永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

クンダリニーについて(5)

 

前回の記事でご紹介しました成瀬雅春さんの著書からの引用文、

『プラーナは体感する、つまり肉体感覚でつかむことができます。逆に、肉体感覚としてつかめないうちは、知識でどんなに「プラーナが判った」と思っても、本当に判ったことにはなりません。プラーナを体験するというのは、まさに実際にうどんを食べてその味を知ることと同じです。』とありましたが、

このことは、プラーナを体験した人には、至極納得のいく説明であることと思います。

 

このブログでもご案内させて頂いておりますナーナ先生のシャクティ・プラーナは、正にこの「プラーナの体験」を私たちに、自然な形で起こさせて下さいます。

何度も何度も、シャクティ・プラーナを受けることで、初めは微かな感覚だったものが、次第にハッキリとした感覚として掴めるようになり、最後には、「これがプラーナだ」とはっきりと判るようになります。

 

何故そう言えるのか?と言いますと、ナーナ先生のサットサンガや個人セッションで、「プラーナを体験した」人が、実際にいるからです。

かく言う私も、「実際にうどんを食べてその味を知る」ように、ナーナ先生のシャクティ・プラーナの力のお陰で、プラーナを知ることができた一人です。

 

これは、以前の記事でご紹介しました「ヒツジライオン」の例え話が、実際に起きたことになります。

(「ヒツジライオン」の例え話は、このブログの2017年3月7日の「ヒツジ(人間)だと思っているライオン(神)のお話」という記事をご覧下さい)

 

このように、「プラーナを体感する」ことは可能なのです。

(もし、本当に「プラーナを判りたい」ということであるならば、ナーナ先生のサットサンガや個人セッションに参加することで、その可能性が非常に高くなるということは、実際にそのような人がいるということから、実現可能であるということは言えるかと思います。)

 

それでは、更に、プラーナとはどういうものか?を理解するために、前回の続きをご紹介いたしましょう。

 

 

『このように、何からでもプラーナを取り込めるし、何にでもプラーナを与えることができるのです。

たとえば「花に自分のプラーナを注ぎ込む」というのは比較的判りやすい例でしょう。

それで、花が元気になることがあります。

花からプラーナを取り込むこともできます。

取り込んだから花が枯れるということはありません。

取り込んだ分のプラーナは、外から花へ入ってきます。

植物好きの人が、よく「植物と対話する」という言い方をします。

「動物との心の交流」という言い方もあります。

これらは、植物や動物とのプラーナの交流のことです。

心という言葉が出ましたが、心もプラーナでできていると理解してください。

人は自分の持ち物に愛着を持ちますが、それは持ち物と自分の間にプラーナの交流があるからです。

物が持ち主の肌になじむ、という現象もあります。

肌になじむというのは、やはりプラーナの交流があることです。

私の持っている物は、他人が持ったときと、私が持ったときでは感じが完全に違います。

それは誰の持ち物でも同じです。

他人の腕時計を借りて嵌めたときには、何か違和感があるものです。

ところが自分のを嵌めているときは、まったく違和感を感じません。

その差は、それまでにプラーナの交流をしてきたかどうかによります。

人が何かからプラーナを取り込むとき、取り込むものを限定する必要はありません。

人間からでも、生き物からでも、目の前の壁からでも、何でもいいのです。

取り込むときにどういう感じがするかが、重要な第一の鍵になります。

私が椅子に坐ると、その椅子は私のプラーナが入り込みます。

それは椅子でも人の場合でも同じです。

人に会った場合、私がその人のプラーナを取り込むと、その取り込まれた人には同時に、宇宙に満ちているプラーナが入り込んできます。

椅子の例で説明を続けましょう。

私が椅子に坐ると、私のプラーナの構成要素が椅子に注ぎ込まれます。

そうすると、私のプラーナの一部が、椅子のプラーナの構成要素に同化してしまうのです。

溶け込むという表現でもいいでしょう。

溶け込んだ結果、私という人間の性質が、その椅子にいくらか残るのです。

椅子のプラーナの構成要素に同化する私のプラーナは、量で見ると非常に少ないものです。

ほんの少しなのです。

そんな微量ではあるけれど、溶け込んだせいで、私はその椅子に対してなじむ感覚を覚えるようになります。

持っているものに肌がなじみ、愛着が出てくるというのは、そういうことなのです。

こうして、長年持って使っている物ほど、持ち主になじんできます。

持ち主の性質を受け継ぎ、言うことを聞いてくれるようになります。

長年使っている自分の椅子が座り心地がいいのは、そのせいです。

 

