永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

プラーナについて(6)

宇宙の生命エネルギーであるプラーナについて知ることは、肉体だけでなく、微細体への理解が深まるきっかけになると思われます。

 

この微細体(アストラル体)への理解が深まると、やがて、宇宙の神秘の扉が開かれ、そこから叡智の光が射し込むようになり、真理への道が自ずと明らかになることでしょう。

 

肉体は乗り物、或いは、器にしか過ぎません。

 

この世を体験しているのは、心ですが、心も実体のある実在ではありません。

 

私たちの多くは、自己の本性である真の実在を知らないまま、人生を終えてしまいますが、微細体を知ることで、宇宙の生命エネルギーであるプラーナを知り、そして、それにつながって「大いなる自己」である純粋意識に目覚めていくことができます。

 

その秘訣は、”プラーナの制御”(プラーナヤーマ)であるというのが、多くのヨーギー達が、彼らの遺した書物によって、明らかにされています。

 

今回もプラーナについて、前回の続きを見ていきたいと思いますが、ご紹介していますスワミ・シヴァナンダは、出家される前は、医師であったことから、体の仕組みに関して非常に詳しい説明をされています。

 

プラーナは、呼吸に一番よく現れている、ということから、プラーナについて知るには、呼吸について知ることが、理解の助けとなると思いますので、今回は、呼吸について、詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『この機会に、肺とその機能について述べておこう、

呼吸器官の両側に1個ずつ配置された2個の肺と、それに繋がる気管とで成り立っている。

肺は胸腔の上部に位置し、体の正中線の両側に1個ずつ配置されていて、心臓、大動脈、気管によって隔てられている。

肺は多孔性の海面質で、組織は収縮性に富んでいる。

肺の中には空気を含んだ無数の肺胞が詰まっている。

死体を解剖した後で、水を張った容器の中に肺を入れると、水面に浮かぶ。

肺胞は胸膜という、漿液を出す薄い膜に覆われている。

この肺胞は胸膜という漿液が、呼吸時の肺の摩擦を防いでいる。

胸膜の壁の一方は肺に密着しており、もう一方は胸の内壁に張りついている。

肺は、この膜によって胸の内壁に固定されている。

右肺は3つの、左肺は2つの肺葉から成り立っていて、左右それぞれの肺は、尖った上端部と基底部から成り立つ。

基底部は、喉と腹部とを隔てている横隔膜と呼ばれる筋肉の膜に続いている。

肺の上端部は、首の付け根の近くに位置する。

肺炎の時に炎症を起こすのが基底部だ。

上端部への酸素の供給が不十分な場合、結核菌の繁殖に好都合な場所を提供することになり、肺結核になる。

カパーラパティ(頭蓋浄化呼吸)やバストリカ(ふいごの呼吸)のようなプラーナヤーマ、そして、深呼吸を実習することによって、肺の上端部に十分な酸素が供給され、肺結核を未然に防ぐことができる。

