容をご紹介いたしましたが、

今回は、その続きをご紹介いたします。

 

この考え方は、一見、突飛に感じるかもしれませんが、仏教のお経である「般若心経」が説いている内容とも重なる部分があると感じます。

 

色即是空 空即是色

 

つまりは、一切が反対である、あべこべである、顚倒している、ということになり、

アドヴァイタ(一元論)の「この世界は非実在である」という考え方とも一致するものである、とご紹介させて頂きます。

 

 

『もし君たちが魚の目を持っていたら、たぶんまったく違った世界の解釈をしていると思う。

ニュートンは人間の目を使って<世界>を観察して、「ニュートンの三大法則」をつくった。

カエルだったらおもに動いているものしか見えないわけでしょ。

そうしたら、カエルにとっては「ニュートンの法則」は成り立たない。

カエルの目だったら「質量保存の法則」なんて無意味だ。

そういう話。

ここから一気に、もっと深い話になる。

いまついてきている?何か質問あるかな?

 

→ いまのちょっとよくわからないんですけど、みんなわかるの?

先に目ができて、目ができたから、それで見えるようにな。。。

目という臓器ができたから、それに対応してまわりも、それに即して。。。。

でも、世の中はあるわけですよね。

 

物質世界としては人間がいる前からきっとあっただろうけれども、こういうふうに見えているのは、人間が勝手にそう見ているだけの話しであった、違う動物の目を仮に移植されたらまったく違う世界がそこに生じてしまう。

だとしたら、それはもう世界のあり様として違うんだよ。

だって脳が世界を作っているんだからさ。

 

→ 質的に世界は同じだけど、見え方、見方が違うという・・・・?

 

見え方が違ったら、脳にとっては別物だよね。

だって存在とは脳が解釈した結果なわけだから、もはや質的に一緒とすら言えなくなってしまう。

よく考えてみるとわかると思うんだけど、どう?

もう少し考えてみる?

たとえば、光の三原色があるよね。

赤・緑・青の三種類の光さえあれば、世の中のすべての色をつくることができる。

テレビ画面を虫メガネで拡大して見ると、「赤・緑・青」の画素がびっしり並んでいるのが見える。

ちなみに、人間が識別できる色の数は数百万色と言われている。

すごいよね。

考えてみれば数百万種類もある色が、たった3つの光の波長に還元されてしまうのだから、光の三原色っておもしろいよね。

この三色の原理は、ずいぶんと昔から人間はちゃんと知っていた。

そして、後世に「生物学」が発達して、目という臓器に科学のメスが入ると、なんとまあ、その赤・緑・青の三色に対応したセンサー細胞が網膜から見つかって世の中の人は驚いたんだ。

「三色の原理を生物はきちんと知っていて、それに対応させて網膜を発達させたんだな。

・・・・人間の目とは、やはりうまくできているものだなぁ」と。

でも、それはそんなに驚くべきこと?

だって、本当を言えばこれは当然なんだよ。

光はもともと三原色に分けられるという性質のものではない。

網膜に三色に対応する細胞がたまたまあったから、人間にとっての三原色が赤・緑・青になっただけだよ。

もし、さらに赤外線に対応する色細胞を持っていたら、光は三原色ではなくなるよ。

何が言いたいのかというと、赤・緑・青という電磁波のおよそ、555ナノメートル、530ナノメートル、426ナノメートルという波長の三色しか見えないから、世界がこういうふうにしか見えていないというわけ。

たとえば、もし、もっと長い波長のラジオ波なんかが目に見えたりしたら、すごいことになってしまう。

ラジオ波はとても透過性も高いから、つまり、容易に壁をすり抜けるから、建物の向こう側にいる人まで見えてしまう。

でも、実際の人間の目は、世の中に存在する電磁波の、ほんの限られた波長(可視光)しか感知できない。

だから、本来限られた情報だけなのに「見えている世界がすべて」だと思い込んでいる方が、むしろおかしな話でしょ。

その意味で、世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な)世界をつくりあげている、といった方が僕は正しいと思うわけだ。』

(進化しすぎた脳 池谷裕二

 

これは、一人の脳科学者が、最新の脳科学の研究結果から導き出した一つの仮説ですが、

ジュナーナ・ヨーガ(智識のヨーガ)で言っているところの「世界は非実在の幻、或いは夢のようなもの」という世界観と

「この目に見える世界は錯覚の産物である」ということは、同じことを言っているようにも受け取れます。

 

