永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

「食物についての識別」について(6)

数回にわたりご紹介しています「食物についての識別」に関連して、食物の持つエネルギーを更に押し広げて、人体をエネルギーの観点、陰と陽という相反する二つのエネルギーの観点から見てみますと、人体だけでなく、大まかなこの宇宙の仕組み、構造がわかってくるので、とても興味深いと思われます。

 

今回は、前回の続きです。

 

この世界は、二元の世界と言われていますが、二元とは、相反する相対の世界と言うこともできるかと思います。

 

陰陽、裏表、明暗、幸不幸、高低、優劣、深浅、あなたとわたし、自分と世界、主体と客体、等々。

 

この相反する二元的宇宙を、エネルギー的に考えると・・・以下のようになります。

 

 

『人体の臓器は、相補かつ相反の関係で成り立っている。

総じて天からの力は、より引き締まった固体の構造を持ち、下降し内向き方向に動く一方で、地からの力は、膨張した中空の構造を持ち、上昇する外向きの動きをする。

このため、心臓、肺、腎臓、膵臓脾臓、肝臓はより陽性の臓器に、小腸、大腸、膀胱、胃、胆のうはより陰性の臓器にそれぞれ分類されるが、陽性の臓器は、その陰陽に比例して、より軽くゆっくりした陰性のエネルギーによって滋養を与えられる一方、陰性の臓器は、より強く早い陽性のエネルギーに養われている。

一般的に人体の左側は、天からの力の影響を受けやすい一方、人体の右側は、地からの力に支配される部分が大きい。

このため、乳房・肺・卵巣・睾丸・腎臓などの左右一対になった臓器では、通常、左側のほうが、いくぶん小さく引き締まっており、右側にあるほうが、多少大きくて膨張している。

人体の内部に位置する臓器もほぼ同様の影響を受けている。

心臓の左側は、より多くの天からの力で満たされ、右側は、より多く地からの力で充填されている。

下降する結腸や直腸は、より陽性のエネルギーによって養われ、上行結腸の上向き部位は、より陰性のエネルギーから滋養を与えられている。

その中間部にあたる横行結腸は、ほぼ等分にあたる天と地双方からの力によって支配されている。

人体の上部は、上昇し外向きにらせんを描く地からの力の影響を多く受けている。

女性は、地からの力を比較的多く受けているため、乳房が膨らみ、同様に頭頂から生える髪は豊潤に長く伸び、精神的過程を経る活動や機能は、脳に集約されている。

同じ理屈で、人体の下部は、下降し、内向きらせんを描く天からの力に支配され、人体の重心は、腸の奥深く(丹田)に根差して、生殖器は小さく引き締まり、動的活動は、その大半を足脚に負っている。

心臓・肺・肝臓・膵臓脾臓を含む人体の中間部分は、両方の力をほぼ等分に受けている。

人体の前後で見ると、天からの力は、堅く引き締まった脊柱や凝縮された中枢神経系の形成に優位を占める一方、地からの力は、柔らかく膨張した消化器系および呼吸器系を形成している。

そのバランスを保つため、より陽性な脳や神経系は、波動や振動の形でスピリチュアルな波動を食べ物として消化し、より陰性な消化器系は、実体ある飲食物の形で主に物質的食べ物を処理している。

その中間的な循環器系は、天と地の力の均衡を体現して、肝臓に支配されるいくぶん引き締まった血液、および脾臓が統括する多少膨張気味のリンパ球という相補かつ相反する枝葉へと分化していく。

周辺および中央という観点では、天からの力は、より奥深い中枢機能を支配し、地からの力は、より外側の表面的機能に影響を与えている。

つまり陽性エネルギーは、脳・肝臓・心臓といった人体内部に位置する中枢臓器、卵巣・睾丸、骨・神経、その他内部にある構造や機能の最奥領域に結集する傾向があり、逆に陰性エネルギーは、皮膚・口・唇・乳房・腸および手足指を含む先端部などのもっとも表層な部位に集まりやすい。

あらゆるエネルギーは、らせん状に動いており、収縮局面は膨張局面へと転じていく。

膨張するらせん極限に達すると収縮するらせんに変容し、収縮らせんはいずれ膨張らせんへと転じる、という具合に交互に繰り返されていく。

上下・内外・左右・前後など、対極の実態は、すべて唯一の連続したエネルギーの流れが顕現化して見られるものである。

私たちの人体構造は、天と地の力によって創造され、滋養を与えられている全宇宙の驚くべき構造であり、平静に均衡を保ったあり方がその本来のあるべき姿なのである。

 

陰陽によって事物を見るという見方が初めてという方々のために、私たちの日常生活において、いかに拡散と収縮が遍在する資質として反映されているか、ごく実用的な側面で見てみよう。

家の扉や窓は、季節によって、縮んだり伸びたりし、自動車や事務機器などの機材も、気温・湿度・圧力などの微妙な変化に感応している。

その様子は、あたかも私たち人体の臓器や腺の様相と同じである。

屋外では、道路自体が、とりわけ塩分や水気といった要因に感応して、傾斜・凹凸・隆起・くぼみを生じさせている。

これはちょうど、私たちの皮膚や組織・臓器の内壁にも似ている。

このような簡単な類似や比喩を挙げれば、陰と陽、すなわち膨張と収縮が私たちの人体内をいかに制御しているのか、誰でも理解できるであろう。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

人体において、収縮したエネルギーと拡散するエネルギーがどのように密接に関係しているのか?

