永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

プラーナについて(2)

私たちは、自分を肉体だと思い、肉体という物質を維持するために、多くの時間を費やしますが、

この肉体と言う物質を維持管理し動かしているのは、実は、エネルギー(プラーナ)なのです。

 

かと言って、エネルギー(プラーナ)は、この肉体を動かすためにあるのではなく、肉体という器を通して、エネルギー(プラーナ)がこの物質次元に顕現している、という構図になっていると考えてみて下さい。

 

主役は、肉体ではなく、エネルギー(プラーナ)の方だと。

 

肉体という器がなければ、この物質次元に在ることは不可能なので、私たちは、肉体を一番大切にし、維持管理に多くの時間と手間をかけますが、本当に、肉体を在らしめているのは、プラーナなのです。

 

それでは、プラーナについて理解を深めるために、更に詳しい解説をご紹介したいと思います。

 

 

『プラーナヤーマは精密な科学だ。

アシュタンガ・ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)の八支則では四番目に当たる。

パタンジャリは、ヨーガ・スートラのⅡ章49節で、プラーナヤーマを次のように定義している。

 

「呼吸の調整もしくはプラーナの制御とは、安定した姿勢や座法、すなわちアーサナを完璧にすることによってもたらされる呼吸の停止である。」

 

呼吸とは、プラーナすなわち生命力が外界に姿を現したもの。

ちょうど電気がそうであるように、呼吸も、粒子の粗いプラーナだといえる。

ただ、呼吸は粗雑なステューラ(粗い)界に属しており、プラーナは精妙なスークシュマ(微細)界に属している。

ゆえに、呼吸の制御法を調整すれば、内なる精妙なプラーナを制御することが可能である。

心は、プラーナの助けなしでは機能しない。

プラーナが振動することで初めて、心にいろいろな考えが浮かぶ。

心を動かすのはプラーナなのだ。

心はプラーナの力で初めて動き出す。

スークシュマ・プラーナ(微細なプラーナ)、すなわち霊的なプラーナは、心と密接な関わりを持っている。

呼吸の重要さは、エンジンと駆動輪の関係に似ている。

運転中に駆動輪を停止すれば、他の車輪も止まってしまうように、ヨーギが呼吸を停止すれば、他の臓器も働きを止める。

駆動輪を制御することができれば、他の車輪は容易に制御できる。

同様に、外から見える呼吸を制御することができれば、内にある生命エネルギーであるプラーナを制御することは容易だ。

呼吸を調整することで、内にひそむプラーナを制御する過程を、プラーナヤーマと呼ぶ。

金細工師は、熱した炉で金を溶かして不純物を取り除く。

炉を熱するためには、火吹き棒を強く吹かねばならない。

同様に、ヨーガでは、プラーナヤーマによって肺に空気を送ることで身体と感覚器官(インドリヤ)から不純物を取り除く。

プラーナヤーマの主な目的は、プラーナとアパーナを結合させてプラーナパーナ(プラーナとアパーナがプラーナヤーマによって結合したもの。プラーナ気とアパーナ気をプラーナヤーマ、バンダ、ムドラーなどを行うことで合一させ、スシュムナー気道に上昇させることがハタ・ヨーガの目的である。その合一した気をプラナパーナという)とした後、それを徐々に頭部にまで上げていくことである。

そしてプラーナヤーマの成果とは、クンダリーニを目覚めさせることである。

 

ヒンドゥー聖典(シュルティ)には“プラーナを知る者はヴェーダを知る者である”という重要な一説がある。

ヴェーダンタの経典には“同様に、呼吸はブラフマンである”と書かれている。

プラーナとは宇宙に姿を現したすべてのエネルギーの総和のこと、そして、自然界の力の総和でもある。

プラーナとは、人間の中に秘められている潜在的な力や、私たちの周囲のあらゆる場所に潜んでいる力の総和だ。

熱、光、電気、磁気は物質化したプラーナといえる。

エネルギー、力、プラーナはすべてアートマン(真我、至上我)から湧き出した泉だといえる。

物質的なエネルギーも精神的なエネルギーもプラーナに属している。

プラーナは、高等、下等を問わずすべての生物に働いている力である。

動くもの、生命あるものはすべてプラーナの顕現に外ならない。

アーカシャやエーテルと呼ばれるものもまたプラーナの現れ方のひとつである。

プラーナは心と繋がっており、心は意志と、意志は個々の魂と、個々の魂は至高の存在と繋がっている。

プラーナは小さな波となって心の中に広がっていく。

その波を制御する方法がわかれば、宇宙に遍在するプラーナを意のままにする秘訣が明かされるだろう。

この秘密を熟知するようになったヨーギは、いかなる力をも恐れることはない。

宇宙に存在する力をすべて支配下に置いているのだから。

人格的なパワーとして一般に知られているものは、持って生まれたプラーナを操る能力の大小にすぎない。

世の中には、他の人よりも成功を収める人や、大きな影響力を持つ魅力的な人が居るものだ。

それはすべて、このプラーナの力による。

そのような人たちは、毎日、知らず知らずのうちに自分の影響力を行使している。

それは、ヨーギが意志の指令によって意識的に使うのと同じ力だ。

偶然、自分でも気がつかないうちにプラーナと遭遇し、様々な呼び方をつけて、低俗な目的のために使う者もいる。

心臓が動脈へと血液を送り出す際に行う収縮や拡張、呼吸をする際の息を吸ったり吐いたりする動き、食物の消化、尿や便の排出、精液、消化酵素、胃液、胆汁、唾液の製造、まぶたの開閉、歩く、遊ぶ、走る、話す、考える、推理する、感じる、望むなど、すべての中にプラーナの働きを見出すことができる。

