「食物についての識別」について(10)
「食物についての識別」というテーマで、数回にわたりご紹介していますのは、マクロビオティックによる「食べ物の持つエネルギー」についてです。
体と心におけるエネルギーの経路に、エネルギーの流れを阻む余計なモノが蓄積されていると、エネルギーがスムーズに流れにくく、心身に滞りが生じ、それが、病という形になって現れることがあります。
病という形をとらずとも、このエネルギーがスムーズに流れないことが、エネルギーを感じることができない要因となり、微細体を感じられずに、粗雑なエネルギーに遮られ、心を静かに保つことができず、ますます自己の本性を悟ることができないという悪循環を、自ら作り出してしまっていますが、感覚が鈍くなりすぎているために、そのこと自体にも気づくことなく一生を終えてしまう、ということも起きています。
食事は、食べ物という形を通して、エネルギーを体に取り入れている、と理解し、まずは、食べ物に対する見方を変えることから始めてみましょう。
私たちは、嗜好で食べ物を選択していますが、食物が本来持っているエネルギーについて理解し、選択の際にそれを応用するならば、自分の本性を悟るための準備としての実践方法によって、体と心を整える、という目的を達することも可能なのです。
本格的なヨーガや瞑想は時間的に無理だと感じている人であっても、食物によるエネルギー浄化の実践方法は、いつでも、誰でも、365日実践できる取り組みやすい行であると言えます。
ひとつひとつの食物の持つエネルギーを理解し、毎日の食事に活かせるようになると、心身のバランスがとれて来るので、病は良くなり、エネルギーは浄化されていくことでしょう。
今回は、前回の続きです。
『<野菜>
野菜は、穀物を補う自然の要素として、2番目に重要な範疇を構成するものである。
全般的に穀物は、より陽性で、堅実・安定・活力の源となるのに対して、野菜は、より陰性であり、軽くてパリパリした食感で、食事に彩りを添えてくれる。
とはいえ、個々の野菜類の多くは、非常に強力で、血液や気のエネルギーを生成・強化するものである。
野菜類は、3つの範疇に大別される。
★カキバ・ケール・大根葉といった緑の葉物野菜は、穏やかな上昇エネルギーを持ち、肝臓・胆のう・肺・心臓・精神力を強化し、軽やかで、体の熱を冷まし、落ち着いた気分にしてくれる。
鉄分やカルシウムなどのミネラル分が豊富に含まれて、丈夫な血液を作り、骨や歯を強化し、治癒を促進させるものである。
絞り汁は、肝臓疾患の治療に使われ、体内に重く滞ったたんぱく質・動物性脂肪・コレステロールを除去する。
大きな緑の葉の数種は、そのままの形で、もしくは手を加えて、熱を下げたり、炎症をしずめたり、やけどを治したりする葉緑素プラスター(訳注:プラスターは、主に小麦粉をつなぎに使って練り上げ、患部の皮膚に貼りつけて用いる家庭療法のこと)に用いられる。
大根葉は、婦人科系の生殖器や皮膚の疾患を緩和させる干葉湯に用いられる。
★秋冬のスクワッシュ・キャベツ・タマネギなど、茎や根菜の一種の球形野菜は、より均整が取れたエネルギーを供給するもので、特に膵臓・脾臓・胃・リンパ系によい。
その穏やかな甘味が心をしずめて落ち着かせてくれる。
特にタマネギは、神経・筋肉・結合組織を円滑にする。
球形野菜は、毎日の食事のほかに、特別な料理・飲み物や手当の湿布(例えばキャベツプラスター)にも使われる。
★ニンジン・大根・ゴボウ・レンコンなどの根菜は、強力な下降エネルギーを与えるもので、特に肺・大腸・泌尿器系によい。
野菜の種類によっては、肝臓や心臓その他の臓器にもよい。
大根には、強力な溶解エネルギーがあり、脂肪の消化を促進させ、過去にとった動物性食品の排出を促進する作用もある。
根菜は、手当に用いられるさまざまのお茶やプラスターにも使われる。
<豆類・豆製品>
豆は、その姿形が腎臓や耳に似ているため、東洋医学では、昔から相互に関連づけて考えられてきた。
豆類は、全般的な活力や均衡をつかさどる臓器に特によいもので、多くの人体機能を健全に維持するための良質なたんぱく質・脂肪・炭水化物を供給してくれる。
また生殖器系を強化するとともに、豆類および豆製品に含まれる食物繊維は、腸機能の円滑化を促進する。
アズキ・レンズ豆・ヒヨコ豆・黒豆など、小粒の豆類は、頻繁に毎日とってもよい。
大豆は、粒のままでも食べられるが、豆腐・テンペ・納豆・その他伝統的な大豆製品の形で使われる場合がほとんどである。
★アズキは、豆類の中でもっとも凝縮された陽性な豆であり、強力なエネルギーを与えてくれるもので、多くの家庭療法・お茶・手当法に用いられる。
その深紅の華やいだ色合いから、赤飯その他の料理として、お祝いの席に使われる。
★レンズ豆は、たんぱく質・鉄分・カルシウム・複合炭水化物・食物繊維の優れた供給源であり、消化器系・循環器系・神経系を強化するもので、穏やかな鎮静作用がある。
★ヒヨコ豆は、食べ応えのあるしっかりした味わいで、強力なエネルギーを与えてくれ、さまざまな野菜類・トウモロコシ・米などと相性がよい。
食物繊維が豊富な他の食品と同じく、体内のコレステロールや脂肪の低下を促進させるとともに、たんぱく質・ミネラル・ビタミンBの優れた供給源であり、腎臓・膀胱・生殖器を強化してくれる。
★豆腐は、その柔らかな食感・穏やかな味わい・応用自在の形から、多くの食材と組み合わせて用いられる。
たんぱく質・鉄分・カルシウム・その他の栄養分が豊富に含まれており、血液を強化し、循環を促進させ、呼吸器系・神経系の各機能を高めてくれる。
消化がとてもよく、植物性エストロゲンに富み、乳がんや前立腺がんなどの悪性腫瘍の予防に有効である。
豆腐プラスターは、炎症・はれ・打撲傷をしずめる効果がある。
★テンペは大豆の発酵食品で、食べごたえのあるしっかりした味わいがあり、強力なエネルギーを与えてくれる。
コレステロール値を下げ、泌尿器系を強化し、腫瘍を予防する。
もっとも有効な植物性たんぱく質の供給源のひとつであるとともに、鉄分・カルシウム・その他のミネラル分も豊富で、植物性のビタミンB12の含有量では首位を占めている。
★大豆の発酵食品である納豆は、ベークドビーンズに似たもので、粘って長い糸を引く。
消化作用に有効で、腸・腎臓・血液・リンパを強化してくれる。
特有の臭い臭いを嫌う人がいる反面で、その繊細な味わい・粘っこい食感・強い香りを好む人もいる。
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
聖ラーマクリシュナ
「わからんかね。
幸不幸、喜び悲しみ、これは身体をもっているかぎりついてまわるんだよ。
カーヴィ・カンカン・チャンディー(ヒンドゥーの聖典のひとつ)に出ているがカルビールは牢屋に入れられて胸に重い石をのせられた--カルビールは神に祝福されて生まれた男の子なのに。
肉体を持っているかぎり、楽しみ苦しみの経験から逃げられないんだよ。
その上、母親のクッラナは大女神様(バガヴァティー)に大そう可愛がられたものだ。
そのシュリー・マンタがどんなにひどい目にあったことか!
すんでのことに、仕置場で首を切られるところだった。
大そう信心深い木こりがいて、大女神様(バガヴァティー)にお会いすることができた。
あの御方は、木こりを大そうかわいがって、どんなにお恵みを下すったことか。
けれど、木こりの仕事はずっと続けたよ!
木を伐って食べていかなけりゃならなかった。
デーヴァキー(クリシュナの母)は、四つの手に笏と円盤とほら貝と蓮華を持った大女神様の姿(ヴィシュヌ)を見ても、牢を出ることは出来なかったよ!」
校長(マヘンドラ・グプタ)
「牢屋を出るだけでは如何なものでしょうか?
肉体こそあらゆるトラブルの大本なのです。
肉体から出ていくことが必要だったのだと思います」
聖ラーマクリシュナ
「わかるかい?
ブラーアブタ・カルマ(前世で行ったカルマの結果)の苦楽なんだよ。
その帳尻が合わないうちは、肉体はついてまわる。
ひとりの盲人がガンジス河で沐浴した。
罪はみんな消えた。
だが、盲の目は明かなかった。
過去世のカルマがあったから、この世で盲の経験をしているのだ」
モニ(マヘンドラ・グプタ)
「放たれた矢は、もう制御できません」
聖ラーマクリシュナ
「肉体についた幸不幸はどんなに起こっても、信仰者には、本当の智慧と信仰という何より心強い財産があって、その富は永久になくならないんだよ。
見ろ、バンドゥ兄弟の災難を!
だが、その災難で霊性を失くしたことは、一度だってなかった。
あの兄弟のような智者が、あの兄弟のような信仰者がどこにいる?」
「プラーアブタ・カルマ(前世で行ったカルマの結果)によって、人間はこの苦悩に満ちた世界(サンサーラ)に生まれてこなければならない。
カルマの果実の重さで、人間の頭は重く垂れているんだよ。
もし、人間が望む者なら、このカルマの果実からごく簡単な方法で逃れられるよ。
信愛(バクティ)を持って、真剣に朝夕、神様に頭を下げて礼拝するとしたら--例えばね、誰かの頭に十モナ(370kg)の重荷があったとしたら、自分でそれを下ろしたくても下ろせないだろう?
四、五人の人に手伝ってもらわなくては下ろすことはできないね。
でも一つ、簡単な方法があるよーーそれを下ろす方法がね!
