永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

チャクラについて(4)下位チャクラのまとめ

これまで3回にわたって、第1チャクラから第3チャクラまでを詳しく見てきました。

 

第4チャクラのアナハタ・チャクラは、身体に7つあるとされているチャクラの丁度真ん中にあたります。

 

この第4チャクラを境に、第1チャクラのムーラダーラ・チャクラ、第2チャクラのスワディスタナ・チャクラ、第3チャクラのマニプラ・チャクラを下位チャクラと呼び、

第5チャクラのヴィシュッダ・チャクラと第6チャクラのアジナ・チャクラ、第7チャクラのサハスラーラ・チャクラを上位チャクラと呼ぶことがあります。

(第7チャクラのサハスラーラ・チャクラは、チャクラの中に数えないという説もあります)

 

そこで、第4チャクラのアナハタ・チャクラに行く前に、これまでの第1チャクラから第3チャクラまでを振り返って見てみましょう。

 

第1チャクラの特徴は、性エネルギーとこの現実世界を生きる上での原動力となる我欲から生み出される精力的な生命エネルギーです。

 

その性エネルギーと生命エネルギーは、一つ上のチャクラである第2チャクラによって支配されています。

(通常、下位のチャクラは、その上位のチャクラからの支配を受けます)

 

第2チャクラは、第1チャクラで放出されるエネルギーの製造工場であり、また同時に、第1チャクラにはない、精神的な側面である感情(恐れ、不安)に関係したチャクラでもあります。

 

そして、第3チャクラは、外敵に対する個体防衛本能に密接に関係したチャクラであり、時として攻撃的、闘争的な行動に結びつき、感情面では、”怒り””闘争心””利己心”などとして発現することが多いと考えられます。

 

この第1チャクラから第3チャクラにおいては、本能的であるという点では、ほとんど、動物と人間の差はありません。

 

大抵の動物も、”種の保存”という観点から、本能が働いているかのように見受けられますが、

人間も、動物であるからには、同じ原理が働いていると考えても差し支えないと思われます。

 

そして、動物にも、感情はありますし、外敵に対する個体防衛本能が働くため、敵に対しては、攻撃、或いは、逃避を選択し、”自分”を守るという行動を取ります。

 

ですから、食う、寝る、排泄する、性交する、という点においては、表れ方は多少違っていても、人間と他の動物の間に、大きな違いはありません。

 

下位チャクラが、本能に根差したチャクラであることから、そこから放出されるエネルギーはほとんど動物的であるため、霊的なエネルギーとは言い難い、と言えます。

 

そして、多くの人間は、この第1チャクラから第3チャクラの間をエネルギーが行ったり来たりしている、と聖ラーマクリシュナは仰っています。

 

それでは、下位チャクラと上位チャクラの境にある第4チャクラとは、一体どんな役割を果たしているのでしょうか?

 

霊的なエネルギーを目覚めさせるには、アナハタ・チャクラを目覚めさせる必要があると言われており、一体、それは、何故なのでしょうか?

 

チャクラが閉じていたり、開きが狭かったりすると、チャクラからエネルギーがほとんど放出されないため、体の中にエネルギーが滞り易くなります。

その結果、下位チャクラ内だけで、エネルギーが循環している状態では、

クンダリニーシャクティという霊的なエネルギーは目覚めても、上位チャクラにスムーズに上昇しないため、また元の状態に戻ってしまうと言われています。

 

このことについては、また別の機会に書くことにして、

第4チャクラのアナハタ・チャクラについては、次回、分かり易くまとめてみたいと思います。

 

 

聖ラーマクリシュナ

『智慧が身についたら我執はなくなる。

智慧が身につけば三昧に入れる。

三昧に入れば、そこで”我”は消え去る。

その智慧を身につけることが、とてつもなく難しいのだ。

ヴェーダにこうある。

”第七住地に心のぼれば三昧に入るべし”

三昧に入れば、やっと我を追い払うことができる。

心が平常いつも住んでいるのはどこだと思う?

はじめの三つの場所だーー性器と肛門と臍。

この三つの住地に住んでいる間は、心はただもう俗世のことばかりに執着しているーー女と金にね。

心臓に心がのぼって住むようになると、その人には神の光が見える。

その人は光を見て、”何だろう?何だろう?”と口走る。

その次が喉だ。

ここに心が住むようになると、ただ、唯、神様のことだけを話したり聞いたりしたくなる。

額ーー眉と眉の間だが、ここに心が上ると、サッチダーナンダ(真、智、喜、大実在)の様相が見えて、そのすがたに抱きついて直に感じてみたいと思う。

だが、できない。

ランタンの中の灯は、見えても直に触ることはできない。

いかにも触っているように感じるけれども、実際は触れないのだ。

第七の住地に上ったときは、もう”我”(アハンカーラ)は消えてなくなり、三昧に入るのだ」

 

「そこに到達してブラフマン智が生じたならば、人は何を見るのでしょうか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「第七住地に心が届いたら何が起こるか、口では言えない。

船が黒い水域に入ったら、二度と戻ってこない、船の消息もわからない。

船の様子も船から報告してもらえない。

塩人形が海の深さを測りに行った。

だが入って行くほどにたちまち溶けてしまった!

海の深さを誰が報告してくれる?

知らせるべきものと一つになってしまったのだ。

第七住地では心が滅び去って、三昧に入るのだ。

どんな感じだか、口で言えるはずがない。」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

 

不滅の霊魂はこのようにして

耳 眼 舌 鼻 触覚と

また心意(こころ)をもった物質体(にくたい)をとって誕生し

それらに相応した対象を味わい経験する

(バガヴァッド・ギーター第15章9)

 

 

 

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また、チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環を促します。

 

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チャクラについて(3)-マニプラ・チャクラ(第3チャクラ)

前回と前前回の記事で、第1チャクラのムーラダーラ・チャクラと第2チャクラのスワディスタナ・チャクラについて書きましたが、

両チャクラは、位置的にも近く、働きにおいても似ている、ということがお分かり頂けたかと思います。

 

この二つのチャクラに共通な性エネルギーは、性ホルモンによってコントロールされています。

この性ホルモンは、視床下部から分泌される性腺刺激ホルモン放出ホルモン (LH-RH) が、脳下垂体での性腺刺激ホルモン(ゴナドトロピン)の産生、分泌を促すことにより、第二次性徴などに見られるように、男女の著しい性差を顕著に生じさせます。

これらの肉体面における変化は、性ホルモンの分泌により促された結果ですが、

この性ホルモンの分泌量は、自律神経(交感神経と副交感神経)によりコントロールされており、通常は、自発的意識的コントロール下にはありません。

(女性の月経などはその一例ですが、時により、精神的な影響を受け、変化することもあります)