プラーナヤーマは肺を発達させる。

プラーナヤーマの実践者は、力強く、甘美で旋律的な声の持ち主になる。

気道は鼻腔、咽頭(喉)、喉頭(2つの声帯を含む空気の共鳴箱)、気管、左右の気管支、そしえ、より小さく枝分かれした気管支から成り立つ。

私たちが呼吸すると、鼻から吸い込まれた空気は、咽頭喉頭を通って気管から左右の気管支へと進む。

気管支に入った空気は、順次枝分かれを繰り返して、細気管支と呼ばれる膨大な数の細い管に流れ込む。

そして最終的には、肺にある何百万もの小さな気嚢の中の、さらに細かく分割された空間に行き着く。

仮に、一対の肺に含まれる気嚢を平面に広げるとすれば、14万平方フィート(約1万3000m2)にもなる。

空気は横隔膜の働きによって肺に吸入される。

横隔膜が伸ばされることで胸と肺が拡張し、真空になった部分に外気が勢いよく入って来る。

反対に、横隔膜が縮むと胸と肺が縮むので、肺から空気が排出される。

音声は、喉頭に位置する声帯によって生み出される。

喉頭は音の共鳴箱のようなもの。

歌唱や長時間の講義によって声帯を使いすぎると、声が枯れてしまう。

女性の声帯は短いため、甘く旋律的な声になる。

健康な人の呼吸は1分間に16回位だが、肺炎の患者では1分間に60回から80回にもなる。

喘息の症状は、気管支の摩擦によるものだ。

気管支が収縮するために呼吸が困難になる。

気管支との摩擦や圧迫は、プラーナヤーマによって改善することができる。

喉頭上部の表面には、喉頭蓋と呼ばれる小さな薄い膜上の蓋がついている。

この蓋によって、食物のかけらや水が気道に入り込むのを防ぎ、ちょうど、安全弁のような役割をしている。

食物のかけらが気道のほうに入りそうになると、喉によって気道外に排出される。

肺は血液を浄化する。

動脈へと旅立つ血液は鮮紅色をしており、生命に活力を与えるための成分に富んでいる。

反対に、静脈を通って帰ってくる血液は成分の乏しい青みがかった色をしており、組織からの老廃物を運ぶ。

動脈とは、酸素に富んだ新鮮な血液を心臓から体の各部へと運ぶための管であり、静脈とは、汚れた血液を身体の各部から心臓に戻すための管のことである。

心臓の右側には汚れた静脈血が溜まる。

汚れた血液には、そこから肺に運ばれ、肺の中の何百万という気嚢に分配されて浄化される。

空気中から吸い込まれた酸素は、肺毛細血管と呼ばれる毛髪のように細い血管の薄い壁を隔てて、汚れた血液と接触する。

毛細血管の壁は極めて薄く、モスリン布や裏ごし器のような働きをする。

血液は簡単に滲み出し、酸素もこの壁を透過する。

酸素が組織と接触する時には、急激な酸化反応が起こる。

血液は、酸素を取り入れ、老廃物や有害物質から発生する二酸化炭素を手放す。

その二酸化炭素は、血液によって身体中の組織から集められたものだ。

浄化された血液は、4本の肺動脈によって左心房へ送り込まれ、さらに左心室へと送られる。

その後、最も太い動脈である大動脈へと送り込まれ、そこから各部位の動脈へと受け継がれる。

1日あたり3万5000パイント(約1万9900リットル)もの血液が肺の毛細血管を透過すると推定されている。

浄化された血液は、動脈を通って毛細血管へと流れ込む。

血液中のリンパ液は毛細血管を通して組織に滲み出し、組織を洗い清め、栄養を与える。

一方、組織内では組織呼吸が行われる。

そこでは、組織が酸素を受け取り、二酸化炭素を手放す。

不純物は、静脈を通って心臓の右側へと運ばれる。

このように精巧な構造は、いったい誰の手によって造られたのだろうか。

ひとつひとつの臓器の背後に、目に見えない神の御手を感じることはないだろうか。

私たちの身体の構造そのものが、神の全知を明白に物語る。

アンタルヤーミン、もしくはインドウェラーとも呼ばれる我々の心に住んでいらっしゃる方は、ドラシュタ(観察者)として体内工場の働きを見守っている。

この方の存在なしには、心臓が動脈に血液を送り込むことも、肺が血液を浄化することもできない。

祈り、その方に無言の敬意を払おう。

いつでもそのお方のことを忘れないように。

体の細胞のひとつひとつに、その存在を感じるように。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

『真の知識とは魂の覚醒、宇宙真理(大いなる神)を知ることである。

一般の常識とは、自分や他人を正しく理解し、見極めることである。

正しく考えれば、行動も正しくなり、正しい人生を送れる。

美は本来、魂のものである。

真の美はハートの中にある。

美は人格の中にある。

美は純粋さの中にある。

美は美徳の中に輝きを増す。

愛とは、宇宙の純粋真理との合体(ワンネス)である。

愛とは自己否定であり、無私の状態を言う。

普遍的な愛は大いなる神の神聖さであり、溢れる善意、慈悲、思いやり、寛容だ。

真の愛は官能的なものでは決してない。

肉体がすべてではない。

しかし肉体の中には非常に重要なものが潜んでいる。

それは魂である。

宇宙の魂(真我)が個人の魂(個我)となって存在する。

肉体は滅びるが、魂は生き続ける。

魂はその人の肉体が存在する限り個別に存在する。

死が訪れて肉体が滅びた時、この魂は親元に戻り、宇宙の純粋意識に溶け込む。

しかし、カルマの法則から、蒔いた種を刈り取るために、再び別の肉体に生まれ変わることもある。

すべては過ぎ去る。

肉体が脱ぎ捨てられた時、宇宙の親元に戻る魂(個我)にはカルマしか同伴しない。

だから生きている間は、友好的に、愛と善意を持ち、他人に害を与えず、世俗の富を欲しがらず、多くの親切と慈悲を示し、寛容、無執着、無私を実行するのが良い。

一方、すでに作った行動(カルマ)の結果を消化しつつ、良くないカルマを新たに作らないように心掛けて生きる。

困難に直面した時、その原因をまずつきとめる。

本当の問題は、原因を無視したことに起因している。

原因が対処されれば、困難は少なくなる。

現世は学校だと思うが良い。

日々の試練は自分をより良く作り直す機会だ。

誰も生まれながらにして完全ではない。

試練にめげてひがんだり、心狭くなってはいけない。

永遠の純粋意識に目覚める絶好のチャンスだ。

グルの弟子に対する愛は無条件だ。

同時に、グルの愛を受け入れる弟子には、自己の修行と信仰、純粋さが要求される。

グルは弟子の心の中にいる。

このことを知る弟子もいるし、知らない弟子もいる。

自分の内にグルがいるという実感は、弟子にとって最高の宝だ。

 

