永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

<食物についての識別>について(16)

私たち人間だけでなく、生物全般は、この世での存在を維持するために、いろいろな形に変換されたエネルギーを必要としています。

 

少し考えただけでも、食物、水、空気、熱(温度)、光などが思い浮かぶことと思います。

 

これらは、異なる波長のエネルギーですが、それらは、どれもが、人間にとっては必要不可欠であることは明白です。

 

しかし、近年は、自然由来のエネルギーに加えて、人工的に作られたエネルギーが登場してきたことで、昔よりあまり馴染みのないエネルギーに対して、より多くのことを考えなくてはならない状況へと変わりつつあります。

 

それは、快適さ、便利さ、と引き換えに、自動的に生じる現象ではあるのですが、人間の、特に肉体におけるマイナスの影響が大きいものがあり、生物としての進化の過程から見ると、人間の肉体面に大きな変化をもたらすリスクを感じるものが多々あることは否めません。

 

このことは、「見神」とは直接的な関係はありませんが、エネルギー的に見ると、不必要な高エネルギーを受けることは、自然エネルギーの螺旋回転を妨害する可能性があるということが言えます。

 

放射能汚染などもその一例ですが、高エネルギーは浴びれば良いということではなく、人体に有害である場合が多いということを念頭に置いて、食品選び、生活様式の選択の際に役立てることが、本当の生きる智慧と言えます。

 

水道水よりは、塩素消毒をしていない自然水(ミネラルウォーター)、電磁調理器具よりはガスでの調理、など、身の回りの電磁波や食品添加物に意識を向けるだけでも、身体が受けるエネルギーの質が変わります。

 

このエネルギーの質が悪化すると、病気になったり、精神的に問題が生じたり、心身にその影響が現れてくることがありますので、要注意です。

 

今回も、前回の続きですが、<食物についての識別>は、今回が最後となります。

 

 

 

『<電子レンジや電子レンジによる調理>

現代社会では、約90%の家庭で電気レンジもしくは電子レンジが使われている。

一秒間の振動数で見ると、電気レンジが60回であるのに対し、電子レンジの場合は、200万回以上に達している。

この強烈な振動は、食べ物の細胞状態はもとより、それを消化・吸収する人にも影響を及ぼす可能性がある。

医学研究によれば、電子レンジで調理した食品は、主に血液および免疫機能に変化を引き起こし、その中には、ヘモグロビンの減少・ヘマトクリットと白血球の増加・コレステロールの増加・リンパ球の疾患などが含まれる。

これらの血液やリンパの成分は、多くの疾患や感染を予防する前衛の役割を果たすものである。

電子レンジによる調理は、食べ物自体にも変化を与え、酸味の増加・たんぱく質分子の損傷・脂肪細胞の膨張・葉酸値の低下などをもたらし、母乳の質も低下させる。

食べ物が十分に調理・加熱されていない冷えた個所には、サルモネラ菌の変種などの有毒な細菌類の生息が観察されている。

エネルギー的観点からすれば、こうした状態の大半は、極陰性なもので、分散作用があり、体細胞に損傷・劣化・腐敗を引き起こす。

電気による熱調理は、電子レンジほどは破壊的ではないが、消化・循環・神経の各機能を狂わせ、精神の集中力が低下するなど、全般的に衰弱させる作用がある。

このことは、近年実施された医学研究の動物実験で、一秒間に60回という(電気調理に似た)電界にさらされた細胞にがん化の兆候が観察され、裏づけられている。

 

<化学的に栽培・加工された食品>

食べ物の栽培・加工・保存に使われる化学薬品は、数千種類にのぼる。

これらの薬品は、総じて極陰性であり、分散・分解・崩壊作用を持ち、血液を劣化させ、感染の可能性を高め、治癒を遅らせる。

除草剤・化学肥料・その他の化学薬品を摂取すると、かゆみ・過敏症・神経系の症状が見られることが多い。

不整脈・ホルモン障害(特にエストロゲンかく乱物質[訳注:環境ホルモンの一種である内分泌かく乱物質のこと]として知られる新たな薬品および環境破壊有毒物質に起因するもの)・アレルギー反応など、軽症から重症のものまで、多様な反応も次第に表面化してくる。

