永遠の人

永遠のダルマ(真理) - 智慧と神秘の奥義

チャクラについて(21)ーアジナー・チャクラ(第6チャクラ)  心は脳の創発

これまで、脳科学者、池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な「私」」から最新の脳科学の研究実験から導き出された興味深い結果についてご紹介していますが、

前回の記事でご紹介した内容は、脳の出力は、脳のゆらぎで決まる、というものでした。

 

今回は、その「脳のゆらぎ」はコントロールできるのか?という疑問について、その可能性についてご紹介します。

 

そして、更に、私たちの「心」について、脳科学から見た「心」の正体について、常識では考えられないような結論が導き出されます。

 

 

『さて、ここで、昨日、ゆらぎの話をしていたときに君が質問してくれて、そのときは答えを後回しにした話題、「脳のゆらぎをコントロールできるか」ということを取り上げてみよう。

実はこの問題は「構造を書き換える」ということと関りがある。

昨日の講義で、ゴルフのパットは脳のゆらぎにコントロールされているという話をした。

そのとき、「ゆらぎそのものを意志によってコントロールできるか」と言う疑問が出たよね。

覚えている?

仮にパーフェクトではないにしても、少しでも意識的に制御できさえすれば・・・・と。

ゴルフのパットでは、ゆらぎの具合が悪いと外してしまうのだったね。

悪い状態とは、前頭葉のアルファ波が多いときだけど、裏を返すと、アルファ波が少ないときにボールを打てばいいわけだ。

だから、真っ先に思いつくアイデアは、「脳波計を頭につけてプレイすればいい」という対応策だ。

グリーンの上で脳波計を見ながら「あっ、今アルファ波が少なくなった。チャンスだ!」と。

その瞬間に打ち始めればいいわけ。

でも、もっといい方法がある。

アルファ波を自在に操れればいいでしょ。

そうすれば、試合中に意識的に念じて、パットの一番入りやすい脳の状態に持っていって、そしてボールを打つことができる。

その極意を体得すればいいんだね。

結論から言うと、まさに期待通りで、実は、ゆらぎはある程度はコントロールできる。

ただし、訓練を積めば、という条件つきだ。

さて、どうやってアルファ波を減らしたらいいと思う?

 

→ 念じる。

 

おっと、じゃあ、君、今この場でアルファ波を減らしてみて。

 

→ できない(笑)。

 

ははは。そうだね。

でも、実は、僕はできる。

どうやってやると思う。

 

→ 想像もできません。。。。

 

そうでしょ。

では、なぜ、僕はできて、君らにはできないのだろうか。

その鍵を握るのが「フィードバック」だ。

フィードバックとは「情報を戻す」という意味だったね。

そもそも、なぜ君らはアルファ波を自由に減らせないのか。

その理由は一点に集約される。

それは「今、自分のアルファ波の強さを知らないから」だ。

知らないものをコントロールすることはできないでしょ。

ところが、知ってしまうとまったく話が変わってくる。

脳波計を使って、現在の自分のアルファ波の強さを記録する。

そしてモニターを見れば、今のアルファ波の強さがリアルアイムでわかる。

その状態で訓練を積むと、次第にアルファ波の量を自在にコントロールできるようになる。

自分の状態を測定して、測定した値を客観的に認知する。

つまり、脳の情報が再び脳に戻るループだ。

これってフィードバックだよね。

こういうループをつくることによって、脳波は制御可能になるんだ。

やってみるとわかるんだけど、はじめて脳波計を見た人でも、10分もあればアルファ波をある程度コントロールできるようになる。

僕は何度もやったことがあるから、アルファ波を出そうと思えば出せるし、抑えることだってできる。

まだ完璧ではないけれど、今では脳波計を見なくてもできるくらいだ。

やったことがない人にとってはまったくイメージがわかないでしょ。

でも一度やってみれば、「ああ、こういう具合か」と理解できる。

こういう測定装置が安く市販されたら、きっと楽しいよね。

 

ということで、意志は脳のゆらぎから生まれるけれど、と同時に、脳のゆらぎを調節することに、どうやら「意志」自体が積極的に関与できるのではないかと・・・これが一応、現段階の僕の感触だ。

普段は、脳の中の若干のランダムさと、環境から入ってきた情報の双方によって、ゆらぎが決定されてしまっていて、無意識のうちに惹起された行動を取る。

だから、行動がほぼ一義的に決まったり、あるいは、行動パターンの選択肢が限られたりして、僕たちは真の意味で自由意志がないように見える。

でも、トレーニングすれば、ゆらぎそのものを直接、意識的に変えることができるかもしれない。

それがフィードバックのおもしろさだ。

おもしろいだけではない。

フィードバックは日常生活に役立つのではと期待されている。

なぜなら、これは自分の状態をコントロールする技術だから。

興奮しやすいタイプの人が、落ち着け落ち着け・・・と、脳波計を使ってコントロールできたとしたら、すごく役に立ちそうだよね。

でも、より注目を集めている活用法は、脳ではなくて、身体の制御だ。

たとえば血圧。

たとえば、君、今、血圧を10ミリ水銀(mmHg)だけ下げてみて。

 

→ そんなこと言われても。。。。(笑)

 

あはは。できるはずないよね。

でも、もうわかるよね。

下げられない理由はなに?

