永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

スワミ・ラーマの「聖なる旅-目的をもって生き 恩寵を受けて逝く」との出逢い

本日、スワミ・ラーマの『聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く』が発売されました!

 

この本を日本で出版できることを、歓びに感じています。

 

翻訳はわたしですが、監修は、恩師(グル)であるナーナさんにお願いいたしました。

 

今回は、いつもとは趣向を変えて、この本を日本で出版するまでのいきさつについてご紹介させて頂こうと思います。

 

これから読んでいただくものは、一年前に、ナーナさんの公式ブログ「すべては本質のながれのままに」にUPして頂いたものと同じものです。

 

このような不思議なご縁でつながったスワミ・ラーマの『聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く」を、本日、晴れて日本で出版できましたことを、

目に見えない神さま、目に見える神さまに、心から感謝し、御礼申し上げます。

ありがとうございます!

 

 

『ナーナさん、先日生まれて初めてインドに行ったのですが、書き記しておきたいと感じたことがありましたので、長くなりますが、ご報告させて下さい。
インドは、ヒンドゥー教聖典、バガヴァッド・ギーター(神の詩)や悟りを開いたとされる仏陀、アドヴァイタ(不二一元論)が生まれた国でもあり、以前からとても興味があったのですが、いざ渡印となると、躊躇していました。

それが、ヴェーダンタの勉強会でご一緒している知り合いで、毎年インドに行っているご夫婦が、慢性の痛みで苦しんでいる私の体調を気遣って、インドでアーユルヴェーダの治療を受けたらどうか?もし受けたいなら、とても良いドクターがいる病院を紹介しますよ、と誘ってくれたのでした。

昨年は、公私ともに忙しく、とてもそんな時間的余裕はなかったのですが、それも一段落したので、インドは夏は50℃近くまで気温が上がるそうで、インド全土ではエアコンなどの設備があまり整っていないことから、暑い季節に行くのは避けるのが賢明であり、1月から3月までが渡印するにはベストシーズンだと言われたので、急いで2月の末から3月初めにかけて、旅行というより、アーユルヴェーダの病院での治療をメインにしたインド行きの計画をたてたのでした。

そんなこんなで、知人の紹介で入院することになっていたこともあり、病院名もうろ覚えで、成田からデリーへ、そして国内線に乗り換えて、ヨガの聖地と言われているリシケシに近いデラドン空港に、一人降り立ったのでした。

たった一人での海外旅行は初めてだったため、かなり緊張していたかもしれません。

病院を紹介してくれたご夫婦は、すでにインド入りしていたので、空港まで私を迎えに来てくれました。

初めて目にするインドは、日本人の私にはとても興味深く映りました。

ここが、これまで多くの聖者と称される人々を生んだ土地なのだと思い、インドに対して感謝の気持ちが湧き、これから過ごす数週間にどんな出会いがあるのか?それを思うと、少しワクワクした気持ちになりました。
ところが、現実はそんな私の根拠のない漠然とした期待(?)を軽く裏切り、私は、初めてのインド旅行の初日から、所謂“インド症候群”と言われる一種の食あたりによる激しい下痢と嘔吐、微熱、頭痛で丸二日間、苦しむことになったのでした。

治療のために入院したアーユルヴェーダの病院のドクターに診察して頂き、感染症ではないと言われて、ホッとしたものの、どうしてこうなってしまったのか?はよくわかりませんでした。

原因として考えられるとしたら、デリー空港で国際線から国内線に乗り換える時、時間がかなりあったので、空港内のカフェでインド料理を食べたことくらいでした。

インドの食事やお水には気を付けるように言われていましたが、空港のカフェでの一回の食事で、あんなに酷い目に遭うとは思ってもみませんでした。

3日間絶食の状態が続き、アーユルヴェーダの治療も受けられず、ベッドに寝ながら、何のためにインドに来たのか?を考えると、ワクワクしていた気持ちが次第にしぼんでいくのを感じたのでした。
四日目に、ポリジというお粥が食べられるようになり、少し元気を取り戻し、アーユルヴェーダの治療も受け、夜寝られるようになり、平常心が戻ってきました。