しかし、プラーナはいつも容易に取り込めるわけではありません。

自分がイメージした通りにプラーナを取り込めるかというと、そんなことはありません。

たとえば、ある人が富士山をイメージして、富士山のプラーナを全部吸い取ってしまおうと思ったとします。

しかし、思っただけでは、その量のプラーナは入ってきません。

宇宙に満ちているプラーナを取り込むためには、ヨーガの呼吸法(プラーナヤーマ)を実践するのが有効です。

全身をどのくらいプラーナがきちんと流れているかによって、取り込める量が違ってきますが、その滞りない流れを作るためには、呼吸法をしっかり行わなければなりません。

また、すでに身体の中を強いエネルギーが流れているということも、新たにプラーナを取り込む上で重要です。

体内にエネルギーの強い流れを作るための技法として、「クンダリニー・ヨーガ」というものがあります。

このクンダリニー・ヨーガについて説明しましょう。

人間は、とてつもないエネルギーを自分の身体の中に取り込むことができる可能性があります。

ところが、それが普通はなかなかできないのです。

なぜかというと、ナーディー(身体の中に無数にあると言われているプラーナの通り道)が詰まっていたり、ナーダィーが細くなっている部分があったりするからです。

それだけでなく、エネルギーがきれいに流れていても、流れるスピードや、取り込んだエネルギーを身体に流すスピードが足りないと、取り込むエネルギーの量は多くならないのです。

細い小川の水の流れをエネルギーに換えようとしても、せいぜい水車を回せる程度です。

しかし、大きな人造湖に溜まっている大量の水を、落差をつけて放流すると、ものすごいエネルギー量が得られます。

体内でそれと同じことをして、大量のエネルギーをきれいに、スピーディに流そうという技法がクンダリニー・ヨーガです。

人間の尾骶骨の周辺には、「クンダリニー・エネルギー」という巨大なエネルギーが眠っているとされています。

クンダリニー・ヨーガとは、簡単に言えば、そのクンダリニー・エネルギーを目覚めさせて、頭頂部まで持ち上げていく技法です。

それによって身体の中を大量のエネルギーが高スピードで流れ、その結果、外部からも巨大なエネルギーを取り込むことができるようになるのです。

ところが、このクンダリニー・ヨーガを行うとき、身体の準備ができていないと危険なことになります。

たとえば、百ボルトの家庭用電流の回線にいきなり百万ボルトを流したら、大変なことになります。

前もって、百万ボルトの電流が流れても大丈夫な通り道を、きちんと作っておかなければならないのです。

それと同じように、クンダリニー・ヨーガによってクンダリニー・エネルギーを頭頂まで通すときも、その通り道をきちんと整えておかなければなりません。

クンダリニー・エネルギーというのはそれほど巨大なものであり、通り道の準備もなくクンダリニー・ヨーガを行うのは本当に危険なのです。

その通り道を作る作業と言うのが、ヨーガのポーズ(アーサナ)や呼吸法(プラーナヤーマ)、瞑想といった技法です。

そうやって通り道をきちんと整備しておいて、その上でエネルギーを覚醒させれば、危険性はありません。

そうすれば、外からのプラーナも大量に取り込めるようになります。

 

プラーナを確実に取り入れるには、意識も関係します。

意識は「無意識」「顕在意識」「潜在意識」「深層意識」といった言葉で表されています。

その意識を、どれだけ「意識的」に機能させることができるかが、第二の鍵です。

ヨーガによって意識的に顕在意識を操作できるようになると、潜在意識もコントロールできるになり、深層意識のコントロールも不可能ではなくなります。

学問的には明らかにされていないかもしれませんが、ヨーガは実践哲学です。

実際には自分の内部に存在しているものであれば、どんな意識でも自在にコントロールできる可能性があるのです。

現にヨーガの実践者の中には、それをやっている人が少なくありません。』

(死なないカラダ、死なない心 成瀬雅春)

 

 

 

 

