永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

プラーナについて(6)

宇宙の生命エネルギーであるプラーナについて知ることは、肉体だけでなく、微細体への理解が深まるきっかけになると思われます。

 

この微細体(アストラル体)への理解が深まると、やがて、宇宙の神秘の扉が開かれ、そこから叡智の光が射し込むようになり、真理への道が自ずと明らかになることでしょう。

 

肉体は乗り物、或いは、器にしか過ぎません。

 

この世を体験しているのは、心ですが、心も実体のある実在ではありません。

 

私たちの多くは、自己の本性である真の実在を知らないまま、人生を終えてしまいますが、微細体を知ることで、宇宙の生命エネルギーであるプラーナを知り、そして、それにつながって「大いなる自己」である純粋意識に目覚めていくことができます。

 

その秘訣は、”プラーナの制御”(プラーナヤーマ)であるというのが、多くのヨーギー達が、彼らの遺した書物によって、明らかにされています。

 

今回もプラーナについて、前回の続きを見ていきたいと思いますが、ご紹介していますスワミ・シヴァナンダは、出家される前は、医師であったことから、体の仕組みに関して非常に詳しい説明をされています。

 

プラーナは、呼吸に一番よく現れている、ということから、プラーナについて知るには、呼吸について知ることが、理解の助けとなると思いますので、今回は、呼吸について、詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『この機会に、肺とその機能について述べておこう、

呼吸器官の両側に1個ずつ配置された2個の肺と、それに繋がる気管とで成り立っている。

肺は胸腔の上部に位置し、体の正中線の両側に1個ずつ配置されていて、心臓、大動脈、気管によって隔てられている。

肺は多孔性の海面質で、組織は収縮性に富んでいる。

肺の中には空気を含んだ無数の肺胞が詰まっている。

死体を解剖した後で、水を張った容器の中に肺を入れると、水面に浮かぶ。

肺胞は胸膜という、漿液を出す薄い膜に覆われている。

この肺胞は胸膜という漿液が、呼吸時の肺の摩擦を防いでいる。

胸膜の壁の一方は肺に密着しており、もう一方は胸の内壁に張りついている。

肺は、この膜によって胸の内壁に固定されている。

右肺は3つの、左肺は2つの肺葉から成り立っていて、左右それぞれの肺は、尖った上端部と基底部から成り立つ。

基底部は、喉と腹部とを隔てている横隔膜と呼ばれる筋肉の膜に続いている。

肺の上端部は、首の付け根の近くに位置する。

肺炎の時に炎症を起こすのが基底部だ。

上端部への酸素の供給が不十分な場合、結核菌の繁殖に好都合な場所を提供することになり、肺結核になる。

カパーラパティ(頭蓋浄化呼吸)やバストリカ(ふいごの呼吸)のようなプラーナヤーマ、そして、深呼吸を実習することによって、肺の上端部に十分な酸素が供給され、肺結核を未然に防ぐことができる。

プラーナヤーマは肺を発達させる。

プラーナヤーマの実践者は、力強く、甘美で旋律的な声の持ち主になる。

気道は鼻腔、咽頭(喉)、喉頭(2つの声帯を含む空気の共鳴箱)、気管、左右の気管支、そしえ、より小さく枝分かれした気管支から成り立つ。

私たちが呼吸すると、鼻から吸い込まれた空気は、咽頭喉頭を通って気管から左右の気管支へと進む。

気管支に入った空気は、順次枝分かれを繰り返して、細気管支と呼ばれる膨大な数の細い管に流れ込む。

そして最終的には、肺にある何百万もの小さな気嚢の中の、さらに細かく分割された空間に行き着く。

仮に、一対の肺に含まれる気嚢を平面に広げるとすれば、14万平方フィート(約1万3000m2)にもなる。

空気は横隔膜の働きによって肺に吸入される。

横隔膜が伸ばされることで胸と肺が拡張し、真空になった部分に外気が勢いよく入って来る。

反対に、横隔膜が縮むと胸と肺が縮むので、肺から空気が排出される。

音声は、喉頭に位置する声帯によって生み出される。

喉頭は音の共鳴箱のようなもの。

歌唱や長時間の講義によって声帯を使いすぎると、声が枯れてしまう。

女性の声帯は短いため、甘く旋律的な声になる。

健康な人の呼吸は1分間に16回位だが、肺炎の患者では1分間に60回から80回にもなる。

喘息の症状は、気管支の摩擦によるものだ。

気管支が収縮するために呼吸が困難になる。

気管支との摩擦や圧迫は、プラーナヤーマによって改善することができる。

喉頭上部の表面には、喉頭蓋と呼ばれる小さな薄い膜上の蓋がついている。

この蓋によって、食物のかけらや水が気道に入り込むのを防ぎ、ちょうど、安全弁のような役割をしている。

食物のかけらが気道のほうに入りそうになると、喉によって気道外に排出される。

肺は血液を浄化する。

動脈へと旅立つ血液は鮮紅色をしており、生命に活力を与えるための成分に富んでいる。

反対に、静脈を通って帰ってくる血液は成分の乏しい青みがかった色をしており、組織からの老廃物を運ぶ。

動脈とは、酸素に富んだ新鮮な血液を心臓から体の各部へと運ぶための管であり、静脈とは、汚れた血液を身体の各部から心臓に戻すための管のことである。

心臓の右側には汚れた静脈血が溜まる。

汚れた血液には、そこから肺に運ばれ、肺の中の何百万という気嚢に分配されて浄化される。

空気中から吸い込まれた酸素は、肺毛細血管と呼ばれる毛髪のように細い血管の薄い壁を隔てて、汚れた血液と接触する。

毛細血管の壁は極めて薄く、モスリン布や裏ごし器のような働きをする。

血液は簡単に滲み出し、酸素もこの壁を透過する。

酸素が組織と接触する時には、急激な酸化反応が起こる。

血液は、酸素を取り入れ、老廃物や有害物質から発生する二酸化炭素を手放す。

その二酸化炭素は、血液によって身体中の組織から集められたものだ。

浄化された血液は、4本の肺動脈によって左心房へ送り込まれ、さらに左心室へと送られる。

その後、最も太い動脈である大動脈へと送り込まれ、そこから各部位の動脈へと受け継がれる。

1日あたり3万5000パイント(約1万9900リットル)もの血液が肺の毛細血管を透過すると推定されている。

浄化された血液は、動脈を通って毛細血管へと流れ込む。

血液中のリンパ液は毛細血管を通して組織に滲み出し、組織を洗い清め、栄養を与える。

一方、組織内では組織呼吸が行われる。

そこでは、組織が酸素を受け取り、二酸化炭素を手放す。

不純物は、静脈を通って心臓の右側へと運ばれる。

このように精巧な構造は、いったい誰の手によって造られたのだろうか。

ひとつひとつの臓器の背後に、目に見えない神の御手を感じることはないだろうか。

私たちの身体の構造そのものが、神の全知を明白に物語る。

アンタルヤーミン、もしくはインドウェラーとも呼ばれる我々の心に住んでいらっしゃる方は、ドラシュタ(観察者)として体内工場の働きを見守っている。

この方の存在なしには、心臓が動脈に血液を送り込むことも、肺が血液を浄化することもできない。

祈り、その方に無言の敬意を払おう。

いつでもそのお方のことを忘れないように。

体の細胞のひとつひとつに、その存在を感じるように。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

『真の知識とは魂の覚醒、宇宙真理(大いなる神)を知ることである。

一般の常識とは、自分や他人を正しく理解し、見極めることである。

正しく考えれば、行動も正しくなり、正しい人生を送れる。

美は本来、魂のものである。

真の美はハートの中にある。

美は人格の中にある。

美は純粋さの中にある。

美は美徳の中に輝きを増す。

愛とは、宇宙の純粋真理との合体(ワンネス)である。

愛とは自己否定であり、無私の状態を言う。

普遍的な愛は大いなる神の神聖さであり、溢れる善意、慈悲、思いやり、寛容だ。

真の愛は官能的なものでは決してない。

肉体がすべてではない。

しかし肉体の中には非常に重要なものが潜んでいる。

それは魂である。

宇宙の魂(真我)が個人の魂(個我)となって存在する。

肉体は滅びるが、魂は生き続ける。

魂はその人の肉体が存在する限り個別に存在する。

死が訪れて肉体が滅びた時、この魂は親元に戻り、宇宙の純粋意識に溶け込む。

しかし、カルマの法則から、蒔いた種を刈り取るために、再び別の肉体に生まれ変わることもある。

すべては過ぎ去る。

肉体が脱ぎ捨てられた時、宇宙の親元に戻る魂(個我)にはカルマしか同伴しない。

だから生きている間は、友好的に、愛と善意を持ち、他人に害を与えず、世俗の富を欲しがらず、多くの親切と慈悲を示し、寛容、無執着、無私を実行するのが良い。

一方、すでに作った行動(カルマ)の結果を消化しつつ、良くないカルマを新たに作らないように心掛けて生きる。

困難に直面した時、その原因をまずつきとめる。

本当の問題は、原因を無視したことに起因している。

原因が対処されれば、困難は少なくなる。

現世は学校だと思うが良い。

日々の試練は自分をより良く作り直す機会だ。

誰も生まれながらにして完全ではない。

試練にめげてひがんだり、心狭くなってはいけない。

永遠の純粋意識に目覚める絶好のチャンスだ。

グルの弟子に対する愛は無条件だ。

同時に、グルの愛を受け入れる弟子には、自己の修行と信仰、純粋さが要求される。

グルは弟子の心の中にいる。

このことを知る弟子もいるし、知らない弟子もいる。

自分の内にグルがいるという実感は、弟子にとって最高の宝だ。

 

「永遠の真理、大いなる神を悟ったと明言できるグル(導師)を探している。

そのような方をご存知か。

失礼ですが、あなたは、神を悟った方なのですか。」

 

