永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

クンダリニーについて(8)

私たちの肉体に眠ったように内在している生命エネルギーの源の力を、古くインドでは、クンダリニーと命名し、このクンダリニーを目覚めさせることが、ヨーガの目的のひとつとされました。

 

その技法は、クンダリニー・ヨーガとしてまとめられ、今日でも、その詳細な技法や訓練方法に、グルを通して直接、或いは、本を通して間接的に触れることができます。

 

そのクンダリニー・ヨーガの第一人者でいらっしゃいます成瀬雅春さんの著書から、クンダリニーを理解する上で欠かせないプラーナ(エネルギー)について、ご紹介しています。

 

クンダリニーは、尾骶骨辺りに眠ったように内在する凝縮された爆発的な瞬発力のあるプラーナ(エネルギー)の塊です。

 

プラーナは、微細エネルギーなので、体感しにくいと言えますが、クンダリニーが目覚めた時は、爆弾が爆発した時のような瞬発力のある力に満ちたエネルギーが、尾骶骨辺りに起こり、それが背骨に沿って頭頂へと上昇するエネルギーの流れをハッキリとした感覚として感じますので、わからないということはありません。

(ただ、それがクンダリニーだと直ぐにはわからない、ということはあり得ますが)

場合によっては、そのエネルギーの勢いに、体が持ち上げられたり、空中浮遊が起こることもあるようです。

 

これは、クンダリニーの目覚め(覚醒)と言われており、クンダリニーは目覚めないと体感できませんが、プラーナの方は、ある程度、訓練などにより体感できるようになります。

 

先ずは、プラーナの体感方法を、前回に続き、見て行きましょう。

 

 

『プラーナという言葉を知っていても実感していない人にとっては、どれだけ説明されても納得できるものではないでしょう。

プラーナ自体に秘密はありません。

しかし、実感していない人には、秘密と謎だらけに思えるでしょう。

プラーナを実感するには、細かな観察力、洞察力、的確な判断力などが必要です。

また、単なる知識ではなく豊かな感性と、知恵を使えるだけの頭脳の柔軟性も要ります。

たとえば、「部屋の中には空気が充満している」という知識は誰にでもありますが、それは単なる知識にすぎません。

その知識をいったん捨ててみるとどうなるでしょうか?

室内空間にはいったい何が存在しているのだろうか?というアプローチをしたときに、「空気がある」と答えるのは、いわば知識に毒された人なのです。

空気というのは学校の勉強で教わった知識であり、自分が見つけだした概念ではないはずです。

そうであれば、空気が見えないものである以上、「室内空間には何が存在しているのか」は判らないはずです。

その状態から、「何が存在しているのだろうか」と探っていったときに実感としてつかめるものこそが、本当にその人がつかんだ室内空間なのです。

プラーナというのは、そういったアプローチによって見つけるべきものであり、知識で把握できるものではありません。

仮に読者のあなたが、本章をここまで読んで納得したと思っても、それもやはり知識にすぎず、プラーナをつかんだことにはなりません。

しかし、プラーナは存在するし、知識に依らず実感することもできるのです。

最も判りやすいのは、ヨーガ呼吸法(プラーナーヤーマ)を実践して、自分の内側が生命エネルギーに満ちた状態に変わってくるのを感じることです。

そのときに感じられるエネルギーが、プラーナなのです。

 

さて、プラーナを肉体感覚として感じられるようになると、それを自在に取り込むこともできるようになります。

宇宙に存在するすべてがプラーナで構成されているので、何からでもプラーナを取り込めるし、何にでもプラーナを与えることができるのです。

最初はなるべく判りやすいものを対象にして練習するといいでしょう。

たとえば「植物の生命力を吸収する」というイメージを持って、花や樹木を見るのです。

そして、プラーナを取り込むイメージをしやすいように、自分の呼吸を利用するのです。

息を吸うときには、「吸う息とともにその植物の生命エネルギーが入り込んでくる」というイメージを持つようにします。

そして息を吐くときは、取り込んだプラーナを全身に巡らせていく様子をイメージします。

最初はイメージするだけでいいのです。

それを続けていると、肉体感覚として少しずつ繊細にプラーナがつかめるようになります。

こうして細かい状態まで肉体感覚としてつかめるようになると、生命力に満ちた状態になります。

少し慣れたら、植物からは離れて、直接「吸う息とともにプラーナが入ってくる」様子をイメージしましょう。

積極的にプラーナを取り入れるつもりで十呼吸を一セットとして、気づいたときや時間のあるときに、いつでも実践してください。

そして、生命力に満ちてくるのを肉体感覚として感じられるようになれば大成功です。』

(死なないカラダ、死なない心 成瀬雅春)

 

 

 

 

