永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

チャクラについて(31)-サハスラーラ・チャクラ(第7チャクラ)

私たちは、通常、左脳と右脳が同時に機能しているため、左脳独自の性質、右脳独自の性質があることを、そして、それらがどのようなものであるのか?を、体験を通して知ることは、まずあり得ません。

 

前回は、左脳を損傷したことで、右脳だけで過ごした経験より、右脳の性質を、そしてその後、左脳の機能を取り戻すリハビリテーションをしたことから、左脳の性質を知ることになったジル・ボルト・テイラー博士の著書「奇跡の脳」から、

右脳の性質(右脳マインド)についてご紹介しました。

 

今日は、左脳の性質(左脳マインド)についてご紹介いたします。

 

私たちは、社会にあっては、左脳優位であることの方が、何かと都合が良いことが多いので、左脳優位であることが多いと書きましたが、

今日ご紹介する左脳の性質についての解説を読んで、左脳への理解が深まると、

私たちが、「自分」或いは、「自分の心」だとしているモノが、いかに左脳の働き(左脳マインド)であるか、を発見されることでしょう。

 

 

『わたしはたしかに、右脳マインドが生命を包み込む際の態度、柔軟さ、熱意が大好きですが、左脳マインドも実は驚きに満ちていることを知っています。

なにしろわたしは、10年に近い歳月をかけて、左脳の性格を回復させようと努力したのですから。

左脳の仕事は、右脳がもっている全エネルギーを受け取り、右脳がもっている現在の全情報を受け取り、右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い、それを実行可能な形にすること。

左脳マインドは、外の世界と意思を通じ合うための道具。

ちょうど右脳マインドがイメージのコラージュ(さまざまな断片の集まり)で考えるように、左脳マインドは言語で考えてわたしに話しかけます。

脳のおしゃべりを利用することにより、人生の荒波を乗り越えることができるし、わたしのアイデンティティーも顕してくれるのです。

左脳の言語中枢の、「わたしである」ことを示す能力によって、わたしたちは永遠の流れから切り離された、ひとつの独立した存在になります。

全体から分離したひとつの固体になるわけです。

左の脳は、情報をまとめる面では宇宙の中で最も優れた道具です。

左脳のキャラクターは、あらゆるものを分類し、組織化し、記述し、判断し、批判的に分析する能力を誇っています。

左脳はいつも熟慮と計算によってうまく立ち回ります。

口が動いていてもいなくても、左脳マインドは理論化し、合理化し、記録化するために忙しなく働いています。

左脳マインドは完全主義者で、まるで会社や家の管理人のよう。

それはこう言い続けています。

「全てのものには決まった場所があり、全てのものはその場所に属す」と。

右脳マインドのキャラクターは人間性を重視していますが、左脳マインドのキャラクターは財務や経済を重視しています。

何かをするとき、左脳マインドは複数の仕事を見事にこなし、同時にできるだけ多くの機能を演じるのを好みます。

左脳マインドは、そりゃもう働き者で、やらなくちゃいけない日課の項目をどれだけ線を引いて消せたかで、その価値を計ります。

左脳マインドは物事を順序だてて考えるので、機械的な操作に優れています。

違いに注目して特徴を見分ける能力は、生まれつきの組立屋さんといっていいでしょう。

左脳は、パターンを判別する特殊な才能を授けられています。

ですから、迅速に大量の情報を処理するのが得意なのです。

外の世界で起こるできごとに遅れをとらないよう、左脳マインドはものすごく早い情報処理をします。

対照的にゆっくりしている右脳の速さをはるかにしのいでいるのです。

左脳マインドは躁状態になる可能性がありますが、これに対し右脳マインドは、怠惰になる可能性を抱えています。

二つの大脳半球のあいだの思考、情報処理、言葉、行動面での速さの差は、異なる種類の感覚情報を処理するときのそれぞれの能力の差なのでしょう。

右脳は、長い波長の光を知覚します。

ですから右脳マインドの視覚的な知覚はやや溶けて柔らかい感じになります。

知覚が鈍いことで、右脳マインドは事物がどんなふうに関係しているかという、より大きな絵(心の像)に集中できるのです。

同様に、右脳マインドは低周波の音に同調しますが、それはわたしたちのからだ(お腹がグーと鳴ったり)や自然の中で普通に発生するものです。

そのために右脳マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されているのです。

対照的に、左脳は短い波長の光を知覚して、明確に線を引いてはっきりした境界をつくる能力を高めます。

その結果として、左脳マインドは生物学的に、隣り合った物体のあいだを分かつ線を認識する能力が高いのです。

同時に、左脳の言語中枢は高い音に耳を傾けますが、通常は話し言葉が高い音であることが多いため、言葉を検出し、識別し、解釈することができるのです。

左脳の最も顕著な特徴は、物語を作り上げる能力にあります。

左脳マインドの言語中枢の物語の部分は、最小限の情報量に基づいて、外の世界を理解するように設計されています。

それはどんな小さな点も利用して、それらをひとつの物語に作り上げるように機能するのです。

最も印象的なのは、左脳は何かを作るとき、実際のデータに空白があると、その空白を埋めてしまう能力があること。

そのうえ、ひとつの話の筋をつくる過程で、シナリオの代替案を用意する天才的な能力まで持っています。

もし、あなたが、物語を書くことに情熱を燃やしているのであれば、うまいか下手かは別にして、その感情の回路とつなげて、「もしも~だったら?」という可能性を網羅するのがとても効果的でしょう。

左脳の言語中枢が回復してふたたび機能し始めたので、わたしは長い時間をかけて、最小限の情報をもとに、どのようにしてわたしの中の物語作家が話を簡潔させるのか観察してみました。

長いあいだ、自分の物語作家が妙なことばかりするので、ふざけているんじゃないかと思っていました。

ですがとうとう、左脳マインドは脳の残りの部分に、完成しつつある物語を信じさせようと心から願っていることに気づいたのです!