あなたの質問は、熱心な修行者の多くが、ある霊的過程で持つ疑問である。

しかし、たとえ「X氏は覚醒し神を悟った人だ」とわたしが教えたとしても、あなたには、わたしの言葉を検証する方法はない。

知ったとしても、そのことであなたは何か恩恵を受けられるだろうか。

悟りを開いたグルを探し求めて東奔西走しても無駄である。

神を悟った人間は稀ではないが、無知の心の世人には容易に認識できない。

悟った人を知るのは、同様に高いレベルの少数の人たちだけだ。

それ以外は、解脱した人のそばにいても恩恵にあずかることもできない。

たとえばクリシュナ神があなたのすぐそばにいたとしても、あなたが高い精神的、霊的レベルにいなければ、素通りしてしまうだけだ。

まず恩恵を受けるに値する素質を自分の中に育てる。

社会奉仕、慈善、瞑想、ジャパ、性的欲求や感覚の誘惑を制御して、自分を浄化することに専念しなさい。

グルをテストすることはとても難しいことだ。

そんなことに貴重な知的エネルギーを使うのは無駄である。

常に祈りなさい。

霊的求道者はこのような質問や疑念に振りまわされたりはしない。

わたしの言葉を信じて日々純粋な生き方をしていれば、ある日奇跡のように大いなる神から救いの手がさしのべられるであろう。

 

ウパニシャッドには、“人は一人で生まれ、一人で神に戻る”と書かれている。

グルやグルの恩恵がなくとも、神の恩寵さえあれば充分なのではないですか?」

 

それは道理だ。

しかし、どのように修行をすれば、神の恵みを得ることが出来るのだろうか。

それを知ることは難しい。

ゆえに、同じ道を歩み、ゴールまで到達した指導者の元で修行することが必要とされる。

グルとは、まさしく、神に至るというゴールに到達した者のことを指す。

霊的求道者には、グルの指導、模範、激励、恩恵が不可欠である。

アートマンの恩寵、グルの恩寵、神の恩寵も、あなたにはすべて必要である。

大いなる道へのチャンネルを教え、導いてくれる。』

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

霊魂は物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の支配下

自己の心性に相応した体で様々な経験をし

時期が来ればその体を離れていく

迷える者にはこの事実が見えないが智慧の眼をもつ者には見える

 

修行する求道者(ヨーギー)たちは自己の本性を覚って

この事実を明らかに理解している

だが未熟で自覚(さとり)に到らぬ者たちは

努力しても不滅の霊魂を感知できない

バガヴァッド・ギーター第15章10-11)

 

 

  

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☆自己変容したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(4)

プラーナすなわち生命力について、スワミ・シヴァナンダの「プラーナヤーマの科学」から詳しい解説をご紹介しています。

 

このプラーナすなわち生命力は、東洋医学では「気」と呼ばれているものですが、中には、この微細なエネルギーをはっきりと感じ取ることができる人がいます。

 

この生命力である「気」は、人の本能的な動物的な感覚で捉えることができ、「気」という漢字が、気配、気持ち、気分、天気、気運、人気、などに使われていることからも、人はある程度は、エネルギーとしてのプラーナを感知する能力があり、いろいろなモノの中に、プラーナを感じていることが伺えます。

 

それでは、人体に宿るプラーナについて、前回の続きを見て行きましょう。

 

 

『プラーナは心臓に宿っている。

アンタカーラナ(内的な器官)はたったひとつしか存在しないが、どのような働きをするかによってマナス(マインド、意思)、ブッディ(知性、精神基盤)、チッタ(意識)、アハンカーラ(自我、我執)という4つの異なる形をとる。

同様に、プラーナもひとつしか存在しないが、その働きによってプラーナ、アパーナ、サマーナ、ウダーナ、ヴィヤーナという5つの異なる形をとる。

これらは識別知(ヴリッティ・ベーダ)のよって分けられた。

未分化のプラーナはムクヤ・プラーナと呼ばれる。

プラーナはアハンカーラ(自我、我執)と共に心臓に宿る。

5種類のプラーナのうち、プラーナとアパーナが主要なものとして知られる。

プラーナは心臓に宿っている。

アパーナは肛門に、サマーナは臍のあたりに、そしてウダーナは喉に、それぞれ宿っている。

ヴィヤーナだけは一か所に留まらず全身を移動している。

 

副プラーナには、ナーガ、クールマ、クリカーラ、デーヴァダッタ、ダナンジャヤの5種類がある。

5種類のプラーナの役割は以下の通りである。

プラーナは呼吸機能を、アパーナは排泄機能を、サマーナは消化機能を、ウダーナは嚥下機能(食物を飲み下す機能)を、それぞれ受け持っている。

また、ウダーナには自我を眠りにつかせる役目や、死の瞬間に肉体からアストラル体を引き離す役目もある。

ヴィヤーナは血液の循環機能を受け持っている。

5種類の副プラーナの役割は以下の通りである。

ナーガはあくびやしゃっくりを、クールマは目を開ける機能を、クリカーラは空腹感や喉の渇きを、デーヴァダッタはあくびを、それぞれ受け持つ。

ダウンジャヤは死後に肉体を腐敗させる役割を持つ。

呼吸がブラフマランドラ(頭頂部の穴)を突き抜けて頭頂部から抜け出た人は、いつ何時亡くなったとしても、二度と輪廻の世界に生まれ変わることはない。

 

プラーナの色は、血の色や赤い宝石の色、または珊瑚の色だといわれている。

アパーナはインドラゴーパの色(白色から赤色をした蛍の色)をしている。

サマーナの色はミルクと水晶の中間の色や、油を塗ったような光沢のある色、または、プラーナとアパーナの中間のような色であるといわれる。

ダーナは白に近い淡色で、ヴィヤーナはオルキル染料の紫やスペクトルの紫に似ている。

 

ヴァーユ(プラーナ)の大きさは通常で180cmあるといわれている。

呼吸により、息を吐き出す時の標準の距離は22.5cmだといわれる。

歌う時は30cm、食事中は37.5cm、睡眠中は56.25cm、性交時には67.5cm遠くまで離れるといわれる。

吐く息の距離を短くして、ヴァーユを元来の22.5cmよりも近くに留めておけば長寿となり、遠くに吐き切ってしまえば短命となる。

 

プラーナを外部から吸い込む。

それを腹部に満たしてから、精神力によって臍、鼻の先端、つま先に集中させる。

サンディアス(夜明けと日没)に行うか、他の時間帯でもよい。

ヨーギは、このようにして病気や疲れから開放される。

プラーナを鼻の先端に集中させることで、空気中の成分を自由に支配する力が得られる。

プラーナを臍に集中させると、すべての病気から開放される。

同様に、プラーナをつま先に集中させると、体が軽くなる。

また、舌の両端を織り上げるようにして筒を作り、それを通して空気を飲む人は、疲労や喉の渇きから開放され、多くの病気が癒される。

日の出と日没の2回、そして夜寝る前の2時間をこの行法に当てるならば、3か月もしないうちに、幸運のサラスワティ神(智識、学習の女神)が会話の中に現れ、実習者を雄弁で博学にするだろう。

この行法を6か月続ければ、すべての病気から開放される。

賢者は、舌の付け根から空気を吸い込むことによって生命の甘露を飲み、幸運と繁栄を楽しむだろう。』

 (プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

「人生の真の目的は、大いなる神の純粋意識に目覚めることである。

この朽ち果てた肉体や、有限変化する心が真の自分ではない。

完全に純粋で絶対的自由であるアートマンが自分の真の姿であると、はっきりと知ることが目的である。

宇宙の純粋意識は、生まれることもなく死ぬこともない、永遠不滅、永久の存在である。

これがあなたの真の姿である。

名前と形にとらわれた小さな、束の間の個性があなたの真の姿ではない。

あなたは、ラーマスワミでも、ムケジーでも、メータでも、マシューでも、ガルデでも、アプテでもない。

束の間の無知という雲間から、偶然この小さな幻影の世界に落ち込んだだけである。

目を覚まし、自分は純粋なアートマンそのものであると自覚することだ。

もう一つ、経典ウパニシャッドの中に気づきを与える素晴らしいヒントがある。

宇宙の純粋意識「大いなる神ですべてを包みこめ」という言葉である。

宇宙のすべての存在は、宇宙神の中で脈動している。

花や緑の葉に、樹木やシダ、木の枝に微笑む。

周辺のすべての生物、犬、猫、牛、人間、木、そしてあらゆる自然界の創造物と親しくなる。

そうすれば、完璧で心豊かな人生を送ることができる。」

 

「何事も、その真の経験者はアートマンでも肉体でもない。

心(マインド)そのものである。

個の中心は心であり、心がアートマンの光を個別化し、印象づけるのである。

それが個我と呼ばれるものである。

心は、肉体がより精妙な形をとったものであり、現世において天国の歓びや地獄の苦しみを味わうのである。

心や意識を持つ理由は、個我として、アートマンの光を反射で受けているからで、その成り立ちのため大きな制限がある。

実在(神)の事象の反映に過ぎないから、個我は現実であっても幻であっても、両面において「実在の事象の反映」の域をでることはない。

すべては神の意志によって起こる。

これは真実である。

しかし個々の過去のカルマ(行動)こそが結果の種類を決定づけ、神の意志としてこの世で消化されていく。

肉体は物質界で経験するツールとなるが、アートマンや肉体が経験するのではなく、あくまで心が主役で経験しているのである。

この点を間違えてはならない。」

(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

物質世界の生物に内在する不滅の霊魂は

わたし自身の極小部分であるーーかれは

心をふくむ六つの感覚を用いて

苦労しながら肉体を操っているのだ

 

霊魂は風が芳香を運ぶように

自らの意想感情を次の体に運ぶ

このようにしてかれは或る種の体をとって生き

またそれを捨てて他の体をまとう

 