 

→ 自分の血圧がわからないから。

 

その通り。

ということは、血圧計を使って「現在の血圧は115mmHg」などと表示させると、血圧を下げられるようになるはずだよね。

これは、実際、可能なんだ。

となれば、臨床応用できるでしょ。

高血圧治療として、普通は薬で血圧を下げる。

降圧薬を使う。

薬は有効だとはいえ、やっぱり副作用があったり、あるいは毎日忘れずに飲まなきゃいけなかったりで、大変なこともある。

でも、フィードバックを使うことによって、意図的に血圧を下げることができたら、すばらしいね。

副作用もないし、治療費もかからない。

まあ、寝ているあいだは制御できないという欠点もあるのだけれどね。。。

 

フィードバックが欠けたシステムは自己制御できない。

その代表的な例は「自律神経系」だ。

 

→ 心臓を動かしたり。。。

 

そうだね、心拍数を調節したり、あるいは胃酸を出したり、汗をかいたり、そういう内臓や皮膚を支配する神経系のことを自律神経と言うね。

血圧もそのひとつだ。

「自律」という言葉は「意志とは無関係に独立して作動している」という意味。

つまり、「意識的にはコントロールできない」という意味だよね。

でも、本当はそうではなくて、自律神経系には意識に上がるフィードバック機構が備わっていない、だからコントロールできないだけのことだ。

実際には、計測器をつかった人工フィードバック装置さえあれば、血圧は制御可能だ。

この意味では、もはや自律神経系は「自律」ではない。

きっと血圧だけでなく、胃酸の分泌も、発汗の量も、気管支の太さも、トレーニング次第でコントロールできるようになるだろうね。

ということで、フィードバック回路が、僕らの意識制御にとって、いかに重要かがわかってもらえると思う。

ここで改めて思い返してほしいのだけど、一昨日の講義の話も、これと同じ構図をしているよね。

「自分が行動している」様子を脳がモニターして、「自分がやっていること」の目的や意味が理解できる。

これも一種のフィードバックでしょう。

自分の心臓がドキドキしている、あるいは自分がギタリストのマネをしているのを見て、あっ、なるほどこういうことか、と自分をわかる

これはフィードバックだ。

もちろん、幽体離脱も一種のフィードバックだ。

外から自分を眺めて自分を知る。

つまり、僕らの「心」はフィードバックを基礎にしている。

これが意味していることはわかるかな。

今日は、脳の中身を顕微鏡レベルで眺めると、ニューロンの回路はフィードバックになっているという話をした。

そのフィードバックの回路から発火活動の「創発」が生じる。

同期発火のベキ則など、創発は驚愕の現象だったよね。

創発とは、数少ない単純なルールに従って、同じプロセスを何度も繰り返すことで、本来は想定していなかったような新しい性質を獲得すること。

http://bluebacks.kodansha.co.jp/special/brain_move10.html

<ラングトンのアリ>素子と環境の相互作用の動画)

と同時に、僕ら自体もまた、身体や環境や幽体離脱を介して、フィードバックの回路になっている。

だから、やはり創発を生む。

その創発の産物のひとつが「心」だ。

だからこそ、「心」は予想外な産物だったし、それゆえに、崇高でさえある。

でも、創発は、実のところ、驚くほど少数の簡素なルールの連鎖で勝手に生まれてしまうもの。

それを、僕らが一方的に「信じがたい奇跡」に触れたかのように、摩訶不思議に感じているだけ。

つまり、脳は「ニンゲン様に心をつくってさしあげよう」などと健気に頑張っているわけではない。

心は、脳の思惑とは関係なく、フィードバック処理のプロセス上、自動的に生まれてしまうものなんだ。

そして、その産物を、僕らの脳は勝手に「すごい」と感じているわけ。

僕らが一方的に脳の創発性に驚いているだけのこと。』

(単純な脳、複雑な「私」  池谷裕二

 

 

 

今日ご紹介した脳科学で解明されてきた新事実を踏まえると、

私たち人間が、行動したり、欲したり、感じたり、感情を持ったり、考えたり・・するのは、「心」があるからだと思っているわけですが、

実は、この「心」は自動的に生まれてしまった脳の創発の産物であるというのですから、本当に驚き以外の何ものでもありません。

 

私たちは、自分の「心」=「わたし」だと思っていますから、人間にとっては、「心」はとても大切なものなのですが、

しかし、今日ご紹介した内容は、実際には、脳、いえ、身体の中の何処にも、そのような主体的な存在はいない、ということを示唆しています。

 

私たち人間は、脳を介して「自分(人間)」を客観的に体験(認識)しているので、

その認識のフィードバックのプロセスの過程で、「心」=「わたし」が生まれてしまう、ということを著者は語っています。

 

次回は、「心」について更に理解を深めるために、この「心」のカラクリについて詳しく解説されている部分をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

水の上を行く舟が

強い風に吹き流されるように

諸感覚のただ一つにさえ心ゆるしたなら

人の知性(ブッディ)は忽ち奪われてしまうのだ

(バガヴァッド・ギーター第2章67)