クンダリニーについて(1)
宇宙エネルギーであるプラーナについて、数回にわたりご紹介してきましたが、今回は、私たちの内部に眠っていると言われています生命エネルギーの源であるクンダリニーについて、ご紹介したいと思います。
日本では、あまり知られていないクンダリニーですが、インドで発祥したヨーガでは、クンダリニーを目覚めさせることが、ヨーガの目的の一つとして考えられているほど、よく知られた存在です。
これまでと同様、スワミ・シヴァナンダの著書からの抜粋を引用させて頂きますが、ここに書かれていることは、比喩でも例え話でもなく、実際に存在するものを、その存在を知らない人々にも理解できるように、言葉を使っての説明となっています。
クンダリニーという生命エネルギーの源の力が目覚めないと、本当の意味での霊的な意識は目覚めない、と多くの聖者が語っています。
それでは、クンダリニーとは、一体どのようなモノなのでしょうか?
クンダリニーは、誰にでも眠った形で内在していますが、そのことに気づいている人は、極少数です。
眠った状態で内在しているクンダリニーは、目覚めさせ、体験することが必要ですが、ここでは、知識として、どのようなモノであるか?について、簡単ではありますが、ご紹介したいと思います。
『クンダリニーは、蛇がとぐろを巻いたような姿で、尾てい骨の下、肛門の上にあるムーダーラーダ・チャクラ(根の力の中枢)に、顔を下に向け、三回半とぐろを巻いて眠っている状態にあり、サーペント・パワー(蛇の力)とも呼ばれている。
クンダリニーはプラーナとつながり、プラーナは心とつながっている。
チャクラとは体内にある各エネルギー・センターを指す。
知識の道を辿るヴェーダンタの人びとも、クンダリニーの力の覚醒を通じて初めて超越意識を達成するのである。
ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ニューナ・ヨーガのいずれも、この根源のエネルギーの覚醒なしには、サマーディ(三昧)あるいは、宇宙の真理と一体になる超越意識、超常能力への到達は不可能である。
世俗的な情欲と欲望が実際になくならなければ、クンダリニーの力とエネルギーは目覚めない。
シャクティ(力)を揺り動かす、打つ、動き回る、などがクンダリニーを覚醒させるのに役立つ。
強く動かす、はクンダリニーをさらに上昇させるのに役立つ。
クンダリニーの力が目覚めると、脊髄のなかにある、スシュムナー管を勢いよく上昇する。
するとすべての知覚が精神的空間の中で起きるようになる。
クンダリニーが目覚めた後、プラーナは、脊髄の中にある気道の流れ、プラフマ・ナーディーのスシュムナー管を、心とアグニと呼ばれる火を伴って、上に向かって昇る。
その時体に灼熱を感じる。
こうしてヨーギーは、肉体意識の呪縛から解き放たれ、物質世界から自由になれる。
初めてクンダリニーが目覚めるとすぐに、ヨーギーは短期間に、次の六つの経験をする。
アーナンダ「神聖な歓喜」、カムパナ「体のさまざまな部分の震え」、ウドバーヴァ「地面からの浮上」、クールニー「神聖な酔い、体は丸く動く」、ニドラー「眠り」、ムールッチャー「気絶」。
クンダリニーが目覚めた後、頭頂部のサハスラーラ・チャクラまで上昇させなければならない。
クンダリニーが下のチャクラ(エネルギーの中枢)から上のチャクラへ動く時、それぞれのチャクラの扉を開けて進んでいく。
ヨーギーはそれぞれのチャクラごとに別の種類のアーナンダ(至福)を経験する。
種々の超常的能力を得るとともに、さまざまな体験をする。
地水火風空の五大元素の支配ができる力を得る。
宇宙を、細やかな本来の姿で感知できるようになる。
さまざまのコーザル、原因体レベルの完全な知識を取得する。
クンダリニーがサハスラーラ・チャクラに到達すると、チダーカーシャという無限の智識としてのブラフマンに入る。
チャクラが開くと輝く光を発するが、超常的で常人の目には普通見えない。
からだには7つのチャクラ、いわゆる精神エネルギーのセンターが存在する。
一番下が肛門付近にあるムーラーダーラ・チャクラ(根のチャクラ)で、ここには蛇のようにとぐろを巻いてクンダリニーの力が眠っている。