私たち人間は、「人間」というバイオスーツ(肉体)を着ているので、「人間」の肉体(バイオスーツ)の持つ機能を駆使しながら、この世を体験しています。

 

しかし、この体験は絶対的なものではなく、人間固有の体験であり、

それ故、それらの体験は、宇宙において普遍のモノというわけでもなく、

敢えて言うならば、人間だけに通用する限定的なモノなのです。

 

また、この有限なる「人間」というバイオスーツを抜いだとき、

「無限」という普遍なる真実の世界(次元)が広がっていると、

人間は、脳内で想像(創造)することができる唯一の存在であると言えます。

 

この働きについては、次回、詳しく見ていきたいと思います。

 

 

 

全ての行為は物質自然によって

つくられた肉体が行うのであって

自己の本質(アートマン)とは無関係であると知る者は

存在の実相を見ているのである

(バガヴァッド・ギーター第13章30)

 

 

チャクラについて(9)ーアジナー・チャクラ(第6チャクラ) ③進化した脳

前回の第6チャクラの「アジナー・チャクラ」についての記事の続きとして、

更に第6チャクラについて深く理解するために、

アジナー・チャクラ周辺の感覚器官である「視覚」について、少し考えてみたいと思います。

 

私たち人間を含めて全ての生物には、二つの目があります。

深海魚など光が射さない環境で生きている生物の中には、目が退化してしまった生物もいますが、

私たちは、目で世界を認識しており、また、自分をも認識している、と考えられていますが、

果たして、本当にそうでしょうか?というのが、今回のテーマです。

 

このような常識と考えられているような定説に、疑問を投げかけることを「アンチテーゼ」と言いますが、

以下の文のような「アンチテーゼ」を読んで、どのように感じられますか?

 

『「目はものを見るためにあるのか」・・・多くの人はそう信じて疑わない。

でも、ほんとうにそう?

たぶん違うな。

まず世界がそこにあって、それを見るために目を発達させた、

というふうに世の中の多くの人は思っているけど。

本当はまったく逆で、生物に目という臓器ができて、

そして、進化の過程で人間のこの目ができあがって、

そして宇宙空間にびゅんびゅんと飛んでいる光子(フォトン)をその目で受け取り、

その情報を解析して認識できて、そして解釈できるようになって、

はじめて世界が生まれたのではないか。

言っていることわかるかな?

順番が逆だということ。

世界があって、それを見るために目を発達させたのではなくて、

目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。』

(進化しすぎた脳 池谷裕二

 

エ?

 

そうなの?

 

本当に? (信じられない!)

 

 

何故、そんなことが言えるのか?

 

この続きは、次回に詳しくご紹介したいと思います。

 

 

 

地球上の 昼と夜と

人間の用いる計算方法では

創造神ブラマーの一日は千周代

ブラマーの一夜も千周代

 

ブラマーの一日が始まると

多種多様な無数の生物が姿を現わし

ブラマーの夜になると

彼らはすべて姿を消す

 

ブラマーの夜が明けると再び

万物群生は流れ出て活動を始め

暗闇になると溶解消滅する

物質世界はただこれを反復(くりかえ)すだけ

 

だがこの未顕現 顕現の現象(すがた)を超えて

別な世界が実在する

それは至上至妙にして永遠不滅

物質宇宙(このよ)が絶滅してもそのままである

(バガヴァッド・ギーター第8章17-20)

 

 

チャクラについて(8)アジナー・チャクラ(第6チャクラ)②視床、視床下部、下垂体

前回は、第6チャクラの「アジナー・チャクラ」を理解するために、松果体という脳の内分泌器官をみてみました。

 

松果体は、視床上部にある小さな内分泌器官ですが、

視床上部、視床視床下部は、「間脳」を構成しており、その5分の4を占めるのが、視床です。(間脳は、広義には、脳幹に含まれることもあります)

 

視床には、嗅覚以外の感覚情報がすべて集まっています。

その後、異なるニューロンによって大脳皮質へと伝えられますが、その一大中継地が視床で、

感覚野や運動野の特定の領域に投射し、中継核として機能したり、間脳その他の核や中脳からの投射を受け、連合野に投射しています。

 

この働きにより、幻視、幻聴、妄想、認知機能障害(統合失調症)の患者には、視床ドーパミントランスポーター(DAT)の機能に変化があり、健常者より30%のDAT増加がみられるとの報告があります。

