永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(36)「創造」⑤

「世界の実在性と創造の理論」におけるアドヴァイタ(非二元)的宇宙は、二元世界に生きている私たちには、理解し難い宇宙観ではありますが、これが、究極的な真理であり、そこに至ることが、Moksha(解放、解脱)、つまり、ヨーガの究極的な目標であることは、古今東西の聖者と呼ばれる方々が、それぞれに遺された御言葉からも、明らかです。

 

前々回では、私たちは、宇宙を直接体験しているようでいて、実は、肉体にある感覚知覚器官を通した情報を脳内で再構築することで、宇宙を宇宙として認識していること、そして、前回では、この再構築(認識)が起きているのは、脳内であり、その一連の脳内の情報処理作用(機序)を「心」と称しており、つまりは、この世を体験しているのは、肉体であるようでいて、実は、「心」であるということをお伝えしました。

(それ故、「心」が認識する「世界」は、「心」の数だけあることになり、同じ地球上における体験であるにも拘わらず、その体験は、「心」によって異なり、体験される「世界」も、それぞれの「心」によって、異なることになります)

 

「心」が無ければ、どんな体験も起こり得ません。

睡眠中は、「心」の働きは起きていないため、「心」はない、と言えます。

「心」のない状態においては、「私」という「主体」も、その「主体」が体験している「世界」もない、ということを確認しました。(「心」=「私」であると言っても過言ではありません)

「世界」と「私」(=心)は、相関関係にあり、両者の関係は、どちらか一方では、あり得ないということになりますが、(「世界」を認識する「心」が無くては、「世界」は無い、ということ)「心」が働いている間に限って、「世界」は存在していることからすると、「世界」を在らしめているのは、私たちの「心」ということになります。

 

しかし、その「心」でさえ、24時間働き続けている訳ではありません。

一日の何時間は、「心」は消えている状態がありますが、それでも、私たちは、その状態を「睡眠」と呼び、「私が寝ている」とし、目覚めが起きて、「世界」を認識する「心」が働き始めると、それと同時に、「私」と「世界」は、同時に出現する訳ですが、一般的には、「世界の中で寝ていた私が、世界の中で目覚めた」という具合に捉えられているために、「主体」は、いつも必ず「私」であることが、人間共通の認識における暗黙のルールとなっています。

 

この一連の流れは、無意識に起こるために、私たちは、当たり前のこととして、「主体は私である」ということに、何かしらの疑問や不都合や矛盾が起こることはありません。

そして、睡眠中も、肉体は在るために、深い睡眠の中で、たとえ「私」(=心の働きの中の自我意識)がいなくなっても、目覚めれば、「私」は、眠りに就く前の「私」に戻り、それが自動的に起こるために、睡眠中の「自己の不在」に対する恐れも不安も疑問も起こらず、よって、継続した「自己の実在性」への疑いは起こりません。

 

しかし、「私」だと思っている「私」は、睡眠中では消えているのに、肉体は存在している訳ですから、「私」(という意識=自我意識)が、肉体を有らしめ動かしている「本当の主体」ではない、ということは明白です。

 

この事実から言えることは、脳は、人間の体の各部位に命令や指令を出し、また、各部位からの情報を処理する変換機でもあるため、肉体全体の司令塔、制御装置のような役割をしている一つの器官に過ぎないということです。

そして、「私」(という自我意識)は、脳内にあり、睡眠時に起きている事実から推察すると、脳の活動に連動していることは明らかで、この脳の司令塔の役割が、「私」という別称で呼ばれていると見ることも可能かと思われます。

 

そして、更に見て行くと、この司令塔である脳ですが、生物発生学的には、一番最後にできる器官なのです。


卵子精子が一つになり、その後、細胞分裂を繰り返し、体を構成する各器官ができ、そして、体の各部位ができていきます。
その中で、一番最初に発生するのは、心臓で、約10ヶ月かけて、体が完成し、出産を通して、"私"が誕生します。

この事実から見ると、発生学的には、少なくとも、肉体で最も重要なのは、脳よりも心臓ということになります。
また、自我意識である"私"の誕生は、体の誕生よりも、もっと後のことで、発達心理学では、誕生後、言葉を発するようになる1歳半~3歳位と言われているようです。

「私」という自我意識や思考の発生源は、脳にありますが、体全体の発生源は、心臓なのです。(その前は、卵子精子、つまり遺伝子です。)

 

心臓が止まると、全身に血液を送れなくなるので、30分後には、脳のニューロンが死滅してしまい、司令塔は司令塔の役割を果たせなくなるために、やがて肉体のすべての器官の働きが停止します。
これが、"脳死"と言われているもので、日本では、法律上の死となっています。

しかし、胎児においては、脳の発生前から、既に心臓の原型は動いていて、生命エネルギーを体全体に届けています。

(このことは、記事の最後にご紹介します受精から胎児になるまでの成長のプロセスの動画でご確認下さい)


