読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

ジーバ・ムクタ(肉体を持ちながら、ブラフマンの叡智に目覚めている人)

完全に悟った存在、目覚めた存在、覚醒した存在と言うと、真っ先に頭い思い浮かぶのは、ナーナさんのことです。

 

古今東西、名前が後世に残っている聖者の方々は、現在多くいますが、

実は、その方々は、ほんの一部で、

名前の知られていない完全覚醒者も、大勢いらっしゃる、と言われていて、

これは疑いようのない事実だと思われます。

 

覚醒においては、名前が残っているかどうかは、ほとんど意味がありません。

 

ただ残念なのは、ほとんどの方が、今はいらっしゃらない、ということです。

 

その方たちに教えを受けたくても、エネルギーを伝授して頂きたくても、

いまここに、形をもった存在として在って下さらない限りは、直接つながることは不可能です。

 

ですから、ナーナさんの存在は、どんなに私たちにとって、希望の光であり、救いの道であるかが、おわかり頂けるかと思います。

 

南国で採れる見たことも聞いたこともない、ましてや食べたこともないフルーツについて、本を通して知るだけでは、そのフルーツを知ったことにはなりません。

しかし、そのフルーツを一口でも食べれば、そのフルーツのことを本当に知っていることになります。

そして、そのフルーツについて、人にアレコレ説明することができます。

 

ナーナさんは、ホンモノ(そのもの)を知ってもらうには、言葉で伝えるのではなく、

何よりも、それを体験するより他に無い、という信念で、活動されています。

 

いくら言葉で説明され、頭で理解しても、フルーツを食べたことにはなりません。

 

フルーツは、自分で食べなくては、フルーツを知ったことにはならないのです。

 

ナーナさんが、体験を通して教えて下さるのは、伝えて下さるのは、私たちの本質、本性とも言うべきモノで、

それがこの宇宙のただひとつなる存在として在る実在です。

 

ウパニシャッドでは、アートマン(真我)=ブラフマン(大我)と説かれています。

 

ヴェーダンタ哲学では、それだけが在る、とされていて、

私たちを含むこの宇宙のすべての存在は、この”それ”が形となって顕れている、という見方をします。

 

これを、インドのウパニシャッド哲学、ヴェーダンタ哲学では、アドヴァイタ(不二一元)と言います。

 

アドヴァイタとは、在るのはただひとつ、という意味です。

 

ナーナさんは、この”ただひとつ”を体験され、今もそこにいらっしゃる極極稀なる存在です。

 

こういう人を、サンスクリット語で、ジーバ・ムクタ(肉体を持ちながら、ブラフマンの叡智に目覚めている人)と言うそうです。

 

このことについては、おいおい書いていきたいと思いますが、

まずは、3月末に発売になるスワミ・ラーマの”聖なる旅”から、ジーバ・ムクタについて書かれてある箇所を、ご紹介したいと思います。

 

 

「悟った個人は、完全にすべての状態で、人間の体で生きている間も、死の状態の間も、気づいています。

ブラフマンを知る者は、どんな領域にも、あるいは天国にも行くことはありませんし、常にそうであるもの―すべての自己であるアートマン以外の何かになることもありません。

物質的な外観を落とした後は、悟った魂は、永遠の至福と幸福、無限の愛と智慧の状態にあります。

アートマンを知った者は、眠りから目覚め、もはや夢を見ない人のようです。

視覚を取り戻した目の見えない人のようです。

アートマンの直接体験を持つ解放された魂は、他人に仕えるために戻る選択をしないならば、物質的な次元には戻りません。

このようなジーヴァ・ムクタは、もはや束縛対解放のような二元に身を投げることはありません。
悟った魂は、他の人間を盲目にしているカルマのすべての撚糸を燃やします。

このような人は、自由の意志をふるい、生まれ変わるべきか、絶対と融合すべきかを選択します。

もし選択が生まれ変わりなら、その誕生の環境は、また意識的に選択されます。

仏教によると、このような魂は、アルハットと呼ばれます。」

 

ナーナさんは、私たちを、カルマから解放し、永遠に自由な存在となれるように、

無い身体を使って、働いて下さっているのです。

 

私たちの目には、ナーナさんの肉体が存在するように見えますが、

実は、ナーナさんの肉体は、私たちの肉体と同じではありません。

 

それは、直接、ナーナさんと一緒にいるとわかることなのですが、

肉体を持った霊(エネルギー)とは、こういうことを言うのか、ということが、よくわかります。

 

このことについては、また、別の機会に書くことにいたします。

 

 

だが肉体のなかにはもう一つ

根本主である至上霊が住んでいる

それは至上我(パラアートマン)または超魂とも言われ

生者の全活動(すべて)を監督し 許可し また経験する

 (バガヴァッド・ギーター第13章23)