一方、視床ドーパミンD2受容体の量が減少しているとの報告もあり、視床ドーパミン神経系の過剰活動が、情報の統合に乱れを生じさせていると考えらています。

 

次に、視床下部に移りましょう。

視床を囲む視床下溝よりも下方、第三脳室が下垂体に向かっている部位が、視床下部で、視床下部は、小さな器官ですが、体内環境を調整する重要な役割を担っています。

 

ひとつは、自律神経系の制御で、自律神経系は、内臓の働きや、血圧や血糖値、脈拍、体温などを無意識下で調整し、生体環境の均衡を保とうとするホメオスタシス(恒常性)を維持しています。

ホメオスタシスは、自律神経系とホルモン系の連動によって保たれており、視床下部はこのホルモン系の制御もおこなっています。

視床下部が分泌するホルモンとしては、副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン、成長ホルモン放出ホルモン、成長ホルモン抑制ホルモン、プロラクチン(乳腺の発達、乳汁放出に関係するホルモン)放出ホルモン、プロラクチン抑制ホルモン、甲状腺刺激ホルモン放出ホルモンなどで、

これらの視床下部から分泌されたホルモンにより、下垂体は、成長ホルモン、乳腺刺激ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモン、性腺刺激ホルモンという多くのホルモンを分泌します。

 

これらのホルモンは、第6チャクラよりも下位のチャクラへ働きかけ、それらのチャクラから各種ホルモンの分泌を促します。

つまり、第6チャクラが、第6チャクラ以下のチャクラの働きをコントロールしていると考えられます。

 

そういう意味では、第6チャクラは、体全体における隠れた司令塔であり、

「アジナー」とは、「命令」という意味だと書きましたが、その言葉通り、体全体を無意識下でコントロール(調整)していると言えます。

 

例えば、視床下部は、大脳辺縁系(記憶を司る海馬や情動を司る扁桃体など)や大脳皮質(思考や判断の中心的役割を担っている)から直接的・間接的に影響を受けています。

外部からの刺激によって、ある情動が生じると大脳辺縁系から視床下部に情報が伝わり、それにより視床下部は自律神経に、身体の各器官を適切な状態にするように指令を出します。
例えると、歩いていて脇道から急に自動車が飛び出してきたら、大脳辺縁系に恐怖の感情が生まれ、その情報が瞬時に視床下部に伝えられ、それを受けた視床下部が自律神経に指令を出し、交換神経が興奮することにより、急に血圧が上がり、心臓が早鐘を打ち、冷汗が出、全身の筋肉が収縮する、というような具合です。

 

生命の危機を感じた脳の情報を受けて、自律神経を通じて全身が危機に対応するよう瞬時に変化します。

このように、視床下部は本能的欲求や情動をつかさどる大脳辺縁系からの情報によって、自律神経をコントロールします。

また、視床下部は大脳皮質からも間接的に影響を受けます。
例えば、サスペンスやホラーの小説や映画を観てドキドキしたり、好きな異性から声を掛けられたら胸が高鳴るのは、その一例と言えます。

ストレスを受けるとその情報は、視床下部から脳幹(縫線核)に流れ、脳幹のセロトニン神経伝達物質)の働きが弱くなり、精神症状(うつ病やパニック症)の引き金になるとされています。

 

そして、視床上部には、前回の記事でご紹介しました睡眠や日内リズムに関与するメラトニンというホルモンを分泌する松果体があります。

 

最後に取り上げるのは、(脳)下垂体という多くのホルモンを分泌する内分泌器官で、

下垂体には、血管が非常に発達しており、分泌されたホルモンが効率よく血流に乗って全身に運ばれるようになっています。

下垂体前葉のホルモンの分泌を調節するホルモンは、視床下部から分泌されており、下垂体を通る血管のうちの一部は、視床下部を経由してから下垂体に入るため、視床下部の分泌調節ホルモンの刺激が効率よく下垂体前葉に伝わるようになっています。

一方、下垂体後葉ホルモンであるオキシトシンは、「幸せホルモン」「愛情ホルモン」とも呼ばれ、ストレスを緩和する作用があるとされていますが、

このオキシトシンは、視床下部神経細胞で産生され、視床下部から下垂体後葉にまで達している神経細胞の軸索を通して運ばれ、血管に放出されます。

このオキシトシンが、中枢神経系において、扁桃体へ放出されると、警戒心が解け、側坐核へ放出されると、快感を感じます。
末梢神経へ放出されると、平滑筋の収縮に関与して分娩時の陣痛、子宮収縮、乳腺の筋線維を収縮させ、乳汁が分泌されます。