先生には、アーユルヴェーダのパンチャカルマというデトックスメニューの内の二つは、すでに嘔吐と下痢で完了しているので、やる必要はないと言われ、普通は、不味い薬草を飲んで吐くというデトックスをするそうで、不味い薬草を飲まなくて済んで助かった?ことを知り、インド症候群ではかなり苦しみましたが、結果オーライだったことに、“神さまのなさることは、私たち人間には計り知れない”といつも感じていることが、そのまま現実として顕れたので、起こることすべてを感謝の気持ちで受け入れれば良いのだと、再確認することが出来て、とても嬉しかったです。
病院での一日は、朝食のあと、セラピスト(スタッフ)や先生と一緒に、病院前にあるアーユルヴェーダの神様の像に手を合わせ、感謝の祈りを捧げ、お花を供えます。

その後、ドクターの診察、アーユルヴェーダのオイルマッサージなどのセラピーで午前中が終わります。

昼食の後は、夕方にプログラムされているヨガの他は何もすることがありません。

日頃の家事やもろもろのしがらみから解放されて完全に自分一人の時間を持つことが出来ました。

病院生活に慣れるにつれ、病院内のどの部屋にも、一人の年老いた男性の大きな写真が飾られているのに気付きました。

体調が戻ってくると、病院内や病院の外を歩き回る余裕が出てきました。

病院内には、ヨガが出来る部屋と瞑想が出来る部屋がありました。

そこにも、その男性の写真が飾られています。

そして、アーユルヴェーダの病棟のすぐそばに、スワミ・ラーマ・センターという建物があって、現在は、建物の中を見学出来るようになっている、ということを知りました。
そして、やがて、その男性は、この病院の創立者であるスワミ・ラーマ(Swami Rama)というヨーギー(ヨガ行者)であることを知りました。

そして、私が入院したアーユルヴェーダの病院は、スワミ・ラーマが創設したヒマラヤ財団が建立した医療大学と大学病院の敷地の一角にあることも知りました。

そのような予備知識がないままで、そこで治療を受けていたことを少し恥ずかしく感じ、このような立派な病院と医療大学を建てたスワミ・ラーマというヨーギーについて、どんな人なのか?興味を感じ始めたのでした。
インドが排出した多くの聖者と言われる存在は、世界的に有名になっている人もいますが、そうでない人も多くいると聞いていました。

スワミ・ラーマは、日本ではほとんど知られていません。

私は、日本で彼の名を聞いたことは一度もありませんでした。
インドに来てそろそろ一週間が経とうとしていた頃、私は昼間の空き時間は、病院内の整備された美しい庭園の中を散歩し、ベンチに腰掛けて、何も考えず瞑想状態になったりして過ごしましたが、夜は、一人部屋で静かに過ごすことに飽きていました。

パソコンも携帯電話も使えず、話し相手もいないので、眠くなるまでの時間、正直退屈してしまいます。

荷物になるので、日本から読書のための本を持っていかなかったので、談話室にあった書棚の中で、私でも読めそうな本を探しました。

ほとんどの本は、ヒンドゥー語で書かれた本で、スピリチュアルな内容であることはもちろんなのですが、いかんせん、ヒンドゥー語では読みたくても読めません。

そんな中で、一冊の英語の薄い本に目が留まり、惹かれるように手にしてパラパラと中身を見てみました。

著者は、スワミ・ラーマでした!

