永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

智者と覚者

これまでの記事で書いてきたことは、かなり難しい内容も含まれていましたので、

それらのすべてを理解するのは、そうそう簡単なことではないでしょう。

 

ですから、時間があったら、何度も読み返してみて下さい。

 

出来れば、時間を空けて読み返してみると、以前は理解できなかった内容が、ある日、突然理解できるようになっていることも起こり得ますので、

最初は、今は、わからなくても、諦めずに、何度でも読んでみて下さい。

 

読んで理解しようとすればするほど、『真理』の概要、そのイメージが掴めるようになると思います。

 

このブログの目的は、一番最初の記事に書いた通りですが、もう一度、ここに掲載させて頂きます。

 

『この世にいる人間は、大ざっぱに分けて四種類あるんだよ。

 

ーー縛られた人。解脱を求める人。解脱した人。それから、永遠の人。

 

永遠の人は--人びとを幸福にするため、人びとに真理を教えるためにだけ、この世にいる。

 

縛られた人は--世間のことに心を奪われてしまい、神のことをすっかり忘れている。夢にも神のことなど考えたりはしない人間だ。

 

解脱を求める人は--この世のカセから、自由になりたいと思って努力している人たちだ。だが彼らのなかでも解脱できる人もあり、できない人もある。

 

解脱した人は--この世の”女と金”に縛られない。聖者や、偉大な魂の人だ。この人たちの心には世俗的な思いは全然なく、ひたすら神の蓮華の御足を想っている。

 

湖に魚網がしかけてある。二、三匹の魚は利口で、決して網にかからない。

これは永遠の人に似ている。だがほとんどの魚は網にかかってしまう。

このなかで、いく匹かの魚は逃げようとしてがんばる。

これが解脱(自由)を求める人だ。けれども皆が逃げられるわけではない。

二匹か三匹くらいが、ドボーン、ドボーンと音をたてて逃げていく。

--そんなとき、漁師は言うよ。『オッ、一匹でかい奴が逃げちまったぞ!』

しかし、網にかかった大部分の魚は逃げられない。逃げようともしない。

それどころか、網の目を口にくわえて湖底の泥のなかにもぐりこんで、ジッとして横になって、『もう心配ない。おれたちはうまくいっている』などと考えている。

やがて漁師たちが網を引きあげて、一匹のこらずつかまってしまうのに、それがどうしてもわからないんだ。

これがそっくりそのまま縛られた人の有様だよ。』

(大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著 より)

 

 

「永遠の人」と「解脱した人」は、もう何の教えもサポートもグル(師)でさえ必要ありませんから、探求者として、自分の内側、外側を探す必要はないでしょう。

 

また、「縛られた人」は、自分が縛られていることにさえ気が付いていないので、その束縛から自由になりたいという想いもなく、「解放」を望むこともないでしょう。

 

ですから、このブログを読んでいる人は、少なくとも、何らかの形で、「解脱を求める人」すなわち、「解放を求める人」であろうと思われます。

 

そういう方々に向けて、アドヴァイタ(不二一元論)を基本に、ご参考になると思われる記事を書いてきましたが、

最終的には、「知識」は知識でしかなく、言葉で表現されたモノは、「観念」「イメージ」でしかなく、

いかなる聖者が言われたこと、聖なる本に書かれたことでさえ、「神」「絶対者」「それ」などと呼ばれている「この宇宙で唯一の実在」そのものではありません。

 

これまでも何度もご紹介してきましたが、聖人ラーマ・クリシュナが仰っているように、

私たちには、知識を得ることではなく、「そのもの」を体験することが重要なのであって、知識は、体験までの案内書として、私たちを導く役割しかありません。

 

とは言え、道案内のガイドブックがあれば、闇雲に歩いて探すようなことはなくなりますし、目的地に到着することは、より簡単になることでしょう。

 

ガイドブックに書いてあることへの理解をより深めることで、道が短縮されることもあります。

そういう観点から、真の目覚めへとつながっていく示唆となり得るような記事をもう少し書いてみようと思います。

(より簡単で具体的で確実な方法については、後日、記事に書かせて頂く予定です)

 

『読むことより聞くのが良く、聞くより見るのが上だ。

師匠(グル)や修行者(サードゥ)の口から聖典の話を聞かせてもらうとよくわかる。

そうすれば、余計なところにひっかかって無駄なことを考えずにすむ。

聞くことより見る方がはるかにマシだ。

見たならば疑いはみな消えてしまう。

聖典にはいろんなことが書いてあるが、神様に直接に会わなかったらーーあの御方の蓮華の御足を信じられなかったらーー心が清浄にならなかったらーーすべては無駄なことだ。」

聖典や経文とにらめっこして考えるのは何時までだと思うかね?

