永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

「食物についての識別」について(8)

通常、アートマン(真我)と肉体は、同化(一体化)してしまっているので、私たちは、自己の本性であるアートマンを自己の中に見つけ出すことができまま、一生を終えます。

 

私たち人間は、アートマンこそが、真の自己であることを知らないまま、「死」と呼ばれる肉体の消滅を経験します。

 

しかし、肉体(個人)は消滅しても、真の自己であるアートマンは在り続けます。

 

このアートマンを己の中に発見することを「見神」と言いますが、

この「見神」のために、私たち探求者が自分で準備をするための手段の一つとして、ヨーガや瞑想がありますが、

ここでは、体の準備のための実践方法である「食事によるアプローチ」として、体の浄化やチャクラやナディ(経絡)の浄化にもなり得ることから、「マクロビオティック」という食事法についてご紹介しています。

 

まずは、毎日の食事を変えるという日々の実践を通して、体や心に起こる変化を体感してみて下さい。

 

「見神」は、”絵に描いた餅”のような絵空事(空想物語)では、何の意味もありません。

 

どんな本を読んでも、どんな話を聞いても、それはただの知識となるだけで、頭の理解だけでは、アートマンを発見することはできません。

 

直接体験こそが、唯一の「正解」なのです。

 

折角、人生という時間を与えられているのですから、実在する「神」を自分の中に見つけ出してみて下さい。

 

「見神」こそが、探求者が持つあらゆる疑問に対する答えをもたらし、それは人間を解放するので、探求者にとっては、これ以上の歓びはないと言えます。

 同時に、肉体の死に対する恐怖心は、薄らぐことでしょう。

 

その時を迎えるために、心身の浄化は自分で為すべき仕事であり、

そのためには、食事におけるアプローチが、大いに役立ってくれることと思います。

 

 

 

『あらゆる食べ物は陰陽両極の資質を持っているため、その分類に際しては、主な分類要因を決める必要性がある。

季節の巡りを見ることは、もっとも有効な評価方法のひとつである。

春には、暖かい天候が回復するとともに、植物エネルギーは上昇する。

大地の凍結が溶け、大気のエネルギーが上昇するとともに、つぼみ・新芽・緑の若枝が現れ始める。

柔らかく若い緑の葉物などの春野菜は、長く寒い冬を振り払い、軽くて新鮮なエネルギーを供給するもので、穏やかな陰性に分類される。

夏には、地から上昇したエネルギーは拡散と活動の頂点に達する。

キュウリ・ズッキーニ・スイカは、気候が暑くより陰性になるに従って、体を冷却する効果を発揮する。

夏の終りになると、エネルギーは絶頂をきわめて、多くの果物や野菜が熟してくる。

そうしたものは水分が多く、春や初夏に比べて地表から高い場所に実り、食べるととても甘くて汁気の多い味がする。

このような食べ物は極陰性に分類される。

秋には、植物界と大気のエネルギーが下降し始めて、小麦・米・大麦などの穀物類とともに、パンプキン・スクワッシュなどのカボチャ類・タマネギ・リンゴなどの球形の野菜や果物が収穫される。

この時期に収穫され、晩秋にかけて使われる植物は、より引き締まって乾いたもので、強力なエネルギーを与えてくれる。

これれは、陽性に分類される食べ物である。

冬になると、気候は寒くより陽性になり、植物エネルギーは地下の根塊組織の中へと下降していく。

木々は樹液が根に下がるに従って、最後の一葉を落とし、植物の生気は冬眠状態に入る。

冬の大部分の期間中、深い雪の層が地表を覆い、湖は凍結し、多くの動物たちは冬眠するか、南の暖かい地方へと渡っていく。

1年の中でこの時期のエネルギーは、凍結して凝縮された極陽性のものである。

地球のエネルギーは、冬至春分のおよそ中間地点で溶け始め、最初のつぼみが萌え、新たな周期が再開される。

四季を巡る1年の周期は、拡散と収縮、暑さと寒さ、乾燥と湿気といった相補かつ相反する両局面間の変移を見せながら展開される。

食べ物の分類にも、産地の地域や気候に基づいて、同様の法則が適用される。

より寒いか北方の地域では、植物の生育が希薄かつ短期間で、そこで採れた食べ物はより陽性である。

熱帯気候に産する食べ物は密集して生息し、動物も植物も膨張して、より陰性である。

食べ物の色合いはエネルギーの別な側面を表している。

紫・緑・青・白は、より陰性な傾向の色である、赤や黒はより陽性、黄・だいだい・茶などは、その中間に位置する。

このため、ワイン色の果物や緑の葉物野菜は軽い陰性の効力を持ち、動物性食品には赤黒い血が含まれ、より陽性の働きをしている。

ベージュ色の穀物やカボチャ類のように、だいだい色や濃い黄色をした野菜は、より総合的な調和をもたらすものである。

つけ加えて、化学的成分の比率も考慮される。

塩の主成分であるナトリウムは、非常に陽性であるのに対して、ジャガイモ・トマト・ナスなどの主な成分であるカリウムは、非常に陰性である。

こうした傾向の数例を以下に要約しておく。

 