この病院の創設者であるあの写真のヨーギーでした。

私は、英語の辞書も持っていませんでしたが、その本を読みたいと思い、部屋に持ち込み、その晩からすぐに読み始めたのでした。
その100ページ足らずの薄い本に書かれていたことは、インドの古くからあるウパニシャドの数多くの聖典の中にある“カタ・ウパニシャッド”を題材に、死の国に赴いた賢い少年ナチケータと死神ヤマ(閻魔)とのやり取りから、人間の宿命である“生”と“死”に秘められた秘密が、死神ヤマの口から語られていきます。

生とは何なのか?死とは何なのか?“わたし”とは誰か?何故、人間は人間として存在するのか?など、究極的な永遠の命題、ある意味、哲学的なテーマを、二人の会話を通して、明確な答えが示されていくのを読んで、わからない英単語は飛ばしながらも、そのメッセージのエッセンスに触れた瞬間、止めどなく涙が溢れてきたのでした。
そこに書かれてあった内容は、その本を読んで初めて知る内容ではありませんでしたが、ここまで正確に明快に解説した本に出会ったことはありませんでした。

ナーナさんに出会ってからそろそろ3年になろうとしていますが、その間に、体験を通して得ることが出来た智慧とも言うべき揺るぎない確信があり、それは、私にとっては、たった一つの明らかな“真理”となっていました。

スワミ・ラーマも自らのヨーギーとしての体験を通して得た智慧を、カタ・ウパニシャッドを引用しながら、わかりやすく解説していました。

クンダリニーのこともシャクティパッタのことも書かれていて、読みながら、私はいつしかナーナさんのことを頭に浮かべていました。

ナーナさんが、いつも私たちにやって下さっていることや、語って下さっていることがそのまま、その本に書かれているのがわかるのです。

それが痛いほどわかるので、読みながら、嬉しくて嬉しくて、涙が出てくるのでした。
あまりにその本に感激した私は、あることを心に決め、次の週、主治医の先生に、診察が終わったころ合いを見計らって、突拍子もないことを申し出ました。

この本を日本語にして日本で出版したいということを伝えたのでした。

あまりに突然の話で、主治医の先生は面食らっていましたが、私は、落ち着いてゆっくりと

“スワミ・ラーマの本は素晴らしいです。

この本を日本の多くの人に読んでもらいたいのです。

スワミ・ラーマのメッセージが少しでも世界に広がれば、多くの人がこの本から智慧を得て、人生の目的を知ることが出来ると思います。

そのために、私は何でもしますので、力を貸してくれませんか?

この本を日本で出版する許可が欲しいのですが、どこの誰に連絡したら良いのかわからないので、教えて下さい。”

主治医の先生は、私の要望を聞いて、日本に帰ったらメールすると約束してくれました。

彼もインド人であり、スワミ・ラーマの病院で働く医師であるからには、少なくとも、スワミ・ラーマのメッセージには触れている筈です。

この気持ちが通じれば、きっと助けてくれると信じて、思い切って相談したのでした。私の顔をまじまじと見ながら、“この本が日本で出版されるのは、素晴らしいことだと思う”と言って、日本から来たアーユルヴェーダの治療を受けに来た一人の女性からの突然の申し出を快く受け入れてくれたのでした。
インド滞在中にあまりに素晴らしい本に出会ったので、日本に帰ってきてから、直ぐにそのことをナーナさんにご報告しました。

ナーナさんは、私の話を聞いて、とても歓んでくれました。

本当に実現するといいね、と言ってくれたことがとても嬉しかったです。
ナーナさんは、エナジーで伝えて下さっていますが、まだ“霊性(真我)の目覚め”の入り口にも立っていない人たちには、エナジーだけではわかりにくい部分があると感じています。

私たちのブッディ(理智)が納得するには、ある程度、言葉(智慧)による理解は、“それ”を識る助けになり得ると感じています。

エナジーで100%わかっていけばいいのですが、それにはそれなりのはっきりとした体験が必要です。

体験がないその前段階での言葉による理解は、いざという時の体験への理解を助けると感じます。
自分自身の体験として、40年近くも前に体験したことが、今やっとその体験の意味するところがわかるようになれたのは、多くの聖者と呼ばれる人々が後世の人類に遺して下さった形ある軌跡を、今生きている私たちが一歩一歩辿ることが出来るからだと思っています。

