クンダリニーについて(9)
これまで「クンダリニー」という人間に内在する生命エネルギーの源の力(シャクティ)について、それがどのようなモノであるか?ご紹介してきましたが、今回は、実際に「クンダリニー」が覚醒した方の体験記をご紹介したいと思います。
クンダリニーは、誰にでも内在している本質の力ですが、一般的には、眠った状態であるため、その存在を知っている人は、ごく僅かです。
日本では、ヨーガを通して、その呼称だけは知っている人が少しずつ増えてきてはいますが、ヨーガの発祥地インドでは、クンダリニーを覚醒させたヨーギーは、ごく限られた人々であったため、彼らを「聖者」として崇めてきました。
このクンダリニーを目覚めさせるためのヨーガとして、クンダリニー・ヨーガがあります。
大聖ラーマクリシュナも、「クンダリニーが目覚めないと、真の霊性は目覚めない」と語っていらっしゃいます。
今回は、初めに、スワミ・シバナンダの「クンダリニー・ヨーガ」(Kundalini Yoga:日本未刊行)から、クンダリニーが目覚めると、どのようになるのか?どのようなことが起きるのか?という具体的な変化について、ご紹介したいと思います。
そして、その次に、実際に、初めてクンダリニーが目覚めた時の貴重な実体験を新鮮な感覚で語って下さいましたナーナ先生の手記をご紹介したいと思います。
クンダリニーの目覚めは、誰にでも起こり得る可能性はありますが、通常は、クンダリニーは眠ったままでいます。
そして、最後まで、その存在にすら気づかずに、肉体を離れていくことが、一般的な人間の一生と言えます。
それ故、古来より、霊的な探求として、ヨーガや瞑想などが実践されてきたのです。
クンダリニーの目覚めは、霊的な力の目覚めです。
それは、誰にでも内在する神聖なる力なのです。
まずは、スワミ・シバナンダの「クンダリニーの目覚めに関する体験」(Experiences on Awakening of Kundalini)からご紹介いたします。
『瞑想の最中に、神聖なるヴィジョンを見たり、神聖なる香りや味、神聖なる触感を経験したり、アナハタ(チャクラ)の音を聞いたりする。
神から指示を受け取る。
これらは、クンダリニー・シャクティ(クンダリニーの力)が目覚めたことを意味する。
ムーラダーラ(チャクラ)でうねるような躍動があった時、髪の毛が根元で立った時、ウッディヤーナ(腹部筋肉の引き締め)、ジャランダーラ(喉の引き締め)、ムーラーバンダ(肛門、会陰の引き締め)が不意にやって来た時、クンダリニーが目覚めたことを知りなさい。
呼吸が、いかなる努力も無しに停止する時、ケラバ・クンバカ(自然に起こる呼吸の休止状態)が、どんな努力も無しに、自ずとやって来た時、クンダリニー・シャクティが活性化したことを知りなさい。
プラーナの流れがサハスラーラにまで上昇していくのを感じる時、至福を経験する時、自動的にオームを繰り返す時、心に世界のどんな考えもない時、クンダリニー・シャクティが目覚めたことを知りなさい。
瞑想中に、目が眉間のトゥリクティに固定された時、シャンブハビ・ムドラ(眉間の中央に目を向けて凝視すること)が起きた時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
プラーナの振動をあなたの体内の各部分で感じる時、電気のショックのような躍動を経験する時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
瞑想中に、体が無くなったように感じる時、瞼が閉じて、どんな努力をしても開かなくなった時、電気のような流れが神経を上下に流れる時、クンダリニーが目覚めたことを知りなさい。
瞑想している時に、霊感や洞察を得る時、自然がその秘密を明らかにする時、すべての疑問が消滅し、ヴェーダ聖典の意味を明確に理解する時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
体が空気のように軽くなり、混乱した状態でも、バランスの取れた心を持つ時、仕事に対して疲れを知らないエネルギーを持つ時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