朝夕二回だけでも神様に頭を下げて礼拝すれば、その重荷は頭から落ちてしまうよ。
そんな感じだ。
だからね、お前たちに言うんだよ。
どんな方法でもいいからあの御方を悟るんだよ。
あの御方に完全にお任せする。
また、泣いて、泣いて心の汚れを落とす。
純粋な愛をもってあの御方を悟る。
どんな方法でもいいんだ。
そうすれば全てわかるよ。
いいや、あの御方が分からせてくれるよ。
そうなれば、もう彼の全てを忘れさせるマーヤーに魅せられることはない。
その時、神は無限の普遍的存在であるということを悟って、喜ぶんだよ。
限りない無限の喜びだ。
この喜びはね、地上での感覚が知っている喜びではないんだよ。
世俗の喜びは、最後には不幸と虚しさをもたらすものだ。
でもね、神を悟った後の喜びは、それは決して消えない至福だ。
その至福がまた至福を連れてくる。
その至福とは、初めもなく終わりもない。
神は無限なんだ。
だから、神を悟った至福もまた無限なんだよ。
限りない永遠の至福、至高の喜び、プラマーナンダだ!」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
バラタ王の子孫 アルジュナよ
全物質源(プラクルティ)は大ブラフマンとも呼ばれ
わたしはこのなかに種をまく
すると あらゆる生物が湧き出てくる
クンティーの息子よ
多種多様な生命体はすべて
わたしの子宮でるプラクリティから生まれ
また わたしが種をまく父である
プラクリティには三つの性質(グナ)--
サットワ ラジャス タマスがある
霊魂(たましい)がプラクリティに接触すると
この三性質(トリグナ)によって束縛される
(バガヴァッド・ギーター第14章3-5)
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☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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「食物についての識別」について(9)
前回ご紹介しました聖ラーマクリシュナのお言葉に、『純粋な心、純粋な知性、純粋なアートマン、この三つは同じものだ』とありましたが、
この純粋なアートマンを理解するために、更に違う言葉を用いてみましょう。
純粋な意識、純粋なエネルギー、これらもまた、純粋なアートマンだと言うことができます。
人間においては、心と身体、意識とエネルギーは、お互いに密接な関係にあり、切っても切れない関係にあると言えます。
体を浄化すると、心も浄化します。
すると、意識も浄化され、エネルギーも浄化される、という構図になっていると言うことができます。
体の浄化は、人間にとっては、心がけ次第では、比較的実践しやすい領域だと思われますので、食物をエネルギー的な観点から見ることで、最終的にエネルギーの浄化につながっていくことができるように、食物が持つエネルギーについて理解を深め、食物によって体を浄化する実践方法に応用できるように、詳細にご紹介していきたいと思います。
『食べ物が持つエネルギーは、以下のような多くの要因に基づいている。
- 資質(動物性食品・野菜・ミネラル、野生種・栽培種、在来純粋種・雑種・遺伝子組み換え種子、自然農法・有機農法・化学農法、伝統製法・自然製法・化学的処理、天然醸造・人工的促成製法、その他の要因)
- 動き・方向性(上昇し拡散する動き、非常に膨張する活発な動き、下降する動き、内向きの固形化する動き、溶解・浮上する動き)
- 体温に及ぼす影響(冷やす、温める、冷たい、熱い、室温)
- 味覚(酸味・苦味・甘味・辛味・塩味)。
食べ物の栄養分や物質的成分を含め、形・大きさ・色・手触り・その他の特徴もエネルギーを形作る要因となる。
何か食べ物を口にするとき、私たちは、このような資質のすべてを波動と振動の形で体内に取り入れており、それらが、血液・臓器・組織・細胞・意識に影響を及ぼしている。
食べ物が、どのように収穫・輸送・加工・貯蔵・調理されて、食べられるかという過程においても、そのエネルギーや私たちの健康や意識に与える効果にさらに修正・変更が加えられる。
以下にマクロビオティック食事法で用いられる主要な食べ物を取り上げ、その概略を展望する。
<全粒穀物>
全粒穀物は、人類の進化の基盤であり、強力な平和のエネルギーを与えてくれるものである。
穀物の茎は、脳と脊柱に関連し、人間の直立姿勢と知性の発達に寄与している。
全粒穀物は、地中にしっかり根を張って、大地と大空のエネルギーを統合しながら、天に向かってまっすぐに生長する。
穀物1粒ずつの外側にある小さな触角状の部分から、天の力が吸収され、大地から立ちのぼるエネルギーが、内胚乳や籾殻など殻の内層を養っている。
穀物を多く食べると、ちょうど穀物の穂が風にしなるように、私たちの体も強靭かつ柔軟に成長して、あらゆる天候・難題・困難に立ち向かっていくことができるのである。
穀物は、地上でもっとも豊富に繁茂する作物であり、大暑から酷寒まで多様な気候にさらされて生長することによって、偉大なる柔軟性を体現している。
挽き割り・圧扁・フレーク・炒ってはぜさせた穀物加工品、パン・クラッカー・マフィン・ビスケット・ペストリーなど堅く焼き締めた小麦粉製品、トルティーヤ・チャパティ・ピタ・パンケーキなどの柔らかな小麦粉製品、みそ・しょうゆ・ビール・ウィスキー・日本酒などの発酵食品や飲み物をはじめとして、穀物を材料として作られる製品は、実に多岐にわたっている。
穀物は、長期間保存することが可能で、そのエネルギーも非常に長い間保存され、古代の墓から発掘された穀物は、何千年もの時間を経た後、発芽している。
こうした穀物の持つ長い生命力は、古来、不作や飢餓という事態が発生したおりにコミュニティーを守る役目を果たしてきた。
栄養成分という側面から見ると全粒穀物には、消化・排出作用を促進する複合炭水化物と食物繊維が豊富に含まれ、神経系を刺激し精神活動を円滑化するビタミンB,身体の成長を促し、ホルモン分泌機能を向上・維持する効果がある質のよいたんぱく質、骨や歯を丈夫にするカルシウムその他のミネラル分、血液を丈夫にして循環をよくする働きの鉄分などのミネラル、ビタミン類も多く含まれている。
環境面からすると、穀物は、その生長と消費に関して、地球資源を不必要に浪費せず、収穫・貯蔵・加工・輸送に際し、最小限のエネルギーを使うだけである。
全粒穀物を毎日食べることは、心臓病・がん・糖尿病・その他の慢性病の進行を予防するためにもっとも重要な唯一の方法である。
穀物は、日々の食事や特別料理を作るほかに、お茶や湿布などの家庭療法にも用いられる。
例えば、米のふすまである糠は、昔からさまざまな皮膚病の治療に有効な湿布剤を作るために使われてきた。
主な穀物とそのエネルギー効果は、以下の通りである。
★玄米には、エネルギーと栄養がバランスよいほぼ完全な形で含まれ、すべての臓器・機能を養って、特に脳・脊柱・肺・腸・腎臓・膀胱・生殖器に効果的であり、日々の強力なエネルギーが供給されて、心を平静に保ち、適切な判断力を下せるようになる。
古来、米は、同一性の心境を発達させて、他者との連帯感を築き、スピリチュアルな成長を促すために食べられてきた。
もち米は、体を温めて活力を与えてくれる。
もち米をついて小さな塊にしたもちは、母親の母乳の出を促進させ、親子の情愛を深めるために用いられてきた。
大麦は、体の熱を冷ます軽いエネルギーを持ち、肝臓や胆のうの機能を養うもので、治病目的としては、体内に蓄積された過剰な動物性たんぱく質や脂肪の排出を促進させるために用いられる。
★雑穀は、強力な調和エネルギーを供給し、実用的かつ創造的な思考力・発明の才・他者への同情心などをもたらしてくれる。
また膵臓・脾臓・胃を養うもので、特に糖尿病・低血糖症・リンパ腫・およびこれらの臓器に関連する疾患に有効である。
★全粒小麦は、特に穀粒の形で食べると、力強さ・勇気・洞察力を与えてくれる。
小麦粉の場合、いったん粉に挽いて、粒全体を構成する粉末状の部分となった後、再び食品に加工されて、吸収されるエネルギーとして、分析的精神に貢献する。
めん類・パスタ・パンケーキ・クレープなどの柔らかい食品には、素早く温めるエネルギーがあり、食べごたえと満足感を与えてくれる味わいがある。
パン・マフィン・クッキー・クラッカーなど、その他の小麦粉焼成食品も、食べると非常に満足感があるが、消化はよくない。
また、こうした食品は、粘液を生み出すため、消化器系や排出作用に問題がある場合には、症状が改善されるまで、食べる量を制限するか、すべて避けるようにすることが必要である。
★全粒オート麦は、他の穀物に比べ脂肪分が多く含まれ、強力で温まるエネルギーを持っている。
栄養たっぷりの朝食やその他の料理に使うとよいが、粘液を生み出す可能性があるため、肺や大腸に問題がある場合は、制限が必要である。
★トウモロコシは、穀物のなかでもっとも拡散力があり、強力な上昇・拡散エネルギーを持ち、心臓や小腸に活力を与えてくれる。
昔から全粒ごと挽いた粉でマサの生地を作ったり、トルティーヤ・アレパス・エンバナーダ・コーンブレッド・あら挽きトウモロコシなどの伝統料理に用いられてきた。
★ソバは、一般に使われる穀物の中で、もっとも強力なもので、強力で温まるエネルギーを持ち、激しい肉体労働や家事をする際にふさわしい。
腎臓・膀胱・生殖機能を養うが、エネルギーが強いため、非常に陰性もしくは陽性に傾いた症状の場合、制限が必要である。
全粒の形では、主にカーシャとして食べ、めんのソバは、全粒小麦と合わせて作られる。
(トウモロコソ、ソバ、ハトムギなどは、厳密な植物学の意味では穀物(シリアルグレイン)ではないが、準穀物と考えてよい)』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
ムクジェー
「ハリバーブがあなた様の昨日のお話をきいて、びっくりしておりました!
『サーンキャ哲学や、パタンジャリのヨーガスートラや、ヴェーダンタ哲学にも、あれと同じことがちゃんと出ている。
あのかたは普通の人間ではない!』と言っていました」
聖ラーマクリシュナ
「ほう、わたしゃサーンキャだの、ヴェーダンタだの、勉強したことはないよ。
完全な智慧と完全な信仰とは一つのものだ。
”これではない””これでもない”と分別しつくして、最後にブラフマン智を得る。--そうしてから、一度すっかり捨てたものをまた受け入れる。
屋根に上るときは、一段一段気をつけながら上らなければならない。
上ったあとで振り返ってみると、屋根も階段と同じ材料で--煉瓦と石炭と煉瓦粉でできていることがわかるんだ!
”上”という感じがある人は、”下”の感じもある。
智慧を獲たあとは、上も下も同じに感じる。
ブラフラーダたちは第一原理をさとったとき、”我はソレなり”(ソーハム)という境地になっていた。
肉体意識が出ると、”召使いの私”(ダソーハム)--”私は神の召使い”という心境になっていた。
ハヌマーンも、時には”ソーハム”の境地になったり、時には”召使の私”--”私はソレの一部”という心境になった。
なぜ信仰を持ってこの世で暮らさなければならないのだろうね?--そうでなけりゃ、いったい人間は何を持って暮らせばいいんだい!