 

今回は、第3チャクラである「マニプラ・チャクラ」について見ていきましょう。

マニプラ・チャクラは、腹部の臍のあたりにあるとされ、「マニプラ」とは「宝石の町」という意味です。

 

この第3チャクラの辺りにある臓器と言えば、副腎、膵臓、胃などがあります。

 

まずは、副腎から見てみましょう。

『副腎は、2層構造をしており、副腎皮質および副腎髄質から構成される。

副腎皮質からは、コレステロールを原料に多種のステロイドホルモンが分泌される。

それらのホルモンをまとめて副腎皮質ホルモンと総称する。

副腎皮質ホルモンは、その機能から大きく3つに分類される。

体内での糖の蓄積と利用を制御する糖質コルチコイド、無機イオンなどの電解質バランスを調節する鉱質コルチコイド、そして生殖機能に関与する性ホルモン、特にアンドロゲンである。

副腎髄質からは、カテコールアミンであるアドレナリン、ノルアドレナリンが分泌され、体のストレス反応などの調節を行っている。」(Wikipediaより)

 

ここで、重要なのは、よく知られているステロイドホルモンです。

ステロイドホルモンは、生体のエネルギー利用を助ける方向に作用し、血糖値の上昇、水分の保持、気分の高揚などの作用を持ち、

このため、このステロイドホルモンが不足すると、全身の倦怠感などが出現すると言われています。

 

さらに、ストレス負荷により身体の神経・内分泌制御機構が働くことによりコルチコイドの分泌が亢進し、

ストレス応答の制御に関わるなど生体のホメオスタシス(恒常性)維持に重要な役割を果たしています。

コルチゾールの前駆物質であるコルチゾンとアドレナリンは、人体がストレスに対して反応する際に放出される主なホルモンであり、

これらは血圧を上昇させ、体を闘争または逃避反応 (fight or flight response) に備えさせ、

ストレスによって発散され、分泌される量によっては、血圧や血糖レベルを高め、免疫機能の低下や不妊をもたらす、と言われています。

 

また、このコルチコステロイドホルモンは、過剰なストレスにより多量に分泌された場合、脳の海馬を萎縮させることが、報告されており、

海馬は記憶形態に深く関わっているため、認知症との関連も問題視されるようになってきました。

 

いずれにしろ、副腎皮質ホルモンが、ストレスホルモンと言われるだけあって、ストレス反応と深い関係があることは明らかで、

ストレス社会に生きる我々にとっては、第3チャクラは、生きる上で、非常に重要なチャクラであることは言うまでもありません。

 

第3チャクラで、もう一つ見ておきたいのは、膵臓です。

膵臓には、二つの機能があり、一つは 膵液を小腸(十二指腸)に分泌している外分泌機能であり、

もう一つは、ランゲルハンス島と呼ばれる球状の小さな細胞の集塊が無数に散らばってる部位で、

インスリン(主として血糖を抑制する作用を有する血糖値の恒常性維持に重要なホルモン)と

グルカゴン(インスリンとともに血糖値を一定に保つ作用をするホルモンであり、インスリンとは反対に血糖値が下がって糖を必要とするようになったときに肝細胞に作用してグリコーゲンの分解を促進する)

を血液中に分泌しています。

 

このインスリンの分泌というホメオスタシスにより、人間は、血中の血糖値を自動的にコントロールしているわけですが、

極度に食事を摂らなかったり、糖尿病の薬を飲みすぎたり、特別な病気があると、低血糖症を引き起こしやすくなります。

また、これらの状態で激しい運動を行った時には、低血糖症がより起こりやすくなります。

(この低血糖症に罹っているいる日本人は、無自覚な場合が多く、

最近の高カロリー食の摂取により、糖尿病予備軍と言われている人は、全国に数千万人いると言われています)。

 

この低血糖症とは、血糖値が50mg/dLを下回ると、大脳のエネルギー代謝が維持できなくなり、

精神症状をおこしはじめ、さらには意識消失を引き起こし、重篤な場合は死に至ることになりますが、

通常は、他のホルモンによる回避システムが働くので、意識に異常をきたすには至りません。

しかしながらアドレナリンが大量放出されることに伴い、交感神経刺激症状が現れます(低血糖発作の症状はこれによります)。

例としては、大量の冷や汗、動悸、振戦、譫妄などで、アドレナリン、ノルアドレナリンによる諸症状として、精神症状は、にらんでいるような顔つきになり、暴力をふるったり、奇声をあげたりすることがあります。

身体症状は心拍数や拍出量の増加、血糖と脂質の上昇、代謝の亢進、手足の冷え、呼吸が浅い、眼の奥が痛む、動悸、頻脈、狭心痛、手足の筋肉の痙攣、失神発作、月経前緊張症、手指の震えなどがあります。

低血糖症の症状のなかでも、細胞のエネルギー不足で起こる症状は、異常な疲労感、日中でも眠気をもよおす、集中力欠如、めまい、ふらつき、健忘症、光過敏症、甘いもの欲求などがあげられています。

 

このように、第3チャクラのマニプラ・チャクラは、ストレスホルモンを放出することで、ストレスに対抗する個体防衛システムにおける主導的役割を果たしていると言えます。

 

第2チャクラのスワディスタナ・チャクラが、不安や恐れといった精神安定ホルモンのセロトニンによる影響を受けやすいチャクラであるのに対して、

第3チャクラのマニプラ・チャクラは、ストレスという明確な外敵に対応して、個体防衛反応を生じさせ、

アドレナリン、ノルアドレナリンという交感神経を刺激するホルモンを分泌することで、闘争あるいは逃避反応を生じさせることから、個体の生存本能に深く関係したチャクラであると言えます。

 

専門的な解説になりましたが、第3チャクラの特徴は、ストレスと密接な関係があることがお分かり頂けたかと思います。

 

生体防衛反応とも言うべき個体の生存本能にも直結した生理作用を一身に担っているのが、第3チャクラのマニプラ・チャクラとも言え、

強いストレスを受け続けると、第3チャクラが弱まったり、閉じたりしてしまうことから、

第3チャクラ、マニプラ・チャクラが活性化しているか否かは、心身ともに健康・健全な状態にあるかどうか?の指針にもなり得ると言えます。

 

次は、第4チャクラの、アナハタ・チャクラについてです。

 

 

『何の修行もしないのに神をつかむ人もいる。

その人たちは永遠の完成者と呼ばれる人だ。

称名誦経や苦行をして神をつかむ人たちは修行完成者と呼ばれる。

それから恩寵完成者――千年も暗闇だった部屋にランプを持って入れば、途端に明るくなってしまう!

