永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(33)「創造」②
通常、私たち人間は、自分の身体に起きている感覚知覚反応、そして脳に起きているその身体で起きた感覚知覚反応を処理する認知作用を通して、自分自身が世界を体験しており、自分自身も世界も実在している、と認識(結論)しています。
それは、この世界に対する自分自身に起きている感覚知覚体験以外の体験が起きたことがないために、その感覚知覚の世界の実在性を疑うということが起こらないからと言えます。
このリアルな感覚知覚体験が、自己と世界の実在性の根拠になっている訳ですが、それに囚われている限りは、世界と自己の非実在性を唱えている非二元(アドヴァイタ)を真に理解することは、自己存在の否定を伴うために、多くの場合、心の反応として、受け入れられない、理解できないという抵抗や反発が、起きてしまうことでしょう。
しかし、この感覚知覚体験は、脳に起きている一種の「錯覚」なのです。
(言葉を換えて言うならば、世界は、人間の脳が五感を通して体験している一種の幻想です)
非二元、アドヴァイタ(不二一元)においては、宇宙の創造は、前回の記事の中でご紹介しました「アジャータ教義」で説かれる非創造論です。
アドヴァイタ(不二一元)においては、宇宙も自分自身も存在せず、「至高の一者のみが存在する」と説かれています。
このことは、世界と自分自身を超えた領域(時間、空間、因果の法則のない領域)の体験が起こらないと、なかなか理解できないことではありますが、それでも、これが、最高の叡智として、古代のリシ(賢者)達にのみ開示された究極の真理なのです。
この究極の真理への理解を深めるために、今回も、スワミ・シヴァナンダの「Bliss Divine」からの抜粋と、ラマナ・マハルシが遺された御言葉をご紹介したいと思います。
(二番目のEvolution of the Elements(元素の展開)で書かれていることは、古代インド哲学のサーンキャ学派で説かれている宇宙論(二元)ですが、この創造論は、アジャータ教義ではなく、一般的な推論でも理解できる宇宙の創造論と言えます)
God and the Universe(神と宇宙)
この全宇宙は、神の身体である。
この全宇宙は、神、マクロコスモス(Virat Svarupa)である。
この世界は、死んだ物質の世界ではなく、生きる実在である。
絶対神ブラフマンは、形を通した宇宙として、それ自身を顕わす。
創造は、ただ一つの歓びに満ちた自己表現である。
王は、彼自身の遊戯のために、乞食の役を演じた。
聖者は、彼自身の遊戯のために、痴呆の役を演じた。
それと同様、この世界は、ブラフマンのリーラ(Lila)、戯れである。
ブラフマンは、世界として現れる。
多様な物質の世界として輝くのは、ブラフマンだけである。
ブラフマン自身は、石や木、星々として現れる。
一つの意識だけが、多様な宇宙として現れる。
一人の男だけが夢中で多くになるように、一つの神が、多くとして存在している。
全宇宙は、本質においてのみ、ブラフマンである。
これらすべては、ブラフマンにおいて、ブラフマンを通して現れているブラフマンであるだけである。
地球、食物、火、太陽は、ブラフマンの形である。
東、西、北、南は、神の部分である。
空、天国、大洋は、ブラフマンの部分である。
呼吸は、ブラフマンの一部分である。
視界は、ブラフマンの一部分である。
聞くことは、ブラフマンの一部分である。
心は、ブラフマンの一部分である。
この人生は、ブラフマンである。
真理であるブラフマンは、宇宙が生まれ、世界の各サイクルの終りには、分解し、宇宙がその存在を持つ性質である。
結果は、その原因から離れては存在しない。
壺は、粘土から離れて存在しない。
この宇宙は、ブラフマンから離れては存在しない。
それは、いかなる独立した存在をも持ってはいない。
それは、ブラフマンと一つである。
もしあなたが、キャンドルの灯を持ち、それから、あなたは他の何千というキャンドルに灯を点けるならば、最初の灯は、他のすべてのキャンドルの中にないだろうか?