考えが散漫でまとまらず、怒りっぽくなり、狂暴で突飛な行動をするなど、心身ともに奇怪な行動が見られるのは、食べ物に含まれる化学薬品による直接的な影響である場合が多いだろう。

学習障害(LD)や多動症など、子どもに見られる疾患は、鶏肉や卵、魚卵などのとりすぎのほかに、特定の合成着色料・除草剤・化学薬品との関連性が指摘されている。

社会的・文化的側面では、無秩序な音楽・絵画・映画などの芸術は、摂取された農薬散布栽培・添加物入り・人工的製法の飲食物の排出現象を表している。

 

<遺伝子組み換え食品>

総じて遺伝子組み換え食品(GM)には、これまで数百万年にもわたる自然の進化によって徐々に獲得されてきた強力な健康維持の充填エネルギーが欠落しているため、活力を奪い衰弱させる作用を持っている。

長期間の総合的研究はまだ実施されていないが、予備調査によれば、アレルギーの増加・肺疾患・肝臓への負担・胃腸や血液の損傷・性的能力や生殖器の成長の遅れ・不感症の増加・先天性障害の危険率上昇・病気の進行といった広範囲に及ぶ影響が観察されている。

多くのGM食品は、その栄養成分が変質したり減少したりしている。

例えば、GM大豆は、本来の自然なものに比べて、植物性エストロゲンの含有量が12~14%低下している。

植物性エストロゲンには、心臓病・がん・その他の慢性疾患を予防する働きがある。

またGM食品は、新種のウイルスや細菌による疾患を発生させ、ヘルペスエイズ・その他の性行為感染症に対する抵抗力を弱めて、人体にとって未知のたんぱく質を取り込むことで、これまでの世代には知られていない作用を生殖細胞に及ぼす可能性も予測されている。

新たなGM食品を消費するエネルギー的効果として、社会的な暴力行為の増加・中でも10代の子どもたちによる銃の乱射が多発するのではないかとの懸念が持たれる。

第一に指摘される点は、大半のGMトウモロコシ・大豆・綿花には、変種バクテリアのBT菌が含まれていることで、それがすべての細菌に接合され、内臓された除草剤として作用する。

ところが最近の科学研究によれば、この毒素は、オオカバマダラチョウなどの幼虫などの益虫も同時に殺してしまうことが判明している。

研究者たちは、子どもたちが体内に取り込むか浴びた除草剤とかんしゃく・攻撃性・暴力の増加傾向との相関性を指摘し始めている。

GM食品の多くは、微生物培養用のシャーレに向けて望ましい遺伝子を充填した「遺伝子銃」を発射させ、元の種子の細胞中にあるDNAを蹴散らす方法で作り出されているのが、第2に指摘される点である。

微細な銃弾をDNAに撃ち込む手法は、カリフォルニア大学デービス校で開発され、当初は、22口径または45口径の銃が使われていた。

従来型のありふれた種子がシャーレの中に入れられ、銃による組み換えられた有機体の発砲を繰り返された後、植えつけられて、新たなGM作物が誕生したのである。

エネルギー的観点から見れば、銃弾を浴びたDNAに由来する食品を摂取することは、人間の細胞・組織・思考・意識に破壊的暴力的効果をもたらすものである。

今日、スーパーマーケットや自然食品店に並ぶ食品の70%に遺伝子組み換え原料が使われているのが現状である。

このような試験されず表示もされないままの食品が、全米市場に広く普及していることは、近年の学校や地域における暴力行為の増大という現状の背後に潜在しながら、正当に評価されていない要因のひとつであろう。

 