それから、突然完成者というのもある。

大金持ちの目にとまった貧しい家の倅のようなものだ。

旦那は娘をその息子にめあわせる。

娘といっしょに、家屋敷、馬車、男女の召使い、みんな付けてくれる。

それから、夢中完成者というものもあるーー夢で見神した人だ

 

永遠完成者は別格だよ。

ラニの木(こすって火をとるための木片)のように、ちょっとこすりさえすればすぐ火がつくーーこすらなくてもいい場合さえある。

ほんの少し修行すれば永遠完成者は神をつかむし、また修行しなくても覚る。

しかし、永遠完成者は神をつかんだ後修行する。

ヒョウタンやカボチャみたいに、先に実がなってそのあとで花だ。』

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

 

ブラマーの夜が明けると再び

万物群生は流れ出て活動を始め

暗闇になると溶解消滅する

物質世界はただこれを反復(くりかえす)するだけである

 

だがこの未顕現 顕現の現象(すがた)を超えて

別な世界が実在する

それは至上至妙にして永遠不滅

物質宇宙(このよ)が絶滅してもそのままである

 

その非顕現の清浄界こそ

不滅の妙楽世界であり

そこに到達した者は決して物質界に戻らない

そこがわたしの住居(すみか)である

(バガヴァッド・ギーター第8章19-21)

 

 

 

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チャクラについて(2)-スワディスタナ・チャクラ(第2チャクラ)

前回の記事では、第1チャクラのムーラダーラ・チャクラについて、書きました。

 

今回は、第2チャクラのスワディスタナ・チャクラについて詳しく見ていきましょう。

 

スワディスタナとは、「自らの住処」という意味で、実は、クンダリニーはここに眠っていたとされており、

その後、クンダリニーは第1チャクラであるムーラダーラ・チャクラまで下りたと言われています。

そういう意味からも、第2チャクラのスワディスタナ・チャクラは、第1チャクラのムーラダーラ・チャクラと非常によく似ており、関連が強いと考えられます。

 

それは、第1チャクラのムーラダーラ・チャクラは、排泄と性交の場として直接、外部との接触があるところですが、

第2チャクラのスワディスタナ・チャクラは、会陰と臍の間の辺りにあり、女性では子宮、男性では前立腺があるところにあり、第1チャクラのように、外部と直接触れ合ってはいませんが、

性ホルモンの分泌に大きな役割を果たしている器官は、女性では子宮であり、男性では前立腺であることから、性的なエネルギーに関係したチャクラであることは明らかです。

これらの器官が充分に機能していない場合は、性ホルモンが正常に分泌されず、子孫を残すという種の保存能力を発揮することが難しくなります。

 

また、排泄は、口から入った食べ物が消化器官で消化され、吸収された残りが体外へ出ることですが、

その間に、食べ物として体内に摂り込まれた物質は、食道、胃、小腸、大腸、肛門へと至る一連の消化器官と他の臓器からの消化酵素の働きにより分解、吸収され、栄養やエネルギーに変換され、肉体の維持活動に使われます。

 

第2チャクラは、この最終の消化プロセスを担っている腸の働きにも関係していると考えられます。

小腸は、主に栄養分の吸収を行う部位ですが、同時に、ホルモンでもあり、神経伝達物質でもあるセロトニンを分泌しています。

 

このセロトニンについて、Wikipediaによりますと、少し長くて難しい説明になりますが、重要なので、ここに転記させて頂きます。

 

必須アミノ酸トリプトファンから5-ヒドロキシトリプトファンを経てセロトニンになる。

人体内には約10mg存在し、消化管粘膜に90%、血小板中に8%、脳内の中枢神経系に2%存在する。

体内では主に小腸にある腸クロム親和性細胞、および腸クロム親和性細胞様細胞が産生し、腸の蠕動亢進に働く。

そのため、消化管のセロトニンが過剰に分泌されると下痢になり、分泌が少ないと便秘になる。

消化管で生成されたセロトニンの一部は血小板中に取り込まれ、血液凝固・血管収縮、疼痛閾値の調節、脳血管の収縮活動の調節などに働く。

一方、脳内の神経伝達物質として働くセロトニン(以下、脳内セロトニン)は脳幹の縫線核で合成される。

腸で生成されたセロトニン血液脳関門を通らないため脳のニューロンに直接作用する可能性はない。

5-ヒドロキシトリプトファン血液脳関門を通過するが種々の副作用を示すため、脳内セロトニンを増やすためには栄養学的にはトリプトファンの摂取が重要となる。

トリプトファン血液脳関門の通過にあたり、他のLNAAs(large neutral amino acids)(バリン・ロイシンイソロイシンフェニルアラニンチロシンメチオニン)と共通の輸送体を使って脳内に入る。

そのため、高たんぱく食などLNAAsが多い環境ではトリプトファンは脳へ取り込まれにくくなり、脳内セロトニン合成の律速段階となる。

また、Diksicらの研究によると健常男性は女性より約52%脳内セロトニンを産生する能力が高く、セロトニンの前駆物質であるトリプトファンが欠乏すると、女性では脳内セロトニン合成が男性の4倍減少する。

脳内セロトニンを生成する縫線核群は、大脳皮質、大脳辺縁系視床下部、脳幹、脊髄など広汎な脳領域に投射しているため、脳内セロトニンが関与する生理機能は多岐にわたる。

生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などの生理機能と、気分障害統合失調症・薬物依存などの病態に関与しているほか、ドーパミンノルアドレナリンなどの感情的な情報をコントロールし、精神を安定させる働きがある。

ホルモンとしても働き、消化器系や気分、睡眠覚醒周期、心血管系、痛みの認知、食欲などを制御している。』

とあります。

 

つまり、脳内のトリプトファンの濃度は、感情や精神を安定されることに関係している、ということになります。

この脳内のトリプトファンの濃度を上げるためには、トリプトファン必須アミノ酸のひとつなので、当然多くのたんぱく質を摂ればいい、と思いがちですが、

しかし面白いことに、ラットを用いた実験によると、高たんぱく質食を摂取させたラットは、血漿トリプトファン値は上昇したものの、脳内のトリプトファンセロトニン量が低下し、

一方、高炭水化物食(無たんぱく)を与えたラットでは、無たんぱく質食にも関わらず、脳内のトリプトファンセロトニンの量が増えた、という報告もあり、

これは、『高たんぱく食などLNAAsが多い環境ではトリプトファンは脳へ取り込まれにくくなり、脳内セロトニン合成の律速段階となる』という現象によるもので、

つまり、トリプトファンが、脳内に入るためには血液脳関門を通過する必要があるのですが、

たんぱく質を摂取すると、トリプトファンとその輸送経路で競合するほかのアミノ酸(LNAAs)も増加するため、結果として血液脳関門を通過するトリプトファンが少なくなり、