 

ここまで、視床視床下部視床上部、下垂体について、現代の脳科学の研究でわかってきていることを簡単にご紹介しましたが、

ひと言で言うならば、これらの器官は、人間にとって、生命維持に欠かせない心と体をつないでいる情報の中継地と言えるでしょう。

 

専門的な内容ですが、これら器官の簡単な働きを多少なりとも、頭の隅に置いておくと、第6チャクラを理解する上で、非常に役に立つことと思います。

 

二回にわたって、内分泌器官としての働きのある脳の部位の働きをみることで、第6チャクラの役割や働きを見てきましたが、

第6チャクラは、脳の一部分に限定されているわけではなく、脳全体の働きに大きく関係していると思われます。

 

次回は、「意識」「感覚」「認識」といった更に微細な領域に関係している部位について、詳しく見ていきたいと思います。

 

 

聖ラーマクリシュナ

『智者(ジュニャーニー)の目的は自我の本性をしることだ。

それを智識といい、それを解脱と呼んでいる。

至上のブラフマンこそが自分の本性なんだ。

自分と至上ブラフマンは一つだ。

マーヤーのためにそれができないんだよ。

ハリシュに言ってきかせたんだがねーー

”何でもないさ。黄金の上にいくらか土がかぶさっているだけなんだから、その土をのければいいんだ”と。

信仰者は”私”を残しているが、智者は残さない。

どんなふうにして自我の本性に安住するか、ナングタが教えてくれたよーー。

”心を知性(ブッディ)のなかに溶かせ。

知性(ブッディ)を真我(アートマン)のなかに溶かせ。

そうすれば自我の本性に安住することができる”と。

でも、”私”はどうしたって残るよ――無くならない。

無限の水――上も下も、前も後も、右も左も水ばっかり!

その水のなかに水のいっぱい入った瓶がある。

中も外も水。

それでもやっぱり瓶がある。

”私”という相(すがた)の瓶がーー」

 

「智者の肉体は以前通り、”ある”。

しかし、智識の火で色情や怒りは焼き尽くされている。

ずい分前のことだが、大嵐のときカーリー堂に雷が落ちた。

わたしらが行ってみたら、扉や何かはどうにもなってない。

でも、ネジの頭が壊れていた。

扉は肉体のようなもの、色情や怒りはネジだ。

智者は神の話ばかり好んでする。

俗っぽい話になると彼は苦痛を感じる。

所詮、俗人どもは別な人種なんだ。

連中は頭に無明というターバンを巻いている。

だから、同じような世間話を飽きもせずくり返す。

ヴェーダに七住地のことが出ている。

智者が第五住地まで上がると、神に関する話しか耳に入らないし話すこともできない。

そうなると、彼の口からはただ智識の教訓(おしえ)しか出てこない」

「赤熱(ラーガ)の信仰になれば――つまり、神を愛するようになれば、神にふれることができる。

形式的信仰は入りこみやすく離れやすい。

称名を何回、瞑想をこれだけして、これこれの犠牲を供えて護摩を焚き、これこれの用具をつかって礼拝し、礼拝をする時にはこれこれの真言を称える。

こんなのが形式的信仰というんだよ。

こんなのはするのも簡単だが、やめるのも簡単さ!

よく人が言うだろうーー

『君、ぼくは幾日もハヴィシャ(特別の米を炊いたご飯に、決められた種類の野菜を茹でたものを添えた食事で、神聖な食べ物とされている)だけで過ごしてあれだけ礼拝したのに、何の効能もないんだ』なんてね。

しかし、赤熱信仰(ラーガバクティ)は決して退転しないよ!

どういう人たちがラーガ・バクティを持つ?

前生でたくさん善行(修行、奉仕など)をした人たちだ。

さもなくば永遠完成者(ニティヤシッダ)だ。

荒れた空家を掃除しているうちに、パイプをとりつけてある泉が見つかる!