不滅の霊魂はこのようにして

耳 眼 舌 鼻 触覚と

また心意をもった物質体をとって誕生し

それらに相応した対象を味わい経験する

バガヴァッド・ギーター第15章7-9)

 

 

  

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☆自己変容したい人

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詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(3)

プラーナについての理解を深めるために、前回、ご紹介しましたスワミ・シヴァナンダの「プラーナヤーマの科学」から、私たち日本人には馴染みの浅い「プラーナ」について、詳しい説明が書かれている箇所を、引き続きご紹介したいと思います。

 

このプラーナは、東洋では、「気」と呼ばれているエネルギーですが、私たちの肉体から発されているエネルギー(生体エネルギー)ではなく、むしろ、肉体を動かしているエネルギーであり、反対に、肉体はこのエネルギーが無いと動かなくなり、やがて滅びてしまいます。

 

肉体は、このプラーナによって肉体として存在できるのであって、主役はプラーナなのです。

 

この仕組みが、体験によって理解されることが、見神です。

 

「見神」とは、形ある神を見ることではなく、自分の本性である「真の自己」を悟ることです。

 

すなわち、肉体はプラーナによって動かされているただの器であり、プラーナを体感しすることで、プラーナこそが、この宇宙の普遍的なエネルギーであり、そのプラーナがすべて(自分も含めて)になっている、ということを悟ることなのです。

 

知識ではありますが、これを理解するために、前回の続きを見て行きましょう。

 

 

『呼吸の制御は、体内の様々な動きや、体中を走っている神経の流れの効率的な管理を可能にする。

呼吸もしくはプラーナのコントロールによって、簡単に、しかも時間をかけずに、身体、心、魂の制御と発達が実現する。

プラーナヤーマを通して、周囲の状況と自分の人格をコントロールすること、さらには、個人の生命と宇宙の生命を調和させることが可能になる。

呼吸が意志の支配下に置かれ、思考によって導かれる時、人は活力と再生への力に満ちる。

その力は、自己啓発や、自分自身の不治の病を治療すること、他の人たちの病気を癒すこと、その他いろいろな有益な目的のために意図的に使うことができる。

その力は、いつでも手の届くところにある。

賢明に使ってほしい。

古代より、シュリ・ニャーナデーヴァ、トライリンガ・スワミ・ラーマリンガ・スワミなど大勢のヨーギたちが、この呼吸の力すなわちプラーナを様々な方法で使ってきた。

与えられた呼吸の方法に従ってプラーナヤーマを練習すれば、あなたにも、それが可能になる。

今あなたが呼吸しているのは、空気というよりは、むしろプラーナなのだ。

心を集中して、ゆっくり静かに息を吸う。

楽に止められる範囲で、できるだけ長く息を止め、それから、ゆっくりと息を吐く。

プラーナヤーマの初級者であろうと上級者であろうと、実習は無理のないように行う。

呼吸に秘められている神秘的な内なる生命力を実感してみよう。

ヨーギとなり、あなたの周りを喜びと光と力で照らそう。

プラーナ派の人々やハタ・ヨガの行者はプラーナ・タットヴァ(プラーナの本質)はマナス・タットヴァ(心の本質)より勝ると考えている。

眠っている時、精神はそこにないが、プラーナは存在している。

つまり、生命活動において、プラーナは精神よりも重要な役目を演じているといえる。

カウシータキやチャンドーギャといった教典の中の寓話を読むと、心やプラーナといったインドリヤ(感覚、感覚器官)同士の勢力争いにおいて、プラーナが優位を保っていることに気づくだろう。

プラーナこそ最古の存在なのだ。

なぜなら、プラーナは正に受胎の瞬間から働き始めるのに対し、聴覚器官が働き始めるのは耳という特定の場所が形成された後のことだからだ。

ウパニシャッドでは、プラーナは‘Jyeshtha and Sreshra“(最古で最上)と呼ばれる。

霊的なプラーナの振動を通じて、精神の働きである「サンカルパ」つまり「思い」が保たれ、思考が生み出される。

人はプラーナの助けによって見、聞き、話し、感知し、思い、感じ、望み、知るのだ。

それゆえ、聖典には次のように明記されている。

「プラーナはブラフマン(主宰神、梵)である」と。

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

「(校長に向かって)いいかい、神だけが永遠の存在で、ほかはみな、その場かぎりのはかないものだよ!

人や動物、この世界、家屋敷、子供たち、一切合切が魔術師の手品なんだ!

帽子をさし出して伴奏にあわせて言うだろう――“サァ、サァ、お立ち会い、タネも仕掛けもありませんよ!”――覆い布をとりのけると、鳥が何羽かパッと舞い上がる!

だが手品師だけがそこにいるだけで、あとはみな、その場かぎりのものだ、今あったかと思うと、もう無い!

この世に生まれること、死ぬこと――みんな手品のようなものさ!

いま在たのに、もういない!

神だけが永遠の実在で、ほかはみな、はかない幻だよ。

水だけが永遠の実在で、水の泡は出来たかと思うと、すぐ消える。

泡は水に帰る――水から生まれて、同じ水に帰る。

神は大海のようなもの。

生きとし生けるものは泡だ。

あの御方から生まれ、あの御方へ帰ってゆく。

子供たちは、大きな泡のまわりに五つか六つかたまっている小さな泡だ。

神だけが真実。

永遠の実在。

どんなかたちでも方法でもいいから、あの御方を信じ、愛し、あの御方をしっかりわがものにするよう努力しなさい。」

 

「世間の人たちは幸福を求めて四方八方をうろつきまわるが、何もえられないものだから、やがてしまいにはくたびれてしまう。

女と金に執着して、得たものは苦しみと悲しみばかりという経験の挙げ句、利欲の気持ち、世間のことから離れようとする気持ちが自然に湧いてくる。

こうした経験をし尽してしまわないと、たいていの人は世間のことを捨てる決心がつかない。

修行者のなかには二種類あってね――クティチャカとヴァフダカだ。

一ところに止まっていられないであちこちの聖地をまわって歩く人がいてね、沢山の聖地の水を飲まないと落ち着かないんだ!

でも気のすむまでやると、やがて一か所に掘っ建て小屋を作って住みつく。

そして、安らかな気持ちになって、あれをしよう、これをしようとバタバタすることもなく、落ち着いて神様のことを考えるようになる。

この世でどんな楽しみがある?

女と金の楽しみか?

あんなものは一瞬(つか)の間の喜びだよ!

今あったかと思うと、もうない!

まあこの世は、雨期で空が雨雲でいっぱい、横なぐりの雨が絶え間なく降りしきっていて滅多に太陽が顔を出さないようなものだ!

悲しいことやつらいことばっかり!

“女と金”の雨雲で太陽が見えない。

わたしにこう聞く人がいるよ――『先生、では、なぜこんな世の中を神はお創りになったのですか?

我々には助かる方法がないのですか?』と」

「わたしはこう答える――方法がないわけはないだろう?

あの御方にすべてを委ねろ。

一生懸命あの御方に祈れ。

順風(おいかぜ)が吹くようにと――。

諸縁如意吉祥であれと――。

ある人の息子が病気で死にそうになった。

その人は夢中になってあちこち治療方法をききまわった。

するとあるところで、これができたらきっと治るという方法を教わった。――スワィテー星座が上がったときの雨が人間のガイコツのなかに溜まる。

その水を蛙が飲みにくる。

その蛙を一匹の毒ヘビが追いかけてくる。

蛙を咬もうとした瞬間に蛙はピョンと跳んで逃げ、ヘビの口から毒液がタラリとその水の中に堕ちる。

その毒水を病人に飲ませることである。

その人は、是が非でもその薬を手に入れようと決心して、スワティー星座の上がった夜、旅立った。

ちょうど雨が降ってきた。

その人は熱心に神に向かって願った――『神様(タクール)!シャレコウベを恵み給え!』

熱心にさがすと一つのガイコツがころがっていて、雨水が溜まっている。

彼は祈った――『神よ、助け給え!

また願わくは、蛙とヘビをここに与え給え!』

その熱意に応えるかのように事は進んだ。

そこに一匹のヘビが蛙を追ってきて、咬もうとした瞬間に蛙に逃げられ、口にたまった毒がシャレコウベの中に落ちたんだよ。

神様におすがりして熱心に祈れば、あの御方はきっと聞きとどけて下さるとも。

何事もいいようになるんだよ」

 

大佐

「何とも、すばらしい例え話ですなあ!」

 

聖ラーマクリシュナ

「うん、あの御方が何でも都合よく運んで下さる。

たとえば結婚せずにすんで、心の全部を神様に捧げられるとか、または兄弟が生活費を稼いでくれるとか、息子が成人して、もう俗事は全部その子に任せておけるとかね。

そうなれば、お前は安心して十六アナ(100%)の心を神に向けることができるというものさ。

でも、女と金を捨てなけりゃダメだ。

あれを捨てると無智も無明も消える。

ガラスレンズの上に太陽の光線を当てると、下のものは皆、燃えてしまう。

しかし、部屋の中でそうしてもダメだろう。

暗い部屋から外へ出なけりゃ、そうはならない。」

「智慧を身につけてから世間で暮らす人もある。

彼らは部屋の内も外も見ることができる。

智慧の明かりで世間を見るから、良い悪いも、永遠のものも一時的なものも、みんなその明かりで見分けられる。

無智で神を信じようとも認めようともしない人たちは、土造りの部屋の中で暮らしているようなものだ。

ほんのわずかな隙間から差し込む光線で、部屋の中だけどうやら見えるんだよ!