左脳マインドの性格と機能が復活するまでのあいだ、自分の脳が最善の仕事をしていると思い続けることがとても重要でした。

しかし、知っていることと、知っていると思っていることのあいだに大きな隔たりがあることを忘れてはいけません。

自分の物語作家が、ドラマやトラウマ(心的外傷)を引き起こしかねないことにもっと注意を払うべきだったのです。

同じ調子で、左脳が真実だと信じこんで作る物語には、冗長な傾向も見られました。

まるで反響しているかのように、心にくりかえしこだまする、思考パターンのループができてしまうのです。

ふつう、こういう思考のループは頭の中に「はびこって」しまいます。

そしてわたしたちは知らず知らずのうちに、最悪の事態ばかり考えるようになります。

残念なことに、社会は子供たちに「心の庭を注意深く手入れする」必要をちゃんと教えません。

なんらかの骨組みや検閲や規律がないと、思考は自動操縦で勝手に動きまわります。

わたしたちは、脳の内側で起きていることを注意深く管理する方法を学んでいません。

ですから、自分について他人が考えていることだけでなく、広告や政治による操作に対しても、無防備でなされるがままなのです。

わたしがあえて回復しないようにしたのは、自分や他人に対して意地悪になったり、絶え間なく不安になったり、あるいは、口汚くののしってしまうような左脳の一部でした。

はっきり言って、生理的に感じるこんな感情が嫌でたまらなかったのです。

胸は苦しくなり、血圧が上がるのを感じ、眉間が寄って頭痛がします。

痛ましい過去の記憶をその場で再生しようとする古い感情的な回路なんか、みんな捨ててしまいたかった。

過去の苦痛に心を奪われるには、人生はあまりにも短いことを知ったから。

回復するまでに、頑固で傲慢で皮肉屋で、嫉妬深い性格が、傷ついた左脳の自我(エゴ)の中枢に存在することを知りました。

エゴの心の部分には、わたしが痛手を負った負け犬になり、恨みがましくなり、嘘をつき、復讐さえしようとする力が残っていました。

こんな人格がまた目覚めたら、新しく発見した右脳マインドの純粋さを台無しにしてしまいます。

だから、努力して、意識的にそういう古い回路の一部を蘇らせずに、左脳マインドの自我の中枢を回復させる道を選んだのです。』

(奇跡の脳  ジル・ボルト・テイラー

 

 

前回、今回と、右脳マインドと左脳マインドについて、ご紹介させて頂きましたが、

これまで自分が「自分」だと思っていた「自分」は、実は、単なる脳の働きだった、ということに、気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。

 

今もこの文を読んで、理解しようとしているのは、左脳の自動反応なのです。

 

思考、感情、判断、は、左脳の働き。

直観、感覚、意識、は、右脳の働き。

 

ジル・ボルト・テイラー博士は、自らの体験から、そう書かれていますが、

これからわかることは、「わたし」が、この体で体験していることは、すべて左脳と右脳の働きだということになります。

 

このバレーボールくらいの大きさの頭(脳)のどこに、「わたし」がいるのでしょうか?

 

「わたし」とは、脳の働きが生み出している(脳のニューロン回路の複雑な働きから生じている)ある種の「想い」なのです。

 

いつも同じ思考回路を使っているので、同じ感情の回路が反応するので、その結果、まるでひとつの決まった人格があるかのように感じているだけと言えます。

 

その幻の人格を持っているという想いが、脳に生じた結果、脳内に個別性が誕生し、それが「わたし」となったのです。

 

脳が脳を理解する、「わたし」が「わたし」を理解することは、以前の記事でご紹介した脳科学者の池谷裕二さんも、その難しさを強調されていましたが、

これは、ヨーガの中でも非常に難解とされている「ギャーナ・ヨーガ(智識によるヨーガ)」の道です。

 

「個」であるという感覚を消滅させることは、通常、人間には不可能ですが、

その感覚は、頭頂の方向定位連合野が働いているからだと、ジル・ボルト・テイラー博士は、「奇跡の脳」の中で書いています。

 

そして、それぞれの脳の部位の働きを理解するにつれ、私たちは、自分の脳内で

どのようなことが起きているのか?を知ることで、「自分」について知って行くことができるのです。

 

そして、この理解が、やがては、「個」を超えて、「全体」への帰還へと通じていきます。

 

頭頂にある第7チャクラであるサハスラーラ・チャクラは、「個」から「全体」へ通じている私たちの体にある唯一の門(扉)なのです。

 

 

 

ヴェーダを学んだ人びとが

不死の世界とよんでいる処について説明しよう

偉大な哲人 賢者たちはここに入るために

きびしい禁欲の修行をする

 

ヨーガ修行は全ての感覚的快楽を

離脱することから始まる

五官の門を閉じて 心を心臓に

生気を眉間に集中して精神統一をする

 

ブラフマンそのものを表すところの

聖なる音節オームをとなえ

至上者(わたし)を想いながら肉体を離れる者は

必ず至高の世界へ往く

(バガヴァッド・ギーター第8章11ー13)