このことからも、個人の"私"の源は、少なくとも、脳ではなく、心臓だと言うことになりますが、しかし、心臓は、脳の背後にあって、司令塔である脳を動かしている隠れた存在ではありますが、それでも、心臓も体の中で働く一つの臓器に過ぎません。

この心臓も、自ら動いているように見えても、実は、そうではなく、他の臓器に先駆けて生み出され、動き出したに過ぎない体全体に生命力を送るための一つの臓器と言えます。

そして、この先が、とても大切なのですが、ここに因果律(縁起の法則)を適用するならば、この心臓を動かしている力の源があることになり、体の源である心臓を動かす源がなくては、心臓は動かない、と推論することができます。


この心臓を動かす源は、当然、個人である"私"の源のはずです。

心(脳)は、主体(主人)のように働いていますが、「本当の主体(主人)」ではありません。

この「本当の主体(主人)」の力により、心臓が働き、脳が働き、そして、全身が生命体として躍動することができるのです。

個人の"私"を有らしめている源は、心臓に宿る「本当の主体(主人)」です。

これを、ヨーガでは、真我(アートマン)と呼んでいます。

 

『生類の玄洞(心臓)に鎮まれている真我は、微なるよりも微に、大なるよりもさらに大なり。』(カタ・ウパニシャッド

 

『この見難き秘奥に匿(かく)れ、玄洞(心臓)に棲み、深淵に潜む久遠の神(真我)』(カタ・ウパニシャッド

 

この心臓に宿っている「本当の主体(主人)」である真我(アートマン)を、己の中に見出すことで、「自分とは、本当は、何者であるのか?」という問いへの答えを得ることができます。

 

本当のわたし(本当の主体)は、この肉体でも、この世を体験している心でもなく、時空間を超えた永遠の実在です。

それが、真の自己である真我(アートマン)、魂の姿であり、アートマン(魂)は、この宇宙で唯一の実在である神我である大霊(ブラフマン)と同一です。

 

ここに至って初めて、現象的宇宙の実相、アドヴァイタ的宇宙の仕組み(カラクリ)が明らかになります。

(肉体を通して心が体験する現象的宇宙である物質界、そして、心だけが体験する心象的宇宙であるアストラル界は、宇宙の実相そのものではありません。

両方とも、「心」に投影された影のような存在であり、本当の意味での「実在」ではないのです)

 

こうして、「私」と「世界」の関係性が明らかになることで、Moksha(解放、解脱)が起こります。

 

「わたし」も「世界」も消滅しますが、それでも、尚、「至高の一者」が、すべての存在の源として、何にも依存せず、実在として在り続けています。

 

今回も前回同様、前半に、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、後半は、ラマナ・マハルシの遺された御言葉をご紹介いたします。

 

 

 

「God Only Is:The World Is Not(神だけが存在する:世界は存在しない)

 

実際には、永遠のブラフマンがあるだけである。

実は、他には何も存在しない。

不可分なサッチダーナンダ(※)の塊である絶対者ブラフマンだけが、存在する。

創造は、夢である。

目覚めも、また、夢である。

肉体は、夢である。

この全世界は、完全な虚偽である。

この世は、完全に、非実在である。

感覚的な喜びは、夢の中で不妊の女性の息子を愛撫するようなものである。

天国、解脱と世界は、不妊の女性の息子のように、単なる言葉であるだけである。

すべては、大いなる幻影である。

夢も、深い眠りも、天国も解放もない。

真実は、すべては平和であり、永遠の至福である、ということである。

ここでは、何も生まれていないし、何も死んでいない。

すべての教えの主題、目的は、言葉、或いは、音の遊びであるだけである。

内側と外側である無限は、空間と時間と通して、この世として現れている。

ブラフマンは、世界とし現れている。

世界は、ただの顕れである。

それは、ロープの中の蛇のようであり、蜃気楼の中の水のようであり、空の青さのようなものである。

蛇は、ロープだと思う無知のせいで、現れている:ロープが知られると、蛇は消える。

世界は、真の自己の無知のせいで、顕れている。

アートマン(真我)の智識がある時は、顕れない。

人が真の自己を忘れる時、ブラフマンが宇宙として、彼に顕れる。

人が、自分自身の真の自己に確立する時、宇宙はブラフマンとして顕れる。」

(※:サッチーダーナンダ=サット(実在)、チット(意識)、アーナンダ(至福)が、”不可分の一つ”として在ることをこの一言で表している)

 

 

Know the Truth(真理を知りなさい)

 