智識を得て、神を知ってから世間で暮らしている人たちは、ガラス張りの部屋にいるようなもの。

部屋のなかも、部屋の外のものもはっきり見える。

智慧の太陽の光は、ふんだんに部屋のなかに入ってくるからね。

その人は部屋のなかのものをハッキリすみずみまで見ることができる。

どれが良いか、どれが悪いか、どれが永遠のものか、どれがその場かぎりの頼りないものか――神ひとりが行為者、ほかのものは皆、あの御方の道具だ。

だから、どんな智者でも高慢でいられる筈がない。

シヴァ大神の讃歌をつくっている人が、あまりうまくできたのでつい慢心してしまった。

ところが、あるとき、シヴァの乗り物である牡牛が歯をむき出して見せた。

それを見て、彼の高慢の鼻はペシャンコになった。

牡牛の歯の一つ一つが真言マントラ)だったんだよ!

これはどういう意味かわかるかい?

真言はすべて、無限の過去から、始めなきはじめから存在していた、ということなんだよ。

作者はそれを発見したにすぎないんだよ。

宗教の教師を職業にするのはよくない

神のお許しがなければ、霊的指導者(アーチャーリヤ)にはなれない。

自分で「私は教師(グル)だ」などと言っているのは至って知性の低い人間だ。

天秤ばかりを見たことがあるだろう?

軽い方が上に上がっている。

自分を高く言う人は軽いということさ。

猫も杓子も先生、先生と言われたがる!

弟子になって学ぼうという人は滅多にいない!」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

虚妄の名声を求めず妄想を払い除けた人

執着心を克服し 欲を無くした人

苦楽の二元性を超越して真我(アートマン)に安住する人

このような人々は至上神に順(したが)うことを知って永遠の楽土に入る

 

わたしの住む至高妙楽の住処(すまい)は

太陽も月も火も電気も必要とせず

ただ自ら光り輝いている

ここに来た者たちは決して物質界に戻らない

(バガヴァッド・ギーター第15章5-6)

 

 

  

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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プラーナについて(2)

私たちは、自分を肉体だと思い、肉体という物質を維持するために、多くの時間を費やしますが、

この肉体と言う物質を維持管理し動かしているのは、実は、エネルギー(プラーナ)なのです。

 

かと言って、エネルギー(プラーナ)は、この肉体を動かすためにあるのではなく、肉体という器を通して、エネルギー(プラーナ)がこの物質次元に顕現している、という構図になっていると考えてみて下さい。

 

主役は、肉体ではなく、エネルギー(プラーナ)の方だと。

 

肉体という器がなければ、この物質次元に在ることは不可能なので、私たちは、肉体を一番大切にし、維持管理に多くの時間と手間をかけますが、本当に、肉体を在らしめているのは、プラーナなのです。

 

それでは、プラーナについて理解を深めるために、更に詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマは精密な科学だ。

アシュタンガ・ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)の八支則では四番目に当たる。

パタンジャリは、ヨーガ・スートラのⅡ章49節で、プラーナヤーマを次のように定義している。

 

「呼吸の調整もしくはプラーナの制御とは、安定した姿勢や座法、すなわちアーサナを完璧にすることによってもたらされる呼吸の停止である。」

 

呼吸とは、プラーナすなわち生命力が外界に姿を現したもの。

ちょうど電気がそうであるように、呼吸も、粒子の粗いプラーナだといえる。

ただ、呼吸は粗雑なステューラ(粗い)界に属しており、プラーナは精妙なスークシュマ(微細)界に属している。

ゆえに、呼吸の制御法を調整すれば、内なる精妙なプラーナを制御することが可能である。

心は、プラーナの助けなしでは機能しない。

プラーナが振動することで初めて、心にいろいろな考えが浮かぶ。

心を動かすのはプラーナなのだ。

心はプラーナの力で初めて動き出す。

スークシュマ・プラーナ(微細なプラーナ)、すなわち霊的なプラーナは、心と密接な関わりを持っている。

呼吸の重要さは、エンジンと駆動輪の関係に似ている。

運転中に駆動輪を停止すれば、他の車輪も止まってしまうように、ヨーギが呼吸を停止すれば、他の臓器も働きを止める。

駆動輪を制御することができれば、他の車輪は容易に制御できる。

同様に、外から見える呼吸を制御することができれば、内にある生命エネルギーであるプラーナを制御することは容易だ。

呼吸を調整することで、内にひそむプラーナを制御する過程を、プラーナヤーマと呼ぶ。

金細工師は、熱した炉で金を溶かして不純物を取り除く。

炉を熱するためには、火吹き棒を強く吹かねばならない。

同様に、ヨーガでは、プラーナヤーマによって肺に空気を送ることで身体と感覚器官(インドリヤ)から不純物を取り除く。

プラーナヤーマの主な目的は、プラーナとアパーナを結合させてプラーナパーナ(プラーナとアパーナがプラーナヤーマによって結合したもの。プラーナ気とアパーナ気をプラーナヤーマ、バンダ、ムドラーなどを行うことで合一させ、スシュムナー気道に上昇させることがハタ・ヨーガの目的である。その合一した気をプラナパーナという)とした後、それを徐々に頭部にまで上げていくことである。

そしてプラーナヤーマの成果とは、クンダリーニを目覚めさせることである。

 

ヒンドゥー聖典(シュルティ)には“プラーナを知る者はヴェーダを知る者である”という重要な一説がある。

ヴェーダンタの経典には“同様に、呼吸はブラフマンである”と書かれている。

プラーナとは宇宙に姿を現したすべてのエネルギーの総和のこと、そして、自然界の力の総和でもある。

プラーナとは、人間の中に秘められている潜在的な力や、私たちの周囲のあらゆる場所に潜んでいる力の総和だ。

熱、光、電気、磁気は物質化したプラーナといえる。

エネルギー、力、プラーナはすべてアートマン(真我、至上我)から湧き出した泉だといえる。

物質的なエネルギーも精神的なエネルギーもプラーナに属している。

プラーナは、高等、下等を問わずすべての生物に働いている力である。

動くもの、生命あるものはすべてプラーナの顕現に外ならない。

アーカシャやエーテルと呼ばれるものもまたプラーナの現れ方のひとつである。

プラーナは心と繋がっており、心は意志と、意志は個々の魂と、個々の魂は至高の存在と繋がっている。

プラーナは小さな波となって心の中に広がっていく。

その波を制御する方法がわかれば、宇宙に遍在するプラーナを意のままにする秘訣が明かされるだろう。

この秘密を熟知するようになったヨーギは、いかなる力をも恐れることはない。

宇宙に存在する力をすべて支配下に置いているのだから。

人格的なパワーとして一般に知られているものは、持って生まれたプラーナを操る能力の大小にすぎない。

世の中には、他の人よりも成功を収める人や、大きな影響力を持つ魅力的な人が居るものだ。

それはすべて、このプラーナの力による。

そのような人たちは、毎日、知らず知らずのうちに自分の影響力を行使している。

それは、ヨーギが意志の指令によって意識的に使うのと同じ力だ。

偶然、自分でも気がつかないうちにプラーナと遭遇し、様々な呼び方をつけて、低俗な目的のために使う者もいる。

心臓が動脈へと血液を送り出す際に行う収縮や拡張、呼吸をする際の息を吸ったり吐いたりする動き、食物の消化、尿や便の排出、精液、消化酵素、胃液、胆汁、唾液の製造、まぶたの開閉、歩く、遊ぶ、走る、話す、考える、推理する、感じる、望むなど、すべての中にプラーナの働きを見出すことができる。

アストラル体(霊体)と物質的な肉体とを繋いでいるのもプラーナである。

その細い糸状のプラーナが切れた時、死が訪れる。

それまで肉体の中で働いていたプラーナは、アストラル体の中に引き戻される。

宇宙が活動を始める前、プラーナは精妙で動きがなく、非顕現で未分化の状態に留まっている。

しかし、ひとたび振動が起こるとプラーナが動き出し、アーカシャに働きかけて様々な形の力をもたらす。

大宇宙と小宇宙(大宇宙の大我に対して個々人を個我、小宇宙とみなすインドの宇宙観)は、プラーナ(エネルギー)とアーカシャ(物質)の融合したものだ。

汽車や汽船の蒸気機関車を動かすのも、飛行機が飛ぶのも、肺を動かして呼吸させるのも、その呼吸をさせるための活力源そのものもプラーナなのだ。

これで、プラーナという言葉について曖昧な概念しかなった方にも、包括的に理解してもらえたと思う。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「(校長に)ハズラーはバラモン(祭祀階級)に生まれなければ解脱できない』と言うんだよ。

わたしは、『とんでもない!誰でも信仰を持っていれば解脱できるんだ。

シャヴァリーは漁師の娘だし、ルヒダスは食事のとき鐘を鳴らす、そういう仕事(シュードラ(隷属民)の仕事)をしていたんだよ。

でも解脱しただろう。

この人たちは信仰によって解脱したんだよ!』と言ってきかせるのに、ハズラーめ、まだ『でも!』と言うんだ。

わたしはね、『欲のない信仰、無条件の信仰ーーこれ以上のものは何もない』といつも言っている。

ハズラーはこれに反対するんだよ。

何かものをねだりそうな連中がやって来ると、金持ちはうんざりしてーー腹立たしそうに、『奴が来たよ!』と言う。

そして部屋に入ってくると、一種独特の口調で、『まあ、お坐んなさい!』と言うが、いかにも不機嫌な顔付きだ。

何か欲しがるような人を自分の馬車には乗せないよ。」

するとハズラーは、『神はそういう金持ち連中とは根本的に違うでしょう。

あの御方は無限の富と力を持っているのですからね。

人にくれたって、ちっとも困りませんよ』と言う。

それから又、ハズラーはこんなことも言うんだよーー『空から雨が降れば、ガンジス河やほかの大きな河も大きな湖や池も水であふれます。

同時に、その辺のちっぽけな貯水池や水たまりまで水がいっぱいになります。

あの御方のお恵みは、信仰や智慧を下さるだけでなく、富だって下さるのですよ』と。

だがこれは、ちょっと汚れた信仰だよ。

純粋な信仰には、おかげを欲しがる気持ちはないんだ。

お前はここに来て何ももらおうと思っていないだろう。

ただ、わたしに会って、わたしの話を聞くのが好きだから来るんだね。

わたしもお前のことをいつも気にかけているしーー”どうしているかしら””どうして来ないんだろう”--いつもそう思っているよ。

何も求めない、ただ好きで愛しているーーこれを無条件の信仰と言うのさ。

純粋な信仰と言うのさ。

ブラフラーダはそういう信仰を持っていた。

領地もいらない。権力も富もいらない。

ただ、神だけを求めていた」

 

「牛飼い乙女(ゴービー)たちの信愛は、聖愛(プレーマ)の信愛(バクティ)だ。

貞操堅固な信愛、不動の信愛だよ。

貞操堅固でない信愛というのは、どういうものだか知っているかい?