逆に高炭水化物食(無たんぱく)だと、たんぱく質はないけれども、上昇した血糖からインスリンが分泌されて、

それがトリプトファン以外のLNAAsの筋肉への取り込みを刺激するので血漿トリプトファン/LNAAs比が上昇して、競合が少なくなり、その結果、トリプトファンが脳に取り込まれる量が増えるという仕組みになっている、と考えられます。

 

これらのことから推測されることは、消化にも関する第2チャクラのスワディスタナ・チャクラは、

このスワディスタナ・チャクラを活性化するには、菜食であることが必要であると言う説もあることから、(密教ヨーガ、本山博著)、

摂取する食物が、感情や気分などを安定させるという精神的な働きに大きく関与している腸内セロトニンや脳内セロトニンの分泌に、大いに関係している、と言うことができるかと思います。

(これは、上述の通り、脳内トリプトファンの分泌濃度を上げるためには、摂取するたんぱく質の量を減らして、炭水化物の多い食事(玄米菜食など)が推奨される所以だと思われます)

 

セロトニンの分泌機能の活性、不活性は、精神的な影響を与えるという点で、第1チャクラとは異なり、第2チャクラ特有の特徴と言えるでしょう。

 

実際に、第2チャクラが弱まっている(不活性)状態でいると、精神的、情緒的、感情的な起伏の影響を受けやすくなり、セロトニンが抗うつ病薬として実際に投薬されていることからも、

根拠のない恐れや不安感などは、第2チャクラのスワディスタナ・チャクラが充分に活性化しているかどうか?に関係していると言えます。

 

今回は、精神的な疾患を患っている方々が増えてきている現状を踏まえ、

第2チャクラの不活性と精神安定剤的な役割を果たしているセロトニンとの関係を詳しく見てみました。

 

うつ病などの精神的な病を発症している方々の中には、第2チャクラのもう一つのエネルギーである性エネルギーの発現も乏しくなっているように見受けられます。

 

体と心は、密接なつながりをもって機能しています。

 

チャクラは、人体にあるエネルギーが放出される開口部ですが、そのエネルギーの強弱を知ることは、

体と心にどのような問題点が隠されているか?を知る手がかりともなり得ると言えます。

 

次回は、第3チャクラのマニプラ・チャクラについてです。

 

 

『純粋真我(シュッダートマ)である”それ”は、すべてに超越して無関係だ。

”それ”のなかにマーヤーまたは無知無明がある。

このマーヤーのなかに三グナがある――サットヴァ、ラジャス、タマス。

純粋真我である”それ”のなかにこの三グナがあるんだが、それにもかかわらず、”それ”はすべてを超越していて、すべてと無関係だ。

火の中に青い色の粒を放りこめば、青い炎がみえる。

赤い色の粒を放りこめば、赤い炎にみえる。

だが、火それ自体は何の色もない。

肉を運んでいた賤民がシャンカラにさわってしまった!

シャンカラが、「私にさわったな!無礼者め!」と叱ると、賤民は言った。

「もし、タクールよ。手前もあなたに触りませんし、あなたも手前に触れてはいませんよ!

あなたは純粋真我(シュッダートマ)ーーあらゆるものに無関係、超越していなさる」

ジュダ・バーラタも、それと同じことをラフーガナ王に言った。

純粋真我(シュッダートマ)はあらゆるものに超越し不可触だ。

そしてまた、シュッダートマは目で見ることはできない。

水に塩が混ざっていると、塩は目で見ることはできない。

純粋真我(シュッダートマ)こそ大原因(マハーカーラナ)だ。

原因(カーラナ)の原因だ。

粗大(ストゥーラ)、精妙(スークシュマ)、原因(カーラナ)、大原因(マハーカーラナ)とあってね、五元素(パンチャ・ブータ、地・水・火・風・空)は粗大(ストゥーラ)。

意(マナス)、知覚(ブッディ)、自我意識(アハンカーラ)は精妙(スークシュマ)。

自然(プラクリティ)または根源造化力(アディアシャクティ)は原因(カーラナ)。

ブラフマン、または純粋真我(シュッダートマ)が大原因(マハーカーラナ)だ。

この純粋清浄の真我こぞ、わたしたちの本性なんだよ。

智識(智慧)とは何だろう?

この、自分の本性を覚って、そこから心を動かさないことだ!

これが純粋真我を知る、と言うことなんだよ』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

 

確固不動の決意と信念をもって

ヨーガの修行をつづけよ

小我の妄動より発する一切の欲望を捨て

あらゆる方面から感覚を統御せよ

 

十分な確信をもって一歩また一歩と

知性(ブッディ)に導かれてサマーディの峯に登れ

そして心をただ一つ真我(アートマン)に固定し

ほかの一切を思うな 考えるな

(バガヴァッド・ギーター第6章24-25)

 

 

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チャクラについて(1)-ムーラダーラ・チャクラ(第1チャクラ)

「体内にはプラーナ(気)の流れる主要な経路(ナーディー)が三本あり、その中でも、特に重要なのが、スシュムナーであると書きました。

そして、スシュムナーは、人体と言うところの「脊髄」であると。

 

この「経路」というのは、プラーナ(気)エネルギーの流れる路という意味で、全身に張り巡らされており、

そういう意味では、東洋医学で言うところの鍼灸治療で用いられている「経絡」ともオーバーラップしていると考えられます。

 

今回は、「スシュムナーにはチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがあり、特有の花弁と色で表現される。」という引用文に書かれている「チャクラ」について、少し説明したいと思います。

 

「チャクラ」については、ヨーガ(アーサナ)をやっている人たちには、お馴染みの言葉だとは思いますが、

チャクラについて知っている人はいても、チャクラを実際に感じている(体験している)人は少ないのではないか、と思われます。

 

チャクラとは、サンスクリット語で円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味する語ですが、実際に、チャクラのある位置からは、エネルギーが回転して体内から体外へ放出されているのを感じることができまます。

 

人体に関係しているエネルギーは、すべて回転しています。

チャクラは、体の内部から真直ぐ前や後ろに回転しながら放出されるエネルギーで、その強弱は個人差があり、チャクラが開いている(活性化している)人ほど、放出されているエネルギーは強くなっています。

 

一方、クンダリニーは、スシュムナーに沿って、超スピードで旋回しながら、頭頂へと上昇していく強力なエネルギー(シャクティ)です。

このエネルギーは滅多に感じる(体験する)ことはないため、一般的にはほとんど知られていません。

よって、クンダリニーについての詳しい説明がなされていることは、ほとんどありません。

 