ブラフマンは心と感覚器官をそれぞれ独立して外に向くようにつくった。

心は昔から外に向かうようになっている。

だから外の世界に魅せられて、内なる本来の自己の姿を見ない。

惑わしの力が外にひっぱり出すのである。

子供のころから外の世界を見るように教えられ、内にある精神世界を見るようには教えられてこなかったのである。

内省の能力は完全に失われている。

内部の心の工房で何が行われているかを把握するには、内省の能力をそなえた、純粋で鋭い知性が必要である。

心を内に向け、力を集中し、心そのものに向けなければならない。

心の性質を知り、分析するのである。

一所懸命に内を探しなさい。

心や感覚器官は信用できない。

心や感覚器官は敵である。

内省では、心の一つの部分が心の他の部分を調べる。

高い心が低い心を調べる。

内省は、より高い知覚である。

人夫の仕事を監督するように、心のある部分が、心の他の部分の働きを監督する。

心が心の傍観者になり、気をつけて観察すれば、多くの欠点を見つけることができる。

これは適切な修行で除くことができる。

静かな部屋に入り、毎日、毎晩15分ほど静かに内省をする。

心を注意深く観察する。

この内省の実践には、内に向かう心と鋭敏な知性が必要である。

聖典の学習、聖者との交流、自制、純粋な食べ物などで知性は鋭くなる。

 

自分自身が自分の心を一番よく判断することができる。

一人で一時間、静かな部屋に籠って瞑想する。

目を閉じ、心の活動をじっと観察する。

こうすれば、自分の欠点や弱点を実にはっきり知ることができる。

その後で、これらの欠点を除きたいと感じるはずである。

自分の性質を変え、欠点を除く正しい方法を知らなければならない。

絶えず修行を行うことは絶対不可欠である。

一週間に一度、二週間に一度、一か月に一度というように、進歩の具合を精神日記として記録するのが良い。

もし心が散漫ならば、その原因を一つずつ忍耐強く、適切な修行で取り除かなければならない。

もし一つの方法がうまく行かなれば、二つの方法を合わせて行うべきである。

三つのことを憶えておきなさい。

自己分析、自己信頼、自己決意である。

この三つはあなたの霊的修行に計り知れないほど役に立つ。

内省で自己分析をする。

自分の心に浮かぶ波の性質を知る。

ある瞬間に、純粋さ、活動的、惰性のどの要素が優勢かを知る。

心をどれだけ長く対象に集中できるか。

たとえば他のすべての対象を除外して、バラの花にだけ集中する。

二秒、二分、五分、三十分集中できるか。

このように観ていくのが「自己分析」である。

自分自身に信頼をおきなさい。

自分を救うのは自分だけである。

誰も解脱を与えてはくれない。

一歩一歩、自分で精神修行の道を歩まなければならない。

教典やグルは道を示し、案内してくれるが、歩むのはあなた自身だ。

これが、「自己信頼」である。

「私は神を悟る」と強く決意しなさい。

いつかわからない将来ではなく、この今、自己実現、神との融合を体験する。

これが自己決意である。

俗人は常に忙しい。

人生の課題、人生の謎などをほんの数分間でも考える暇がない。

俗人の心は執着のために特別な欲望の対象を追い掛ける。

俗人の心は世間一般の事柄にエネルギーを費やすだけだ。

食べること、着ること、妻、子供、友だち、仕事。

こうして一日は過ぎ去っていく。

同じことを毎日、毎週、毎年繰り返す。

その人の人生はかようにして終わる。

なんと淋しく嘆かわしいことか。

 

心よ、感覚器官とその対象ばかりと付き合っていて、自分を忘れてはならない。

ブラフマンに集中しなさい。

ブラフマンがおまえの故郷なのだ。

ブラフマンが真実の、歓喜に満ちた故郷なのだ。

オームを唱える時、ブラフマンと融合した波動を受ける。

このブラフマンの真理の助けで自分の故郷に帰るのだ。

そうすれば、あらゆる無益な考えは消え、目覚めの状態、夢見の状態、熟睡状態を超えた、第四の悟りの状態に到達する。

そこで生死の繰り返しから自由に解放されるのだ。

再び骨と肉をまとう必要はなくなる。

自己の源、真理(サット)、知性(チット)、歓喜(アーナンダ)だけのブラフマンに溶け込むのだ。

(ヨーガとこころの科学 スワミ・シバナンダ)

 

 

 

魔性の人の欲望は飽くことなく

自惚れと虚栄に身を浸している

一時的な物事に魅惑されて

常に不浄なことを行っている

 

彼らはこう信じているーー『人間の文明進化にとって

最も必要なのは欲望を満足させることだ」と

したがって彼らは死に至るまで

無数の心配と焦燥に苦しめられる

(バガヴァッド・ギーター第16章10-11)

 

 

 

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

☆真我の目覚めを体験したい人

☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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