永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

「食物についての識別」について(7)

病を治す食事療法として知られている「マクロビオティック」では、宇宙から地球にやって来るエネルギーを収縮したエネルギー、陽性のエネルギーとし、

地球の内部から宇宙に放出されているエネルギーを拡散のエネルギー、陰性のエネルギーとして捉え、 

この陰陽のふたつのエネルギーが、宇宙を形成し、人体を形成し、人間は双方のエネルギーを食物という物質の形で、体内に吸収し、それを各種臓器の働きにより、目に見えないエネルギーに変換して、肉体、精神を維持しているとしています。

 

この陰陽のエネルギーの性質を知ることで、人体に起きている様々なエネルギーの流れや性質を知ることができるようになります。

 

エネルギーに対する理解が深まると、人間を、自分自身を、違った観点から考えることができるようになり、やがては、宇宙の法則、宇宙の真理を理解するヒントとして、大いに役立ってくれることでしょう。

 

今回も、前回の続きを見ていきたいと思います。

 

 

 

『胎児は、子宮内で母親の血液から栄養分を受け取り、その他の滋養分は胎盤を通して得ている。

妊娠期間中の母親の食べ方は、精子卵子が本来的に持っていた資質以上に、胎児の体質と将来の健康に多大な影響を及ぼすものである。

誕生後の新生児は、動物界の凝縮されたエネルギーである初乳と母乳によって養われる。

歯が出そろう離乳後は、適切な発育と成長のための主要な食べ物として、植物性のものがその大半を占めるようになる。

以後、発育・成熟していくに従って、日々の食事が、気すなわち生命エネルギーの主要な摂取源となる。

食べ物は、直接、私たちの心・体・スピリットに変換されるもので、適切な食べ物を選択して調理することによって、日々の健康と幸福を創造していくために必要な、天と地からの凝縮されたエッセンスを受け取ることができるのである。

人体構造や組織の質および機能は、毎日の食事によるところが大きい。

もちろん、私たちは、自然や宇宙からも直接的に気を取り入れ続けるが、このエネルギーは、臓器・機能・細胞・組織を活性化させ、充填することに用いられている。

互いに相関性はあるものの、外界から取り入れる気のエネルギーは、より陰性であるのに対し、毎日の食事の結果として体内で生み出されるエネルギーは、より陽性なものである。

食べ物は、人体の組織や機能を養う血液・リンパ・その他の体液などに直接変化して、天・地球の周期・私たちを取り囲むさまざまなリズムからやってくる波動や振動を十分に取り入れられるようエネルギー経路を開く役割を果たしている。

 

食べ物は、肉体的健康や活力に加え、私たちの心や精神も創造して、意識の質を決定するものである。

宇宙からの波動は、脳や神経系を通じてらせん形を描いて取り入れられている。

無数にある細胞のそれぞれが、大気や私たちを取り囲む環境からやってくる振動を引きつける受容体となっている。

私たちの知性や精神性は、体細胞がエネルギーを受容した度合いに応じて決定される。

ゆっくりした周期で振幅が長い波長ほど、肉体を活性化させ、より頻繁な周期で振幅の短い波動のほうが、私たちの思考・想像・夢を創造するのである。

全粒穀物と調理した野菜を食事の主な中心にすえる食べ方をすると、周期がゆっくりで振幅が長い波動とともに、周期が頻繁で振幅の短い波動も併せて取り入れることができる。

意識の範囲が広がると、日常的な事務処理と天空の音楽を同時に取り扱うことが可能となる。

もし砂糖・スパイス・アルコール類・薬物など、極陰性な食べ物を摂取すれば、体内の経絡・神経系・各細胞の中にあるらせんが膨張しすぎて、短い波動が取り入れられなくなる。

逆に肉類・卵・家禽類・脂っぽい魚など、極陽性の食べ物をとると、らせんが活性化しすぎ、混乱して受容した波動を誤って解釈してしまう。

高邁な精神性と緻密な意識は失われ、間違いだらけで暴力的かつ視野が狭く、偏狭で断片的な思考を始めるようになるのである。

このような食べ物が持つ力を過小評価してはならない。

インドに伝わる伝統的知恵の教えである『ウパニシャッド』にいわく、「あらゆる創造物は、食べ物に分解されていく。

食べ物こそが、万物の長であり、普遍的薬なのである。・・・われこそ、この世界そのものであり、同時にこの世界を食すものであるという事実は、知る者ぞ知るのである」。

 