ほかに何をして日を過ごせばいいのかね。
”ワタシ”はどうしても無くならないから、”ワタシ”という壺がある間は、”ソーハム”にはならない。
三昧に入れば”私”は消える。--そのときは、アルものがアルだけだ。
ラームプラサードはこう言っているよ--『そのあとは、私がいいのかあなたがいいか、それを知るのはあなただけ』
”私”が残っている間は、信仰者として生きるのが一番いいんだよ!
”我こそ至高者”(バガヴァーン)というのはよくない。
”ヘ ジーヴァ、バクトボト、ナ、チャ、クリシュナボト!”個霊はクリシュナに非ず、クリシュナの信者なり)”--でも、神自らがひきよせて下さる場合は話が別だ。
主人が召使いをことのほか愛して、『ここへおいて、そばにお坐り、私とお前は一心同体だよ』と言うようなもんだからね。
ガンジスの波とは言うが、ガンジス河は波のものではないだろう?
シヴァには二つの境地がある。
至高の喜び(アートマラーマ、真我に没入したときは”ソーハム”の境地で--ヨーガの状態で心身ともに静止している。
一方、”私”という感じが浮き上がるときは、ラーマ!ラーマ!と叫びながら踊っている。
動かない人は動くこともある。
今、お前はジッとしている。
でも少し経つと、そのお前が何か仕事をする。
智慧と信仰は、本質は同じものだ。--或る人はただ”水”と言い、ある人は”水の塊(氷)”と言うだけのちがいだ」
「お前たちは誰だ、どこにいる?
皆になっていなさるのは、あの御方なんだ。
あの御方がわからぬ間は、”私”、”私”と言ってうろつき廻っているんだ。
誰でもあの御方を知ることが出来るんだよ--誰でも解脱して自由になれるんだ。
ただ、朝、食べる人もあり、昼、または夕方、食べる人もある。
でも、食べ損なう人はいない、ということさ。
誰でも、すべての人が自分の本性を知ることが出来るんだよ」
「”私”とは何か、これをよく探してみることだ。
”私”は、骨か、肉か、それとも血か、腸だろうか?
私をどんどん探していくと、”あなた”に行きつく。
つまり、奥の奥には、あの神の力のほか、何もないんだ。
”私”は無い!--あの御方だけだ。」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
「わたしはもう一度
君に最高の知識を話して聞かせよう
これを知って聖者たちはことごとく
完成の域に達したのだ
この知識を体得することによって
人はわたしの性質と同化して
物質宇宙の創始期に生まれることなく
壊滅の時にも何のかかわりもない
(バガヴァッド・ギーター第14章1-2)
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡<お知らせ>♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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「食物についての識別」について(8)
通常、アートマン(真我)と肉体は、同化(一体化)してしまっているので、私たちは、自己の本性であるアートマンを自己の中に見つけ出すことができまま、一生を終えます。
私たち人間は、アートマンこそが、真の自己であることを知らないまま、「死」と呼ばれる肉体の消滅を経験します。
しかし、肉体(個人)は消滅しても、真の自己であるアートマンは在り続けます。
このアートマンを己の中に発見することを「見神」と言いますが、
この「見神」のために、私たち探求者が自分で準備をするための手段の一つとして、ヨーガや瞑想がありますが、
ここでは、体の準備のための実践方法である「食事によるアプローチ」として、体の浄化やチャクラやナディ(経絡)の浄化にもなり得ることから、「マクロビオティック」という食事法についてご紹介しています。
まずは、毎日の食事を変えるという日々の実践を通して、体や心に起こる変化を体感してみて下さい。
「見神」は、”絵に描いた餅”のような絵空事(空想物語)では、何の意味もありません。
どんな本を読んでも、どんな話を聞いても、それはただの知識となるだけで、頭の理解だけでは、アートマンを発見することはできません。
直接体験こそが、唯一の「正解」なのです。
折角、人生という時間を与えられているのですから、実在する「神」を自分の中に見つけ出してみて下さい。
「見神」こそが、探求者が持つあらゆる疑問に対する答えをもたらし、それは人間を解放するので、探求者にとっては、これ以上の歓びはないと言えます。
同時に、肉体の死に対する恐怖心は、薄らぐことでしょう。
その時を迎えるために、心身の浄化は自分で為すべき仕事であり、
そのためには、食事におけるアプローチが、大いに役立ってくれることと思います。
『あらゆる食べ物は陰陽両極の資質を持っているため、その分類に際しては、主な分類要因を決める必要性がある。
季節の巡りを見ることは、もっとも有効な評価方法のひとつである。
春には、暖かい天候が回復するとともに、植物エネルギーは上昇する。
大地の凍結が溶け、大気のエネルギーが上昇するとともに、つぼみ・新芽・緑の若枝が現れ始める。
柔らかく若い緑の葉物などの春野菜は、長く寒い冬を振り払い、軽くて新鮮なエネルギーを供給するもので、穏やかな陰性に分類される。
夏には、地から上昇したエネルギーは拡散と活動の頂点に達する。
キュウリ・ズッキーニ・スイカは、気候が暑くより陰性になるに従って、体を冷却する効果を発揮する。
夏の終りになると、エネルギーは絶頂をきわめて、多くの果物や野菜が熟してくる。
そうしたものは水分が多く、春や初夏に比べて地表から高い場所に実り、食べるととても甘くて汁気の多い味がする。
このような食べ物は極陰性に分類される。
秋には、植物界と大気のエネルギーが下降し始めて、小麦・米・大麦などの穀物類とともに、パンプキン・スクワッシュなどのカボチャ類・タマネギ・リンゴなどの球形の野菜や果物が収穫される。
この時期に収穫され、晩秋にかけて使われる植物は、より引き締まって乾いたもので、強力なエネルギーを与えてくれる。
これれは、陽性に分類される食べ物である。
冬になると、気候は寒くより陽性になり、植物エネルギーは地下の根塊組織の中へと下降していく。
木々は樹液が根に下がるに従って、最後の一葉を落とし、植物の生気は冬眠状態に入る。
冬の大部分の期間中、深い雪の層が地表を覆い、湖は凍結し、多くの動物たちは冬眠するか、南の暖かい地方へと渡っていく。
1年の中でこの時期のエネルギーは、凍結して凝縮された極陽性のものである。
地球のエネルギーは、冬至と春分のおよそ中間地点で溶け始め、最初のつぼみが萌え、新たな周期が再開される。
四季を巡る1年の周期は、拡散と収縮、暑さと寒さ、乾燥と湿気といった相補かつ相反する両局面間の変移を見せながら展開される。
食べ物の分類にも、産地の地域や気候に基づいて、同様の法則が適用される。
より寒いか北方の地域では、植物の生育が希薄かつ短期間で、そこで採れた食べ物はより陽性である。
熱帯気候に産する食べ物は密集して生息し、動物も植物も膨張して、より陰性である。
食べ物の色合いはエネルギーの別な側面を表している。
紫・緑・青・白は、より陰性な傾向の色である、赤や黒はより陽性、黄・だいだい・茶などは、その中間に位置する。
このため、ワイン色の果物や緑の葉物野菜は軽い陰性の効力を持ち、動物性食品には赤黒い血が含まれ、より陽性の働きをしている。
ベージュ色の穀物やカボチャ類のように、だいだい色や濃い黄色をした野菜は、より総合的な調和をもたらすものである。
つけ加えて、化学的成分の比率も考慮される。
塩の主成分であるナトリウムは、非常に陽性であるのに対して、ジャガイモ・トマト・ナスなどの主な成分であるカリウムは、非常に陰性である。
こうした傾向の数例を以下に要約しておく。
<陰性エネルギーが生み出すもの>
・暑い気候で育つ
・短期間で生育する
・水気の多い食べ物
・果物や葉物は、主に拡散のエネルギーの滋養を受けて育つ
・地上から上方へ高く生長する
・酸味・苦味・強い甘さ・辛味・芳香の強い食べ物
・カリウムなど拡散性の成分を多く含む食べ物
<陽性エネルギーが生み出すもの>
・寒い気候で育つ
・ゆっくり生育する
・乾いた食べ物
・茎・根・種は、主に凝縮エネルギーの滋養を受けて育つ
・地表から地下へ深く生長する
・塩味・穏やかな甘さ・刺激性の食べ物
・ナトリウムなど凝縮性の成分を多く含む食べ物
あらゆる食べ物は、含有される主要な陰陽の資質で分類できるが、実用的には、現代社会において入手可能な飲食物の全範囲を大きく以下の3項目に分類して用いるのが常である。
- 中庸の食べ物:バランスが取れた毎日の食事として、定期的・ときどき・まれに用いるのに適するもの
- 極陽性な食べ物:堅く引き締まった状態やその他の強力な凝縮効果を引き起こし、温帯地域では、通常は避けるか、最小限にとどめるもの
- 極陰性な食べ物:柔らかく緩んだ状態やその他の非常に膨張する効果を引き起こし、通常、四季の変化がみられる地域では避けるか、最小限にとどめるもの――。
第1の中庸の食べ物は、陰陽の資質が比較的バランスよく混合されたもので、その範疇に含まれる食べ物は、全粒穀物、豆類・豆製品・陸海からの多種多様な野菜類など毎日とってよいもの、果物・種子・木の実・調味料・ふりかけ・漬物・薬味・刺激や香りのない飲み物などの各種組み合わせに加えて、魚介類も含まれる。
中でも白身魚は、ときどきもしくはまれに用いてもよい。
第2の極陽性な食べ物には、パン・クッキー・クラッカーなど小麦粉を焼いた食品や、塩(特に一般の食卓塩)の過剰摂取のほか、肉類・家禽類・甲殻類・その他の動物性食品が含まれる。
タバコ・チョウセンニンジン・インシュリン・チロキシン、また、根・ハーブ・化学薬品・薬物にも強力な陽性の作用がある。
第3の極陰性な食べ物には、精白小麦や白米などの精白された穀物類・熱帯産の果物や野菜、トマト・ジャガイモ・ピーマンなど熱帯産で現在は北方地域でも栽培されるナス科野菜、ミルク・アイスクリーム・ヨーグルトなどの軽い乳製品、豆乳や豆乳チーズなどの高度に加工された大豆製品、砂糖やはちみつその他の精製甘味料、精製された油類・マーガリン・マヨネーズ、スパイス・ハーブ、コーヒーや紅茶などの刺激物、缶詰・冷凍・薬品噴霧・化学処理・放射線照射・遺伝子組み換えなどの加工食品・アンフェタミン・抗生物質・アスピリン・マリファナ・コカインを含む多種類に及ぶ化学薬品・薬剤が含まれる。
どの範疇に属する食べ物も、その大きさ・形・生育・色・味などの資質によって、さらにより陰性もしくは陽性なものに細分される。
調理の方法・時間・圧力の有無・味付けの違いによっても、私たちが口にする食事の質は変化してくる。
私たちは、日々の食事を実践していく上で、陰陽のバランスに応じて食べ物を注意深く選択する必要がある。
中庸の範疇から食べ物を選ぶのが一般的であるが、その場合でも、ある一定の食品を大量もしくは頻繁にとりすぎるとバランスを崩す結果となる。
同様に、ある種の食べ物をまったくとらなかったり、食べ物の組み合わせが不適切でも、健康に問題が生じてくる。』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
『朝の六時半である。
パララムの家を出て、校長はガンジス河に沐浴に行った。
途中、突然地震を感じた。
すぐさまタクールのそばにとって返した。
タクールは応接室で立っておられた。
信者たちも皆、立ち上っている。
皆、地震の話をしている。
かなりの揺れ方だった。
大方の信者は恐ろしそうにしていた。
聖ラーマクリシュナ
「どんな豪邸でも、その人が住んでいる家が持つ、言わば運命みたいなものがあるからね。
それにつけても、人間は自我(アハンカーラ)がつよいなあ。(校長に)--アッシン月の嵐のことを覚えているかい?」
校長
「はい、覚えております。
ずっと年少のときで--九つか十でございましたか--部屋にひとり閉じこもって、神々の名を呼んでおりました!」
聖ラーマクリシュナ