言葉で表現できないブラフマンから生まれ、常に動揺している心は、考えることで宇宙を創造する。

この宇宙の魔術は心の中の思考から生じる。

宇宙があるように見えるのは、心の思考のせいである。

しかしすべてを超越した大いなる真の実在に到達することを目指す者は、まずこの思考を放棄しなければならない。

すべての考え、想像を放棄した者はヨーガの正道を確立したといえる。

思考が消え去れば、宇宙も消えてなくなる。

思考が絶滅すると、見るものと見られるものを区別する考えは消え去り、実在のブラフマンが遮られることなく光り輝く。

その時、動くものも動かないものも、あまねく宇宙の幻影はブラフマンただ一つ、その中に溶け込む。

「私」と考えることで、現世のすべてが始まる。

私がなくなれば、太陽が闇をかき消すように、現世もまたたく間に消え去る。

「世界の創造は心の想像である」と「ヨーガ・ヴァシシュタ」に書かれている。

世界と呼ばれるものは心だけだ。

心が世界であり、心は外の世界として顕われる。

夢の中で夢を見るように、見える形を持たない心が、実在しない見える形をつくる。

この現世で経験すること、不安、心配は心の働きに起因する。

苦痛も快楽も心から生じる。

純粋な識別と修行を通じて心が滅びれば、幸せや不幸、苦痛と快楽も滅びる。

天国、地獄、現世の三つの世界は心の楽しみのために創造されたものである。

心の滅却とともに、過去、現在、未来の三つの時世も消え失せる。

心を支配することにより、すべては超常能力を獲得することができるのだ。

オームのシンボルは、三つの世界や時世とそれを超越した神をあらわしている。

 

心は必ず時間、空間、因果律の枠の中で働く。

この三つの枠は心が創造したものにすぎない。

椰子の木は実際には6メートルの高さではない。

高さは心の解釈である。

外界にあるのはただ「バイブレーション(振動)」だけである。

長さ、幅、高さ、厚み、寸法、空間などは心が創造しているだけである。

3キロの道のりは単なる観念であり、それだけの距離を歩いたと感じるだけだ。

心をブラフマンに集中し、超越すれば、この枠は外されて全く消え去る。

そこは時間も空間もない、「空」の世界だ。

私の友人、ナーラーヤン氏は私の前に立っている-これは心の創造である。

この現世は私自身の心の創造物である。

しかし実在しないというのならば、どこかほかにその物が実在しているということである。

観念論によれば、実際にはこの現世は全く存在しない。

この世界は心の想像にしかすぎない。

これが仏教のヴィニャーナ(純粋知性)説である。

実存主義によれば、世界は実在である。

マーダヴァの二元論、ラーマーヌジャの限定二元論、パタンジャリのラージャ・ヨーガは、現世は実在であると主張する。

カントは時間、空間、因果律は客観的な実在ではなく、知性の主観的な形にすぎないと論証している。

この主張の必然的な結論としては、「世界は空間の中に広がり、時間の中に起こり、因果律で普遍的に支配されている、だから世界は心の表現にしかすぎず、それ以上のものではない」。

時間、空間、因果律で制限された物質的で有限な心は、宇宙がなぜ、どのように生じたかを理解できない。

この質問は超越した神聖な質問なのである。

誰にもこの質問には答えられない。

聖典も聖者も答えていない。

あなたもこの問題で心を悩ます必要はない。

この問題は決して解決できないのだ。

この宇宙の創造は、ブラフマンの楽しみなのである。

神の遊び、神の神通力であり、神の恩寵からできている。

 

宇宙が存在しない、あるいは宇宙が崩壊するとは、実際の山や湖、木や川が消え失せることを意味しているのではない。

あなたの中でこの世界が偽りの幻だという確信が強まり、この世界は蜃気楼のようなイリュージョンなのだとしっかり思えた時、この世界が崩壊したということなのである。

山を破壊することはできないが、山という考えを破壊することはできるのである。

宇宙は目覚めた状態の夢のように、この世界は心の鏡に映った像にすぎない。

心はさまざまな絵が描かれた巨大な布地でもある。

しかしここには画家も、キャンパスも、筆、パレット、オイル、絵の具などの画材は何もない。

宇宙の絵は汚れのない知識の空間に描かれる雄大な絵画である。

純粋意識から生じる心の活動が宇宙を構成する。

心はマーヤーである。

心が名前や形に魅せられ、執着を断ちがたいのは迷いである。

自分を心だと考えるのは、幻影であり迷いである。

 

プラーナのバイブレーションや活動が心を動かす。

心の活動が宇宙を生じる。

心は外の世界として自らを顕す。

マーヤーの力の一つ、振動させる力から名前と形は生じる。

振動させる力は目覚めた状態と夢見る状態の両方で働く。

全世界はこの力によって展開されているが、熟睡状態ではこれは消え去る。

現世は心の中に、目、耳、口と古い潜在意識の印象、を通じて入り込む。

隠遁生活をすれば、最初の三つの入口を閉じることができる。

真の大いなる存在の探求によって、四番目の印象をも破壊することができる。

青く見える空の色は、実際には存在しない。

同様に幻の心には、この世が真の世界として輝いて見える。

その実、輝いているのはアートマンそのものであるのだが、心はブラフマンの知性の力であり、物質は物質化する力であり、プラーナは活動の力である。

すべてはブラフマンのものである。

欲望に引きずられて楽しむ心は、無知ゆえに、この偽りの宇宙が存在すると思い込む。

しかし、世界の本当の成り立ちを心に知らせなければならない。

そうして、心はブラフマンそのものであることを知ろう。

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シバナンダ)

 

 

 

嫉妬心 羨望心が極めて強く

他者に害毒を与える最低の人間どもを

わたしは繰り返しくりかえし物質界の

魔族の胎内に投げ入れるのである

 

魔族の間で再生をくりかえす彼らは

アルジュナよ 決してわたしに近づくことはない

彼らは次第に下方へと沈んで行き

ついに最も忌まわしい形の存在になる

 

地獄に到るには三つの門があり

肉欲 怒り 貪欲がそれである

これらは魂を堕落させる原因ゆえ

正気の人間はこの三つを切り捨てよ

 

(バガヴァッド・ギーター第16章19-21)

 

 

 

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クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

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☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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