実際には、目にすることは無い人体を構成している電磁気の流れも、このように理解すると、より現実的に身近に感じることでしょう。

 

東洋では、「気」とも呼ばれているので、私たち日本人には馴染みのある観念だと思います。

 

経絡とは、この人体に流れる気エネルギーの流れる路ということになり、

「病は気から」とも言いますが、この気エネルギーの人体における影響は、想像以上に大きいことは明らかです。

 

気エネルギーは、訓練次第で、感じることができるようになります。

 

チャクラも経絡も、眼には見えませんが、実際に存在するエネルギーの出入り口であり、流れなのです。

 

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「いいかい、慈悲と愛着は別なものだよ。

愛着というのは自分に属していると思っているものに対する執着だ。

たとえば父さん、母さん、妻や息子などをかわいいと思う気持ちだ。

慈悲はすべての生物をかわいがる気持ちのこと。

分け隔てのない公平な気持ちだ。

慈悲心のある人を見たら、神様のお恵みを受けている人だと思え。

慈悲心からすべての生き物に奉仕するのだ。

だが、愛着も神様から来る。

愛着を通して、あの御方は人を家族や縁者に奉仕させなさる。

けれどもよくお聞き。

愛着は人を無智にしておいて、この世に縛りつける。

だが、慈悲は精神を清浄にする。

そして、だんだんと縛りを解いていく。

精神が清浄にならなければ、見神は出来ないからね。

色欲や怒りや貪り心に打ち克つことが出来たら、あの御方のお恵みがいただけると。

そうするとお会いできるんだ。

これはほんとに秘密の話なんだが、性欲に勝つためには、わたしだって実にいろんな方法を試したものだよ。

ヨーガのある坐法を組んで、ジェイ・カーリー(カーリーに勝利あれ)、ジェイ・カーリーと前後左右に向かって叫んでみたり、ぐるぐると歩きまわってみたり、ずいぶんと工夫したものだ。

わたしが十のとき--まだ郷里にいた時分だが、はじめてのあの状態(サマーディのこと)になった。

野原を歩いていたらあるものが見えて、それが大波のように覆い被さってきた--見神にはいくつかの特徴がある。

光りを見ること、歓喜を感じること、胸の中に花火が上がったような大風が吹き上がる」

 

「ね、”私と私のモノ”--この二つが無智というものなんだよ。

”おお神様、あなたがご主人、一切すべてあなたのもの”--これが智慧というもの。

どうして”私のモノ”なんて言える?

庭園の管理人は”手前どもの庭”なんて言っているが、何か失敗をして旦那に追い出されるときは、マンゴの木で作った自分の物入れ箱でさえ持って出る勇気もない。

愛欲や怒りのようなものは、どうしても無くならない。

だから、それを神様の方へクルリと向け変えろ。

何かを手に入れたいと言う欲があったら、神様を手に入れたいという欲にしてしまえ。

よく考えて判断して、この世のはかない事物から欲を逸らしてしまえ。

象がその庭のバナナの樹をたべようとすれば、象使いは先のとがった棒で突っつくよ。

お前たちは商人だから、商売の進め方を知っているだろう。

人によっては最初に皮帽子作りから始めて、かなりの金を儲けるとこんどは衣類の店を出す。

そんな具合にして、人は神への道に進んでいくものだ。

そして、時々独りになって、神様に呼びかけることが多くなってくるよ。

だけれども、このことは知っているかな?

時期が来なければどうにもならない、ということ。

ある人々には、経験しなければならないことがどっさり残っている。

そのために遅れているのだ。

オデキだって、あまり早いうちに切開すると結果が良くないだろう。

膿んで柔らかくなって口ができた頃合いに、医者は切開する。

子供が、”お母ちゃん、ボクおねんねするから、おしっこのとき起こしてね”と言うと、母親はこう答える。

”坊や、おしっこがしたくなれば自分で目が覚めますよ。

母さんが起こさなくたって大丈夫よ”」

 

「ね!

神様は見えるんだよ。

”神は口で説明することも頭で考えることも出来ない”とヴェーダにあるが--これは、心がこの世のことに執着していては見ることが出来ぬ、という意味だ。

ヴァイシュナヴァ・チャランは、『あの御方は、純粋な心と純粋な知性によって知ることができる』と言っていた。

だから、信人、聖者の許に出入りして、いつも祈りを忘れずに師(グル)の教えに従うこと--これが必要なのだ。

そうすると心が澄んできれいになる。

すると、あの御方が見えてくる。

汚れた水は漉してきれいにしなくてはね。

そうすれば顔も映つる。

泥の付いた鏡には映らない。

心がきれいになって信仰が身に付いたら、やがてあの御方のお恵みがあってあの御方に会える。

会ったあとで、お指図があれば人びとを導くようになる。

その前に勝手に説教するのはよくないね。

自分の胸の中のお堂を、先ずきれいに掃除することだよ。

そして神像をちゃんとお祀りすること。

礼拝の用意をすること。

何の用意もしないで、ボウボウほら貝を吹いていたって何になる?』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

あらゆる所に あらゆる生物のなかに

ひとしく至上主(パラメーシュワラ)を見る者は

自分で自分(自己の本体であるアートマン)を傷つけることなく

まっすぐに至高の目的地に近づく

 

すべての行為(カルマ)は物質自然(プラクリティ)によって

つくられた肉体が行うのであって

自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は

存在の実相を見ているのである

(バガヴァッド・ギーター第13章29ー30)

 

 

 

 

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チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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