永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(10)
近年、健康や美容のために、ヨーガをする人たちが増えています。
確かに、ヨーガには、心身の健全さを促進する効果や、それによってもたらされる(健康)美への効果は大きいと言えます。
この場合のヨーガとは、主にアーサナ(坐方)やプラーナヤーマ(調気法)を指すことが多く、健康体操的な目的で実践されることが多いように見受けられます。
(ヨーガの中には、アーサナやプラーマヤーマを実践しないヨーガもありますが、精神修養的な意味で、アーサナやプラーナヤーマだけでなく、ヤマ、ニヤマの実践から、瞑想まで、幅広くヨーガを実践している人は、それほど多くはいないでしょう。)
しかし、本来のヨーガには、美や健康という表面的な副産物的な効果が目的ではなく、自己探求,、自己実現(Self-Realisation)のために、私たち人間の内側に広がる深層の世界へと深く潜っていく方法として、長い年月をかけて、多くの叡智が結集され、最も効果的な技術として、開発されてきた歴史があります。
以前の記事の中で、ウパニシャッドで説かれている「人間五臓説と5つの鞘(層) - 永遠の人」をご紹介しましたので、ここでもう一度、復習したいと思います。
『聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝く』では、このように解説されています。
『ヴェーダンタによると、人間は 5 つのコーシャという鞘(さや)から成っています。
粗大な物質的な鞘(食物鞘)、プラーナ鞘(生気鞘)、心の鞘(意志鞘)、知性の鞘(理智鞘)、そして至福の鞘(歓喜鞘)です。
それらは、鞘が種子を覆っているように、アートマンを覆っているので、鞘と呼ばれます。
それらはひとつの上に別の層が連続して重なって形作られているかのように記述されています。
物質的な鞘は一番外側で、歓喜鞘が一番内側です。
アートマンは分離していて、 5 つのこれらすべての鞘から離れており、超然としています。』(聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く スワミ・ラーマ)
ヨーガの実践目的は、この五つの鞘の中心に超然と輝くように内在しているアートマン(魂)を識ることであり、アートマンを通して、ブラフマン(神)を識ることでもあります。
これが、ヨーガの最終目的ですが、このことは、人間だけに許されている唯一の”神の直接体験”でもあります。
ヨーガの最終目標が、”神の直接体験”であるからには、ヨーガの実践は、宗教的なものと言えますが、それは特定の宗教というより、科学に近いと言えます。
科学は、特定の国や人々とのつながりのない、万物に働く普遍的な法則(理)です。
ヨーガも、国や人種を超え、人類共通の普遍的な真理を掴むことであり、ヨーガの実践が、最終的には、成就者には同じような結果がもたらされることから、”ヨーガは科学である”と言っているヨーギーもいます。
このブログでも、ヨーガを、自己実現(Self-Realisation)、霊的な探求のための一手段との観点から、解説しています。
このような目的でなされるヨーガの実践において、何が一番大切か?について、スワミ・シヴァナンダは、次のように仰っていますので、ご紹介したいと思います。
ヨーガと宗教の実践(Yoga and the Practice of Religion)
ヨーガは、自己完成へと向かう意識的で持続的な試みである。
ヨーガの目的は、心の背後にあるアートマンを歪みなく鏡に映し出せるようにと、心を静かにすることである。
感覚を抑制し、心(マインド)を制御しなさい。
定期的に瞑想し、ヨーギー(ヨーガ行者)になりなさい。
ヨーガ的な人生を生き、偉大な教義を広めなさい。
あなたは、内側を見ること、内側を眺めること、内観すること、集中すること、瞑想することを忘れてしまった、それであなたは無知のまま、暗闇の中で迷っている。
内観し、内側を見なさい。
あなたの欠点を取り除くように努めなさい。
これは、真の霊的な修行であり、最も困難な霊的な修行である。
あなたは、万難を排しても、それをやらなければならない。
知性の開発は、何にもならないし、容易い。
辞書を傍に置いて、3年から6年間、カルカッタの宮殿の図書館、或いは、バローダの中央図書館に座れば、あなたは知性を開発することができる。
しかし、欠点を取り除くことは、何年間もの多大な奮闘を要する。
多くの邪な習慣は、ばらばらに切り刻まれねばならない。
バガヴァッド・ギーターやウパニシャッドの一編の詩編について一週間講義をすることができる偉大なるヒンドゥー教の教師はいる。
彼らは、尊敬を集めるが、一般人に嫌われる、何故ならば、彼らは多くの欠点を持っているからだ。
彼らは、ほとんど自己反省をしない。
彼らは、彼らの欠点を取り除こうと徹底的な霊的な修行をしない。
彼らは、彼らの知性だけを開発する。
何と嘆かわしいことか!
真の宗教は、知性が終わる処で始まるのだ。
不純なハート、思い上がった知性は、宗教の霊性を理解することができない。
宗教の主要な目的は、人間の内側にある神聖さの開花である。
祈りと瞑想が、宗教の主な柱である。
定期的な祈りと瞑想を伴った無私の奉仕と献身の生活は、最も高い宗教である。
宗教の実践は、徳、善、公正、真理、愛、純粋の実践である。
有徳の人は、真に宗教的な人である。
宗教で繰り返し述べられていることは、以下の通りである:
善であれ。善行をせよ。純粋であれ。優しくあれ。慈悲深くあれ。すべてに仕えよ。すべてを愛せよ。すべての中に神を見よ。
これらの教訓の実践だけが、内側においても外側においても、存在の単一性の意識や神聖なる霊性の実現へと、人を目覚めさせるだろう。
宗教は命であり、命は献身である。
人は宗教的な儀式を、極めて慎重に執り行うかもしれないが、心と行動では、非宗教的であるかもしれない。
宗教は、人生において生きた経験でなければならない。
宗教は、語ることや見せることではなく、生きることである。
本当の宗教は、ハートの宗教である。
まず第一に、ハートが清められなければならない。」
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
次回に続きます。
Hari Om Tat Sat!
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