「永遠の真理、大いなる神を悟ったと明言できるグル(導師)を探している。

そのような方をご存知か。

失礼ですが、あなたは、神を悟った方なのですか。」

 

あなたの質問は、熱心な修行者の多くが、ある霊的過程で持つ疑問である。

しかし、たとえ「X氏は覚醒し神を悟った人だ」とわたしが教えたとしても、あなたには、わたしの言葉を検証する方法はない。

知ったとしても、そのことであなたは何か恩恵を受けられるだろうか。

悟りを開いたグルを探し求めて東奔西走しても無駄である。

神を悟った人間は稀ではないが、無知の心の世人には容易に認識できない。

悟った人を知るのは、同様に高いレベルの少数の人たちだけだ。

それ以外は、解脱した人のそばにいても恩恵にあずかることもできない。

たとえばクリシュナ神があなたのすぐそばにいたとしても、あなたが高い精神的、霊的レベルにいなければ、素通りしてしまうだけだ。

まず恩恵を受けるに値する素質を自分の中に育てる。

社会奉仕、慈善、瞑想、ジャパ、性的欲求や感覚の誘惑を制御して、自分を浄化することに専念しなさい。

グルをテストすることはとても難しいことだ。

そんなことに貴重な知的エネルギーを使うのは無駄である。

常に祈りなさい。

霊的求道者はこのような質問や疑念に振りまわされたりはしない。

わたしの言葉を信じて日々純粋な生き方をしていれば、ある日奇跡のように大いなる神から救いの手がさしのべられるであろう。

 

ウパニシャッドには、“人は一人で生まれ、一人で神に戻る”と書かれている。

グルやグルの恩恵がなくとも、神の恩寵さえあれば充分なのではないですか?」

 

それは道理だ。

しかし、どのように修行をすれば、神の恵みを得ることが出来るのだろうか。

それを知ることは難しい。

ゆえに、同じ道を歩み、ゴールまで到達した指導者の元で修行することが必要とされる。

グルとは、まさしく、神に至るというゴールに到達した者のことを指す。

霊的求道者には、グルの指導、模範、激励、恩恵が不可欠である。

アートマンの恩寵、グルの恩寵、神の恩寵も、あなたにはすべて必要である。

大いなる道へのチャンネルを教え、導いてくれる。』

 (ヨーガと空の科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

 

霊魂は物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の支配下

自己の心性に相応した体で様々な経験をし

時期が来ればその体を離れていく

迷える者にはこの事実が見えないが智慧の眼をもつ者には見える

 

修行する求道者(ヨーギー)たちは自己の本性を覚って

この事実を明らかに理解している

だが未熟で自覚(さとり)に到らぬ者たちは

努力しても不滅の霊魂を感知できない

バガヴァッド・ギーター第15章10-11)

 

 

  

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☆自己変容したい人

☆真理を体得したい人

☆束縛から解放され真の自由を得たい人

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☆神の直接体験に与りたい人

 

など、魂の最終的な目的地に到達したい方々のために、

クンダリニー覚醒されましたシュリ・ナーナ先生から放たれるシャクティ・プラーナの恩寵に与るサットサンガ(真我の集い)、個人セッションが、毎月、各地で開催されています。

詳しくは、シュリ・ナーナ先生の公式ホームページをご覧下さい。

 

http://pranahna.com/ (真我が目覚めるとき――シュリ・ナーナ先生の公式HP)

 

シャクティ・プラーナによるシャクティ・パータは、サットサンガに6回以上参加した後、シュリ・ナーナ先生の個人セッションにて受けることができます。

 

☆また、サットサンガに6回以上参加されると、パートナーのキヨ先生の個人セッション、チャクラの浄化(活性化)セッションとサードアイ開眼セッションを受けることができ、自分の体にあるチャクラ(の強弱)を実際に体験し、浄化し、活性化することができます。

チャクラを浄化し、活性化することで、チャクラ周りの器官から放出されるエネルギーの生き生きとした循環が促され、身体における覚醒への準備を促すことができ、目覚めへの準備を整えることができます。

 

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