「南神村では晩方だったが--でも、寺ではどうやらこうやら食べものの支度もできた。
木がみんな根こそぎになってしまってね。
だからさ、どこに住んでいるかは、その人の定まった運命なんだよ。
しかし、完全智(プールナ・ジュニャーナ)を得ていたら、死ぬのも殺すのも同じことだ。
死んでも、何も死んじゃいない--殺されたといっても、何も死んではいない。
永遠の遊戯(リーラー)だ。
”それ”のひとつの相(すがた)が永遠不動で、もう一つの相(すがた)がリーラーなんだよ。
変化活動の形がこわれてしまっても、永遠が実在している。
水は静止していても水だし、波立っていても水だ。
波が静まっても同じ水だ」
「あの御方は、永遠不動(ニティヤ)の相(すがた)と、変化活動(リーラー)の相(すがた)とをもっていらっしゃる。
ヴェーダンタでは何という?--ブラフマンは真実在、宇宙世界は虚仮、と言っている。
だが、”信者の私”を残しておいて下さる間は、リーラーも真実在だ。
”私”をあの御方がすっかり拭き取って下すったら、そのときは、”ジャ アチェ タイ アチェ(ベンガル語で『在るものが在る』”。
口では言えない。
”私”を残しておいて下さる間は、すべてを受けいれなければならない。
バナナの樹の外鞘(かわ)をむいていくと、木髄(しん)になる。
しかし、外鞘(かわ)があるから木髄(しん)があるんだ。
木髄(しん)があるからこそ外鞘(かわ)があるのさ。
外鞘(かわ)あっての木髄(しん)、木髄(しん)あっての外鞘(かわ)だ。
ニティヤのことを言うときは、必ず、リーラーがあることがわかっている。
リーラーといえば、必ずニティヤの存在が前提となっている。
あの御方が生物世界になっていなさるんだ。
宇宙存在の二十四原理になっていなさるんだよ。
静止しているとき、あの御方をブラフマンという。
創り、保ち、壊すとき--あの御方をシャクティという。
水は静かでいても水ーー。
大波、小波が起こっても水ーー。
”私”の感じは無くならないよ。
”私”の感じがある間は、生物世界が虚仮などと言えたものではない!
ベルの実の皮やタネをとってしまったら、ベルの実の目方は測れない。
煉瓦、石炭、煉瓦粉で屋根はできている。
その同じ煉瓦と石炭と煉瓦粉で、階段もできている。
ブラフマンがあるから生物世界があるんだよ。
信仰者たち、大智者(ヴィジュニャーニー)たちは、無形の神と有形の神の二つとも受けいれる。
--形のないものと形のあるものと、二つとも認める。
信仰の凍らせる力で、あの無限のサッチダーナンダ海にいくつかの氷ができる。
そして、智慧の太陽が昇ると、その氷が解けてもとの水になる」
「心で分別している間は、”永遠なるもの”にとどかない。
心でどれほど分別したとて、この世界から逃げ出す道はない。--色、味、香、触、音、こうした感覚器官の対象から逃げ出すことはできない。
分別が止んだとき、ブラフマン智だ。
この心ではアートマンはわからない。
純粋な心、純粋な知性、純粋なアートマン、この三つは同じものだ。
ごらん、一つの品物を見るのでさえ、どれのどのものが必要か。
--目がいる、光がいる、それから心がいる。
この三つのうち一つが欠けても物は見えない。
この心が作用している間は、どうして言えるかね、世界もない、私もない、なんてさ?
心が無くなって確信も疑問も消え失せて三昧に入る--ブラフマン智に達する。
けれども、サ・レ・ガ・マ・パ・ダ・ニー(インドのドレミファソラシド)の二―の音を長い間出しているわけにはいかない」
「神さまはいらっしゃる、とただ感じているだけで何になる?
神を見た、というだけですべてだと思ったら大間違い。
あの御方を部屋に連れてこなけりゃいけない--そして、知り合いにならなくちゃいけない。
牛乳の話を聞いた人、牛乳を見た人、牛乳を飲んだ人。
王様の姿を見た人は何人かいるだろう。
しかし、王様を自分の家にご案内して接待できる人は一人か二人だ」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
エーテルは到る処にあるが その精妙さの故に
どんな物とも混じりあわぬように
霊魂(アートマン)はどの体のなかにいても
何ものにも影響を受けない
バラタ王の子孫よ 一つの太陽が
この全世界を照らしているように
霊魂(たましい)は肉体のなかにあって
体の全部(すべて)を意識で照らしている
智慧の眼を開いて
肉体とその認識者との相違を知る者は
物質自然(プラクリティ)の鎖から脱出する方法も知って
至上の目的地に到達する
(バガヴァッド・ギーター第13章33ー35)
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「食物についての識別」について(7)
病を治す食事療法として知られている「マクロビオティック」では、宇宙から地球にやって来るエネルギーを収縮したエネルギー、陽性のエネルギーとし、
地球の内部から宇宙に放出されているエネルギーを拡散のエネルギー、陰性のエネルギーとして捉え、
この陰陽のふたつのエネルギーが、宇宙を形成し、人体を形成し、人間は双方のエネルギーを食物という物質の形で、体内に吸収し、それを各種臓器の働きにより、目に見えないエネルギーに変換して、肉体、精神を維持しているとしています。
この陰陽のエネルギーの性質を知ることで、人体に起きている様々なエネルギーの流れや性質を知ることができるようになります。
エネルギーに対する理解が深まると、人間を、自分自身を、違った観点から考えることができるようになり、やがては、宇宙の法則、宇宙の真理を理解するヒントとして、大いに役立ってくれることでしょう。
今回も、前回の続きを見ていきたいと思います。
『胎児は、子宮内で母親の血液から栄養分を受け取り、その他の滋養分は胎盤を通して得ている。
妊娠期間中の母親の食べ方は、精子と卵子が本来的に持っていた資質以上に、胎児の体質と将来の健康に多大な影響を及ぼすものである。
誕生後の新生児は、動物界の凝縮されたエネルギーである初乳と母乳によって養われる。
歯が出そろう離乳後は、適切な発育と成長のための主要な食べ物として、植物性のものがその大半を占めるようになる。
以後、発育・成熟していくに従って、日々の食事が、気すなわち生命エネルギーの主要な摂取源となる。
食べ物は、直接、私たちの心・体・スピリットに変換されるもので、適切な食べ物を選択して調理することによって、日々の健康と幸福を創造していくために必要な、天と地からの凝縮されたエッセンスを受け取ることができるのである。
人体構造や組織の質および機能は、毎日の食事によるところが大きい。
もちろん、私たちは、自然や宇宙からも直接的に気を取り入れ続けるが、このエネルギーは、臓器・機能・細胞・組織を活性化させ、充填することに用いられている。
互いに相関性はあるものの、外界から取り入れる気のエネルギーは、より陰性であるのに対し、毎日の食事の結果として体内で生み出されるエネルギーは、より陽性なものである。
食べ物は、人体の組織や機能を養う血液・リンパ・その他の体液などに直接変化して、天・地球の周期・私たちを取り囲むさまざまなリズムからやってくる波動や振動を十分に取り入れられるようエネルギー経路を開く役割を果たしている。
食べ物は、肉体的健康や活力に加え、私たちの心や精神も創造して、意識の質を決定するものである。
宇宙からの波動は、脳や神経系を通じてらせん形を描いて取り入れられている。
無数にある細胞のそれぞれが、大気や私たちを取り囲む環境からやってくる振動を引きつける受容体となっている。
私たちの知性や精神性は、体細胞がエネルギーを受容した度合いに応じて決定される。
ゆっくりした周期で振幅が長い波長ほど、肉体を活性化させ、より頻繁な周期で振幅の短い波動のほうが、私たちの思考・想像・夢を創造するのである。
全粒穀物と調理した野菜を食事の主な中心にすえる食べ方をすると、周期がゆっくりで振幅が長い波動とともに、周期が頻繁で振幅の短い波動も併せて取り入れることができる。
意識の範囲が広がると、日常的な事務処理と天空の音楽を同時に取り扱うことが可能となる。
もし砂糖・スパイス・アルコール類・薬物など、極陰性な食べ物を摂取すれば、体内の経絡・神経系・各細胞の中にあるらせんが膨張しすぎて、短い波動が取り入れられなくなる。
逆に肉類・卵・家禽類・脂っぽい魚など、極陽性の食べ物をとると、らせんが活性化しすぎ、混乱して受容した波動を誤って解釈してしまう。
高邁な精神性と緻密な意識は失われ、間違いだらけで暴力的かつ視野が狭く、偏狭で断片的な思考を始めるようになるのである。
このような食べ物が持つ力を過小評価してはならない。
インドに伝わる伝統的知恵の教えである『ウパニシャッド』にいわく、「あらゆる創造物は、食べ物に分解されていく。
食べ物こそが、万物の長であり、普遍的薬なのである。・・・われこそ、この世界そのものであり、同時にこの世界を食すものであるという事実は、知る者ぞ知るのである」。
全粒穀物は、地球上で、数百万年にもわたって、人類のらせん状の進化の中心に位置してきた。
人類は、主に野生種および栽培種の穀物などの植物性食品をとることによって、独自の直立姿勢・高度の発達した知性・精神的方向性を発達させてきたのである。
アジアでは雑穀と米、南ヨーロッバ・北アフリカ・中東では大麦と小麦、北ヨーロッパではオート麦とライ麦、アフリカでは、モロコシ・雑穀・米、北アメリカではマコモとトウモロコシ、南アメリカではアマランサスとキヌアというように、全粒穀物は、あらゆる伝統文化・文明において主食の座を占めてきた。
主要な副食とされてきたものは、海陸の植物(野菜と海藻)・豆類・果物・種子・木の実・根菜・塊茎・キノコ・その他の植物性食品である。
毎日、食事のたびに、世界中の人々は、植物界から得た飲食物をバランスを取りながら摂取しているのである。
主要な食べ物の第3番目として挙げられるのが、野生の鳥獣・小型の哺乳動物・魚介類・飼育した家畜類・小さな飼育生物・昆虫・幼虫などを含めた動物性食品である。
科学者たちによれば、人間は、地球上に人類が誕生して以来、その大半の期間において、平均して月に約2~3回の頻度で動物性食品を食べてきたとされる。
この様式の例外とされるのは、穀物や野菜が生育・収穫できないか、採れる時期が短期間に限定される特殊な気候・環境の地域である。
この中には、熱帯の砂漠・山岳地帯・寒帯・南北極近郊の地域が含まれる。
このような地域では、年間を通じて、比率としてより多くの動物性食品が摂取されており、それによって、過酷な自然環境や活動的な遊牧生活とのバランスを保っている。
動物性を主体とした食事は、こうした状況下では、健康的かつ伝統的な生活法に含まれるものであるが、人類の大部分が住まう世界の大半を占める温帯もしくは熱帯地域では、およそ400年前から始まった近代文明の始まり以来、植物性を主体とした食事法が数えきれない世代を通じて脈々と続けられてきた。
現在、新たな世代の科学者たちは、人類の祖先たちは主に肉食をして、他の生き物に比べてより多くの動物性たんぱく質を摂取したために独自の能力を発達させてきた、とされる従来の定説を覆す挑戦を始めている。
例えば、近年、ハーバード大学の人類学者の中には、初期人類によって進化の主力となったのは、調理法の発見であるとの学説を提出する学者たちが出てきた。
彼らは、考古学的証拠を再検証した結果、人類特有の顎・骨格構造・知性・高度な推察能力・社会構造は、火を扱って野生の植物を調理する術を習得した結果であると説明している。』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
「それから、世間で暮らしているなら、本当のことを言うようにできるだけ努力しなけりゃいけないよ。
正直、誠実でこそ、至聖(かみ)さまがつかめるんだからね。
わたしの場合、いまはちょっとゆるくなってきたが、以前はそりゃあ大変なものだった。
”沐浴する”と言ったとすれば、ガンジス河に下りて行って、マントラを唱えて頭に少し水をかけて、それでもまだ何だかやり方が不十分だったんじゃないかと不安になったものだよ!