しかし、チャクラについては、ヨーガ行者によって、体験的に知られており、多くの文献も残されているので、現代では、一般人でも、そのヨーガの智慧に与ることは可能です。

 

それでは、第一チャクラから見ていきたいと思います。

 

第一チャクラは、ムーラダーラ・チャクラと呼ばれ、脊柱の基底にあたる会陰(肛門と性器の間)にあります。

「ムーラ・アーダーラ」とは「根を支えるもの」の意だそうで、そこには、クンダリニーが眠っているとされています。

 

このムーラダーラ・チャクラの位置するところは、人体においては、会陰部、生殖器にあたります。

関係する内分泌腺であるホルモンは、性腺、性ホルモンです。

(ホルモンとは、生理活性物質を指し、ホルモンが伝える情報は生体中の機能を発現させ、恒常性を維持するなど、生物の正常な状態を支え、都合よい状態にする]重要な役割を果たしているとされています)

 

また、人体においては、ムーラダーラ・チャクラの位置は、排泄が行われる場所でもあるため、

一般的に、ムーラダーラ・チャクラは、人間の基本的な生活習慣に密着したチャクラと言えます。

 

食べる、性交をする、などは、動物も同じように行動するため、ムーラダーラ・チャクラは人間特有のチャクラではなく、

よって、霊的なエネルギーを発しているとは考えにくいと言えます。

 

しかし、このチャクラから強いエネルギーを発している人は、衣食住に対する欲望、及び、異性に対する欲求が強いため、非常にエネルギッシュな行動力、生命力に溢れているとも言えます。

ムーラダーラ・チャクラが閉じていたり、そこから発されるエネルギーが弱い人は、性欲が無かったり、現実に対応する力が弱く、現実逃避の傾向を示すことが多いようで、ムーラダーラ・チャクラは、この二元世界において人間として生きる生命力を表すチャクラとも言えます。

 

このチャクラに眠っているとされるクンダリニーですが、クンダリニーについては、後日、書きたいと思います。

 

次回は、残りのチャクラについて書く予定です。

 

『自分のなかにほんとうの自分をみつけることができたら、一切成就だ!

それを覚るための修行なんだからね。

その修行をするために肉体(からだ)があるんだ。

黄金の神像ができ上がるまでは、土の鋳型が必要だ。

神像ができ上がったら、土の鋳型は捨てられてしまう。

見神できたら、肉体は捨てられてもいいんだ。

あの御方は内にだけいらっしゃるのではないよ。

内にも外にも!

カーリー堂では大実母(マー)は、あらゆるものが霊だということを見せて下すった!

マーがすべてのものになっていなさるんだ!

お像も、このわたしも、お水入れも、供え皿も、ぴかぴか光る飾りのものも、木の戸も、大理石も、石も、みんな霊そのものなんだよ!

このことをはっきり見るためにこそ、あの御方に祈るんだよ――祈祷、修行、称名、讃歌、キールタン。

このことのため、あの御方を信仰するんだ。

あれたちは見ての通り、まだそれほど高い境地にいっていない。

あれたちは信仰にすがっている。

まだあれたちにはそういうこと(ソーハム――我はソレなり)を言うな」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

 

すべての行為(カルマ)は物質自然(プラクリティ)によって

つくられた肉体が行うのであって

自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は

存在の実相を見ているのである

(バガヴァッド・ギーター第13章30)

 

 

 

生命エネルギー・プラーナの流れる経路(ナーディー)について

前回の記事で出てきた「クンダリニー」「スシュムナー」「ナーディー」「ブラフマ・ランドラ」などについて、詳しく見ていきたいと思いますが、

その前に、「不滅の言葉」の中に、それらについて唄ったキールタンの詩とそれに伴う解説がありますので、ご紹介させて頂きます。

 

 

『「大気、暗闇、虚空、天空

そして、地の四方八方が、マー(大実母)の光を受けて生まれ出る

ブラフマー、ヴィシュヌなど、あらゆる神々も

すべてマーのシャクティの光から生まれた

イダー、ピンガラー、スシュムナー、ヴァジュリニー、チトラーはすべて

ハスラーラのために脈打っている

蓮の花々はチトラーの中で上に向かって並んでいる

白色と金色に輝くもの

ふたつの蓮が開き、ひとつはまだ蕾だ

二組は上向きに、また下向きに

マーは白鳥のお姿で

蓮の中をクンダリニーとして動かれる

へその上のチャクラはマニプーラと呼ばれる

そこには十弁の血の如き紅き蓮

この蓮には、マーの火の力が宿る

この火が消えると、すべては消滅してしまう

胸の蓮には、空のような心の湖

そこにアナハタの蓮が浮かぶ

そこには黄金に輝く十二弁の蓮の形をしたシヴァの矢

その蓮の中、マーのシャクティは生命の源、息吹として住み給う

その上の喉の中には、煙色の十六のヴィシュッダの蓮

その蓮の中で、マーのシャクティは空(エーテル)として存在している

そこに至れば、エーテルのすべてがひとつの無限の空間になる

その上の大脳には、千の花弁の蓮

これはグルの最も神聖な場所

この蓮の内に、至高のシヴァは宇宙のお姿でいらっしゃる

この白い千弁の蓮に、シヴァはひとりで住み給う

この蓮のなか、シヴァの姿は影のお姿

シヴァは梵の座(ブラフマ・ランドラ)に、その影像を投じる

そして、そこにマーが至れば、シヴァは本来のお姿をとられる」

 

「体内にはプラーナ(気)の流れる主要な経路(ナーディー)が三本あり、

特に需要なのがスシュムナーでブラフマ・ナーディーとも呼ばれ、

肛門と生殖器の間の会陰部にあるムーラダーラ・チャクラから頭頂にある梵の座(ブラフマ・ランドラ)にかけて脊柱の中を通っている。

このスシュムナーの周りをイダーとピンガラーの二つの経路(ナーディー)が交差しながら流れており、

梵の座(ブラフマ・ランドラ)でスシュムナーに合流する。

イダーは左の鼻孔の流れで、陰性、女性原理、月の性質を持ち、

ピンガラーは右の鼻孔の流れで、陽性、男性原理、太陽の性質を持つ。

スシュムナーの中にヴァジュリニーと言う細い経路(ナーディー)が通っており、

このヴァジュリニーの中にさらに細いチトラーと言う経路(ナーディー)が通っている。

スシュムナーにはチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがあり、特有の花弁と色で表現される。』

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

この文を現代医学の観点から解説すると、こうなります。

 

スシュムナーとは、脊髄のことであり、

「体内にはプラーナ(気)の流れる主要な経路(ナーディー)が三本あり」の主要な経路(ナーディー)とは、

性神経である運動(運動神経)と感覚(感覚神経)など動物的機能に関する2本の神経と、

自律神経と呼ばれる意志とは関係なく植物的機能(呼吸、循環等)に関する神経で(自律神経には交感神経と副交感神経があります)、

これら3つの抹消神経系であることがわかります。

 

