永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

アートマン(真の自己)とプラーナの関係

前回の記事では、この宇宙は、アーカーシャとプラーナの合一の結果である、と書きました。

アーカーシャにプラーナが作用すると、プラクルティ(物質自然=宇宙)が生じます。

 

アーカーシャだけでも、プラーナだけでも、この宇宙は存在しません。

両者があって初めて、物質的な動きのある宇宙が存在し得るのです。

(聖ラーマクリシュナは、これがアディアシャクティ(根源造化力)というものだと仰っています)

 

実は、シャクティ(力)とプラーナは、言葉は違いますが、根本では同じものです。

両者は、聖ラーマクリシュナのお言葉をお借りするなら、”火と熱く燃える性質”のような関係にあります。

 

それでは、発売したばかりのスワミ・ラーマの『聖なる旅ー目的をもって生き 恩寵を受けて逝く』より、

プラーナやエネルギーについて理解を深めるために、詳しく説明して下さっている部分がありますので、ご紹介させて頂きます。

 

 

『真の自己は死ぬことはできません。

それは、物質的な鞘が滅ぶときでさえも、存在し続けます。

物質的な自己は、アートマンに潜んだままでいる粗野な媒体です。

肉体が滅びたとき、体の微細な物質は同じままです。

何も宇宙では失われていません。

宇宙的なエネルギーは永遠から永遠へと続いています。
現代の科学は、この世のすべては、他のエネルギーの粒子を引き付けようと、エネル
ギーの粒子を駆り立てる振動の産物にすぎないことを発見しました。

固体は、連続的に、これらの空の粒子の状態になり、それから電磁波になります。

それは、最後には、エネルギーの形であると理解されるようになりました。

ヨーガの哲学においては、この宇宙に存在し、起こるすべては、宇宙エネルギー、あるいはプラーナが原因である運動と振動の結果です。

この宇宙のすべての生物と無生物は、プラーナの振動によって作られます。
このプラーナの振動は、すべての宇宙的な現象の根源であり、宇宙で起こるすべての
出来事の第一原因です。

プラーナは宇宙的生命の原理であり、それ自体の法則を持っています。

プラーナなしには、宇宙は存在しないでしょう。

著名な科学者であるサー・アーサー・エディントンは、物質という概念は基本的な物理学から消え、波動の周期性の概念により置き換えられてきていることを、私たちは思い出さなくてはならないと言いました。

現代科学は、実験により、物理学の世界が精神的な現象であると示唆しています。

それゆえ、物理学が、事実上、形而上学に帰結したのは不思議ではありません。

したがって、古代の師たちの直感的な啓示を確証しています。

S a r v a m k h a l vi d a m B r a h m a (確かに、これすべてはブラフマンなり)。
最初のプラーナの現れは、アカーシャである空間で、それは次第に現象的な宇宙へと
発展しました。

ヴェーダンタによると、宇宙には死んでいる物質のようなものはありません。

全宇宙は生きている有機体です。

ヤマは、ナチケータにこの現象界に存在するものは何であれ、プラーナの振動の現れにすぎない、と説明しました。

リグ・ヴェーダによると、宇宙的な力は、展開が始まる前に存在し、現れた宇宙の消滅後も存在し続けるでしょう。

ひとつの巨大な源から、すべての自然の力が、突然現れました。

宇宙は、宇宙の根本であるひとつなるものの現れです。

この宇宙においては、プラーナの振動の消失と獲得のようなものはありせん。
プラーナの力により、発展の力を通して、内側と外側の世界は生まれます。

全世界は、本質においては永遠です。

しかし、その外側の形においては、永遠ではありません。

すべての宇宙の外的な形は破壊され、形のない物質である宇宙の母なるエネルギーが永遠から永遠に存在し続けることでしょう。
生命があるところには、知性の現れがあります。