或る場所で小便しようときめると、どうしてもそこでしなければ気が済まなかった。
カルカッタのラムの家に行ったとき、何かのハズミに、『ルチは食べない』と言ってしまった。
さあ、食事の席に坐って腹が減っているのに、どにかくルチは食べないと言ったからにはルチは食べられない。
仕方がないから、砂糖漬けの果物で胃の腑を満たしたよ。
でも、今はその気持ちは少し弱くなった。
『うんこをしに行く』とつい言ってしまって、出そうもないのでラムに相談した。
ラムは、『したくなくなったのなら行くことはないですよ』と言った。
そのときよく考えてみた。
すべてはナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)の顕れだ。
だから、ラムもナーラーヤナだ。
だから、あれの言うことをきかないという法があるだろうか?
象もたしかにラーナーヤナだが、しかし、象使いもナーラーヤナ--。
象使いが象のそばに寄るなと言う時は、その言葉に従わない法があるだろうか?
こんなふうに分別判断してからは、”本当のことを言う”ことに対する熱心さは少しばかり弱くなったよ」
「シヴァナートを見ると、わたしはとても嬉しくなるんだよ。
あれはまるで、信仰の甘い水に浸りきっているような様子だからなあ。
それに、あんなふうに大勢の人から褒められる人間は、きっと神様から何かの力を与えられているんだ。
でも、彼には大きな欠点が一つある。
それはね、自分の言葉に責任を持たないことだ。
わたしに向かって、『一度、あそこ(南神村のカーリー神殿)に来る」とはっきり言っておきながら、いつまでたっても来ない。
伝言もよこさない。
こりゃよくないことだね。
”真実を語ることが末法の世(カリユガ)における修行だ”と言われているよ。
誠実さ(サティア)を粘り強く持ち続けていれば、きっと至聖(かみ)をつかむことができる。
誠実ということにいい加減な気持ちでいると、だんだん人は堕落していく。
わたしが今、何かの拍子に『うんこをしに行く』と口走ってしまったら、もし、うんこが出たくなくても、尻洗い用の水壺を手に持ってジャウタラ(ジャウ樹の根本)まで行かなくちゃならん--誠実さに対する熱意を失いたくないからね。」
「見ろ、シヴァナートは年中いろんな問題ごとに巻き込まれて大忙しだ。
雑誌や新聞にモノを書かなけりゃならないし、そのほかにも滅多やたらに仕事がある。
ああいう世間の仕事をしていると、気の休まるひまもないさね。
悩みや心配ごとが次から次へと寄ってくる。
シュリーマッド・バーガヴァラにこんなことがでている。
アヴァドゥータは自分の二十四人の師のなかにトビを一羽いれていなすった。
ある場所で漁夫が魚を獲っていると、一羽のトビが舞い降りてきて魚を一匹さらって跳び上がった。
ところが、魚を見たカラスどもが千羽ほどもトビの後から追いかける。
カァカァわめきながらしつこくトビを追い廻す。
どっちの方向へ逃げてもトビの行く方へカラスの群れはついていく。
南へ飛べば南へ、北へ逃げれば北へ、どこまでもどこまでもついていく。
西へ行っても東へ飛んでも同じことだ。
しまいには、もう何が何だかめくらめっぽうに逃げているうちに、トビの口から魚が落っこちてしまった。
そうしたら、カラスはトビを放っておいて魚の方に行ってしまった。
トビはやっと息をついて一本の木の枝に止まって、ヤレヤレと胸を撫で下ろした。
木の枝に止まって考えついた--あの魚が原因でこの災難が起こったんだなあ。
今は魚がないから、おれはこの通り平和なんだ!
”魚”--つまり、”欲”を持っている間は仕事がついて廻って、そのために、悩み、心配、もめごとが追っかけてくるのだ、という教訓をアヴァドゥータはトビから得たわけだ。
だが、無私の仕事はいいことだよ。
それで心の平和は乱されることはないからね。
だが、無私の仕事というものは途方もなく難しい。
自分では無私の仕事をしてるつもりでいても、どこからともなく欲が忍び込んでいるものだ。
先に沢山修行をした人なら、どうやら無私の仕事ができる人もいるようだがね。
神様にお会いした後なら、楽に無私の仕事ができる。
見神の後では、大抵の場合仕事が離れてしまうものだが、なかに一人二人は、人々を導くために仕事をする』
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
物質体(にくたい)の千差万別を見て
差別観におちいらず 生物は全て
一なるものより発することを知ったとき
その人はブラフマン意識に達する
クンティーの息子よ 霊魂(アートマン)は不滅であって
物質自然(プラクリティ)の性質作用を超越している
それは肉体の中に在るが
何事も行為せず 影響を受けない
(バガヴァッド・ギーター第13章31ー32)
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡<お知らせ>♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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「食物についての識別」について(6)
数回にわたりご紹介しています「食物についての識別」に関連して、食物の持つエネルギーを更に押し広げて、人体をエネルギーの観点、陰と陽という相反する二つのエネルギーの観点から見てみますと、人体だけでなく、大まかなこの宇宙の仕組み、構造がわかってくるので、とても興味深いと思われます。
今回は、前回の続きです。
この世界は、二元の世界と言われていますが、二元とは、相反する相対の世界と言うこともできるかと思います。
陰陽、裏表、明暗、幸不幸、高低、優劣、深浅、あなたとわたし、自分と世界、主体と客体、等々。
この相反する二元的宇宙を、エネルギー的に考えると・・・以下のようになります。
『人体の臓器は、相補かつ相反の関係で成り立っている。
総じて天からの力は、より引き締まった固体の構造を持ち、下降し内向き方向に動く一方で、地からの力は、膨張した中空の構造を持ち、上昇する外向きの動きをする。
このため、心臓、肺、腎臓、膵臓、脾臓、肝臓はより陽性の臓器に、小腸、大腸、膀胱、胃、胆のうはより陰性の臓器にそれぞれ分類されるが、陽性の臓器は、その陰陽に比例して、より軽くゆっくりした陰性のエネルギーによって滋養を与えられる一方、陰性の臓器は、より強く早い陽性のエネルギーに養われている。
一般的に人体の左側は、天からの力の影響を受けやすい一方、人体の右側は、地からの力に支配される部分が大きい。
このため、乳房・肺・卵巣・睾丸・腎臓などの左右一対になった臓器では、通常、左側のほうが、いくぶん小さく引き締まっており、右側にあるほうが、多少大きくて膨張している。
人体の内部に位置する臓器もほぼ同様の影響を受けている。
心臓の左側は、より多くの天からの力で満たされ、右側は、より多く地からの力で充填されている。
下降する結腸や直腸は、より陽性のエネルギーによって養われ、上行結腸の上向き部位は、より陰性のエネルギーから滋養を与えられている。
その中間部にあたる横行結腸は、ほぼ等分にあたる天と地双方からの力によって支配されている。
人体の上部は、上昇し外向きにらせんを描く地からの力の影響を多く受けている。
女性は、地からの力を比較的多く受けているため、乳房が膨らみ、同様に頭頂から生える髪は豊潤に長く伸び、精神的過程を経る活動や機能は、脳に集約されている。
同じ理屈で、人体の下部は、下降し、内向きらせんを描く天からの力に支配され、人体の重心は、腸の奥深く(丹田)に根差して、生殖器は小さく引き締まり、動的活動は、その大半を足脚に負っている。
心臓・肺・肝臓・膵臓・脾臓を含む人体の中間部分は、両方の力をほぼ等分に受けている。
人体の前後で見ると、天からの力は、堅く引き締まった脊柱や凝縮された中枢神経系の形成に優位を占める一方、地からの力は、柔らかく膨張した消化器系および呼吸器系を形成している。
そのバランスを保つため、より陽性な脳や神経系は、波動や振動の形でスピリチュアルな波動を食べ物として消化し、より陰性な消化器系は、実体ある飲食物の形で主に物質的食べ物を処理している。
その中間的な循環器系は、天と地の力の均衡を体現して、肝臓に支配されるいくぶん引き締まった血液、および脾臓が統括する多少膨張気味のリンパ球という相補かつ相反する枝葉へと分化していく。
周辺および中央という観点では、天からの力は、より奥深い中枢機能を支配し、地からの力は、より外側の表面的機能に影響を与えている。
つまり陽性エネルギーは、脳・肝臓・心臓といった人体内部に位置する中枢臓器、卵巣・睾丸、骨・神経、その他内部にある構造や機能の最奥領域に結集する傾向があり、逆に陰性エネルギーは、皮膚・口・唇・乳房・腸および手足指を含む先端部などのもっとも表層な部位に集まりやすい。
あらゆるエネルギーは、らせん状に動いており、収縮局面は膨張局面へと転じていく。
膨張するらせん極限に達すると収縮するらせんに変容し、収縮らせんはいずれ膨張らせんへと転じる、という具合に交互に繰り返されていく。
上下・内外・左右・前後など、対極の実態は、すべて唯一の連続したエネルギーの流れが顕現化して見られるものである。
私たちの人体構造は、天と地の力によって創造され、滋養を与えられている全宇宙の驚くべき構造であり、平静に均衡を保ったあり方がその本来のあるべき姿なのである。
陰陽によって事物を見るという見方が初めてという方々のために、私たちの日常生活において、いかに拡散と収縮が遍在する資質として反映されているか、ごく実用的な側面で見てみよう。
家の扉や窓は、季節によって、縮んだり伸びたりし、自動車や事務機器などの機材も、気温・湿度・圧力などの微妙な変化に感応している。
その様子は、あたかも私たち人体の臓器や腺の様相と同じである。
屋外では、道路自体が、とりわけ塩分や水気といった要因に感応して、傾斜・凹凸・隆起・くぼみを生じさせている。
これはちょうど、私たちの皮膚や組織・臓器の内壁にも似ている。
このような簡単な類似や比喩を挙げれば、陰と陽、すなわち膨張と収縮が私たちの人体内をいかに制御しているのか、誰でも理解できるであろう。』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
人体において、収縮したエネルギーと拡散するエネルギーがどのように密接に関係しているのか?