知慧のまじった信仰だよ。

クリシュナがすべてのものに成っておられる、あの御方が至高梵(パラブラフマン)であり、ラーマであり、シヴァであり、造化力(シャクティ)である、と思っているような信仰のことだよ。

けれども、こういう知識は聖愛の信愛の中には入ってこない。」

 

一信者

「知慧のまじった信仰と、愛の信仰と、どちらがすぐれているのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「神様が大好きにならなけりゃ、愛の信仰は生まれない。

それに、“私のもの”という知慧がね。

三人の仲間が森に行って虎に出くわした。

一人が言った。

『みんな!ここでオダブツだ!』

もう一人が、『なぜ?神に祈って助けてもらおう』

すると残りの一人が、『いやいや、こんなところで、あの御方に面倒かけたくない。

さあ、この木の上に登って助かろう』

『もう、オダブツだ』と言った人は、我々を護ってくれる神の存在を知らない人。

『神に頼もう』と言ったのは知者だ。

神が創造、維持、破壊のすべてをなさるのだということを知っている。

それから最後に、『あの御方に面倒かけたくない、木の上に登ろう』と言った人は、神を愛し、神様が大好きなんだよ。

その愛の性質は、愛するものより自分の方が強い、と感じていることだ。

面倒をかけまいとするんだよ。

好きな相手の足にトゲの一本も刺さらないようにするのが、この人の願いなんだ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

上下に拡がる枝は物質自然(プラクリティ)の三性質(グナ)に養われ

無数の小枝は感覚の対象ーー

この樹にはまた下方にのびる根もあって

人間社会の名利を求める仕事に結びつく

 

この世界に住む者にはこの樹の姿が見えず

始まりなく終わりも根ざす所もすべてわからない

だが人は大決心をして”無執着”の剣をふりあげ

この頑強な根をもつ樹を切り倒すべきである

 

そして不退転の境地を求めよ

そこは全てのものが始まり そこから

全てのものが展開している元の元なる一者

即ち至上神に全託する境地である

(バガヴァッド・ギーター第15章2-4)

 

 

 

 

 

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プラーナについて(1)

前回までに<食物についての識別>でマクロビオティック食事法についてご紹介しましたが、その内容は、食物の持つエネルギーについて考えるヒントとなったことと思います。

 

そして、一例ではありますが、食物について意識的に摂取するようになればなるほど、食物が私たちに与えているエネルギー的な影響について、体で体感できるようになると思います。

 

そうなると、頭で考えずに、体で、今どういう食べ物を必要としているか、また必要としていないか、を見分けることもできるようになります。

 

必要としていない食べ物を食べて、不要なエネルギーを取り込むことは、エネルギーの停滞を生み、それが続くと、体のバランス状態が崩れるようになり、やがて、病となることもあります。

 

私たちの体は、エネルギーバランスを崩すと、体調不良になり、バランスが取れている状態の時は、健康で元気でいられるように作られているのです。

 

食物の識別の知恵を、日々の生活で役立てていくと、それはそのまま、スピリチュアルな探求にも役立つことと思います。

 

さて、今回からは、以前にも少しご紹介したことがありますが、「プラーナ」について、もう少し詳細に理解するために、いくつかの解説をご紹介したいと思います。

 

「プラーナ」とは何なのか?

 

日本人には、あまり馴染みが無い「プラーナ」ですが、人間を肉体ではなく、更に微細な霊体(エネルギー体)と見た時、この「プラーナ」がとても重要なポイントとなってきますので、もう少し理解を深めて行きましょう。

 

「プラーナ」は、特にヨーギー(ヨーガ行者)の方々には、非常に重要なキーワードとなっているようですので、それぞれのヨーギーが「プラーナ」について述べている解説をご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマのプラーナとは、全宇宙に遍在する生命エネルギーのことです。

この根源的エネルギーは、生物ばかりでなく、無生物、たとえば石にもあって、それを成り立たせているのです。

宇宙の根源的エネルギーといえるこのプラーナは、人間の呼吸と密接な関係があり、呼吸によってプラーナを摂取することができます。

空気、酸素もプラーナの一つのあらわれと考えてよいのですが、プラーナそのものではありません。

プラーナは、空気よりも、もっと微細で、もっと根源的なものなのです。

ヤーマは、コントロールするという意味です。

したがって、プラーナヤーマとは、プラーナをコントロールする技術ということになります。

それも、全宇宙のプラーナをコントロールするというのではなく、まず、私たちの身体を流れ、身体を生かしているプラーナをコントロールすることです。

 

プラーナヤーマを、ともすれば呼吸法と解釈し、単に酸素を身体に多くとりいれる方法と考える人もいますが、それはプラーナヤーマの一面にすぎません。

むしろ、今、空気と共にプラーナを吸っていると強く思うことによって、微細身(微細なエネルギー体)の次元でのプラーナを摂取し、微細身の中を流れるナディ(エネルギー経路、経絡)にそれを供給し、ナディのセンターであるチャクラを通じてこの微細身のエネルギー(プラーナ)を、物理的次元の生命エネルギーに転換して、これを、仙骨、神経系、経絡などを通じて肉体に供給し、肉体を活性化して健康にするのが、プラーナヤーマの目的なのです。

したがって、プラーナヤーマは、微細身、肉体にそれぞれの次元でプラーナを摂取し、これを微細身、肉体の各部分にそれぞれの次元のエネルギーとして供給し、それらを活かす、プラーナのコントロール法と考えてよいでしょう。』

密教ヨーガ  本山 博)

 

 

「プラーナ」について、次回は、また違った解説をご紹介いたします。

 

 

聖ラーマクリシュナ

「神をつかめばすべてわかってくる。

あの御方こそすべてであり、あの御方こそ宇宙なんだ。

あの御方がヴィラート(宇宙を身体としている神)だ。

あの御方が完全円満なサッチダーナンダで、あの御方がすべての生き物とこの宇宙になっていなさるんだ」

 

「修行が大切だ。

ただ聖典やお経を勉強しただけではダメ。

見ろ、ヴィディヤサーガルをーー。

たいそうな学問をした人だが、自分の内奥に何があるのか気づいていない。

子供たちに読み聞かせを教えて喜んでいる。

至聖(かみ)の喜びを味わったことがないんだ。

勉強しただけで何になる?

どれだけのことが身につく?

暦には雨の予報がのっているが、暦をしぼったって一滴の水も落ちてきやしない」

 

マヒマー

「世間でくらしていると用事が多うございまして、修行をする暇がなかなかありません」

 

聖ラーマクリシュナ

「そういうことは皆、夢まぼろしだと、お前、自分で言っていたじゃないか?

目の前に広がった海を見て、ラクシュマナは弓矢を手にしたまま怒って言った。

『私はヴァルナ(水の神)めを殺してやります。

この海があるために、私たちはランカー(スリランカ)ヘ行けないのですから』

するとラーマはお諭しになったーー

『弟よ、目に見えるものはすべて夢だよ。

はかない一時的のものだ。

海も一時的なものーー。お前の怒りも一時的のものーー。

夢を夢で殺すーーこれまた夢だ』」

 

聖ラーマクリシュナ

「(マヒマーに)シャンプーがいつか言っていたがね、『私は自分の財産を善いことに使おうと思っています。

たとえば学校や施薬所を建てたり、道路や水汲場を造ったりしてーー』

わたしは言ったよーー『無私の気持ちでそういうことが出来るなら、それもよろしい。

しかし、無私の行為というのは、とてつもなく難しいよ。

どこからともなく欲や執着が忍び込んでくる!

それからもう一つ聞くが、もし神様がお前にじかに会って下すったとき、お前は、学校や施薬所や病院を建てさせてくれ、とお願いする気かい?』」

 

一人の信者

「先生!では、世間にいる人々はどうすればよろしいのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

サードゥ(行者)と交うこと。

そして、神についての話をきくことだ。

普通の人たちは正気じゃないんだよ。

女と金に中毒しているんだ。

酔っ払いには米の研ぎ汁を少しずつ飲ませてやるとだんだんと正気づく。

それから、正しい師(サット・グル)のもとで教えをうけること。

正師(サット・グル)には特徴がある。

カーシー(ベナレス)に行って見てきた人にカーシーの話を聞くことだ。

ただ学識があるだけの人はだめだよ。

”世間のことはごく一時的のはかないものだ”ということがわかっていない学者に教えをうけるべきではない。

学者も、識別(ヴィヴェーカ)と離欲(ヴァイラーギャ)の精神をもった人なら、教えを与えることができる。」

 

「俗人というのは酔っぱらっているんだよ。

いつも”この私がこういうことをしている”と思っている。

家も家族も自分のものだとーー。

歯をむき出してムキになって言うーー

『妻子はどうなりましょう!

もし私に万一のことがあれば、妻子はどうして生きていくのですか?

”私の”家族を誰がみてくれるのですか?』

ラカールもこう言ったよーー『”私の”妻はどうなるのでしょう!』」

 

ハラモハン

「ラカールがそんなことを言ったのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「そりゃ、そう言うだろうよ。

智識のある人は無智もある。

ラクシュマナがラーマにこう言ったーー『ラーマ!何て不思議なことでしょう!