神聖なる恍惚感を得た時、演説が上手になった時、クンダリニーが目覚めたことを知りなさい。
少なくとも痛みや疲れなく、不意に異なったヨーガのポーズやアーサナを実践する時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。
美しい崇高な讃美歌や詩歌を不意に詠む時、クンダリニーが活性化したことを知りなさい。』
(KUNDALINI YOGA by Swami Sivananda)
次にご紹介しますのは、ナーナ先生のクンダリニー覚醒時の鮮明な体験談です。
『2010年の1月から、アシュタンガヨガセンターに行き始め、クンダリニーが覚醒したのは、その2ヶ月くらい後です。
その間に既に、毎回始まりのマントラとスタンディングポーズだけで、天と地が一本の柱のように通って、全身が太いエナジーの柱になり、体がグルグル回転して静止できないことが多々ありました。
ヨガセンターには、気づいたら真我一体になっていた2012年12月の少し前まで通い、アーサナを実践していました。
毎日早朝に排泄を済ませて、必ず朝風呂に入って全身を洗い身体を清めてから、スーリャ・ナマスカーラAからできるところまでを行いました。
アシュタンがヨガセンターへ行くことはさかのぼって5〜6年前からの目標でした。
そのために身体を整える準備をしていました。
元々子供の頃から柔軟、バランス、深層筋、持久力(精神力)を要する運動が好きで、そのための必要なストレッチは毎朝20年以上続けていました。
2010年、春の訪れを感じて間もないある日のことでした。
帰宅するため電車に乗って席に座っていました。
すると突然、体の中の根底辺りに何か物凄い力のエナジーの活動を感じました。
ゥアー!!これは何??
それは暴発した火の玉のようでした。
高速回転している光のようにも感じました。
間もなく脊椎に沿って下腹部へ上がってきました。
このとき目前に体の細胞が大きく拡大されて映り、生々しい体内の長い長いトンネルのような管の中を光の玉が超高速スピードで昇っていくのが見えると同時に体で感じていました。
そのトンネルの距離は時間のようでした。
光の高速エレベーターがとてつもない距離と年月を超高速スピードで一気に昇っていく感覚です。
更に上へ、胃の辺りから胸まで達するときには圧力を感じていたので、このままこの強力なエナジーが頭頂に昇り詰めたら!脳や血管も頭もろとも破裂して、と、一瞬よぎりましたが、恐怖感はありませんでした。
このとき既に首から顔の半分まで達していて、今起こっているがまま次の瞬間!
頭頂のてっぺんの大きな蓋が 勢いよく「ポン!!」っと、大きな音を響かせて吹っ飛びました。
その様も音もシャンパンのコルクが飛ぶ音に似ていて、それは白っぽく平たい丸皿に似た頭頂の蓋に圧が掛かって勢いよく音を響かせて飛んだ瞬間、体の一部であるその蓋を眼で追いかけていました。
と同時に体がスーッと軽くなり、椅子からお尻が数センチ浮き上がっていて、重さや重力も感じられなくなっていました。
この感覚は何?何が起きているの?いったい何か起こっているの?と自分に問いかけました。
この間一駅から二駅くらいの間でした。
降りる駅に着き、この感覚のまま立ち上がりドアに向かって一歩二歩と歩き出すと、足の裏の床を踏む感覚がまるで感じられないのです。
足の裏が靴を感じることも、靴の底が床を踏む感覚もありません。
更に確かめるように前へと進みましたが、確実に体が宙に浮いてしまっていて重さも全く感じられません。
反対側のホームの改札へ向かうため階段を下りはじめると、周りの空気全体がほわ~~んとほんわりしてきて、柔らかく温かくなり、それに優しく包まれてとてもいい気持ちになりました。
連絡路を歩き階段を上がりはじめる頃には、わたしを包む周りの空気の一つ一つの微細な粒子が 愛 愛 愛……全て愛でできているように感じました。
超微細なのに、それは目前に拡大されて見えていてはっきりとわかるのです。
とても幸せな気持ちになり、幸せの中に漂っていて、何か大きな愛に包まれていて、守られていて、心地よくて温か~いのです。
この時わたしは既に体も無くなっていて同化した中に、意識と感覚だけが“そこ”にありました。
ここは別の世界、別の次元、天界です。