知性と生命は相伴っています。

この知性は、内なる自己のものであり、その手段としてプラーナという生命力を持っています。

プラーナの力の助けを通して、生きて機能しているのは、本当は真の自己なのです。
対象的な世界は、単に宇宙の半分です。

私たちが感覚で知覚するものは、完全なる世界ではありません。

心、思考、感情を含むもう半分は、外的な対象物の感覚の知覚によって説明することはできません。
五感は、個人的なエゴが外的な世界と接触する主要なドアです。

これらの五感は、私たちが外的世界から振動を受け取るゲートなのです。

これらの振動は、最初は脳細胞に運ばれます。

分子の変化はこれらの細胞で起こり、振動は順番にエゴにより感覚へと翻訳されます。次に、感覚は知覚概念に形成され、一連の精神的なプロセスの後、観念に変換されます。

これは、終わりなく続きます。

あなたが何かの対象物を考えるとき、あなたは即座に、そのものの精神的なイメージを受け取ります。

それは観念と呼ばれます。
もし、知的な心が存在しなければ、どんな認識もないでしょう。

そういうわけで、ヴェーダンタは見解を述べています。

〝感覚器官よりも感覚は微細であるが、心は感覚を超えている。

そして、知性は心を超え、宇宙的な自我は、知性よりも偉大である〞

プラーナの力は、肉体における異なった機能により、プラーナ、アパーナ、ヴィヤー
ナ、ウダーナ、サマーナという 5 つの名前を与えられています。

人間の身体では上昇する空気はプラーナで、下降する空気は、アパーナです。

ヴィヤーナはすべてのランプを貫く炎のようにさっと回り、体中ですべての流動体とエネルギーの循環を維持しています。

ダーナは、死の際に、体から魂のガイドを務め、サマーナのおかげで、栄養が吸収されます。
魂、あるいはジィーバが離れるとき、生命エネルギーであるプラーナが続きます。

プラーナが離れるとき、他のすべての生命維持器官が続きます。

呼吸システムはプラーナの乗り物です。

心と体の関係を確立するのは呼吸なのです。

吸息と呼息が機能を止めると、死が起こります。

肉体的な死は変化であり、潜在意識と魂を無にすることはありません。
話す、掴 つか む、動く、妊娠する、排泄するという行為の 5 つの器官の微細な力と、感覚知覚器官と 5 つのプラーナとマナス、ブッディは微細体を続けます。

生まれ変わりのときに、魂は微細体に伴われます。

全身は死の際に分解しますが、微細体は存在し続けます。

メリットとデメリットの倉庫である潜在意識は、ジィーバ、あるいは魂のための乗
り物になります。

私たちの多くの生のすべてのサンスカーラは、種子のような潜んだ状態で、私たちの潜在意識の倉庫にあるのです。

微細体と粗雑体との関係は、種子と植物との関係に似ています。

種子は、種子遺伝子において植物のすべての性質を内包しているように、潜在意識は、私たちの過去生のすべてのサンスカーラを留めています。
仏教徒とヨーガ行者は、魂と心と体を信じ、その間を区別しています。

魂は、創造されたことはありません。

それは本質的には、意識であり完全です。

粗雑体の消滅の後、すべては潜在したままです。

魂は生き返ります。

私たちの魂は、死後も、完全であり、消滅せず、分解せず、破壊されません。

もし魂が、真の実体であり存在であるなら、それを経験するいくつかの方法があるべきです。

適切な霊的な訓練を実行する誰もが、この経験を持つことができます。
生と死は、同じ事実にとっての異なる名前であるだけです。

それは、ひとつのコインの 2 つの面です。

このような区別を超えることができる人は、死を克服し、彼岸、すなわち、永遠の生命に到達することができます。

アートマンが不死であるという基本的な真理を理解する人は、死の神秘を解き明かすことができるのです。

サマディを達成した人々は、まさに今生のここで、死後の生を経験することができます。

自らの真の自己を悟った人は、不死なのです。』

(聖なる旅ー目的をもって生き、恩寵を受けて逝く スワミ・ラーマ)

 

「プラーナの力の助けを通して、生きて機能しているのは、本当は真の自己(アートマン)なのです。」

 

まずは、人体の生命エネルギーであるプラーナを体験していくこと。

 

そして、このプラーナを通して、私たちを在らしめているのは、「人間馬車説」では最奥に座していらっしゃいますアートマン(真我)であり、

「人間五臓説」では、五つの鞘から独立して存在するアートマン(真我)である、ということを識っていくこと。

 

これこそが、真の叡智であり、”我は、ソレ(ブラフマン)なり”につながっていくプロセスの始まりなのです。

 

ですから、己の真の自己(アートマン)を覚って行くことは、このプラーナの直接体験から始まる、と言っても過言ではないのです。

 

何故なら、シャクティブラフマンは不異(おなじ)だという聖ラーマクリシュナのお言葉を思い出して下さい。

 

シャクティブラフマンが同じ一つのモノの異なる形であるなら、

プラーナとアートマンは、同じ一つのモノの異なる形である、と言うことができ、

片方を知ることは、もう片方を知ることにつながっていく、と言えるのです。

 

 

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聖なる旅『目的をもって生き 恩寵を受けて逝く』スワミ・ラーマ 著 | Pranahna Official HP 〜 真我が目覚めるとき 〜

 

 

 

プルシャ(個魂)とプラクリティ(物質自然)

またその三性質(トリグナ)の相互作用を理解する者は

現在どのような環境にいても

決して地上に再生しない

 (バガヴァッド・ギーター第13章24)