また、イダーは、体性感覚の内の、温度覚、痛覚や粗大な触圧覚を伝える外側脊髄視床路、

そして、ピンガラーは、詳細な触圧覚や深部感覚を伝える後索ー内部毛帯路のことだと思われます。

両者は、脊髄を上行する途中で、経路は左右に交差するため、右半身の情報は左半球の大脳皮質へ、左半身の情報は右半球の大脳皮質へと伝わります。

 

そして、「ヴァジュリニーの中にさらに細いチトラーと言う経路(ナーディー)」というのは、痛覚を伝える有髄線維と無髄線維のことを言っているように思われます。

 

ブラフマ・ランドラとは、「頭頂にある霊穴」と言われている場所で、医学的には、「泉門」と言われている部分で、

 新生児の脳頭蓋を構成する8個の骨の境目で、骨化がまだ進んでいない結合組織膜の柔らかい部分を指します。

左右の前頭骨と左右の頭頂骨とに挟まれた菱形のものを大泉門、左右の頭頂骨と後頭骨との間の三角形のものを小泉門と言い、4種6個がありますが、それぞれ、成長とともに、半年から2歳ぐらいまでの間に閉じます。

 

いずれにしろ、プラーナ(気)というエネルギーの流れとは、現代医学で言われているところの神経経路を流れる電気信号の流れと関係があることがおわかり頂けるかと思います。

 

チャクラについては、次回、詳しく説明することにいたします。

 

 

 

 わたしは生物の体に入って

生命力の火となり

呼気(プラーナ)と吸気(アパーナ)に合して

四種の食物を消化する

 (バガヴァッド・ギーター第15章14)

 

 

神聖で永遠なる生への入り口について

前回の記事では、聖ラーマクリシュナのお言葉より、「人体にはクンダリニーシャクティ)という”神の力”が宿っている」とご紹介させて頂きました。

 

それは、誰でもそうなのですが、クンダリニーシャクティ)は、通常は、眠っているかのような静かな状態にあるため、大抵の人びとは、それに気付くことなく、一生を終えてしまいます。

 

その結果、自分の真の本性を悟ることなく、この世をいったん去ることになりますが、

この”尊い自己の真の本性”を悟るまでは、生と死が繰り返されると言われています。

 

このことを、スワミ・ラーマも、ヨーギーの立場から、彼の著書『聖なる旅-目的を持もって行き、恩寵を受けて逝く』で詳しく解説していますので、ご紹介したいと思います。

 

 

『ヨーガの達人は、死からさらに多くのことが学べることを発見しました。

死は単なる永遠への魂の旅における必要な休止ではありません。

それは、人の意志で使うことができる通路であり道具なのです。
これを理解するために、再びカタ・ウパニシャッドに戻ります。

ヤマは、体を王宮と呼びました。

王はアートマンです。

ヤマは、王宮への 11 の門を述べました。

この門のうち 7 つは感覚的なものである、 2 つの眼、 2 つの耳、 2 つの鼻孔、 1 つの口です。

さらに 3 つの門は、臍と生殖器官と排泄器官です。

最後の門は、通常は知られていない器官ですが、脳の中央にあり、頭頂に位置する泉門であるブラフマランドラと呼ばれているものです。

それは、アートマンである王の座であり、永遠の座なのです。

この座より、アートマンはすべての随行者である、心、知性、知覚器官、全体の感覚を支配し、命令します。

最初の 10 の門はこの世の生への通路です。

ブラフマランドラは、神聖で永遠なる生への入り口です。

普通の人の場合は、生命力は、特にその人の最も強烈な願望の座であった 10 の門のいずれかを通って離れていきます。

完成されたヨーガ行者は、 11 番目の門を通って離れていきます。
ウパニシャッドは、違いを強調し、これらすべての門の王はアートマンであると強調
しています。

アートマンは、仕えられるべきものであり、そのやり方は、知性や心、感覚をコントロールすることにより、 11 の門における活動を制することなのです。

ヨーガ行者は、これらの入り口をコントロールする方法や、アートマンを発見し仕える方法について知っています。

彼らは、生まれ変わりの神秘を理解するために、ブラフマランドラを使うことを学んでいるのです。
永遠の世界と永遠の生への入り口が、十分に統制されると、そのとき、この世の生と
永遠の生との間のつながりが理解されます。

死の惨めさと死に伴う恐れの大きな苦しみは、消滅します。

感覚、思考の波、心と体のエネルギーを含む人間を構成するすべての要素が調和するとき、アートマンは現れます。
死は、体の習慣です。

どんな化学的な構成が似た体でも、変化し滅び、死ぬことになっているので、同じ体で永遠に生きる人はいません。

必ず死ぬことになっているものにしがみつくことは、恐れと惨めさを作り出します。

その執着は、自然であり物質的な面だけに焦点を合わせる人々により分かち合われます。

彼らは、全体に気付いていないので、苦しむのです。

サマディにおいて最終的に最高点に達する瞑想 は、この体にしがみつくことからの自由を約束しています。

瞑想を通して、 11 の門のコントロールは達成されます。

そのとき、人は心、体、魂への自制力を持ち、全体に気づくようになります。
瞑想の技術には宗教的な教義はありません。
ブラフマランドラは、アートマンとの合一のときにのみ、開きます。

そしてその合一は、心の中に変動がなく、願望もなく、恐れも執着もない超越状態であるサマディを通して可能です。

サマディという単語は、答えられないどんな疑問もなく、解決されないどんな神秘もないというサマヒタンを意味します。

同時に、心のおしゃべりは消え、すべての言語は忘れられます。

このような状態では、心はじっと考えたり、深く考えたりする方法はありません。

これは、心が永遠の超越した知性の黙想に同化している心の栄光ある状態です。

ヤマは、不死の領域が達成され、アートマンが悟られるサマディの状態を述べました。彼は言いました。

〝すべての感覚が器官から退き、静かになったとき、心が静寂になり静止し、思考が心を乱さないとき、その状態で、アートマンの栄光は悟られ、至福が地平線に現れ出す。それが、サマディの状態である〞
サマディの最高の状態は、全く死とは似ていません。

死が無知の暗闇における経験である一方で、サマディは悟りの状態です。

サマディにおいては、人は完全に意識的ですが、死においては、意識はありません。

通常の人にとって、死は長くて深い眠りなのです。

魂は、死後、心に執着したままです。

しかし、個人は深い眠りにいます。自覚はありません。

ヤマは、ナチケータに語りました。

サマディとは〝死の状態ではない。それは物質的、精神的な世界の領域を超えた単一性であり、同一性である〞
関係性の世界においては、魂は 3 つの異なる状態を経験します。