それ故、それは、神と共にある。
すべてのモノを創造しながら、霊、呼吸、存在によって、すべての中にいる。
世界は、神の壮麗さ、光輝、崇高で満ちている。
サトウキビのジュースがサトウキビに充満しているように、塩が水に沁み込んでいるように、ひと塊の塩が、その中に溶かされているように、バターがミルクに充満しているように、同じように、ブラフマンは全ての物質や動物、非動物に充満している。
ブラフマンは、一つである。
顕れは、多い。
一つは、多くを持つ。
燃えたつ火から、お互いに似た火花が何千にも出現するように、それと同じく、一つの不滅のブラフマンから、すべての息をする動物、すべての世界、すべての神々、そしてすべての存在が生じる。
Evolution of the Elements(元素の展開)
彼の意志の力によって、崩壊しない根本である宇宙の実在は、自然の原初の均衡の状態を揺さぶり、次第に、連続して、現在の宇宙の形成にとって必要な区分と元素に展開されるようにと、大自然に最初の刺激を与えた。
最初の展開は、アーカーシャ(虚空)である。
アーカーシャ(虚空)は、何故、最初の展開であるべきなのか?
何故ならば、空間なしには、何も存在できないからである。
プラーナ(微細震動)は、空間(Akasa)上で振る舞う。
振動(Spandana)があった。
振動がある所では、動きがなくてはならない。
動きは、風(Air)の性質である。
動きは、熱を生み出す。
それ故、火は風(Vayu)から生まれた。
熱がある時に、水が生み出された。
暑い日には、身体は汗をかく。
そこで、水は火から生まれた。
水のある所には、食物がある。
地は、食物(Annam)でる。
それ故、地は、水から生まれた。
元素が微細であればあるほど、より強力、パワフルである。
水は地よりもパワフルである、何故ならば、それは地よりも微細だから。
火は、水よりもパワフルである、何故ならば、それは水よりも微細だから。
風は、火よりもパワフルである、何故ならば、それは火よりも微細だから。
虚空(真空)は、風よりもパワフルである、何故ならば、虚空(真空)は、風よりも微細だから。
アーカーシャ(虚空)は、風を助ける。
風は、アーカーシャ(虚空)から生まれ、火は風から生まれ、水は火から生まれ、地は水から生まれる。
宇宙の大洪水の間、地は減少するか、水に巻き込まれ、水は火に、火は風に、風はアーカーシャ(虚空)に巻き込まれる。
全世界、4種類の存在の粗大な身体は、つまり、種子として生まれたもの、水蒸気から生まれた卵性の卵から生まれたもの、胎生の胎盤から生まれたもの、そして喜びのすべての対象は、5つの元素から形成されている。
The Doctrine of Ajata-vada(アジャータ・ヴァーダ教義)
粗大な心(マインド)を持つ人々は、アジャータ教義(Ajata-vada)、つまり非創造論を理解することができないので、この種の創造の理論(スリシュティークラマ)が与えられる。
もしあなたが、ゴーダパダ(シャンカラの師ゴーヴィンダパダの師)のカリカ(解説)によって学説を提出されたアジャータ教義を学ぶならば、あなたは、この世界は、過去にも現在にも未来にも存在しないことを見出すであろう。
この教義は、隠遁と瞑想の生活を送る高い段階にある探究者によってのみ、理解され得る。
もしあなたが、アラーハーバードに6か月間滞在するならば、あなたはあなたの生まれ故郷マドラスについてのすべてを忘れる。
あなたがアラーハーバードで生きる間、あなたにとってのマドラスはないし、あなたがマドラスに住んでいる間は、あなたにとってのアラーハーバードはない。
この世界は、心によって創造されたサンスカーラ(過去の残存印象)の集積であるだけである。
もしあなたが意識的に、サーダナ(霊性修養)と瞑想によって心(マインド)を破壊することができるならば、世界は消滅する。
それは、すべてブラフマンのみになる。
あなたは、14日間、小部屋に閉じ籠り、新聞を読むのを止め、深い瞑想に没頭し、世界があるかないかを見てみなさい。』
(Bliss Divine by Swami Sivananda)
『質問者
「創造の目的とは何でしょうか?」
マハルシ
「創造の理論はいくらでもある。
それらすべては外側へと拡張していくものだ。
それには限りがないだろう。
なぜなら、時間と空間は無限だからである。
しかしながら、それらはみな心の中にしか存在していない。
もし心を見いだそうとすれば時間と空間は超越され、真我が実現される。
見る者なしに見られるものも存在しない。
見る者を見いだしなさい。
創造は見る者のなかに含まれているからである。
なぜ外側を見つづけ、果てのない現象を説明しつづけるのか?」
質問者
「『ヴェーダ』には宇宙の起源に関する矛盾した説明が見られます。
聖典のある個所では、最初に創造されたのはエーテルだと言及され、別の個所では生気(プラーナ)が最初に創造されたと述べられています。
そしてまた別の箇所では別のものが、また別の箇所では水がというように、いったいこの矛盾をどう一致させればよいのでしょうか?
