永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(32)「創造」①

これまでの記事で、私たちは、人間としての体験を通して、この世界(宇宙)が存在し、自分自身も○○××という個人として存在していると認識していますが、それが、マーヤ(幻妄の力)という神の魔術的な力が私たち人間に働いているために、脳に一種の「錯覚」が起きているからである、というような趣旨のことを書きましたが、これまでの一般的な世界観、宇宙観に囚われている間は、一元(アドヴァイタ)を理解することは、直ぐには無理でしょう。

 

「ただ至高の一者のみが存在している」

 

この「至高の一者のみ」という所が、二元世界で生きている私たちに、なかなか理解できないと言うことが起きてしまう原因かと思われますが、しかし、究極の真理は、これしかないのです。

 

そのことを体験を通して理解して行くことが求められているのですが、そこに至るまでには、補足的な説明が必要な場合があります。

 

その補足説明も、究極の真理に達した後には、もはや必要ではありません。

 

これは、ヨーガでも、Jnana Yoga(智識の道)ですが、肉体制御のハタ・ヨーガやアシュタンガ・ヨーガに対し、心を制御するヨーガと言えます。

いかなるヨーガ(合一)も、同じ究極の真理に到達します。

 

真理は一つしかありません。

 

そこに到達すると、世界、宇宙、人間、「わたし」という存在への観念が、180度ひっくり返ってしまうことでしょう。

 

ヨーガではありませんが、正に、仏教のお経である「般若心経」において説かれている「顛倒夢想究竟涅槃」(てんどうむそうくぎょうねはん」の意味を深く理解することができることでしょう。(仏教の修養は、ある意味で、「Jnana Yoga」であり、心のヨーガと言えます)

 

前回と同じく、始めに、Swami Sivanandaの「Bliss Divine」からの抜粋と、次に、ラマナ・マハルシが遺された御言葉をご紹介したいと思います。

 

 

Creation(創造)

 

宇宙は、神秘である。

誰も、それがどのように在るようになったのか?を言うことはできない。

あなたは、リグ・ヴェーダの中に「ここにおいては、この雑多な宇宙のすべてが、何処からやって来たのか?を知る人も、述べることができる人もいない。」と書かれているのを見つけることだろう。

宇宙は、神の命令によって、無から創造され、それは大洪水の期間に、再び無になるだろうと考える人がいる。

この創造の独断は、科学者たちによって是認されてはいない。

彼等は、今存在しているモノは、常に存在して来たし、何かの形で常に存在し続けるだろうと、断固として言う。

サーンキャ哲学でも、あなたは、「在るモノは、無いモノから出て来ることはできない」と見つけるだろう。

バガヴァッド・ギーターも言っている“非実在から実在はあり得ないし、現存するモノは、なくならない。両方についての真理は、見る者によって感知されてきた。」

何かは、無から出て来ることはできない。

何かは、何かからのみ出て来ることができる。

草は、地球から出て来て、地球へと吸収される。

そうであるならば、この宇宙もブラフマンから出て来て、ブラフマンに残り、ブラフマンに分解するであろう。

 

 

The Cause of This Universe(この宇宙の原因)

 

初めに、一秒も無く一つであるブラフマンだけが存在している。

闇が闇を覆っている時、存在だけがあった。

ブラフマンの中で、世界が投影される以前に、振動があった。

これは、ブラフマンの意志(Sankalpa)である。

彼は思った(意図した)「私は一つである。私は多くになれ」

この振動は、水に浸された時の地面の中の種子の膨らみに相当する。

その時、全世界は投影された。

普通の下手な魔術師が、マンゴー、フルーツ、お金、甘いモノ、想像上の神殿など、を取り出すことができる時、魔術や黒魔術を通して、彼-全能の支配者は、この意味のない世界を彼自身の遊技場として創造できないだろうか?

王は、彼の宮殿を家具や絵画、骨董品、庭園、噴水などで飾る時、彼は、この世界を美しい風景、輝く太陽や月、星々、大きな河や大海原を備え付けることができないだろうか?

 

 

Nature of the Creative Process(創造のプロセスの性質)

 

この眼に見える世界は、神の魔術である。

この世は、混沌(カオス)ではない。

それは、統制された、神聖な機構である。

世界は、神の幻影である。

ブラフマンは、彼自身のリーラ(戯れ)のために、マーヤ(幻妄の力)という人を惑わす力を通して、この想像もできない宇宙を創造する。

この宇宙の現象は、マーヤ(幻妄の力)と呼ばれる力のせいであり、その力により、絶対者は、それ自身により、それ自身の中で変化することなく、時間と空間によって条件づけられた現象の絶え間なく続く連続性として現れる。

ブラフマンは、この宇宙を、いかなる方法においても影響を受けることなく投影する。

雲から降る雨が、空を湿らすことがないように、絶対者は、絶対者なしに進行する世界のプロセスに影響されることはない。

一つのブラフマンが、彼のシャクティ(力)を通して、すべてこれらの数え切れない名前と形を装い、多くとして、現れることができる。

彼自身においては、何も変化がない。

世界は、ただの顕れである。

ブラフマンは、これらの形を作るために、いかなる指示も手も必要としない。

彼は、純粋意識であり、自ら輝く知性である。

ただ意志を働かせることによって、かれは数知れない世界を生み出すことができる。

種子の潜在力が、木を生み出すように、それと同様、ブラフマンの潜在力(Svabhava)が、この宇宙を生み出す。

投影は存在と共存する。」

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

 

『質問者

「スリシュティ(創造)はどのようにして起こったのでしょうか?