目覚めている状態、夢見ている状態、深く夢のない状態。

トゥーリヤとして知られる 4 つ目の状態においては、アートマンは魂の 3 つの門の超然とした目撃者としての本質にあると言えます。

深い眠りの状態の間、魂はすべての苦しみと痛みから自由を楽しみますが、トゥーリヤ
においては、それはすべての他の状態から、完全に離れていることを経験します。

超越意識であるトゥーリヤは、サマディと同意語です。

サマディと深い眠りの違いは、表面上はほとんどありません。

深い眠りは喜びの状態ですが、人はそれに気づいていません。

サマディにおいては、ヨーガ行者は、至福の状態に完全に気づいています。

それは、アートマンから引き出された直接体験なのですが、他のどんな方法を通しても推測することはできません。
サマディには、 2 つの種類があります。

形があるものはサヴィカルパで、形のないものはニルヴィカルパです。

サヴィカルパ・サマディの間、ヨーガ行者は、自分自身の肉体的精神的な状態とプロセスを、それらは彼には属していないのですが、見ます。

彼は、完全に切り離されています。

これは、思考者、対象物、そして(思考の)意味すべてが、この状態の間、現在に在るため、サヴィカルパ・サマディと呼ばれます。

ニルヴィカルパ・サマディにおいては、人はすべての執着から自由です。

この深い状態では、思考の意味と対象物は、存在しません。

知っている者のみが存在します。

ニルヴィカルパは、ヨーガ行者が永遠なる至福と溶け合い、アートマンである真の自己と融合している最高の状態です。
サマディの経験は、述べることができません。

なぜならば、思考、言葉、行いを超えた他に類を見ない状態だからです。

人間は数えきれない束縛に縛られています。

サマディが達成されると、探求者は永遠に自由になります。

これは、死のないヨーガ行者の永遠の住居である最高の状態です。

死後の生は、死の境界が超越される状態であるサマディに到達した人々により、正に今生のここで経験されることができます。
生の知られた部分は、 2 つの点である誕生と死の間に引き伸ばされている線です。

人の存在の大部分は、これら 2 つの知られた点を超えては、不可知であり不可視なのです。
通常の人は、死と呼ばれる移行についての知識がありません。

しかし、悟った、あるいは、熟達したヨーガ行者は、この世とあの世を理解しています。

11 の門をコントロールすることを学んだ人々は、何があの世であるかを知っており、その知識は、彼らに生だけでなく死への勝利をも与えます。
この勝利した人々は、死の気まぐれには従属していません。

彼らは肉体を脱ぎ捨て、自分自身で決めたときに、自分自身のコントロールの下で死にます。

彼らは、意識的に11 番目の門であるブラフマランドラを通過します。

この門を通ることを知っている人は、この世を彼が知っているのとまったく同じように、あの世について知っていると言えます。

もはや、この世とあの世の間にはどんなヴェールもありません。

 

ナチケータは、意識的に体を手放す技法について説明されました。

ヤマは、彼にすべてのナディ、あるいは体のエネルギー通路のうち、最も重要であるのがスシュムナであると説明しました。

スシュムナは脊柱の中央を通り上へと流れます。

スシュムナを通して、クンダリニーという霊的なエネルギー、あるいは神聖なる力が流れます。

スシュムナは自由のキーポイントです。

死の際に、スシュムナに入ることができる人は、人生の最高のゴールであるブラフマンに到達します。

他のすべての道は生まれ変わりの道です。
体を離れるために、ヨーガ行者は、クンダリニーという眠っている蛇の力を目覚めさ
せ、このエネルギーはスシュムナの通路に入ります。

それは、眉間の間の 2 つの花弁の蓮の花であるアジナ・チャクラまで上がります。

ここでヨーガ行者は、プラーナとして知られる体の他のすべての生命エネルギーを集め、コントロールします。

彼は、自分の意識を現世的な存在感や感覚、 5 つの下位のチャクラから引き出します。彼は、アジナ・チャクラに、それから次第に、クラウン・チャクラであるサハスラーラに向かって集中します。

頭頂に集中している間、彼は泉門を通り体を離れ、最終的に絶対的ブラフマンの領域まで上ります。』
(聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く スワミ・ラーマ)

 

 

今回の記事では、クンダリニーの他に、スシュムナ、ナディ、ブラフマランドラという聞き慣れないサンスクリット語の単語がたくさん出てきました。

 

次の記事で、これらが、具体的には何を指すのか?を説明したいと思います。

 

これは、霊的な人体図に関するものであり、これを理解している人びとは、今の時点では、まだ少数であることは確かですが、少しづつ増えてきているようです。

 

まだ知られていない人体の未知なる領域への理解は、生と死とは何か?アートマンである真我と自我の違いを識別していくのを助けてくれることでしょう。

 

そして、それらが、最終的に統合された時、不滅の自己へと至る永遠の至福の道が眼前に広がっていることに気付くことでしょう。

 

そして、その時初めて、揺らぐことのない確信をもって、生と死を超えたアートマン(真我)への道を歩むことができるようになるのです。

 

 

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 ヨーガ修行は全ての感覚的快楽を

離脱することから始まる

五官の門を閉じて 心を心臓に

生気を頭頂に集中して精神統一をする

 

ブラフマンそのものを表すところの

聖なる音節オームをとなえ

至上者を想いながら肉体を離れる者は

必ず至高の世界へ往く

 (バガヴァッド・ギーター第8章12-13)

 

 

 

 

 

 

クンダリニー(シャクティ)の目覚めは、霊性の目覚め

前回の記事で、ブラフマン(神)とシャクティは(力)は同じものだと書きました。

 

そして、このシャクティ(力)は、人体にも宿っていて、それをウパニシャッドでは、”クンダリニー”と呼んでいます。

 

今回は、この人体に宿る”神の力”である”クンダリニー”について、聖ラーマクリシュナのお言葉をご紹介することで、理解を深めていきたいと思います。

 

 

「その心の力、その大現象力(マハーマーヤー)が二十四の存在原理(五大要素(土、水、火、風、空)、我執(アハンカーラ)、理解力、気(未発の活力)、十根(五官の受動両面)、心、五官の対象(色声香味触)になっていらっしゃる。

わたしがいつか瞑想していたら、心がさまよい出て、ラクスの家に行ってしまった!