まるで母なる宇宙の子宮の中にいるような、地球上では味わうことのできない至福の感覚のなかでわたしは漂っています。
その微細な粒子のエナジーは密度が濃くて柔らかいのですがしっかりはっきりしています。
これだ!!と実感したと同時に、人間が暮らす地球上は泥沼に映りました。
柔らか~な薄い膜で覆われた愛の風船のようなものが、ときより触れてきて気持ちよ~いのです。
気が付くと階段を上がりきったところで改札に向かって歩いていました。
体の重さが全く感じられないので手や腕を見てみると、形の枠だけあって中は透明に近い状態で透けていて背景が見えました。
子供の頃テレビ映画で観た透明人間が、輪郭(線)だけのボディーで動いていたのを思い出しました。
この状態のまま改札を出て住まいに向かいました。
帰宅後も宙に浮いた状態で重さも感じられないまま、いつもの家事を済ませました。
それでも尚、現象は続いていました。
突然起きたこの体験に予備知識もなく、聞いたこともなく、わたしはこのまま天に昇ってしまうのではないか?と少し不安もよぎりました。
今起こっていることに頭では理解できないまま夜も更けてベッドに入ることにしました。
眠りについた後どうなってしまうのかはわかりませんが、全てお任せする他にわたしの選択の余地などありません。
至福のエナジーに包まれてリラックスしていたので直ぐに眠りにつきました。
目が覚めると朝になっていて、体は元に戻っていました。
その後も短期間に連続して数回、同じ様な体験が起こりました。
後にクンダリニーの覚醒だとわかりました。』 (ナーナ)
『何の修行もしないのに神をつかむ人もいる。
その人たちは永遠(ニティヤ)の完成者(シッダ)と呼ばれる人だ。
称名誦経や苦行をして神をつかむ人は修行完成者(サーダナシッダ)と呼ばれる。
それから恩寵完成者(クリバシッダ)――千年も暗闇だった部屋にランプを持って入れば、途端に明るくなってしまう!
それから、突然完成者(ハタ―トシッダ)というのもある。
大金持ちの目にとまった貧しい家の倅のようなものだ。
旦那は娘をその息子にめあわせる。
娘といっしょに、家屋敷、馬車、男女の召使い、みんな付けてくれる。
それから、夢中完成者(スヴェプナシッダ)というのもある――夢で見神した人だ
永遠完成者(ニティヤシッダ)は別格だよ。
アラニの木(こすって火をとるための木片)のように、ちょっとこすりさえすればすぐ火がつく――こすらなくてもいい場合さえある。
ほんの少し修行すれば永遠完成者(ニティヤシッダ)は神をつかむし、また修行しなくても覚る。
しかし、永遠完成者(ニティヤシッダ)は神をつかんだ後修行する。
ヒョウタンやカボチャみたいに、先に実がなってそのあとで花だ』
(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)
今回クンダリニーが目覚めた時の体験談をご紹介させて頂きましたナーナ先生のご指導により、奈良県関谷駅近郊に新しく開設されました関谷ニルヴァーナセンターにて、「マインドフルネス瞑想会」が開催されます。
瞑想会についての詳細は、コチラ(https://nirvana777.org/)をご覧ください。
また、ナーナ先生のシャクティプラーナによる脳波の変化を実証する脳波計測データ
(脳波の計測例)も併せてご覧ください。
この三つの地獄門を避け得た人は
真我実現(さとり)に到る行いに励み
アルジュナよ 次第に進歩向上して
究極の目的を達するであろう
聖典に示された教えを軽視して
欲望のままに行動する者は
生命体としての完成に達せず 真の幸福を得られず
至高の目的地に到達することができない
故に人間は聖典に示された教えによって
為す(する)べきことと為(な)してはならぬことを知れ
その規則を知り それに従うことにより
向上の道を着実に歩んで行きなさい」
(バガヴァッド・ギーター第16章22-24)
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☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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