永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(40)「命」④

前回から「生命」「命」「生」について、ご紹介しています。

 

私たちは、今、「命」を体験し、人間として「生きている」わけですが、それぞれの人が、「命」については、個人的な感想を持っているとは思いますが、ヨーガにおける「命」の捉え方をご紹介したいと思います。

 

今回は、いつものような前もっての解説は省略しますので、ダイレクトに聖者の方々が遺された御言葉を感じ取って頂けたらと思います。

 

前半は、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、後半は、ラマナ・マハルシの遺された御言葉から、「命」の根源としての「神」について、多くのヒントが込められた数々の叡智の言葉に触れ、人生の隠された目的を果たすために、役立てて頂きたいと思います。

 

 

 

Sure Ways for Success in Life and God-realization(人生における成功への確実な道と神の実現)

 

シンプルで謙遜に満ちた生き方をしなさい。

食べるために生きるのではなく、生きるために食べなさい。

妬むな、中傷するな、嘘をつくな、詐欺を犯すな、悪意を抱くな。

あなたは、常に歓びに溢れ、幸せで平和になるだろう。

道義的に正しいことは、人生のルールである。

高潔な人生を送りなさい。

ダルマ(宇宙の理)を厳格に信奉しなさい。

人間の人生は、徳なしには、人間的ではない。

人生の塩は、無私の奉仕である。

人生のパンは、宇宙的な愛である。

もしあなたが、全人類に奉仕し愛するのでなければ、人生は充分に生き、充分に実現しされてこなかったのである。

真の人生の秘密は、神の愛と人類への奉仕の中にある。

他者を助けるために生きなさい。

神聖なる力は、あなたを通して、命を与える力として流れるであろう。

聖者の人生を学び、彼らから直感を引き出しなさい。

優しいハート、与える手、親切な会話、奉仕の人生、平等な視野、偏見のない態度を養いなさい。

あなたの人生は、必ず、祝福されるだろう。

奉仕し、愛し、与え、浄化し、瞑想しなさい。

あなたの旅は、あなたを新しい無限の至福の王国の中へと連れて行くだろう。

あなたは、輝く宝を発見するであろう。

あなたは、神を再発見するであろう。

あなたは、強くなり、健康になり、自由になり、快適になり、幸せになり、平和になるであろう。

あなたは、あなたが触れるすべての命に霊感を与え、祝福するであろう。

人生を絶え間ない喜びにしなさい。

正直(Satya)から歓びを得なさい。

苦行(Tapas)から歓びを得なさい。

同情心から歓びを得なさい。

シンプルな人生を送りなさい。

規則正しい人生を送りなさい。

勤勉な人生を送りなさい。

まるでそれが最後の日であるかのように、日々を捉え、祈りや瞑想、奉仕の中でどんな瞬間も役立たせなさい。

あなたの人生を神への絶え間ない捧げものとしなさい。

現在に生きなさい。

過去に生きてはいけない。

未来の希望を諦めなさい。

人生の意味をよく理解し、それから探求を始めなさい。

人生は、最も偉大なる贈り物である。

どんな瞬間も、有効に役立たせなさい。

成功は、しばしば、躊躇わず行動する人にやって来る。

成功は、臆病者にはやって来ない。

 

 

Unity of Life(命の統合)

 

命を一つの全体として見なさい。

命の包括的な見方をしなさい。

すべての命は、一つである

すべての命は、ただ一つであり、唯一の実在であるブラフマン、或いは、絶対者から発している。

神は、すべての命の中で息づいている。

世界は、一つの家である。

すべては、一つの人間の家族のメンバーである。

すべての創造は、有機的な全体である。

その全体から独立している人はいない。

人は、他者から彼自身を分離させることによって、彼自身を惨めにしている。

分離は、死である。

統一は、永遠の命である。

宇宙的な愛を養いなさい。

すべてを包み込みなさい。

すべてを抱擁しなさい。

他者の価値を認めなさい。

人から人を分離するすべての障害を破壊しなさい。

すべての創造物の内側に、不滅の本質である非二元の原理を認めなさい。

すべての命を神聖なものとしなさい。

その時、この世界は、美の楽園、平和と平静の天国になるであろう。

花や植物と共に笑いなさい。

蝶や鳥、鹿と共に遊びなさい。

灌木やシダ、木の小枝と握手しなさい。

虹や風、星や太陽に話しかけなさい。

流れている小川や海の波と語り合いなさい。

杖と話しなさい。

あなたの隣人、犬、猫、牛、人間、木、花などと友情を持つようになりなさい。

その時、あなたは広く、完全で、豊かな、満ち足りた人生を持つことができるであろう。

あなたは、ワンネス、或いは、命の統合を実現するだろう。

これは、ほとんど言葉で述べることはできない。

あなたは、あなた自身で感じなくてはならないだろう。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

 