これは『ヴェーダ』の権威をそこなわないでしょうか?」
マハルシ
「真理の異なった相を、異なった人が異なったときに見て、それぞれが異なった見解を強調するのである。
なぜそれらの矛盾した言葉を気にかけるのか?
『ヴェーダ』の本質的な目的は、われわれに不滅のアートマンの本性を教え、われわれがその真我だと示すことにあるのだ。」
質問者
「その点については私も納得しています。」
マハルシ
「ならばそれ以外のことはすべてアルタ・ヴァーダ(余分な議論)、あるいはものごとの起源をたどろうとする無知な人のための説明と見なしなさい。」
質問者
「私は創造の一部分を形成しています。
そのため、その創造に依存したままなのです。
私自身が独立するまでは、創造の謎を解くことができません。
それでもバガヴァーン、あなたにお尋ねします。
私の質問に答えてくださいますか?」
マハルシ
「そうだ。「独立しなさい。そしてあなた自身でその謎を解くがいい。それはあなたがすることだ」と言っているのはバガヴァーンである。
この質問をしているあなたは今どこにいるのか?
あなたは世界になかにいるだろうか、それともあなたのなかに世界が在るのだろうか?
あなたは眠りの間も自分が存在していることを否定できないが、世界が知覚されていないことは認めるに違いない。
その世界はあなたが目覚めるときに現われる。
では、それはどこにあるのだろうか?
明らかに世界はあなたの想念なのだ。
想念とはあなたが投影したものである。
はじめに「私」が創造され、それから世界が創造される。
世界は「私」によって創造され、「私」は真我から立ち現れる。
そのため、もしあなたが「私」の創造を解明すれば、世界の創造の謎も解明されるのである。
それゆえ、私は言うのだ。「真我を探究しなさい」と。」
今一度言おう。
世界があなたのもとへ来て、「なぜ『私』は存在するのか?
『私』はどうして創造されたのか?」と尋ねるだろうか?
その質問をするのはあなたである。
質問者は彼自身と世界との関係を確立しなければならない。
彼は世界が彼自身の想像であることを認めざるをえない。
いったい誰がそれを想像するのだろうか?
彼に「私」を探させ、それから真我を探させるがいい。
そのうえ、科学的、神学的説明はどれも一致するものがない。
そのような理論の多様性が、説明を探し求めることの無益さを明白にしている。
そのような説明は、単に精神的あるいは知的なもの以上の何ものでもない。
それでも個人の観点にしたがって見れば、それらすべては真実なのである。
真我の実現された状態のなかに創造はない。
人が世界を見るとき、人は真我を見ていない。
人が真我を見るとき、世界は見られていない。
だから、真我を見なさい。
そして創造はなかったのだと悟りなさい。」
(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)
次回に続きます。
Hari Om Tat Sat!
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