永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

わたしは誰か?-真我探究の道(5)

これまで数回に渡り、わたしたちを含むすべての存在の本性である真我(アートマン)を知らずに、一人の人間として生きているわたしたちが、己の真の本性についての理解を深めるために、シュリ・ラマナ・マハルシの遺された御言葉から、そのヒントとなる部分をご紹介してきました。

 

前回の記事では、霊性探求においては、指導者、良き導き手であるグル(師)の重要性が語られていました。

これまでに「グル」と呼ばれた存在は、世間一般には知られていないだけで、その時代の霊性の探求者を最終ゴールへと導くために、必要に応じて顕現してきたと言えます。

(このこと自体が、すでに慈悲深い神の恩寵であり、神が愛そのものである証でしょう)

 

このブログでもご紹介してきましたラーマクリシュナやラマナ・マハルシは、その最たる存在と言えますが、ただ一つ残念なことは、彼らは現在はいらっしゃらない、と言うことです。

ですから、彼らの遺された御言葉から智慧(ヒント)を得ることはできても、臨在の恩寵に与ることはできないのです。

「いまここ」において、聖者として崇めることはできても、聖者が放つ臨在のパワーに与ることは不可能でしょう。

 

現在でも、世界には、有名な聖者や覚者として、人々の賞賛を得ている方々は、何人かいらっしゃるようですが、彼らにおける臨在のパワーにより、周囲の者に真我が目覚めていくというダイレクトな体験が起きたという話は、ほとんど聞いたことがないと言えます。

 

前回の記事の中で、ナーナ先生のシッディは、「己の本性を悟るのを防げている障害を消滅させ、神秘への扉を開く力を持つ強力なシャクティ・プラーナのパワー」であると書きましたが、わたしがそれをハッキリと体験したのは、ナーナ先生が数回のクンダリニーシャクティの上昇により、「真我一体」となられた9カ月後のことでした。

その時ナーナ先生は、まだ公には活動をされていなかったため、わたしがナーナ先生と出会い、シャクティプラーナの恩寵に与ることができたのは、正に奇跡としか言いようのない状況の中でのことでした。

 

以前より長期に渡る体の不調があり、それを改善するために、ナーナ先生のお慈悲で初めてシャクティプラーナを受けた時のことで、そのほんの一か月前にナーナ先生に一回だけお会いし、少し言葉を交わしただけの間柄であったため、ナーナ先生についてはほとんど何も知らず、もろん、「真我」や「目覚め」などという言葉は、頭の中に微塵もなく、その時に何が起こるか?など全く想像だにしない状態で、それは突然起きたのでした。

 

その時起きたことは、とても言葉では表現しきれないのですが、敢えて言葉にするならば、あっという間に、体が微細な粒子となり、宇宙(全体)に溶けて無くなり、ただただ至福のエネルギーとなって漂う、というような経験でした。

もちろん、このような体験はしたことがなく、一体全体、自分に何が起きたのか?よくわからず、その後で、ナーナ先生に自分に起きたことを簡単にご説明し、「これが、本当のワタシなのですか?」とお聞きするのがやっとでした。

短い時間だったとは言え、それまで考えたこともないことが突然起きて、上手く頭が働かず、呆然としているわたしに、ナーナ先生は、微笑みながら、はっきりと「そう、それが本当のアナタ」と仰ったのでした。

 

その言葉に、直感的に、自分に何が起きたのか?を理解したのですが、それは、突然意識の扉が開き、神の神秘が実在のリアリティをもって明らかになった瞬間でした。

そして同時に、それはほんの始まりであり、真我実現に向けての第一歩を踏み出したに過ぎないことも理解でき、また、有り難いことに、ナーナ先生が、真我実現に向けて、迷える子羊をシャクティプラーナの恩寵のパワーで、本気で導いて下さろうとしていることが、はっきりと理解できたのでした。

 

このことが起きてから、すでに5年が経過していますが、その後も継続してシャクティプラーナの恩寵のエネルギーに与ることで、現在も、心身、意識の変容は続いています。

そして、有り難いことに、シャクティプラーナの恩寵のエネルギーにより、体の不調は改善され、今に至ります。(これらについては、また別の機会にご紹介させて頂きます)

 

これが起きた後、その後読んだスワミ・ヴィヴェーカーナンダが講演会でお話になられた「ヒツジライオン」の例え話が、何を意味しているのか?を、自然と理解できるようになっていました。