もしあなたが、真の自己の智識を獲得したら、人生の意味は、神秘であることを止めるだろう。

あなたは、明確に、この宇宙の何故?とどのように?を理解するであろう。

物事の性質における目的と進歩は、あなたにとって明確になるであろう。

すべての超越的な物事は、あなたの手の平の中のリンゴのように、知られるであろう。

感覚を引っ込め、瞑想しなさい。

あなたのハートの奥まった処に、深く潜り込みなさい。

あなたは、経験的なリアリティとは非常に異なる、時間のない、空間のない、変化のないリアリティである実在の目覚めを持つだろう、

あなたは、この単なる真実のリアリティの外側であるモノは何でも、単なる顕れ、マーヤ(幻影)であり、夢であるということを感じ、経験するであろう。

絶対的な真理を悟りなさい。

あなたは救われるであろう。

あなたは解放されるであろう。

あなたは悟るであろう。

あなたは自由である。

あなたは、ブラフマンになることによってのみ、ブラフマンを知ることができる。

ブラフマンになることは、神聖なる性質-あなたの本質的な性質を構成している至高の魂―とあなた自身を同一視することである。

ブラフマンを知る者は、ブラフマンになる。

川は、大海に合流し、大海と一つになる。

水滴は、海に混ざり、海と一つになる。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda )

 

 

『質問者

「世界のなかの名前や形は実在なのでしょうか?」

 

マハルシ

「名前や形をアディスターナ(根底に在るもの)から分かつことはできない。

あなたが名前と形を理解しようと試みると、そこにはただ実在だけが在ることを見いだす。

それゆえ、つねに実在であるものの知識を達成しなさい。」

 

質問者

「なぜ目覚めの状態はこんなにも実在のように見えるのでしょうか?」

 

マハルシ

「われわれは映画のスクリーン上にたくさんのものを見る。

だが、それは本物ではない。

スクリーンを除いては、何ひとつそこに本物はない。

それと同じように、目覚めの状態のなかにもアディスターナ以外には何も存在しない。

世界の知識とは、世界を知る者の知識である(ジャーグラト-ブラマーはジャーグラト-ブラマタのプラマーである)。

どちらも眠りのなかでは消えてしまう。」

 

質問者

「なぜ私たちは世界のなかに永続性や一貫性を見るのでしょうか?」

 

マハルシ

「それは誤った観念のためである。

誰かが、同じ川で二度沐浴をしたと言ったなら、それは誤りだ。

なぜなら、彼が二度目に沐浴したとき、川はすでに一度目に沐浴したときと同じではないからだ。

炎の輝きを見るとき、人は同じ炎をを見ていると言う。

だが、炎は一瞬一瞬変化しつづけている。

目覚めの状態もこのようなものである。

一定した現れは知覚の判断の誤りなのである。」

 

質問者

「誤りはどこにあるのでしょうか?」

 

マハルシ

「プラマタ(知る者)にある。」

 

質問者

「知る者はどうやって現れたのでしょうか?」

 

マハルシ

「誤った知覚のためである。

実際は、知る者と彼の誤った知覚は同時に現れる。

そして真我の知識が得られたとき、どちらも同時に消え去るのである。」

 

質問者

「知る者と彼の誤った知覚はどこから現れたのでしょうか?」

 

マハルシ

「その質問をしているのは誰だろうか?」

 

質問者

「私です。」

 

マハルシ

「その「私」を見いだしなさい。

そうすればすべての疑いは消え去るだろう。

夢の中に偽りの知識、知る者、そして知られるものが立ち現れるように、目覚めの状態の中でも同じ過程が作用する。

どちらの状態のなかでも、「私」を知ることであなたはすべてを知り、他に知られるべきものは何も残らない。

深い眠りのなかでは、知る者、知識、知られるものは不在である。

これを同じように、あなたが真の「私」を体験した瞬間、知る者、知識、知られるものは存在しなくなるだろう。

目覚めの状態のなかで起こっていることは何であれ、知る者だけに起こる。

そしてその知る者自身が非実在であるため、実際は、いままでも何も起こってはいなかったし、いまも何も起こってはいない。

そしてこれからも、何も起こらないのである。」

 

質問者

「「私」という感覚と世界の知識を与えている光は、無知でしょうか、それともチット、意識でしょうか?」

 

マハルシ

「「私」が他と異なっていると信じさせるのは、チットが反映した光である。

このチットが事物を創造させるのである。

だがこの反映のためには、そこに反映されるべき表面がなければならない。」

 

質問者

「その表面とは何でしょうか?」

 

マハルシ

「真我を実現したとき、あなたはその反映と反映される表面が、実は存在していないことを知るだろう。

だが、それらはひとつであり、どちらも同じチット(意識)なのである。

世界は存在する。

世界はその存在のために場所と、それを知覚可能にするために光を必要とするそのどちらも同時に立ち現れる。

それゆえ、世界の物理的存在とその知覚は、真我から反映された心の光に依存しているのである。

世界は深い眠りのように、アヴィディヤー(無知)の完全な暗闇のなかでは見ることができないし、また真我実現やサマーディのように、完全な光のなかでも見ることができないのである。」

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

次回に続きます。

 

 

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