土やレンガの粉がかぶさっていたのをすっかりとりのけてやると、とたんに水がシューッと噴き上がった!そんなものさ。

ラーガ信仰の人は、こんなことは決して言わないーー

『君、私は何日もハヴィシャだけで過ごしてきたが、何の効果もない!』

かけだしの百姓は、作物がとれないとすぐ土地を見放してしまう。

しかし先祖代々からの百姓は、作物がとれてもとれなくても百姓をつづけるよ。

親父も爺さんも百姓してきたんだから、百姓さえしていれば食べていけることがよくわかっているんだ。

ラーガバクティの人たちこそ本真(ほんとう)の信仰者だ。

神さまが全責任を負って下さる。

病院の名簿に登録されればーー病気が治らぬうちは、博士(せんせい)さまが退院させてくれないよ。

神様がつかまえていて下さる人たちは、何の心配もない。

田んぼの畦道を歩きながら、子供が父親の手をつかんでいる場合は田んぼに転げ落ちることもあるーー子供はうっかりして手を放すこともあるからね。

でも、父親が子供の手をつかんでいれば決して落ちない」

 

「家庭や世間のことをぜんぶ捨ててしまう必要があるかい?

執着をなくせばそれでいいんだ。

だが、修行はしなけりゃいけない。

五官の誘いと戦わなけりゃいけない。

砦の中から戦うのはとても有利だ。

砦のなかではいろんな助けが得られるからね。

この世は経験の場だ。

一つ一つ経験して、それを捨てていくことだ。」

(聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

もし身勝手な考えで『戦わない』と思っても

その決心は空しいものだ

武士階級(クシャトリア)としての天性によって

君はどうしても戦わなければならぬのだ

 

クンティーの息子よ 君は迷いのため

わたしの指示に従うのをためらっているが

しかし 天性にかりたてられて

為(し)ないといっていることを為(す)ることになる

 

アルジュナ

至上主は(かみ)は全生物の胸に住み

かれらの行動を指揮する

御者が馬車を動かすようにーー

 

バラタ王の子孫よ 故に

かれに絶対服従せよ

そうすればかれの恵みにより

永遠の妙楽土に住めるようになる

(バガヴァッド・ギーター第18章59-62)

 

 

 

クンダリニー覚醒されたナーナさんのサットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨさんの個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促されます。

 

☆自己変容したい、真理を体得したい、束縛から解放されたい、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい方々のために、ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与るサットサンガ、個人セッションが開催されています。

詳しくは、ナーナさんの公式ホームページをご覧下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

シャクティプラーナによるシャクティパータは、サットサンガに6回以上参加した後、ナーナさんの個人セッションにて受けることができます)

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)

 

 

チャクラについて(7)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ)その①松果体

今回取り上げるのは、眉間にあるとされる第6チャクラである「アジナー・チャクラ」です。

「アジナー」とは、「命令」という意味で、「知る」「従う」という語から派生した言葉だそうで、

ヨーガの世界では、「第三の眼」或いは「神の眼」と呼ばれることもあり、インド人はこの部位にビンディ(額につける装飾)をつけます。

 

アジナー・チャクラは、「松果体」と関係が深いと言われることがありますが、

それは、16世紀のフランスの哲学者デカルトが、

『この世界には物質と精神という根本的に異なる2つの実体があるとし(現代の哲学者たちの間ではこうした考え方は実体二元論と呼ばれている)、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。

デカルト松果体の研究に時間を費やしそこを「魂のありか」と呼んだ』

というような脳の部位の中で、「松果体」を特別な働き(役割)を持った器官と見做す人びとの影響が大きかったからではないか、と思われます。

 

それでは、果たして、第6チャクラの「アジナー・チャクラ」は、「松果体」と、本当に密接な関係にあるのでしょうか?

 

「アジナー・チャクラ」について詳しく知るために、まずは、「松果体」について、詳しく見てみましょう。

 

松果体が内分泌器であることが分かったのは、比較的最近で、脳内の奥深くにあったため、松果体には重要な機能があると考えた哲学者もいたことから(前出のデカルト)、

松果体の存在は神秘なものとされ、迷信や形而上的な理論がまといついたと考えられます。

 

松果体は、脳にある小さな内分泌器で、脳内の中央、2つの大脳半球の間に位置し、2つの視床が結合する溝にはさみ込まれています。

松果体にはセロトニンメラトニンなどの物質が含まれていますが、メラトニンは性腺刺激ホルモン放出を抑制し、皮膚の色を白くするとされ、メラニン色素細胞の収縮、生殖腺の発達抑制の作用があります。

また、人においては通常夜に分泌量が多くなり、睡眠を促進する作用があると考えられており、松果体の組織が破壊されると性的早熟(早発性思春期)と性腺肥大が現れるといいます。