全粒穀物は、地球上で、数百万年にもわたって、人類のらせん状の進化の中心に位置してきた。

人類は、主に野生種および栽培種の穀物などの植物性食品をとることによって、独自の直立姿勢・高度の発達した知性・精神的方向性を発達させてきたのである。

アジアでは雑穀と米、南ヨーロッバ・北アフリカ・中東では大麦と小麦、北ヨーロッパではオート麦とライ麦、アフリカでは、モロコシ・雑穀・米、北アメリカではマコモとトウモロコシ、南アメリカではアマランサスとキヌアというように、全粒穀物は、あらゆる伝統文化・文明において主食の座を占めてきた。

主要な副食とされてきたものは、海陸の植物(野菜と海藻)・豆類・果物・種子・木の実・根菜・塊茎・キノコ・その他の植物性食品である。

毎日、食事のたびに、世界中の人々は、植物界から得た飲食物をバランスを取りながら摂取しているのである。

主要な食べ物の第3番目として挙げられるのが、野生の鳥獣・小型の哺乳動物・魚介類・飼育した家畜類・小さな飼育生物・昆虫・幼虫などを含めた動物性食品である。

科学者たちによれば、人間は、地球上に人類が誕生して以来、その大半の期間において、平均して月に約2~3回の頻度で動物性食品を食べてきたとされる。

この様式の例外とされるのは、穀物や野菜が生育・収穫できないか、採れる時期が短期間に限定される特殊な気候・環境の地域である。

この中には、熱帯の砂漠・山岳地帯・寒帯・南北極近郊の地域が含まれる。

このような地域では、年間を通じて、比率としてより多くの動物性食品が摂取されており、それによって、過酷な自然環境や活動的な遊牧生活とのバランスを保っている。

動物性を主体とした食事は、こうした状況下では、健康的かつ伝統的な生活法に含まれるものであるが、人類の大部分が住まう世界の大半を占める温帯もしくは熱帯地域では、およそ400年前から始まった近代文明の始まり以来、植物性を主体とした食事法が数えきれない世代を通じて脈々と続けられてきた。

現在、新たな世代の科学者たちは、人類の祖先たちは主に肉食をして、他の生き物に比べてより多くの動物性たんぱく質を摂取したために独自の能力を発達させてきた、とされる従来の定説を覆す挑戦を始めている。

例えば、近年、ハーバード大学の人類学者の中には、初期人類によって進化の主力となったのは、調理法の発見であるとの学説を提出する学者たちが出てきた。

彼らは、考古学的証拠を再検証した結果、人類特有の顎・骨格構造・知性・高度な推察能力・社会構造は、火を扱って野生の植物を調理する術を習得した結果であると説明している。』

 (THE マクロビオティック  久司 道夫 著)

 

 

 

「それから、世間で暮らしているなら、本当のことを言うようにできるだけ努力しなけりゃいけないよ。

正直、誠実でこそ、至聖(かみ)さまがつかめるんだからね。

わたしの場合、いまはちょっとゆるくなってきたが、以前はそりゃあ大変なものだった。

”沐浴する”と言ったとすれば、ガンジス河に下りて行って、マントラを唱えて頭に少し水をかけて、それでもまだ何だかやり方が不十分だったんじゃないかと不安になったものだよ!

或る場所で小便しようときめると、どうしてもそこでしなければ気が済まなかった。

カルカッタのラムの家に行ったとき、何かのハズミに、『ルチは食べない』と言ってしまった。

さあ、食事の席に坐って腹が減っているのに、どにかくルチは食べないと言ったからにはルチは食べられない。

仕方がないから、砂糖漬けの果物で胃の腑を満たしたよ。

でも、今はその気持ちは少し弱くなった。

『うんこをしに行く』とつい言ってしまって、出そうもないのでラムに相談した。

ラムは、『したくなくなったのなら行くことはないですよ』と言った。

そのときよく考えてみた。

すべてはナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)の顕れだ。

だから、ラムもナーラーヤナだ。

だから、あれの言うことをきかないという法があるだろうか?