<陰性エネルギーが生み出すもの>

・暑い気候で育つ

・短期間で生育する

・水気の多い食べ物

・果物や葉物は、主に拡散のエネルギーの滋養を受けて育つ

・地上から上方へ高く生長する

・酸味・苦味・強い甘さ・辛味・芳香の強い食べ物

カリウムなど拡散性の成分を多く含む食べ物

 

<陽性エネルギーが生み出すもの>

・寒い気候で育つ

・ゆっくり生育する

・乾いた食べ物

・茎・根・種は、主に凝縮エネルギーの滋養を受けて育つ

・地表から地下へ深く生長する

・塩味・穏やかな甘さ・刺激性の食べ物

・ナトリウムなど凝縮性の成分を多く含む食べ物

 

あらゆる食べ物は、含有される主要な陰陽の資質で分類できるが、実用的には、現代社会において入手可能な飲食物の全範囲を大きく以下の3項目に分類して用いるのが常である。

  • 中庸の食べ物:バランスが取れた毎日の食事として、定期的・ときどき・まれに用いるのに適するもの
  • 極陽性な食べ物:堅く引き締まった状態やその他の強力な凝縮効果を引き起こし、温帯地域では、通常は避けるか、最小限にとどめるもの
  • 極陰性な食べ物:柔らかく緩んだ状態やその他の非常に膨張する効果を引き起こし、通常、四季の変化がみられる地域では避けるか、最小限にとどめるもの――。

第1の中庸の食べ物は、陰陽の資質が比較的バランスよく混合されたもので、その範疇に含まれる食べ物は、全粒穀物、豆類・豆製品・陸海からの多種多様な野菜類など毎日とってよいもの、果物・種子・木の実・調味料・ふりかけ・漬物・薬味・刺激や香りのない飲み物などの各種組み合わせに加えて、魚介類も含まれる。

中でも白身魚は、ときどきもしくはまれに用いてもよい。

 

第2の極陽性な食べ物には、パン・クッキー・クラッカーなど小麦粉を焼いた食品や、塩(特に一般の食卓塩)の過剰摂取のほか、肉類・家禽類・甲殻類・その他の動物性食品が含まれる。

タバコ・チョウセンニンジン・インシュリン・チロキシン、また、根・ハーブ・化学薬品・薬物にも強力な陽性の作用がある。

 

第3の極陰性な食べ物には、精白小麦や白米などの精白された穀物類・熱帯産の果物や野菜、トマト・ジャガイモ・ピーマンなど熱帯産で現在は北方地域でも栽培されるナス科野菜、ミルク・アイスクリーム・ヨーグルトなどの軽い乳製品、豆乳や豆乳チーズなどの高度に加工された大豆製品、砂糖やはちみつその他の精製甘味料、精製された油類・マーガリン・マヨネーズ、スパイス・ハーブ、コーヒーや紅茶などの刺激物、缶詰・冷凍・薬品噴霧・化学処理・放射線照射・遺伝子組み換えなどの加工食品・アンフェタミン抗生物質アスピリンマリファナ・コカインを含む多種類に及ぶ化学薬品・薬剤が含まれる。

 

どの範疇に属する食べ物も、その大きさ・形・生育・色・味などの資質によって、さらにより陰性もしくは陽性なものに細分される。

調理の方法・時間・圧力の有無・味付けの違いによっても、私たちが口にする食事の質は変化してくる。

私たちは、日々の食事を実践していく上で、陰陽のバランスに応じて食べ物を注意深く選択する必要がある。

中庸の範疇から食べ物を選ぶのが一般的であるが、その場合でも、ある一定の食品を大量もしくは頻繁にとりすぎるとバランスを崩す結果となる。

同様に、ある種の食べ物をまったくとらなかったり、食べ物の組み合わせが不適切でも、健康に問題が生じてくる。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

『朝の六時半である。

パララムの家を出て、校長はガンジス河に沐浴に行った。

途中、突然地震を感じた。

すぐさまタクールのそばにとって返した。

タクールは応接室で立っておられた。

信者たちも皆、立ち上っている。

皆、地震の話をしている。

かなりの揺れ方だった。

大方の信者は恐ろしそうにしていた。

 

聖ラーマクリシュナ

「どんな豪邸でも、その人が住んでいる家が持つ、言わば運命みたいなものがあるからね。

それにつけても、人間は自我(アハンカーラ)がつよいなあ。(校長に)--アッシン月の嵐のことを覚えているかい?」

 

校長

「はい、覚えております。

ずっと年少のときで--九つか十でございましたか--部屋にひとり閉じこもって、神々の名を呼んでおりました!」

 

