チャクラについて(1)-ムーラダーラ・チャクラ(第1チャクラ)
「体内にはプラーナ(気)の流れる主要な経路(ナーディー)が三本あり、その中でも、特に重要なのが、スシュムナーであると書きました。
そして、スシュムナーは、人体と言うところの「脊髄」であると。
この「経路」というのは、プラーナ(気)エネルギーの流れる路という意味で、全身に張り巡らされており、
そういう意味では、東洋医学で言うところの鍼灸治療で用いられている「経絡」ともオーバーラップしていると考えられます。
今回は、「スシュムナーにはチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがあり、特有の花弁と色で表現される。」という引用文に書かれている「チャクラ」について、少し説明したいと思います。
「チャクラ」については、ヨーガ(アーサナ)をやっている人たちには、お馴染みの言葉だとは思いますが、
チャクラについて知っている人はいても、チャクラを実際に感じている(体験している)人は少ないのではないか、と思われます。
チャクラとは、サンスクリット語で円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味する語ですが、実際に、チャクラのある位置からは、エネルギーが回転して体内から体外へ放出されているのを感じることができまます。
人体に関係しているエネルギーは、すべて回転しています。
チャクラは、体の内部から真直ぐ前や後ろに回転しながら放出されるエネルギーで、その強弱は個人差があり、チャクラが開いている(活性化している)人ほど、放出されているエネルギーは強くなっています。
一方、クンダリニーは、スシュムナーに沿って、超スピードで旋回しながら、頭頂へと上昇していく強力なエネルギー(シャクティ)です。
このエネルギーは滅多に感じる(体験する)ことはないため、一般的にはほとんど知られていません。
よって、クンダリニーについての詳しい説明がなされていることは、ほとんどありません。
しかし、チャクラについては、ヨーガ行者によって、体験的に知られており、多くの文献も残されているので、現代では、一般人でも、そのヨーガの智慧に与ることは可能です。
それでは、第一チャクラから見ていきたいと思います。
第一チャクラは、ムーラダーラ・チャクラと呼ばれ、脊柱の基底にあたる会陰(肛門と性器の間)にあります。
「ムーラ・アーダーラ」とは「根を支えるもの」の意だそうで、そこには、クンダリニーが眠っているとされています。
このムーラダーラ・チャクラの位置するところは、人体においては、会陰部、生殖器にあたります。
関係する内分泌腺であるホルモンは、性腺、性ホルモンです。
(ホルモンとは、生理活性物質を指し、ホルモンが伝える情報は生体中の機能を発現させ、恒常性を維持するなど、生物の正常な状態を支え、都合よい状態にする]重要な役割を果たしているとされています)
また、人体においては、ムーラダーラ・チャクラの位置は、排泄が行われる場所でもあるため、
一般的に、ムーラダーラ・チャクラは、人間の基本的な生活習慣に密着したチャクラと言えます。
食べる、性交をする、などは、動物も同じように行動するため、ムーラダーラ・チャクラは人間特有のチャクラではなく、
よって、霊的なエネルギーを発しているとは考えにくいと言えます。
しかし、このチャクラから強いエネルギーを発している人は、衣食住に対する欲望、及び、異性に対する欲求が強いため、非常にエネルギッシュな行動力、生命力に溢れているとも言えます。
ムーラダーラ・チャクラが閉じていたり、そこから発されるエネルギーが弱い人は、性欲が無かったり、現実に対応する力が弱く、現実逃避の傾向を示すことが多いようで、ムーラダーラ・チャクラは、この二元世界において人間として生きる生命力を表すチャクラとも言えます。
このチャクラに眠っているとされるクンダリニーですが、クンダリニーについては、後日、書きたいと思います。
次回は、残りのチャクラについて書く予定です。
『自分のなかにほんとうの自分をみつけることができたら、一切成就だ!
それを覚るための修行なんだからね。
その修行をするために肉体(からだ)があるんだ。
黄金の神像ができ上がるまでは、土の鋳型が必要だ。
神像ができ上がったら、土の鋳型は捨てられてしまう。
見神できたら、肉体は捨てられてもいいんだ。
あの御方は内にだけいらっしゃるのではないよ。
内にも外にも!
カーリー堂では大実母(マー)は、あらゆるものが霊だということを見せて下すった!
マーがすべてのものになっていなさるんだ!
お像も、このわたしも、お水入れも、供え皿も、ぴかぴか光る飾りのものも、木の戸も、大理石も、石も、みんな霊そのものなんだよ!
このことをはっきり見るためにこそ、あの御方に祈るんだよ――祈祷、修行、称名、讃歌、キールタン。
このことのため、あの御方を信仰するんだ。
あれたちは見ての通り、まだそれほど高い境地にいっていない。
あれたちは信仰にすがっている。
まだあれたちにはそういうこと(ソーハム――我はソレなり)を言うな」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)
すべての行為(カルマ)は物質自然(プラクリティ)によって
つくられた肉体が行うのであって
自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は
存在の実相を見ているのである
(バガヴァッド・ギーター第13章30)