人は、その食べたものによって形成されるという観点からすれば、私たちは、自らが口にした食べ物の栄養成分や物質的構成要素とともにそのエネルギーや振動を吸収している。

マクロビオティック食事法では、農耕作業や調理過程も含めたあらゆる段階において、穏やかで平和な心持ちを保持することに重きを置いている。

質の高い食事とは、ただ単に純粋自然な全般の姿で、化学薬品・放射線照射・遺伝子操作と無関係な食品というだけでなく、調和の取れた精神によって育てられ、加工され、調理された食事のことを指すのである。

古来、農民たちは、自分たちが収穫した作物をたたえ、加工する際には、ゆっくりとした速度の自然な手法を用い、料理人は、調理にあたって自らの思想と祈りを込めながら、力強く健全なエネルギーを料理に傾注してきた。

現在、広く一般に普及しているのは、まさにこのような伝統と好対照をなす状況である。

現代的な食事は、伝統製法の自然な発酵・醸造・保存の各工程を高エネルギー手法によって人工的に加速され、製造・加工・精製されたものを食材として用い、台所においては、電気レンジや電子レンジなどの高エネルギー調理器具によって生み出された無秩序な振動が食べ物に侵入し、その影響を細胞や組織・思考や感情に直接及ぼしている。

家庭は、往々にして家族対立の戦場と化し、料理をすることは可能な限り回避され、怒り・虐待・怠惰が台所や食卓の至るところに撒き散らされている。

良好な健康状態・研ぎ澄まされた意識・高いスピリットを回復させ、それを保持していくためには、命の糧となる素材や食べ物が持っているエネルギーに対して感謝の気持ちを抱いた、本来の自然に沿った食べ方を再び復活させることが重要である。』

   (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

 

一人の信者が、「神は形があるのですか?

それとも無性無形のものなのでしょうか?」と質問した。

 

聖ラーマクリシュナ

「あの御方は形があって、しかも形がない。

一人の出家がジャガンナートにお参りした

お参りしてから心に疑問が生じた。――『いったい、神には形があるのがホントウか、それとも形がないのがホントウか?』

ちょうど手に杖を持っていたので、それで試してみることにした。

ホントウに神がそこにいるのかどうかをね。

――杖が神像にさわれば形がある、さわらなければ形がないのだろうと。

はじめ、杖をこちら側からあちら側に(神像のあるところに)動かしてみたら、全然神像にさわらなかった。――そうか、やはりタクール(神)の形は、ホントウは無いのか!

それから、あちら側からこちら側に杖を動かしたら、こんどは杖は神像にあたった。

そこで出家は悟ったというよ、神は有形でもあり、無形でもある、と。

しかし、このことを理解するのは大へんな力がいる。

形のない御方がどんなわけで形を表すのか?

この疑問が起こるわけだよ。

しかも、形をとるにしても、どうしていろいろさまざまな相(すがた)になるんだろう?」

 

「神をつかまないうちは、こういうことははっきりと理解できないよ。

求道者のために、あの御方はいろいろな姿で、いろいろな方法で現れて下さるんだよ。

あの御方は形が無いし、また形もある。

どんなふうなものなのかわかるかい?

サッチダーナンダは果てしない大海のようなもの。

信仰の冷やす力で、どころどころに氷ができている。

水が氷の形に固まっている。

つまり、信仰者のためにあの御方は形をとって現れて下さるんだよ。

そしてまた、智識の太陽が上ればその氷は溶けてしまう」

「つまり、“ブラフマンのみ真実、世界は虚仮(まぼろし)”と分別のきわまたところで三昧に入ると、形や相(すがた)は蒸発してしまう、ということさ。

そうなるともう、神を“人格(person)”としては感じられなくなる。

あの御方はどんなものか、口では言えなくなる。

いったい、誰が言うんだい?