ある者は運命によってだと言い、またある者は神のリーラ(遊戯)あるいは娯楽だと言います。

何が真実なのでしょうか?」

 

マハルシ

聖典のなかにはさまざまな説明が見られる。

だが、どこに創造があるというのだろう?

もしそこに創造があるとするなら、それがどのようにして起こったかが説明されなければならない。

われわれはこれらの理論については何も知らないかもしれないが、われわれが存在することは間違いなく知っている。

まずその「私」を知りなさい。

それから創造があるかどうかを見てみるがいい。」

 

質問者

「シュリー・シャンカラチャーリヤのヴェーダーンタ哲学のなかでは、初心者のために世界の創造の原理が受け入れられていますが、より熟達した探究者には非創造の原理が説かれています。

この問題におけるあなたの見解はどのようなものでしょうか?」

 

マハルシ

「そこには世界の崩壊もなく、束縛された人も霊的修練を積む人もいない。

解脱を求める人も解脱した人もいない。

これが絶対的な真理である」。

このシュローカ(聖典の一節)は『ガウデパーダ・カーリカー』の第二章に見られる。

真我のなかに確立された人は、自らの真理の知識によってこれを知るのである。」

 

質問者

「私たちが見ているこの世界は、真我によって創造されたのではないでしょうか?」

 

マハリシ

「真我自身が多様な名称と形態の世界として現れたのであって、真我が世界の創造、維持、破壊という行為(ニミッタ・カーラナ)をするのではない。

「どうして真我が真実を知らずに混乱して、それ自身を世界として現わしたのか?」と尋ねるよりも、「この混乱は誰にとって起こったのか?」と探求していきなさい。

そうすれば、このような混乱が真我に起こったことはないと知るだろう。」

 

質問者

「どうやら、あなたはアドヴァイタ・ヴェーダンタのアジャータ教義の主唱者のようですね。」

 

マハルシ

「私はアジャータ教義だけを教えてはいない。

私はすべての教義を承認している。

教えを聞く者の許容量にしたがって、同じ真理が異なった方法で表現されなければならない。

アジャータ教義は、「ただひとつの真理だけが存在する。

誕生も死もなく、世界を投影することも、世界から退くこともない。

真理の探究者も、束縛も、解脱もない。

ただ至高の一者だけが存在する」と説く。

この真理を理解することが困難な者たちは「どうして私たちを取り巻くこの堅固な世界を無視することができましょう」と言う。

彼等には夢見の体験が指摘され、「あなたが見ているものすべては見る者に依存している。

見る者なしには見られるものもない」と説かれるのである。

これはドリシュティ-スリシュティ・ヴァーダと呼ばれる。

人はまず自分の心から創造をし、それから心自体が創造したものを見るという理論である。

何人かの人たちはこれさえも理解できず、「夢見の体験はとても短く、一方、世界はつねに存在しています。

夢見の体験は私だけに限定されたものです。

一方、世界は私だけでなく、他の多くの人びとに体験されています。

そのような世界を非実在と呼ぶことはできません」と議論しつづける。

このように議論する人たちにはスリシュティードリシュティの理論が与えられる。

例えば、「まず、神はこれらの要素からこれらのものを創造し、それから何か他のものを創造し、それから。。。」といった説明がなされる。」

この段階にいる人たちは、この説でしか満足できないからである。

さもなければ、彼らの心は飽き足らず、自分自身に問いかけ始める。「どうしてすべての地理や、地図、すべての科学、星や惑星、そしてそれらを支配している法則、そのすべての知識がまったく偽りだと言うのだろう?」。

このような人たちにはこう告げるのが一番である。

「そうだ。神がこれらすべてを創造し、それゆえ、あなたはそれを見ているのだ」と。」

 

質問者

「しかし、これらすべてが真実ではありえないでしょう。

ただひとつの教義だけが真実のはずです。」

 

マハルシ

「これらの理論は学ぶ者の能力に合わせて編み出されたもので、絶対なる真理はただひとつしかない。

ヴェーダーンタは、宇宙は見る者と同時に出現し、創造の過程といったものは存在しないと説く。

これはユガパト-スリシュティ(同時の創造)と言われる。

それは体験の対象が体験者と同時に出現する夢見のなかでの創造とまったく同じである。

多くの人びとは客観的知識に深く根づいているため、これが説明されても満足できない。

彼らはどのようにして突然の創造が可能なのかを見いだそうとする。

原因が結果にしたがうという因果関係があるはずだと彼らは論争する。

つまり彼らは自分たちを取り囲む世界の存在の説明を求めているのである。

そのために、聖典は創造の理論で彼らの好奇心を満たそうとするのである。

このような創造の問題を扱う手段はクラマ-スリシュティと呼ばれる。

だが、真の探究者ならユガパト-スリシュティを進んで受け入れるべきである。」

(あるがままに ラマナ・マハルシの教え)

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

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