ラスクは道路掃除人(カーストでは、賤民の職業)だ。

わたしは自分の心に、『このウスノロ、ここに居ろ』と言いきかせた。

大実母(マー)が見せて下さったんだよ。

――あの家の人たちは仮にあんな状態で遊んでいるだけで、あの人たちの中にもちゃんとクンダリニーがあり、六つのチャクラもあるんだ、と!」

 

「イダー、ビンガラ、スシュムナー

――どの蓮もスシュムナーのなかにあって、それは霊意識に満ちているんだ。

蝋でつくった木のようなもので、枝も葉も実も、みんな蝋でできている。

ムーラダ―ラ(第一チャクラ)の蓮にクンダリニーシャクティがある。

四弁の蓮だ。

アディヤシャクティ(根源エネルギー)がすべての人の体のなかにクンダリニーという形で宿っていらっしゃるのだ。

蛇がトグロを巻いて眠っているようにね!

“眠れる蛇の形して蓮の底にぞ住み給う!”

信仰のヨーガによって、クンダリニーはものすごい速さで目覚めるんだよ。

これが目覚めないかぎり見神はできない。」

 

「わかっていると思うが、卵の中のヒナが充分大きくならないと、母鳥は殻を壊さない。

時が来れば鳥の卵はかえる。

だが、少し修行をすることは必要だ。

グルが何でもして下さるが――。

でも、最後のときは少し修行をさせる。

大きな木を伐り倒すとき、回りをほとんど切ってから、ちょっと脇へ退いて立っている。

すると、木はモリモリ音をたてながら自然に倒れる。

溝を掘って水を引くとき、さいごにごく僅かの部分を掘り残して脇に退いている。

すると、残った土は水を吸いこんで自然に崩れ、河の水がサラサラと溝に流れこんでくる。

我執、制限(ウパーディ)、こういったものをみな放して捨てたら神様にお会いできる。

“私は学者だ”“私は何某の息子だ”“私は金持ちだ”“私には身分がある”

――こういった制限(ウパーディー)を捨てると神が見える。

神は実在、他はみな無常なもの、世間ははかない空しいもの、これが識別だ。

識別ができなければ教えの核心はつかめない。

修行をつづけていると、あの御方の恵みによって成就する。

少しは苦労もしなけりゃならんよ。

その後で、悟りと歓喜がわがものになるんだからね。」

 

「智識、智識とくり返すだけでどうなるものかね?

智識を得た特徴(しるし)が二つあるんだよ。

第一は熱中すること。

つまり、神様が大好きになることだ。

ただ、智識、智識と分別ばかりして、神に対する愛が芽生えない場合は、その智識は間違いだ。

も一つの特徴(しるし)は、クンダリニーの力が目覚めること。

クンダリニーが眠っている間は智識は生じない。

坐って本ばかり読んで、あれこれ頭で考えているだけでいて心に情熱がないようなのは、智識の特徴(しるし)じゃない。

クンダリニーの力が目覚めると、バーヴァ、バクティ、プレーマが生じてくる。

これこそバクティ・ヨーガだ。」

 

「そうそう、わたしの魂(アートマン)は三昧に入って、大空(マハーカーシャ)(純粋意識)を鳥のように翔っている、と誰かが言ったね。

いつか、リシケシのサードゥがここに来た。

その人が、『三昧には五種類あるが、あんたはその全部を経験している』と言ったよ。

蟻のような動き(霊気が上がる状態)、魚のような動き、猿のような動き、鳥のような動き、蛇のような動き――この五つだ。

霊気(マハーヴァーユ)が上がるとき、蟻がジリジリと這い上がるような感じのときもあるし、ある三昧状態のときは、法悦の海の中で真我の魚がスイスイと気持ちよく泳ぎ戯れている感じだ!

時には横に寝ているとき、霊気(マハーヴァーユ)が猿のようにわたしを押したりして楽しく遊びまわっている。

そんなとき、わたしは黙っているんだ。

するとその霊気は、猿みたいにヒョイとサハスラーラに飛び上がるんだよ!

わたしが、”ギクッ”として跳び上がることがあるのは、そんなときなんだ。

それから鳥のように――こちらの枝からあちらの枝へ、あちらの枝からこちらの枝へとーー霊気が飛び移るんだよ!

それが止まったところは火が燃えるような感じになる。

そして、ムーラダーラからスワディスターナ(第二チャクラ)、スワディスターナから心臓へというようにして、だんだんと頭まで上がってくる。

あるときは、その霊気は蛇のような感じで上がっていくーーくねりながらね!

蛇みたいに這って、しまいには頭までいくと三昧(サマディ)に入る」

 

クンダリニーが起きないと霊性は表れない。

ムーラダーラにクンダリニーは眠っている。

霊性が目覚めると、その御方はスシュムナーの管を通って、スワディスターナ、マニプーラ(第三チャクラ)と上がり、さいごに頭の頂上にとどく。

それを霊気の通過(うごき)と言って、さいごに三昧に入るんだよ。

ただ本を読んだだけじゃ霊性は目覚めないよ。

あの御方を呼ばなけりゃだめ――。

一生懸命に心の底から求めればクンダリニーは起きて下さる。

話を聞いたり本を読んだりしただけの智識なんて!

ーーそんなことで悟れるものかい!」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

聖ラーマクリシュナのお言葉から、見神する、ブラフマン智を得る、真我(アートマン)が目覚める、など、所謂、霊的な体験と言われているものは、

実は、この”クンダリニー”の目覚めである、ということがわかります。

 

ナーナさんは、このクンダリニーシャクティの目覚め(上昇)を数回、短期間の間に経験されました。

 

そして、最後には、完全智を得られ、今は、アヴァターラ(神の化身)として、

私たちのムーラダーラに眠っているアディヤシャクティであるクンダリニーが目覚めるようにと、神の御力であるシャクティプラーナを使って下さっています。

 

クンダリニーが目覚めなければ、本当の意味で、”見神”したとは言えません。

つまり、自己の本性を悟った、ということにはならないのです。

 

これについては、スワミ・ラーマも同じようなことを自らの著書『聖なる旅ー目的をもって生き 恩寵を受けて逝く』に書かれていますので、次回詳しくご紹介させて頂きます。

 

 

 

☆ナーナさんから放たれるシャクティプラーナの恩寵に与り、

自己変容したい人、真理を体得したい人、束縛から解放されたい人、真我の目覚め、神の直接体験に預かりたい人は、

こちらのナーナさんの公式ホームページをご覧頂き、サットサンガへご参加下さい。

サットサンガ(真我の集い)は、毎月、各地で開催しています。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――ナーナさんの公式ホームページ)

 

 

 

 

十分な確信をもって一歩また一歩と

知性(ブッディ)に導かれてサマーディの峯に昇れ

そして心をただ一つ真我(アートマン)に固定し

ほかの一切を思うな 考えるな

 (バガヴァッド・ギーター第6章25)