その少し上にスヴァーディスターナ・チャクラ(脾臓のチャクラ)、次が臍にあるマニプーラ・チャクラ、心臓部にあるアナーハタ・チャクラ、喉にあるヴィシュッダ・チャクラ、眉間にあるアージュナー・チャクラ、頭上のサハスラーラ・チャクラである。
ラージャ・ヨーギーは眉間のアージュナー・チャクラに心を集中する。
このチャクラは目覚めている時に心がある場所で、ここに心を集中すれば、容易に心を支配できる。
ある人は、瞑想で精神集中していると「光」を見ることがある。
宇宙として顕われた神を瞑想しようとする人や、世界を助けたいと思っている人は、ここに心を集中するとよい。
修行者は、感情の中心であるハートに心を集中するとよい。
ハートに心を集中する人は大きな歓びを得る。
ハタ・ヨーギーは心を脊髄の中央の気の流れる管、スシュムナー・ナーディーに集中する。
と同時に、ムーラーダーラ・チャクラ、マニプーラ・チャクラ、アージュナー・チャクラの集中する。
あるヨーギーは体の下部にあるチャクラを無視し、アージュナー・チャクラだけに心を集中する。
アージュナー・チャクラを支配すれば、下のチャクラも自然に支配できると考えている。
チャクラに心を集中すると、まず心とチャクラの間に糸のようなつながりができる。
こうして覚醒された力は、スシュムナー管を経て、チャクラからチャクラへとスシュムナー・ナーディーを上昇する。
この上昇は忍耐強く徐々に行うことが重要である。
スシュムナー管の開口部がかすかに揺れるだけでも、表現しがたい大きな歓びを感じ、至福に酔い、俗世を全く忘れる。
スシュムナーの開口部が少し開くと、クンダリニーの力がスシュムナー管に入ろうとする。
その時強い放棄と離欲の思いが起こる。
恐れが全くなくなり、さまざまなヴィジョンを見ることが多い。
そこで表現しがたい内なる輝きを見る。
これをヨーギーの「心の存在しない状態」と呼ぶ。
いろいろな超常能力、さまざまな歓喜、さまざまな知識が、チャクラが開かれることによって得られる。
ムーラーダーラ・チャクラを支配すれば、地を支配したのである。
マニプーラ・チャクラを支配すれば、火を支配し、火の事故はなくなる。
下から五つのチャクラは、地、水、火、風、空の五大元素を支配している。
しかしクンダリニーの覚醒など、高度な技術は、必ずヨーガに熟練したグルの丁寧な指導のもとで学ばねば危険を伴うので、むやみに我流でやらぬよう注意を喚起しておく。』
(ヨーガとこころの科学 スワミ・シヴァナンダ)
>グルの恩恵があっても、心のコントロールができないのはどうしてか。
スワミ・シヴァナンダ
「自助努力(プルシャッタ)して初めて、神の恩寵・恩恵が得られるのである。
入学試験で、教授が答えを教えて合格させてくれるわけではない。
「ギーター」に「自分を高めるべし。神の恩恵は自助努力する者を助ける」と記されている。
自分を救う道は自分の努力で見つけるしか方法はない。
では「恩寵とはいったい何なのか」と問うかもしれない。
たとえば、ある修行者がグルから手紙を受け取り、日頃の疑問が解ける。
それが恩寵である。
求道者がシバナンダ・アシュラムを訪れ、ガンガーで沐浴し、アシュラムの講義を聴くことができる。
それが神の恩寵である。
何千何百万ルピーを持った金持ちたちも、聖なるガンガーで沐浴したいと願っている。
しかしすべての願いが叶えられるわけではない。
あなたがここに来られたというのはラッキーで、それは大いなる神の愛の成せるわざである。
精神を向上させる書物との出会いも恩寵である。
健康に恵まれて努力が続けられるのも恩寵である。
神が望めば、一瞬にして全世界を救済することも可能であるが、神はそうはしない。
努力する者にのみ、神の愛は自然に流れ込む。
すべて恩寵である。」
>超越した世界のことなど求めなくとも、誠実で、思いやりを持ち、正直に社会の幸福のために働き、善良な人間として死ねば、それでよいのではないか。
スワミ・シヴァナンダ
「人生を誠実に生きて死んだら、あなたは聖人としてではなく、善良な人としてだけ死ぬことになる。
それでは、解脱(モクシャ)することはできない。
