永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

チャクラについて(26)-サハスラーラ・チャクラ(第7チャクラ)

前回ご紹介しました、脳卒中により左脳を損傷した脳科学者、ジル・ボルト・テイラー博士の自らの体験記である「奇跡の脳」から、

右脳のみで知覚する世界が、私たちが通常経験しているのと同じ世界とは思えないような世界であることが記述されていましたが、

それは、同時に、左脳と右脳それぞれが経験している世界は、かなり異なっていることを証明するかのような報告でした。

 

左脳と右脳の役割分担に関しては、まだ現段階では、仮設の域を出ず、不明な点が多いようですが、

一般的には、それぞれの脳の役割分担は、左脳は、言語の運用、数的計算、右脳は、空間認知、非言語的概念構成とされています。

 

それでは、左脳の障害により、世界に対する認知(認識)がどのように変化したか?を見てみましょう。

 

 

『わたしの意識は覚醒していました。

そして、流れのなかにいるのを感じています。

目に見える世界の全てが、混ざり合っていました。

そしてエネルギーを放つ全ての粒々(ピクセル)と共に、わたしたちの全てが群れをなしてひとつになり、流れています。

ものともののあいだの境界線はわかりません。

なぜなら、あらゆるものが同じようなエネルギーを放射していたから。

それはおそらく、眼鏡を外したり目薬をさしたとき、まわりの輪郭がぼやける感じに似ているのではないでしょうか。

この精神状態では、三次元を知覚できません。

ものが近くにあるのか遠くにあるのかもわからない。

もし、誰かが戸口に立っていても、その人が動くまで、その存在を判別できないのです。

特定の粒々のかたまりが動くことに特別な注意を向けないとダメだったのです。

そのうえ、色は色として脳に伝わりません。

色が区別できないのです。

自分をひとつの固体として感じていた今朝までは、わたしは、死や傷害により肉体を失うことや、心痛による感情的な損失を感じることができていました。

しかし、変容してしまった認知力では、肉体t的な喪失も感情的な喪失も、受け止められなくなってしまったのです。

周囲から分離していること、固体であることを体験する能力が失われてしまったせいで、神経が傷を負っているのに、忘れ得ぬ平穏の感覚が、わたしという存在のすみずみにまで浸透しています。

そして、静けさを感じました。

存在する全てと結ばれている感覚は幸せなものでしたが、自分がもはや正常な人間でないということに、わたしは身震いしました。

わたしたちはそれぞれ、全く同じ全体の一部であり、わたしたちの内にある生命エネルギーは宇宙の力を含んでいる。

そんな高まった認知力を持ちながら、いったいどうやって、人類のひとりとして存在できるでしょう?

怖い物知らずにこの地球を歩くとき、どうして社会に適合できるでしょう?

わたしは誰の基準においても、もはや正常ではありませんでした。

この特殊な状態で、重い精神の病に罹っていたのです。

そして、外界の知覚と外界との関係が神経回路の産物であることがわかったとき、それは自由を意味すると同時に挑戦でもあったのです。

わたしの人生の長い歳月のあいだ、わたしというものが自分の想像の産物にすぎなかったなんて!

左脳の時計係が店じまいしたことで、生活の時間的なリズムはゆっくりになり、カタツムリのペースに変わりました。

時間の感覚が変わったので、周囲の蜂の巣のように騒がしい音と映像が、同期しなくなっています。

意識はタイムワープのなかへ漂っていき、その結果、慣れ親しんだ、まともなペースでの社会とのコミュニケーションや、社会の中で自分の役割を果たすことも、不可能になりました。

わたしは今や、世界の「あいだ」の世界に存在しているのです。

もう、自分の外界にいる人たちとかかわることはできません。

しかしそれでも、生命が消えることはありませんでした。

わたしはまわりの人たちにとって異邦人だっただけでなく、内側では、自分にとっても異邦人でした。

 