さらにヒトの松果体メラトニンセロトニンの量は、他の動物と同様に明暗の変化に伴って日周リズムを示すといわれています。

 

また、「松果体」は、発生学的に見ると、非常に興味深い進化過程を経ていることがわかります。

 

(以下、Wikipediaより)

『発生過程を見れば、松果体は頭頂眼と源を一にする器官である。

まず頭頂眼について説明する。

脊椎動物の祖先は、水中を生息圏として、中枢神経系を源とする視覚を得る感覚器に外側眼と頭頂眼を備えていた。

外側眼は頭部左右の2つであり、現在の通常の脊椎動物の両眼にあたる。

頭頂眼は頭部の上部に位置していた。

初期の脊椎動物の祖先は頭部の中枢神経系で、つまり今では脳に相当する部分に隣接して存在したこれら左右と頂部の視覚器官を用いて、皮膚などを透かして外界を感知していたが、

皮膚の透明度が失われたり、強固な頭骨が発達するのに応じて外側眼は体表面側へと移動した。

また、外側眼が明暗を感知するだけの原始的なものから鮮明な像を感知できるまで次第に高度化したのに対して、

頭頂眼はほとんど大きな変化を起こさず、明暗を感知する程度の能力にとどまり、位置も大脳に付随したままでいた。

やがて原因は不明ながら三畳紀を境にこの頭頂眼は退化してほとんどの種では消失してしまった。

現在の脊椎動物では、ヤツメウナギ類やカナヘビといったトカゲ類の一部でのみ、この頭頂眼の存在が見出せる。

受精後に胚から成長する過程である動物の発生過程では、動物共通の形態の変化が見られるが、この過程で頭頂眼となる眼の元は間脳胞から上方へと伸び上がる。

この「眼の元」は、元々は、左右2つが並んで存在するが、狭い間脳胞に生じたこれらはやがて前後に並んで成長する。

2つあるうちの片方が松果体となり、残る片方はある種の爬虫類では頭頂眼となるか、またはほとんどの種では消失してしまう。』

『トカゲ類にはその頭頂部に第3の眼と呼ばれる頭頂眼(顱頂眼,)がある。

視床上部の上生体複合体に由来する頭頂眼は、元々対の器官だったものの片方が頭頂眼に、もう片方が内分泌器官である松果体(上生体)に変化したとされ、体温調節に一役買っていると考えられている。』

 

つまり、脊椎動物の祖先とは、所謂、魚類のことですが、三畳紀以前に地球の海に生息していた脊椎動物の祖先である魚類は、外界をはっきりと認識できる視力を持っておらず、

二つの外側眼と二つの頭頂にある頭頂眼で、ボンヤリと光を検知するくらいがやっとであった、ということになります。

そして、三畳紀以降は、この二つある頭頂眼の内のひとつが、脳内に移動して「松果体」となり、

頭頂に残ったもうひとつの頭頂眼は、多くの種では消滅してしまった、というのです。

 

こんなところから、「松果体」は、今は消失してしまった目に見えない「眼」として、目に見えない世界を見ることができる「眼」として、

その真偽は定かではありませんが、「第三の眼」「神の眼」と関連づけて考えられるようになった、とも考えられます。

 

しかし、現代では、MRI(核磁気共鳴画像法)の普及により、脳内の働きや活動部位がはっきりとわかるようになったため、

それまで神秘のヴェールに包まれていた脳活動が、近年になって急速に、詳細に解明されてきており、

この脳科学の発展に伴い、それまで推測域を出ることがなかったいろいろな仮説に関して、科学的な見地から検証することも可能となってきています。

 

次回も、この脳科学における最新の研究成果を踏まえて、第6チャクラである「アジナー・チャクラ」について、

より広い、そして、より現代的な視点で、理解を深めていきたいと思います。

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

『人生の目的は神を体得(つか)むことだ。

仕事というのは、一番はじめの第一章だよ。

人生の目的なんかであるものかい。

だから、無私の働きも一つの手段だ。

目的じゃない。

シャンプーがこう言った。

『持ち金をすべて良いことに使えますように!

ーー病院や施薬所を建てたり、道路やガードをつくったりできますように祝福して下さい』

わたしはこう答えたよ。

そういうことをみな、無執着の心でやれるならいいことだが、それは大そう難しいよ。

何をするにしても、お前の今生の目的は神をつかむことだということを、片時も忘れるな。

病院や施薬所を建てることじゃないんだぞ!