この偉大な聖者であるヴァシシュタマ様が、息子を亡くしたからといって悲しみに沈むとは?』

ラーマはおっしゃったーー『弟よ、智識ある人は無智をも持っている。

だから弟よ、智と無智を超えて行け』と。

誰かが足にトゲを刺したら、それを抜くために別のトゲを使う。

トゲでトゲを除った後は、両方のトゲを投げすてる!

無智のトゲを除るために、智のトゲを使わなけりゃならぬ。

用事がすんで智と無智の二つのトゲを捨ててしまったのが大智(ヴィジュニャーナ)だ。

神の存在をはっきりと覚って、その御方を特別に知って、そして、親しくならないけりゃーーこういうのをヴィジュニューナというんだよ。

だからクリシュナはアルジュナに言いなすったーー『汝、三性(トリグナ)を超越せよ』と。

このヴィジュニャーナを得るためには、明知現象(ヴィディヤー・マーヤー)の助けをかりなくてはならない。

神のみ永遠の真実在、宇宙世界は一時なものという決断(かんがえ)--つまり識別(ヴィヴェーカ)と離欲(ヴァイラーギャ)だ。

それから神の名をとなえること。

神を讃える歌をうたうこと、瞑想すること、サードゥと交わること、祈り--こういうものはみな明知現象(ヴィディヤー・マーヤー)に入る。

明知現象は屋根へと上がるための最後の階段ーーもう一段上がれば屋根というところだ。

屋根に上がるというのはーーつまり、神をつかむたとえだ。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 根は上に 枝は下に

葉の一つ一つがヴェーダの讃歌

決して枯れない菩提樹があるという

この樹を知る者は全ヴェーダを知る

(バガヴァッド・ギーター第15章1)

 

 

 

 

 

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チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(16)

私たち人間だけでなく、生物全般は、この世での存在を維持するために、いろいろな形に変換されたエネルギーを必要としています。

 

少し考えただけでも、食物、水、空気、熱(温度)、光などが思い浮かぶことと思います。

 

これらは、異なる波長のエネルギーですが、それらは、どれもが、人間にとっては必要不可欠であることは明白です。

 

しかし、近年は、自然由来のエネルギーに加えて、人工的に作られたエネルギーが登場してきたことで、昔よりあまり馴染みのないエネルギーに対して、より多くのことを考えなくてはならない状況へと変わりつつあります。

 

それは、快適さ、便利さ、と引き換えに、自動的に生じる現象ではあるのですが、人間の、特に肉体におけるマイナスの影響が大きいものがあり、生物としての進化の過程から見ると、人間の肉体面に大きな変化をもたらすリスクを感じるものが多々あることは否めません。

 

このことは、「見神」とは直接的な関係はありませんが、エネルギー的に見ると、不必要な高エネルギーを受けることは、自然エネルギーの螺旋回転を妨害する可能性があるということが言えます。

 

放射能汚染などもその一例ですが、高エネルギーは浴びれば良いということではなく、人体に有害である場合が多いということを念頭に置いて、食品選び、生活様式の選択の際に役立てることが、本当の生きる智慧と言えます。

 

水道水よりは、塩素消毒をしていない自然水(ミネラルウォーター)、電磁調理器具よりはガスでの調理、など、身の回りの電磁波や食品添加物に意識を向けるだけでも、身体が受けるエネルギーの質が変わります。

 

このエネルギーの質が悪化すると、病気になったり、精神的に問題が生じたり、心身にその影響が現れてくることがありますので、要注意です。

 

今回も、前回の続きですが、<食物についての識別>は、今回が最後となります。

 

 

 

『<電子レンジや電子レンジによる調理>

現代社会では、約90%の家庭で電気レンジもしくは電子レンジが使われている。

一秒間の振動数で見ると、電気レンジが60回であるのに対し、電子レンジの場合は、200万回以上に達している。

この強烈な振動は、食べ物の細胞状態はもとより、それを消化・吸収する人にも影響を及ぼす可能性がある。

医学研究によれば、電子レンジで調理した食品は、主に血液および免疫機能に変化を引き起こし、その中には、ヘモグロビンの減少・ヘマトクリットと白血球の増加・コレステロールの増加・リンパ球の疾患などが含まれる。

これらの血液やリンパの成分は、多くの疾患や感染を予防する前衛の役割を果たすものである。

電子レンジによる調理は、食べ物自体にも変化を与え、酸味の増加・たんぱく質分子の損傷・脂肪細胞の膨張・葉酸値の低下などをもたらし、母乳の質も低下させる。

食べ物が十分に調理・加熱されていない冷えた個所には、サルモネラ菌の変種などの有毒な細菌類の生息が観察されている。

エネルギー的観点からすれば、こうした状態の大半は、極陰性なもので、分散作用があり、体細胞に損傷・劣化・腐敗を引き起こす。

電気による熱調理は、電子レンジほどは破壊的ではないが、消化・循環・神経の各機能を狂わせ、精神の集中力が低下するなど、全般的に衰弱させる作用がある。

このことは、近年実施された医学研究の動物実験で、一秒間に60回という(電気調理に似た)電界にさらされた細胞にがん化の兆候が観察され、裏づけられている。

 

<化学的に栽培・加工された食品>

食べ物の栽培・加工・保存に使われる化学薬品は、数千種類にのぼる。

これらの薬品は、総じて極陰性であり、分散・分解・崩壊作用を持ち、血液を劣化させ、感染の可能性を高め、治癒を遅らせる。

除草剤・化学肥料・その他の化学薬品を摂取すると、かゆみ・過敏症・神経系の症状が見られることが多い。

不整脈・ホルモン障害(特にエストロゲンかく乱物質[訳注:環境ホルモンの一種である内分泌かく乱物質のこと]として知られる新たな薬品および環境破壊有毒物質に起因するもの)・アレルギー反応など、軽症から重症のものまで、多様な反応も次第に表面化してくる。

考えが散漫でまとまらず、怒りっぽくなり、狂暴で突飛な行動をするなど、心身ともに奇怪な行動が見られるのは、食べ物に含まれる化学薬品による直接的な影響である場合が多いだろう。

学習障害(LD)や多動症など、子どもに見られる疾患は、鶏肉や卵、魚卵などのとりすぎのほかに、特定の合成着色料・除草剤・化学薬品との関連性が指摘されている。

社会的・文化的側面では、無秩序な音楽・絵画・映画などの芸術は、摂取された農薬散布栽培・添加物入り・人工的製法の飲食物の排出現象を表している。

 

<遺伝子組み換え食品>

総じて遺伝子組み換え食品(GM)には、これまで数百万年にもわたる自然の進化によって徐々に獲得されてきた強力な健康維持の充填エネルギーが欠落しているため、活力を奪い衰弱させる作用を持っている。

長期間の総合的研究はまだ実施されていないが、予備調査によれば、アレルギーの増加・肺疾患・肝臓への負担・胃腸や血液の損傷・性的能力や生殖器の成長の遅れ・不感症の増加・先天性障害の危険率上昇・病気の進行といった広範囲に及ぶ影響が観察されている。

多くのGM食品は、その栄養成分が変質したり減少したりしている。

例えば、GM大豆は、本来の自然なものに比べて、植物性エストロゲンの含有量が12~14%低下している。

植物性エストロゲンには、心臓病・がん・その他の慢性疾患を予防する働きがある。

またGM食品は、新種のウイルスや細菌による疾患を発生させ、ヘルペスエイズ・その他の性行為感染症に対する抵抗力を弱めて、人体にとって未知のたんぱく質を取り込むことで、これまでの世代には知られていない作用を生殖細胞に及ぼす可能性も予測されている。

新たなGM食品を消費するエネルギー的効果として、社会的な暴力行為の増加・中でも10代の子どもたちによる銃の乱射が多発するのではないかとの懸念が持たれる。

第一に指摘される点は、大半のGMトウモロコシ・大豆・綿花には、変種バクテリアのBT菌が含まれていることで、それがすべての細菌に接合され、内臓された除草剤として作用する。

ところが最近の科学研究によれば、この毒素は、オオカバマダラチョウなどの幼虫などの益虫も同時に殺してしまうことが判明している。

研究者たちは、子どもたちが体内に取り込むか浴びた除草剤とかんしゃく・攻撃性・暴力の増加傾向との相関性を指摘し始めている。

GM食品の多くは、微生物培養用のシャーレに向けて望ましい遺伝子を充填した「遺伝子銃」を発射させ、元の種子の細胞中にあるDNAを蹴散らす方法で作り出されているのが、第2に指摘される点である。

微細な銃弾をDNAに撃ち込む手法は、カリフォルニア大学デービス校で開発され、当初は、22口径または45口径の銃が使われていた。

従来型のありふれた種子がシャーレの中に入れられ、銃による組み換えられた有機体の発砲を繰り返された後、植えつけられて、新たなGM作物が誕生したのである。

エネルギー的観点から見れば、銃弾を浴びたDNAに由来する食品を摂取することは、人間の細胞・組織・思考・意識に破壊的暴力的効果をもたらすものである。

今日、スーパーマーケットや自然食品店に並ぶ食品の70%に遺伝子組み換え原料が使われているのが現状である。

このような試験されず表示もされないままの食品が、全米市場に広く普及していることは、近年の学校や地域における暴力行為の増大という現状の背後に潜在しながら、正当に評価されていない要因のひとつであろう。

 

人は、その食べたものによって形成されるという観点からすれば、私たちは、自らが口にした食べ物の栄養成分や物質的構成要素とともにそのエネルギーや振動を吸収している。

マクロビオティック食事法では、農耕作業や調理過程も含めたあらゆる段階において、穏やかで平和な心持ちを保持することに重きを置いている。

質の高い食事とは、ただ単に純粋自然な全般の姿で、化学薬品・放射線照射・遺伝子操作と無関係な食品というだけでなく、調和の取れた精神によって育てられ、加工され、調理された食事のことを指すのである。

古来、農民たちは、自分たちが収穫した作物をたたえ、加工する際には、ゆっくりとした速度の自然な手法を用い、料理人は、調理にあたって自らの思想と祈りを込めながら、力強く健全なエネルギーを料理に傾注してきた。

現在、広く一般に普及しているのは、まさにこのような伝統と好対照をなす状況である。

現代的な食事は、伝統製法の自然な発酵・醸造・保存の各工程を高エネルギー手法によって人工的に加速され、製造・加工・精製されたものを食材として用い、台所においては、電気レンジや電子レンジなどの高エネルギー調理器具によって生み出された無秩序な振動が食べ物に侵入し、その影響を細胞や組織・思考や感情に直接及ぼしている。

家庭は、往々にして家族対立の戦場と化し、料理をすることは可能な限り回避され、怒り・虐待・怠惰が台所や食卓の至るところに撒き散らされている。

良好な健康状態・研ぎ澄まされた意識・高いスピリットを回復させ、それを保持していくためには、命の糧となる素材や食べ物が持っているエネルギーに対して感謝の気持ちを抱いた、本来の自然に沿った食べ方を再び復活させることが重要である。』

   (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

一人の信者が、「神は形があるのですか?