言うべき御方もいなくなったんだから--。

その御方の“私”は、どこを探したって無い。

そのときブラフマンは、無性――絶対(Absolute)だ。

その場合、あの御方はただ“覚”として現れるだけだ。

普通の心や知性では、あの御方は理解できない(Unknown and Unknowable)。

だから、言うんだよ。

信仰は月、智識は太陽だと。

聞くところによると、うーんと北と南の方には海があるそうだね。

そこはとても寒いので、海の水がでかい塊になっちまっている。

汽船も通れない。

氷が邪魔になって先には行けないんだとさ」

 

医師

「ですから、信仰の道に進むと、障害物にぶつかるということです」

 

聖ラーマクリシュナ

「うん、まあ、それもそうだが、別に害にはならないんだよ。

だって、サッチダーナンダの海の水が氷になったんだもの。

もし、もっと考えたかったら、もっと“ブラフマンのみ実在、世界は虚仮(ウソ)”と考えつづけていたかったら、そうしていてもいいんだよ。

智識の太陽で氷が溶けていくだろう。

あのサッチダーナンダの海に溶けてしまうんだよ」

 

「分別判断の極まったところで三昧に入ると、オレもワタシもなくなる。

でも三昧に入ることはとてつもなく難しいだよ。

この“ワタシ”というやつは、どうにもこうにも追ン出て行かないんだ。

追ン出せないものだから、また何度も何度もこの世に生まれて来るんだよ。

ごらん、牛はハムバー、ハムバー(わたし、わたし)と啼くからどんなに苦労するか!

一日中スキにつながれて――降っても照ってもさ!

そうでなけりゃ、肉屋に売られて切られてしまう。

それでお終いじゃない、皮はナメされて靴に作られる。

さいごに血管や腸が糸梳き用のヒモになる。

そして糸梳き職人の手で使われると、トゥフ、トゥフ(あなた、あなた)と音をたてるようになって、やっとこれで解放される。

人が、“ナハン、ナハン(私じゃない、私じゃない)“――つまり、ワタシなんてものはない、おお、神さま、あなただけ、あなただけがすべてをなさる、あなたがご主人で私は召使い――と、こう思うようになると、すっかり楽になる。

それが解脱なんだ」

 

「あらゆる道を通ってあの御方をつかむことができる。

ちょうど、お前たちがこの寺へ来るのに馬車に乗ってくる人もあり、ボートか蒸気船で来る人もあり、または、歩いて来る人もある、というようなものだ。

自分の好みと生まれつきの性分に応じて、それぞれの方法で来るんだよ。

目的地は一つだ――先に着くか後で着くかの違いだけ」

 

「ウパーディ(肩書きや称号など。例えば――“私は学者だ”“私は何某の息子だ”“私は金持ちだ”“私には身分がある”)がなくなるほど、あの御方がそばに来て下さる。

高い土手には水は集まらない。

低い土地に集まる。

そんなふうに、あの御方の恵みの水は、高慢なところには集まらない。

あの御方の前に、人はできるだけ低い謙虚な態度でいるのがいい。

よくよく注意しなければいけない。

着るものさえも慢心の原因になる。

脾臓肥大の病人が黒い縁取りの腰布を巻くと途端に、ニドゥ旦那の軽い歌をうたい出したのを見たよ。

ブーツをはくと途端に、英語をしゃべり出す人もいるよ!

ふさわしくない人間が赫土色の衣(僧衣)をつけると高慢になる。

ちょっとばかり軽く扱われただけで腹を立ててムッとする」

 

「熱心にならなくては、あの御方に会うことはできない。

この熱心さは、いろんな経験(人生の悲苦)を卒業した後でなければ起きない。

女と金に囲まれて生活していて、まだ、それらが原因で起こるさまざまの経験を卒業していない連中には、神を慕う情熱は芽生えない。」

 (大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

いかなる場合でも身心を尽くして

わたしを信じ愛し仕える者は

速やかに物質自然(プラクリティ)の三性質をのり越えて

ブラフマンに到達するであろう

 

そしてわたしがブラフマンの住処である

即ち 不死不滅の全一者

永遠の法則(サナータナ・ダールマ)であり

絶対の幸福*である」

(バガヴァッド・ギーター第14章26-27)

*幸・不幸の相対を超越した大歓喜

ブラフマンの本質をサーチダーナンダという。

永遠の実在(サット)

完全円満な智慧(チット)

絶対の至福(アーナンダ)

 

 

 

 

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