永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

永遠の至福と自己実現(Self-Realization)(21)

 

 約8年前、当時はまだ表立って活動をされていなかったナーナ先生による”シャクティ・パータ”(一種のエネルギー伝授)を受けた際に、それまで体験したことのない至福体験(自分が消滅して、至福の中に溶け去ったような感覚体験)が起き、その時に、それまで知りたくても知ることができなかった知りたかったことのすべてが(本当に、すべてが!)明らかになり、その時を境に、一見難解に感じられる聖者の方々の言葉でさえ、容易に理解できるようになり、ウパニシャッドで語られている究極の叡智が、何を言い表しているのか?が、手に取るように理解できるようになりました。(クンダリニーの目覚めは、すでに若き日にクンダリニーシャクティの上昇を体験していましたが、それでも尚、宇宙の神秘のすべてが明らかになった訳ではなく、真理を覆う最後のヴェールは被ったままの状態で、究極の真理である真の自己(アートマン)を超意識の中でハッキリと直覚智するには、至っていませんでした)

 

宇宙の実相を覆っていた最後のヴェールが取り除かれたことで、その後の自然な流れで、今から約4年前に、スワミ・ラーマの「聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝く」を翻訳出版し、また、今、スワミ・シヴァナンダの「bliss Divine」を翻訳してご紹介しています。

スワミたちが、私たちに伝えようとされていることは、「霊性の科学」と言ってもいい「永遠の真理」であると同時に、誰にでも、何にでも働いている「宇宙の法則」でもあり、人間だけにもたらされる叡智であることを、体験を通して確信しています。

 

しかし、スワミたちが伝えて下さっていることを真に理解するには、自分自身が同じ体験をして初めて可能になることであり、この「霊性の科学」における「宇宙の法則」とも言える「永遠の真理」は、自己の内部を深く掘り下げ、探すことで初めて、根源からの恩寵とも言える力によってもたらされる「究極の叡智」(Atman-Jnana)なのです。

 

私の場合は、神と一つになる至福体験は、ナーナ先生のシャクティ・パータという恩寵の御力によってもたらされましたが、これを起こすことができる力は、人間の力ではなく、根源からの力以外にはあり得ないでしょう。

 

個人個人の人生ストーリーは、それぞれ違っていますが、その人生の中で、それぞれが、運命として直面する多くの試練を、できる限りの努力で乗り越えた先には、神の恩寵により、人生の最終的な目的を果たすことが可能となるチャンスが訪れ、それまで閉ざされていた神秘の扉が開いて行く、という恵みに与ることを身を以って体験したため、このような「奇跡」は、他の多くの人にも起こり得ることだと確信しています。

 

個人を引き上げてくれるダイレクトな恩寵がやって来るまでは、ヨーガの八支則のヤマである「アヒムサー(非暴力)、サティヤ(正直)、アステヤ(不盗)、ブラフマチャルヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)」をできる限り実践し、ニヤマである「シャウチャ(清浄)、サントシャ(満足)、タパス(苦行)、スヴァーディヤーヤ(聖典読誦)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(信仰)」を心掛けて、アーサナやプラーナヤーマ、瞑想などの実践を通して、または、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジニャーナ・ヨーガなどの実践を通して、心身を整え、清めることが、とても重要です。

 

私たちが、自分自身が至福の原泉である無限の霊(エネルギー、スピリット)であることを知るまでは、無常な自然の法則に支配されてしまう「限りある命」として、肉体に閉じ込められたまま、自己の不滅を悟ることはできないでしょう。

 

しかし、自分の真の姿を知れば、永遠の自由がもたらされ、その自由は、死によっても阻まれることはありません。

 

私たちは、「ソレ」でなかったことは、一瞬たりともなく、今も「ソレ」ですし、「ソレ」を失ってしまった訳ではなく、ただ「ソレ」であることを忘れてしまっているだけなのです。

こうして、魂は「眠った状態」である訳ですが、ひとたび心身の準備が整うと、必要なプロセスを経て、魂が「目覚めた状態」になるために必要なことが起こり、己の真の正体が明らかになり、真の姿がリアルな感覚で蘇って来ることでしょう。

ですから、自分の真の本性は、新たに発見するのではなく、思い出すと表現する方が、しっくりと来ます。

 

私たちは、永遠の至福の源泉である永遠の霊(エネルギー、スピリット)であり、永遠の実在なのです。

ただそのことを忘れてしまっているだけです。

 

それ故、地球において私たちが経験している個々の人生は、私たちがこのことを完全に思い出すためにある、と言っても過言ではないのです。

 

そして、私たちは、本人が自覚していようが、いまいが、誰でも、生物的進化の途上にいながら、霊的な神化の途上にいる存在として、己の真の姿を思い出そうとしているプロセスにあり、その真の自己(アートマン)を思い出し、真の自己(アートマン)に戻って行くプロセスを、スワミ・ラーマは、「聖なる旅」と呼んでいますが、誰もが、その「聖なる旅」の旅人であり、今この瞬間も、あらゆる存在の源へと帰還して行っているのです。

 

 

『God and Man(神と人間)

 

人間は、戯れで装っている変装した神であるが、しかし、急速に、自分の真の正体を忘れてしまった。

願望は、彼を引きずり下ろし、識別力は、彼を引き上げる。

進化した人間は、神であり、夢中になった神は、人間である。

束縛された神は、人間であり、束縛から自由な人間は、神である。

思い違いをしている無知な人間は、世俗的である。

完全なる人間は、神である。

神は、人間になった。

人間は、再び神になるだろう。

願望を付け足した神は、人間であり、願望を差し引いた人間は、神である。

人間の中で最も不信心な者であっても、彼ら自身を神に熱心に捧げることによって、最も高い至福へと至ることができる。

真理は、あなたの外側にはなく、あなたの内側にあり、あなたのハートの洞窟に住んでいる。

あなたは、神の真理であり、神の仕事であり、神の意志である。

あなたは、束縛を受けない、自由、永遠に自由である。   

あなたは、永遠に自由なアートマン(Nitya-mukta Atman)である。

オーム(OM)を大声で唱えよ。

肉体の檻から出て、自由に漫遊しなさい。

 

 

God(神)

 

神とは誰なのか?

神とは何なのか?

神は何処にいるのか?

神の悟り方は?

人間は、これらの永遠なる疑問に対する答えを欲しがる。

確かに、神はいる。

神は、存在しており、唯一の実在である。

神は、あなたの創造者であり、救い主である。

彼は、すべてに浸透している。

彼は、あなたのハートに住んでおり、いつでもあなたの傍にいる。

彼は、頚静脈や鼻よりも、あなたの近くにいる。

彼は、あなたを愛しているし、あなたに話しかけることができる。

あなたは、知性によっては、神を見つけることはできない。

しかし、あなたは感じ、瞑想し、体験し、悟る(実現する)ことで、彼を見出すことができる。』

(Bliss Divine by Swami Sivananda)

 

 

次回に続きます。

 

 

Hari Om Tat Sat!

So ham !

 

 

 

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