この「ヒツジライオン」のお話は、お話の形をとっていますが、リアルな世界で実際に、起こり得ることなのです。

 

ライオン(真我)そのものであられるシュリ・ナーナ先生は、わたしもまたライオン(真我)であることを、そして、真我とは何なのか?わたしとは何なのか?を、言葉ではなく、具体的な体験を通して、身を以って教えて下さったのです。

それは、言葉を超えた神秘的な体験であり、日常感覚を超えた領域に踏み入ることなのですが、それが、とても自然な形でやって来たことは、恩寵のパワーに誘われたからだと思っています。

 

今回は、最初に、過去の記事ですでにご紹介させて頂いたことがありますスワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ヒツジライオン」のお話を改めてご紹介させて頂き、次に、前回の記事の続きであります「グル」について、質問者による質問に対するシュリ・ラマナ・マハルシのご回答をご紹介したいと思います。

 

 

『えさをさがしていた、身ごもっためすライオンについての話があります。

ヒツジのむれを見て、彼女はそれにとびかかりましたが、そこで死んでしまい、母親のいない子ライオンが生まれました。

それはヒツジにやしなわれて彼らとともに大きくなり、草をたべてメ エメエとないていました。

そして、やがて一頭の十分に成長したライオンになったのですが、自分はヒツジだ、と思っていました。

ある日、もう一頭のライオンがえさをさがしにきて、このヒツジのむれの中に一頭のライオンがおり、ヒツジといっしょに逃げて行くのを見てびっくりしました。

彼はこのヒツジライオンに近づいておまえはライオンであるぞと言ってやりたいと思いましたが、あわれなけものは、彼が近づくと逃げて行ってしまいました。

それでも彼は機会をねらい、ある日、ヒツジライオンがねむっているのを見つけました。

彼はそれに近づき、「おまえはライオンだぞ」と言いました。

あいてが、「私はヒツジです 」と言ってメエメエなくので、彼をみずうみのほとりまでひきずって行き、「ここをごらん、おまえと私のかげだ」と言いました。

彼はライオンと自分の影とを見くらべ、一瞬のうちに、自分はライオンである、ということを悟りました。

ライオンはほえました。

もうメエメエとはなきませんでした。
みなさんはライオンなのです。

きよらかで、無限で、完全な魂なのです。
宇宙の力はみなさんのうちにあります。』
(ギャーナ・ヨーガ by スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)

 

 

☆新企画2019年1月より「自宅に居ながらマインドフルネス瞑想会に参加」できるようになりました!

(詳細は、 http://pranahna.com/(真我が目覚めるとき)の「2019年1月の開催予定」の欄にて、ご確認下さい)

 

日本国内ばかりでなく、地球上のどこに居ても、関谷ニルヴァーナセンターで開催されますマインドフルネス瞑想会の恩寵のエネルギーフィールドに入ることができ、深い瞑想を体験することができます。

真我実現への足がかりとして、心の純粋性を保ち、真我そのものである静寂で平安、至福のエネルギーフィールドに留まることは、とても重要です。

たとえ自力では無理なことでも、恩寵のエネルギーに与ることで、ヒツジとして生きて来たヒツジライオンであるわたしたちが、本来のライオンに戻るために通らなくてはならない神秘への扉を潜り抜けることが、より容易になります。

このチャンスに、臨在のパワーを実感、実体験してみて下さい。

 

 

 

『質問者

「何人かの人たちが、グルの必要はないとあなたが語ったと伝えています。

他の人たちは反対の報告をしています。

マハルシは何と言われるでしょうか?」

 

マハルシ

「グルが必要ないと言ったことは一度もない。」

 

質問者

「シュリー・オーロビンドや他の聖者たちが、マハルシはグルをもっていないと言っています。」

 

マハルシ

「それはあなたが何をグルと呼ぶかによる。

グルが人間の姿をしている必要はない。

ダッタートレーヤは地、水、風といった五大元素を含めた二十四のグルをもっていた。

この世界のなかのすべてが彼のグルだったのである。

グルは絶対に必要である。

知覚や知性のジャングルにさ迷う人を救いだすことができるのはグルだけだ、と「ウパニシャッド」は述べている。

それゆえ、かならずグルがいなければならない。」

 

質問者

「私は人間のグルのことを言っていたのです。

マハルシは人間のグルをもっていませんでした。」

 

マハルシ

「かつて私も人間のグルをもっていたのかもしれない。

だが、私はアルナーチャラに讃歌を歌っているのではないかね?