実際には、目にすることは無い人体を構成している電磁気の流れも、このように理解すると、より現実的に身近に感じることでしょう。
東洋では、「気」とも呼ばれているので、私たち日本人には馴染みのある観念だと思います。
経絡とは、この人体に流れる気エネルギーの流れる路ということになり、
「病は気から」とも言いますが、この気エネルギーの人体における影響は、想像以上に大きいことは明らかです。
気エネルギーは、訓練次第で、感じることができるようになります。
チャクラも経絡も、眼には見えませんが、実際に存在するエネルギーの出入り口であり、流れなのです。
聖ラーマクリシュナ
「いいかい、慈悲と愛着は別なものだよ。
愛着というのは自分に属していると思っているものに対する執着だ。
たとえば父さん、母さん、妻や息子などをかわいいと思う気持ちだ。
慈悲はすべての生物をかわいがる気持ちのこと。
分け隔てのない公平な気持ちだ。
慈悲心のある人を見たら、神様のお恵みを受けている人だと思え。
慈悲心からすべての生き物に奉仕するのだ。
だが、愛着も神様から来る。
愛着を通して、あの御方は人を家族や縁者に奉仕させなさる。
けれどもよくお聞き。
愛着は人を無智にしておいて、この世に縛りつける。
だが、慈悲は精神を清浄にする。
そして、だんだんと縛りを解いていく。
精神が清浄にならなければ、見神は出来ないからね。
色欲や怒りや貪り心に打ち克つことが出来たら、あの御方のお恵みがいただけると。
そうするとお会いできるんだ。
これはほんとに秘密の話なんだが、性欲に勝つためには、わたしだって実にいろんな方法を試したものだよ。
ヨーガのある坐法を組んで、ジェイ・カーリー(カーリーに勝利あれ)、ジェイ・カーリーと前後左右に向かって叫んでみたり、ぐるぐると歩きまわってみたり、ずいぶんと工夫したものだ。
わたしが十のとき--まだ郷里にいた時分だが、はじめてのあの状態(サマーディのこと)になった。
野原を歩いていたらあるものが見えて、それが大波のように覆い被さってきた--見神にはいくつかの特徴がある。
光りを見ること、歓喜を感じること、胸の中に花火が上がったような大風が吹き上がる」
「ね、”私と私のモノ”--この二つが無智というものなんだよ。
”おお神様、あなたがご主人、一切すべてあなたのもの”--これが智慧というもの。
どうして”私のモノ”なんて言える?
庭園の管理人は”手前どもの庭”なんて言っているが、何か失敗をして旦那に追い出されるときは、マンゴの木で作った自分の物入れ箱でさえ持って出る勇気もない。
愛欲や怒りのようなものは、どうしても無くならない。
だから、それを神様の方へクルリと向け変えろ。
何かを手に入れたいと言う欲があったら、神様を手に入れたいという欲にしてしまえ。
よく考えて判断して、この世のはかない事物から欲を逸らしてしまえ。
象がその庭のバナナの樹をたべようとすれば、象使いは先のとがった棒で突っつくよ。
お前たちは商人だから、商売の進め方を知っているだろう。
人によっては最初に皮帽子作りから始めて、かなりの金を儲けるとこんどは衣類の店を出す。
そんな具合にして、人は神への道に進んでいくものだ。
そして、時々独りになって、神様に呼びかけることが多くなってくるよ。
だけれども、このことは知っているかな?
時期が来なければどうにもならない、ということ。
ある人々には、経験しなければならないことがどっさり残っている。
そのために遅れているのだ。
オデキだって、あまり早いうちに切開すると結果が良くないだろう。
膿んで柔らかくなって口ができた頃合いに、医者は切開する。
子供が、”お母ちゃん、ボクおねんねするから、おしっこのとき起こしてね”と言うと、母親はこう答える。
”坊や、おしっこがしたくなれば自分で目が覚めますよ。
母さんが起こさなくたって大丈夫よ”」
「ね!
神様は見えるんだよ。
”神は口で説明することも頭で考えることも出来ない”とヴェーダにあるが--これは、心がこの世のことに執着していては見ることが出来ぬ、という意味だ。
ヴァイシュナヴァ・チャランは、『あの御方は、純粋な心と純粋な知性によって知ることができる』と言っていた。
だから、信人、聖者の許に出入りして、いつも祈りを忘れずに師(グル)の教えに従うこと--これが必要なのだ。
そうすると心が澄んできれいになる。
すると、あの御方が見えてくる。
汚れた水は漉してきれいにしなくてはね。
そうすれば顔も映つる。
泥の付いた鏡には映らない。
心がきれいになって信仰が身に付いたら、やがてあの御方のお恵みがあってあの御方に会える。
会ったあとで、お指図があれば人びとを導くようになる。
その前に勝手に説教するのはよくないね。
自分の胸の中のお堂を、先ずきれいに掃除することだよ。
そして神像をちゃんとお祀りすること。
礼拝の用意をすること。
何の用意もしないで、ボウボウほら貝を吹いていたって何になる?』
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
あらゆる所に あらゆる生物のなかに
ひとしく至上主(パラメーシュワラ)を見る者は
自分で自分(自己の本体であるアートマン)を傷つけることなく
まっすぐに至高の目的地に近づく
すべての行為(カルマ)は物質自然(プラクリティ)によって
つくられた肉体が行うのであって
自己の本体(アートマン)とは無関係であると知る者は
存在の実相を見ているのである
(バガヴァッド・ギーター第13章29ー30)
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☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
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など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
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http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
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「食物についての識別」について(5)
今回は、「食物についての識別」を更に推し進めて、久司道夫先生の「The マクロビオティック」から、エネルギーの観点から「人体」について解説して下さっています箇所を、抜粋してご紹介させて頂きます。
久司先生の解説通りに、人間を、この世を、この宇宙を、エネルギー的に考えられるようになると、これまでご紹介してきましたブログの内容が、より身近に分かり易く感じられることでしょう。
「エネルギー」は、多くの謎を解く「鍵」であることは言うまでもありません。
そのヒントを、これからご紹介する久司先生の文章の中に見つけてみて下さい。
『絶え間ない変転は、宇宙の法則である。
銀河の誕生から亜原子粒子に至るまで、文明の興亡から個人や家族の存亡、体内臓器や組織の構造から組織や細胞の働きまで、あらゆるものが、整然とした変化の法則に基づいて展開されている。
宇宙の秩序は、古来、歴史を通じて、あらゆる文明や社会によって発見・理解・称賛され、宗教的・スピルチュアル・哲学的、社会的・治療的に偉大なる伝統としての普遍的基盤を形成してきた。
日常生活において、この永遠の秩序と調和して生きる方法は、古代から仏陀・老子・孔子といった東洋の賢者たちおよびモーセ・イエス・ムハンマドなど西洋の偉大なる人類の師によって説かれてきた。
その内容は、これまで何千年にもわたって、数多くの名前や形式のものと繰り返し再発見され、適用され、説かれ続けている。
万物は流転し、何事も不変ではなく、あらゆるものが変化の途上にあり、何事も一か所にとどまっていることはない。
電子は原子の中で核の周りを回転し、地球は太陽の周りを回りながら自転し、太陽系は銀河の中心の周りを回転しており、宇宙が絶え間なく循環し膨張する中で、銀河の集団は、互いに超高速で離反し続けている。
対極は相互に引きつけ合いながら調和を保ち、似たもの同士は互いに排斥し合って不調和を回避している。
一方の極は他方に転じつつ、いずれ元の極へと回帰していく。
あらゆる事象を支配するこのふたつの相補的対極の資質は、極東では、陰陽として知られている。
この地球上で私たちは、太陽・惑星・星・遠方銀河・宇宙空間の果てからやってくる求心的エネルギーとして陽性を体験している。
この外から内へ入り込み、下降する力が、あらゆるものを地球の中心核に向けて押しつける方向に作用する結果、地球は自軸を中心に自転し、太陽の軌道を回っているのである。
古代文化において、このエネルギーは、天からの力として知られていた。
現代科学では、この原初的力を引力または重力と名づけ、物体を中心へと引きつける普遍的力であると誤解している。
地球は、自軸の回転によって、上向きで拡散性の逆方向の力も同時に発生させている。
この地殻から生まれ、上昇する遠心性の力は、地球の力として知られている。
このふたつの力の相互作用によって、私たちの地球から宇宙の隅々に至る万物・万象が創造されているのである。
陰陽は、万物創造を織りなし、対極間で果てしなく繰り返されるダンスである。
両極は、いずれも独自の傾向を持っていて、陽性の力は、収縮・綿密・重さ・高速・高温をもたらし、陰性の力は、拡散・発散・軽さ・低速・低音を創造している。
火の高温が拡散に転じ、氷の低温が凝固をもたらすように、いずれもきわまると対極に転じる。
陰陽は、ともに静止した固定的な状態や要素ではなく、絶え間なく循環し、相互に変換し合う傾向を持っている。
生物学的レベルで見れば、陽性は男性が持つエネルギーと、陰性は女性が持つエネルギーと、それぞれ関連性があるが、完璧に陽性もしくは陰性のみの資質を持つものは存在せず、この両極の力を含む割合は、不断の変動と変化に支配されている。
男性は、女性に比べると、肉体的に力強く、重量があり、活動的であるが、往々にして女性のほうが精神面では勝っており、直感力も鋭い場合が多い。