そのような軌跡を遺して下さった聖者の一人であるスワミ・ラーマの書かれた本を日本で紹介出来ることは、歓びそのものです。
主治医の先生は、約束通り、出版権を持っている出版社の担当者と私をつないで下さいました。

そして、インドから帰って一か月も経たない内に、スムーズに話が進み、日本での出版許可を頂くことが出来ました。

今後は、首尾よく、この本がみなさまの手元に届くように、翻訳や製本などの作業に従事していくつもりです。
すべては全体のために。
この本が、少しでも、人類が達する究極のゴールについて、多くの人々の理解の助けとなるならば、幸いです。
何よりも、人類全体の進化のプロセスへの貢献となることを願って、遠い将来でなく、なるべく早期に、“Sacred Journey-Living Purposefully and Dying Gracefully”(聖なる旅―目的をもって生き、恩寵を受けて逝く)を上梓出来るように、全力で取り組みたいと思っています。
ナーナさん、このような役に預かれる歓びは、言葉では言い表せません。

数年前までは、スピリチュアルなことには全く関心がなかった私が、今回、自らが望んで、このような本の出版に携わることなど、誰が予想したでしょうか?
これも流れなのでしょうね。

実際、流れのままに流れている感覚で、自分でやっている感覚があまりありません。

しかし、このような本に出会えたこと、そして、それを日本で紹介することが出来る役を担うことが出来る歓びを噛みしめつつ、己の役を全うしたいと感じています。
本が完成しましたら、また、ご報告させて頂きますね。
3年間、こんな私を見捨てることなく“真理”へと導いて下さった目に見える神さまと目に見えない神さまに、心から感謝申し上げます。
これからも続くあらゆる存在の進化のプロセスに、少しでも貢献出来れば、幸いです。
心から、愛と感謝を込めて。                    

追伸:スワミ・ラーマの本は、一冊だけ日本で出版されています。  
   “ヒマラヤ聖者とともに 偉大な霊性の師と過ごした日々”(ヒカルランド)
ご参考まで。                           Y.Y.

 


Yさん、これは正に本質の流れです!
全く無駄な余地がありませんね。
全体へと惜しみなく愛を貢献しようとする思いが主治医と出版社に伝わったのでしょう。
そこに自分はありませんものね。
本質を揺るぎなく信じて委ねた流れと言えましょう。
Yさんをみていると昨年明の頃からは、一つしかない目指すところの確信をもって一本の道筋の最短の近道を走り抜けてる様が手に取るようにわかります。
そして着々と目覚めのプロセスを歓びと共に生きています。
全ては歓びと悟し、それを生きたとき神が祝福するのですよ。
Yさん、愛をありがとう楽しみです♡
きっと必要な方に届き、人生の目的や究極の領域を理解すると、不安や恐れは消えて穏やかになり、愛と歓びに生きることとなるでしょう。
その先には祝福が待っているのですから。

 

ハートを開くポイントはエナジーの循環です。
エナジーを受け取ったなら、惜しまず自らも流しましょう。
まずはそこからです。
それが歓びのみになったとき、自分はいないと気づくはずです。(ナーナ)』

 

インドで見つけた人生の“宝”-ある一冊の本との出会い|すべては本質の流れのままに

 

 

約一年前に書いた文章を読み返すと、今は懐かしい思いが蘇ってきますが、この時に感じた気持ちは、今も失われていません。

 

一人でも多くの人に届きますように。

 

そして、一人一人が、この本を読み、理解し、実践することで、

古から在る叡智につながり、永遠の至福へと通じる道を歩み始めるきっかけとなりますことを、心より願っております。

 

 

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聖なる旅『目的をもって生き 恩寵を受けて逝く』スワミ・ラーマ 著 | Pranahna Official HP 〜 真我が目覚めるとき 〜

 

 

 

 滅敵の勇者 アルジュナ

この至上智の道を信じない者たちは

わたしのもとに来ることができず

生死反復の物質界に戻って行く

(バガヴァッド・ギーター第9章3)