チャクラについて(12)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 直感力
前回ご紹介しました脳科学者、池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な「私」」から、「直感」についてご紹介しました。
「直感」とは、脳の、大脳皮質と視床、脳幹を結び付けている神経核の集まりである大脳基底核という部位が関係している、ということでしたが、今回は、その続きをご紹介いたします。
『直感が(大脳)基底核から生じるということをはじめて聞いたときに、私はとてもびっくりしました。
というのは、古典的な脳研究から、基底核は、直感ではなくてもっと重要な役割を担っていることがよく知られていたからです。
脳の教科書を読むと、「基底核は手続き記憶の座である」と書かれています。
「手続き記憶」とは、簡単に言えば「方法」の記憶のことです。
つまり、ものごとの「やり方」です。
テニスラケットのスイングの仕方、ピアノの弾き方、自転車の乗り方、歩き方、コップのつかみ方ーーとにかく何かの「やり方」の記憶のことです。
基底核は、少なくとも「体」を動かすことに関連したプログラムを保存している脳部位なのです。
この「身体」に関係した基底核が、どうして身体とはもっとも関係なさそうな「直感」に絡むんだろうと、当初、私は不思議に思ったわけです。
でも、真剣に考えると、すぐに納得できました。
それは、方法の記憶の特徴を挙げていけばわかります。
方法記憶には重要な特徴がふたつあります。
ひとつ目のポイントは、無意識かつ自動的、そして、それが正確だということです。
たとえば、箸の持ち方。
これは無意識ですよね。
意識して箸を持っている人はいますか?
たとえば、「おっ、このタイミングで上腕二頭筋を2センチメートル収縮させて、その次の瞬間には三角筋を5ミリメートルだけ弛緩させて。。。」とか、そんなことを考えて箸を持っている人はいますか?
いないですよね。
つまりは、方法記憶は無意識なのです。
箸を持つという些細な行為でさえ、実は、腕や手や指にある何千という筋肉が、正確に協調して働いて、ようやく実現できる、ものすごく高度な運動なわけです。
それを無意識の脳が厳密に計算をしてくれている。
その計算過程を私たちは知る由がない。
計算結果だけが知らされている。
だから、知らず知らずに箸を操ることができるわけです。
その計算を担うのが基底核などの脳部位です。
その計算量たるや膨大なものです。
しかも、重要なことに、基底核はほとんど計算ミスをしない。
箸を持つのはほとんど失敗しないですよね。
正確無比なのです。
そうした高度な記憶を操るのが基底核。
だから基底核の作動は、無意識かつ自動的かつ正確だと言えるのです。
これが方法の記憶のひとつの目の特徴です。
ふたつ目の特徴は、一回やっただけでは覚えない。
つまり、繰り返しの訓練によってようやく身につくということです。
自転車も、はじめて乗っていきなり乗れることはないですよね。
何度も何度も練習してできるようになる。
ピアノの練習もそうだし、ドリブルシュートだって同じ。
訓練しているうちにだんだんできるようになります。
繰り返さないと絶対に覚えない。
その代わり、繰り返しさえすれば、自動的に基底核は習得してくれる、というわけです。
いいですね。
私は、以上のふたつの特徴、つまり「無意識」と「要訓練」を挙げながら、よくよく考えてみたことがあるのです。
そして、あるとき、「あれ、直感も同じだ!」と気づいたんです。
まず直感は無意識ですよね。
「こうに違いない」と気づいても、その判断の理由が本人にはわからないんですから。
つまり、無意識の脳が厳密な計算を行っていて、その結果として「こうだ」と最終的な答えだけがわかる状態なんです。
箸の持ち方と似ていますね。
実は3か月ほど前に、私と同い年の、あるプロの棋士とお話する機会がありました。
彼は、こんなことを言っていました。
「将棋を指しているとき、先の展開を丁寧に読みながら指しています。
ただ試合の序盤と終盤はいいけれども、中盤はむずかしい。
中盤は可能な手の数が多すぎる」と。
つまり中盤では、試合展開が読めないこともあるらしいのです。
ただ、そういうときでも、次の一手はこれを指したら勝てる、と感じるらしいんです。
しかし、その理由は本人にもよくわからない。
「なぜかわからないけれど、次の一手はこれしかないという確信が生まれるのです。