同様に外見的には、女性のほうが男性より優しく、親切で、愛らしく見えるが、内面的には、男性のほうが多分に恥ずかしがり屋であり感傷的で受容力を持っているものである。
陰陽は、神もしくは無限なる宇宙から生じて、数知れない姿形となって現れ、最終的には、やがてまた合併され、共通の源に回帰していく。
この陰陽の法則は、亜原子粒子の動き、血液や組織の構成、惑星や月の構造、性差間の関係性まで、ありとあらゆる現象をつかさどっている。
私たちの日常生活において、この両極のバランスを保つ方法を習得すれば、病気を健康に、争いを平和に、悲しみを喜びに転じていくことが可能となるのである。
自然の何十億年にも及ぶ進化の頂点にあたる人間は、天と地の力の力強い相互作用によって形成されている。
女性の卵子は、卵巣内の卵胞の内側へ向かうらせんの動きによって形成され、男性の精子は、外側へ向かう生殖細胞の分化によるものである。
こうしたそれぞれの過程が融合して、新たな生命が創造されるのである。
子宮の中の胎児は、母親の頭部で渦巻くつむじの中心から反時計回りにらせん形を描いて流入する天からの求心力と、母親の子宮から時計回りにらせん形を描いて上昇する地からの遠心力の双方を絶えず受け取っている。
いずれのエネルギーも生命力あふれる電磁力を発生させながら、成長する胎児の上下方向から充填されている。
このエネルギーは、日本では「気」、中国では「チー」、インドでは「プラーナ」、イスラエルでは「ルアーク」、初期キリスト教では「聖霊」として、古くからその存在が知られていた。
子宮内部で天と地の力が結合され、胎児の肉体的・精神的・スピリチュアルな構造が形成されていく。
進化の過程で刻まれた青写真に基づき、1個の受精細胞から無数の細胞が配列され、複雑な生命体が新たに誕生するのである。
この高度に充填された環境で、ふたつの力が融合する結果、垂直方向のエネルギー経路が生み出される。
この上下2か所の流入口に加えて、自然の電磁力が活性化した7カ所の主要中枢を形成しながら、エネルギー経路における5カ所の主な領域に充填される。
このエネルギー中枢は、古代インドでは、「チャクラ」もしくは「輪」と呼ばれていたものである。
これら高度に充填されたふたつの力は、子宮内の胎児の回転運動と融合して、胎児の中枢から周囲の環境へ向けて放射されるエネルギーを生み出し、胎児の周りに目に見えないエネルギーの層を形成する。
この目に見えない流れは、この領域内で発生して、内側および外側へ向かうらせん状のエネルギーを形成している。
主な内向きらせんは、消化器系および呼吸器系、外向きらせんは、神経系および骨格へとそれぞれ成長を遂げ、その中央に循環系が形成される。
さらなる分化によって、動きの遅い中実の臓器と動きの速い中空の臓器が形成されていく。
一例を挙げれば、初期段階の心臓は、天と地の力の周期的脈動に感応して、胎児の椎間板と初期胎盤に血液が循環し始める受胎後第24日目に鼓動し始める。
人体内で7本に分岐したらせん状組織は、全般的に成長を遂げて、消化器系、神経系、循環器系、呼吸器系、骨格、生殖器系の各組織およびその機能を統合し、包括的全体を形作っていくのである。
心臓および他の主要な臓器や機能が形成された後、電磁力は、上昇・下降の両方向へ向けて放出され、腕や脚の成長を促進させていく。
チャクラから分岐する電磁波であるエネルギーの流れは、経絡として知られ、腕・手・指・脚・足・つま先に至って終着している。
経絡の実態は、線でも経路でも導管でもなく、らせん状のエネルギーの流れであり、体内に流入し、臓器を形成し活性化させた後、手足を活性化させながら上下方向へと放出されていくエネルギーの流れの全工程を表すものである。
この観点から見れば、人体の臓器・腺・機能は、経絡と別個のものではなく、全経路の中でもっとも凝縮され肉体化された部分であると言える。
次いで各経絡は、より小さく細かい多数の支流に分化している。
これらの支流は、無数の細胞に血液や気、意識を運ぶ役割を果たしている。
人体は、その構造や機能において、目に見えるものと見えないものが複雑に組み合わさって成り立っている。
臓器・腺・組織・細胞は、らせんを描くエネルギーが充填された経絡とチャクラとの活発な連携を基盤として顕現されたもので、それらが一致協力して人間の自然な電磁力構造を形成しているのである。』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
聖ラーマクリシュナ
「(ハズラーに)誰に向かって信仰するかを、ラテゥに説明してやったよ」
ハズラー
「信仰者は、自分みずからに向かって祈っているのです」
聖ラーマクリシュナ
「それはとても高い思想(かんがえ)でね、プリンダーヴァリがパリ王にこう言ったーー「あなたはブラフマンにどんな宝をささげるのですか?」と。
お前がいま言ったこと、そのことのために、祈りや、修行や、称名したり、讃歌をうたったりするんだよ。
自分のなかにほんとうの自分をみつけることができたら、一切成就だ!
それを覚るための修行なんだからね。
その修行をするために肉体(からだ)があるんだ。
黄金の神像ができ上るまでは、土の鋳型が必要だ。
神像ができ上ったら、土の鋳型は捨てられてしまう。
見神できたら、肉体は捨ててもいいんだ。
あの御方は内にだけいらっしゃるのではないよ。
内にも外にも!
カーリー堂で大実母(マー)は、あらゆるものが霊だということを見せて下すった!
マーがすべてのものになっていなさるんだ!
お像も、このわたしも、お水入れも、供え皿も、ぴかぴか光る飾りものも、木の戸も、大理石も、意志も、みんな霊そのものなんだよ!
このことをはっきり見るためにこそ、あの御方に祈るんだよーー祈祷、修行、称名、讃歌、キールタン。
このことのために、あの御方を信仰するんだ。
あれたち(ラトゥたち)は見ての通り、まだそれほど高い境地にいっていない。
あれたちは信仰にすがっている。
まだあれたちにはそういうこと(ソーハムーー我はソレなり)を言うな」
「あの御方は、自分の奥深くに住む全智全能の主だよ!
素直な心で、キレイな心であの御方に祈れ。
あの御方は何でも教えて下さる。
我執高慢を捨ててあの御方に頼りきれ。
すべてを得られるさ。
外で人と交わるときには、みんなに好意を持って同じ仲間のようになりなさい。
悪意を持ってはいけないよ。
”あの人は人格神を認めていて、神は無相だという真理をわかろうとしない。
あの人は無形の神は認めるが、人格神を認めようとはしない。
あれはヒンドゥー教、あれはイスラム教、あれはクリスチャン”ーーなどと言って見下したりしちゃいけない。
あの御方がそんなふうに見せて下さるんだからーー。
みんなそれぞれ、生まれつき違った性質や傾向をもっているのだということを、よく会得してみんなと付き合いなさい。
多くの人と交わって、そして、みんなを愛しなさい。
それから、自分の部屋に入って、静かな平和を楽しみなさい。
”智慧の灯のかがやく内なる態度で、ブラフママイーのお顔を拝みなさい”
自分の内なる部屋で、自己の本性を見るんだよ。
牛飼いが牛を野原に連れて行くと、みんないっしょになって、まるで一かたまりになる。
夕方、戻ると、またそれぞれの小屋に入れられる。
自分の小屋で”自らのなかに住む”のさ」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
バラタ一族の最も秀れた者よ
動くもの 動かぬもの
生まれ出たものはことごとく
用地(クセートラ=体)とその認識者との結合であることを知れ
そして すべての生物のなかに
ひとしく至上主(パラメーシュワラ)が住んでいる
必滅の体のなかにあるこの不滅なるものを
知る人は まことに存在の実相を見ているのだ
(バガヴァッド・ギーター第13章27ー28)
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡<お知らせ>♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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「食物についての識別」について(4)
ここ数回、マクロビオティック食事療法の本から、「食物についての識別」において、知恵として活用できる部分を、抜粋してご紹介しています。
前回は、誰でも経験している「ストレス」の緩和方法についてご紹介しましたが、
今回は、この時期に発症するケースが多いとされている「季節性感情障害(SAD)」、いわゆる、「季節うつ」と呼ばれる症状の緩和についてご紹介させて頂きます。
『季節性感情障害(SAD)は、季節の移り変わりによって、気分や身体機能に極端な変化が現れるもので、季節的には春から夏に比べて、特に秋から冬にかけて起きやすい。
SADをわずらうと、該当期間中に、気分の落ち込み・活力の低下・短気・食欲増加・家庭や職場で仕事をこなすのが困難になるなどの症状が見られる。
砂糖・菓子・精製炭水化物などを無性に欲して、体重が20ポンドも増え、睡眠時間も通常より4時間も長くなる。
重症になると、他人を避けたり、身体障害を引き起こしたり、自殺を試みる場合もある。
症状は、8月下旬から9月上旬に現れる場合が多く、翌年3月から4月上旬まで、暗く沈んだ悲観的無感情な様相を引きずっている。
アメリカでは、1000万人もの人々にこの疾患が見られる。
そのほかに約2500万人が、比較的軽い症状である「冬のふさぎ」をわずらっている。
性別では、女性のほうが4倍もSADにかかりやすく、子どもや青年の場合、秋に学校が始まるころ、症状が発症しやすい。
現代医療では、SADを臨床的にうつ病と捉え、最近の研究は、脳内の神経伝達物質で冬季にもっとも低下するセロトニンの果たす役割の解明に焦点が当てられている。
うつを緩和するため、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)などの抗うつ剤が処方されるのが一般的である。
明るい環境を提供して視覚神経を刺激する光療法も広く用いられる。
冬季休暇に太陽が明るく照る気候地域に出かけるのもよい方法である。
南方や熱帯地域に住む人は、寒い北方地域に住む人に比べて、8倍もSADにかかりにくい。