それとも無性無形のものなのでしょうか?」と質問した。

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方は形があって、しかも形がない。

一人の出家がジャガンナートにお参りした

お参りしてから心に疑問が生じた。――『いったい、神には形があるのがホントウか、それとも形がないのがホントウか?』

ちょうど手に杖を持っていたので、それで試してみることにした。

ホントウに神がそこにいるのかどうかをね。

――杖が神像にさわれば形がある、さわらなければ形がないのだろうと。

はじめ、杖をこちら側からあちら側に(神像のあるところに)動かしてみたら、全然神像にさわらなかった。――そうか、やはりタクール(神)の形は、ホントウは無いのか!

それから、あちら側からこちら側に杖を動かしたら、こんどは杖は神像にあたった。

そこで出家は悟ったというよ、神は有形でもあり、無形でもある、と。

しかし、このことを理解するのは大へんな力がいる。

形のない御方がどんなわけで形を表すのか?

この疑問が起こるわけだよ。

しかも、形をとるにしても、どうしていろいろさまざまな相(すがた)になるんだろう?」

 

「神をつかまないうちは、こういうことははっきりと理解できないよ。

求道者のために、あの御方はいろいろな姿で、いろいろな方法で現れて下さるんだよ。

あの御方は形が無いし、また形もある。

どんなふうなものなのかわかるかい?

サッチダーナンダは果てしない大海のようなもの。

信仰の冷やす力で、どころどころに氷ができている。

水が氷の形に固まっている。

つまり、信仰者のためにあの御方は形をとって現れて下さるんだよ。

そしてまた、智識の太陽が上ればその氷は溶けてしまう」

「つまり、“ブラフマンのみ真実、世界は虚仮(まぼろし)”と分別のきわまたところで三昧に入ると、形や相(すがた)は蒸発してしまう、ということさ。

そうなるともう、神を“人格(person)”としては感じられなくなる。

あの御方はどんなものか、口では言えなくなる。

いったい、誰が言うんだい?

言うべき御方もいなくなったんだから--。

その御方の“私”は、どこを探したって無い。

そのときブラフマンは、無性――絶対(Absolute)だ。

その場合、あの御方はただ“覚”として現れるだけだ。

普通の心や知性では、あの御方は理解できない(Unknown and Unknowable)。

だから、言うんだよ。

信仰は月、智識は太陽だと。

聞くところによると、うーんと北と南の方には海があるそうだね。

そこはとても寒いので、海の水がでかい塊になっちまっている。

汽船も通れない。

氷が邪魔になって先には行けないんだとさ」

 

医師

「ですから、信仰の道に進むと、障害物にぶつかるということです」

 

聖ラーマクリシュナ

「うん、まあ、それもそうだが、別に害にはならないんだよ。

だって、サッチダーナンダの海の水が氷になったんだもの。

もし、もっと考えたかったら、もっと“ブラフマンのみ実在、世界は虚仮(ウソ)”と考えつづけていたかったら、そうしていてもいいんだよ。

智識の太陽で氷が溶けていくだろう。

あのサッチダーナンダの海に溶けてしまうんだよ」

 

「分別判断の極まったところで三昧に入ると、オレもワタシもなくなる。

でも三昧に入ることはとてつもなく難しいだよ。

この“ワタシ”というやつは、どうにもこうにも追ン出て行かないんだ。

追ン出せないものだから、また何度も何度もこの世に生まれて来るんだよ。

ごらん、牛はハムバー、ハムバー(わたし、わたし)と啼くからどんなに苦労するか!

一日中スキにつながれて――降っても照ってもさ!

そうでなけりゃ、肉屋に売られて切られてしまう。

それでお終いじゃない、皮はナメされて靴に作られる。

さいごに血管や腸が糸梳き用のヒモになる。

そして糸梳き職人の手で使われると、トゥフ、トゥフ(あなた、あなた)と音をたてるようになって、やっとこれで解放される。

人が、“ナハン、ナハン(私じゃない、私じゃない)“――つまり、ワタシなんてものはない、おお、神さま、あなただけ、あなただけがすべてをなさる、あなたがご主人で私は召使い――と、こう思うようになると、すっかり楽になる。

それが解脱なんだ」

 

「あらゆる道を通ってあの御方をつかむことができる。

ちょうど、お前たちがこの寺へ来るのに馬車に乗ってくる人もあり、ボートか蒸気船で来る人もあり、または、歩いて来る人もある、というようなものだ。

自分の好みと生まれつきの性分に応じて、それぞれの方法で来るんだよ。

目的地は一つだ――先に着くか後で着くかの違いだけ」

 

「ウパーディ(肩書きや称号など。例えば――“私は学者だ”“私は何某の息子だ”“私は金持ちだ”“私には身分がある”)がなくなるほど、あの御方がそばに来て下さる。

高い土手には水は集まらない。

低い土地に集まる。

そんなふうに、あの御方の恵みの水は、高慢なところには集まらない。

あの御方の前に、人はできるだけ低い謙虚な態度でいるのがいい。

よくよく注意しなければいけない。

着るものさえも慢心の原因になる。

脾臓肥大の病人が黒い縁取りの腰布を巻くと途端に、ニドゥ旦那の軽い歌をうたい出したのを見たよ。

ブーツをはくと途端に、英語をしゃべり出す人もいるよ!

ふさわしくない人間が赫土色の衣(僧衣)をつけると高慢になる。

ちょっとばかり軽く扱われただけで腹を立ててムッとする」

 

「熱心にならなくては、あの御方に会うことはできない。

この熱心さは、いろんな経験(人生の悲苦)を卒業した後でなければ起きない。

女と金に囲まれて生活していて、まだ、それらが原因で起こるさまざまの経験を卒業していない連中には、神を慕う情熱は芽生えない。」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

いかなる場合でも身心を尽くして

わたしを信じ愛し仕える者は

速やかに物質自然(プラクリティ)の三性質をのり越えて

ブラフマンに到達するであろう

 

そしてわたしがブラフマンの住処である

即ち 不死不滅の全一者

永遠の法則(サナータナ・ダールマ)であり

絶対の幸福*である」

(バガヴァッド・ギーター第14章26-27)

*幸・不幸の相対を超越した大歓喜

ブラフマンの本質をサーチダーナンダという。

永遠の実在(サット)

完全円満な智慧(チット)

絶対の至福(アーナンダ)

 

 

 

 

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☆自己変容したい人

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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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<食物についての識別>について(15)

ここ数回にわたり、<食物についての識別>についての有効な知識として、それぞれの食物が持っているエネルギーが、人体に及ぼす影響について、詳しく見ています。

 

食べ物は、栄養面から語られることが多いですが、長年の食習慣が、人間に与えている影響については、見過ごされているか、わかっていても、無視されることが多いようです。

 

しかし人間以外の動物は、食べ物を選ぶことができません。

 

肉食動物は、肉食ですし、草食動物は、草食です。

昆虫でも、海の生物でも、食べ物は決まっています。

 

人間だけが、食べ物を、個人個人で選ぶことができるのです。

 

食べ物を食べるのは、お腹を満たすため、嗜好を充たすため、など、理由はいろいろありますが、

自らのエネルギーをどのような状態にしたいか?という観点から、選ぶことも可能なのです。

 

ヨーガ行者や仏教の僧侶が、食べ物に対して、非常に繊細な感覚を持っていることは、よく知られています。

 

毎日食べる物に対して、少しでも意識的になれれば、考え方や感じ方、感情、行動までもが変わってきます。

 

食べ物を識別し、選別することで、健康状態だけでなく、自分のエネルギー状態のかなりの部分をコントロールできることが、知識ではなく、体を通して、わかるようになります。

 

引き続き、前回の続きをご紹介します。

 

 

 

『<薬物>

マリファナやLSDなどの幻覚剤は、感覚をとぎすませ、時空間の錯覚を起こし、夢想・幻想の世界に浮遊させる作用がある。

このような心を拡張させる物質は、極陰性の働きを持って、脳や中枢神経系を拡張させるだけでなく、腸・生殖器・その他の体内奥深くに位置する重要な働きの臓器が持つ強力な収縮エネルギーを喪失させる作用もある。

 

<ビタミン剤その他のサプリメント

合成ビタミン剤は、そのビタミンを抽出した材料・製法・カプセルに使われた素材によって、広範囲に影響を及ぼすものである。

ビタミンやミネラルのサプリメントを長く服用すると、表面的には、活力がみなぎり、頬が紅潮して生き生きしたように見えるが、体内奥深くにおいては、自然の消化器系・循環器系・神経系の各機能に混乱が生じてくる。