聖ラーマクリシュナ

「南神村では晩方だったが--でも、寺ではどうやらこうやら食べものの支度もできた。

木がみんな根こそぎになってしまってね。

だからさ、どこに住んでいるかは、その人の定まった運命なんだよ。

しかし、完全智(プールナ・ジュニャーナ)を得ていたら、死ぬのも殺すのも同じことだ。

死んでも、何も死んじゃいない--殺されたといっても、何も死んではいない。

永遠の遊戯(リーラー)だ。

”それ”のひとつの相(すがた)が永遠不動で、もう一つの相(すがた)がリーラーなんだよ。

変化活動の形がこわれてしまっても、永遠が実在している。

水は静止していても水だし、波立っていても水だ。

波が静まっても同じ水だ」

 

「あの御方は、永遠不動(ニティヤ)の相(すがた)と、変化活動(リーラー)の相(すがた)とをもっていらっしゃる。

ヴェーダンタでは何という?--ブラフマンは真実在、宇宙世界は虚仮、と言っている。

だが、”信者の私”を残しておいて下さる間は、リーラーも真実在だ。

”私”をあの御方がすっかり拭き取って下すったら、そのときは、”ジャ アチェ タイ アチェベンガル語で『在るものが在る』”。

口では言えない。

”私”を残しておいて下さる間は、すべてを受けいれなければならない。

バナナの樹の外鞘(かわ)をむいていくと、木髄(しん)になる。

しかし、外鞘(かわ)があるから木髄(しん)があるんだ。

木髄(しん)があるからこそ外鞘(かわ)があるのさ。

外鞘(かわ)あっての木髄(しん)、木髄(しん)あっての外鞘(かわ)だ。

ニティヤのことを言うときは、必ず、リーラーがあることがわかっている。

リーラーといえば、必ずニティヤの存在が前提となっている。

あの御方が生物世界になっていなさるんだ。

宇宙存在の二十四原理になっていなさるんだよ。

静止しているとき、あの御方をブラフマンという。

創り、保ち、壊すとき--あの御方をシャクティという。

ブラフマンシャクティは不異(おなじ)だ。

水は静かでいても水ーー。

大波、小波が起こっても水ーー。

”私”の感じは無くならないよ。

”私”の感じがある間は、生物世界が虚仮などと言えたものではない!

ベルの実の皮やタネをとってしまったら、ベルの実の目方は測れない。

煉瓦、石炭、煉瓦粉で屋根はできている。

その同じ煉瓦と石炭と煉瓦粉で、階段もできている。

ブラフマンがあるから生物世界があるんだよ。

信仰者たち、大智者(ヴィジュニャーニー)たちは、無形の神と有形の神の二つとも受けいれる。

--形のないものと形のあるものと、二つとも認める。

信仰の凍らせる力で、あの無限のサッチダーナンダ海にいくつかの氷ができる。

そして、智慧の太陽が昇ると、その氷が解けてもとの水になる」

 

「心で分別している間は、”永遠なるもの”にとどかない。

心でどれほど分別したとて、この世界から逃げ出す道はない。--色、味、香、触、音、こうした感覚器官の対象から逃げ出すことはできない。

分別が止んだとき、ブラフマン智だ。

この心ではアートマンはわからない。

アートマンでこそアートマンがわかるんだよ!

純粋な心、純粋な知性、純粋なアートマン、この三つは同じものだ。

ごらん、一つの品物を見るのでさえ、どれのどのものが必要か。

--目がいる、光がいる、それから心がいる。

この三つのうち一つが欠けても物は見えない。

この心が作用している間は、どうして言えるかね、世界もない、私もない、なんてさ?

心が無くなって確信も疑問も消え失せて三昧に入る--ブラフマン智に達する。

けれども、サ・レ・ガ・マ・パ・ダ・ニー(インドのドレミファソラシド)の二―の音を長い間出しているわけにはいかない」

 

「神さまはいらっしゃる、とただ感じているだけで何になる?

神を見た、というだけですべてだと思ったら大間違い。

あの御方を部屋に連れてこなけりゃいけない--そして、知り合いにならなくちゃいけない。

牛乳の話を聞いた人、牛乳を見た人、牛乳を飲んだ人。

王様の姿を見た人は何人かいるだろう。

しかし、王様を自分の家にご案内して接待できる人は一人か二人だ」

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

 

エーテルは到る処にあるが その精妙さの故に

どんな物とも混じりあわぬように

霊魂(アートマン)はどの体のなかにいても

何ものにも影響を受けない

 

バラタ王の子孫よ 一つの太陽が

この全世界を照らしているように

霊魂(たましい)は肉体のなかにあって

体の全部(すべて)を意識で照らしている

 

智慧の眼を開いて

肉体とその認識者との相違を知る者は

物質自然(プラクリティ)の鎖から脱出する方法も知って

至上の目的地に到達する

(バガヴァッド・ギーター第13章33ー35)

 

 

 

 

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