もし神がお前の目の前に現れて、一つだけ願いを叶えてやるとおっしゃったら、病院と施薬所を建てて下さいと言うつもりなのかい?

”おお神様、あなたの蓮華の御足に純粋な信仰をもてますように、そしてあなたにいつも会えますように”とお願いしないつもりなのかい。

病院だの、施薬所だの、あんなものはみな、ほんの一時的なはかない存在だよ。

神だけがほんとの実在で、ほかは全部、非実在だ。

それに、あの御方をつかんだら、あの御方が行為者(カルタ―)で、わたしらは非行為者(アカルター)だということがわかる。

そうすれば、どうしてあの御方をそっちのけにしてまで、いろんな仕事に追っかけまわされただけで死ぬのに満足できるかね?

あの御方をつかめば、あの御方の思召しで、病院だろうと施薬所だろうといくらでもできるさ。

だから、仕事はほんの第一歩だと言うんだよ。

仕事が人生の目的じゃないんだよ。

修行して、もっと先へ先へと前進しろ。

そうすれば、しまいには神だけが実在で、あとはみな非実在だということ、神をつかむのが人生の目的だということがわかる。

一人の木こりが、森に木を伐りに行った。

思いがけなく一人の坊さんに出会った。

その坊さんは、『さぁさぁ、先へ行きなさい!』と言いなすった。

木こりは家へ帰ってから考えた。

坊さんは、『先へ行け』と言いなすったが、何故だろう?

そうこうして何日か経った。

ある日、坐っているとフト坊さんの言葉が胸をよぎった。

そして、今日はいつもの場所より先の方へ行ってみようと決心した。

森へ行って、先へ進んでみると、白檀の木が数えきれないほどあった。

喜び勇んで白檀を車に積んで帰り、市場で売って大儲けをした。

しばらく経った。

ある日また、お坊さんの”先へ進め”という言葉を思い出した。

森へ行ってもっと奥の方へ進んでいくと、河のほとりに銀鉱をみつけた。

夢にもおもってみなかったことだ。

鉱山から銀を掘りだして売った。

いくら金ができたのか、自分でもわからないくらいになった。

また、しばらく経った。

ある日、坐って考えた。

あの坊さんは銀の山まで行けと言ったわけじゃない。

ーーそうだ、あの方は私に、”もっと先へ行け”とおっしゃったのだ。

ーーこんど行くと、金の鉱山をみつけた!

『オホーッ!

これだからあの坊さんは、先へ進めといいなすったんだ』と、彼は思った。

またしばらくして、その先に行ってみると、ダイヤモンドやその他の宝石がザクザクあった。

そして彼は、富の神様のような大富豪になった。

だから、わたしは言うんだよ。

たとえ何をするにしても、先へ先へと努力して進んでいけば、次々により良いものが手に入る、と。

少しばかり称名や読経をして、ある程度の神秘体験をしたからといって、最高の境地に達したなどとユメユメ思うなよ。

仕事は人生の目的ではない。

もっと前へ進めば、無私の気持ちで仕事ができるようになるだろう。

しかし、無私の働きというものは、ホントに難しいもんだ。

だから信仰をして、熱心にあの御方に祈れ。

ーー神様、あなたの蓮華の御足を信仰させて下さい。

この世の仕事を減らして下さい。

さいごに残った義務を、無私の心でできるようにして下さい、と。

もっと先へ進むと、神をつかむことができる。

あの御方に対面することができる。

そしてだんだん、あの御方と話し合うこともできるようになるよ』

(聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

わたしに頼ってすべての活動をし

常にわたしの保護のもとで働け

至上者であるわたしを信じきって

常に意識をわたしで満たしておけ

 

わたしを想い 慕っていれば

わたしの恵みで全ての障害が除かれる

だが わたしを意識せずに我執で働き

わたしの言葉を聞かぬ者は滅びる

(バガヴァッド・ギーター第18章57-58)

 

 

 

クンダリニー覚醒されたナーナさんのサットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨさんの個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促されます。

 

☆自己変容したい、真理を体得したい、束縛から解放されたい、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい方々のために、ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与るサットサンガ、個人セッションが開催されています。

詳しくは、ナーナさんの公式ホームページをご覧下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

シャクティプラーナによるシャクティパータは、サットサンガに6回以上参加した後、ナーナさんの個人セッションにて受けることができます)

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)