永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

最高の愛(バクティ・ヨーガ) - 準備のための予備訓練(2)

前回の記事では、神を覚る(見神)のためには、「食物の識別」が大切である、という12世紀の南インドが排出したヴェーダンタ哲学者のラーマーヌジャが遺された文献を引用しながら、

スワミ・ヴィヴェーカーナンダが、私たちに分かり易く解説して下さった「神を識るための準備段階」としての「食物の識別」に関する実践方法を、ご紹介させて頂きました。

 

「神を識る」とは、知識によってではなく、体験を通して識ることを意味します。

 

ですから、「見神」あるいは、「神を識る」とは、「神を体験する」と同じです。

 

このためには、口から入れる物に対して、意識的である必要がある、ということ。

 

人間は、体を育み、生を持続させるために必要なエネルギーを「食物」という形で摂取しているわけですが、この食物の持つエネルギーには、いろいろあり、すべてが同じというわけではありません。

 

簡単に言うと、エネルギーには、重いもの、軽いもの、不純なもの、純粋なもの、など、そのレンジ(幅)は様々であり、それぞれに影響力が異なります。

 

もちろん、その影響力には、宇宙的な巨視的な観点からすれば、良い悪いはありませんが、

神は純粋意識、純粋エネルギーですから、私たちが、神に近づき、神に出会うためには、私たち自身のエネルギーが、純粋になる必要がある、ということを意味している、ということを理解するだけでも、探求者にとっては、道の短縮につながるでしょう。

 

そのためには、日々の食物に気を配り、自分自身のエネルギーを澱みや汚れのない浄いエネルギーにすることが必要で、

それにより、私たちは、純粋エネルギーである「神」に近づくことができるのです。

 

更に言うならば、私たちに直接影響を与えているのは、食物だけではありませんが、食物は、人間に最も大きな影響を与えているエネルギー源であることは、明らかです。

 

後日、この他にも、人間というエネルギー体に影響を与えているエネルギーの種類をご紹介したいと思いますが、

まずは、食物から受けるエネルギーを識別し、心身を浄くしてくれるモノを選んで食べることが重要です。

 

重く濁ったエネルギーは、見神どころか、心身を蝕み、病の原因となることがありますので、要注意です。

 

それでは、前回の続きを見てみましょう。

 

 

『さて、同じことを他の注釈者シャンカラチャーリヤ(700年頃に活躍した中世インドの思想家。不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した)が説明しているが、それを話そう。

