永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

最高の愛(バクティ・ヨーガ) - 準備のための予備訓練(1)

真理の概要、イメージは掴めたけれども、実際に、神を掴む、神に出会うには、どうしたら良いのか?、具体的な実践方法が思い浮かばないのが、一般的な反応だと思います。

 

これまでに、チャクラの記事のところで、プラーナヤーマ(調気法)や瞑想をご紹介いたしましたが、それに加えて、もう少し取り組みやすく効果的な方法として、以下のスワミ・ヴィヴェーカーナンダの遺されたお言葉をご紹介させて頂きたいと思います。

 

これは、誰もが比較的簡単に取り組むことが出来、そして、効果をダイレクトに感じ取ることができる優れた実践法です。

 

インドにおける多くのヨーギーや聖者の方々が、菜食であることは、偶然ではありません。

彼らは、私たち人間が、食物から受け取るエネルギーを完全に理解した上で、菜食を選択していると言うこともできるかと思います。

 

何故なら、私たちの心身を形成しているのは、口から入る食物であり、生きるエネルギーを与えてくれているのも、食物なのですから、食物が人間に与える影響は、人間が想像する以上であることは、明らかで、

食べた物により、どのような人間になるか?とまで言えるのです。

 

 

バクティ・ヨーガの最善の定義はたぶんプララーダによって与えられた次のものだろう。

即ち、「識別力のない者が、はかない感覚の対象に対してつねに抱いているあの愛、それと同じ種類の愛を、“あなた”(主)に対して持つことができますように、“あなた”を想うときに感じる喜びが私のハート(感じる心)から消え失せませんように」(ヴィシュヌ・プラーナ)というものだ。

より良いものを知らない者たちが、感覚の対象、金銭、衣服、妻子、友人、所有物などに対してどんなに強い愛を持っているか、どんなに強く執着しているかを、われわれは知っている。

だから、この定義の中で賢者は言っているのだ、「この執着、この強い執着を、“あなた”に対してだけ持とう」と言っているのだ。

この愛が神に向けられたとき、それをバクティと呼ぶ。

バクティはこわれない。

それは、私たちに与えられた能力に、ひとつとして無駄なものはない、それらの中に、解脱にいたる自然な道が見いだされるのだ、と説く。

バクティは何ものをも抑制しない。

それは自然に反することはしない。

ただ、それに、より高い、より力に満ちた方向を与えるだけである。

なんと自然に、私たちは感覚対象を愛することか、また、私たちはそうせざるを得ないのだ。

それらが私たちにとって非常にリアルであるからだ。

私たちは、通常は、より高いものには現実感を持たない。

しかし、人がこれらの感覚の彼方に、感覚世界の彼方に、リアルな何ものかを見たときには、彼は、同じ執着を持ち続けるが、しかし、それをこの感覚を超えた対象、つまり、神に向けるようになる、という意味である。

そして、かつては感覚対象に向けられていた同じ愛が神に向けられたとき、それがバクティと呼ばれるのだ。

賢者ラーマーヌジャによると、この強い愛を得るための準備段階は次のようなものである。

第一はヴィヴェーカ。

そしてそれは、特に西洋の人びとには、非常に奇妙なものである。

ラーマーヌジャによると、これは「食物についての識別」なのである。

食物は、その中に私たちの心身の力を作り上げる全エネルギーを含んでいる。

私の現在あるすべては私が食べた食物のかたまりの中にあった。

それは私の中に取り入れられ、蓄えられ、私の中で新しい方向が与えられたのだが、しかし本質的には、私の心身は、私が食べた物と異なるものではない。

物質世界には力と物質があり、この力と物質が、私たちの中で心と身体になっているのだから、心身と食物とのちがいは本質的には現れ方のちがいに過ぎないのだ。

食物という物質の粒子から私たちは思いの道具をつくり、これらの粒子の中にやどる精妙な力から思いそのものをつくる、というのであれば当然、この思いとその道具は、私たちが摂る食物から影響を受けることになる。