理由はわからないけれど、その信念に従って試合を運んでいくと、不思議と勝っちゃうんです」と。
そういう話を、私のような素人が聞くと、「だから、あなたは天才なんですよ」と言いたくなりますね。
「凡人には、”神からの啓示”のようなアイデアは都合よく降りてこないんです」と。
でも、脳科学的に言うのであれば、その考えは浅はかでしょう。
だって、プロの棋士は訓練をしているからです。
繰り返し繰り返し、幼い頃から将棋の盤を見てきて、いろんな対戦をして、戦局を眺めて、さまざまな手に思いを巡らせて。。。だから、指し手と盤面の展開が血となり肉となっている。
そういう「訓練」をした人の脳は、その局面を見ただけで、「直感」が働く。
無意識の脳が膨大な計算を瞬時に行って、「次の一手」をそっと当人に教えてくれるのでしょう。
その直感に従っていれば、そう、直感はほぼ正しいので、勝てる。
一方、私はといえば、将棋の訓練を受けていないですから、プロ棋士と同じ棋盤を見ても、何もアイデアは浮かびません。
「直感」が働かないんですから。
もちろん、そんな状況でも「まあ、何か指してみてよ」と言われれば、それは指せますよ。
「じゃあ、ここに桂馬を」とかね。
でも、これは脳科学的には「直感」とは言えません。
あえて言えば「でたらめ」でしょうか。
経験に裏づけられていない勘は直感ではありません。
こういうことを考えていくと、ひとつの重要な結論に達しますね。
そうです、直感は「学習」なんですよ。
努力の賜物なんです。
直感は訓練によって身につく。
私たちが箸を自然とミスせず持てるように、その理由は本人にはわからないにしても、直感によって導き出された答えは案外と正しいんだということになります。
テレビドラマや演劇を見てると、浮気を見破るのはだいたい女性の役目ですよね。
「あなた!浮気しているでしょう」とかね。
こんなケースでは、男は動揺を隠そうとして「何を急に!言いがかりをつけるんじゃない、理由を言ってみろ、理由を!」なんて逆ギレする。
そういうシーン、よくドラマや映画で見ますね。
でも、これ、すごく滑稽じゃありませんか?
だって「理由を言ってみろ」ですよ。
理由がないから「直感」なんであって、つまり、理由を訊くのはヤボなんですよ。
女性はおそらく本人も気づかないような微細なシグナルを、無意識の脳で検出して、見破ることができるのでしょうね。
しかも、やっかいなことに、直感って正確だから、だいたい図星。
さて、直感やセンスは基底核でつくられるということは理解できたでしょうか。
実は、基底核にはとても心強い性質があります。
それは大人でも成長を続けるということです。
赤ちゃんの脳はおおよそ400グラムくらい。
それが成長とともに大きくなって、だいたいみなさんくらいまでの年齢には大人の脳のサイズになって、それ以降は安定します。
生まれてから3倍くらいの大きさになっています。
ただし、それ以降でも、一部の脳部位はまだまだ成長することが10年ほど前に発見されました。
大人になって成長する脳部位は2か所ありまして、ひとつは前頭葉で、もうひとつは基底核だったのです。
ということは、話をあえて卑近な例に引き寄せますと、私たちが学習したり、人生で経験したりすることの意義は、基底核、つまり「直感力」を育むという側面があるのではないか、と私は思いたいんです。』
(単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二)
第6チャクラであるアジナー・チャクラに集中して瞑想を続けていると、「神の眼」が開眼し、「直感」が降りやすくなる、ということが言われていますが、
脳の働きから見ると、学習や訓練の積み重ねが、「直感」を生んでいる可能性が示唆されていることが伺えます。
心を静かにし、雑念を取り除くという、頭の中で常に起きている煩い思考や感情に左右されない訓練を繰り返し行うことで、
どんな時であっても、平常心でいることができ、冷静な判断を下すことができる。
そして、その冷静な判断を、私たちは「直感」と呼んでいるのかもしれません。
次回は、更に脳の働きから体に起こる不思議な「超常現象」について、見てみましょう。
ブリターの息子よ さまざまな感覚の
欲望をことごとく捨て去って
自己の本性に満足して泰然たる人を
純粋超越意識の人とよぶ
三重の逆境に処して心を乱さず
順境にあっても決して心おごらず
執着と恐れと怒りを捨てた人を
不動心の聖者とよぶ
善を見て愛慕せず
悪を見て嫌悪せず
好悪の感情を超えた人は
完全な智識を得たのである
(バガヴァッド・ギーター第2章55-57)