あなたは、起きたことすべてをわたしがまだ憶えているのはどうしてだろう、と不思議に思うでしょうか。

わたしは精神的には障害をかかえましたが、意識は失わなかったのです。

人間の意識は、同時に進行する多数のプログラムによってつくられています。

そして、それぞれのプログラムが、三次元の世界でものごとを知覚する能力に新しい拡がりを加えるのです。

わたしは自我の中枢と、自分自身をあなたとは違う存在として見る左脳の意識を失いましたが、右脳の意識と、からだをつくり上げている細胞の意識は保っていたのです。

瞬間ごとに、自分が誰でどこに住んでいるか、といったことを思い出させるプログラムは、すでに機能していませんでしたが、他のプログラムが注意を保たせ、瞬時の情報を処理し続けていました。

いつもは右脳より優勢なはずの左脳が働かないので、脳の他の部分が目覚めたのです。

これまで抑制されていたプログラムは今や自由に機能し、それによって、知覚についての自分のこれまでの解釈に、もはや束縛されなくなりました。

左脳の意識と、自分の過去の性格から離れたことで、右脳の性格が新しく目覚め、表に現れてきたのです。

 

ここで、あなたの本来の能力が、(意識があるのに)系統的にむしり取られていくのがどんな感じがするものか、想像してみましょうよ。

まず第一に、耳を通って入ってくる音を理解する能力を失うと想像しましょう。

耳が聞こえないわけではありません。

あなたはただ、あらゆる音を無秩序な雑音として聞いてしまうのです。

第二に、目の前にあるなにかの物体の、もともとの形を見る能力がなくなると想像してみましょう。

目が見えないわけではありません。

単に、三次元的な拡がりを見ることができない、あるいは、色を識別できなくなるのです。

動いている物体の軌跡をたどったり、物体の間のハッキリした境界を判別する能力を失ってしまいます。

されに、これまでは何でもなかった匂いがとてもきつく感じられ、あなたは圧倒され、息をするのも辛くなります。

もはや、温度も振動も苦痛も、あるいはどこに手があって足があるのかすら知覚できなくなります。

あなたのエネルギーの存在は広がって、まわりのエネルギーと混ざり合います。

そして自分自身を、宇宙と同じように大きいと感じるのです。

自分が誰でどこに住んでいるかを思い出させる内側の小さい声も、聞こえなくなってゆきます。

あなたは、感情的な自分との古い記憶のつながりを失います。

そして、まさに今ここにある、豊かな瞬間に、心奪われてしまうのです。

あなたという生命力を含む全てのものが、純粋なエネルギーを放ちます。

子供のような好奇心で、あなたの心は舞い上がり、あなたの頭は、無上の幸福に充ちた海を泳ぐ、新しい方法を模索するのです。

そこで、自分に問いかけてみてください。

かっちりと決められた日常のくりかえしに戻ろうなんて、そんな気持ちになれると思う?』

(奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー

 

 

言葉(観念)を通さずに、世界を感覚で捉えると、こんな感じになるのかもしれませんね。

今回ご紹介した中で、特に注目すべき内容は、「エネルギー」について触れていることです。

 

エネルギー。

 

エネルギーの世界に一歩踏み込むと、それまでの世界とは全く別の世界が開けることを、「奇跡の脳」は示唆しています。

 

これが、第7チャクラ「サハスラーラ・チャクラ」を理解する鍵です。

 

次回も、もう少し、「奇跡の脳」が体験した驚きの世界を見ていきましょう。

 

 

 

 

至上の御方よ ブラフマンとは何か

そして真我とはどんなものか

また カルマとは 物質現象とは

いわゆる神界とはどんな所か 説明して下さい

 

供犠を受ける主は我らの肉体の中の

どの部分にどのようにして住んでいるのか

信仰を持ち修行や供犠をしている者が死ぬ時

あなたはどのようにして会って下さるのですか?

 

ブラフマンは不壊不滅にして

永遠無限の実在ーー

宇宙に遍満する大霊である そして

万有を生み出す創造(生命)エネルギーをカルマという

(バガヴァッド・ギーター第8章1-3)