心にある種の変化をもたらす食物がある。

私たちはそれを毎日はっきりと見ている。

また、まず身体に変化をもたらし長い間には心に大きな影響を与える、というものもある。

それは、学ぶべき大切なことである。

私たちが被る悲惨の多くは、単に、私たちが摂る食物によって引き起こされているのだ。

重い消化され難い食事の後では、心を統御することが非常に難しいということはご存じだろう。

心は絶えず走り、走っているのだ。

また、ある種の興奮させる食物がある。

このような食物を摂ると、心が統御できなくなることに気づかれるはずだ。

多量のワインや、その他のアルコール性の飲物を飲んだ後には、人が自分の心を統御することができなくなるのは当たり前のことだ。

おさえても逃げてしまうのだ。

ラーマーヌジャによると、避けなければならない3種類の食物がある。

まず、ジャティ、即ち、食物の性質、または、種類。

すべての興奮性の食物は避けるべきだ。

例えば、肉、これはもともと不浄なものだから避けなければならない。

他者の生命を奪ってしか得られないからだ。

私たちはそれを食べて瞬間的に快楽を感じる。

しかし、その快楽を得るためには他の生きものが生命を失わなければならない。

そればかりでなく、私たちは同時に他の人びとを堕落させることになる。

肉を食べる人が動物を殺すなら、むしろましだろう。

しかし、そうする代わりに、社会はそれを職業とする階級をつくり、それを理由に彼らを嫌っている。

私はこの国の法律は知らない。

しかし、イギリスでは屠殺人は陪審員になれない。

生まれつき残忍だというのが理由だ。

誰が彼らを残忍にしたのか。

社会だ。

もし我々が牛肉やマトンを食べなかったら、彼らは屠殺人にはならなかったであろう。

肉食は、非常にはげしい仕事をする人、バクタになろうとはしない人びとだけに許される。

しかし、もしあなたがバクタになろうとするなら、肉類や、タマネギやニンニクのような刺激の強いもの、「ザウエルクラウト」(ドイツの漬物の名前)のように悪臭のするものは避けなければならない。

日が経って腐りかけたもの、もともとあったジュースが乾きかけたもの、悪臭のするものも避けなければならない。

食物について、次の項目は西洋人には、ますます複雑に思われることだろう。

それはアーシュラヤ、つまり、それを用意した人、と呼ばれるものだ。

これは、ヒンドゥの神秘的理論と言ってよかろう。

その考え方は、人はみな、その周囲にある種のオーラを漂わせていて、彼が触れる物は何であれ、彼の性格の一部、いわば、彼の影響をその物の上に残す、というものだ。

それぞれの人から体臭が出るように、性格も彼から発散されていて、彼が触れる物はそれを受けるのだ。

したがって、私たちは、食物が調理されるとき誰がそれに触れるか、に気を配らなければならない。

邪悪な、不道徳な人はそれに触れてはならないのだ。

バクタになりたいと願う人は邪悪だということを知っている人とともに食事をしてはならない。

彼らの影響が食物を通じてもたらされるからである。

次にはミニッタである。

これは非常に理解しやすい。

汚れやほこりなどは食物の中に入ってはならない。

食物を、外界の汚れや、塵などをつけたまま、市場から持って来て、洗わないまま食卓の上に置いてはならない。

又、唾やその他の、口から出る分泌物のついた物に触れてはならない。

唇を触れる習慣や、唾の付いた物に触れる習慣は、私が経験したうちで最も恐ろしいものだ。

神は洗うための水を十分に与えていて下さるのに――。

粘膜は身体の中で最も繊細な部分だ。

あらゆる影響は唾を通じて非常に容易に運ばれる。

したがって、粘膜の接触は、不快であるばかりでなく、危険でもある。

したがって、ほかの人の食べかけた食物、つまり、誰かがりんごを半分かじって、残りを他人に与えたような場合、それを食べてはならない。

今述べたようなことを避けた場合、その食物は浄い。

「浄い食物は浄い心をもたらし、浄い心は絶えず神を覚えている」(チャンドーギヤ・ウパニシャッド)』

(最高の愛  スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)

 

この続きは、次回ご紹介いたします。

 

真理を覚るためには、バクタ(神を信愛する人)であることは、必須です。

 

無神論者は、バクタになり得ませんし、真理を覚ることもできないでしょう。

 

神とは自己の本性であり、それが真理なのですから。

 

そして、そのことを覚ることが、私たち探求者が目指す最終ゴールと言えるのです。

 

 

 

 

さて、この用地ーー活動の場は何なのか

どのように構成され 変化し また何処から来るか

用地の認識者は誰で どんな作用をするか

簡単に説明するから よく聞きなさい

 

古来の聖賢たちは この知識について

多くの讃歌や格言のかたちで

様々に表現し説明している

特にヴェーダンタスートラが道理分明である

 

五大要素 我執 理解力

気(未発の活力)

十根(五官の受動両面)

心 五官の対象(色声香味触)

 

欲望 憎悪 喜楽

悲苦 身体の諸機能 知力 意志力

およそ これらのものが

活動の場とその相互作用である。

(バガヴァッド・ギーター第13章4ー7)

 

 

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