神様と直接に会うまでだ。

蜜蜂がブンブンいっているのはいつまで?

花にとまるまでだ。

花にとまって蜜を吸いはじめると、もう音をたてなくなる。

でも、もう一つ、神に会った後でも話をすることがある。

その人の話はただ、神と神の歓喜についてだ。」

「智者(ジュニャーニ)は”これでもない””これでもない”と分別判断する。

この否定をつづけていって最後のところで大歓喜を得る。

それがブラフマンだ。

智者はどんな傾向かというとーー智者は聖典に従って行動する。

だが、智者は質問されなければ、神に関する話をしない。

先ず時候のあいさつとか、健康のこととか、家族の様子などをきくものだよ。

しかし、覚者の様子は智者とは全く違う。

とにかく無頓着だ。

着ているものもだしなくしていたり、脱いで横っちょにかかえていたりーーまるで子供みたいだ!

神様の実在を知っている人、これを智者と呼ぶんだよ。

木には必ず火がふくまれているということを知る人が智者だ。

木を燃やして物を煮て、食べて栄養をとることの出来る人、それが覚者だ。」

「覚者はいつも神を見ている。

だから明けっぴろげで無頓着なんだよ。

目をあいているままで神様が見えるんだ。

時には永遠不変(ニティヤ)のところから下りてきて変化無常(リーラー)の世界に住むしーー時にはまた、無常の世界から永遠の世界に行く」

「これでもない(ネーティ)、これでもない(ネーティ)と分別判断しつづけたあげく、あの永遠完全なサッチダーナンダに到達するわけだ。

彼らはこう考えるーーあの御方は生物ではない、世界でもない、二十四の(存在)原理でもないーーというふうに。

そして、”永遠完全”に到達するとまた、あの御方があらゆるものになっていらっしゃるーー生物にも、世界にも、二十四の(存在)原理にもーーと見るようになる。

牛乳を凝らせてバターをとる。

バターをとってみると、バターミルクがバターで、バターがバターミルクだということがわかる。

外皮あっての中身、中身あっての外皮だ」

「バターってものがあればこそ、バターミルクがあるんだよ。

バターを思い浮かべれば、いやでもバターミルクもいっしょに考えなければならない。

バターミルクがなければバターもないからさ。

だから、永遠なるものを認めるなら、変化無常も認めなければならない。

上昇と下降だ。

形ある神も形のない神もハッキリ見た後が、こういう境地なんだよ!

形のある神は霊(チンマヤーー純粋意識により成るもの)の種々相、無形の神というのは完全円満なサッチダーナンダだ。

あの御方がすべてのものになっていらっしゃる。

だから覚者にとっては”この世は遊び小屋”だ。

智者にとっては”この世は幻影の幕”。

覚者は神の喜びをもっとも豊富に楽しんでいる。

ミルクの話を聞く人もあり、それを見る人もあり、また飲む人もある。

覚者はミルクを飲んで楽しみ、しかも豊かに栄養をとっている」

(大聖ラーマ・クリシュナ 不滅の言葉 マヘンドラ・グプタ著)

 

 

 

「クリシュナよ 私は

プラクリティとプルシャについて

用地(クセートラ)と用地の認識者について また

知識と知識の対象について学びたいのです」

 

「クンティーの息子よ

この肉体が用地(クセートラ)であり

この肉体を知覚認識している者が

用地を認識者(しるもの)である

 

バラタの子孫よ そして このわたしが

全ての肉体の認識者であると知れ

肉体とその認識者について理解することが

真の知識であると わたし考えている

(バガヴァッド・ギーター第13章1ー3)

 

 

 

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