アストラル体(霊体)と物質的な肉体とを繋いでいるのもプラーナである。

その細い糸状のプラーナが切れた時、死が訪れる。

それまで肉体の中で働いていたプラーナは、アストラル体の中に引き戻される。

宇宙が活動を始める前、プラーナは精妙で動きがなく、非顕現で未分化の状態に留まっている。

しかし、ひとたび振動が起こるとプラーナが動き出し、アーカシャに働きかけて様々な形の力をもたらす。

大宇宙と小宇宙(大宇宙の大我に対して個々人を個我、小宇宙とみなすインドの宇宙観)は、プラーナ(エネルギー)とアーカシャ(物質)の融合したものだ。

汽車や汽船の蒸気機関車を動かすのも、飛行機が飛ぶのも、肺を動かして呼吸させるのも、その呼吸をさせるための活力源そのものもプラーナなのだ。

これで、プラーナという言葉について曖昧な概念しかなった方にも、包括的に理解してもらえたと思う。』

(プラーナヤーマの科学 スワミ・シヴァナンダ)

 

 

 

聖ラーマクリシュナ

「(校長に)ハズラーはバラモン(祭祀階級)に生まれなければ解脱できない』と言うんだよ。

わたしは、『とんでもない!誰でも信仰を持っていれば解脱できるんだ。

シャヴァリーは漁師の娘だし、ルヒダスは食事のとき鐘を鳴らす、そういう仕事(シュードラ(隷属民)の仕事)をしていたんだよ。

でも解脱しただろう。

この人たちは信仰によって解脱したんだよ!』と言ってきかせるのに、ハズラーめ、まだ『でも!』と言うんだ。

わたしはね、『欲のない信仰、無条件の信仰ーーこれ以上のものは何もない』といつも言っている。

ハズラーはこれに反対するんだよ。

何かものをねだりそうな連中がやって来ると、金持ちはうんざりしてーー腹立たしそうに、『奴が来たよ!』と言う。

そして部屋に入ってくると、一種独特の口調で、『まあ、お坐んなさい!』と言うが、いかにも不機嫌な顔付きだ。

何か欲しがるような人を自分の馬車には乗せないよ。」

するとハズラーは、『神はそういう金持ち連中とは根本的に違うでしょう。

あの御方は無限の富と力を持っているのですからね。

人にくれたって、ちっとも困りませんよ』と言う。

それから又、ハズラーはこんなことも言うんだよーー『空から雨が降れば、ガンジス河やほかの大きな河も大きな湖や池も水であふれます。

同時に、その辺のちっぽけな貯水池や水たまりまで水がいっぱいになります。

あの御方のお恵みは、信仰や智慧を下さるだけでなく、富だって下さるのですよ』と。

だがこれは、ちょっと汚れた信仰だよ。

純粋な信仰には、おかげを欲しがる気持ちはないんだ。

お前はここに来て何ももらおうと思っていないだろう。

ただ、わたしに会って、わたしの話を聞くのが好きだから来るんだね。

わたしもお前のことをいつも気にかけているしーー”どうしているかしら””どうして来ないんだろう”--いつもそう思っているよ。

何も求めない、ただ好きで愛しているーーこれを無条件の信仰と言うのさ。

純粋な信仰と言うのさ。

ブラフラーダはそういう信仰を持っていた。

領地もいらない。権力も富もいらない。

ただ、神だけを求めていた」

 

「牛飼い乙女(ゴービー)たちの信愛は、聖愛(プレーマ)の信愛(バクティ)だ。

貞操堅固な信愛、不動の信愛だよ。

貞操堅固でない信愛というのは、どういうものだか知っているかい?

知慧のまじった信仰だよ。

クリシュナがすべてのものに成っておられる、あの御方が至高梵(パラブラフマン)であり、ラーマであり、シヴァであり、造化力(シャクティ)である、と思っているような信仰のことだよ。

けれども、こういう知識は聖愛の信愛の中には入ってこない。」

 

一信者

「知慧のまじった信仰と、愛の信仰と、どちらがすぐれているのですか?」

 

聖ラーマクリシュナ

「神様が大好きにならなけりゃ、愛の信仰は生まれない。

それに、“私のもの”という知慧がね。

三人の仲間が森に行って虎に出くわした。

一人が言った。

『みんな!ここでオダブツだ!』

もう一人が、『なぜ?神に祈って助けてもらおう』

すると残りの一人が、『いやいや、こんなところで、あの御方に面倒かけたくない。

さあ、この木の上に登って助かろう』

『もう、オダブツだ』と言った人は、我々を護ってくれる神の存在を知らない人。

『神に頼もう』と言ったのは知者だ。

神が創造、維持、破壊のすべてをなさるのだということを知っている。

それから最後に、『あの御方に面倒かけたくない、木の上に登ろう』と言った人は、神を愛し、神様が大好きなんだよ。

その愛の性質は、愛するものより自分の方が強い、と感じていることだ。

面倒をかけまいとするんだよ。

好きな相手の足にトゲの一本も刺さらないようにするのが、この人の願いなんだ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

上下に拡がる枝は物質自然(プラクリティ)の三性質(グナ)に養われ

無数の小枝は感覚の対象ーー

この樹にはまた下方にのびる根もあって

人間社会の名利を求める仕事に結びつく

 

この世界に住む者にはこの樹の姿が見えず

始まりなく終わりも根ざす所もすべてわからない

だが人は大決心をして”無執着”の剣をふりあげ

この頑強な根をもつ樹を切り倒すべきである

 

そして不退転の境地を求めよ

そこは全てのものが始まり そこから

全てのものが展開している元の元なる一者

即ち至上神に全託する境地である

(バガヴァッド・ギーター第15章2-4)

 

 

 

 

 

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