善良な人間は数多くいるが、覚者と言える人の数はごくわずかである。
真の求道者と呼べる人でさえ、最近は稀である。
あなたが言う「善良な人」のカテゴリーの中でも、善良の度合はさまざまである。
たとえば、ガンジーのように善良な人が何人いるであろうか。
善良な人とは、どういう人を指すのか。
正直で、誠実、人を思いやり、敬虔な人たちのことかもしれないが、彼らも本質的には自己中心的である。
財産を貯めるのも、自分の妻や子供たちのためのであって、他人の子供も自分の子供同然と考えているであろうか。
町で甘い菓子を買い、最初に他人の子にそれを食べさせる人がいるだろうか。
善人でもそのようなことはしない。
それはすべてが一つだという宇宙真理を知らないからだ。
この真理が認識されない限り、どうして離欲や本当の意味の無私の奉仕が実行できようか。
善良な人間になろうという理想は、動物本能の悪い生き方よりは勝る。
しかし、善良な人間になるという理想は、大きな目標到達への一段階でしかなく、目的そのものでは決してない。
最終的な目的は、神を知って解脱することである。
神への第一歩として人は、善良であり、善を成すべきである。
さらに、真理を識別する力、離欲、正しく生きる態度を養い、瞑想、ジャバ(誦経)、キルタン(讃歌)、経典の学習をする。
そうすれば霊性が高まり、神の恩寵により、最終目標に到達することができるであろう。
途中で留まっては意味がない。
>スワミジ、なぜ解脱を求める必要があるのですか。
スワミ・シヴァナンダ
「解脱について理解するためには、サットサンガに参加し、聖典を学ぶ必要がある。
さまざまな欲望や悪いサムスカーラ(潜在印象)で曇った知性は、解脱の重要性すら自覚できない。
そういう知性は有害である。
『バガヴァッド・ギーター』を読み、サットサンガに参加しなさい。
聖者やスワミの話を聞きなさい。
そうすれば、真実を識別できる心(ヴィヴェーカ)が生まれる。
やがてこの世が、苦痛、悲しみに満ちていることが見えてくるだろう。
家や車の所有、社会的地位や財産、高い給料だけでは心は満足しなくなる。
そこで求道心が芽生える。
神の意識を悟りたいと願うようになる。
あなたをがっかりさせない、永遠の幸せを手に入れるためには解脱が必要である。」
(ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)
わたしが至上者であることを知る者は
迷わぬ者であり 全てを知る者である
アルジュナよ 彼は全身全霊をもって
わたしを礼拝しわたしに仕えるのだ
罪無き者よ いままで教えた真理のなかで
最も神秘な部分を今 わたしは話した
これを理解する者は誰でも賢明になり
やがて究極の目的を達するであろう
(バガヴァッド・ギーター第15章19-20)
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☆自己変容したい人
☆真理を体得したい人
☆束縛から解放され真の自由を得たい人
☆真我の目覚めを体験したい人
☆神の直接体験に与りたい人
など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、
クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。
詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。
http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)
☆シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。
☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。
チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。
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