永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?ーアートマンについて(1)

これまで、かなりの時間を割いて、人間の心について、その働きや仕組みを理解するために、脳科学の分野で明らかになって来ている事実をご紹介してきました。

 

そして、それが、ヨーガやウパニシャッドでは、どのように表現されているか?を、スワミ・ラーマの「聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」より、ご紹介いたしました。

 

このことを心の底から理解するには、本から得た知識ではなく、実際の体験を通して理解することが大切です。

 

その体験は、個人においては、様々な形で起こるため、一様ではないのですが、

ここでご紹介した脳の働きや仕組みを念頭に置き、自分の内面で起きていることに気付いていることは、体験ための準備として、非常に有効だと言えるでしょう。

 

何故、そういう気持ちになったのか? 

何故、そういう行動を取ったのか? 

何故、そういう反応をしたのか?

何故、そう考えたのか?

 

そこには、必ず理由があります。

潜在意識の中には、自動反応を引き起こす種が眠っていて、それが、個人の心に投影され、私たちの思考、感情、行動の元になっていることが多いのです。

 

この自分の脳の中で、どのようなことが起きているか?を知ることは、

前回の記事でもご紹介しましたスワミ・ラーマの言葉につながっていきます。

 

『最初に心を静かにすることが必要です。

最初の方で言ったように、マナスが訓練されず、エゴが制御されていないままだと、心は荒れ狂い制御不能となります。

同時にチッタの内容は膨れ上がり、意識の中に表面化し続けます。

個人はこの混乱の奴隷となり、常軌を逸した感情と強力な願望の鎖で引っ張りまわされます。

この混乱は静められなくてはなりません。

静けさは瞑想で築くことができます。

人の体が静かで呼吸が静かで規則正しいなら、心は集中し始めることができます。

集中が保たれると、顕在意識はだんだんと静かになり、心の明晰さがより深くなっていきます。

この種の瞑想が達成されると、心をきれいにし、古い願望や思考、恐れの心を空にし、完全にブッディ、アハンカーラ、マナス、チッタを統合するという真の仕事が始まります。

完全なる統合により心は、純粋意識はあらゆるところに在り、君主であることを理解します。

そのとき心は、すべての力と権威は命の源である純粋意識から生じていることを理解するので降伏します。

エゴは消滅し、死は打ち負かされます。』

(聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く スワミ・ラーマ)

 

「わたし」については、チャクラの章で、いろいろ見てきました。

 

このブログ最後のテーマは、「わたしは誰か?」です。

 

これは、このブログの最初の方の記事でも取り上げました。

 

スワミ・ラーマの「聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」の中では、

 

アートマンが人の本質的な性質だと理解されるとき、人はアートマンへの道をきれいにするという仕事を始めることができます。

アクセスは心の枠組みや人間の構造を理解するこで始まります』

 

とあります。

 

このことから、人間の心の枠組みや人間の構造を知るために、脳科学における人間の脳についてご紹介してきたのです。

 

『最初の段階は私たちの真の本性は何かを思い出すことです。

私たちは体でも、感情でも、思考でも、エゴでも、心でもありません。

私たちはアートマンーー神聖で純粋な意識なのです。』

 

というスワミ・ラーマの言葉を理解するために、次の段階へ移っていきたいと思います。

 

スワミ・ラーマが「聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」で語っているのは、たったひとつの結論です。

 

『わたしは誰か?ーーアートマンです』

 

ですから、このアートマンについての理解が、自分という存在への真の理解であり、真理探究者の最終ゴールと言えます。

 

そして、『アートマンブラフマンなり』

 

アートマンを知ることは、唯一なる実在であるブラフマンを知ることである、とウパニシャッドでは説いています。

 

この自己の本質への真の理解は、体験によってもたらされますが、

その前に、先人の多くの智慧に耳を傾けることで、その片鱗だけでも知っておくことは、ブッディ(知性)が本来の働きをする際に、大いに役に立つことでしょう。

 

ということで、次回から、アートマンについての理解を深めていきたいと思います。

 

 

『”私””と”私のもの”が無智だ。

よくよく考えをおしつめていくと、その、私、私、といっているものはあの御方、つまり、アートマン(真我)のほかの何者でもないと覚るだろう。

考えてもごらん、あんたはその肉体か、それとも骨か、筋肉か、それともまた他の何だね?

わかるだろう、あんたはそのドレでもないんだよ。

どんな性質もないんだ。

そこで念のためだ、いいかいーー”私は何もしていない。私のアヤマチなぞというものはない。性格もない。罪もなければ手柄もない”

これは金、それは真鍮ーーこういうのが無智。

何もかもすべて金ーーこれが智慧』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

物質界(このよ)を去るにあたって

明るい道と暗い道があり

明道を行く人は戻らず

暗道を行く人は戻ってくる

 

プリターの息子 アルジュナ

この二つの道を知る修行者は

捨身(死)のとき決して迷わない

故に たゆむことなくヨーガに励め

 

わたしのこの教えを理解した修行者は

ヴェーダの学習や供犠 苦行

慈善などの行事に心を費やさず

それらを超えた至高の浄土へ往く

(バガヴァッド・ギーター第8章26-28)