チャクラについて(10)-アジナー・チャクラ(第6チャクラ) 錯覚について
前回は、脳科学者の池谷裕二さんの著書「進化する脳」から、最新の脳科学の実験データなどから得られた情報を元に、これまでの常識を覆すような考え方の一例として、
「世界があって、それを見るために目を発達させたのではなくて、目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。」という内容をご紹介いたしましたが、
今回は、その続きをご紹介いたします。
この考え方は、一見、突飛に感じるかもしれませんが、仏教のお経である「般若心経」が説いている内容とも重なる部分があると感じます。
色即是空 空即是色
つまりは、一切が反対である、あべこべである、顚倒している、ということになり、
アドヴァイタ(一元論)の「この世界は非実在である」という考え方とも一致するものである、とご紹介させて頂きます。
『もし君たちが魚の目を持っていたら、たぶんまったく違った世界の解釈をしていると思う。
ニュートンは人間の目を使って<世界>を観察して、「ニュートンの三大法則」をつくった。
カエルだったらおもに動いているものしか見えないわけでしょ。
そうしたら、カエルにとっては「ニュートンの法則」は成り立たない。
カエルの目だったら「質量保存の法則」なんて無意味だ。
そういう話。
ここから一気に、もっと深い話になる。
いまついてきている?何か質問あるかな?
→ いまのちょっとよくわからないんですけど、みんなわかるの?
先に目ができて、目ができたから、それで見えるようにな。。。
目という臓器ができたから、それに対応してまわりも、それに即して。。。。
でも、世の中はあるわけですよね。
物質世界としては人間がいる前からきっとあっただろうけれども、こういうふうに見えているのは、人間が勝手にそう見ているだけの話しであった、違う動物の目を仮に移植されたらまったく違う世界がそこに生じてしまう。
だとしたら、それはもう世界のあり様として違うんだよ。
だって脳が世界を作っているんだからさ。
→ 質的に世界は同じだけど、見え方、見方が違うという・・・・?
見え方が違ったら、脳にとっては別物だよね。
だって存在とは脳が解釈した結果なわけだから、もはや質的に一緒とすら言えなくなってしまう。
よく考えてみるとわかると思うんだけど、どう?
もう少し考えてみる?
たとえば、光の三原色があるよね。
赤・緑・青の三種類の光さえあれば、世の中のすべての色をつくることができる。
テレビ画面を虫メガネで拡大して見ると、「赤・緑・青」の画素がびっしり並んでいるのが見える。
ちなみに、人間が識別できる色の数は数百万色と言われている。
すごいよね。
考えてみれば数百万種類もある色が、たった3つの光の波長に還元されてしまうのだから、光の三原色っておもしろいよね。
この三色の原理は、ずいぶんと昔から人間はちゃんと知っていた。
そして、後世に「生物学」が発達して、目という臓器に科学のメスが入ると、なんとまあ、その赤・緑・青の三色に対応したセンサー細胞が網膜から見つかって世の中の人は驚いたんだ。
「三色の原理を生物はきちんと知っていて、それに対応させて網膜を発達させたんだな。
・・・・人間の目とは、やはりうまくできているものだなぁ」と。
でも、それはそんなに驚くべきこと?
だって、本当を言えばこれは当然なんだよ。
光はもともと三原色に分けられるという性質のものではない。
網膜に三色に対応する細胞がたまたまあったから、人間にとっての三原色が赤・緑・青になっただけだよ。
もし、さらに赤外線に対応する色細胞を持っていたら、光は三原色ではなくなるよ。
何が言いたいのかというと、赤・緑・青という電磁波のおよそ、555ナノメートル、530ナノメートル、426ナノメートルという波長の三色しか見えないから、世界がこういうふうにしか見えていないというわけ。
たとえば、もし、もっと長い波長のラジオ波なんかが目に見えたりしたら、すごいことになってしまう。
ラジオ波はとても透過性も高いから、つまり、容易に壁をすり抜けるから、建物の向こう側にいる人まで見えてしまう。
でも、実際の人間の目は、世の中に存在する電磁波の、ほんの限られた波長(可視光)しか感知できない。
だから、本来限られた情報だけなのに「見えている世界がすべて」だと思い込んでいる方が、むしろおかしな話でしょ。
その意味で、世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な)世界をつくりあげている、といった方が僕は正しいと思うわけだ。』
(進化しすぎた脳 池谷裕二)
これは、一人の脳科学者が、最新の脳科学の研究結果から導き出した一つの仮説ですが、
ジュナーナ・ヨーガ(智識のヨーガ)で言っているところの「世界は非実在の幻、或いは夢のようなもの」という世界観と
「この目に見える世界は錯覚の産物である」ということは、同じことを言っているようにも受け取れます。
私たち人間は、「人間」というバイオスーツ(肉体)を着ているので、「人間」の肉体(バイオスーツ)の持つ機能を駆使しながら、この世を体験しています。
しかし、この体験は絶対的なものではなく、人間固有の体験であり、
それ故、それらの体験は、宇宙において普遍のモノというわけでもなく、
敢えて言うならば、人間だけに通用する限定的なモノなのです。
また、この有限なる「人間」というバイオスーツを抜いだとき、
「無限」という普遍なる真実の世界(次元)が広がっていると、
人間は、脳内で想像(創造)することができる唯一の存在であると言えます。
この働きについては、次回、詳しく見ていきたいと思います。
全ての行為は物質自然によって
つくられた肉体が行うのであって
自己の本質(アートマン)とは無関係であると知る者は
存在の実相を見ているのである
(バガヴァッド・ギーター第13章30)