グルとは何だろうか?

グルとは神あるいは真我である。

人は自分の願望を満たそうと神に祈る。

機が熟すと、彼は物質的欲望を満たすよりも、神そのものを求めるようになる。

そのとき、彼の必要に応じて、彼の祈りに応えるために、神は人間や人間以外のものとして彼の前に姿を現すのである。」

 

質問者

「ひとりの師に忠義を尽くしているとき、他の師を敬うことができるのでしょうか?」

 

マハルシ

「グルはひとつである。

彼は身体的存在ではない。

心の弱さがあるかぎり、精神力の支えは必要となろう。」

 

質問者

「J・クリシュナムルティは、「師は必要ない」と言いました。」

 

マハルシ

「彼はどうやってそれを知ったのか?

真我を実現したあとにのみ、そう言えるのであり、その前ではない。」

 

質問者

「バガヴァーンは私たちの真理の実現を助けることができるのでしょうか?」

 

マハルシ

「助けはそこにいつもある。」

 

質問者

「それでは尋ねる必要もありません。

私にはつねに助けがあるとは感じられないのです。」

 

マハルシ

「明け渡しなさい。

そうすればあなたは見いだすだろう。」

 

質問者

「私はいつもあなたの御足元にます。

バガヴァーン、何かウパデシャ(教え)をいただけますか?

さもなければ、六百マイルも離れたところに住む私に、どうして助けを得ることができるというのでしょう?」

 

マハルシ

「サッドグル(真の師)はあなたの内側にいる。」

 

質問者

「それを理解するためにサッドグルの導きが必要なのです。」

 

マハルシ

「サッドグルはあなたの内側にいる。」

 

質問者

「私は目に見えるグルが欲しいのです。」

 

マハルシ

「目に見えるグルが、サッドグルは内側にいると言っているのである。」

 

質問者

「実現の成就はグルの恩寵にかかっているのではありませんか?」

 

マハルシ

「そうだ。あなたの修練自体、恩寵によるものではないのかね?

成果は修練の結果である。

「カイヴァリャ・マヴァニータム」の一節にこうある。

「おお、師よ!あなたは何生にもわたってつねに私とともに有り、解放に向かうように私の道を定めてくださったのです」。

真我は必要が生じるとグルとして外面に現れる。

さもなければ、グルはつねにあなたの内側に住して、必要とされることをしているのである。」

 

質問者

「シルディ・サイ・ババの弟子の幾人かは彼の写真を崇拝し、これが自分のグルだと言います。

そんなことが可能なのでしょうか?

それを神として崇拝することはできるのでしょうが、グルとして崇拝することに何の益があるというのでしょう?」

 

マハルシ

「彼らはそれによって精神集中を確保しているのである。」

 

質問者

「それはそれで良いでしょう。

私も賛成します。

それはある程度、集中の修練なのかもしれません。

しかし、その集中のためにグルが必要なのではありませんか?」

 

マハルシ

「確かにそのとおりだ。

結局、グルとはグリ、集中を意味しているのである。」

 

質問者

「どうして生命のない写真が精神集中の上達を助けるというのでしょうか?

そのためには修練を指導する生きたグルが必要となります。

バガヴァーンなら生きたグルなしで完成を達成することは可能でしょう。

しかし、私のような者にそれが可能でしょうか?」

 

マハルシ

「それは本当だ。

たとえそうだとしても、生命のない写真を崇拝することで、心はある程度の集中力を養うだろう。

その集中力も、探究によって真我を実現するまで定まることはないだろう。

そしてその探究のためには、グルが必要とされるのである」』

(「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」 デーヴィッド・ゴッドマン

 

 

 

 心の修行はーー

足ることを知って常に心おだやかに

正直 率直 沈着であり

自己抑制をして心身の浄化につとめること

 

体 言 心の三種の修行を

清らかな信仰を持つ人々が

報果(むくい)を求めずに行うときに

これをサットワの修行と言う

 

自尊心を満足させ 名誉を得るため

衆人の尊敬や崇拝を受けようとして行う

禁欲や苦行はラジャスのもの--

これは不安定で長続きしない

 

無知 愚昧の者がする苦行は

いたずらに自分自身を傷つけ苦しめ

他者をも害し破壊する

これをタマスの苦行と言う

(バガヴァッド・ギーター第17章16-19)

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

(詳しいことは、http://pranahna.com/ をご覧下さい)

 

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