『質問者

「いったいどうしてサンサーラ(誕生と死の輪廻)は悲しみと邪悪に満ちているのでしょうか?」

 

マハルシ

「それは神の意志によって!」

 

質問者

「なぜ神はそう望まれるのでしょうか?」

 

マハルシ

「それは測り知ることのできないものなのだ。

どんな動機も神の力には属さない。

欲望も、成し遂げようとする目的も、無限の一者、全知全能の存在は主張しない。

神は彼の存在のなかで起こる現象とは無縁である。

太陽と世界の現象を比べてみなさい。

多者(世界)となる前に、一者(神)に現象の動機や責任を負わせることは意味がない。」

 

質問者

「すべては神の意志で起こるのでしょうか?」

 

マハルシ

「全能である神の命令にさからって何かを為すことは誰にもできない。

それゆえ、すべての苦悩の源である、邪悪で不安定な、人を惑わす心を棄て去り、神の御足元に沈黙の内にとどまることが最善である。」

 

質問者

「徳行に報い罪業を罰す、イーシュワラ神(人格神)というひとつの独立した存在があるのでしょうか?

神は存在するのでしょうか?」

 

マハルシ

「そうだ。」

 

質問者

「彼はどのような存在なのですか?」

 

マハルシ

「イーシュワラは心と身体のなかに、いずれは滅びゆく個体性をもっている。

だが、それと同時に、彼は超越意識と解脱を内に秘めている。

宇宙の至高の創造者であるイーシュワラ、人格神は本当に存在している。

だがこれは、まだ真理を実現せず、個我の実在性を信じている人びとの相対的な見地から見たときに誤った真実である。

賢者の絶対的な見地からすれば、無形の一者である、個我を超えた真我以外には、他のどんな存在もありえない。

イーシュワラは物理的身体、名前と形をもっている。

だが、それはこの物理的身体ほど粗大なものではない。

それは幻想のなかで帰依者によって想い描かれた姿で見られる。

神の名前と形は数多くさまざまであり、それぞれの宗教によって異なっている。

彼の本質は、われわれの本質と同じ無形の一者の真我である。

それゆえ、彼がとる姿はただの想像あるいは現れにすぎない。

イーシュワラは宇宙の至るところに存在するすべての人、すべてのもののなかに内在している。

すべてのものとすべての生けるものの総体が神を成しているのである。」

 

質問者

「それでは、究極的にはイーシュワラは実在ではないのですね?」

 

マハルシ

「イーシュワラの存在は、われわれがもつイーシュワラの概念の結果である。

まず、イーシュワラが誰の概念なのかを知ろうではないか。

概念はそれを考え出した人によって生じる。

あなたが誰なのかを見いだしなさい。

そうすれば他の問題はひとりでに解決するだろう。

イーシュワラ、神、創造者、人格神は消え去るべき最後の非実在の姿である。

唯一、絶対的存在のみが実在である。

それゆえ、世界だけではなく、自我だけではなく、人格神もまた非実在なのである。

われわれはまさしく絶対なるものを見いださなければならない。」

 

質問者

「あなたは最高位の神さけも、ひとつの概念にすぎないと言われます。

それはつまり、神は存在しないということでしょうか?」

 

マハルシ

「いいや、イーシュワラは存在している。」

 

質問者

「彼はある特定の場所に、特定の姿で存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「もし個人が姿をもっているなら、主である真我、源でさえひとつの姿をもって現れるだろう。

神は、長期の瞑想のなかで帰依者によって繰り返し思い描かれたいかなる姿もとる。

このように、神は無数の名前を受け入れるが、真の無形の意識だけが本当の神である。

神の住みかについてだが、彼はハート以外のどこにも住むことはない。

自我によって産まれた「私は身体だ」という観念のために、神の王国はどこか他にあると思われている。

ハートこそが神の王国だと知りなさい。

あなたは、神の王国の存在を可能にするだけでなく、それを何か素晴らしい天国のように見せる完全な光輝であるということを知りなさい。

ただこれを知ることだけがジニャーニである。

それゆえ、神の王国はあなたの内側にある。

心が完全に没入した状態にある高度に成熟した探究者のハートのなかで、突如として、あふれんばかりに輝きだすトウリーヤーティータ(四つの状態を超えた、つまり真我)の無限の空間、今まで知らなかったような新鮮な体験、それはごうまれにしか到達されることのない、真我の光に輝く真のシヴァ・ローカ(神の王国)である。」