象もたしかにラーナーヤナだが、しかし、象使いもナーラーヤナ--。

象使いが象のそばに寄るなと言う時は、その言葉に従わない法があるだろうか?

こんなふうに分別判断してからは、”本当のことを言う”ことに対する熱心さは少しばかり弱くなったよ」

 

「シヴァナートを見ると、わたしはとても嬉しくなるんだよ。

あれはまるで、信仰の甘い水に浸りきっているような様子だからなあ。

それに、あんなふうに大勢の人から褒められる人間は、きっと神様から何かの力を与えられているんだ。

でも、彼には大きな欠点が一つある。

それはね、自分の言葉に責任を持たないことだ。

わたしに向かって、『一度、あそこ(南神村のカーリー神殿)に来る」とはっきり言っておきながら、いつまでたっても来ない。

伝言もよこさない。

こりゃよくないことだね。

”真実を語ることが末法の世(カリユガ)における修行だ”と言われているよ。

誠実さ(サティア)を粘り強く持ち続けていれば、きっと至聖(かみ)をつかむことができる。

誠実ということにいい加減な気持ちでいると、だんだん人は堕落していく。

わたしが今、何かの拍子に『うんこをしに行く』と口走ってしまったら、もし、うんこが出たくなくても、尻洗い用の水壺を手に持ってジャウタラ(ジャウ樹の根本)まで行かなくちゃならん--誠実さに対する熱意を失いたくないからね。」

 

「見ろ、シヴァナートは年中いろんな問題ごとに巻き込まれて大忙しだ。

雑誌や新聞にモノを書かなけりゃならないし、そのほかにも滅多やたらに仕事がある。

ああいう世間の仕事をしていると、気の休まるひまもないさね。

悩みや心配ごとが次から次へと寄ってくる。

シュリーマッド・バーガヴァラにこんなことがでている。

アヴァドゥータは自分の二十四人の師のなかにトビを一羽いれていなすった。

ある場所で漁夫が魚を獲っていると、一羽のトビが舞い降りてきて魚を一匹さらって跳び上がった。

ところが、魚を見たカラスどもが千羽ほどもトビの後から追いかける。

カァカァわめきながらしつこくトビを追い廻す。

どっちの方向へ逃げてもトビの行く方へカラスの群れはついていく。

南へ飛べば南へ、北へ逃げれば北へ、どこまでもどこまでもついていく。

西へ行っても東へ飛んでも同じことだ。

しまいには、もう何が何だかめくらめっぽうに逃げているうちに、トビの口から魚が落っこちてしまった。

そうしたら、カラスはトビを放っておいて魚の方に行ってしまった。

トビはやっと息をついて一本の木の枝に止まって、ヤレヤレと胸を撫で下ろした。

木の枝に止まって考えついた--あの魚が原因でこの災難が起こったんだなあ。

今は魚がないから、おれはこの通り平和なんだ!

”魚”--つまり、”欲”を持っている間は仕事がついて廻って、そのために、悩み、心配、もめごとが追っかけてくるのだ、という教訓をアヴァドゥータはトビから得たわけだ。

だが、無私の仕事はいいことだよ。

それで心の平和は乱されることはないからね。

だが、無私の仕事というものは途方もなく難しい。

自分では無私の仕事をしてるつもりでいても、どこからともなく欲が忍び込んでいるものだ。

先に沢山修行をした人なら、どうやら無私の仕事ができる人もいるようだがね。

神様にお会いした後なら、楽に無私の仕事ができる。

見神の後では、大抵の場合仕事が離れてしまうものだが、なかに一人二人は、人々を導くために仕事をする』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉  マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

物質体(にくたい)の千差万別を見て

差別観におちいらず 生物は全て

一なるものより発することを知ったとき

その人はブラフマン意識に達する

 

クンティーの息子よ 霊魂(アートマン)は不滅であって

物質自然(プラクリティ)の性質作用を超越している

それは肉体の中に在るが

何事も行為せず 影響を受けない

(バガヴァッド・ギーター第13章31ー32)

 

 

 

 

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