マクロビオティックの観点からすれば、SADの原因は、脂肪・たんぱく質・糖分・塩分が過剰に含まれる無秩序なアメリカの標準的食事によるもので、中でも季節の推移に合わせた調整が欠如していることにある。
長く寒い冬が終わり、春になると、大地のエネルギーが立ち昇り、活性化し始め、真夏にその頂点をきわめる。
この期間、私たちは、新鮮な青菜・庭で採れた野菜・みずみずしい果物といった軽くて拡散性を持った食品をとり、軽めの調理法を用い、塩分や調味料は控えめで、水分を多めにとるようにする。
これによって、暖かく乾いた環境と太陽の降りそそぐ季節とのバランスが保たれる。
秋から冬にかけては、エネルギーが変化して、収縮し始める。
木々は落葉し、動物は冬眠に入り、雪や氷が地表を覆う。
この期間には、私たちは、滋養たっぷりの穀物・根菜・乾物などの、より強力な収縮性を持った食品をとり、いくぶん火をよく通した調理法を用い、塩分や調味料は多めに、水分は控えめにとるようにする。
これによって、寒く湿った環境と日差しの少ない季節とのバランスが保たれる。
現代的な食事法はもはや、このような季節の巡りを無視して、まったく異なる気候環境からかき集めた食品で構成されるようになった。
人々は、冬でもパイナップルやマンゴーなどの熱帯性食品を食べ、夏にステーキやチーズバーガーなどのずっしり重い動物性食品を食べている。
スーパーマーケットや自然食品店には、一年中あらゆる季節の食品が取りそろえられている。
自分が住む環境の変化に対応した食べ方をしなくなれば、自然との調和から逸脱し、多くのレベルで不均衡を経験するようになるのは、ごく自然なことである。
SADは、陰陽両極端な食事の組み合わせによって引き起こされ、特に肉・家禽類・卵などの油脂分やコレステロールを多く含んだ動物性食品、チーズ・アイスクリームなどの乳製品、ピザ・クラッカー・クッキー・チップスなどの堅く焼き締めた小麦粉製品、マヨネーズ・サラダドレッシングを含めてあらゆる種類の脂っぽい食品、熱帯性の果物や野菜などを大量に摂取したことによるものである。
SADの症例の大半には、新陳代謝の低下・体重の増加・性欲減退・他人との接触を避けるといった症状が見られる。
これは、熊などの動きが遅く、体が大きい陰性な動物に見られる冬眠状態と類似している。
このような傾向は、動物性・植物性の両方からの油脂分のとりすぎとともに、大量の堅く焼き締めた小麦粉製品や塩分過剰によって引き起こされる。
こうした陽性過剰のため、菓子・単糖類などを無性に欲するのが、SADの特徴である。
この疾患を解消するには、食事指針として、陰陽両極端な要因による症状のための「食事法その3」に従う。
全粒穀物・調理した野菜類、中でも秋から冬にかけての甘いカボチャ類・タマネギ・キャベツなどを使った野菜料理をとると、砂糖や単炭水化物に対する欲求が抑制される。
甘い野菜のドリンクを一か月間、毎日飲み、その後2カ月目は、一日おきに飲むと、血糖値の安定化に役立つ。
ニンジンと大根の飲物か切干大根のお茶を一週間に数回、数カ月間飲むと、体内に溜まった余剰な脂肪分の排出に役立つ。
切干大根にしょうゆ少々ふったものをとるのも効果的である。
症状を回復するには、自然に触れる機会を持つことが重要である。
できるだけ地元で採れた食材を用いるように心がけ、毎日、30分以上、戸外を歩くようにするとよい。
自分の身近な環境に見られる樹木・花々・植物・鳥のさえずりなどを識別できるように学習する。
天候のいかんにかかわらず、ガーデニング・ハイキング・近くの山や湖を散歩するのもよい。
写真撮影を趣味とするなど、このような方法はすべて、自分が住んでいる環境適応して、長い冬を乗り切るために役立つものである。
合わせて、もし臨むなら、太陽が降り注ぐ土地へ短期の旅行に出かけると、帰ってきたときには、十分その恩恵に浴し、元気を取り戻すとともに、自分が住む環境に感謝の念が湧き起こるであろう。』
(THE マクロビオティック 久司 道夫 著)
このように見ると、体と心、そして食物は密接な関係を持っていることが、よくわかります。
いつもは無意識に食べている、または、好きなモノを優先して食べている食生活を、少し見直してみませんか?
病気治癒や予病に役立つだけでなく、「見神」への心身における準備としても、非常に役立つことと思われます。
心身が整うと、余計なモノが削ぎ落されるので、微細なエネルギーを感じ取りやすくなります。
微細なエネルギーを感じられるようになると、大きく意識が変容し始めます。
その状態で、グルの恩寵に与れる人は幸いです。
「見神」の瞬間は、自然とやって来るでしょう。
そのための準備(修行)は、個人がやらなくてはなりません。
棚から牡丹餅を期待しても、無駄です。
「見神」を望むなら、最低限の努力は必要なのです。
聖ラーマクリシュナ
「シッディとは本質をつかむこと。
”八大神通力”のシッディではないんだよ。
あのシッディのことは、クリシュナがアルジュナにこう言いなすっただろうーー『弟よ、もし八大神通力の一つでも持っていたら、その人はわたし(神)のところには来られない』と。
どうしてかといえば、神通力など持っていると高慢になって、高慢の気が少しでもあれば至聖をさとることができないからだ。
それから、プラヴァルタカ(初心者)、サーダカ(修行者)、シッダ(成就者)、シッダのシッダ(完成者)というのがある。
神様を拝みはじめたばかりの人はプラヴァウタカの段階だ。
この段階の人は額に宗派のしるし(ティクラ)をつけたり、首に数珠をかけたり、外側のことを熱心に実行する。
サーダカはずっと進んで、外見上のことにはあまり気を使わなくなる。
サーダカは神をさとることに憧れて、心の底からあの御方を呼び求め、称名をし、真剣に祈っている。
じゃあ、シッダは?
神は実在し、神だけがすべてのことをなさるのだ、という確信をもった人。
つまり、神を見た人のことだ。
シッダのシッダは?
あの御方と話をする人だ!
ただ見ただけじゃなく、親として、友だちとして、愛人として、あの御方と親しく付き合い、話し合うんだ。
木の中に火が含まれている、という信念。
一方、木から火を取りだして米を煮て食べ、満足し安心する。
この二つは別の品物だ。
霊的境涯に限界はない。
その上があり、またその上がある。」
「(恍惚とした様子で)ここにいるのはブラフマン智を求めている人たちだ。
無形の神の信者だ。
それも結構だね。
(ブラフマン協会の協会員たちに向かって)
一つの理想(かんがえ)をしっかり持っていろ--形ある神でも、無形の神でも、そうすれば、いずれ神をつかむことができる。
そうしないとダメだ。
しっかり信仰していれば、形ある神の信者も神をつかめるし、無形の神の信者もつかめる。
砂糖のついたお菓子を正面からかじっても、横っちょからかじっても、甘いことは同じさ。
でも、しっかりした信念を持たなければだめだよ。
熱心にあの御方を呼ばなけりゃダメ。
世間の人たちが考えている神はどんなものか知ってるかい?
叔母さん連中の口ゲンカをいつも聞いている子供たちが、何かして遊んでいるとき、『神さまに誓って!』などと言う。
あの程度のものだ。
それから、キザな紳士がキンマの葉(インドの嗜好品)を噛み噛み、ステッキを手にもって庭を散歩しながら、花を一つ摘みとって友だちに言うーー『ねえ君、神は何というビューティフルな花をお造りになったものだろう!』
こんな程度のものさ。
でも、こうした俗人の気分はホンの一瞬の間のことでね、ちょうど焼けたフライパンの上の水滴のようなものさ。
一つの理想(かんがえ)をしっかり守って修行することだ。
飛び込むんだよ。
そうしなければ海の底にある宝玉は手に入らない。
水の表面でバシャバシャやっているだけでは何もつかめないよ」
「深く沈め。
神を愛することを学べ。
神の愛に浸れ、お前たちの祈りの言葉を聞いたがね、お前たちの協会じゃ、神さまの偉いことをやたらに言い立てるが、ありゃどういうつもりだい?--『おお神よ、あなたは大空をお創りになりました。広い広い大海をお創りになりました。
月の世界、太陽の世界、星の世界をお創りになりました』
ああいうことを言って、それほど役に立つものかねえ?
人はみな、旦那の別荘を見てびっくりする--木も花も池も部屋も、部屋の中の絵や何もかも、何とすばらしいものかと思って言葉も出ないほど感心する。
でも何人が、別荘をつくった旦那を探そうとするかね?
旦那を探すのは一人か二人だ。
神様を熱心に探せばその御方に会えるし、話も出来るんだよ--ちょうどわたしがお前たちと話をしているようにね。
ほんとだよ。
ほんとに会えるんだよ!
こう言っても--さあ、信じる人がいるかなあ!」
「お経の中で神様を得られるかい?
お経や聖典を読めば、せいぜいのところ、神は存在するらしいなあと感じる程度だろう。
自分で飛び込まなければ神様は会って下さらないよ。
深く飛び込んだ後で、あの御方は自分のことを知らせて下さるから、そこでいろんな疑いは晴れるんだ。
本を何千冊読んでも、口で何千回聖句をとなえても、情熱をかたむけてあの御方に飛び込まないかぎり、あの御方をつかむことは出来ないんだよ。
ただの学問だけでは人をだますことは出来ても、神をだますことは出来ない。
お経、書物、ただそれだけで何になる?
あの御方のお恵みなしには何一つどうにもなりゃしない。
だから、あの御方のお慈悲がいただけるように、一生懸命に努力することだ。
お慈悲がいただけたら、あの御方に会えるんだから、お前たちと話をして下さるんだからーー」
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
或る者は瞑想禅定によってそれを覚り
或る者は理論哲学(サーンキャ)を学んでそれを知り
或る者は名利を求めぬ仕事をして
それを通して至上我を見る
或る者はこのような霊的知識を知らなかったが
人からこれを聞いて至上者(わたし)を拝みはじめる
こうした人々も正智聞信の功徳により
生死の鎖から解放されるであろう
(バガヴァッド・ギーター第13章25ー26)
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☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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