 

質問者

ジーヴァ(個人)は限定された視野と知識といった邪悪な幻想の影響の支配下にあると言われています。

その反対に、イーシュワラはすべてを包括する視野と知識をもっています。

また、個人が限定された視野と知識を放棄すれば、ジーヴァとイーシュワラは同一化するとも言われています。

もしそうだとすれば、イーシュワラもまたすべてを包括する視野と知識を放棄するべきではないでしょうか?

それらもまた幻想なのではないでしょうか?」

 

マハルシ

「それがあなたの疑いなのかね?

まず自分の限定された視野を放棄しなさい。

そのあとで、すべてを包括するイーシュワラの視野と知識について充分考える時間があるだろう。

まず自分の限定された知識を取り除きなさい。

なぜイーシュワラについて心配するのかね?

彼が彼自身の面倒を見るだろう。

われわれがもっている能力と同じだけイーシュワラももっているのではないかね?

なぜわれわれが、イーシュワラがすべてを包括する視野と知識をもっているかどうかを気に病むのだろうか?

もしわれわれが自分自身の面倒を見ることができるなら、それ以上のことはない。」

 

質問者

「しかし、神はすべてを知っているのでしょうか?」

 

マハルシ

「『ヴェーダ』は神が全知全能だと述べている。

だがそれは、無知ゆえに自分が智識をもたないと考えている人たちに向けられた言葉なのだ。

だが、もし人が真実ありのままの神を知ったなら、神が何も知らないことを悟るだろう。

なぜなら、彼の本性は永遠なる実在の全体であり、その他に知られるべきものは何ひとつ存在しないからである。」

 

質問者

「なぜ、宗教は神や天国や地獄などについて語るのでしょうか?」

 

マハルシ

「ただ人びとに、それらがこの世界と同程度のものであり、そしてただ真我だけが実在だということに気づかせるためである。

宗教は真理の探究者の見地にしたがって現れる。」

 

質問者

「ヴィシュヌ、シヴァなどの神々は存在するのでそうか?」

 

マハルシ

「存在するものとして知られているのは人間だけではない。」

 

質問者

「では、神々の聖地カイラーサやヴァイクンタは実在するのでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたがこの身体のなかにいるのと同じようにそれらは実在である。」

 

質問者

「彼らは私の身体のように、現象的存在を所有しているのでしょうか?

あるいは、彼らは野ウサギの角のような作り話にすぎないのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼らは確かに存在している。」

 

質問者

「もしそうであれば、彼らはどこかにいるはずです。

どこにいるのでしょうか?」

 

マハルシ

「彼らを見たことのある人びとは、彼がどこかに存在していると言っている。

それゆえ、われわれはその言葉を信じなければなるまい。」

 

質問者

「どこに存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「あなたのなかに。」

 

質問者

「では、それは私が創造し、支配できるただの観念なのでしょうか?」

 

マハルシ

「すべてがそのようなものなのだ。」

 

質問者

「しかし、野ウサギの角のようなまったくの虚構や、部分的には真実である蜃気楼のようなものなら想像で作りだすこともできます。

それにもかかわらず、私の想像力と関わりのない事実もまた存在するのです。

イーシュワラ神やシヴァ神はそのように存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「そうだ。」

 

質問者

「神はプララヤ(宇宙的崩壊)を被るのでしょうか?」

 

マハルシ

「どうしてかね?

真我に気づいている人は宇宙の崩壊をも超越して解脱を得る。

ならば、なぜはるかに賢く能力をもったイーシュワラのそうできないことがあろう?」

 

質問者

「デーヴァ(天使)たちやピサーチャ(悪魔)たちも同じように存在しているのでしょうか?」

 

マハルシ

「そのとおりだ。」

 

質問者

「神々は真我との関係のなかでどのような位置をしめているのでしょうか?」

 

マハルシ

「シヴァやガナパティやブラフマンのような他の神々は、人間の視点から見れば存在している。

つまり、あなたが個人的な自己を実在だと考えるなら、神々も存在する。

ちょうど政府の行政雲絵のために高官がいるように、創造者がいるのである。

たが、真我の見地からすれば、これらの神々はすべて幻想であり、神々自身が実在のなかに溶け去らなければならないのである。」

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

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