ホルモン分泌は、多すぎても少なくてもいけない微妙なものであるため、内分泌機能に狂いが生じやすい。

ビタミンやミネラルは通常の食物の中に含有されているので、特殊な症状を除いて、特に補充する必要はない。

 

<化学薬品が添加された水>

塩素やフッ素化合物などの化学薬品が添加された水は、循環器系・消化器系・神経系の各機能に影響を及ぼし、伝染病などの疾患にかかりやすくなるなど、広範囲にわたる不均衡を生じさせる。

現代の食事指針では、1日に8杯以上の水を飲むよう勧めている。

この基準は、肉類・卵・その他の動物性食品など体に熱を発生させる食品をとっている人を対象にしたもので、大量の水を飲むことによって、体の熱を冷まそうとするものである。

バランスが取れた食事をしている人の場合には、もっと少量の水分で十分足りる。

水をとりすぎると、皮膚がたるみ、筋肉は緩んで全身がむくみ、ふくれた感じの外見になる。

水分は、腹部・足首の周囲・眼の下にも溜まる。

頻尿・汗ばんだ手・湿っぽく低い声といった特徴は、水気のとりすぎによる不均衡が生じつつある証拠である。

 

<精製塩および精製油>

精製された食卓塩は、その成分の99.9%までが塩化ナトリウムで占められ、残りの部分が、ヨウ化物と糖分の一種デキストロース(右旋糖)である。

その中には、自然海塩に含まれる残留ミネラル分に欠けるため、心身ともに堅く引き締まって柔軟性が失われる。

自然食品店でよく見かける灰色がかった自然海塩には、白い自然海塩より残留ミネラル分が豊富に含まれている分、その作用も強力である。

いかなる種類の塩でも、とりすぎた場合、皮膚が乾いて縮み、しわが寄ってくる。

目の周りや下部の黒ずみ、足の冷え・血行不良・若白髪・腎臓の硬化・背中の硬直なども、よく見られる症状である。

塩分の過剰摂取がさらに進むと、頻繁な喉の渇き、やせすぎ・過食・眠気・エネルギーの喪失などが現れて、精神面では頑固で融通が利かなくなる。

やがて忍耐力の欠如・短気・石頭・熱狂しやすいといった状態も見られるようになる。

一般に塩は、漬物や塩蔵に使用する場合を除き、食材とともに調理して使われる。

食卓で生の塩をふりかけたり、食材と合わせて加熱調理する時間が不適当な場合、不均衡が生じてくる。

 

コーン油やピーナッツ油などの精製油・マーガリンや大豆油などの硬化油・パームやココナッツなどの飽和脂肪酸油は、過剰な作用を持っている。

現代的な食事には、その約40%に油脂類が含まれ、その大半は、調理に用いる油・マヨネーズ・ドレッシング・ソースなどの軽い油の形態で使われている。

心臓病・多種類のがん・肝臓や胆のうの疾患・エイズ・免疫不全をはじめとする多くの病気は、油脂類の過剰摂取と関連性がある。

西洋アブラナ科の植物から作られたキャノーラ油は、近年紹介されたもので、多価不飽和脂肪酸を含む軽い口当たりのよさから、レストラン・学校・家庭などに普及しているが、歴史的に見ると、元来、調理油というより、工業用の溶剤として使われてきたものである。

キャノーラ油に関する総合的研究は、まだ実施されていないが、予備研究の結果によれば、視力障害との関連性が指摘され、すなわち毒素による肝臓障害を引き起こす可能性がある。』

  (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

医師

「もしすべてが神の思召しなら、じゃあ、あなたは、なぜこんなにしゃべるのですか?

なぜ、ほかの人に智識を与えようとしてしゃべるのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方がしゃべらせるから、こうしてしゃべっているのさ。

”わたしは道具、あの御方が使い手”だもの」

 

医師

「自分を”道具”と言うなら、黙っていてください。

あらゆる人が神、なんでしょうからーー」

 

ギリシュ

「(医師に)--あなた、どうお考えになろうとご勝手ですが。。。

実際のところ、神がさせるから、我々はするんですよ!」

 

医師

「あの御方がFree Will(自由意志)を人間に与えて下すったんですよ。

私がしようと思えば、神を想うこともできる。

また、しようと思わなければ、想わないでもすむ」

 

ギリシュ

「あなたが神を想ったり、あるいは世間でよい仕事をなさる。

しかしそれは、あなたがなさっているのではない。

それをしたいという気持ちがさせているのです」

 

医師

「どうしてですか?

私はそれを自分の義務だと思ってするのです」

 

ギリシュ

「それも、あなたがそれをすることを好むから、なさるのです」

 

医師

「子供が火事で焼け死にそうになっている--それを助けに行くのは義務だと感じるからで・・・」

 

ギリシュ

「子供を助けることに喜びを感じるから、火の中にとびこむのですよ。

”喜び”があなたをその行動にかりたてるのです。

おつまみにつられて酒をのむようなものです」

 

聖ラーマクリシュナ

「何か事をするには、一つの信念が必要だ。

そして、それを思うことによって歓びを感じるようになり、そしてはじめて、人は何か行動を起こすんだよ。

この地面の下に金貨のつまったカメがある--これを知る、ほんとにあるんだと信じる、これが先ず第一に必要なことだ。

そのカメのことを思うと、嬉しくてワクワクする。

それから、実際に土を掘るんだ。

掘っていくうちに、カチンと音がする。

その嬉しさ!

やがてカメの端が見えてくる。

ますます嬉しくなる。

こういうふうにして喜びがだんだんと増してくるばかりだ。

寺のベランダで、いつか立って見ていたらねーーサードゥが大麻を吸う支度をしていたが、その顔つきの嬉しそうだったこと!」

 

医師

「しかし火は、ヒート(熱)も出すし、ライト(光)も出します。

光では、たしかに周囲が明るくなりますが、熱は体を焦がすでしょう。

義務を行うにあたっては、喜びばかりでなく、苦痛だって伴いますよ!」

 

校長

「(ギリシュに)--”腹に食物が入れば、施し主から少々打たれても背中は我慢する”という諺がありますからね。

苦しみの中にも喜びがあります」

 

医師

「なぜです?」

 

ギリシュ

「そして、喜びのオアシスがある」

 

医師

「けっこう。

さて、また、おつまみのために人は酒を好む、という論点に戻りました」

 

ギリシュ

「心のインクリネーション(傾向、習性)ですよ」

 

校長

「(ギリシュに)--その習性が心をひきずりまわすのです。

傾向とか習性とかの強制力を言いだしたら、Free Will(自由意志)なんて!」

 

医師

「私は、人間の意志が完全にFree(自由)だとは言えませんよ。

牛が縄でつながれている。

その縄の長さの範囲における自由です。

縄をひっぱろうとすれば、また・・・・」

 

聖ラーマクリシュナ

「(医師に)--”神がすべてを為し給う

あの御方が使い手で私は道具”--ね、この信念が不動のものになったら、その人は生前解脱者(ジーヴァ・ムクタ)だ。

”あなたの仕事をあなたがするのに、人は『私』がすると言う”--どんな具合のものかわかるかい?

ヴェーダンタに一ついい説明があるよ。

鍋で料理をする。

ジャガイモやナスなんかも米にまぜてある。

しばらくして火が通ってくると、イモ、ナス、米、みんな跳ね上がり出す。

すると、そいつらはウヌボレて、『私は動いている!私は飛び上がっている!』と思う。

小さな子供はそれを見て、イモやナスは生きているからあんなふうに跳び上がっているんだ、と思う。

いくらか大きくなって知恵がついてくると、イモやナスや米は生きているんじゃない、自分で跳びはねているんじゃない、鍋の下に火が燃えているから、あんなふうに動くのだ、燃えている薪を除いてしばえば動かないんだ、ということがわかってくる。

人間の”私が為すのだ”というウヌボレは、無知無明のせいだよ。

神様の力であらゆるものに力があるんだからね。

燃えている薪をとってしまえば、何もかも黙る。

あやつり人形は人形使いの手であやつられて見事に踊っているが、手から離れると、もうちっとも動かない!

神を見ないうちはーーあの智慧の宝玉に触らぬうちは、自分が行動者だと錯覚しているんだよ。

私は善いことをしている、私は悪いことをしているーーこんな差別の感じがするんだ。

この差別感がつまり、あの御方の創造現象(マーヤー)なんだ。

マーヤーの世界で暮らすために与えてくだすったものなんだよ。

明知のマーヤーに従って正道を行けば、あの御方をつかむことができる。

つかんで、対面して、マーヤーの向う岸に渡ることができるのさ。

あの御方ただひとりが行動者(カルタ―)であって、”私”は人形か道具にすぎない。。。

この不動の信念があるもの、それこそが生前解脱は(ジーヴァ・ムクタ)だ。」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

アルジュナ問う

「主よ 三性質(トリグナ)に超越した人の

特徴(しるし)を何とぞお教え下さい

彼はどんな生活をし 行動するのかーー

またどのようにして三性質を超越(のりこえ)たのですか?」

 

至上者(バガヴァーン)こたえる

「バンドゥの息子よ

サットワの光輝 ラジャスの執着

またタマスの迷妄が現れても嫌わず

消えても追及しない者--

 

これら物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の作用に

動揺することなく 悩むことなく

動くのは物質自然(プラクリティ)の三性質のみと静観して

超然として不偏中立を保つ者ーー

 

真我に定住して幸と不幸を区別せず

土塊も石も黄金も同時に視て

全ての事物に好悪の感情を起こさず

賞讃と非難 名誉と不名誉に心を動かさぬ者ーー

 

友と敵を同じように扱い

物質次元の仕事には一切手を出さぬ者ーー

以上のような人は

物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)を超越したと言えよう

(バガヴァッド・ギーター第14章21-25)

 

 

 

 

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