彼はまったく別の見解を持っている。

食物に該当するサンスクリット、アーハーラは「集めること」を意味する語幹から出ており、したがって、それは、集められたものを意味する。

彼の説明はどうか。

彼は「食物が浄ければ、心は浄くなる」と言っている。

つまり、感覚に執着しないためには、ある種のことを避けなければならないということだ。

先ず、執着についてだが、神を除いて、何ものにも極度に執着してはならない。

何ものを見ても良い、何をしても良い、何に触れても良い。

しかし、それに執着してはならない。

極端な執着が生じると、人は自分自身を見失ってしまう。

彼はもう自分の主人ではない。奴隷だ。

女が一人の男に極端に執着したとする。

彼女はもうその男の奴隷だ。

男の場合も同じである。

奴隷になることに益はない。

この世にはひとりの人間の奴隷になるより優れたことがある。

すべての人を愛せよ、すべての人に尽くせ。

しかし、奴隷にはなるな。

それは、まず、私たちをそれぞれに堕落させる。

つぎに、私たちを極端に利己的にする。

その結果、私たちは自分が愛する人に善を行うために他者を傷つけようとする。

この世界でなされる悪の大部分は、実は、特定の人びとに対する執着からなされるのだ。

良い仕事に対する執着を除いて、この種の執着は避けなければならない。

そして、愛はすべての人に与えられなければならない。

次は、嫉妬についてだ。

感覚の対象に対して、嫉妬を持ってはならない。

嫉妬はすべての悪の根元であり、しかも、最も克服しがたいものだ。

次は妄想だ。

私たちはいつも、あるものを別のものと取り違え、それに対して働きかけている。

そして、その結果、自分で自分を惨めなものにしている。

私たちは悪を善と取り違えている。

神経をちょっとくすぐるものを最高の善だと思い込み、じきにその中にとびこんでしまうが、それは私たちに手痛い打撃を与える。

だが、もうおそすぎる。

私たちは毎日この過ちを繰り返している。

しばしば、一生繰り返している。

感覚が、極端な執着なしに、嫉妬なしに、妄想なしに、この世界で働くとき、シャンカラチャーリヤによると、このような働きは「浄い食物」と呼ばれる。

食物が浄いと、心は対象を取り入れて、それについて執着も嫉妬も妄想もなく、考えることができる。

そのとき、心は浄まり、つねに神を考えているようになるのだ。

人がシャンカラチャーリヤの考えが結局は最善だ、と言うのは極めて自然だ。

しかし、私は最初の、ラーマーヌジャの考えも無視してはならないということを、つけ加えたい。

物質の食物について実際に気を配って初めて他のものはやってくるのだ。

心が主人だと言うことはまったく真実だ。

しかし、感覚に縛られない人は非常に稀である。

私たちはみな物質に支配されている。

物質に支配されている間は、物質の助けをかりなければならない。

十分に強くなったときに初めて、私たちは何を食べてもよくなるのだ。

それだから、私たちは、飲食について気を配るときはラーマーヌジャに従わなければならない。

また同時に、心の食物についても注意しなければならないのだ。

そのとき、霊的自己は徐々に強くなって行き、物質的自己は徐々にひかえ目になる。

そして最後には、どんな食物も、自分を害うことはない、と知る時がやってくる。

非常に危険なことは、みなが一度に最高の理想にまで飛び上がりたがることだ。

それは正しいやり方ではない。

落ちて脚を折るだけのことだ。

私たちはこの低い場所に縛りつけられている。

その鎖をゆっくり壊して行かなければならないのだ。

これがヴィヴェーカ、「食物の識別」と呼ばれているものだ。』

(最高の愛  スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)

 

 

前回と今回の二回にわたって、「食物の識別」に関してのスワミ・ヴィヴェーカーナンダのお言葉をご紹介しましたが、

これらは、理解するのは簡単であるかもしれませんが、言うは易し、行うは難し、で、実際に実践することは、お金を出せば、何でも食べることができる現代人には、とても難しいことでしょう。 

 

しかし、一時的な快楽は、永遠なる存在である「神」とは、相反するもので、両者は、けっして相容れないため、

見神を望むならば、バクティ・ヨーガの道においては、浄い食物を摂ることは、とても重要なことなのです。

 

厳しいようですが、スワミ・ラーマのお言葉の通り、

 

『選択とは、神か富か、永遠か一時的か、ひとつか多くか、アートマンかこの世の願望か、ということです。

ひとつの選択は、永遠の生であり、他の選択は、死から死を意味します。

それが奥義なのです。』

(聖なる旅 目的をもって生き 恩寵を受けて逝く スワミ・ラーマ)

 

ということを深く理解するならば、「食物の識別」の実践は、探求者が通るべき最初の関門と言うことができるでしょう。

 

次回は、見神のための「予備訓練」として、心の在り方についての解説が続きますので、引き続き、ご紹介したいと思います。

 

 

 

 

謙虚 虚栄(みえ)を捨てること

非暴力 寛容 正直

正師を求めて師事すること

清潔 堅忍不抜の精神 自制

 

欲望の対象から心を離すこと

我執を無くすこと

生死病死を苦とみなし

その本質を究めること

 

あらゆる事物に執着しないこと

妻子や家庭に対する愛着を捨てること

愉快なこと 不愉快なことにあたって

冷静であることーー

(バガヴァッド・ギーター第13章8ー10)

 

 

 

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